2020年9月13日日曜日

複数の解釈が成り立ちうる用語の明確性が争われた事例

 

知財高裁令和2年9月3日判決

令和元年(行ケ)第10173号 特許取消決定取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、特許を取り消した異議決定に対する取消訴訟の知財高裁判決である。異議決定では、本件発明1等が明確性要件違反、実施可能要件違反、サポート要件違反と判断されたのに対して、知財高裁は、これらの違反は無いと判断し、異議決定を取り消した。

 異議決定では、本件発明1の「前記発泡体は,示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」という用語が複数の解釈が可能であり、いずれかが特定されてないとして明確性要件違反と認定した。

 知財高裁は、示差走査熱量計による測定結果のグラフのピーク(頂点)が140℃以上に存在することを意味し,複数のピークがある場合のピークの大小は問わないものと解すのが自然であり,その記載について,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできない、として異議決定を取り消した

 

2.本件発明1

 基材の両面にアクリル粘着剤層を有する両面粘着テープであって,

 前記基材は,発泡体からなり,

 前記基材の厚みが1500μm以下であり,

 前記発泡体は,示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり,発泡倍率が15cm/g以下であり,気泡のアスペクト比(MDの平均気泡径/TDの平均気泡径)が0.9~3であり,

 前記発泡体がポリプロピレン系樹脂を含有する

ことを特徴とする両面粘着テープ。

 

3.特許庁が主張する明確性要件違反

 「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」の意義

ア 「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピーク」とは,融点を意味する(乙1)。本件発明1の発泡体は,ポリプロピレン系樹脂以外の成分を許容するものであるから,示差走査熱量計により測定すると,ポリプロピレン系樹脂を含む各成分の融点に対応する結晶融解温度ピークが測定される。また,ポリプロピレン系樹脂自体も,示差走査熱量計による結晶融解ピークが複数本ある場合がある。

 このように,結晶融解温度ピークが複数測定される場合に,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」について,①結晶融解温度ピークといえるものは140℃以上であるという解釈,②最も高温側の結晶融解温度ピークが140℃以上であるという解釈のほか,③最大ピークを示す温度が140℃以上である,又は,最大面積の吸熱ピークの頂点温度が140℃以上であるという解釈(乙2~6),④最も低い結晶融解ピーク温度が140℃以上であるという解釈(甲5,乙7~9),⑤わずかなピークであっても,そのピークが140℃以上に存在すればよいという解釈等,複数の解釈が考えられる。

 そして,特許請求の範囲及び本件明細書には,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピーク」の定義の記載はない。

イ ピークが複数現れた場合は,複数のTpmを示すことになっているとされる(乙1)が,本件明細書には,結晶融解温度ピークが複数ある場合を含むことについての記載がないから,本件発明1は結晶融解温度ピークが複数ある場合については想定されていない

 また,本件明細書の実施例及び比較例における結晶融解温度ピークの温度の記載は1つであり,他の結晶融解温度ピークの有無や個数,複数の結晶融解温度ピークが測定されていたのであれば,いずれを記載したかについての記載はない。

 このように,本件明細書の記載からは,結晶融解温度ピークが複数ある場合に,いずれのピークに基づいて「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」の充足性を判断すべきかが不明であり,また,この点に関する技術常識もない。

ウ 以上のとおり,本件発明1の「前記発泡体は,示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」について複数の解釈が可能であるところ,本件明細書の記載を考慮し,また,本件特許の出願時における当業者の技術常識を勘案しても,これを一義的に解釈することができないから,第三者に不測の不利益を及ぼすこととなる。

 

4.裁判所の判断(明確性要件充足)のポイント

取消事由1(明確性要件の判断の誤り)について

(1) 明確性要件について

 特許法36条6項2号において,発明の明確性を要件とする趣旨は,仮に,特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には,特許が付与された発明の技術的範囲が不明確となり,第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るので,そのような不都合な結果を防止することにある。そして,発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。

(2) 「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」の意義

ア 本件発明1の特許請求の範囲には,「前記発泡体は,示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」との記載があるが,それ以上に「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピーク」について特定する記載はない。

 ピークとは,「①山のいただき。②絶頂。最高潮」(広辞苑第6版)を意味することからすれば,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり,」との記載は,示差走査熱量計による測定結果のグラフのピーク(頂点)が140℃以上に存在することを意味するものと解するのがまずは自然である。

イ 甲10(あいち産業科学技術総合センター研究報告「研究ノート ポリエチレン・ポリプロピレン樹脂における混合比の測定」12~13頁(2016年)),甲11(「フィルムの分析評価技術」52~55頁(株式会社情報機構,2003年))及び弁論の全趣旨によれば,結晶融解温度ピークの面積は,吸熱量を示すものであり,含まれる材料の結晶融解温度に応じて1個のピークが存在する場合と複数のピークが存在する場合があり,複数のピークが存在する場合に各ピークの面積(吸熱量)は,そのピークを発現する材料の含有量と相関することは,本件特許の出願時の技術常識であったと認められる。

ウ 本件明細書には,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピーク」とは,発泡体100mgを示差走査熱量計を用いて大気中において昇温速度10℃/分の条件下で測定された際のピーク温度を意味することが記載されている(【0020】)。そして,本件明細書の実施例1~7は,ポリプロピレン系樹脂(エチレン-プロピレンランダム共重合体:住友化学社製,商品名「AD571」)と直鎖状低密度ポリエチレン(東ソー社製,商品名「ZF231」)の混合物より構成される発泡体であり,その結晶融解温度ピークは,それぞれ141.5~147.4℃であることが記載されている。これに対し,比較例2,3は,直鎖状低密度ポリエチレン(東ソー社製,商品名「ZF231」)のみにより構成される発泡体であり,その結晶融解温度ピークは94℃,92℃であることが記載されている(以上につき,【0058】~【0067】,【0069】,【0070】,【表1】)。

