2019年4月21日日曜日

機能的クレームの技術的範囲が侵害訴訟で限定的でなく広く解釈された事例

東京地裁平成31年1月17日判決

平成29年(ワ)第16468号 特許権侵害差止請求事件



1.概要

 本事例はモノクローナル抗体とそれを含む医薬組成物を対象とする特許権の特許権者(原告)による被告製品の差止を求めた特許権侵害訴訟の東京地裁判決である。

 本事例の「本件発明1」では、プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対するモノクローナル抗体が、「(1A)PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,(1B’)PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する」という結合特性により特定されている。本件発明1の抗体は、実施例で記載の、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和するPCSK9に対するモノクローナル抗体「21B12」を拡張したものであり、参照抗体21B12がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,参照抗体21B12とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体に該当する。「本件発明2」の抗体も同様に、別の参照抗体31H4と同等の結合特性を有する抗体に該当する。

 争点は、被告製品が特許発明の技術的範囲に属するか否か、特許発明のサポート要件充足性、特許発明の実施可能要件充足性等である。

 被告は、抗原との結合特性が機能的に特定された抗体発明の技術的範囲は限定的に解釈すべきであり、実施例に記載の抗体、及び、それにアミノ酸配列が近い抗体に限られ、被告製品は技術的範囲に属しないと主張した。しかし、東京地裁はこの主張を認めず、被告製品の抗体は、結合特性に関する構成を満たす以上は技術的範囲に含まれると結論付けた。東京地裁はまた、サポート要件違反及び実施可能要件違反もないと判断した。

 本事例では、「本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。」ことが、技術的範囲を限定解釈が適用されない根拠とされている。

 なお、東京地裁は、2018年(平成30)年3月28日判決平成28年(ワ)第11475号において、機能的に特定された抗体の権利範囲を限定的に解釈した(本ブログ2019年2月17日記事参照)。この2018年判決では、「特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。ただし,このことは,特許発明の技術的範囲を具体的な実施例に限定するものではなく,明細書及び図面の記載から当業者が実施し得る構成であれば,その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。」と判示している。

 本事例(2019年判決)では、本件参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体が、明細書等の記載から当業者が実施し得るという前提のもと、技術的範囲を広く解釈しており、2018年判決とも矛盾しないようにも思える。しかし、本事例(2019年判決)において、本件特許明細書には、被告製品の抗体と同じアミノ酸配列からなる抗体が実施例で記載されているわけではなく、被告製品の抗体と同じアミノ酸配からなる抗体を製造するための手順も記載されていない。本事例では「被告製品が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えは「いいえ」であるから、特許明細書に実施できるように記載されていない被告製品は技術的範囲に含まれないと結論するのが2018年判決とも矛盾せず適切ではなかったかと思われる。本事例は「特許発明が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えが「はい」であることのみを以って被告製品が特許発明の技術的範囲に属すると結論づけていることに問題があるのではないか。
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2.本件発明

ア 本件特許1

 訂正後の本件特許1の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明1-1」という。)は,次のとおり分説することができる。

1A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

1B’PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

1C 単離されたモノクローナル抗体。

 訂正後の本件特許1の請求項9記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明1-2」といい,本件訂正発明1-1と併せて「本件訂正発明1」という。)は,上記構成要件1A,1B’,1Cのほか,次のとおり分説することができる。

1D を含む,医薬組成物。



イ 本件特許2

 訂正後の本件特許2の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明2-1」という。5 )は,次のとおり分説することができる。

2A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

2B’PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

2C 単離されたモノクローナル抗体。

 本件特許2の請求項5記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明2-2」といい,本件訂正発明2-1と併せて「本件訂正発明2という。)は,上記構成要件2A,2B’,2Cのほか,次のとおり分説することができる。

2D を含む,医薬組成物。



 本件訂正発明1の構成要件1B’は,本件明細書1で21B12抗体と呼ばれる抗体(以下「21B12参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである。

 本件訂正発明2の構成要件2B’は,本件明細書2で31H4抗体と呼ばれる抗体(以下「31H4参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである



3.裁判所の判断

「前記の本件各明細書の記載によれば,21B12参照抗体及び31H4参照抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であるところ,本件各発明は,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,21B12参照抗体(本件発明1)又は31H4参照抗体(本件発明2)と競合する単離されたモノクローナル抗体又はそれを含む医薬組成物が,PCSK9とLDLRの結合を中和してLDLRの量を増加させることによって,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し,また,この効果により,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療又は予防することを目的とするものであると認められる。



2 争点(1)(被告製品及び被告モノクローナル抗体は本件各発明の技術的範囲に属するか)について

(1)

 被告は,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲は,本件各明細書にアミノ酸配列が記載された具体的な抗体(本件発明1及び本件訂正発明1について別紙表Aの各抗体,本件発明2及び本件訂正発明2について別紙表Bの各抗体)又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られると主張する。そして,本件各発明の技術的範囲に含まれる抗体又は医薬組成物は,上記抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体又はそれを含む医薬組成物に限定されるところ,被告モノクローナル抗体のアミノ酸配列は,上記各抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列とは全く異なるものであるから,被告モノクローナル抗体及び被告製品はいずれも本件各発明の技術的範囲に属しないと主張する。

