2010年12月26日日曜日

「不意打ち」を理由とする手続違背により審決が取り消された事例

知財高裁平成22年11月30日判決

平成22年(行ケ)第10124号 審決取消請求事

1.概要

 拒絶査定不服審判審決において、本願発明引用発明との相違点1が認定され、相違点1は周知技術であり、該周知技術を考慮すれば引用発明に基づき本願発明に想到することは容易であると判断された。

 しかしながら相違点1が周知技術であるという認定は審決よりも前の段階では一切示されていなかった。

 裁判所は「本願発明が容易想到とされるに至る基礎となる技術の位置づけ,重要性,当事者(請求人)が実質的な防御の機会を得ていたかなど諸般の事情を総合的に勘案し」、審決を取り消した。

2.裁判所の判断のポイント

「本件では,審決において,本願発明と引用発明との相違点1に係る「信号調整装置とホスト・システムの結合を遠隔にする」との技術的構成は,周知技術であり(甲2ないし4),本願発明は周知技術を適用することによって,容易想到であるとの認定,判断を初めて示している。

 ところで,審決が,拒絶理由通知又は拒絶査定において示された理由付けを付加又は変更する旨の判断を示すに当たっては,当事者(請求人)に対して意見を述べる機会を付与しなくとも手続の公正及び当事者(請求人)の利益を害さない等の特段の事情がある場合はさておき,そのような事情のない限り,意見書を提出する機会を与えなければならない(特許法159条2項,50条)。そして,意見書提出の機会を与えなくとも手続の公正及び当事者(請求人)の利益を害さない等の特段の事情が存するか否かは,容易想到性の有無に関する判断であれば,本願発明が容易想到とされるに至る基礎となる技術の位置づけ,重要性,当事者(請求人)が実質的な防御の機会を得ていたかなど諸般の事情を総合的に勘案して,判断すべきである。

 上記観点に照らして,検討する。

 本件においては,①本願発明の引用発明の相違点1に係る構成である「信号調整装置とホスト・システムの結合を遠隔にする技術」は,出願当初から「信号調整装置201から離れた位置のホスト・システム200」(甲8,【請求項1】),「信号調整装置201から遠隔位置のホスト・システム200」(甲8,【請求項14】)などと特許請求の範囲に,明示的に記載され,平成19年2月7日付け補正書においても,「信号調整装置(201)に遠隔結合されたホスト・システム(200)」と明示的に記載されていたこと(甲10,【請求項45】),②本願明細書等の記載によれば,相違点1に係る構成は,本願発明の課題解決手段と結びついた特徴的な構成であるといえること,③審決は,引用発明との相違点1として同構成を認定した上,本願発明の同相違点に係る構成は,周知技術を適用することによって容易に-想到できると審決において初めて判断していること,④相違点1に係る構成が,周知技術であると認定した証拠(甲2ないし4)についても,審決において,初めて原告に示していること,⑤本件全証拠によるも,相違点1に係る構成が,専門技術分野や出願時期を問わず,周知であることが明らかであるとはいえないこと,⑥原告が平成19年2月7日付けで提出した意見書においては,専ら,本願発明と引用発明との間の相違点1を認定していない瑕疵がある旨の反論を述べただけであり,同相違点に係る構成が容易想到でないことについての意見は述べていなかったこと等の事実が存在する。

 上記経緯を総合すると,審決が,相違点1に係る上記構成は周知技術から容易想到であるとする認定及び判断の当否に関して,請求人である原告に対して意見書提出の機会を与えることが不可欠であり,その機会を奪うことは手続の公正及び原告の利益を害する手続上の瑕疵があるというべきである。

 同瑕疵は,審決の結論に影響を及ぼす違法なものといえる。

 この点,被告は,相違点1に係る構成は,容易想到性判断の推論過程において参酌されるありふれた技術であるから,審決が,甲2ないし4を初めて提示したとしても,原告に対する不意打ちとはいえないと主張する。しかし,相違点1に係る上記構成が推論過程において参酌されたありふれた技術にすぎないか否かは,結局,被告独自の見解にすぎないのであって,何ら論証されていないのであるから,そのような論拠に基づいて,原告に対して意見書提出の機会を要しないとする主張は,採用の限りでない。のみならず,審決において,相違点1に係る上記構成を採用することが容易であるとの判断内容は,主要な理由の1つとして記載されているのであり,そうである以上,推論過程について参酌された技術にすぎないことをもって意見書提出の機会を与える必要がないとする被告の主張は,根拠を欠く。

2010年12月18日土曜日

機能的表現の明確性要件が争われた事例

知財高裁平成22年11月29日判決言渡

平成22年(行ケ)第10060号 審決取消請求事件

1.概要

 機能的に表現された構造は常に不明確であると判断されるわけではない。

 本件では、機能的表現による構成が無効審判審決において明確であると判断され、知財高裁もそれを支持した。

2.請求項1

「a 遺体の体内物が肛門から漏出するのを抑制する遺体の処置装置であって,

b 筒状の案内部材と,

c 上記案内部材に収容される吸水剤と,

d 上記吸水剤を上記案内部材の一端開口部から押し出す押出部材とを備え,

上記案内部材の一端開口部側は,肛門から直腸へ挿入されるように形成されるとともに,肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されていることを特徴とする遺体の処置装置

3.明確性に関する無効審決での判断

「本件発明の構成eは 「案内部材の一端開口部側が,肛門から直腸へ挿入されるように形成される」という部分(構成e1)と 「案内部材の一端開口部側が,肛 ,門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」という部分(構成e2)とからなっているところ,本件発明の解釈と当業者の技術常識からすると,これらの構成部分はいずれも不明確であるとはいえない。」

4.原告主張の審決取消理由1(明確性要件)

(1) 本件発明の構成e1は不明確である。審決には,何故,長さ,太さ,表面, 性状等についての技術常識を考慮すれば 「肛門から直腸へ挿入される」ことができるために必要な具体的形状構造が明らかであるといえるのか,合理的な説明はない。

(2) 審決は,構成eのうち,構成e1については案内部材自体の構成に基づいて判断しているが,構成e2については案内部材及び別部材の構成に基づいて判断している。このように,審決は,同じ構成要素について異なる判断基準を用いることの合理的説明がなく,矛盾している。また,構成eの「案内部材の一端開口部側は」の記載からすると,本件発明の構成e2についても,案内部材自体の構成に基づいて判断すべきであるのに,審決は別部材に基づいて判断しており,請求項1の記載に基づかない判断である。」

5.裁判所の判断のポイント

「1 取消事由1(明確性要件)について

(1) 原告は,本件発明の構成e1が不明確であり,審決にも合理的説明がない旨主張する。

 しかし,審決は 「遺体の肛門や肛門から直腸までの長さ等の構造・性状は,これらが後の経過時間,体格・年齢等に応じて変わること等を含め,当業者の技術常識である。」(8頁10行~12行)ことを認定し,そのような技術常識を考慮すれば,必要な具体的構造形状・材質等,例えば長さ,太さ,表面性状等は明らかであると判断しているのであって,合理的な理由の説明はされている。

 そして,本件発明の構成e1は,案内部材の一端開口部側が「肛門から直腸へ挿入されるように形成される」と特定されているところ,その字句どおり,案内部材の一端開口部側が肛門から直腸へ挿入されるように形成された構成であれば,どのような形状・材質からなるものであってもよいと解されるから,構成e1の記載が不明確であるということはできない。

 したがって,原告の上記主張は採用することができない。

(2) 原告は,本件発明の構成e2について,案内部材自体の構造から判断すべきであり,これを前提として判断すると不明確であるなどと主張する。

 しかし 「案内部材の一端開口部側」という文言については,これを「案内部材の」と「一端開口部側」に分けて,案内部材それ自体の一端を指すという解釈と,「案内部材の一端開口部」と「側」に分けて,案内部材の一端開口部の方向・面を指すという解釈が考えられるところ,本件明細書の「案内部材の一端開口部側に,該一端開口部を閉塞する閉塞部材を設けてもよい。」(段落【0010】)の記載を斟酌すると,本件発明においては,案内部材それ自体の形状,構造等に限定されるものではなく,別部材を用いる場合も含めた一端開口部周辺の形状,構造等を指すものと解するのが相当である。

 そして,構成e2については,その字句のとおり,案内部材の一端開口部側が,肛門への挿入前に吸水剤が案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されていれば,どのような形状・構造からなるものであってもよいと解されるのであって,当業者の技術常識を考慮すれば,構成e2の記載が不明確であるということはできない。」

2010年11月13日土曜日

拒絶査定と拒絶審決とで主引用例が異なる場合でも違法性はないと判断された事例

平成22年11月8日判決

平成22年(行ケ)第10068号審決取消請求事件

1.概要

 拒絶査定での進歩性欠如の理由における主引用例と、拒絶審決での主引用例とが形式的にみて異なる場合()でも、2つの事情:

(1)原告(審判請求人)は、審判請求書において、拒絶査定にて言及されていたものの主引用例ではなかった本件引用例(拒絶審決での主引用例)が、前置補正後の本件発明と対比されるべき引用例であると十分に認識した上で反論している、

(2)拒絶査定と拒絶審決とは判断の枠組みが実質的に同じである。

を考慮し、審判段階において審判請求人に拒絶の理由を通知して意見書の提出及び補正の機会を与える必要があるとはいえないと知財高裁は判断した。

 特許法159条2項、50条は,拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合には,拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して,意見書を提出する機会を与えなければならない旨を規定する。審判請求書は意見書ではなく、しかも審判請求時の前置補正の制限は最初の拒絶理由における補正の制限とは異なるにもかかわらず、裁判所は、審判請求時に前置補正し、審判請求書において実質的に反論を展開している以上、「原告にとって意見書の提出や補正の機会」が奪われたということはできないと判断している。

2.裁判所の判断のポイント

「取消事由5(手続違背)について

(1) 原告は,審決において新たに8つの文献が周知例として追加された,あるいは,審決と拒絶査定とで主たる公知文献が異なっていたにもかかわらず,原告に意見書を提出する機会が与えられなかったことは,手続違背に当たると主張する。

(2) 平成5年法律第26号による改正前の特許法159条2項,50条は,拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合には,拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して,意見書を提出する機会を与えなければならない旨を規定する。その趣旨は,審判官が新たな事由により出願を拒絶すべき旨の判断をしようとするときは,出願人に対してその理由を通知をすることによって,意見書の提出及び補正の機会を与えることにあるから,拒絶査定不服審判手続において拒絶理由を通知しないことが手続上違法となるか否かは,手続の過程,拒絶の理由の内容等に照らして,拒絶理由の通知をしなかったことが出願人(審判請求人)の上記の機会を奪う結果となるか否かの観点から判断すべきである。

(3) これを本件についてみるに,なるほど,拒絶査定には,拒絶理由通知書にて引用されていなかった引用例(以下「本件引用例」という。)が挙げられている。

 すなわち,拒絶理由通知書では,当時の請求項1及び2の発明と特開平3-235116号公報記載の発明とを対比して容易想到性判断をし,拒絶査定でもこの判断枠組みは維持されつつ,本件引用例が引用文献の一つとして付加された。