 本件特許請求の範囲には,複数のピークが生じる場合に,特定のピークを選択する旨の記載や,全てのピークが140℃以上であることの記載が存在しないところ,上記のとおり,実施例1~7の発泡体は,比較例2,3と同じ直鎖状低密度ポリエチレンを20~60重量%で含有するから,【表1】に記載された141.5~147.4℃(140℃以上)の結晶融解温度ピーク以外に,140℃未満の結晶融解温度ピークを含むであろうことは,当業者であれば,上記イの技術常識により,容易に理解することができる。このことは,原告による実施例2の追試結果の図(甲8)や甲10の図4とも符合する。

 そうすると,本件明細書(【表1】)の実施例1~7についての結晶融解温度ピークは,複数の結晶融解温度ピークのうち,ポリプロピレン系樹脂を含有させたことに基づく140℃以上のピークを1個記載したものであることが理解できるから,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上」は,複数の結晶融解温度ピークが測定される場合があることを前提として,140℃以上にピークが存在することを意味するものと解され,このような解釈は,上記アの解釈に沿うものである。

 また,本件発明1は,ポリプロピレン系樹脂の含有量を規定するものではないから,ポリプロピレン系樹脂の含有量が,140℃未満のピークを示す直鎖状低密度ポリエチレンの含有量を下回る場合を含むことは,実施例7の記載から明らかである。そして,このような場合に,当業者であれば,140℃未満に一番大きいピーク(最大ピーク)が生じ得ることを理解することができるのであり,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」について,複数のピークがある場合のピークの大小は問わないものと解するのが合理的である。

以上のとおり,本件発明1の「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」とは,示差走査熱量計による測定結果のグラフのピーク(頂点)が140℃以上に存在することを意味し,複数のピークがある場合のピークの大小は問わないものと解され,その記載について,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできない。

(3) 被告の主張について

 被告は,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」について,①結晶融解温度ピークといえるものは140℃以上であるという解釈,②最も高温側の結晶融解温度ピークが140℃以上であるという解釈,③最大ピークを示す温度が140℃以上である,又は,最大面積の吸熱ピークの頂点温度が140℃以上であるという解釈,④最も低い結晶融解ピーク温度が140℃以上であるという解釈,⑤わずかなピークであっても,そのピークが140℃以上に存在すればよいという解釈等複数の解釈が考えられるところ,いずれを示すものかが不明であると主張する。しかし,③④の解釈を採るべき場合にはその旨が明記されているところ(乙2・【0032】,乙3・【0056】,乙4・【0024】,乙5・[0025],乙6・【0018】,甲5・【0014】,乙7・【0008】,乙8・【0091】,乙9・【0027】),本件明細書にはこのような記載はなく,複数あるピークの大小を問わず,1つのピークが140℃以上にあれば「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」を充足すると解すべきであることは,前記(2)において説示したとおりである。また,⑤について,特許請求の範囲の記載及び本件明細書にピークの大きさを特定する記載はないから,ピークの大きさを問わず「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」に該当するというべきであり,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」との記載が不明確であるという被告の主張は採用できない

 また,被告は,本件発明1において結晶融解温度ピークが複数ある場合は想定されていないと主張する。しかし,本件発明1において,結晶融解温度ピークが複数ある場合が想定されていることは,前記(2)ウに説示したところから明らかである。

(4) 小括

 以上によれば,本件発明1の「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」との記載が不明確であることを理由に,本件特許の特許請求の範囲の記載が明確性要件に適合しないとした本件決定の判断は誤りであり,取消事由1は理由がある。

2020年7月12日日曜日

下位概念発明の進歩性の判断に関し異議決定が取り消された事例


知財高裁令和2年6月3日判決
令和元年(行ケ)第10096号 特許取消決定取消請求事件

1.概要
 本件は、原告が有する特許発明の進歩性を否定した異議決定の取消を求めた審決取消訴訟において、異議決定の一部を取り消した知財高裁判決である。
 本件発明2は、後述する通り、(a)所定の構造のポリアミド酸と,(b)3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシラン,3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン及びフェニルトリメトキシシランからなる群から選択される1以上のアルコキシシラン化合物と,(c)有機溶剤と,を含有し,前記(b)成分の含有量が前記(a)成分に対して0.2~2質量%である、用途が特定された樹脂組成物である。
 甲1文献では、本件発明2で特定するアルコキシシラン化合物は記載されていないが、γ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどのシランカップリング剤等のアルコキシシラン化合物を添加することができることが記載されている。一方、甲2~6には,ポリイミド前駆体に添加するシランカップリング剤として,本件発明2における4種のアルコキシシラン化合物のうちの少なくとも1種と甲1記載の他種のものが並列的に列挙されている。
 異議決定では「本件発明2で使用されるアルコキシシラン化合物のうち,3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン及び3-グリシドキシプロピルトリメトキシシランは,いずれもγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどと同様に汎用のシランカップリング剤であり,その点につき,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌しても,本件発明2に係るいずれかのアルコキシシラン化合物を使用した場合に,他のアルコキシシラン化合物を使用した場合に比して特異な効果を奏するものとは認識することができず,本件発明2において,上記特定のアルコキシシラン化合物を使用することにより,特有の効果を奏しているものとも認められない。」として、本件発明2の進歩性を否定した。
 一方、知財高裁は、甲1には、本件発明2で規定する特定のアルコキシシラン化合物は記載されておらず、甲2~6には,ポリイミド前駆体に添加するシランカップリング剤として,本件発明2における4種のアルコキシシラン化合物のうちの少なくとも1種と甲1記載の他種のものが並列的に列挙されているとしても,甲2~6は,アルコキシシラン化合物を使用する目的や対象が本件発明2とは異なるから,本件発明2において,甲2~6に記載するアルコキシシラン化合物を用いることが容易想到であるとは認められない、として異議決定を取り消した。

