2018年3月11日日曜日

発明の効果を立証するための実験結果が客観的な評価結果でないとされ進歩性が否定された事例


知財高裁平成30年2月20日判決
平成29年(行ケ)第10063号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、被告が有する特許権に対する無効審判において進歩性ありと判断した審決に対する審決取消訴訟において、進歩性が否定され審決が取り消された知財高裁判決である。
 被告(特許権者)が審判段階で提出した実験(被告実験)の結果は「恣意的な評価を排除するために必要な明確な判定基準に基づくものであるとはいい難」く、本件特許権に係る本件発明1の効果を「客観的に示すものということはできない」と判断された。
 本件と同様に、進歩性の判断において、効果を裏付ける実験結果が、恣意的な要因が排除されておらず客観性を有するものとは言えない、と判断され、進歩性が否定された最近の事例として、知財高裁平成29年6月8日判決平成28年(行ケ)第10147号 審決取消請求事件(トマト含有飲料事件)がある。

2.本件発明1
「無鉛系はんだ粉末,ロジン系樹脂,活性剤及び溶剤を含有するソルダペースト組成物において,分子量が少なくとも500であるヒンダードフェノール系化合物からなる酸化防止剤を含有するソルダペースト組成物。」

3.甲1発明
「はんだ粉,天然及び合成樹脂,活性剤,溶剤,及び分子内に第3ブチル基のついたフェノール骨格を含む酸化防止剤を含有するクリームはんだであって,
上記天然及び合成樹脂は水素添加ロジンであり
上記活性剤はシクロヘキシルアミンアジピン酸塩であり,
上記溶剤はブチルカルビトール及びプロピレングリコールモノフェニルエーテルであり,
上記分子内に第3ブチル基のついたフェノール骨格を含む酸化防止剤は,n-オクタデシル-3-(3,5-ジ-tert-ブチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネートである,
クリームはんだ。」

4.本件発明1との対比
(ア) 一致点
はんだ粉末,ロジン系樹脂,活性剤及び溶剤を含有するソルダペースト組成物において,分子量が少なくとも500であるヒンダードフェノール系化合物からなる酸化防止剤を含有するソルダペースト組成物。
(イ)相違点1
「はんだ粉末」が,本件発明1では「無鉛系」であるのに対し,甲1発明でははんだ粉末の金属組成が特定されておらず,「無鉛系」であるか不明である点。

5.審決の判断(進歩性肯定)
(ア)甲1文献記載の「通常の共晶はんだ」は,同文献に係る特許出願当時に標準的に使用されていた錫-鉛共晶はんだを意味する。また,同文献記載の「ビスマス入り」及び「銀入り」のはんだ粉末を含有するクリームはんだが鉛フリーのはんだを意味しているということはできない。
 したがって,甲1文献の「通常の共晶はんだ」,「ビスマス入り」及び「銀入り」なる記載は,いずれも鉛フリーはんだを意味するとは認められず,相違点1は本件発明1と甲1発明の実質的な相違点である。
(イ)本件特許の出願時における技術潮流を踏まえると,その当時の当業者は,鉛入りはんだの鉛フリーはんだへの置き換えを常に念頭に置いていたと考えられ,そのような当業者にとって,甲1発明を鉛フリー化しようとすることはごく自然なことであり,その際に,鉛入りはんだのフラックスはそのままで,はんだ粉のみを無鉛系はんだ粉末に置き換えることは,容易に想到し得る。
(ウ)本件明細書の記載によれば,本件発明1は,高温のリフロー時においても無鉛系はんだ粉末及びフラックス膜の熱劣化を防止することができ,はんだ付け性の特性が低下しないという効果を奏するものであると認められ,このような効果は当業者であっても予測することのできないものであるから,本件発明1は,当業者が予測できない格別の効果を奏するものである。
(エ)以上より,甲1発明は,相違点1の点で本件発明1と相違しており,本件発明1は甲1発明であるとはいえない。
 また,甲1発明において,相違点1に係る本件発明1の特定事項とすることは,当業者が容易に想到し得ることであるが,本件発明1は当業者が予測することのできない格別の効果を奏するものである。したがって,本件発明1は,甲1発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものではない。