 原告はこの拒絶査定に対し,請求項を一つに絞り,前記第2,2の下線部分を付加する補正をするとともに拒絶査定不服の審判請求をした。その請求書で原告は「本願発明が特許されるべき理由」として,「(1)本願発明の説明」,「(2)補正の根拠の明示」,「(3)引用発明の説明」,「(4)本願発明と引用発明の対比」の主張をし,本願発明の特徴である第1~第3の表示手段と関係する本件引用例の構成を上記「(3)引用発明の説明」の項で掲げた上,「(4)本願発明と引用発明の対比」の項において,本件引用例の構成を中心にして,上記補正により付加された「第3の表示手段」と対比主張し,この主張をもって審判請求が成り立つべき理由の中心に据え,さらに,「本願発明の特有の構成である,現況調査手段,電話発信手段及び通話中手段を同時に備える」構成との関係についても付加しているが,その根拠については抽象的な理由を述べるにとどまっている。

 審決は,この審判請求書に基づいてなされたものであり,上記付加された補正部分の構成の容易想到性の判断が審判で審理されるべき中心点であることを念頭に置いて本願発明の容易想到性を判断していたであろうことは,上記の経緯から推認されるところである

 なるほど,拒絶査定が引用している拒絶理由通知での引用公知文献と,審決で引用した主たる公知文献(本件引用例)とは異なっているが,本件引用例(甲10)は拒絶査定でも挙げられており,審判請求書で原告が主張として中心に据えたのは,本件引用例と対比しての本願発明(特に上記補正で付加された構成について)の進歩性であった経緯にかんがみると,原告は審判請求時において,本願発明の容易想到性判断で対比されているのは本件引用例であったことを十分に認識していたものといえるのであるから,本件引用例を対比すべき主たる公知文献として本願発明の容易想到性判断をするに際して,改めて拒絶理由を通知しなかったとしても,原告にとって意見書の提出や補正の機会が奪われたということはできず,審判手続には,平成5年法律第26号による改正前の特許法159条2項が準用する同法50条に違反する手続違背があったとすることはできない。

 さらにいえば,審決は,本件引用例との対比において本願発明との間に相違点を8点認定している。このことは,審決が本件引用例を形式上主たる公知文献としたとはいえ,本願発明が多くの公知技術の組合せによって容易に推考し得たものであることを念頭に置いて判断したものということができるのであり,実質的な判断枠組みは拒絶査定から変化がなく,審判請求とともに補正がされたのに伴い,視点を変えて判断し直したと評価するのが相当である。

2010年11月6日土曜日

審決における進歩性の判断手法に問題ありと指摘された事例

知財高裁平成22年10月28日判決

平成22年(行ケ)第10064号審決取消請求事件

1.概要

 審決において合議体は本願補正発明の進歩性の判断にあたり、本願補正発明と引用発明との相違点をことさらに細かく分け(6つの相違点)、相違点それぞれについて先行技術文献からの容易想到性を検討し、本願補正発明は進歩性を有しておらず独立特許要件を満たさないと結論付けた。

 審決取消訴訟において原告は相違点の認定については争っていない。

 裁判所は、審理の対象ではないとしながらも、審決における上記の相違点認定手法は著しく適切を欠くと付言した。裁判所は、相違点は、まとまりのある構成を単位として認定されるべきであると指摘した。

2.本願補正発明

 本願補正発明は以下のとおりである:

「シュー形式の長尺ニッププレスもしくはカレンダー用または他の抄紙アプリケーションおよび紙加工アプリケーション用樹脂含浸エンドレスベルトであって、前記樹脂含浸エンドレスベルトがベースサポート構造体、前記ベースサポート構造体に付着したステープルファイバーバット並びに前記ベースサポート構造体の内面および外面の少なくとも一方の上の第二高分子樹脂材料被膜からなり、

 前記ベースサポート構造体は内面、外面、縦方向および横方向を有するエンドレスループ形をとり、

 前記ステープルファイバーバットの繊維の少なくとも一部には第一高分子樹脂材料が含まれ、

 前記被膜は前記ベースサポート構造体に含浸してこれを液体に対して不浸透性となし、さらに前記ステープルファイバーバットを被包し、前記被膜は滑らかであって、かつ、前記ベルトの厚みを均一にし、前記第二高分子樹脂材料は前記ステープルファイバーバットに含まれる前記第一高分子樹脂材料に対して親和性を有し、その結果として、前記第二高分子樹脂材料の前記被膜は前記ベースサポート構造体に付着した前記ステープルファイバーバットと機械的に結合するだけでなく化学的に結合し、

 前記第一高分子樹脂材料及び前記第二高分子樹脂材料は、互いに異なるポリウレタン樹脂であることを特徴とする前記ベルト。」

3.審決における対比判断

 審決では、本願補正発明と引用発明とを以下のような手法で対比判断し、本願補正発明の進歩性を否定した。

「(ア)対比

 本願補正発明と引用発明とを対比する。

 引用発明の「機械方向」、「機械に直交する方向」は、本願発明の「縦方向」、「横方向」に相当する。そして、本願補正発明の「ベースサポート構造体」は、内面、外面、縦方向および横方向を有するエンドレスループ形をとるものであるところ、引用発明の「基礎布」も、内面、外面、機械方向及び機械に直交する方向を持つエンドレスループの形をとるものであるから、引用発明の「基礎布」は、本願補正発明の「ベースサポート構造体」に相当する。また、引用発明の「第一重合体樹脂」は、本願補正発明の「第二高分子樹脂材料」に相当する。

 そうすると、本願補正発明と引用発明とは、

「シュー形式の長尺ニッププレスもしくはカレンダー用または他の抄紙アプリケーションおよび紙加工アプリケーション用樹脂含浸エンドレスベルトであって、前記樹脂含浸エンドレスベルトがベースサポート構造体、前記ベースサポート構造体の内面および外面の少なくとも一方の上の第二高分子樹脂材料被膜からなり、前記ベースサポート構造体は内面、外面、縦方向および横方向を有するエンドレスループ形をとり、前記被膜は前記ベースサポート構造体に含浸してこれを液体に対して不浸透性となし、さらに前記被膜は滑らかであって、かつ、前記ベルトの厚みを均一にし、前記第二高分子樹脂材料は、ポリウレタン樹脂であることを特徴とする前記ベルト。」で一致するのに対し、以下の点で相違する。

i)本願補正発明は、ベースサポート構造体が、ステープルファイバーバットが付着した構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点i」という)

ii)本願補正発明は、ステープルファイバーバットの繊維の少なくとも一部には第一高分子樹脂材料が含まれている構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点ii)」という。)

iii)本願補正発明は、第二高分子樹脂材料被膜がステープルファイバーバットを被包している構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点iii)」という。)

iv)本願補正発明は、第二高分子樹脂材料はステープルファイバーバットに含まれる第一高分子樹脂材料に対して親和性を有する構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点iv)」という。)

v)本願補正発明は、第二高分子樹脂材料被膜はベースサポート構造体に付着したステープルファイバーバットと機械的に結合するだけでなく化学的に結合している構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点iv)」という。)

vi)本願補正発明は、第一高分子樹脂材料及び第二高分子樹脂材料は、互いに異なるポリウレタン樹脂であるのに対し、引用発明は、そのような特定がされていない点(以下、「相違点vi)」という。)

(イ)相違点の検討

・相違点i)について

 刊行物2の上記摘示事項2-aには、「・・・織られた生地構造の糸に機械的に接着された樹脂コーティングを有するどんな被覆布でも、樹脂コーティングの剥離が起り得る。」と課題について言及されており、上記摘示事項2-bには、その課題解決のための一手段として、「本発明のカレンダーベルトは基礎生地、基礎生地に取付けられるステープルファイバー打綿、それにより与えられた基礎生地とステープルファイバー打綿より成るファイバー/生地複合構造体、及び実質的に一様な深さでファイバー/生地複合構造体の少なくとも一つの側に一つの層を形成するファイバー/生地複合構造体を充満するポリマー樹脂材料より成る、又この一つの層の側はカレンダーベルトのエンドレスループの形の外側となるような上側である。」ことが記載され、また、作用効果として、上記摘示事項2-dには、「更に、ステープルファイバー打綿は基礎生地にポリウレタン樹脂を結びつける作用をする」と記載されている。そうすると、刊行物2には、基礎生地と、基礎生地を充満するポリマー樹脂材料より成るエンドレスループの形をとるカレンダーベルトにおいて、樹脂コーティングの剥離を防止するために、ステープルファイバーバットが付着した基礎生地を用いる技術が記載されている。

 そして、刊行物2の上記摘示事項2-aに記載されるように、織られた生地構造の糸に機械的に接着された樹脂コーティングを有するどんな被覆布でも、樹脂コーティングの剥離が起り得るため、樹脂コーティングの剥離を防止しようとすることは当業者にとって自明の課題である。してみると、引用発明において、樹脂コーティングの剥離を防止するという当業者にとって自明の課題を解決するために、刊行物2に記載された技術に基づき、ベースサポート構造体として、ステープルファイバーバットが付着した構成をとることは当業者にとって容易なことである。

(以下、相違点ii)~vi)についても、相違点i)と同様に個別に容易想到性が議論されている。)

4.裁判所の判断のポイント

 裁判所は、審決における相違点の判断手法は妥当でないと指摘した。ただし原告はこの点を争っていないため、裁判の審理の対象とはされていない。

「なお,本願補正発明の進歩性の有無を判断するに当たり,審決は,本願補正発明と引用発明との相違点を認定したが,その認定の方法は,著しく適切を欠く。すなわち,審決は,発明の解決課題に係る技術的観点を考慮することなく,相違点を,ことさらに細かく分けて(本件では6個),認定した上で,それぞれの相違点が,他の先行技術を組み合わせることによって,容易であると判断した。このような判断手法を用いると,本来であれば,進歩性が肯定されるべき発明に対しても,正当に判断されることなく,進歩性が否定される結果を生じることがあり得る。相違点の認定は,発明の技術的課題の解決の観点から,まとまりのある構成を単位として認定されるべきであり,この点を逸脱した審決における相違点の認定手法は,適切を欠く。

 しかし,本件では,原告において,このような問題点を指摘することなく,また,平成22年4月15付けの第1準備書面において,審決のした本願補正発明の相違点1ないし5に係る認定及び容易想到性の判断に誤りがないことを自認している以上,審決の上記の不適切な点を,当裁判所の審理の対象とすることはしない。」

2010年10月31日日曜日

(1)数値範囲に臨界的意義は求められない、(2)発明の効果を奏するのに必要な条件をすべて特許請求の範囲にて特定する必要はない、と判断された事例

知財高裁平成21年(行ケ)第10330号審決取消請求事件

1.概要

 拒絶審決(進歩性欠如)が裁判所において覆された事例である。

 以下の2点の判断が興味深いので紹介したい。

(1)数値範囲が請求項に記載されている場合でも、数値範囲の限定が唯一の相違点ではない場合には、必ずしも数値範囲の臨界的意義、技術的意義が要求されるわけではない。

(2)特許請求の範囲において発明を特定する際,必ずしも,所望の効果を発揮するために必要な条件をすべて特定しなければならないわけではなく,発明を構成する特徴的な条件のみ特定すれば足りる。発明の内容と技術常識に基づき当業者が適宜設定できる条件まで,逐一,発明特定事項とすることが求められるわけではない。

【請求項1】

 薬理学的活性物質を経皮的に配達するための装置であって,

 複数の角質層-穿刺微細突出物を有する部材,および

 部材上の乾燥被膜を含んでおり,

 当該被膜は乾燥前に,一定量の薬理学的活性物質の水溶液を含んでいる装置であって,

 前記薬理学的活性物質が約1mg未満の量を投与される時に治療的に有効であるほど十分に強力であり,前記物質が約50mg/mlを超える水溶性を有し,かつ前記水溶液が約500センチポアズ未満の粘度を有し,

