2017年5月28日日曜日

マキサカルシトール製造方法事件の最高裁判決

最高裁判所第二小法廷平成29年3月24日判決
平成28年(受)第1242号特許権侵害行為差止請求事件

1.背景
 本件は,角化症治療薬の有効成分であるマキサカルシトールを含む化合物の製造方法の特許に係る特許権の共有者である被上告人が,上告人らの輸入販売等に係る医薬品の製造方法は,上記特許に係る特許請求の範囲に記載された構成と均等なものであり,その特許発明の技術的範囲に属すると主張して,上告人らに対し,当該医薬品の輸入販売等の差止め及びその廃棄を求める事案である。これに対し,上告人らは,本件では,平成10年判決にいう,特許権侵害訴訟における相手方が製造等をする製品又は用いる方法(以下「対象製品等」という。)が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存する(均等の第5要件)から,上記医薬品の製造方法は,上記特許請求の範囲に記載された構成と均等なものであるとはいえないと主張して,被上告人の請求を争った。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 本件特許
 被上告人は,発明の名称を「ビタミンDおよびステロイド誘導体の合成用中間体およびその製造方法」とする特許権(特許第3310301号)の共有者である。被上告人は,本件特許につき,1996年(平成8年)9月3日に米国でした特許出願に基づく優先権を主張して,平成9年9月3日に特許出願をした。
(2) 本件発明
 本件特許に係る特許請求の範囲の請求項13に係る発明(本件発明)はマキサカルシトールを包含する化合物の製造方法に関する。被上告人は,本件特許の特許出願時に,本件特許請求の範囲において,目的化合物を製造するための出発物質等としてシス体のビタミンD構造のものを記載していたが,その幾何異性体であるトランス体のビタミンD構造のものは記載していなかった。
(3) 上告人らの製造方法
ア 上告人は,角化症治療薬であるマキサカルシトール原薬の輸入販売をしており,その余の上告人らは,上記原薬を含有するマキサカルシトール製剤をそれぞれ販売している(以下,上記原薬に係る製造方法を「上告人らの製造方法」という。)。
イ 上告人らの製造方法を本件特許請求の範囲に記載された構成と比べると,目的化合物を製造するための出発物質等が,本件特許請求の範囲に記載された構成ではシス体のビタミンD構造のものであるのに対し,上告人らの製造方法ではトランス体のビタミンD構造のものである点において相違するが,その余の点については,上告人らの製造方法は,本件特許請求の範囲に記載された構成の各要件を充足する。
 上告人らは,被上告人において,本件特許の特許出願時に,本件特許請求の範囲に記載された構成中の上告人らの製造方法と異なる上記の部分につき,上告人らの製造方法に係る構成を容易に想到することができたと主張している。
(4) 本件明細書の記載等
 本件特許の特許出願の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)には,トランス体をシス体に転換する工程の記載など,出発物質等をトランス体のビタミンD構造のものとする発明が開示されているとみることができる記載はなく,本件明細書中に,上記発明の開示はされていなかった。

原審は,上記事実関係等の下において,要旨次のとおり判断した上で,本件では,前記1の特段の事情が存するとはいえず,上告人らの製造方法は本件特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして本件発明の技術的範囲に属するとし,被上告人の請求を認容すべきものとした。
(1) 出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲外の他の構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合であっても,それだけでは,前記1の特段の事情が存するとはいえない。
(2) 上記(1)の場合であっても,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲外の他の構成を,特許請求の範囲に記載された構成中の異なる部分に代替するものとして認識していたものと客観的,外形的にみて認められるときは,前記1の特段の事情が存するといえる。

4.最高裁判所の判断のポイント
「しかるに,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかったというだけでは,特許出願に係る明細書の開示を受ける第三者に対し,対象製品等が特許請求の範囲から除外されたものであることの信頼を生じさせるものとはいえず,当該出願人において,対象製品等が特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したと解されるような行動をとったものとはいい難い。また,上記のように容易に想到することができた構成を特許請求の範囲に記載しなかったというだけで,特許権侵害訴訟において,対象製品等と特許請求の範囲に記載された構成との均等を理由に対象製品等が特許発明の技術的範囲に属する旨の主張をすることが一律に許されなくなるとすると,先願主義の下で早期の特許出願を迫られる出願人において,将来予想されるあらゆる侵害態様を包含するような特許請求の範囲の記載を特許出願時に強いられることと等しくなる一方,明細書の開示を受ける第三者においては,特許請求の範囲に記載された構成と均等なものを上記のような時間的制約を受けずに検討することができるため,特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができることとなり,相当とはいえない。
 そうすると,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合であっても,それだけでは,対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するとはいえないというべきである。
(2) もっとも,上記(1)の場合であっても,出願人が,特許出願時に,その特許に係る特許発明について,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,特許請求の範囲に記載された構成を対象製品等に係る構成と置き換えることができるものであることを明細書等に記載するなど,客観的,外形的にみて,対象製品等に係る構成が特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえるときには,明細書の開示を受ける第三者も,その表示に基づき,対象製品等が特許請求の範囲から除外されたものとして理解するといえるから,当該出願人において,対象製品等が特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したと解されるような行動をとったものということができる。また,以上のようなときに上記特段の事情が存するものとすることは,発明の保護及び利用を図ることにより,発明を奨励し,もって産業の発達に寄与するという特許法の目的にかない,出願人と第三者の利害を適切に調整するものであって,相当なものというべきである。
 したがって,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合において,客観的,外形的にみて,対象製品等に係る構成が特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえるときには,対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するというべきである。
 そして,前記事実関係等に照らすと,被上告人が,本件特許の特許出願時に,本件特許請求の範囲に記載された構成中の上告人らの製造方法と異なる部分につき,客観的,外形的にみて,上告人らの製造方法に係る構成が本件特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて本件特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたという事情があるとはうかがわれない。」

5.コメント
 化学分野の特許出願では、権利範囲を拡張するために、実験の裏付けのある発明の範囲だけでなくそれに隣接する発明を特許出願時の特許請求の範囲に記載することがしばしばある。このような場合、特許庁での審査において隣接発明の実施可能性が否定され、これに応じて出願人が権利範囲を補正により狭めることがあれば、補正により除外された範囲は、「意識的に除外された」ものとなり、均等論の適用の可能性は閉ざされてしまう。

 今回の判決によれば、出願人が記載しようと思えば出願時明細書に記載できたが実際には記載していなかった範囲であっても、均等論適用の余地がある。したがって、上記のように、出願時に無理をして特許請求の範囲の拡張を試みながら最終的には隣接発明の権利を放棄せざるを得ない状況になるよりも、出願時の特許請求の範囲には、特許が認められる可能性の高い狭い発明のみを記載しておき、侵害訴訟の場面で隣接発明への均等論の適用を主張したほうが権利者にとって有利な可能性がある。