2010年2月7日日曜日

引用発明を都合よく解釈して進歩性なしと判断した審決が取り消された事例

平成21年12月22日判決

平成21年(行ケ)第10080号審決取消請求事件

1.背景と概要

 進歩性欠如の拒絶査定審決では、引用発明の記載を都合よく解釈し、更に場面に応じて「周知技術」の名の下で論理の飛躍を補って、対象発明が容易に想到可能であると結論付けられることがある。

 本事例はそのような拒絶審決が取り消された事例である。

1.1.審決の理由

「本件補正発明は,下記アの引用例1に記載された発明(以下「引用発明1」という。)、引用例2に記載された発明(以下「引用発明2」という。)及び参考例1,2に記載された周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により,特許出願の際独立して特許を受けることができない」

1.2.本件補正発明に係る特許請求の範囲の請求項1

「a)ほぼ薄板状で,第1側部,第2側部,第1端部と第2端部を有する長手軸,この長手軸と平行に伸び,第1端部と第2端部で終焉する第1縁部と第2縁部,及び,前記第1端部と第2端部のほぼ中心において前記第1縁部および前記第2縁部よりも幅の狭いくびれ部を有する可撓性材料からなる少なくとも1つの連続層と,

b)発熱組成物を含む複数のヒートセルであって,各ヒートセルは隔離されると共に可撓性材料からなる前記少なくとも1つの連続層に固定されるか,または前記少なくとも1つの連続層の内部に固定され,各ヒートセルは,前記長手軸に対してほぼX字型に隔離配設される,複数のヒートセルと,

c)前記第1端部と前記第2端部あるいはこれらの近傍に配設され,使用者の身体に温熱身体ラップを取り外し可能に取り付けるための手段とを有する一体積層構造体を備え,前記取り付け手段は,確実な初期および長期的取り付けや取り付け直しを可能にし,皮膚から簡単にかつ痛みのない取り外しができ,前記ラップの取り外し後に皮膚にほとんど残留しない,使い捨て温熱身体ラップ。」

1.3.本件補正発明と引用発明1との一致点及び相違点2

一致点:a’)ほぼ薄板状で,第1側部,第2側部,第1端部と第2端部を有する長手軸,この長手軸と平行に伸び,第1端部と第2端部で終焉する第1縁部と第2縁部を有する可撓性材料からなる少なくとも1つの連続層と,

b’)発熱組成物を含む複数のヒートセルであって,各ヒートセルは隔離されると共に可撓性材料からなる前記少なくとも1つの連続層に固定されるか,または前記少なくとも1つの連続層の内部に固定され,各ヒートセルは,隔離配設される,複数のヒートセルと,

c’)使用者の身体に温熱を与えるように温熱身体ラップを取り外し可能に取り付けるための手段とを有する一体積層構造体を備えた使い捨て温熱身体ラップ。

相違点2:本件補正発明の各ヒートセルは,長手軸に対してほぼX字型に隔離配設されるのに対して,引用発明1のヒートセル(セル16)は,隔離配設されるものの,X字型の配設ではない点。

1.4.相違点2に関する審決の判断

 本件審決は,相違点2について以下のとおり判断した。

引用発明1において,その使用目的からみて,使用者が装着している時,使用者の身体又は各部位のさまざまな領域の運動に順応することは,当然に要求される事項と認められるところ,そのような目的の配置として,X字型の配設は,従来周知(参考例2の図4,5,【0013】)の技術であり,それぞれが隔離配設される引用発明1においても,運動に順応する周知の配置を排除する格別の事情は認められない。してみれば,引用発明1に周知の技術を適用して相違点2に係る本件補正発明の発明特定事項のようにすることは当業者が容易に想到し得たことである。」

2.裁判所の判断のポイント

2.1.取消事由2(相違点2の判断の誤り)について

(1) 本件補正発明におけるX字型の隔離配設の意義

・・・

 人体の痛みを治療する一般的な方法は,患部に熱を局所的に加えることであり,そのために渦流浴,蒸しタオルなどが使用されるが,これらの使用は定期的かつ長期的な使用には不向きであり,また使用者の動きを制限し位置決めを維持できないことから(【0001】),鉄の酸化に基づいた使い捨てのヒートパックが用いられるようになっているが,そのようなヒートパックは,多くがかさばり,安定的な制御温度を維持できず,さまざまな体型に容易にまた快適に順応できないという問題があった・・・。