 薬理学的活性物質がACTH(1-24),カルシトニン,デスモプレッシン,LHRH,ゴセレリン,ロイプロリド,ブセレリン,トリプトレリン,他のLHRH類似体,PTH,バソプレッシン,デアミノ[Va14,DArg8]アルギニンバソプレッシン,インターフェロンアルファ,インターフェロンベータ,インターフェロンガンマ,FSH,EPO,GM-CSF,G-CSF,IL-10,グルカゴン,GRF,それらの類似体および医薬として許容できるそれらの塩から成る群から選択されていることを特徴とする装置。

2.裁判所の判断のポイント

上記(1)について

「・・・被告は,本願明細書には,本願補正発明で特定されている数値範囲の内外で,顕著な差異や特異な機能が生じるようなことや数値範囲を限定したことによる技術的意義の記載も示唆もない旨主張する。

 しかし,前記()で検討したとおり,そもそも,本願補正発明は,引用例2(甲2)に記載も示唆もない,部材上の複数の角質層-穿刺微細突出物に,物質の水溶液が乾燥後治療に有効な量となり,有効な塗布厚みとなって付着するようにするとの観点に着目した点で,既に引用発明及び引用例2に開示された手段に基づき容易に想到し得たものとはいえず,本願明細書に本願補正発明の数値限定の技術的意義を明らかにする記載がなければ引用発明及び引用例2に開示された手段に対して進歩性が生じ得ないものではない。

上記(2)について

「このほか,被告は,本願補正発明は(水溶液の)粘度の上限のみ限定され,下限は限定されておらず,粘度が例えば水そのものの粘度とほぼ同じように低い水溶液も含まれるものであり,粘性は大きくなければならない旨の原告の主張と矛盾する旨主張する。

 しかし,特許請求の範囲において発明を特定する際,必ずしも,所望の効果を発揮するために必要な条件をすべて特定しなければならないわけではなく,発明を構成する特徴的な条件のみ特定すれば足りることが通常であって,発明の内容と技術常識に基づき当業者が適宜設定できる条件まで,逐一,発明特定事項とすることが求められるわけではない。

 そして,本願補正発明においては,薬理学的活性物質の水溶液の粘度が約500センチポアズ(cp)未満であれば所望の効果を発揮できるとされている。

 他方で,岩波理化学辞典第5版(株式会社岩波書店発行,甲13)によれば,1p(ポアズ)は10 -1Pa・s(パスカル・秒)であるところ,20℃での水の粘性率は約1.00×10 -3Pa・sとされており,これはすなわち約0.01p=1cpである。

 そうすると,本願補正発明においては,約1~500cpの範囲内で,所望する効果に応じて粘度を適宜設定すれば足りるものであって,「薬理学的活性物質の水溶液の粘度が低い値の場合には,薬理学的活性物質の水溶液はおよそ所望のようには微細突出物上に付着できないものであり,そのような値を含む本願補正発明の数値範囲の限定には格別の意義を見出せない」旨の被告の主張は理由がない。

2010年10月23日土曜日

生物材料が「刊行物に記載されている」といえるかどうかが争われた事例

知財高裁平成22年9月30日判決

平成22年(行ケ)第10029号審決取消請求事件

1.概要

 本願発明は「L612として同定され,アメリカン・タイプ・カルチャー・コレクション(American Type Culture Collection)にATCC受入番号CRL10724として寄託されているヒトのBリンパ芽腫細胞系」である。

 本願発明の発明者が著者として含まれる学術文献(引用例1及び2)には「L612を分泌する・・・細胞系」という記載がある。

 ただし引用例には、本願発明にいうATCC受入番号CRL10724で寄託された細胞である旨の記載はない。第三者の求めに応じて著者が分譲することを明示する記載もない。引用例記載の細胞系と、本願発明の細胞系とが実際には同じ細胞系をさしていることも争いはない。

 審決では、L612細胞系は「刊行物に記載された発明」であると判断し、本願発明の新規性を否定した。

 裁判所は、文献の著者が分譲する意思を有していなかったことに着目し、「刊行物に記載された発明」とはいえず、審決は妥当でないと判断した。

2.裁判所の判断のポイント

「特許法29条1項3号(新規性)適用の有無

審決は,本願優先日前に頒布された引用例1及び2には「L612を分泌する・・・細胞系」なる記載があり,それ以上に本願発明にいうATCC受入番号CRL10724で寄託された細胞である旨の記載はないが,引用例1及び2にいう上記記載は本願発明を記載したことになるから特許法29条1項3号(新規性の欠如)に該当すると判断し,これに対し原告は,上記該当性を争うので,以下,検討する。

(1) 特許は,発明を社会に公開することの代償として,一定期間に限って特許権という独占権を付与するものであるから,特許を受けるには,当該発明が出願前又は優先日前に広い意味で公に知られていないこと(「新規性」があること)が必要であり,特許法29条1項は,これを表すため,「公然知られた発明」(1号)・「公然実施された発明」(2号)・「頒布された刊行物に記載された発明」等(3号)につき,それぞれ新規性がないことを定めているところ,本件は,上記のうち3号の「頒布された刊行物に記載された発明」に該当するかどうかという事案である。

 ところで,上記にいう「刊行物に記載された発明」とは,刊行物に記載されている事項又は記載されているに等しい事項から当業者(その発明が属する技術の分野における通常の知識を有する者)が把握できる発明をいう,と解するのを相当とするところ,本件においては,本願発明が「L612として同定され,アメリカン・タイプ・カルチャー・コレクション(American Type Culture Collection)にATCC受入番号CRL10724として寄託されているヒトのBリンパ芽腫細胞系」であるのに,本願優先日前に刊行された引用例1及び2には「L612を分泌する細胞系」と記載されているだけで,ATCC受入番号の記載がないことから,引用例1及び2における上記記載だけで「刊行物に記載されているに等しい事項」といえるかということを検討する必要がある。

(2) これにつき,審決は,引用例1及び2に記載されたL612細胞系は,第三者から分譲を請求された場合には分譲され得る状態にあったと推定できると認定判断したのに対し,原告はA 博士の宣誓供述書の提出等により,上記の認定判断を争っている。

「・・・引用例1及び2には,ATCCの寄託番号などL612細胞系の内容を特定するに足る記載はなく,また,そもそも細胞系を言葉や化学式などで完全に表現することはできず,引用例1及び2にもそのような記載はないものと認められる。したがって,引用例1及び2に記載された事項のみによっては,引用例1及び2にL612細胞系の発明が記載されているということができない。

 しかし,L612細胞系が,本願優先日前に,引用例1及び2の著者から分譲され得る状態にあれば,L612細胞系の内容が裏付けられ,引用例1及び2にL612細胞系の発明が記載されているということができるものと認められ,この点につき当事者間に争いがない。そうすると,本訴における争点は,L612細胞系が,本願優先日前に引用例1及び2の著者から分譲され得る状態にあったか否かに集約されるものである。

「上記の投稿規定やホームページの内容からみて,原告,被告いずれの翻訳によっても,引用例1及び2が掲載された学術雑誌に投稿した著者は,投稿した論文に記載された生物学的材料について,第三者から分譲の要求があったときは,その要求に応ずるよう求められていたといえる。

 ただ,・・・これらの投稿規定が,上記学術雑誌に投稿した著者に,第三者に対して生物学的材料を提供することを強制しているものとまでは認められない。

 そうすると,引用例1及び2が掲載された学術雑誌に投稿した著者が上記の投稿規定やホームページの内容に従うか否かは,基本的に著者の意思に依存するものというべきである。そして,本件についてみると,引用例1及び2の著者が,上記投稿規定やホームページの内容に反し,L612細胞系について,本願優先日前に第三者から分譲の要求があっても同要求に応じない意思を有していたものであれば,本願優先日前に第三者が引用例1及び2の著者からL612細胞系を入手し得なかったことになり,逆に応ずる意思を有していたのであれば,本願優先日前に第三者が引用例1及び2の著者からL612細胞系を入手し得たことになる。

「引用例1及び2の著者の一人であるA 博士の各宣誓供述書には,以下の記載がある。

(a) 甲15(A 博士の平成21年6月3日付け宣誓供述書)には,以下の記載がある。

「私,A は,以下のとおり供述する。

・・・

4.私は,1993年2月26日前は,仮に当該4人のいずれかからL612細胞系を第三者に頒布することについて許可を求められたとしても,その許可を求められたとしても,その許可を与える意図はなかったし,現実にそのような許可を求められた事実はなく,許可を与えた事実もなかった。

「以上のとおり,本願優先日前,A 博士(及び共同研究者)は,L612細胞系につき,第三者から分譲を要求されても,同要求に応じる意思はなかったものと認められ,その結果,L612細胞系は,第三者にとって入手可能ではなかったことになり,「引用例1,2に記載されるL612細胞系は,第三者から分譲を請求された場合には,分譲され得る状態にあったものと推定することができる」とした審決の認定判断は誤りであって,同誤りが審決の結論に影響を及ぼすおそれがあることは明らかである。

2010年10月10日日曜日

請求項中に機能的表現がある場合のサポート要件判断

知財高裁平成22年9月28日判決
平成22年(行ケ)第10036号

1.概要
 無効審判において、請求人(本件原告)は機能的に表現された構成を備える本件発明1が、旧法36条5項1号(「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」)の要件(サポート要件)に適合しないことなどを主張した。
 無効審判では、発明の詳細な説明では、上記機能的に表現された構成を達成するために必要な具体的態様が十分に示されていることから、この構成が直ちに明細書に具体的に裏付けのない態様を含むものであるとはいえない、として請求を棄却し、特許を維持した。
 裁判所はこの判断を支持した。その要点は以下の通りである。

2.本件発明1(請求項1)
「縫合糸挿入用穿刺針と,該縫合糸挿入用穿刺針より所定距離離間して,ほぼ平行に設けられた縫合糸把持用穿刺針と,該縫合糸把持用穿刺針の内部に摺動可能に挿入されたスタイレットと,前記縫合糸挿入用穿刺針および前記縫合糸把持用穿刺針の基端部が固定された固定部材とからなり,前記スタイレットは,先端に弾性材料により形成され,前記縫合糸把持用穿刺針の内部に収納可能な環状部材を有しており,さらに,該環状部材は,前記縫合糸把持用穿刺針の先端より突出させたとき,前記縫合糸挿入用穿刺針の中心軸またはその延長線が,該環状部材の内部を貫通するように該縫合糸挿入用穿刺針方向に延びることを特徴とする医療用器具。」

3.原告(無効審判請求人)の主張
「請求項1には,縫合糸挿入用穿刺針の中心軸又はその延長線が環状部材の内部を貫通するように縫合糸挿入用穿刺針方向に延びるという作用,機能のみが記載され,それを実現するための具体的構成については,何らの記載もなく,本件特許明細書の発明の詳細な説明においてもその説明がされていないから,旧法36条5項1号(「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」)の要件に適合しないというべきである。」
「特に,環状部材について,中央部又は中央部より若干先端側部分が底部となる湾曲形状の湾曲をやや強くする構成を採った場合,環状部材が,縫合糸把持用刺針から押し出されたとき,縫合糸挿入用穿刺針の側面に衝突してしまい,環状部材の円環平面内部に縫合糸挿入用穿刺針が位置するようにすること(縫合糸挿入用穿刺針の「中心軸」が環状部材の内部を貫通すること)は物理的に困難であるから,「中心軸」が環状部材の内部を貫通する構成が発明の詳細な説明に記載されているとはいえない。」