2.本件発明2について
【請求項2】(本件発明2)
(a)一般式(1)(化学式は省略)で表される構造単位を有するポリアミド酸と,(b)3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシラン,3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン及びフェニルトリメトキシシランからなる群から選択される1以上のアルコキシシラン化合物と,(c)有機溶剤と,を含有し,前記(b)成分の含有量が前記(a)成分に対して0.2~2質量%である樹脂組成物であって,
 前記樹脂組成物をシリコン基板又はガラス基板に塗布,加熱し,1~50μmの膜厚を有するポリイミド樹脂膜を形成する工程と,前記ポリイミド樹脂膜上に半導体素子を形成する工程と,前記半導体素子が形成されたポリイミド樹脂膜を支持体から剥離する工程とを含む,ディスプレイ基板の製造方法に用いられる,樹脂組成物。

3.異議決定の判断(本件発明2の進歩性否定)
 ア 本件発明2と甲1発明1の一致点及び相違点
(ア)一致点
(a)一般式(1)(化学式省略)で表される構造単位を有するポリアミド酸と,(c)有機溶剤と,を含有する樹脂組成物であって,前記樹脂組成物を基板に塗布,加熱し,ポリイミド樹脂膜を形成する工程と,前記ポリイミド樹脂膜上に半導体素子を形成する工程と,前記半導体素子が形成されたポリイミド樹脂膜を支持体から剥離する工程とを含む,ディスプレイ基板の製造方法に用いられる,樹脂組成物。
(イ)相違点3
 本件発明2では「(b)3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシラン,3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン,フェニルトリメトキシシランからなる群から選択される1以上のアルコキシシラン化合物と,・・・を含有し,前記(b)成分の含有量が前記(a)成分に対して「0.2~2質量%である」のに対して,甲1発明1では「(b)アルコキシシラン化合物」を含有すること及びその含有量につき特定されていない点
(ウ)相違点2a
 「ポリイミド樹脂膜を形成する工程」において,本件発明2では「シリコン基板又はガラス基板」を使用するとともに「1~50μmの膜厚を有するポリイミド樹脂膜」を形成するのに対して,甲1発明1では「キャリア基板」を使用するとともに「固体の樹脂膜」の膜厚につき特定されていない点
イ 検討
(ア)相違点2aについて
 相違点2aに係る事項は,相違点2に係る事項と同一であるから,前記(2)()で説示した理由と同一の理由により,相違点2aは,実質的な相違点であるとはいえないか,甲1発明1において当業者が適宜なし得ることである。
(イ)相違点3について
 甲1には,甲1発明1のフレキシブルデバイス基板用ポリイミド前駆体樹脂組成物において,キャリア基板などの被塗布体との接着性向上のために,γ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどのシランカップリング剤等のカップリング剤を添加することができることが記載され,また,その使用量がポリイミド前駆体(樹脂分)に対して,0.1質量%以上,3質量%以下が好適であることが記載されている(段落【0019】)ところ,甲1発明1のフレキシブルデバイス基板用ポリイミド前駆体樹脂組成物においても,ガラス基板又はシリコン基板などの被塗布体の表面に塗布成膜し,ポリイミド樹脂膜として他表面に回路形成を行った後,被塗布体から剥離することによりフレキシブルデバイス基板とするものであって,甲1発明1において,シランカップリング剤の適量の添加使用により被塗布体に対する接着性を改善するとしても,被塗布体からの剥離性につき許容される範囲内で行うことを前提とするものであるから,甲1発明1において,ガラス基板又はシリコンウエハなどの被塗布体に対する接着性向上を意図して,γ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどのシランカップリング剤などのアルコキシシラン化合物をポリイミド前駆体(樹脂分)に対して,「0.1質量%以上,3質量%以下」なる範囲のうちの0.2~2質量%の範囲で添加使用することは,当業者が適宜なし得ることである。
 また,本件発明2で使用されるアルコキシシラン化合物のうち,3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン及び3-グリシドキシプロピルトリメトキシシランは,いずれもγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどと同様に汎用のシランカップリング剤であり,その点につき,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌しても,本件発明2に係るいずれかのアルコキシシラン化合物を使用した場合に,他のアルコキシシラン化合物を使用した場合に比して特異な効果を奏するものとは認識することができず,本件発明2において,上記特定のアルコキシシラン化合物を使用することにより,特有の効果を奏しているものとも認められない。
 したがって,相違点3は,当業者が適宜なし得ることである。
(ウ)本件発明2の効果について
 本件発明2において,特定のアルコキシシラン化合物を使用することにより,特有の効果を奏しているものとも認められず,その余については,前記(2)()で示した本件発明1に係る効果と同様であるから,本件発明2の効果についても,甲1発明1のものに比して,当業者が予期し得ない程度の格別顕著なものということはできない。
ウ 以上から,本件発明2は,甲1発明1に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものである。