6.裁判所の判断のポイント(進歩性否定)
「また,本件発明1においては,酸化防止剤の分子量が少なくとも500であるとの限定を有するが,以下のとおり,このような限定を付すことによって格別の効果が得られたことを裏付けるに足りる証拠はないから,本件発明1の効果は,甲1文献及び本件特許出願当時の技術常識から当業者にとって予測し得ない格別顕著なものであるとは認められない。
 すなわち,本件明細書には,ヒンダードフェノール系酸化防止剤として,トリエチレングリコール-ビス〔3-(3-t-ブチル-5-メチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕を含む実施例1及び1,6-ヘキサンジオール-ビス-〔3-(3,5-ジ-t-ブチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕を含む実施例2と,酸化防止剤を含まない比較例についてのリフロー試験を行い,実施例1及び2は,プリヒート温度が150℃の場合にもはんだ付け性は良好であるが,同温度が200℃の場合には特に優れ,その他の性能も劣るものはないと記載されている(表1,【0017】)。具体的には,表1には,プリヒート温度が200℃,120秒の場合の評価は,実施例1が5,実施例2が4であったのに対し,比較例は1とされている。この結果から,ヒンダードフェノール系酸化防止剤として,トリエチレングリコール-ビス〔3-(3-t-ブチル-5-メチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕又は1,6-ヘキサンジオール-ビス-〔3-(3,5-ジ-t-ブチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕を含む本件発明1のソルダペーストは,酸化防止剤を含まないソルダペーストとの比較においては,はんだ付け性に優れるということはできる。
 しかし,本件明細書には,ヒンダードフェノール系化合物からなる酸化防止剤として,分子量が500未満であるものを含むソルダペーストと本件発明1のソルダペーストを比較した試験は記載されていない。そうである以上,本件明細書の記載から,本件発明1は,分子量が少なくとも500であるヒンダードフェノール系化合物からなる酸化防止剤を含むことにより,甲1発明に対して顕著な効果を奏するということはできない。
 加えて,本件明細書には,本件発明1でヒンダードフェノール系化合物の分子量を少なくとも500とすることについて,「ヒンダードフェノール系化合物としては,特に限定されないが,…分子量500以上のものが,熱安定性が優れるという理由で,特に好ましい。」(本件明細書【0010】)というように,熱安定性に優れるとの記載はあるものの,ヒンダードフェノール系化合物の分子量が500未満である場合と比較して,リフロー特性に優れるソルダペースト組成物が得られることについては何ら記載されていない。
 そうである以上,本件発明1における酸化防止剤の分子量に臨界的意義があるということはできない。
被告実験について
() 被告は,被告実験において,それぞれ分子量500未満の酸化防止剤である2,6-ジ-t-ブチル-p-クレゾールないし2,2’-メチレンビス-(4-メチル-6-t-ブチルフェノール)を含むフラックスB,Cと,それぞれ500より大きい分子量の酸化防止剤であるトリエチレングリコール-ビス〔3-(3-t-ブチル-5-メチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕ないし1,6-ヘキサンジオール-ビス-〔3-(3,5-ジ-t-ブチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕を含むフラックスD,Eを用いてソルダペーストを作製し,リフロー試験によって,はんだの溶融状態を評価した結果により,500より大きい分子量の酸化防止剤を含むフラックスD及びEの方が,分子量500未満の酸化防止剤を含むフラックスB及びCよりも未溶融率の低いソルダペーストを与えることが証明されている旨主張する。
() しかし,以下のとおり,被告実験からは,500より大きい分子量の酸化防止剤を含むフラックスの方が,分子量500未満の酸化防止剤を含むフラックスよりも,未溶融率の低いソルダペーストを与えるということはできない。
 証拠(甲110)によれば,被告実験は,次のようなものであったことが認められる。すなわち,フラックスA:110gとはんだ粉末1:890g(Sn/Ag/Cu=96.5/3/0.5,平均粒子径27μm)をプラネタリーミキサーに入れて攪拌混合後,粘度を230Pa・s(測定温度25℃)になるようにヘキシルジグリコールを添加することにより調整したソルダペースト1,フラックスA:110gとはんだ粉末2:890g(Sn/Ag/Cu=96.5/3/0.5,平均粒子径32μm)を用いてソルダペースト1と同様に作成したソルダペースト2,ソルダペースト1,2のフラックスAに換えて,フラックスB~Eを用いて作製したソルダペースト3~10それぞれについて,リフロー試験である実験例1~10を行った。また,実験例1~10においては,基板に設けられた直径φ0.30mm,φ0.35mm,φ0.40mmの銅箔パッド上にメタルマスクを用いてソルダペースト1~10をスクリーン印刷した試験基板を,各ソルダペーストに2枚ずつ用意し,予備加熱時間が120秒,予備加熱終了後はんだの溶融温度に達した後の加熱時間が30秒,ピーク温度が240℃でリフロー試験を行い,1枚の基板について3種類の直径ごとに100個設けられた個々の銅箔パッドにおけるはんだの溶融状態を光学顕微鏡で観察し,溶融又は未溶融の判定を行い,その結果から算出した溶融率によって評価した。
 溶融・未溶融の判定基準は,「溶融」は「はんだ表面にはんだ粉末が無く1つになる。」,「未溶融」は「はんだ粉末が一つにならない。」又は「はんだ表面にわずかだが粉末が残っている。」との基準が(表3),また,その基準では判定がつかない場合の基準として,「溶融」は「はんだ表面にはんだ粉末が存在せず,全体が1つのドーム状になる。」又は「はんだ表面にはんだ粉末が1~3個程度分散して存在する。」,「未溶融」は「はんだ表面に光沢がなく,粉末が一つにならない。」,「はんだ表面の光沢が少なく,側面に5~6個以上の粉末が残っている。」,「はんだ表面全体にやや光沢が見られるが,表面に5~6個以上の粉末が分散して残っている。」,「はんだ表面の一部に光沢が見られるが,表面に5~6個以上の粉末が凝集している。」又は「はんだ表面のほぼ全体に光沢が見られるが,表面に5~6個以上の粉末が残っている。」との基準が示されている(表4)。被告実験における溶融・未溶融の判定基準に関する記載は,この表3及び表4の記載のみである。
 しかし,この評価方法は,結果がまず溶融又は未溶融に2値化された上で未溶融率を算出するため,溶融又は未溶融の判定基準の取り方次第で,実際には残っているはんだ粉末の個数にほとんど差がないパッドでも,最初の判定次第で溶融と未溶融のいずれかに峻別されることとなり,結果として未溶融と判定されるパッドの個数につき判定者の主観による変動が生じ得る方法ということができる。その上,当該判定基準は,はんだ粉末が1~3個程度では「溶融」と判定され,はんだ粉末が5個以上残っていると「未溶融」と判定されることは理解できるものの,加熱後に残っているはんだ粉末が4個の場合はそのいずれと判定されるのか不明である。こうした点を考慮すると,被告実験により示された結果は,恣意的な評価を排除するために必要な明確な判定基準に基づくものであるとはいい難い。そうである以上,被告実験の結果は,フラックスD及びEを用いて作製されたソルダペーストは,フラックスB及びCを用いて作製されたソルダペーストと比較して,リフロー特性に優れるものであることを客観的に示すものということはできない。」