 本件補正発明は,このような課題を解消する使い捨ての温熱ラップを提供するものであり,ラップの長手方向中心に幅の狭いくびれ部を形成し,発熱組成物を隔離して配置した複数のヒートセルとしてこれを長手軸にほぼX字型に配置すると共に,ラップを身体に取り付けるための手段は,取り付け直しを可能としている・・・。

 これにより,本件補正発明の使い捨て温熱ラップは,比較的迅速に作動温度に到達して持続的な温度を維持し,良好で全体的なドレープ性(まとわせ性)を有し,さまざま体型に適応して,身体に取り外し可能に取り付けられる・・・。

 特に,ラップの長手方向中心にくびれ部が形成され,ヒートセルがX字型に配置されているので,使用者が装着しているときに温熱身体ラップがねじり曲がり,身体部位のさまざまな領域に順応し,四肢の曲げ能力を妨害したりしないという意義を有するものである・・・。」

(2) 参考例2に記載された事項

・・・

 参考例2に示されたサポータは,関節部位に適用され,関節を被覆するものである。そして,X状になっているのは,関節部分に使用するサポータの形状であり,電熱片(電熱線)そのものがX状に布設されているわけではない。」

(3) 本件審決の相違点2に係る判断の当否

・・・

イ・・・前記(2)認定のとおり,参考例2に示された関節部位に適用されるサポータにおいて,X状になっているのは,関節部分に使用するサポータの形状であり,電熱片(電熱線)そのものがX状に布設されているわけではない。そして,参考例2のサポータの使用方法としては,X状に裁断されたサポータの交点で関節を覆い,関節を挟んだ各片同士を接続することにより,サポータを身体に装着するもの,具体的には,例えば肘に装着する場合,肘の外側にサポータにおけるX状の交点をあてがい,上腕側,下腕側にそれぞれ位置する2つの片同士を,互いに腕に巻き付けて上腕側片同士,下腕側片同士を相互に接続することにより,肘に装着するものと認められるのである。

 参考例2に示されたサポータは,上記のように装着することにより,肘の折り曲げ部内側にはサポータ片が存在しないため,肘を屈伸しても,サポータが障害とならないことから,参考例2のサポータは,活発に活動する関節部位の使用に適合するとされ,またそのためにサポータの全体形状がX状とされているものと解される。

ウ 他方,前記(1)認定の事実によれば,本件補正発明のヒートセルがX字型に隔離して配設されているのは,身体のねじりのような斜め方向の曲げに対して,ヒートセルが障害とならず,全体形状としては長方形に近い温熱身体ラップが,ねじりに追随して曲がりやすいことを意味し,これにより身体の様々な領域に順応することができるとされているものと解される。

エ 上記イ,ウのとおり,参考例2のサポータが全体形状としてX状であることと,本件補正発明の全体形状としては長方形に近い身体温熱ラップにおいて,ヒートセルがX字型に隔離して配設されることは,X状ないしX字型といっても,その意義ないし機能は本質的に異なるものであり,またそれにより身体の適用可能な部位も異なることになる。

 このように,X状ないしX字型に関する両者の意義ないし機能が異なるのであるから,参考例2における,内部に電熱線が均一に布設されたサポータが全体形状としてX状にされている構成のうち,「X状」という技術事項のみを取り出し,本件補正発明の身体温熱ラップ内に存在するヒートセルの配設の形態に適用する動機付けは存在せず,引用発明1に参考例2を適用して,相違点2に係る構成とすることはできないといわざるを得ない。

オ 本件審決は,「使用者が装着している時,使用者の身体または各部位のさまざまな領域の運動に順応することは,当然に要求される事項」とした上,「そのような目的の配置として,X字型の配設は,従来周知」として,参考例2を挙げるが,参考例2をもって,上記周知技術ということはできない。そして,他に,上記事項が周知であることを認めるに足りる証拠はない。

カ したがって,引用発明1に周知技術を適用して相違点2に係る構成を想到することが,当業者にとって容易であるとした本件審決の判断は,誤りといわなければならない。」