4.知財高裁の判断のポイント(進歩性肯定、異議決定取り消し)
取消事由2-2(本件発明2について:相違点の判断の誤り)について
(1) 本件発明2と甲1発明1には,相違点3及び相違点2aが存在するところ,相違点2aは,相違点2と同様の相違点であるため,前記3(2)のとおり,容易想到であると認められる。
(2) 相違点3について
甲1には,甲1発明1において,ポリイミド樹脂膜の支持体への密着性を向上させることができるカップリング剤として,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物は記載されていない。また,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物がキャリア基板に形成したポリイミド樹脂膜上に回路を形成後,キャリア基板から剥離するフレキシブルデバイス基板形成用のポリアミド樹脂組成物から形成した樹脂膜のキャリア基板への密着性を向上させるのに適するものであることが本件優先日の当業者の技術常識であったことを認めることができる証拠はない。
 そうすると,甲1に接した当業者が,本件発明2に記載されたアルコキシシラン化合物を選択する動機付けがあるとは認められないから,相違点3が容易想到であると認めることはできない。
() これに対し,被告は,甲22の記載によると,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物は,いずれも,甲1に記載されたγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどと同様に,シランカップリング剤(接着促進剤)として汎用のものであるとともに,甲2~6の記載から,他の基材に対する接着性改善のためにポリイミド樹脂(前駆体)に対して添加されるシラン化合物として当業者に公知なものであるから,甲1発明1の樹脂組成物において,キャリア基板などの被塗布体との接着性向上のためのシランカップリング剤として,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物を使用することは,当業者が適宜なし得ることであると主張する。
() 甲22について
a 甲22には,以下の記載がある。
(省略)
b 甲22によると,本件優先日時点において,プラスチックに添加するシランカップリング剤として,甲1の段落【0019】に記載されたγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランと,本件発明2における3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランが知られていたと認められる。そして,甲22には,甲1に記載されたγ-アミノプロピルトリエトキシシランの特性として,「とくに塩ビ樹脂に有効で,エポキシ樹脂,メラミン樹脂,フェノール樹脂,ポリプロピレン,ポリカーボネート,ナイロン樹脂,EPM,EPDMその他の硫黄加硫ゴム,ポリウレタン,多硫化ゴムにも利用できる。」と記載され(同じく甲1に記載されたγ-アミノプロピルトリメトキシシランの特性は,甲22には記載されていない。),本件発明2に記載された3-グリシドキシプロピルトリメトキシシランであるγ-グリシドキシプロピルトリメトキシシランについては,「ポリエステル,エポキシ樹脂,メラミン樹脂,ポリエチレン,ポリカーボネート,ABS,塩ビ樹脂,ポリウレタンに有用。」,「シリカ入りの硫黄加硫SBR,EPDMに添加すると物性が大幅に増大する。」,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランであるγ-ウレイドプロピルトリエトキシシランについては,「エポキシ樹脂,メラミン樹脂,フェノール樹脂などの複合材に卓効がある。」とそれぞれ記載されている。
 しかし,甲22に記載されたシランカップリング剤のうち,ポリイミドへの添加について言及されているのは,(21)のN-フェニル-γ-アミノプロピルトリメトキシシランのみであり,甲22には,甲1や本件発明2に記載された上記のアルコキシシラン化合物が,ポリイミドに添加されるシランカップリング剤であるとの記載はない。
 そうすると,甲22を根拠に,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物をポリイミドに添加することが容易想到であると認めることはできない。

() 甲2~6について
・・・・
 甲2において,シランカップリング剤は,金属アルコキシドやその他の物質のポリイミド系重合体の前駆体であるポリアミック酸系重合体への分散性,混合性を向上させ,熱膨張率などの特性にもとづく寸法安定性を改善することを目的とするものであり,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲3において,アルコキシシラン化合物は,透明性を損なわずに,寸法安定性に優れ,かつ無機化合物基板との密着性が高いシリカ粒子が分散してなる新規なポリイミド組成物及びその製造方法を提供するために,ポリイミド溶液に添加し,ポリイミド溶液において水の存在下で反応させるものであり,本件発明2において,アルコキシシランが,ポリイミド前駆体であるポリアミド酸の組成物に配合されるのとは,配合対象が異なっている上,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲4は,ポリイミド銅張積層板のポリイミド層と銅箔との間の接着性を高めるために,ポリイミド前駆体コーティング溶液中に,アルコキシシランを組み込むというもので,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲5は,良好な熱伝導性と接着性を有し,さらに,良好な耐熱性を有する樹脂組成物を提供することを目的とするものであるが,(C)成分の例として,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランを含む組成物が,ポリイミド樹脂と無機フィラーの相溶性を高め,ボイド(空隙)を抑制し,少ない無機フィラー含量でも高い熱伝導性が得られると記載されており,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲6は,電子部品の絶縁膜又は表面保護膜用樹脂組成物,パターン硬化膜の製造方法及び電子部品に関するものであり,最終加熱時においてメルトを起こすことなく,最終加熱以降の加熱においても架橋成分等の昇華及びガス成分の発生が少ない層間絶縁膜又は表面保護膜を製造するために,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランを添加することができる(段落【0057】)というものであり,シリコン基板に対する接着性増強剤として3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシランなどのアルコキシシラン化合物を含むことができる(段落【0069】)との記載があるが,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離すること」が可能なポリイミド樹脂膜を形成することが可能な樹脂組成物を提供するという本件発明2とは添加目的が異なっている。
以上によると,甲2~6によって,甲2~6にされたアルコキシシ
ラン化合物を本件発明2のために用いるという動機付けがあるとは認められないか
ら,相違点3が容易想到であると認めることはできない
 なお,甲2~6には,ポリイミド前駆体に添加するシランカップリング材として,本件発明2における4種のある子機シシラン化合物のうちの少なくとも1種と甲1記載の他種のものが並列的に列挙されているとしても,甲2~6は,アルコキシシラン化合物を使用する目的や対象が本件発明2とは異なるから,本件発明2において,甲2~6に記載するアルコキシシラン化合物を用いることが容易想到であるとは認められない。
(3) 以上によると,本件発明2は,当業者が容易に発明をすることができたものと認めることはできないから,効果の点について判断するまでもなく,取消事由2-2は理由がある。」