4.裁判所の判断のポイント
「旧法36条5項1号は,「特許請求の範囲」の記載について,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を要件としている。同号は,特許権者は,業として特許発明の実施をする権利を専有すると規定され,特許発明の技術的範囲は,願書に添付した明細書の「特許請求の範囲の記載」に基づいて定めなければならないと規定されていること(特許法68条,旧法70条)を実効ならしめるために設けられた規定である。同号は,「特許請求の範囲」の記載が,「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項の範囲を超えるような場合に,そのような広範な技術的範囲にまで独占権を付与するならば,当該技術を公開した範囲で,公開の代償として独占権を付与するという特許制度の目的を逸脱することになるため,そのような特許請求の範囲の記載を許容しないものとした規定である。例えば,「発明の詳細な説明」における「実施例」として記載された実施態様等に照らして,限定的で狭い範囲の技術的事項のみが開示されているにもかかわらず,「特許請求の範囲」に,その技術的事項を超えた,広範な技術的範囲を含む記載がされているような場合には,同号に違反することになる。このように,旧法36条5項1号の規定は,「特許請求の範囲」の記載について,「発明の詳細な説明」の記載と対比して,広すぎる独占権の付与を排除する趣旨で設けられたものである。以上の趣旨に照らすならば,旧法36条5項1号所定の「特許請求の範囲の記載が,・・・特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものである」か否かを判断するに当たっては,その前提として「発明の詳細な説明」の記載がどのような技術的事項を開示しているかを把握することが必要となる。なお,
上記のとおり,「特許請求の範囲」に,発明の詳細な説明に記載,開示がされていない技術的事項を含む記載は許されないが,そのことは,「特許請求の範囲」に,およそ機能的な文言が用いられることが,一切許されないことを意味するものでない。
「・・・本件特許明細書の発明の詳細な説明には,挿入針の中心軸又は延長線が環状部材の内部を貫通するという構成を実現するための技術的手段が,具体的に記載されており,特許請求の範囲(請求項1)に記載された技術内容は,発明の詳細な説明に開示された技術的事項を超えるものではない。
 よって,本件特許発明1に係る特許請求の範囲の記載が旧法36条5項1号の要件に適合するとした審決の判断に誤りはない。

ウ これに対し,原告らは,中央部又は中央部より若干先端側部分が底部となる湾曲形状の湾曲をやや強くする構成を採った場合には,環状部材が縫合糸把持用穿刺針から押し出されたときに,環状部材縫合糸挿入用穿刺針の側面に衝突してしまい,環状部材の円環平面内部に縫合糸挿入用穿刺針を位置させる目的(縫合糸挿入用穿刺針の「中心軸」が環状部材の内部を貫通する目的)を達成できない場合がある旨主張する。
 しかし,原告らの主張は採用の限りでない。すなわち,本件特許明細書の前記各記載の技術的事項に照らせば,縫合糸挿入用穿刺針の中心軸が該環状部材の内部を貫通するように,該環状部材が該縫合糸挿入用穿刺針方向に延びることは十分にあり得ることであり,当業者にとっては,そのことが発明の詳細な説明において記載されていると理解されるから,原告らの主張は,採用の限りでない。」

2010年10月3日日曜日

特許請求の範囲の明確性が争われた事例

知財高裁 平成22年9月30日判決

平成21年(行ケ)第10353号審決取消請求事件

1.概要

 特許請求の範囲の文言が不明確であるとする審決が取り消された事例である。

 文言の明確性は求められれば際限がない。裁判所は「第三者に迷惑をかけるほど不明確か?」という観点から明確性要件を判断しているように思われる。類似の判決としては、知財高裁平成211013日判決平成21年(行ケ)第10130号審決取消請求事件(本ブログ2009118日記事)、知財高裁平成22年8月31日判決平成21年(行ケ)第10434号審決取消請求事件(本ブログ2010911日記事)などがある。

2.本件発明

 本件発明1(請求項1)及び本件発明2(請求項2)は以下のとおりである。

「【請求項1】

 成型され,表面にカビが生育するまで発酵させたチーズカードの間に香辛料を均一にはさんだ後,前記チーズカードを結着するように熟成させて,結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化させ,その後,加熱することにより得られる,結着部分からのチーズの漏れがない,香辛料を内包したカマンベールチーズ製品。

【請求項2】

 成型され,表面にカビが生育するまで発酵させたチーズカードの間に香辛料を均一にはさみ,前記チーズカードを結着するように熟成させることにより,結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化させ,その後,加熱することを特徴とする,結着部分からのチーズの漏れがない,香辛料を内包したカマンベールチーズ製品の製造方法。」

3.審決の判断

「「結着部分から引っ張」るということは,結着部分に力を加えることを意味していると解される。ここで,加える力を大きくしていけば,チーズはその力に耐えられなくなり,最終的に結着部分ははがれる。つまり,引っ張る力に上限がなければ,いかなるチーズでも,結着部分がはがれてしまう。そして,「結着部分から引っ張」る力の大きさがどの程度であるかについて,当業者であっても共通の認識を有しているとは認められない。よって,「結着部分から引っ張」る力の大きさが規定されていないために,当業者であっても,「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」しているかどうかを判断することができず,本件訂正発明1及び2は明確でない。

 一方,被請求人は,平成20年10月16日付答弁書(2)において,「白カビチーズ製品関連の技術分野の当業者であれば,一体化の程度が結着部分から引っ張って結着部分がはがれない状態にあるか,又は,はがれる状態にあるかを判断できることであるから,本件訂正発明の範囲が明瞭である。」と主張している(第19頁第2段落)。しかし,結着部分から引っ張る力の大きさがどの程度であるかについて,当業者であれば共通の認識を有していることが具体的に示されてはおらず,被請求人の主張は採用できない。

 また,被請求人は,平成21年8月28日付上申書において,「結着部分を引っ張った時に,結着部分がはがれない状態を良好とし,結着部分から簡単にはがれてしまう状態を不良とした結着状態の評価を行って」いることから,「結着部分を引っ張る力が規定されていなくとも」「結着状態の評価はなし得る」と主張している(第33頁第32行-第34頁第2行)。また,「結着部分を引っ張る力の問題ではなく,結着部分の状態が問題になるのであり」(第34頁第4-5行),「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」とは「結着部分からのチーズの漏れがなく,切断時に結着部分がはがれず,切り分けたチーズを白カビで覆われた部分をつかむことで指を汚さないで済むことを意味している」(第34頁第9-11行)とも主張し,「「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない」とは,その評価方法からしても,結着部分の強度がそれ以外の外皮部分と同等あるいはそれ以上の強度を有することを意味していることは明白であるから,発明の範囲は明瞭である。」(第34頁第13-16行)としている。

 しかし,「結着部分がはがれない状態を良好とし,結着部分から簡単にはがれてしまう状態を不良とした結着状態の評価」は,実施例において採用されている評価方法にすぎず,特許請求の範囲にはなんら記載がないため,この評価方法に基づいて「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」しているかどうかを判断できるという被請求人の主張は採用できない。仮に,この評価方法に基づいて判断するとした場合でも,「簡単に」はがれるかどうかには主観的な判断が含まれるため,「簡単に」はがれてしまうかどうかを客観的に判断するためには,引っ張る力の大きさを規定しておく必要があり,結着部分を引っ張る力が規定されていなくとも結着状態の評価はなし得るということはできない。・・・」

4.裁判所の判断のポイント

 裁判所は審決における上記判断は誤りであると判断した。

「審決は,請求項1及び請求項2における「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」との記載について,「引っ張る力に上限がなければ,いかなるチーズでも,結着部分がはがれてしまう。そして,「結着部分から引っ張」る力の大きさがどの程度であるかについて,当業者であっても共通の認識を有しているとは認められない。」として,当業者であっても「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」しているかどうかを判断することができないから,本件発明1及び本件発明2は明確でなく,法36条6項2号の要件を満たさないと判断する。

 しかし,審決の上記判断は,以下のとおり,失当である。

 すなわち,請求項1及び請求項2における「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」記載部分は,チーズが,結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に至っていることを,ごく通常に理解されるものとして特定したというべきである。すなわち,本件発明1及び本件発明2のようなカマンベールチーズ製品及びその製造方法において,チーズの結着部分以外の部分であっても,仮に,一定以上の強い力を加えて引っ張れば,表皮は裂けるし,そのような強い力を加えなければ,表皮がはがれることはない。上記構成は,チーズの結着部分について,チーズの結着部分以外の部分における結着の強さと同じような状態にあることを示すために,「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」との構成によって特定したと理解するのが合理的である。また,上記記載部分をそのように解したからといって,特許請求の範囲の記載に基づいて行動する第三者を害するおそれはないといえる。

 したがって,上記記載が不明確であって法36条6項2号の要件を満たさないとした審決の判断は,誤りである。」

2010年9月26日日曜日

最近読んだ雑誌時期7

張永康,「中国特許法における遺伝資源保護制度の解説」,知財管理,20109月号,Vol.60No.92010/

(新たに導入された遺伝資源保護制度について紹介されている)

最近読んだ雑誌記事6

弁理士会平成21年度バイオライフサイエンス委員会第2部会,「バイオ関連・医薬発明の特許性についての国際的な比較に基づく問題点の調査・研究」,パテント,2010年7月号、Vol.63No.92010

 本記事の項目3.3(5)-(6)では、日本において、実質的に診断方法に該当する方法の発明であっても医師等が「判断する工程」を含まないように請求項が表現されている場合には「診断方法」には該当しないと判断された事例が紹介されている。現在の特許実用新案審査基準第II部 特許要件 第1章 産業上利用することができる発明の2.1.1.2(3)(a)における「例5: 被検者に由来するX遺伝子の塩基配列のn番目における塩基の種類を決定し、当該塩基の種類がAである場合にはかかり易く、Gである場合にはかかりにくいという基準と比較することにより、被検者の高血圧症へのかかり易さを試験する方法。」が人間を診断する方法には該当しない例として挙げられていること、この例に近い登録事例として特許第3905126号があることが紹介されている。

 項目3.5では「美容師又は一般人が」実施することを明示した場合でも実質的に治療方法に該当するとして日本において拒絶された事例が紹介されている。

2010年9月20日月曜日

食品組成物特許の容易想到性について争われた事例

知財高裁平成22年9月15日判決
平成21年(行ケ)第10240号審決取消請求事件

1.概要
 食品組成物特許についての無効審判において、審判請求人(訴訟原告)が主張する新規性、進歩性欠如の無効理由は存在しないと判断され、請求が棄却された。
 原告はこの点を不服として審決取消を求めたが、裁判所は原告の請求を棄却した。
 請求項に記載の食品組成物と同一の組成を有する組成物が先行技術文献に示唆されている場合でも、「食品とすることは自明」と必ず判断されるわけではないことに留意しなければならない。本事例のように引用発明の組成物を食品として利用することの示唆がなければ、公知組成物の食品への転用は容易には想到し得ないと判断される場合がある。
 「食品」という記載が用途を限定する記載であると当然のように考えられている点も注目すべきである。
 なお本件特許は、類似の食品組成物を開示する別の引用文献を主引用発明とする無効審判事件の取消訴訟において、容易に想到し得ると判断されている(知財高裁平成22年9月15日判決、平成22年(行ケ)第10038号事件)。食品特許発明の新規性、進歩性を否定するためには食品を開示する先行技術を引用することが有効であると考えられる。
 本ブログ2009年6月21日記事も関連するのでご参考いただきたい。

2.本件発明1
「ナットウキナーゼと1μg/g乾燥重量以下のビタミンK2とを含有する納豆菌培養液またはその濃縮物を含む,ペースト,粉末,顆粒,カプセル,ドリンクまたは錠剤の形態の食品。」

