2018年1月28日日曜日

新規化合物の有用性を裏付ける実験データの必要性、補正新規事項追加について争われた事例

知財高裁平成30年1月22日判決
平成29年(行ケ)第10007号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、被告が有する特許権に対する原告による無効審判請求が成り立たない(権利有効)とする無効審判審決を不服とする審決取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は無効審決を取り消す理由はないと結論付けた。
 対象となる被告の特許の請求項1等には、除草剤として有用な新規化合物(2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩)が用途発明ではなく新規化合物自体として記載されていた。明細書の発明の詳細な説明には、除草剤としての有用性を確認した実験結果は記載されていない。無効審判の手続きにおいて被告(特許権者)は、マーカッシュクレーム形式で記載されていた官能基の選択肢の範囲を狭く限定する訂正を行っている。
 争われた審決取り消し理由:
(取消理由1)マーカッシュクレームにおいて一部の選択肢を削除して限定することが新規事項追加に該当するか?
(取消理由2)請求項記載の新規化合物の除草剤としての効果を確認した実験結果が記載されていないにもかかわらず、除草剤として「使用できる」ように記載され実施可能要件を満たすと言えるか?
(取消理由3)請求項記載の新規化合物の除草剤としての効果を確認した実験結果が記載されていないにもかかわらず、サポート要件を充足するか?

2.本件発明
2.1.訂正前の請求項1
「式Ⅰa
(略)

[但し,R1が,ニトロ,ハロゲン,シアノ,チオシアナト,C1~C6アルキル,C1~C6ハロアルキル,C1~C6アルコキシC1~C6アルキル,C2~C6アルケニル,C2~C6アルキニル,-OR3又は-S(O)nR3を表し,
R2が,水素,又はハロゲン以外のR1で述べた基の1個を表し,
R3が・・・・
nが1又は2を表し,
Qが・・・,
X1が酸素により中断された,エチレン,プロピレン,プロぺニレンまたはプロピニレン鎖,或いは-CH2O-を表し,
Hetが,

 窒素,酸素及び硫黄から選択される1~3個のヘテロ原子を有する,3~6員の部分飽和若しくは完全飽和ヘテロシクリル基,又は
 下記の3個の群:窒素,酸素と少なくとも1個の窒素との組み合わせ,又は硫黄と少なくとも1個の窒素との組み合わせから選択されるヘテロ原子を3個まで有する,3~6員のヘテロ芳香族基,を表し,且つ上述のヘテロシクリル基又はヘテロ芳香族基は,部分的に又は完全にハロゲン化されていても,及び/又はR5で置換されていても良く,
R5が・・・]
で表される2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩。」

2.2.訂正後の請求項1(下線部が訂正箇所)
「式Ⅰa

(略)
[但し,R1が,ハロゲンを表し,
R2が,S(O)nR3を表し,

R3が・・・・
nが1又は2を表し,
Qが・・・,
X1が酸素により中断されたエチレン鎖または-CH2O-を表し,
Hetが,
オキシラニル,2-オキセタニル,3-オキセタニル,2-テトラヒドロフラニル,3-テトラヒドロフラニル,2-テトラヒドロチエニル,2-ピロリジニル,2-テトラヒドロピラニル,2-ピロリル,5-イソオキサゾリル,2-オキサゾリル,5-オキサゾリル,2-チアゾリル,2-ピリジニル,1-メチル-5-ピラゾリル,1-ピラゾリル,3,5-ジメチル-1-ピラゾリル,または4-クロロ-1-ピラゾリルを表す
で表される2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩。」