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2020年6月28日日曜日

実施例と合致しない特許発明の実施可能要件サポート要件

知財高裁令和2年5月28日判決
令和元年(行ケ)第10075号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は被告が有する特許権に対する無効審判審決(特許有効の判断)を不服とする原告による審決取消訴訟の高裁判決であり、下記の本件発明6については審決の判断(実施可能要件違、サポート要件を満たす)が維持された事例である。

 本件特許の請求項6に係る発明(本件発明6)は以下の通り
「【請求項6】第1のスキン層と,コア層,及び第2のスキン層とを含むポリオレフィンフィルムを押出成形する第1の押出ステップと,/前記押出成形されてなるフィルムを冷却させる第1の冷却ステップと,/前記第1の冷却ステップを経たフィルムを縦延伸する縦延伸ステップと,/前記縦延伸されたフィルムの第1のスキン層上に熱封着樹脂層が形成されるように押出成形する第2の押出ステップと,/前記熱封着樹脂層が形成されたフィルムを冷却させる第2の冷却ステップ,及び/前記第2の冷却ステップを経たフィルムを横延伸する横延伸ステップと,/を含み,/前記第2の冷却ステップは,表面に凹凸構造を有する冷却ロールを用いて樹脂層に空気チャンネルを形成させることであり,/前記冷却ロールに形成された凹凸構造は,5μm~30μmの深さを有することを特徴とする,ポリオレフィン系延伸フィルムの製造方法。」

 この方法で製造されるポリオレフィン系延伸フィルムは、(凹凸を有する)熱封着樹脂層、第1のスキン層、コア層、及び、第2のスキン層がこの順で積層された構造を有する。そして、熱封着樹脂層に凹凸が形成されている。
 特許明細書には、この構成の効果として、空気チャネルの形成によって巻き取り時のしわ寄りが効果的に防止されることや、優れた層間接着強度を有することが記載されている。
 しかし、上記の製造方法を実施し、効果を確認した実験結果は記載されていない。明細書の実施例1、実施例2では、表面に凹凸構造を有する冷却ロールを用いて、熱封着樹脂層の裏側にあたる第2のスキン層に凹凸を形成することは記載されているが、熱封着樹脂層に凹凸を形成する例ではない。

 そこで原告は、本件発明6は実施可能要件、サポート要件を満たさないと主張した。
 これに対して知財高裁は、以下のように判示し、本件発明6は実施可能要件、サポート要件を満たすと判断した。

2.原告の主張に対する裁判所の判断のポイント
「4 取消事由4(本件発明6に係る実施可能要件の判断の誤り)について
・・・
 原告は,実施例及び比較例の記載(【0066】~【0075】)は,図4の装置を前提に,表面に凹凸構造を有する冷却ロールが樹脂層40とは反対側の面に当てる態様を開示しており,表面に凹凸構造を有する冷却ロールを樹脂層40表面に当てる態様については,空気チャンネルの形成によって巻取時のしわ寄りが効果的に防止されるとの効果が奏されるとの実験的な確認がなく,実施可能要件に適合しない旨主張する。
 本件明細書には,図4に示す装置を前提に,「先ず,共押出により第1のスキン層10/コア層30/第2のスキン層20が積層されてなるフィルムを作製した後,第1の冷却を行ない,次いで,縦延伸比4倍で縦延伸を行なった。そして,縦延伸後,連続押出によるインライン(In-Line)工程により前記第1のスキン層10上に樹脂層40としてのEVA層を押出積層した後,冷却ロールに通させて第2の冷却を行ない,次いで,横延伸比8倍で横延伸して,図3に示すような4層構造の延伸フィルムを作製した。…冷却する際に,…実施例2の場合は,サンディング処理が施されたマットタイプロールに通させて冷却を行なった。」(【0066】,【0067】)との記載があり,第2の冷却ステップで凹凸構造を有する冷却ロールが第2のスキン層に当てられ,第2のスキン層に空気チャンネルが形成される実施例2が記載されている。
 しかしながら,実施例2を参照した場合でも,請求項6や【0051】の記載を参照して,第2の押出ステップにより成形されたフィルムを実施例2と上下逆にすれば,第2の冷却ステップで凹凸構造を有する冷却ロールを樹脂層40に当てることは容易にできるから,過度の試行錯誤を要することなく,本件発明6の空気チャンネルを形成することはできるというべきである。
 そして,実施可能要件は,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,その発明を実施することができる程度に発明の構成等の記載があることを要するとするものであって,作用効果を奏することの実験的な確認を要するものではない。」