3.引用例3に関する原告の主張
「ア 本件審決は,引用例3で得られたビタミンK2を低減した液体には,高濃度の塩類あるいは有機溶媒を含むとし,高濃度の塩類あるいは有機溶媒を含む引用発明3を「食品」とすることは,塩類による食味又は食品機能の変性のおそれ,あるいは人体に影響を及ぼすおそれがあって,食品に有機溶媒が残留する可能性や消費者の抵抗感などが問題となるから,引用発明3を「食品」とすることは,当業者にとって考え難いと説示する。
イ しかしながら,塩類による食味の変性については,食品として使用することの障害となる事情ではなく,塩類の食味に適合した食品とすればよく,また,食品機能の変性についても,ナットウキナーゼという機能物質が含まれることになることからすれば,このような機能物質を食品に取り込んで使用することは当業者であれば容易に想到するものである。
 賞味の良い食品とするために問題があれば,必要な限度で,有機溶媒や塩類を除去すれば足りることであって,そのことは当業者であればだれでも気付く技術的な問題にすぎない。
 また,本件審決は,引用発明3の残液について,人体への影響があるかのように主張するが,そのような影響があるとの証拠はない。引用例3における「塩類」である硫酸アンモニウムによる塩析は,タンパク質の溶解度の差を利用した分離方法であって,タンパク質を変性させ難いことが知られている(甲41)。また,硫酸アンモニウムの濃度を徐々に変えて濃度ごとに沈殿するタンパク質を分画する硫安分画も,一般的な分画方法である(甲42)。塩析後においては,上清を透析法,限外濾過法,ゲル濾過法等の公知の脱塩方法に供することによって,硫酸アンモニウムを除去することができるのであって,その際の条件設定(例えば,透析膜の分画分子量の選択)によって,硫酸アンモニウムを除去しながら,他の成分は残存するようにすることも可能である。そして,その脱塩後の納豆菌培養液は,食品としての使用も可能なもの,すなわち,本件発明1における「納豆菌培養液またはその濃縮物」に相当するものである。
 さらに,消費者が抵抗感を有していても食品として販売されているものは多数存在するし,消費者の抵抗感の問題は,製品として大量生産大量販売を行うか否かの営業上の障害事由とはなっても,技術的に食品として利用することについては何ら障害となるものではない。
・・・
ウ したがって,引用発明3を食品として使用できないということはなく,当業者が引用発明3の残液を食品に使用することは容易に想到することができるから,引用発明3において,当業者が相違点4”に係る本件発明1の構成に想到することが困難であるとした本件審決の判断には誤りがある。」

4.裁判所の判断のポイント
「引用例3の記載について
(ア) 引用例3の特許請求の範囲には,枯草菌培養液中に存在するビタミンK2含有水溶性ミセルを不溶性化した後,該水不溶物を分離,回収することを特徴とするビタミンK2濃縮物の製造法(【請求項1】),ビタミンK2含有水溶性ミセルを不溶性化する方法が,培養液のpHを6.0以下に調整することである請求項1記載のビタミンK2濃縮物の製造法(【請求項2】),ビタミンK2含有水溶性ミセルを不溶性化する方法が,培養液に塩類を添加することである請求項1記載のビタミンK2濃縮物の製造法(【請求項3】),ビタミンK2含有水溶性ミセルを不溶性化する方法が,培養液に有機溶媒を添加することである請求項1記載のビタミンK2濃縮物の製造法(【請求項4】),枯草菌が納豆菌である請求項1記載のビタミンK2濃縮物の製造法(【請求項7】)との記載がある。」
「イ 引用発明3の技術内容
 以上の記載によると,引用例3に記載されている課題としての発明は,納豆菌である枯草菌の培養液中に存在するビタミンK2含有水溶性ミセルを不溶性化した後,該水不溶物を分離,回収することを特徴とするビタミンK2濃縮物の製造法であるところ,上記の発明によってビタミンK2を分離・回収した後に残る液体は,ビタミンK2を低減させた納豆菌培養液ということができないわけではない。
 したがって,引用例3には,その発明本来の目的である納豆菌の培養液中に存在するビタミンK2含有水溶性ミセルを不溶性化した後の結果として,該水不溶物を分離・回収することにより得られるビタミンK2を低減させた液体が残る,その技術思想も記載されていると認め得ないわけではなく,この技術思想によるものを引用発明3とするものである。
 しかしながら,引用例3には,水不溶物を分離・回収した後の残りの液体を「食品」とすることについては何ら記載されておらず,その示唆もなく,「食品」とするための技術思想が記載されていると認め得る余地はないということができる。
 以上に加えて,元来食品である納豆に係る納豆菌を利用するものであったというたけで,種々の処置をした後の残りの液体についての引用発明3につき,当然に「食品」とすることができると考え得るものでもない。
ウ したがって,引用発明3によってビタミンK2含有水溶液を不溶性化した該水不溶物を分離・回収した残りの液体を「食品」とすることは,当業者にとって考え難いものであるから,引用発明3それ自体から本件発明1を想到することは容易ではなく,この点に本件審決の判断に誤りはない。」

2010年9月11日土曜日

特許請求の範囲の明確性と明細書等の開示事項の参酌

知財高裁平成22年8月31日判決

平成21年(行ケ)第10434号審決取消請求事件

 本事例は特許法36条6項2号(明確性)要件欠如の拒絶審決が取り消された事例である。

 特許請求の範囲の記載だけでなく。明細書の記載、図面、当業者の出願当時における技術的常識を考慮して第三者に不利益を及ぼすほどに不明確でなければ明確性要件は満たされるというのが本判決の立場である。

1.本件発明

「【請求項1】バックシートとトップシートとを有する吸収性物品であって,第1腰部区域,第2腰部区域,それらの間に挟まれた股部区域,長手方向軸線,及び前記トップシートと前記バックシートとの間に配置され,中に排泄物を受けるための主要空間まで通路を提供する開口部を具備し,前記開口部が前記長手方向軸線に沿って少なくとも前記股部区域に配置され,前記トップシートが伸縮性であり,当該物品が,当該物品の弛緩した状態での長手方向寸法の60%の長さである短縮物品長Lと,伸張時短縮物品長Lsとを有する短縮物品部分を有し,当該物品が次の弾性特性:

 0.25Lsで0.6N未満の第1負荷力,0.55Lsで3.5N未満の第1負荷力,及び0.8Lsで7.0N未満の第1負荷力,並びに0.55Lsで0.4N超の第2負荷軽減力,及び0.80Lsで1.4N超の第2負荷軽減力,

を有する吸収性物品。」

2.審決の理由

「本願補正発明1の課題は,トップシートの糞便が通過できる開口が設けられた吸収性物品において,当該吸収性物品の適用中に開口の位置合わせを適切に行うことである。しかし,「伸長時短縮物品長Ls」と,「第1負荷力」及び「第2負荷軽減力」との関係により物品の弾性力を特定することが,吸収性物品の機能,特性,課題解決と,どのように関連するのかは,明確ではない。

 また,「0.25Lsで0.6N未満の第1負荷力,0.55Lsで3.5N未満の第1負荷力,及び0.8Lsで7.0N未満の第1負荷力,並びに0.55Lsで0.4N超の第2負荷軽減力,及び0.80Lsで1.4N超の第2負荷軽減力」との特定による作用効果も明確ではない。よって,本願補正発明1において,「伸長時短縮物品長Ls」を用いて,「第1負荷力」及び「第2負荷軽減力」との関係で物品の弾性特性を特定することの技術的意味は明確ではない。そうすると,本願補正発明1・・・に係る特許請求の範囲の記載は,不明確であり,特許法・・・36条6項2号に違反する。」

3.裁判所の判断のポイント

「法36条6項2号の趣旨について

 法36条6項2号は,特許請求の範囲の記載に関し,特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨規定する。同号がこのように規定した趣旨は,仮に,特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には,特許の付与された発明の技術的範囲が不明確となり,第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るので,そのような不都合な結果を防止することにある。

 そして,特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術的常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきことはいうまでもない。

 上記のとおり,法36条6項2号は,特許請求の範囲の記載に関して,「特許を受けようとする発明が明確であること。」を要件としているが,同号の趣旨は,それに尽きるのであって,その他,発明に係る機能,特性,解決課題又は作用効果等の記載等を要件としているわけではない。

 この点,発明の詳細な説明の記載については,法36条4項において,「経済産業省令で定めるところにより,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない。」と規定されていたものであり,同4項の趣旨を受けて定められた経済産業省令(平成14年8月1日経済産業省令第94号による改正前の特許法施行規則24条の2)においては,「特許法第三十六条第四項の経済産業省令で定めるところによる記載は,発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を記載することによりしなければならない。」と規定されていたことに照らせば,発明の解決課題やその解決手段,その他当業者において発明の技術上の意義を理解するために必要な事項は,法36条4項への適合性判断において考慮されるものとするのが特許法の趣旨であるものと解される。また,発明の作用効果についても,発明の詳細な説明の記載要件に係る特許法36条4項について,平成6年法律第116号による改正により,発明の詳細な説明の記載の自由度を担保し,国際的調和を図る観点から,「その実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない。」とのみ定められ,発明の作用効果の記載が必ずしも必要な記載とはされなくなったが,同改正前の特許法36条4項においては,「発明の目的,構成及び効果」を記載することが必要とされていた。

 このような特許法の趣旨等を総合すると,法36条6項2号を解釈するに当たって,特許請求の範囲の記載に,発明に係る機能,特性,解決課題ないし作用効果との関係での技術的意味が示されていることを求めることは許されないというべきである。

 仮に,法36条6項2号を解釈するに当たり,特許請求の範囲の記載に,発明に係る機能,特性,解決課題ないし作用効果との関係で技術的意味が示されていることを要件とするように解釈するとするならば,法36条4項への適合性の要件を法36条6項2号への適合性の要件として,重複的に要求することになり,同一の事項が複数の特許要件の不適合理由とされることになり,公平を欠いた不当な結果を招来することになる。上記観点から,本願各補正発明の法36条6項2号適合性について検討する。」

「・・・「伸張時短縮物品長Ls」又は「収縮時短縮物品長Lc」と関連させつつ,吸収性物品の弾性特性を「第1負荷力」及び「第2負荷軽減力」により特定する本願各補正発明に係る特許請求の範囲の記載は,当業者において,本願補正明細書(図面を含む。)を参照して理解することにより,その技術的範囲は明確であり,第三者に対して不測の不利益を及ぼすほどに不明確な内容は含んでいない。

 上記のとおりであるから,「伸張時短縮物品長Ls」と「第1負荷力」及び「第2負荷軽減力」との関係(本願補正発明1),「収縮時短縮物品長Lc」と「伸長時短縮物品長Ls」との関係(本願補正発明2)によって,弾性力を特定したことが,吸収性物品の機能,特性,発明の解決課題とどのように関連するのか,作用効果が不明であることを理由として,本願各補正発明に係る特許請求の範囲の記載が,法36条6項2号に反するとした審決には,同項同号の解釈,適用を誤った違法があるというべきである。」

2010年9月5日日曜日

学会要旨の「一行記載」の引用発明としての適格性

知財高裁平成22年8月19日判決

平成21年(行ケ)第10180号審決取消請求事件

1.概要

 本件では優先日前に公開された学会発表要旨集の記載「新規な骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の測定のための・・・」を引用文献として、進歩性が否定された審決が取り消された事例である。

 いわゆる「一行記載」の引用文献としての適格性が争われた事例である。物の発明が刊行物に記載されているといえるためには、その構造が開示されているだけでは足らず、「当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要する」というのが本件での裁判所の立場である。