3.取消理由1(本件訂正の可否)について
3.1.本訂正の可否についての原告の主張
(1) マ-カッシュ・クレ-ムの補正に関する審査基準によれば,補正により選択肢を削除して特定の選択肢の組合せを請求項に残すことによって,新たな技術的事項を導入することとなる場合があるから,補正後の選択肢が当初明細書等の記載の範囲にあるからといって当該補正が許容されるわけではない。訂正についても同様である。
(2) 請求項1に係る本件訂正は認められない。請求項1に係る本件訂正は,Hetにつき「18個の選択肢」に限定するものであるが,本件明細書の【0061】,表A及び表37によっては,Hetに関する「18個の選択肢」は把握できないし,X1が「酸素により中断されたエチレン鎖または-CH2O-」を表す場合に,Hetが「18個の選択肢」であると把握することはできない。審決の予告を受けて,特定のX1とHetの組合せを選択したという本件訂正に至る経緯(甲90,91)を考慮しても,本件審決の「Hetが(【0061】記載の)12個である場合に式Ⅰaの,Het以外の置換基や部分構造が特定のものに限られるというものでもない」とした認定は誤りである。特許請求の範囲の減縮だからといって,新規事項の追加でないとはいえない。
(3) 本件訂正は,本件明細書の方法Cにより生産できないものを含んでいた本件発明の広範なX1とHetの組合せの中から,上記方法Cにより適宜生産できると被告が主張し得る範囲のX1とHetの特定の組合せを任意に残したものである。そして,本件訂正後のX1とHetの組合せであれば方法Cにより生産できることが本件明細書に開示ないし示唆されているとはいえないから,この点からも,本件訂正後のX1とHetの特定の組合せを任意に選択することは,新規な技術的事項を追加するものである。」

3,2.本件訂正の可否についての裁判所の判断
(1) 本件訂正は,審決の予告(甲90)において実施可能要件に係る記載不備が指摘されたことに対して,明細書に明示的に記載されていた置換基X1及びHetの選択肢(【0061】,表A及び表37)を,CAS REGISTRY物質レコード(甲69)に示されていることから入手できることが確認された原料物質より合成される化学物質に限定したものである。すなわち,本件訂正発明は,本件発明のR1を1種類(ハロゲン),R2を1種類(-S(O)nR3),X1を2種類(酸素により中断されたエチレン鎖又は-CH2O-),Hetをヘテロシクリル基及びヘテロ芳香族基(ヘテロアリール)のうちの本件明細書に挙げられている多数の物質の中から18種類又は15種類の化合物に限定したものである。そして,本件訂正後の化学物質群は,いずれも本件訂正前の請求項に記載された各選択肢に内包されていることが明らかである。したがって,本件訂正は,特許請求の範囲を減縮するものである。
 また,訂正後の化学物質群は,訂正前の基本骨格(シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造。本件共通構造)を共通して有するものである。加えて,訂正後の化学物質群について,訂正前の化学物質群に比して顕著な作用効果を奏するとも認め難い。そうすると,選択肢を削除することによって,本件明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものではない。
 このように,本件訂正は,特許請求の範囲の減縮を目的とし,また,本件明細書に開示された技術的事項に新たな技術的事項を導入するものでないから,本件明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項の範囲内である。
 したがって,本件訂正は,特許法134条の2第9項が準用する126条5項の規定に違反しない。」

4.取消理由2(実施可能要件に係る判断の誤り)について
4.1.実施可能要件についての原告の主張
(2) 化合物を使用できることについて
ア 本件明細書には,化学物質の施与率が非常に広範な数値範囲で示されているだけであり(【0129】),「使用実施例」などとして,除草作用の検証方法の概要が示されているにすぎず(【0136】~【0140】),本件明細書には,実際に試験を行った結果は,何ら記載されていない。そうであるにもかかわらず,本件審決が,常法に従い除草のために施用できることは明らかであり,施用すれば,常法に従い除草特性を確認することができることは明らかであるとして,実施可能要件を満たすとした判断は誤りである。
イ 化学物質発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識するところである。化学物質の発明の有用性を知るには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを要する。
 仮に,当業者が「常法に従い除草特性を確認」したとしても,本件明細書にはいかなる実験結果も記載されていないのであるから,当該化学物質を使用するためには,当業者に通常期待し得る程度を超える試行錯誤が要求されるというべきである。
ウ ①甲99の「化学物質番号55」は本件共通構造を有するにもかかわらず,本件訂正明細書に記載の施与量の上限の約1.5倍(4.48kg/ha)で試験されたどの雑草にも除草効果を示さなかった。また,②甲101の本件共通構造を有する6つの化学物質は,引用例1ないし4よりも多い80g/haの施与量で行った実験において,いずれの雑草(カラスムギ,ショクヨウガヤツリ,イヌビエ,イチビ)に対しても除草活性を示していない。上記①及び②からすれば,「シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造」(以下「本件共通構造」という。)上の置換基の種類・組合せが,除草活性の発現に大きく影響することは明らかであり,本件共通構造を有する化学物質が必ずしも除草活性を示すものではない。」