「5 取消事由5(本件発明6に係るサポート要件の判断の誤り)について
・・・
 原告は,実施例及び比較例の記載(【0066】~【0075】)は,図4の装置を用いており,表面に凹凸構造を有する冷却ロールが樹脂層には当たらず,樹脂層とは反対側の面に当たるようになっているから,これらの記載によっても,本件発明6によって,「優れた層間接着強度でラミネートされた多層ポリオレフィン延伸フィルムを提供」されているのか否かを理解することができず,サポート要件に違反する旨主張する。
 本件発明6の製造方法の各ステップを経て製造されたポリオレフィン系延伸フィルムは,実施例1のポリオレフィン系延伸フィルムとは,本件発明6の空気チャンネルが実施例1では形成されない点で異なり,実施例2のポリオレフィン系延伸フィルムとは,空気チャンネルの形成場所が本件発明6では樹脂層であるのに対し,実施例では第2のスキン層である点で異なる。
 しかし,本件明細書の「空気チャンネルによってフィルムの巻取品質が向上する。…横延伸されたフィルムは,巻取ロール600に巻き取られることとなり,このとき,巻取工程でしわが寄り,該しわが取れ難くなることがある。樹脂層40の形成の際,従来のようにコーティング工程等によらずに,縦延伸後の連続的な追加の押出工程(第2の押出ステップ)により樹脂層40を積層するため,巻取時にしわが寄り,該しわが取れ難くなることがある。」(【0049】),「空気チャンネルは,空気流れ通路を提供することにより,巻取時のしわ寄りを効果的に防止する。すなわち,巻取時にフィルムとフィルムとの間に存在していた空気が空気チャンネルから外部に抜けることにより,しわが寄ることを効果的に防止する。」(【0050】),「本発明の実施例に係るフィルムの場合,巻取後の外観性においても良好であることが分かり,特に実施例2の試片は,外観性等の巻取品質が非常に優れていることが判明した。」(【0075】)との記載によれば,巻取時にフィルムとフィルムとの間に存在していた空気が空気チャンネルから外部に抜けることにより,しわが寄ることを効果的に防止する空気流れ通路を提供することで,巻取時のしわ寄りを効果的に防止することを理解することができる。
 そして,表面に凹凸構造を有する冷却ロールが樹脂層40側に当てられた場合であっても,巻き取られたフィルムに空気チャンネルが形成されることは,スキン層に空気チャンネルが形成された実施例2の場合と同様であるから,巻取時にフィルムとフィルムとの間に存在していた空気が空気チャンネルから外部に抜けることにより,しわが寄ることを効果的に防止する空気流れ通路を提供し,巻取時のしわ寄りを防止する効果を奏するものと解される。
 また,本件発明6の製造方法の各ステップを経て製造されたポリオレフィン系延伸フィルムは,実施例1,2のポリオレフィン系延伸フィルムと各層の材料は同じであり,各層の層間の状態に違いがあることはうかがわれない上,空気チャンネルは,空気流れ通路を提供することにより,巻取時のしわ寄りを効果的に防止するものであるから,空気チャンネルが設けられているのが,フィルムの表面であるか樹脂層の側であるかによって,層間接着強度が大きく変わると解すべき根拠はない。
 そうすると,当業者は,実施例,比較例をみれば,本件発明6のポリオレフィン系延伸フィルムについても,実施例1,2と同様に,第1のスキン層と樹脂層との優れた層間接着強度,樹脂層と被着体(紙)との優れた層間接着強度を有することや,巻取時のしわ寄りを防止する効果を奏することが理解できるというべきである。したがって,図4の装置を用いた実施例及び比較例の記載の記載が本件発明6と整合しないとしても,それのみをもってサポート要件違反となるものではない。
 よって,原告の主張は採用できない。」

2020年2月23日日曜日

サポート要件違反の無効審決が覆された事例


知財高裁令和2年2月19日判決
平成31年(行ケ)第10025号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、無効審判審決(サポート要件違反により無効)の取消を求めた審決取消訴訟において、知財高裁が無効審決を取り消した事例である。
 本件発明1(請求項1)等の課題は「気体を過飽和の状態に液体へ溶解させ,かかる過飽和の状態を安定に維持」することである。この課題を解決するための特徴として、本件発明1は「1.0mmより大きく3.0mm以下の内径の細管(但し,0.8m以下の長さのものを除く)からなる降圧移送手段としての管状路」を含む。一方、発明の詳細な説明には、この特徴に係る細菅が内径2mm長さ0.8mの比較例2は上記課題が解決できないのに対して、内径2又は3mm長さ1.4~4mの実施例1~13では上記課題が解決できることが記載されている。
 細管の長さの値が0.8mより大きく1.4mより小さい場合に,過飽和の状態を安定に維持するとの発明の課題を解決できるといえるか否かが争点となり、審決と訴訟とで判断が異なった。

2.本件発明1
「水に水素を溶解させて水素水を生成する気体溶解装置であって,
 水槽と,
 固体高分子膜(PEM)を挟んだ電気分解により水素を発生させる水素発生手段と,
前記水素発生手段からの水素を水素バブルとして前記水槽からの水に与えて加圧送水する加圧型気体溶解手段と,
 前記加圧型気体溶解手段から水素水を導いて貯留する溶存槽と,
 前記溶存槽に貯留された水素水を前記水槽中に導く,1.0mmより大きく3.0mm以下の内径の細管(但し,0.8m以下の長さのものを除く)からなる降圧移送手段としての管状路と,を含み,
 前記水槽中の水を前記加圧型気体溶解手段,前記溶存槽,前記管状路,前記水槽へと送水して循環させ前記水素バブルをナノバブルとするとともに,前記加圧型気体溶解手段から前記溶存槽へと送水される水の一部を前記水素発生手段に導き電気分解に供することを特徴とする気体溶解装置。」