2.本件発明

 本件発明6及び7は,本件明細書(甲1の1)の記載からみて,その特許請求の範囲の請求項6,7に記載された次のとおりのものである。

「【請求項6】4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む,骨吸収を伴う疾病の治療及び予防のための固体状医薬組成物。

「【請求項7】錠剤である請求項6記載の固体状医薬組成物。」

3.審決の理由

 審決は,次のとおり,本件発明6及び7は,いずれも甲7発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定に違反してされたものであると判断した。

 審決が認定した引用発明等の内容,一致点及び相違点並びに容易想到性の判断内容は,次のとおりである・・・。

(1) 甲7発明の内容

「甲7文献は,ベルギーのアントワープの第3回医薬分析の国際シンポジウム(3RD INTERNATIONAL SYMPOSIUM ON DRUG ANALYSIS)において頒布された要旨集の106頁であり・・・。」

「そして,甲7文献には,『医薬製剤中の4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートの高速液体クロマトグラフィーによる測定』と題する論文の要旨として,以下のことが記載されている。

ア) 新規な骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の測定のための高速,高感度そして,特別に性能の良い高速液体クロマトグラフィー(HPLC)分析を報告する。

・・・

カ) 実験データは,再現性があって,精度が高く,直線性のある分析が可能であることを明らかにするために,また注射液やカプセル剤中のMK0217の分析に適用できることを明らかにするために提出される。」

「甲7文献は,医薬分析に関する国際シンポジウムの要旨集であり,新規な骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)を含む医薬製剤について試験・研究を行おうとする者に対して,本化合物に,9-フルオレニルメチル・クロロフォルメート(FMOC)により誘導体化することにより紫外線吸収特性を付与し,紫外線検出器の利用を可能とすることにより,高速,高感度で使いやすい測定技術を提供しようというものであり,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)が,当該分野の試験・研究を行う者にとって,新しい骨吸収剤として知られたものであることを当然の前提とした論文である。

 そして,甲7文献には,本論文は,単に希望や仮説を述べているのではなく,実際に測定実験を実施したら,再現性があり,直線性のある分析が可能であり,また,注射液やカプセル製剤中の4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の分析に適用できることが分かったことをデータをもって報告するものであることが記載されており,さらに,甲7文献には,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の具体的な誘導体化の条件,紫外線吸収特性を付与された誘導体の分析のための高速液体クロマトグラフィー(HPLC)の具体的な操作条件(逆相HPLCとすること,カラムの種類,移動層の組成,操作温度)及び紫外線検出に用いる紫外線の具体的な波長が記載されている。

 そして,甲7文献は,医薬分析に関する国際シンポジウムの予稿集であり,特段の事情がない限り,発表者が研究者として合理的に,かつ誠意を持って作成したものと考えるのが妥当であり,本シンポジウムのいかなる参加者も知らないような医薬成分について,その測定方法だけを発表しようとするなどとは考え難い。

「さらに,甲7文献には,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート((MK0217)の製造方法は記載されていないが,以下のとおり,本件優先日前において,甲7文献を見た当業者は,製造方法が記載されていなくても,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート((MK0217)を容易に製造できると理解するものであるから,製造方法が記載されていないことをもって,甲7文献に4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート( MK0217)の発明が記載されていないとすることはできない。」

「本願優先日前に頒布された甲5文献は,薬理活性を有するビスホスホン酸(バイホスホネート)およびその製造方法に関する文献であり,甲5文献の一般式(I)で示されるバイホスホン酸のアルカリ金属塩が,骨吸収阻害作用を有することが記載されており(‥‥),実施例3として,一般式(I)で示される化合物である,「4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸」(以下,単に「フリー体」ともいう。)の製造方法が記載されている(‥‥)。‥‥,当業者は,実施例3の記載は,最初の中和点において,ジホスホン酸の片方がNaOHで中和されたこと,即ち4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩が生成していることを示すものと理解するものと言える。さらに,実施例5(‥‥)において,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸(分子量263)263gの懸濁液に水酸化ナトリウム(分子量40)40gを含有する水溶液を加えて,即ち,共に1モルずつ反応させて,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩が製造できている。

 更に,甲5文献では,ビスホスホン酸のナトリウム塩は,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ている(実施例5参照)。そして,水和物の製法としては,水溶液から晶出することが一般的であり,結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知である(甲12~14)。

 してみれば,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の3水和物が存在することは甲7文献に記載されているのであるから,当業者は,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩を水溶液から晶出させることにより,3水和物が得られると,そして,もし水溶液からの晶出により得られた4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の水和数が3を超えていれば,適宜条件を選択し,加熱,乾燥することにより水和数を減ずることにより,容易に,3水和物(トリハイドレート)を得ることができると考えるのが自然である。

 なお,実際,乾燥条件としては通常の条件である甲6あるいは甲10で採用されているような乾燥条件で乾燥することによりトリハイドレートが得られている。」

したがって,甲7文献には,次の発明が記載されているものと認められる。『骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む医薬製剤。』

4.裁判所の判断のポイント

「2 取消事由1ないし5について

 (1) 本件発明6及び7における本件3水和物が新規の化学物質であること,甲7文献には,本件3水和物と同等の有機化合物の化学式が記載されているものの,その製造方法について記載も示唆もされていないこと,以上の点については当事者間に争いがなく,かつ審決も認めるところである。

 そこで,このような場合,甲7文献が,特許法29条2項適用の前提となる29条1項3号記載の「刊行物」に該当するかどうかがまず問題となる。

 ところで,特許法29条1項は,同項3号の「特許出願前に‥‥頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定するものであるところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば,当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。

 特に,当該物が,新規の化学物質である場合には,新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから,刊行物にその技術的思想が開示されているというためには,一般に,当該物質の構成が開示されていることに止まらず,その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして,刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には,当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。

 (2) 本件については,上記のとおり,本件発明6及び7における本件3水和物が新規の化学物質であること,甲7文献には,本件3水和物と同等の有機化合物の化学式が記載されているものの,その製造方法について記載も示唆もされていないところ,前記1(2) の記載内容を検討しても,甲7文献には製造方法を理解し得る程度の記載があるとはいえないから,上記(1) の判断基準に従い,甲7文献が特許法29条1項3号の「刊行物」に該当するというためには,甲7文献に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいて本件3水和物の製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるということになる。

 この点,審決は,前記第2の4(1) 記載のとおり,まず,甲5文献の開示内容から,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩が生成していることが窺える等の事情があること,甲12ないし甲14の各文献の開示内容から,水和物の製法としては,水溶液から晶出することが一般的であり,結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知であるといえること,及び4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の3水和物が存在することは甲7文献に記載されていることを根拠に,当業者は,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩を水溶液から晶出させることにより,3水和物が得られること,そして,もし水溶液からの晶出により得られた4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の水和数が3を超えていれば,適宜条件を選択し,加熱,乾燥することにより水和数を減ずることにより,容易に,本件3水和物を得ることができると考えるのが自然であると判断しているところ,その論理は必ずしも明確ではないが,前記第2の4(4)記載のとおり,さらに,審決は,原告の主張に対する判断において,「有機化合物によって水和物が存在し得る場合があることは明らかであり,‥‥,甲7文献において既に3水和物が目的物として明示され,その存在を疑うべき特段の事情が無いことを考慮すれば,技術常識を勘案し3水和物の製造条件を検討することに格別の困難性は無いというべきであ」ると判断していることから,これを善解すれば,甲7文献の記載を前提として,これに接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,甲5及び甲12ないし甲14の各文献に記載されている特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができるものと判断したと解される。

 (3) そうすると,本件においては,本件出願当時,甲7文献の記載を前提として,これに接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,本件3水和物の製造方法その他の入手方法を見いだすことができるような技術常識が存在したか否かが問題となるが,次のとおり,本件においては,本件出願当時,そのような技術常識が存在したと認めることはできないというべきである。

ア 甲5文献に記載された技術常識について

 前記1(3) の記載によれば,甲5文献の実施例3の電位差滴定の最初の中和点において,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩の水溶液が生成していることが窺える。また,甲5文献の実施例5には,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩の結晶状の固体とその製造方法が記載されている。しかしながら,これらの化合物について言及する本件優先日前に刊行された文献は,証拠上,甲5文献のみであること,甲5文献は,一般的な化学辞典であるなど,その記載内容が当業者の技術常識であることをうかがわせるものではないことを考慮すれば,「4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩の水溶液とその製造方法」や「5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩の結晶状の固体とその製造方法」が,公知の技術事項であるとはいえても,本件優先日当時の技術常識に属する事項であるとすることはできないというべきである。

 したがって,上述のような甲5文献に記載された事項や甲5文献の実施例5の記載を根拠とする「ビスホスホン酸のナトリウム塩は,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得」られるという技術事項を,本件優先日当時の技術常識であるとするものと解される,甲5文献に関する審決の判断は誤りであるというほかない。」

2010年8月20日金曜日

マーカッシュ形式で開示された先行技術に対する下位概念発明(選択発明)の新規性

昭和62年9月8日判決
東京高等裁判所昭和60年(行ケ)第51号

1.概要
 先行技術文献に、複数の選択肢を含むマーカッシュ形式で開示された発明のうち、実施例などで具体的に開示されていない選択肢の組合せは新規性を有するかどうかについて判断された事例である。古い判決ではあるが今日でも重要な判決である。
 この判決文では裁判所は「先行発明によつて奏される効果とは異質の効果、又は同質の効果であるが際立つて優れた効果を奏する場合には先行発明とは独立した別個の発明として特許性を認める」と判示する。要するに、進歩性があると認められるような格別の効果を奏する選択肢の組合せについては、例外的に新規性も認めるという立場である。本ブログにて2009年12月27日に掲載した数値限定発明の新規性が争われた事例(東京高裁平成5年12月14日判決、平成4年(行ケ)第168号審決取消請求事件)でも同様な判断がされている。