(2)

 本件各明細書には,21B12参照抗体や31H4参照抗体及びこれらの参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体並びにその取得方法等について,以下の記載がある。

・・・

上記のスクリーニング等によって,PCSK9に対する抗体の最も高い力価を有するハイブリドーマが同定され,表2に記載される32の抗体が得られた。32の抗体のうち,27B2,13H1,13B5及び3C4は非PCSK9-LDLR結合中和抗体,3B6,9C9及び31A4は15 弱いPCSK9-LDLR結合中和抗体,その他(21B12参照抗体及び31H4参照抗体を含む。)は,強いPCSK9-LDLR結合中和抗体である(段落【0138】【0336】)。この32の抗体に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が1個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が7個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が1個

である(段落【0373】【0374】【0494】)。そして,上記ビン1の抗体19個とビン3の抗体7個は,いずれもPCSK9-LDLR結合中和抗体である。

また,上記カとは別の組(合計39抗体)に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が3個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が10個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が2個である。そして,ビン1に属する抗体のうち16個,ビン2に属する抗体のうち2個及びビン3に属する抗体のうち7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体を除く少なくとも22個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが確認されている(段落【0138】【0489】~【0495】)。

(3)

 前記(2)のとおり、本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。

 そうすると,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が,本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られるとはいえない。したがって,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が本権各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定のアミノ酸の1もしくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られることを前提として,本件各発明の技術的範囲が本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限定されるとの被告の主張は採用することができない。

(4)

 また,被告は,①本件各明細書では,本件参照抗体と競合する抗体であれば,PCSK9とLDLRの結合を中和することができるという技術思想を読み取ることはできない,②本件各明細書の実施例に記載された3グループないし2グループの抗体のみによって,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体全てがPCSK9-LDLR5 結合中和抗体であるとはいえず,本件各明細書には,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張する。

 しかしながら,前記のとおり,本件各明細書には,本件参照抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であること,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,本件参照抗体と競合する抗体は,本件参照抗体と類似した機能的特性を有すると予想されることが記載されている。そして,前記のとおりのスクリーニング等によって得られた本件各明細書の表2記載の30の抗体(21B12参照抗体と31H4参照抗体を除く。)のうち,24の抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であり,かつ,本件参照抗体と競合する抗体であること,表37.1.のビン1(21B12参照抗体と競合し,31H4参照抗体と競合しない抗体)に属する19の抗体のうち16個,ビン2(21B12参照抗体とも,31H4参照抗体とも競合する抗体)に属する抗体のうち2個及びビン3(31H4参照抗体と競合し,21B12参照抗体と競合しない抗体)に属する10の抗体のうちの7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体並びに21B12参照抗体及び31H4参照抗体を除く少なくとも20個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが記載されている。そうすると,本件各明細書には,特定のスクリーニング等を経て得られた抗体のうち,本件参照抗体と競合する複数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが示されているといえる。

 なお,この点に関係し,被告は,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張するが,本件各明細書に記載された抗体以外に,本件参照抗体と競合するがPCSK9-LDLR結合中和抗体ではない具体的な抗体が示されているものではなく,また,本件参照抗体と競合する抗体中,PCSK9-LDLR結合中和抗体でないものの割合が大きいことも明らかではない。

 さらに,被告は,本件参照抗体と競合する抗体は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であるとは限らないとも主張する。しかし,本件各発明は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であることを構成要件とするものであるから(構成要件1A,2A),上記のような例外的な抗体は本件各発明の技術的範囲に含まれない。

(5)

 証拠(甲5,7の1,2,甲8~10)及び弁論の全趣旨によれば,本件各発明について,被告が主張する限定的な解釈を採らない限り,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の各構成要件を全て充足し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の各構成要件を全て充足すると認められるから,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の技術的範囲に属し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の技術的範囲に属すると認められる。・・・



争点-ア(サポート要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各明細書で開示された抗体以外にも,本件参照抗体と競合し,PCSK9とLDLRとの結合を中和する様々なPCSK9-LDLR結合中和抗体を得ることができると認識することができる。

 また,本件各明細書の高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得ることの記載(段落【0155】【0270】【0271】【0276】)から,当業者は,本件発明1-1,本件発明2-1の各抗体を医薬組成物として使用できることを認識することができる。

 したがって,本件発明1及び2は,いずれもサポート要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれもサポート要件に違反するとはいえない。



争点-イ(実施可能要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各発明の抗体及び医薬組成物を作製し,使用することができるものと認められるから,本件各明細書は,当業者が本件各発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載したものであるといえ,本件発明1及び2は,いずれも実施可能要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれも実施可能要件に違反するとはいえない。」