3.審決(サポート要件違反)のポイント
「ア 本件出願の願書に添付した明細書(以下,図面を含めて「本件明細書」という。甲25)の記載(【0015】,【0016】,【0047】,【0048】)によると,本件特許発明1ないし4の課題は「気体を過飽和の状態に液体へ溶解させ,かかる過飽和の状態を安定に維持」することであり,当該課題を「降圧移送手段を設け,かつ液体にかかる圧力を調整す」ることにより,解決できることを理解できる。
イ 本件明細書の記載(【0053】ないし【0068】)から,実施例(実施例1,3ないし12)と比較例(比較例1,2)の降圧移送手段5はどちらも内径は2mm又は3mmであるものの,長さに着目すると,長さ1.4m以上の細管は実施例となるが,長さ0.8m以下の細管は過飽和の状態が維持できたとする実施例とされていないものと認められるから,「降圧移送手段」のうちでも,長さによっては発明の課題を解決することができないこととなる。
ウ 本件訂正により「但し,0.8m以下の長さのものを除く」とされた事項は,技術的には0.8mより長い細管を意味するものであるところ,本件明細書には,長さ1.4mの細管であれば過飽和の状態の水素水を得ることができる実施例10が記載されているが,長さが0.8mより長い細管であれば過飽和の状態の水素水を安定に維持することができるとの明示的な記載はない。また,比較例2では,長さ0.8mの細管で水素濃度が1.8ppmの水素水となるところ,比較例2と長さ以外の圧力等の条件を同等とすれば,例えば0.81mのような比較例2よりも僅かに長さを長くしたところで,濃度が1.8ppmから急激に上昇して過飽和の状態の目安としている,2.0ppmより大きい水素濃度となると当業者が認識する根拠はみいだせない。むしろ,長さを僅かに変化させたところで,水素濃度は1.8ppmの近傍の値であると当業者であれば十分に理解し得るところである。
 したがって,0.8mより長い細管には,水素水を過飽和の状態とし,かつ,これを安定に維持することができない例が含まれることは当業者であれば十分に認識しうる事項である。
 一方で,比較例2に対して,例えば,圧力を高くするなど他の条件を変更すれば,水素水を過飽和の状態とし,かつ,これを安定に維持することが可能かもしれないが,例えば,長さが0.81mの場合に,当業者が水素水を過飽和の状態とし,かつ,これを安定に維持することができる条件はどのようなものであるのか,技術常識を加味しても特定することは困難であり,示唆もないから,長さが0.81mの場合に,水素水を過飽和の状態とし,かつ,これを安定に維持することができると認めることができない。
エ そうすると,過飽和の状態が安定に維持できると認めることができない数値範囲が含まれている本件特許発明1ないし4は,発明の詳細な説明に記載された,発明の課題を解決するための手段が反映されていないため,発明の詳細な説明に記載した範囲を超えて特許を請求するものであり,本件特許発明1ないし4に係る本件特許は,特許法36条6項1号の規定(サポート要件)に違反する。」

4.裁判所の判断(サポート要件充足)のポイント
「前記ア及びイを総合すると,当業者は,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び技術常識から,本件特許発明1の気体溶解装置は,水に水素を溶解させて水素水を生成し,取出口から吐出させる装置であって,気体を発生させる気体発生手段と,この気体を加圧して液体に溶解させる加圧型気体溶解手段と,気体を溶解している液体を導いて溶存及び貯留する溶存槽と,この液体が細管からなる管状路を流れることで降圧する降圧移送手段とを備え,降圧移送手段により取出口からの水素水の吐出動作による管状路内の圧力変動を防止し,管状路内に層流を形成させることに特徴がある装置であり,一方,必ずしも厳密な数値的な制御を行うことに特徴があるものではないと理解し,例えば,細管の内径(X)が1.0mmより大きく3.0mm以下で,かつ,細管の長さ(L)の値が0.8mより大きく1.4mより小さい数値範囲のときであっても,「細管の内径X及び水素水の流量の各値が同じである場合に水素濃度の値を高めるには,加圧型気体溶解手段の圧力Yの値を大きくすればよく,この場合に加圧型気体溶解手段の圧力Y及び細管の長さLの値をいずれも大きくして,水素濃度の値を高めるには,加圧型気体溶解手段の圧力Yの値の増加割合が細管の長さLの値の増加割合よりも大きくなるように各値を選択すればよいこと」(前記イ)を勘案し,細管からなる管状路内の水素水に層流を形成させるようX,Y及びLの値を選択することにより,「気体を過飽和の状態に液体へ溶解させ,かかる過飽和の状態を安定に維持」するという本件特許発明1の課題を解決できると認識できるものと認められる。
エ これに対し被告は,①当業者は,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び技術常識から,細管の長さの値が0.8mより大きく1.4mより小さい場合に,過飽和の状態を安定に維持するとの発明の課題を解決できると認識することはできないから,本件特許発明1は,サポート要件に適合しない,②過飽和の状態が維持される条件として,降圧移送手段の管状路(細管5a)の内径や長さのみならず,細管5aの材料,加圧型気体溶解手段3により加えられる圧力,水素発生量,水の流量等の条件は,過飽和の状態を安定に維持するという本件特許発明1の課題の解決に不可欠であるにもかかわらず,本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1にはそれらの条件が記載されていないため,当業者は,細管の内径X及び長さがそれぞれ本件特許発明1に規定された範囲内であれば,本件特許発明1の上記課題を解決できると認識することはできないから,この点からも,本件特許発明1は,サポート要件に適合しない旨主張する。
 しかしながら,前記ウ認定のとおり,本件特許発明1において細管の長さの値が0.8mより大きく1.4mより小さい場合においても,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び技術常識に基づいて,当業者が,本件特許発明1の課題を解決できると認識できるものと認められるから,被告の上記主張は,いずれも理由がない。」