2.判決ポイント
「2(一)原告は、本願発明は、引用例記載の発明の式TiXjにおけるX成分としてホウ素のみを選択することを必須要件とし、これによつて顕著な効果を奏するものであるから、いわゆる選択発明として特許すべきである旨主張する。
 いわゆる選択発明は、構成要件の中の全部又は一部が上位概念で表現された先行発明に対し、その上位概念に包含される下位概念で表現された発明であつて、先行発明が記載された刊行物中に具体的に開示されていないものを構成要件として選択した発明をいい、この発明が先行発明を記載した刊行物に開示されていない顕著な効果、すなわち、先行発明によつて奏される効果とは異質の効果、又は同質の効果であるが際立つて優れた効果を奏する場合には先行発明とは独立した別個の発明として特許性を認めるのが相当である。この選択発明の特許性は、従来主として有機化合物の技術分野において問題とされてきたが、本願発明のような合金の技術分野においても成立し得るものと解すべきである。
 そして、選択発明とされるものが先行発明が記載された刊行物(以下刊行物が明細書であつて、先行発明が特許請求の範囲に記載されている場合について述べる。)中に具体的に開示されていないかどうかは、もとより先行発明の明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて判断すべきものであるが、右判断は、特許請求の範囲に要約された当該発明の構成に関する発明の詳細な説明の記載を実施例の記載を含めて斟酌してなすべきものと考えられる。
(二)本願発明の非晶質金属合金の成分及び成分割合は引用例記載の非晶質金属合金の成分及び成分割合に包含され、両者はその構成において上位概念(引用例記載の発明)と下位概念(本願発明)の関係にあり、かつ、両者は引張強さ、硬度及び熱安定性を有するものであることにおいて同一性質のものであることは前記1認定のとおりであり、前掲甲第三号証によれば、引用例に記載された実施例1ないし29中には、式TiXjにおけるX成分としてホウ素のみを選択した非晶質金属合金は一例もなく、発明の詳細な説明中にこの点についての具体的な開示は存しないことが認められる。
 したがつて、本願発明の非晶質金属合金の持つている前記引張強さ、硬度及び熱安定性という性質によつて把握される本願発明の効果が引用例記載の発明に比して際立つて優れたものであることが認められる場合には、本願発明は引用例記載の発明とは別個の発明として特許性を付与されるというべきである。
 被告は、選択発明の成立要件の一つとして後行発明が先行発明を記載した刊行物中に具体的に記載されていないことを要するとした上で、合金に関する発明である本願発明及び引用例記載の発明についても,有機化合物の用途発明についてとられている処理の仕方と同様に、先行発明の特許請求の範囲に記載された化合物の各部位の置換基がマーカツシユ型式によつて限定されている場合には、一つの特許請求の範囲に記載された化合物に該当する化合物で実施例に挙げられていないものについては、実施例に挙げられている化合物と均等な効果を奏するという意味において実質的に記載があるものとみるべきところ、引用例記載の発明は特許請求の範囲において構成要件の一部がマーカツシユ型式で限定されているから、引用例に記載の実施例1ないし29中にはX成分としてホウ素を単独で含む例は一例もないとはいえ、右実施例はすべてがX成分としてホウ素のみを含む合金と均等な合金についての実施例というべきであり、その結果として、引用例にはX成分としてホウ素のみを含む合金についても実質的に開示があつたことになる旨主張する。
 いわゆるマーカツシユ型式は、化学関係特許に用いられる特許請求の範囲の表現型式であつて、二以上の物質又は官能基等の名を列記し、「そのなかから選択されたもの」という型式でこれを表現するものであり、引用例の式TiXjにおけるX成分が形式的にはこの型式を用いたものであることは前記1(二)認定の事実から明らかであるが、マーカツシユ型式で記載されているからといつて、特許請求の範囲に記載された物質又は成分割合のおのおのについて具体的技術内容が開示されていないのに、その開示されていない物質又は成分割合を選択したものについても、これが実質的に開示されているとすることは、単なる擬制にほかならないのみならず、およそ先行発明の特許請求の範囲がマーカツシユ型式で表現されている場合は、たとえ後行発明が顕著な作用効果を奏することが証明されても、選択発明の特許出願をいわば門口で退けることにもなり、相当でない。」

「(4)前記(1)ないし(3)の認定事実によれば、本願発明の非晶質金属合金は引用例に具体的に記載された非晶質金属合金と対比して、改善された引張り強さ、硬度、熱安定性という効果において量的に際立つて優れた効果を奏するものと認めることはできないから、本願発明はいわゆる選択発明として特許されるべきものではない。
3 以上のとおりであつて、本願発明の非晶質金属合金の成分及び成分割合は引用例に式TiXjで示された非晶質金属合金の成分及び成分割合に包含されるものであり、本願発明は引用例記載の発明と同一であるから、審決の認定、判断は正当であつて、審決には原告主張の違法はないというべきである。」

2010年8月15日日曜日

引用発明に対する進歩性が肯定された事例

知財高裁平成22年8月4日判決

平成21年(行ケ)第10376号審決取消請求事件

1.概要

 特許庁は本願発明が引用発明及び周知技術に基づいて容易に発明することができると判断した。

 知財高裁はこの判断を覆し、審決を取り消した。

 知財高裁は、本願発明と引用発明との一致点相違点、想到容易性を、具体的な構成と解決課題に基づいて理解し判断しよう努めている。「事後分析的かつ非論理的思考に基づく判断」を排除する姿勢が定着しつつあるように思われる。

1.1.本願発明

本件審決が判断の対象とした請求項1に記載された発明(以下「本願発明」という。)は,以下のとおりである。

「被検者の撮影部位に,X線照射野をX線可動絞りの照射野ランプで照準し確認して,X線照射スイッチの第一スイッチの操作によって撮影準備手段を動作させ,準備完了後に,第二スイッチの操作で高電圧をX線管に印加して撮影を行うX線撮影装置において,前記照射野ランプの照射を制御する手段を設け,前記第一スイッチを操作し撮影準備完了状態になると同時に,前記照射野ランプの点灯状態を変化させるようにしたことを特徴とするX線撮影装置」

1.2.拒絶の理由

 本件審決の理由は,要するに,本願発明は,下記アの引用例に記載された発明(引用発明)並びに下記イ及びウの周知例1及び2に記載された周知技術(周知技術1、周知技術2)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,本願発明は,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない,というものである。

 なお,本件審決が認定した引用発明並びに本願発明と引用発明との一致点及び相違点は,次のとおりである。

ア 引用発明:ハンドスイッチの1段目のスイッチを押してX線発生器のX線管のローターを回転させるとともにフィラメントの加熱を行わせ,ローターの回転数が定格回転数に達し,フィラメントが所定温度に上昇すると,撮影準備完了表示灯は点灯し,撮影準備完了表示灯への点灯指令は第1のレーザー光照射部にも並列的に入力し,第1のレーザー光照射部よりレーザー光がX線装置から離れている操作者からもよく見える場所,例えば天井の平面に照射され,2段目のスイッチを押すことによりX線高電圧発生装置へX線発生器からX線を照射させるための信号を出力し,X線照射する移動形X線装置

イ 一致点:X線照射スイッチの第一スイッチの操作によって撮影準備手段を動作させ,準備完了後に,第二スイッチの操作で高電圧をX線管に印加して撮影を行うX線撮影装置において,光源の照射を制御する手段を設け,前記第一スイッチを操作し撮影準備完了状態になると同時に,光源の点灯状態を変化させるようにしたことを特徴とするX線撮影装置

ウ 相違点:「光源の照射を制御する手段を設け,前記第一スイッチを操作し撮影準備完了状態になると同時に,光源の点灯状態を変化させる」「光源」について,本願発明では「被検者の撮影部位に,X線照射野を照準し確認」する「X線可動絞りの照射野ランプ」であるのに対して,引用発明では「第1のレーザー光照射部より」「X線装置から離れている操作者からもよく見える場所,例えば天井の平面に照射され」る「レーザー光」である点

2.裁判所の判断のポイント

「・・・本願発明は,以下の技術的意義を有しているものと認めることができる。

ア 本願発明の技術分野

 本願発明は,X線可動絞りによるX線の照射野について,照射野ランプで被検者の検査部位に照準する機能を備えたX線撮影装置に関するものである。

イ 本願発明が解決しようとする課題

 従来,X線撮影装置において,術者は,撮影準備完了状態になったことを装置本体の操作パネルに設けられた撮影準備完了表示灯で確認していたが,通常,撮影するときの術者は,被検者の状態を見ており,撮影準備完了状態になったことを確認するためには装置本体の操作パネル上にいったん視線を移して被検者から視線を外さなければならず,被検者の状態をよく見ながら撮影に集中することができないという問題があった。

ウ 課題を解決するための手段

 本願発明は,撮影準備完了状態になると同時に照射野ランプの点灯状態を変化させるようにすること,すなわち,X線照射野を確認することを一義的な目的として設けられていた照射野ランプに,撮影準備完了状態を視覚的に知らせる機能を併せて持たせることで,術者がX線可動絞りから離れた場所で被検者の体表面に照準されたX線照射野の点灯状態の変化を確認するだけで,撮影準備完了状態を知ることを可能とすることによって,撮影準備完了状態を知るために操作パネルの撮影準備完了表示灯の点灯・消灯に視線を移すなどして被検者から視線を外さなければならないといった従来のX線撮影装置が有していた問題点を解決するものである。」

「引用例が開示する技術

 以上の記載からすると,引用例は,移動形X線撮影装置において,操作者は,X線撮影時,X線被曝を防ぐため,できるだけX線装置から離れた位置で撮影しようとするところ,装置本体に設置された操作パネル上のX線照射準備が完了したことを示す表示灯が点灯しても,操作者からは見にくいという課題を解決するため,X線撮影準備完了時に,装置の設置してある部屋の天井等,操作者からもよく見える場所にレーザー光を照射することにより,装置から離れていても,操作者がX線撮影準備完了を容易に視認することを可能にするという技術が開示されている。

 なお,引用例には,被検者の撮影部位にX線照射野を照準し,確認するための,「照射野ランプ」についての記載は存しない。」

「引用発明に上記3の周知技術を適用することの可否

(1) 引用発明に照射野ランプを設けることについて

 引用例は,移動形X線撮影装置に関する発明であり,周知例1及び2並びに乙1文献は,いずれもX線撮影装置に関する発明であるから,技術分野は共通である。

 また,X線撮影装置において,照射野ランプは,被検者の照射部位を確認するとともに,装置の操作者や看護師などの被爆を防ぐため,X線の照射範囲を確認するための構成であり,引用発明の移動形X線撮影装置に照射野ランプを設けることそれ自体は,格別の阻害事由を有するものではない。

(2) 照射野ランプに「撮影準備完了状態」を視覚的に認識させる機能を付加することについて

ア 周知技術における照射野ランプに付加された機能について

 先に指摘したとおり,本願発明の出願前において,照射野ランプが点滅することなどにより,X線撮影装置の作動状態を視覚上明らかにする技術は周知であった。

 しかしながら,本願発明及び引用発明は,X線撮影装置の作動状態ではなく,「撮影準備完了状態」を視覚的に認識することをその課題とするものであるところ,周知例1及び乙1文献により開示された周知技術は,いずれも照射野ランプの点灯状態の変化により,X線撮影装置の作動状態を視覚上明らかにするにとどまるものであって,照射野ランプによって「撮影準備完了状態」を視覚的に認識させることに関する技術は何ら開示されていない。周知例2についても,同様である。

イ 組合せの動機付けの有無について

 引用発明は,操作者は,X線撮影時において,X線被曝を防ぐため,できるだけX線装置から離れた位置で撮影しようとすることを前提として,被検者に不安を与えることなく,操作者に撮影準備完了状態を視覚的に容易に認識させるために,操作者が頭を少し上向きにするだけで容易に視野に入る,操作者からよく見える場所である,天井などの装置の「上方」にレーザー光を当てるものである。

 そのような引用発明において,X線装置の上方で,かつ,装置から離れている操作者からもよく見える場所として例示されている天井(平面)のほかに,撮影準備完了状態を視認させるレーザー光を当てる場所として,天井とは異なって,装置の上方ではなく,また,平面でもない「被検者の撮影部位」を選択することは,人体にレーザー光線を当てることによって,少なくとも「被検者に不安を与えること」が当然予想されることも併せ考慮すると,当業者にとって想到すること自体が困難であるということができる。

 しかも,当業者にとって「被検者の撮影部位」を選択することが容易想到であり,さらに,レーザー光照射部をX線装置の適宜の位置に設けることについても当業者にとって容易想到であるとしても,照射野ランプとレーザー光照射部とがX線撮影装置に併設されるというにとどまり,それ以上に,X線照射野を照準し確認するための照射野ランプに撮影準備完了状態を知らせる機能を併せ持たせることによって,撮影準備完了状態を知らせるレーザー光を照射するためのレーザー光照射部を不要とすることについては,引用例は,そもそも照射野ランプの構成自体を有さない以上,何らの示唆を有するものではない。