4.4.実施可能要件についての裁判所の判断
(3) 本件訂正発明に係る化学物質の使用について
ア 本件訂正明細書には,以下の記載がある。
 本件訂正発明の化学物質は,従来技術の2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオンに比べて,稲等の栽培植物には影響を与えずに望ましくない栽培植物に対して除草作用を示すという除草作用及び安全性において満足できる効果を有する(【0003】~【0008】)。
 作物の中の広葉の雑草及びイネ科の雑草(Unkraeuter und Schadgraeser)に対して,栽培植物に損傷を与えることなく作用する(【0109】)。
 本件訂正発明に係る化学物質又はこれを含む除草剤組成物を種々の作物に,水性分散液の噴霧や粒状態の散布等,様々な態様によって施与することができる(【0112】~【0129】)。
 本件訂正発明に係る化学物質の除草剤としての使用実施例(事前法,事後法による温室実験の方法)(【0136】~【0140】)
イ 本件訂正明細書において本件訂正発明に係る化学物質について使用することができるように記載されているか否かについて判断する。
 前記アの本件訂正明細書の記載から,2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物は,除草作用を有することが従来から知られていたものと理解される。

また,引用例1ないし同4(甲1~4)には,本件訂正発明と「シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造」(本件共通構造。上図)において共通する化合物,つまり2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物が除草剤の有効成分の物質として有用であることが記載されている。



 そうすると,当業者は,本件訂正発明に係る,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物を【0136】~【0140】に記載の使用実施例に従って施用すれば,従来技術から除草剤の有効成分とされる2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物と同様に課題を解決できることを理解することができるから,実際に除草試験を行った結果の記載の有無にかかわらず,過度の試行錯誤を要することなく,本件訂正発明に係る新規化学物質を除草剤として使用することができる。
ウ 原告の主張について
() 原告は,実施可能要件を満たすためには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを必要であって,通常,一つ以上の代表的な実施例が必要である,また,用途発明であれば,通常,用途を裏付ける実施例が必要であると主張する。
 しかし,前記イのとおり,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物は,除草作用を有し,除草剤の有効成分として有用であることが従来から知られていたことからすれば,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物であれば,同様の効果を奏するものと推認できるから,本件訂正発明については,改めて試験を行うまでもなく,有用性が認められるというべきである。また,本件訂正発明は,除草剤の有効成分の化学物質に係る発明であるから,いわゆる用途発明には当たらないし,用途発明に準じて実施例が必要であるということもできない。
() 原告は,①甲99の「化合物番号55」は本件共通構造を有するにもかかわらず,本件訂正明細書に記載の施与量の上限の約1.5倍(4.48kg/ha)で試験されたどの雑草にも除草効果を示さなかったこと,②甲101の本件共通構造を有する6つの化学物質は,引用例1ないし4よりも多い80g/haの施与量で行った実験において,いずれの雑草(カラスムギ,ショクヨウガヤツリ,イヌビエ,イチビ)に対しても除草活性を示していないこと,以上によれば,本件共通構造上の置換基の種類・組合せが,除草活性の発現に大きく影響することは明らかであり,本件共通構造を有する化学物質が必ずしも除草活性を示さないと主張する。
 しかし,原告の挙げる上記各物質は,いずれも本件訂正発明の技術的範囲に含まれないものであるから,上記各物質が除草効果を示さないことをもって,本件訂正発明が実施可能要件に欠けるということはできない。
 また,甲99によれば,本件共通構造を有する93種類の物質で実験を行ったところ,「化合物番号55」を除く大半のものについて除草効果が示されているし,甲101は,4種類の雑草について実験したものにすぎない。したがって,上記各物質についての実験結果を考慮しても,本件共通構造を有する物質であれば,過度の試行錯誤を要することなく,本件訂正発明に係る新規化学物質を除草剤として使用することができる旨の前記イの判断は左右されない。
() したがって,原告の上記各主張はいずれも理由がない。
(4) 小括
 以上のとおり,本件訂正明細書における発明の詳細な説明の記載は,その記載に基づいて当業者が過度の試行錯誤を要することなく,本件訂正発明に係る化学物質を製造し,使用することができることが記載されているといえる。
 したがって,本件訂正明細書は実施可能要件を満たしている。