2020年2月8日土曜日

明細書中の「課題」の記載が原因でサポート要件不充足と判断された事例

知財高裁令和元年11月11日判決
平成31年(行ケ)第10003号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は特許無効審判(サポート要件欠如による特許無効の審決)を不服とする原告(特許権者)が審決の取り消しを求めた訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は、サポート要件違反の無効審決に違法性はないと判断し、原告の請求を棄却した。
 争点は、請求項6等に係る本件発明が、明細書に記載の「発明が解決しようとする課題」を解決できると当業者が認識できるものであるか否かである。
 明細書に記載の解決課題と、実施例で確認されている効果との不整合、矛盾が原因でサポート要件違反と判断されている。

2.本件発明
 請求項6に係る発明(本件発明6)は以下の通りである。
「唾液又は少量の水により,口腔内で崩壊させて経口投与することを特徴とする口腔内崩壊錠であって,崩壊剤及び医薬組成物中の含有率が70~90質量%で炭酸ランタン又はその薬学的に許容される塩を含有し,前記崩壊剤が,クロスポビドンであり,前記クロスポビドンの医薬組成物中の含有率が5.6~12質量%であり,但し,崩壊剤がGRANFILLER-D(登録商標)から成る錠剤は除く,医薬組成物。」

3.裁判所の判断のポイント
「2 取消事由1(サポート要件違反についての判断の誤り)について
(1) 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。
(2)本件発明の課題
 前記1(2)にみたところに照らすと,本件発明の課題のひとつは,高い原薬含有率で,速やかな崩壊性,高い硬度及び低い摩損度を両立した炭酸ランタンの口腔内崩壊錠を提供することであると認められる。
 本件の取消事由1において問題とされているのはかかる課題についてであるので,以下,この課題に係るサポート要件違反の有無を検討する(以下,この課題を「本件課題」という。)。」
「(4)サポート要件適合性について
 原告が本件発明の実施例であると主張する実施例4においては,錠剤硬度117N,摩損度0.4パーセント(7/12)(ただし,括弧内は明らかなひび・割れ・欠けの個数/試験数),崩壊時間39秒(日局(補助盤なし)),7秒(日局(補助盤あり)),40秒(口腔内(静的))であったことが記載されている。
 他方,本件明細書の実施例の摩損度の評価は,錠剤の摩損度試験法(日局参考情報)に従って行われるとされているところ(【0062】),日本薬局方参考情報(乙1)によれば,錠剤の摩損度試験法においては,明らかにひび,割れ,欠けが見られる錠剤があるときはその試料は不適合であるとされている。
 そうすると,「明らかなひび・割れ・欠け」の個数が12錠中7錠であり,摩損度が0.4%とする実施例4の摩損度の評価の記載を,日本薬局方参考情報における錠剤の摩損度試験法で「明らかなひび・割れ・欠け」が見られる錠剤があるときはその試料は不適合であるとされていることとの関係で一義的に整合するように理解することができない。そして,本件明細書には「明らかなひび・割れ・欠け」の個数が12錠中7錠である実施例4の場合に,どのような方法で摩損度を測定した結果0.4%という数値を得たのかに関する説明はなく,この点についての当業者の技術常識を示す的確な証拠もない。
 以上によれば,当業者は,本件明細書の実施例4の記載から,当該実施例において低い摩損度を含む本件課題が実現されていることを理解することができないし,本件明細書のその余の部分にも,本件発明が,「高い原薬含有率で,速やかな崩壊性,高い硬度及び低い摩損度を両立した炭酸ランタンの口腔内崩壊錠を提供する」という本件課題を解決できることを示唆する記載はなく,この点に関する技術常識を示す的確な証拠もない。
 したがって,本件発明について,本件明細書に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであり,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるということができないから,本件発明がサポート要件に適合するものということはできない。
(5)原告の主張について
・・・・
原告は,本件特許出願時において,打錠圧を上げることによって「明らかなひび・割れ・欠け」の解消が可能であることや,予圧をすることによって「明らかなひび・割れ・欠け」の解消が可能であることが技術常識であったとして,このような技術常識に照らせば,本件発明は本件発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであることを主張する。
 しかしながら,本件課題は,「高い原薬含有率で,速やかな崩壊性,高い硬度及び低い摩損度を両立した炭酸ランタンの口腔内崩壊錠を提供する」というものであるところ,甲41~44,54,69~74(枝番を含む。)には,本件発明の口腔内崩壊錠について,打錠圧を上げ,あるいは,予圧をすることによって,「速やかな崩壊性,高い硬度及び低い摩損度を両立」することができることを示すものではない。本件発明の構成について,打錠圧を上げ,あるいは,予圧をすることによって本件課題を解決することができるとの技術常識があるとは認められない。
 そして,かかる技術常識が存在しない以上,それを裏付ける実験データ(甲45,53)を考慮することはできない。
 なお,本件明細書には,「適切な硬度が得られる打錠圧で所定の質量の錠剤を製造する。」(【0059】)と記載されているものの,「ひび・割れ・欠け」の解消との関係で,打錠圧の調整をすべきことについては記載がなく,当業者に対し,課題解決への示唆があるとも認められない。
オ 以上のとおりであるから,原告の主張はいずれも採用できない。」