 さらに,既に指摘したとおり,照射野ランプについても,これに撮影準備完了状態を知らせる機能を併せ持たせる構成は,本願発明の出願前においては,周知ではなかったのであるから,引用発明において,撮影準備完了状態を知らせるレーザー光に代えて,照射野ランプに撮影準備完了状態を知らせる光の光源としての機能を付加する動機付けを見いだすこともできない。

ウ 被告の主張について

() 被告は,「被検者の撮影部位」も,操作者からよく見える場所であるから,当業者が,X線装置から離れている操作者からよく見える照射場所として,「被検者の撮影部位」を選択し,さらに,「被検者の撮影部位」を照射するランプとして多くのX線撮影装置で採用されている周知慣用の照射野ランプを用いることは,当業者が当然に考えることにすぎないなどと主張する。

 しかしながら,本願発明の出願時において,照射野ランプにX線撮影装置が作動状態にあること,すなわち,X線が照射されている状態であることを視認させるための機能を付加することは周知技術であったが,撮影準備完了状態を視認させるための機能を付加させることは周知技術ではなかったのであるから,被告の主張は,「作動状態」と「撮影準備完了状態」との相違を看過するものであって,採用することができない。

() 被告は,操作者は,「被検者の撮影部位」が見やすい立ち位置に移動するであろうし,照射野ランプから被検体に照射される光の視認性が悪いのであれば,当業者は,光の色や強度等を適宜設計変更して視認性を向上させるものと予想されることなどを根拠に,置換が容易であると主張する。

 しかしながら,照射野ランプに撮影準備完了状態を視認させるための機能を付加させる点についての動機付けが存在しない以上,置換後の工夫や実際の撮影時における操作者の動作の予測は,本願発明の進歩性を否定する根拠となり得るものではないから,この点に関する被告の主張も採用し得ない。

() 被告は,引用発明と照射野ランプに関する周知技術とは,「X線撮影装置」という同一の技術分野に属し,また,引用発明の移動形X線装置のように,被検者の撮影部位とX線撮影装置の照射口とが接していないX線撮影装置にあっては,あらかじめX線照射野を確認・調整できるようにする点は自明の課題であるとも主張する。

 しかしながら,照射野ランプの構成を有さない引用発明に,X線照射野を確認・調整する必要から,照射野ランプを組み合わせることが容易想到であるとしても,撮影準備完了状態を視認させるためのレーザー光に代えて,その機能がない照射野ランプを用いる構成を想到することは容易でなく,被告の主張は採用することができない。」

2010年8月1日日曜日

最近読んだ雑誌記事5

高瀬彌平「記載不備解消型の国内優先権出願の優先権主張の効果は認められない」,パテント,Vol.63, 5月号(No.7), p.36-43 (2010)
(優先権制度は、第一出願の記載不備を解消するために利用する制度ではないことが述べられています。私も全く同意見です。人工乳首事件判決、レンズ付きフィルムユニット事件判決についても言及されています。)

2010年7月25日日曜日

訂正により追加された事項が新規事項に該当しないと判断された事例

知財高裁平成22年7月15日判決言渡

平成22年(行ケ)第10019号審決取消請求事件

1.概要

 訂正審判において追加された事項が新規事項に該当すると判断された審決が取り消された。

 訂正事項が「第三者に対する不測の不利益」を生じないことをひとつの理由としてし新規事項に該当しないと判断された。この点は、知財高裁平成22年1月28日判決、平成21年(行ケ)第10175号審決取消請求事件(2010年1月31日記事参照)における補正新規事項の判断と類似する。

2.訂正事項

後記のとおり,審決が判断した訂正事項は,訂正事項a(特許請求の範囲に係る部分)と訂正事項b(明細書に係る部分)である。

 このうち,本件訂正後の本件特許の明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(下線部が本件訂正部分である。・・・)。

「【請求項1】継鉄部と,外周側が開放され内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部とに分割されるとともに,前記歯部にコイルが巻装され,かつ,前記継鉄部と歯部とが,プレス抜きの後積層されて,一体的に構成されるステータコアと,前記ステータコアをインサート成形した前記絶縁性樹脂からなるフレームと,前記フレームに嵌合固定するブラケットとを有するモールドモータにおいて,

 前記コイルの巻装形状を,コイルエンドの軸方向端面の外周側を平坦面にするとともに,コイルエンドの軸方向端面の内周側にテーパを形成した台形状とし,かつ,前記フレームのコイルエンドの軸方向端部の平坦面と接する部分の厚みを薄くし,前記コイルエンドと前記ブラケットとを,肉厚のきわめて薄い樹脂製のフレームからなる細隙を介して対向させたことを特徴とするモールドモータ。」

3.審決の理由

「審決は,訂正事項aは,本件特許の明細書の特許請求の範囲の請求項1に記載した発明を特定するために必要な事項である「歯部」について,「内周側が連結された」とあったのを「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された」と限定するものであって,特許請求の範囲の減縮を目的とするものに該当・・・すると判断した。」

「・・・訂正事項aにより訂正された「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」については,本件特許明細書に記載されているとはいえず,また,本件特許明細書の記載から自明な事項であるとはいえないから,訂正事項aが,本件特許明細書のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものとはいえない。したがって,訂正事項aは,本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてされたものであるとは認められない。」

4.裁判所の判断のポイント

「1 はじめに

 本件特許は,平成4年7月13日に出願されたものであるから,その訂正審判請求の可否は,平成6年改正前の特許法(以下「旧特許法」という。)126条1項に基づいて判断されるところ,同項には,「特許権者は,第百二十三条第一項の審判が特許庁に係属している場合を除き,願書に添付した明細書又は図面の訂正をすることについて審判を請求することができる。ただし,その訂正は,願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならず,かつ,次に掲げる事項を目的とするものに限る。

一特許請求の範囲の減縮

二誤記の訂正

三明りょうでない記載の釈明」

と規定されている。

審決は,本件訂正審判請求について,「訂正事項aは,特許明細書の特許請求の範囲の請求項1に記載した発明を特定するために必要な事項である『歯部』について『内周側が連結された』とあったのを『内周側が絶縁性樹脂を介して連結された』と限定するものであって,特許請求の範囲の減縮を目的とするものに該当」(審決書4頁15行~18行)すると認定し,本件訂正が,いわゆる訂正の目的要件に適合することを認めている(この点は,当事者間に争いはない。)。その上で,審決は,内周側が絶縁性樹脂を介して連結されたとする本件訂正が,「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」のものであるか否かを判断している。

 そうすると,本件訂正前の請求項1記載の発明における「内周側が連結された歯部」は,「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」と「内周側が絶縁性樹脂を介さないで連結された歯部」との両方を含んでいたことについて,本件訴訟において,当事者間に争いはないことになる。

2 「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲」の意義について

 旧特許法126条1項は,訂正が許されるためには,いわゆる訂正の目的要件(本件では特許請求の範囲の減縮)を充足するだけでは足りず,「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」であることを要するものと定めている。法が,いわゆる目的要件以外に,そのような要件を定めた理由は,訂正により特許権者の利益を確保することは,発明を保護する上で重要ではあるが,他方,新たな技術的事項が付加されることによって,第三者に対する不測の不利益が生じることを避けるべきであるという要請を考慮したものであって,特許権者と第三者との衡平を確保するためのものといえる。

 このように,訂正が許されるためには,いわゆる目的要件を充足することの外に,「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」であることを要するとした趣旨が,第三者に対する不測の損害の発生を防止し,特許権者と第三者との衡平を確保する点にあることに照らすならば,「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」であるか否かは,訂正に係る事項が,願書に添付された明細書又は図面の特定の箇所に直接的又は明示的な記載があるか否かを基準に判断するのではなく,当業者において,明細書又は図面のすべてを総合することによって導かれる技術的事項(すなわち,当業者において,明細書又は図面のすべてを総合することによって,認識できる技術的事項)との関係で,新たな技術的事項を導入するものであるか否かを基準に判断するのが相当である(知的財産高等裁判所平成18年(行ケ)第10563号平成20年5月30日判決参照)。

3 本件訂正について

 そこで,審決が,「内周側が連結された歯部」を「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」とする本件訂正について,一方では,特許請求の範囲の減縮に当たることを認めた(すなわち,訂正前には,「内周側が連結された歯部」を「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」と「内周側が絶縁性樹脂を介さないで連結された歯部」の両者を含むことを認めた)上で,他方では,本件訂正が「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」に該当しないと判断した点の当否について検討する。

 そして,前記のとおり,その検討に当たっては,当該明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係で,何らかの新たな技術的事項を導入するものであったかどうかをみていくこととする。

・・・・

ア 本件訂正前の本件特許明細書の上記記載中の本件発明の作用・効果等の記載に照らすならば,①本件発明を特徴づけている技術的構成は,特許請求の範囲の記載(請求項1)中の「継鉄部と,外周側が開放され内周側が連結された歯部とに分割されるとともに,前記歯部にコイルが巻装され,かつ,前記継鉄部と歯部とが,プレス抜きの後積層されて,一体的に構成されるステータコアと,前記ステータコアをインサート成形した絶縁性樹脂からなるフレームと,前記フレームに嵌合固定するブラケットとを有するモールドモータにおいて」までの部分にあるのではなく,むしろ,これに続いて記載されている「前記コイルの巻装形状を,コイルエンドの軸方向端面の外周側を平坦面にするとともに,コイルエンドの軸方向端面の内周側にテーパを形成した台形状とし,かつ,前記フレームのコイルエンドの軸方向端部の平坦面と接する部分の厚みを薄くし,前記コイルエンドと前記ブラケットとを,肉厚のきわめて薄い樹脂製のフレームからなる細隙を介して対向させたことを特徴とするモールドモータ。」との部分にあると解されるところ,本件特許明細書の「内周側が連結された歯部」との構成は,前段部分に記載されていること,②そして,「歯部」は,「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」のみに限定された範囲のものであったとしても,「内周側が絶縁性樹脂を介さないで連結された歯部」を含む範囲のものであったとしても,本件発明の上記作用効果,すなわち,歯部間におけるコイルのスペースファクタを高くし,コイルの冷却を良好にすることにより,モータ特性を向上させ,モータの全長を短くするとの作用効果との関係においては,何らかの影響を及ぼすものとはいえないことが,それぞれ認められる。

イ 被告は,本件特許明細書の【図2】及び【図4】には,「歯部の内周側が絶縁性樹脂を介して連結されること」が明確に示されているとはいえない点を,本件訂正が「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」の訂正であることを否定する根拠としている。しかし,訂正が,上記要件を充足するか否かは,明細書の実施例に図示されているか否かという形式的な観点から判断すべきではなく,当該明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係で,第三者に不測の損害を生じる可能性があると推測できるような,新たな技術的事項を導入したか否かを実質的に判断すべきであるから,被告の主張は採用の限りでない。

 この点,被告は,本件において,「絶縁性樹脂を介して連結された歯部」とする訂正を認めると,本件特許明細書の記載から予測できない範囲に特許権の効力が及ぶことになり,第三者に不測の損害を与えかねないと主張する。

 しかし,被告は,第三者に不測の損害を与えかねないような新たな技術的事項の内容を,何ら明らかにしていないので,被告の主張は採用できない。また,審決では,本件訂正が「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当すると判断しており,「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」も本件訂正前の請求項1記載の発明に含まれることを認めているのであって,本件においては,本件訂正がされたからといって,第三者に不測の損害を与える可能性のある新たな技術的事項が付加されたことを,想定することは困難である。

ウ したがって,「内周側が連結された歯部」(本件において,同構成が「内周側が絶縁性樹脂を介さないで連結された歯部」及び「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」を含むことについては,争いがない。)を「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」とした本件訂正は,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものではないというべきである。