2010年1月31日日曜日

明細書に記載されていない数値を請求項に追加する補正が新規事項追加に該当しないと判断された事例

平成22年1月28日判決言渡

平成21年(行ケ)第10175号審決取消請求事件

1.概要

 原告が有する特許権に対する無効審判審決において、特許庁は、原告が審査段階でした補正が、願書の最初に添付した明細書等に記載した事項の範囲内においてなされたものとはいえず特許法第17条の2第3項の規定に違反(新規事項追加)すると判断し、本件特許を無効とした。

 知財高裁は、この判断を覆した。

 補正内容:

出願時の請求項1「高断熱・高気密住宅において,建物部同様に布基礎にも断熱材を使用して外気温の影響を遮断して尚且つ床下空間の気密を保持し,地表面から,防湿シート,断熱材,発熱体が埋設された蓄熱層であるコンクリートもしくは砂・砂利が順に積層されてなる暖房装置を形成し,さらに該暖房装置と床面の間に所定間隔の床下空間を形成し,床面の所定位置には室内と床下空間とを貫通する通気孔を形成し,蓄熱された熱の放射時に床面の加温とともに加温された床面からの二次的輻射熱と,室内と床下空間を自然対流もしくは換気装置による強制対流によって家屋空間全体を24時間暖房することを特徴とする深夜電力利用を利用した蓄熱式床下暖房システム。」

 出願人(原告)は審査段階の平成15年12月12日付で補正書を提出し、高断熱・高気密住宅」という記載を「熱損失係数が1.0~2.5kcal/m・h・℃の高断熱・高気密住宅」に変更した。この補正により、「熱損失係数が1.0~2.5kcal/m・h・℃」という記載が追加されたことになる。

 明細書中にはこの追加された数値範囲は一切記載されていないし、「高断熱・高気密住宅」が一義的に所定の熱損失係数を有すると確定できるわけでもない。しかし裁判所は、意外なことに、このような補正であっても「新たな技術的事項を導入」する補正に該当しなければ許容される場合があると判断した

 参考までに特許実用新案審査基準には以下の記載がある

(1)「当初明細書等に記載した事項」の範囲を超える内容を含む補正(新規事項を含む補正)は、許されない。

(2)「当初明細書等に記載した事項」とは、「当初明細書等に明示的に記載された事項」だけではなく、明示的な記載がなくても、「当初明細書等の記載から自明な事項」も含む。

(3)補正された事項が、「当初明細書等の記載から自明な事項」といえるためには、当初明細書等に記載がなくても、これに接した当業者であれば、出願時の技術常識に照らして、その意味であることが明らかであって、その事項がそこに記載されているのと同然であると理解する事項でなければならない。」

 今回の判断は審査基準と比較して寛大である。

 「新たな技術的事項の導入」でない限り補正訂正は許されるべきである、という判断基準は、「除くクレーム」に関する「ソルダーレジスト事件」(平成20年(行ケ)第10358号、2009829日付け本ブログ記事参照)と同一である。

2.裁判所の判断のポイント

「特許法17条の2第3項は,補正について,願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面(以下「出願当初明細書等」という場合がある。)に記載した事項の範囲内においてしなければならない旨を定める。同規定は,出願当初から発明の開示を十分ならしめるようにさせ,迅速な権利付与を担保し,発明の開示が不十分にしかされていない出願と出願当初から発明の開示が十分にされている出願との間の取扱いの公平性を確保するとともに,出願時に開示された発明の範囲を前提として行動した第三者が不測の不利益を被ることのないようにするなどの趣旨から設けられたものである。

 そして,発明とは,自然法則を利用した技術的思想であり,課題を解決するための技術的事項の組合せによって成り立つものであることからすれば,同条3項所定の出願当初明細書等に「記載した事項」とは,出願当初明細書等によって開示された発明に関する技術的事項であることが前提になる。したがって,当該補正が,明細書,特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入したものと解されない場合であれば,当該補正は,明細書,特許請求の範囲の記載又は図面に記載した事項の範囲内においてされたものというべきであって,同条3項に違反しないと解すべきである。

 ところで,特許法36条5項は,特許請求の範囲には,「・・・特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項のすべてを記載しなければならない」と規定する。同規定は,特許請求の範囲には,「・・・特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載」すべきとされていた同項2号の規定を改正したものである(平成6年法律第116号)。従来,特許請求の範囲には,発明の構成に不可欠な事項以外の記載はおよそ許されなかったのに対して,同改正によって,発明を特定するのに必要な事項を補足したり,説明したりする事項を記載することも許容されることとされた。そこで,これに応じて,特許請求の範囲に係る補正においても,発明の構成に不可欠な技術的事項を付加する補正のみならず,それを補足したり,説明したりする文言を付加するだけの補正も想定されることになる。

 したがって,補正が,特許法17条の2第3項所定の出願当初明細書等に記載した「事項の範囲内」であるか否かを判断するに際しても,補正により特許請求の範囲に付加された文言と出願当初明細書等の記載とを形式的に対比するのではなく,補正により付加された事項が,発明の課題解決に寄与する技術的な意義を有する事項に該当するか否かを吟味して,新たな技術的事項を導入したものと解されない場合であるかを判断すべきことになる。