5.取消理由3(サポート要件に係る判断の誤り)について
5.1.サポート要件についての裁判所の判断
(1) 特許請求の範囲の記載が,明細書のサポ-ト要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。
(2) 発明の課題は,原則として,発明の詳細な説明の記載から把握すべきであるところ,一般に,化学物質に関する発明の課題は,新規かつ有用な化学物質を提供することにあるものと考えられる。
 本件訂正明細書には,前記1(1)のとおりの記載がある。また,本件訂正明細書【0003】~【0006】の記載から,本件訂正発明の課題は,従来から優れた除草活性と作物に対する安全性を示すことが知られている2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物であって,新規かつ有用な化合物を提供することにあると認められる。
(3) 前記(2)のとおり,本件訂正発明の課題は,優れた除草活性と作物に対する安全性を有する新規な2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物を提供することにあるものと認められる。前記3(3)イで検討したとおり,当業者は,本件訂正発明の化学物質の化学構造と従来技術の除草化学物質との共通性から,本件訂正発明に係る化学物質が,従来技術の除草剤の有効成分と同様に課題を解決できることを推認することができる。例えば,引用例1ないし4は,いずれも「シクロヘキサンジオン誘導体および除草剤」であり,いずれも「優れた除草活性と作物に対する安全性を有する」とされ,優れた除草活性を示すことが開示されている。
 また,サポ-ト要件を満足するために,発明の詳細な説明において発明の効果に関する実験デ-タの記載が必ず要求されるものではない。特に本件訂正発明は,新規な化学物質に関する発明であるから,医薬や農薬といった物の用途発明のように具体的な実験デ-タ,例えば,具体的な除草活性の開示まで求めることは相当でない。
(4) 原告の主張について
原告は,本件訂正明細書には,本件訂正発明に係る化学物質が除草活性を有することを裏付ける具体的な記載(試験デ-タ)は何もない,また,被告による実験成績証明書(甲51,52,63)において,本件訂正発明に係る化学物質の優れた効果が示されているものの,これらの除草作用の試験をしたのは本件出願日から10年以上後であると主張する。
 しかし,前記(3)のとおり,本件訂正明細書の記載及び出願時の技術常識に基づいて,本件訂正発明に係る化学物質が,従来技術の除草剤の有効成分と同様に課題を解決できることを推認することができるのであるから,被告が出願後に行った実験成績証明書の参照の有無にかかわらず,発明の詳細な説明に具体的な実験デ-タがないことをもってサポ-ト要件違反とする,原告の主張を採用することはできない。
イ 原告は,本件共通構造をもった化合物であれば必ず除草活性を示すという技術常識はなく(甲99),また,本件訂正発明がサポ-ト要件を満足するとの根拠(化学構造上の共通性)として本件審決が示した従来技術(引用例1ないし4)は限られた先行技術であって,当業者の技術常識とはいえない旨主張する。
 しかし,2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物(本件共通構造を有する化合物群)が除草活性を示すことが従来から知られていることについては,本件明細書【0003】~【0006】に記載されているとおりである。そうすると,発明の詳細な説明において,請求項に係る発明が発明の課題を解決できることを当業者が認識できるように記載されているものと認めるのが相当である。

 また,甲99に示された化合物番号55など,仮に,本件訂正発明に係る一般式と共通構造を有する化学物質に,特定のある植物に対して除草活性を示さないものが含まれるとしても,前記3(3)()のとおり,共通構造を有する化学物質が除草-活性を示すことを推認できる以上,本件訂正発明に係る化学物質のうち実際に除草活性を示さない態様を確認し,これを除くように請求項を記載しなければ,サポ-ト要件を満たさないと解することは相当でない。