2018年4月14日土曜日

引用文献の再現実験結果が、公知技術の証拠として考慮されなかった事例


 
知財高裁平成30年3月12日判決

平成29年(行ケ)第10041号/平成29年(行ケ)第10042号審決取消請求事件

 
1.概要

 本裁判例は、無効審判審決(請求項1等に係る発明が無効との審決)に対する審決取消訴訟において、知財高裁が審決を取り消した事例である。

 熱間プレス部材に関する本件発明1を特定する特性が、引用文献には記載されていないが、引用文献を再現した再現実験において同じ特性を有する熱間プレス部材が得られた。審決では、再現実験が証拠として考慮されて、前記特性は、引用文献に内在的に開示されていると判断された。一方、知財高裁は、再現実験が優先日後に行われたものであり、前記特性を優先日前に当業者が「認識」できたものではないことから、前記特性は公知技術ではないと判断した。

 引用発明が潜在的に備える構成が公知技術と言えるか否かの判断の際に参考になる事例として紹介する。

 
2.本件発明1(請求項1に記載の発明)

「質量%で,C:0.15~0.5%,Si:0.05~2.0%,Mn:0.5~3%,P:0.1%以下,S:0.05%以下,Al:0.1%以下,N:0.01%以下を含有し,残部がFeおよび不可避的不純物からなる成分組成を有する部材を構成する鋼板の表層に,Ni拡散領域が存在し,前記Ni拡散領域上に,順に,Zn-Ni合金の平衡状態図に存在するγ相に相当する金属間化合物層,およびZnO層を有し,かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであり,優れた塗装密着性と塗装後耐食性を有するとともに,腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制されることを特徴とする熱間プレス部材。」

 
3.引用発明との一致点、相違点

 本件発明1と引用発明との一致点及び相違点

() 一致点

「C:0.2%(判決注:「質量%で,C:0.2%」の誤記と認める。),Si:0.3%,Mn:1.3%,P:0.01%,S:0.002%,Al:0.05%,N:0.004%,Fe及び不可避的不純物を含有する成分組成を有する部材を構成する鋼板の表層にZnO層を有し,塗膜密着性(判決注:「塗装密着性」の誤記と認める。)と塗装後耐食性を有する熱間プレス部材。」である点。

() 相違点

相違点(1)

 部材を構成する鋼板が,引用発明では「Ti:0.02%を含有」するのに対し,本件発明1では,Tiを含有しない点。

相違点(2)

 本件発明1では,「部材を構成する鋼板の表層に,Ni拡散領域が存在し,前記Ni拡散領域上に,順に,Zn-Ni合金の平衡状態図に存在するγ相に相当する金属間化合物層,およびZnO層を有し,かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVである」のに対し,引用発明では,それが明らかではない点。

相違点(3)

 本件発明1では,「優れた塗装密着性と塗装後耐食性を有するとともに,腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制される」のに対し,引用発明では,「塗装密着性と塗装後耐食性を有する」ものの,「腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制される」ことについては明らかではない点。

 
4.無効審判請求人が提出した再現実験(甲2)

 引用例1には,引用発明において,相違点⑵に係る鋼板の表面構造が生成することは明記されていない。

 しかし,前記⑴ウのとおり,Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合,Ni拡散領域,γ相,ZnO層が,下から上にこの順番で形成され,そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有することは,当業者の技術常識に基づいて容易に予測されるものである。そして,以下のとおり,甲2による引用発明の再現実験により,この表面構造が生成することが確認されている。

 甲2は,引用発明に係る亜鉛-12%ニッケル合金電気めっき鋼板につき,その再現実験として,引用例1の【表1】及び【表5】に記載される鋼種Aの化学成分を狙い値として製造された鋼種(鋼種A)に対し,鋼板表面の皮膜状態の構造の調査を行った結果の報告書である。また,同報告書には,鋼種Aに近い成分にCr,Bを加えて製造した鋼種Xについての実験結果も記載されている。甲2によれば,引用例1の再現実験に相当するもの及びそこから鋼板の鋼種,めっき中のNi含有量等の条件を変更した合計16の試料において,鋼板表面の皮膜状態の構造について,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有し,かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが確認される。また,これらの結果から,下地鋼板の成分組成の若干の相違(鋼種Aと鋼種X程度の相違)が,熱間プレス後の鋼板表面の構造に影響していないことも分かる。

 

5.相違点(2)に関する審決の判断

 甲2号証の調査報告書によれば、表9、表10において、鋼種Aに近い成分にCr:0.21%、B:0.0016%を添加した鋼種X(B3-B10)の場合においても、本件請求項1、4及び5に記載される鋼板の表層についての表面構造を有していることが確認できる。

 したがって、甲1発明において、上記のとおり、Cr:0.1~0.48%、B:0.0005~0.0016%のうちから選ばれた少なくとも一種のCr、Bを添加した場合においても、本件請求項1、4及び5に記載される鋼板の表層についての表面構造を有しているといえる。

 そうすると、該相違点は実質的なものとはいえない。

 
6.相違点(2)に関する裁判所の判断

「引用例1には,引用発明が相違点(2)に係る構成,すなわち,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを示す記載はなく,このことを示唆する記載もない。」

「本件優先日以前に頒布された刊行物である前記()()及び()記載の文献には,Zn-Niめっき鋼板の熱間プレス部材の表面構造に関する記載はない。したがって,これらの記載から,熱間プレス部材である引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが技術常識であったと認めることはできない。また,本件特許の優先日時点の当業者において,技術常識に基づき,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを認識することができたものとも認められない。

よって,相違点(2)は実質的な相違点ではないとはいえないし,相違点(2)につき,引用発明及び技術常識に基づいて当業者が容易に想到できたものということもできない。」

「エ 原告の主張について

 原告は,Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合,Ni拡散領域,γ相,ZnO層が,下から上にこの順番で形成され,そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有することは,当業者の技術常識に基づいて容易に予測されるものであり,甲2による引用発明の再現実験により,確かにこの表面構造が生成することが確認されている旨主張する。

 しかし,前記アにおいて認定したことに照らすと,当業者が,本件特許の優先日時点において,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを引用発明が本来有する特性として把握していたと認めることはできない。

 また,甲2は,引用発明に係る亜鉛-12%ニッケル合金電気めっき鋼板につき,引用例1の【表1】及び【表5】に記載される鋼種Aの化学成分を狙い値として製造された鋼種(鋼種A)に対し,鋼板表面の皮膜状態の構造の調査を行った原告従業員作成の実験結果の報告書であるところ,甲2(表9,10)には,16個のうち6個の試料(A1~A4,B1,B11)について,その鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが確認されたことが記載されている。

 しかし,甲2の記載は,あくまで,原告が本件各発明を認識した上で本件特許の優先日後に行った実験の結果を示すものであり,本件特許の優先日時点において,当業者が,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が上記のとおりであることを認識できたことを裏付けるものとはいえない。」