 上記の観点から,本件補正の適否を判断する。」

「ア 本件発明の内容

 本件出願当初明細書,特許請求の範囲及び図面によれば,本件発明の内

容は,次のとおりと理解される。

 すなわち,本件発明は,当初出願に係る特許請求の範囲(請求項1)AないしFの構成からなる蓄熱式床下暖房システムである。従来,床材直下にコンクリート等の蓄熱層を形成し,該蓄熱体に埋設等された温水循環用の配管や電熱線の発熱により蓄熱層に蓄熱され,その熱の放射により暖房を行っていたが,このようなシステムでは,施工に手間がかかる,床面に温度むらができるなどの問題があり,また,床下空間を利用して暖房装置と床面の間に密閉された空間を設けたものでは,空間の距離調整が難しく,空間内に熱がこもり床面のみが高温となるという問題があった。本件発明は,この問題を解決するために,高断熱・高気密住宅において,熱源をユニット化されたシーズヒータとすることで施工を容易にするとともにヒータの寿命が長く,施工後のメンテナンスが容易にし,また床下空間を利用して蓄熱層と床面の間に空間を設け,床面に床下空間と室内とを貫通する通気口を形成して床面による輻射熱による暖房と,床下空間で蓄熱層により暖められた空気が通気孔を介して家屋全体を対流する対流暖房の2方式の暖房方法を利用した深夜電力利用のシステムとするものである点に,その技術的な特徴がある。

 イ「高断熱・高気密住宅」及び「熱損失係数が1.0~2.5kcal/m・h・℃の高断熱・高気密住宅」の本件発明における意義について

() 本件当初出願に係る特許請求の範囲(請求項1)においては,「高断熱・高気密住宅において」(構成A)と記載されていた。前記アの認定によれば,同構成は,本件発明の解決課題及び解決機序と関係する技術的事項とはいい難く,むしろ,本件発明における課題解決の対象を漠然と提示したものと理解するのが合理的である。そして,本件補正によって,「高断熱・高気密住宅」については「熱損失係数が1.0~2.5kcal/m・h・℃」との事項が付加され,「熱損失係数が1.0~2.5kcal/m・h・℃の高断熱・高気密住宅」との構成とされた。ところで,「熱損失係数が1.0~2.5kcal/m・h・℃の高断熱・高気密住宅」との構成について,本件発明全体における意義を検討すると,形式的には,数値を含む事項によって限定されてはいるものの,熱損失係数の計算精度は高いものとはいえないと指摘されていること等に照らすならば,同構成は,補正前と同様に,本件発明の解決課題及び解決機序に関係する技術的事項を含むとはいいがたく,むしろ,本件発明における課題解決の対象を漠然と提示したものと理解するのが合理的である。

 本件補正の適否についてみてみると,仮に本件補正を許したとしても,先に述べた特許法17条の2第3項の趣旨,すなわち,①出願当初から発明の開示を十分ならしめ,発明の開示が不十分にしかされていない出願と出願当初から発明の開示が十分にされている出願との間の取扱いの公平性の確保,②出願時に開示された発明の範囲を前提として行動した第三者が被る不測の不利益の防止,という趣旨に反するということはできない。

 そうすると,本件補正は,本件発明の解決課題及び解決手段に寄与する技術的事項には当たらない事項について,その範囲を明らかにするために補足した程度にすぎない場合というべきであるから,結局のところ,明細書,特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入していない場合とみるべきであり,本件補正は不適法とはいえない。

・・・

() 仮に,「熱損失係数が1.0~2.5kcal/m・h・℃」が,本件発明に関する技術的意義を有するといえるとしても,本件補正は,明細書,特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入した場合であるとはいえない。

 すなわち,前記のとおり,①本件出願当初明細書には,本件発明のヒータ利用による深夜電力の料金の目安を示した表(表2)が掲載され,ヒータ利用による電気量料金の試算は,熱損失係数1.2kcal/㎡・h・℃の住宅仕様を対象に行われていること,②本件出願当時,高断熱・高気密住宅とは,正確な定義が存在するわけではないが,おおむね,平成11年次世代省エネルギー基準で定めた熱損失係数と対比して,それより良好な住宅を指すものと解して差し支えないこと,③熱損失係数とは,室内外の温度差が1℃の時,家全体から1時間に床面積1㎡当たりに逃げ出す熱量を指し,住まいの保温性能を表わす住宅の省エネルギーに関する指標であること,④財団法人建築環境・省エネルギー機構から,平成11年次世代省エネルギー基準が示されているが,その基準値(下限)は,地域によって異なるが,1.4kcal/㎡・h・℃ないし2.3kcal/㎡・h・℃とされていること(ただし,沖縄県を除く。),⑤前記のとおり,熱損失係数の計算精度は高いものとはいえないことが認められる。

 そうすると,仮に,本件補正によって付加された事項が技術的内容を含んでいると解したとしても,本件出願当初明細書には「熱損失係数が1.0~2.5kcal/m・h・℃」における数値が明示されているわけではないが,本件発明の課題解決の対象である「高断熱・高気密住宅」をある程度明りょうにしたにすぎないという意味を超えて,当該数値に本件発明の解決課題及び解決手段との関係で格別な意味を見いだせない本件においては,その付加された事項の内容は,本件出願当初明細書において既に開示されていると同視して差し支えないといえる。したがって,本件補正は,明細書,特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入した場合であるとはいえない。」