2017年11月26日日曜日

ガラス組成物を物性と組成の両面から規定した発明のサポート要件、実施可能要件欠如が争われた事例

知財高裁平成29年10月25日判決言渡
平成28年(行ケ)第10189号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は特許出願人である原告が出願した特許出願に対する拒絶審決を不服とした原告による、審決取消訴訟の高裁判決である。
 審判合議体による審決では、サポート要件違反及び実施可能要件違反と判断されたが、知財高裁では、審決の判断に誤りがあると判断し、審決を取り消した。
 本願では、請求項1において、光学ガラスを、「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し」という「物性要件」と、化学組成を限定した「組成要件」との、両面から規定している。「物性要件」を満たす範囲のガラスが全て、課題を解決できる(物性要件を満たす)というわけではないため、「物性要件」に加えて「物性要件」による縛りを加えている。
 審決では、「組成要件」のみに着目し、「,本願組成要件の数値範囲にわたって,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえない。」としてサポート要件違反と結論づけた。
 裁判所は、「光学ガラスの製造に当たって,基本となる既知の光学ガラスの成分の一部を,物性の変化を調整しながら,他の成分に置き換えるなどの作業を試行錯誤的に行うことは,当業者が通常行うことということができるから,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解できる」と判断した。
 化学組成物をクレームする場合、「組成要件」のみで規定するのが原則であるが、組成から物性を推測することが難しいガラス、金属、プラスチック等の技術分野では、「物性要件」も補助的に加えて、「組成要件」と「物性要件」との両面で化学組成物を特定することが多い。

2.本願発明
「【請求項1】
屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し,
質量%の比率で
SiO2を10%以上40%以下,
Nb2O5を40%超65%以下,
ZrO2を0.1%以上15%以下,
TiO2を1%以上15%以下
含有し,
B2O3の含有量が0~20%,
GeO2の含有量が0~5%,
Al2O3の含有量が0~5%,
WO3の含有量が0~15%,
ZnOの含有量が0~15%,
SrOの含有量が0~15%,
Li2Oの含有量が0~15%,
Na2Oの含有量が0~20%,
Sb2O3の含有量が0~1%
であり,
TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.20以下であり,
SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量が90%超であることを特徴とする光学ガラス。」

3.物性要件と組成要件
 本願発明は,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し」との発明特定事項(以下「本願物性要件」という。)と,「質量%の比率でSiO2を10%以上40%以下,Nb2O5を40%超65%以下,ZrO2を0.1%以上15%以下,TiO2を1%以上15%以下含有し,B2O3の含有量が0~20%,GeO2の含有量が0~5%,Al2O3の含有量が0~5%,WO3の含有量が0~15%,ZnOの含有量が0~15%,SrOの含有量が0~15%,Li2Oの含有量が0~15%,Na2Oの含有量が0~20%,Sb2O3の含有量が0~1%であり,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.20以下であり,SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量が90%超である」との発明特定事項(以下「本願組成要件」という。)からなり,「光学ガラスに見られる諸欠点を総合的に解消し,前記の光学定数を有し,部分分散比が小さい光学ガラス」,すなわち本願物性要件を満たす光学ガラスを提供することを課題とする。

4.審決の判断(拒絶審決)
(1)サポート要件違反
 本願組成要件に関するガラスの組成のうち,実施例で示されているものは一部の数値範囲の組成にとどまり,当該数値範囲を超える部分については,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることが実施例の記載により裏付けられているとはいえず,その他の発明の詳細な説明の記載にも,当業者が本願物性要件を満たすことを認識し得る説明がされているとはいえない。また,本願出願時の当業者の技術常識(光学ガラスの物性は,ガラスの組成に依存するが,構成成分と物性との因果関係が明確に導かれない場合の方が多いことなど)に照らしても,本願組成要件の数値範囲にわたって,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえない。
 したがって,本願発明は,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも,その記載がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らして当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるともいえないから,本願は,サポート要件(特許法36条6項1号)に適合するものではなく,特許を受けることができない。
(2)実施可能要件違反
 上記⑴のとおり,本願の明細書に,本願組成要件のごく一部の範囲の実施例が記載され,各成分のはたらきが個別に記載されていたとしても,実施例から離れた広範な本願組成要件の数値範囲において,限定された本願物性要件を満たす光学ガラスの具体的な各成分の含有量を決定することは,当業者に過度の試行錯誤を要求するものといえる。
 したがって,本願の発明の詳細な説明の記載は,本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものとはいえないから,本願は,実施可能要件(特許法36条4項1号)に適合するものではなく,特許を受けることができない。

5.裁判所の判断(審決取消)
「2 取消事由2(サポート要件についての判断の誤り)について
 事案に鑑み,取消事由2の成否,すなわち,本願につき,サポート要件(特許法36条6項1号)に適合しないとした本件審決の判断の適否について,まず検討する。
(1) 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かについては,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
 これを本願発明についてみると,まず,本願発明に係る特許請求の範囲(請求項1)の記載は,光学ガラスを本願組成要件及び本願物性要件によって特定するものであり,そのうち,本願物性要件は,「高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」という本願発明の課題を,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下」という光学定数により定量的に表現するものであって,本願組成要件で特定される光学ガラスを,本願発明の課題を解決できるものに限定するための要件ということができる。そして,このような本願発明に係る特許請求の範囲の構成からすれば,その記載がサポート要件に適合するものといえるためには,本願組成要件で特定される光学ガラスが発明の詳細な説明に記載されていることに加え,本願組成要件で特定される光学ガラスが高い蓋然性をもって本願物性要件を満たし得るものであることを,発明の詳細な説明の記載や示唆又は本願出願時の技術常識から当業者が認識できることが必要というべきである。
(2) そこで,以上の観点から,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時の技術常識に基づき,サポート要件についての本件審決の判断の適否について検討する。
ア 本願明細書の段落【0014】,【0021】,【0023】,【0025】,【0027】,【0029】,【0031】,【0033】,【0035】,【0038】,【0048】,【0058】及び【0060】には,光学ガラスの組成について,本願組成要件に規定される各成分を,その規定に係る数値範囲で含有することがそれぞれ記載され,また,段落【0073】及び【0074】には,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」を本願組成要件に規定される数値(上限値又は下限値)とすることが記載されている。
 また,本願明細書の【表1】~【表9】には,実施例(No.8,9,21,24~38,41,44,45,48~57,60~66)として,本願組成要件を満たす具体的な組成物も記載されている。
 したがって,本願明細書の発明の詳細な説明に,本願組成要件で特定される光学ガラスが記載されていることは明らかである。
イ 前記(1)のとおり,本願発明の解決課題は,「高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」ことであり,本願物性要件は,これを光学定数により定量的に表現するものであるところ,本願明細書の発明の詳細な説明には,その解決手段として,本願組成要件を満たすものとすべき理由が説明されている。すなわち,本願明細書の段落【0021】,【0023】,【0025】,【0027】,【0029】,【0031】,【0033】,【0035】,【0038】,【0048】,【0058】及び【0060】には,本願組成要件に規定される各成分について,その成分がガラス形成においていかなる効果を有し,それが少なすぎたり,多すぎたりした場合にいかなる弊害が生じるかが記載され,それらを踏まえて,当該成分の好ましい含有比率の範囲として,本願組成要件が規定する数値範囲がそれぞれ記載されている。また,本願明細書の段落【0073】には,「TiO2成分の含有量とZrO2成分,Nb2O5成分の合計含有量の比を所定の値に調節することにより,部分分散比(θg,F)が小さいガラスが得られることを見出した」ことが記載され,段落【0074】には,「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの各成分の合計含有量を調節することにより,高屈折率高分散特性を有し,部分分散比が小さく,リヒートプレス成形時の失透を抑制したガラスが得られることを見出した」ことが記載され,これらの好ましい値として,本願組成要件が規定する数値(上限値又は下限値)がそれぞれ記載されている。
 しかるところ,以上のような発明の詳細な説明の記載を総合してみれば,本願発明における本願組成要件と本願物性要件との関係に関して,次のような理解が可能といえる。すなわち,まず,Nb2O5成分は,屈折率を高め,分散を大きくしつつ部分分散比を小さくし,化学的耐久性及び耐失透性を改善するのに有効な必須の成分であること(段落【0033】)から,本願組成要件において,その含有量が40%超65%以下とされ,組成物中で最も含有量の多い成分とされていることが理解できる。また,ZrO2成分は,屈折率を高め,部分分散比を小さくする効果があり(段落【0031】),他方,TiO2成分は,屈折率を高め,分散を大きくする効果がある反面,その量が多すぎると部分分散比が大きくなること(段落【0029】)から,「部分分散比が小さい光学ガラス」を得るためには,ZrO2及びNb2O5の含有量に対してTiO2の含有量が多くなりすぎることを避ける必要があり,そのために,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値を一定以下とするものであること(段落【0073】)が理解でき,これが,本願組成要件において,各成分の含有量とともに規定される「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.2以下であり」との特定に反映され,本願発明の課題の解決(高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供すること)にとって重要な構成となっていることが理解できる。
ウ 他方,本願明細書の発明の詳細な説明における実施例の記載をみると,本願組成要件を満たす実施例(No.8,9,21,24~38,41,44,45,48~57,60~66)に係る組成物が,本願物性要件の全てを満たすことが示されているが,これらの組成物の組成は,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のもの(具体的には,別紙審決書4頁23行目から5頁8行目までに記載のとおりである。)でしかなく,上限から下限までの数値範囲を網羅するというものではない。
 すなわち,本願組成要件に規定された各数値範囲は,実施例によって本願物性要件を満たすことが具体的に確認された組成の数値範囲に比して広い数値範囲となっており,そのため,本願組成要件で特定される光学ガラスのうち,実施例に示された数値範囲を超える組成に係る光学ガラスについても,本願物性要件を満たし得るものであることを当業者が認識できるか否かが問題となる。
 そこで検討するに,まず,光学ガラスの製造に関しては,ガラスの物性が多くの成分の総合的な作用により決定されるものであるため,個々の成分の含有量の範囲等と物性との因果関係を明確にして,所望の物性のための必要十分な配合組成を明らかにすることは現実には不可能であり,そのため,ターゲットとされる物性を有する光学ガラスを製造するに当たり,当該物性を有する光学ガラスの配合組成を明らかにするためには,既知の光学ガラスの配合組成を基本にして,その成分の一部を,当該物性に寄与することが知られている成分に置き換える作業を行い,ターゲットではない他の物性に支障が出ないよう複数の成分の混合比を変更するなどして試行錯誤を繰り返すことで当該配合組成を見出すのが通常行われる手順であることが認められ,このことは,本願出願時において,光学ガラスの技術分野の技術常識であったものと認められる(甲5,6,17,18,21,22。以上のような技術常識の存在については,当事者間に争いがない。)。
 そして,上記のような技術常識からすれば,光学ガラスの製造に当たって,基本となる既知の光学ガラスの成分の一部を,物性の変化を調整しながら,他の成分に置き換えるなどの作業を試行錯誤的に行うことは,当業者が通常行うことということができるから,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解できるものといえる。そして,前記イのとおり,当業者は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,本願物性要件を満たす光学ガラスを得るには,「Nb2O5成分を40%超65%以下の範囲で含有し,かつ,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする」ことが特に重要であることを理解するものといえるから,これらの条件を維持しながら,光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることも理解し得るというべきである。なお,これを具体的な成分に即して説明するに,例えば,本願発明の最多含有成分であるNb2O5についてみると,当業者であれば,実施例中最多の含有量(53.61%)を有する実施例50において,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする条件を維持しながら,必須成分であるTiO2(6.48%),ZrO2(1.85%)又は任意成分であるNa2O(9.26%)から適宜置換することによって,本願物性要件を満たしつつ,Nb2O5を増やす調整を行うことも可能であることを理解するものと考えられ,同様に,実施例中Nb2O5の含有量が最少(43.71%)である実施例24において,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする条件を維持しながら,もう1つの主成分であるSiO2(24.76%),必須成分であるZrO2(10.48%)又は任意成分であるLi2O(4.76%)への置換により,本願物性要件を満たしつつ,Nb2O5を減らす調整を行うことも可能であることを理解するものと考えられる(以上のことは,本願組成要件に係るNb2O5以外の成分についても,同様にいえることであり,この点については,原告の前記第3の2⑵記載の主張が参考となる。)。
 してみると,本願明細書の実施例に係る組成物の組成が,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のものにすぎないとしても,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識に鑑みれば,当業者は,本願組成要件に規定された各数値範囲のうち,実施例として具体的に示された組成物に係る数値範囲を超える組成を有するものであっても,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得るというべきであり,更に,そのように認識し得る範囲が,本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体(上限値や下限値)にまで及ぶものといえるか否かについては,成分ごとに,その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
・・・
⑶ 小括
 以上のとおり,本願につき,サポート要件に適合しないものとした本件審決の判断は誤りであり,この点については,上記(2)で述べた趣旨に沿って,改めて特許庁における審理・判断(必要な拒絶理由通知を行うことを含む。)がされるべきものといえるから,原告主張の取消事由2は理由がある。
3 取消事由3(実施可能要件についての判断の誤り)について
 本件審決は,本願明細書に,本願組成要件のごく一部の範囲の実施例が記載され,各成分のはたらきが個別に記載されていたとしても,実施例から離れた広範な本願組成要件の数値範囲において,限定された本願物性要件を満たす光学ガラスの具体的な各成分の含有量を決定することは,当業者に過度の試行錯誤を要求するものといえるから,本願の発明の詳細な説明の記載は,本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものとはいえず,本願は実施可能要件に適合しない旨判断する。
 しかしながら,本願明細書の実施例に係る組成物の組成が,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のものにすぎないとしても,前記2(2)で述べたとおりの本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識からすれば,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解するものであり,特に,本願物性要件を満たす光学ガラスを得るのに重要な「Nb2O5成分を40%超65%以下の範囲で含有し,かつ,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする」との条件を維持しながら,光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより,本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることを理解するものといえる。そして,そのようにして本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができると考えられる各成分の数値範囲が,本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについては,成分ごとに,その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
 これに対し,本件審決の判断は,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲のうち,当業者が過度な試行錯誤を要することなく本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができる範囲を,実施例として具体的に示されたガラス組成の各数値範囲に限定するものにほかならないところ,上記で述べたところからすれば,このような判断は誤りというべきである。本件審決は,上記のとおり,本願の実施可能要件充足性を判断するに当たって必要とされる,本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができると考えられる各成分の数値範囲が本願組成要件に規定された各成分における数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについての具体的な検討を行うことなく,実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって,直ちに本願の実施可能要件充足性を否定したものであるから,そのような判断は誤りといわざるを得ず,また,その誤りは審決の結論に影響を及ぼすものといえる。

 以上のとおり,本願につき,実施可能要件に適合しないものとした本件審決の判断は誤りであり,この点については,上記で述べた趣旨に沿って,改めて特許庁における審理・判断(必要な拒絶理由通知を行うことを含む。)がされるべきものといえるから,原告主張の取消事由3は理由がある。」

2017年11月12日日曜日

装置クレームの明確性が争われた事例

知財高裁平成29年9月21日判決
平成28年(行ケ)第10236号 審決取消請求事件

1.概要
 被告が有する特許5306571号に対し、原告は、明確性要件違反等を理由として無効審判を請求した。特許庁は平成28年10月3日に、請求は成り立たない(特許有効)の審決をした。被告は、審決の取り消しを求めて知財高裁に出訴した。知財高裁は、本件特許は請求項の記載が明確でないと判断し、審決を取り消した。
 本件発明は下記の通り、「無洗米の製造装置」であるにもかかわらず、その請求項には、装置の構造が具体的に記載されておらず、主に、達成しようとする目的が記載されたものであった。請求項は一見して不明確に思われるが、特許庁は権利を付与し、無効審判においても、一旦は明確性要件違反無しと判断されており、興味深い。

2.本件発明1(請求項1)
「 外から順に,表皮(1),果皮(2),種皮(3),糊粉細胞層(4)と,澱粉を含まず食味上もよくない黄茶色の物質の層により表層部が構成され,該表層部の内側は,前記糊粉細胞層(4)に接して,一段深層に位置する薄黄色の一層の亜糊粉細胞層(5)と,該亜糊粉細胞層(5)の更に深層の,純白色の澱粉細胞層(6)により構成された玄米粒において,前記玄米粒を構成する糊粉細胞層(4)と亜糊粉細胞層(5)と澱粉細胞層(6)の中で,搗精により糊粉細胞層(4)までを除去し,該糊粉細胞層(4)と澱粉細胞層(6)の間に位置する亜糊粉細胞層(5)を外面に残して,該一層の,マルトオリゴ糖に生化学変化させる酵素や食物繊維や蛋白質を含有する亜糊粉細胞層(5)を米粒の表面に露出させ,前記精白米には,全米粒の内,『舌触りの良くない胚芽(7)の表層部や突出部を削り取り,残された基底部である胚盤(9)』,または『胚芽(7)の表面部を削りとられた胚芽(8)』が残った米粒の合計数が,全体の50%以上を占めるように搗精され,前記搗精により亜糊粉細胞層(5)を表面に露出させた白米を,該亜糊粉細胞層(5)が表面に現れた時の白度37前後に仕上げ,更に糊粉細胞層(4)の細胞壁(4’)が破られ,その中の糊粉顆粒が米肌に粘り付けられた状態で白米の表面に付着する『肌ヌカ』を,無洗米機により分離除去する無洗米処理を行うことを特徴とする旨み成分と栄養成分を保持した無洗米の製造装置であって,
 全精白行程の終末寄りから少なくとも3分の2以上の行程に摩擦式精米機を用い,前記摩擦式精米機の精白除糠網筒の内面をほぼ滑面状となし,且つ精白ロールの回転数を毎分900回以上の高速回転とすること,及び,無洗米機を備えたことを特徴とする旨み成分と栄養成分を保持した無洗米の製造装置。」

3.審決の判断(明確性要件違反なし。特許有効)
「本件特許請求の範囲請求項1及び2の記載は,請求人が主張した記載によっては明確性要件を満たしていないとはいえない。
ア 請求項1及び2の「食味上もよくない黄茶色の物質の層」という記載は,「外から順に,表皮(1),果皮(2),種皮(3),糊粉細胞層(4)と」「構成された」「表層部」についての玄米一般に係る記載といえるから,当該記載により本件発明が不明確になるものではない。
イ 同「亜糊粉細胞層(5)を外面に残して,該一層の,マルトオリゴ糖に生化学変化させる酵素や食物繊維や蛋白質を含有する亜糊粉細胞層(5)を米粒の表面に露出させ,」という記載は,記載内容自体が明確でないとはいえず,本件発明が不明確になるものではない。なお,仮に実現の可能性が低いとしても,発明が不明確であることにはならない。
ウ 同「前記精白米には,全米粒の内,『舌触りの良くない胚芽(7)の表層部や突出部を削り取り,残された基底部である胚盤(9)』,または『胚芽(7)の表面部を削りとられた胚芽(8)』が残った米粒の合計数が,全体の50%以上を占めるように搗精され,」という記載は,1粒の米粒に係る記載ではなく,複数の米粒の半数以上のものについての記載と解されるのであって,その記載内容自体が明確でないとまではいえない。
エ 請求項1の「前記摩擦式精米機の精白除糠網筒の内面をほぼ滑面状となし,」という記載は,特に「ほぼ滑面状」という範囲を曖昧にし得る表現があるものの,例えば,本件明細書の「従来の摩擦式精米機では,能率を向上させるために,精白除糠網筒の内面にイボ状,または線状等の突起を設け,糠層を一度に分厚く剥離していたのをなくし,糠層を表面から少しずつ剥離させるために,同網筒の内面を滑面にする」(【0029】)との記載,「若干微細な凹凸があるものの,従来のものにくらべ,はるかに凸部が低くなっている」(【0031】)との記載,「精白除糠網の内面がほぼ滑面状となっているから,・・・それらの作用により精白時に,米粒を薄く表面より少しずつ薄皮を剥がす如く剥離させるから,従来の如く,一度に分厚く糠層が削ぎ落とされるために生じる,ムラ剥離されることはない」(【0033】)という記載,及び,本件出願時の技術常識を考慮すると,「従来のものにくらべ,はるかに凸部が低くなってい」て「精白時に,米粒を薄く表面より少しずつ薄皮を剥がす如く剥離させる」ことができる精白除糠網筒の内面であることが理解でき,本件発明1が不明確になるものではない。
オ 同「精白ロールの回転数を毎分900回以上の高速回転とする」という記載は,回転数の下限だけを示すような数値範囲限定であって範囲を曖昧にし得る表現があるものの,例えば,本件明細書の「更にこれも常識に逆行して非効率的ではあるが,同精米機の回転数を早めるのである」(【0029】)との記載及び本件出願時の技術常識を考慮すると,本件発明1においては回転数の上限値が問題となるのではなく,毎分900回転という下限値未満とならないようにすることに技術的意義を有することが理解でき,本件発明1が不明確になるものではない。
カ 請求項1及び2の「無洗米機を備えた」という記載は,記載内容自体が明確でないとはいえず,本件発明が不明確になるものではない。」

4.裁判所の判断(明確性要件違反、審決取消)
(1) 特許法36条6項2号は,特許請求の範囲の記載に関し,特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨規定する。この趣旨は,特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には,特許の付与された発明の技術的範囲が不明確となり,第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るため,そのような不都合な結果を防止することにある。そして,特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載のみならず,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。
(2)ア 請求項1及び2の「外から順に,表皮(1),果皮(2),種皮(3),糊粉細胞層(4)と,澱粉を含まず食味上もよくない黄茶色の物質の層により表層部が構成され,該表層部の内側は,前記糊粉細胞層(4)に接して,一段深層に位置する薄黄色の一層の亜糊粉細胞層(5)と,該亜糊粉細胞層(5)の更に深層の,純白色の澱粉細胞層(6)により構成された玄米粒において,」の部分(以下「記載事項A」という。)について
 記載事項Aは,本件発明の無洗米の製造装置における処理対象である玄米粒の構成について,その表層部から深層部に至る各部分の名称を順に列挙するものであり,上記無洗米の製造装置の構造又は特性に直接関連するものではない。
イ 請求項1及び2の「前記玄米粒を構成する糊粉細胞層(4)と亜糊粉細胞層(5)と澱粉細胞層(6)の中で,搗精により糊粉細胞層(4)までを除去し,該糊粉細胞層(4)と澱粉細胞層(6)の間に位置する亜糊粉細胞層(5)を外面に残して,該一層の,マルトオリゴ糖に生化学変化させる酵素や食物繊維や蛋白質を含有する亜糊粉細胞層(5)を米粒の表面に露出させ,前記精白米には,全米粒の内,『舌触りの良くない胚芽(7)の表層部や突出部を削り取り,残された基底部である胚盤(9)』,または『胚芽(7)の表面部を削りとられた胚芽(8)』が残った米粒の合計数が,全体の50%以上を占めるように搗精され,前記搗精により亜糊粉細胞層(5)を表面に露出させた白米を,該亜糊粉細胞層(5)が表面に現れた時の白度37前後に仕上げ,」の部分(以下「記載事項B」という。)について
 記載事項Bは,本件発明の無洗米の製造装置を用いた精米方法又は上記無洗米の製造装置により得られる精白米の性状を表したものであり,上記無洗米の製造装置の構造又は特性を直接特定する記載ではない。
ウ 請求項1及び2の「更に糊粉細胞層(4)の細胞壁(4’)が破られ,その中の糊粉顆粒が米肌に粘り付けられた状態で白米の表面に付着する『肌ヌカ』を,無洗米機により分離除去する無洗米処理を行うことを特徴とする」の部分(以下「記載事項C」という。)について
 記載事項C は,白米の表面に付着する「肌ヌカ」を無洗米機により分離除去する無洗米化処理を行うことを記載したものであり,本件発明の無洗米の製造装置が無洗米機をその構成の一部としていることを表しているが,それ以上に,上記無洗米の製造装置の構造又は特定を直接特定する記載ではない。
エ 請求項1及び2の「旨み成分と栄養成分を保持した無洗米の製造装置であって,」の部分(以下「記載事項D」という。)について
 記載事項Dの「無洗米の製造装置であって」という部分は,本件発明が無洗米の製造のための装置の発明であることを示す記載であり,発明のカテゴリーを示して,その技術的範囲を定めるものと解される。
 記載事項Dの「旨み成分と栄養成分を保持した」という部分は,本件発明の無洗米の製造装置で製造される無洗米の特性を示したものであり,前記無洗米の製造装置の構造又は特性を直接特定する記載ではない。
オ 請求項1の「全精白行程の終末寄りから少なくとも3分の2以上の行程に摩擦式精米機を用い,」の部分(以下「記載事項E」という。)について
 記載事項Eは,それのみでは,これが精米工程,すなわち,方法を表すものなのか,請求項1の無洗米の製造装置に少なくとも摩擦式精米機が含まれているという構造を示すものなのか,必ずしも判然としない。
 しかしながら,本件明細書には,実施例として,第1精米機,第2精米機,第3精米機を構成に含み,これらはいずれも噴風摩擦式精米機であるが,第1精米機のみは研削式にする場合もあるという無洗米の製造装置が記載されており(【0030】),玄米は,第1精米機において中途精白米に仕上げられ,第2精米機において,更に精白度を高めた中途精白米に仕上げられ,第3精米機において,最適の白度に仕上げられる(【0032】)のであって,本件発明の精米装置では,「全行程,もしくは終末寄りの工程が噴風摩擦式精米機によって構成され,それが少なくとも全精米工程の少なくとも3分の2以上を占めている。」(【0037】)旨が記載されている。
 これらの記載を斟酌すると,記載事項Eは,本件発明1に係る無洗米の製造装置の構成につき,摩擦式精米機が全精白工程の少なくとも3分の2以上の工程を占めるように構成されたとの特定をしていると解することができるから,上記無洗米の製造装置の構造を示すものということができる。
カ 請求項1の「前記摩擦式精米機の精白除糠網筒の内面をほぼ滑面状となし,」の部分(以下「記載事項F」という。)について
 記載事項Fには,「精白除糠網筒の内面」を「ほぼ滑面状とな」すという動詞を用いた記載が含まれているが,「ほぼ滑面状」とされるのは「精白除糠網筒の内面」であり,本件明細書には,本件発明1の無洗米の製造装置が完成した状態において,「精白除糠網筒の内面」が「滑面」(【0029】),「ほとんど,滑面状」(【0033】),又は「ほぼ滑面状」(【0037】)である旨が記載されており,従来の摩擦式精米機の「精白除糠網筒の内面」には「突起」が設けられていたが,本件発明1の無洗米の製造装置では,これを「滑面」にする旨(【0029】)の記載がある一方,精白除糠網筒の製造方法の記載はないから,記載事項F は,「精白除糠網筒の内面」が「ほぼ滑面状」である「精白除糠網筒」をその構成に含むことを,精白除糠網筒の内面の状態を示すことにより,特定したものと解される。したがって,上記無洗米の製造装置の構造を示すものということができる。
キ 請求項1の「且つ精白ロールの回転数を毎分900回以上の高速回転とすること,」の部分(以下「記載事項G」という。)について
 記載事項Gは,本件発明1に係る無洗米の製造装置を構成する精米機が,「精白ロール」を有するという,前記装置の構成を特定する記載と,その運転条件である回転数に関する記載を含むものであり,後者は,本件明細書の「それらの噴風摩擦式精米機の回転数も毎分900回転以上の高速回転で運転される」(【0031】),「本装置は毎分900回の高速回転をさせている」(【0033】)との記載に照らすと,本件発明1に係る無洗米の製造装置の構成につき,上記回転数以上で運転するものと特定していると解することができるから,上記無洗米の製造装置の構造又は特性を特定するものということができる。
ク 請求項1及び2の「及び,無洗米機を備えたことを特徴とする」の部分(以下「記載事項H」という。)について
 記載事項Hは,本件発明に係る無洗米の製造装置の構成には,無洗米機が含まれることを特定している。
 本件明細書には,実施例の説明として,無洗米機は,公知の無洗米機(【0031】,【0036】)と記載されているのみであって,当該無洗米機の構造又は特性についての記載は見当たらないが,「公知の無洗米機」であるという意味では特定されているということができる。
ケ 請求項1及び2の「旨み成分と栄養成分を保持した無洗米の製造装置。」の部分(以下「記載事項I」という。)について
 記載事項Iは,記載事項Dと同内容であり,前記エのとおりである。
(3) 以上の記載事項A~Iについての検討を総合すると,本件発明1の無洗米の製造装置は,少なくとも,摩擦式精米機(記載事項F)と無洗米機(記載事項C)をその構成の一部とするものであり,その摩擦式精米機は,全精白構成の終末寄りから少なくとも3分の2以上の工程に用いられているものである(記載事項E)上,精白除糠網筒(記載事項F)と精白ロール(記載事項G)をその構成の一部とするものであり,その精白除糠網筒の内面は,ほぼ滑面状であって(記載事項F),精白ロールの回転数は毎分900回以上の高速回転とするものである(記載事項G)と認められる。
 したがって,上記の無洗米の製造装置の構造又は特性は,記載事項A~Iから理解することができる
 しかしながら,請求項1の無洗米の製造装置の特定は,上記の装置の構造又は特性にとどまるものではなく,精米機により,亜糊粉細胞層を米粒表面に露出させ,米粒の50%以上について胚盤又は表面部を削り取られた胚芽を残し,白度37前後に仕上がるように搗精し(記載事項B),白米の表面に付着する肌ヌカを無洗米機により分離除去する無洗米処理を行う(記載事項C)ものであり,旨味成分と栄養成分を保持した無洗米を製造するもの(記載事項D,I)である。
 このうち,亜糊粉細胞層を米粒表面に露出させ,米粒の50%以上について胚盤又は表面部を削り取られた胚芽を残し,白度37前後に仕上がるように搗精する(記載事項B)ことについては,本件明細書の発明の詳細な説明において,本件発明に係る無洗米の製造装置のミニチュア機で,白度37前後の各白度に搗精した精米を,洗米するか,公知の無洗米機によって通常の無洗化処理を行い,炊飯器によって炊飯し,その黄色度を黄色度計で計り,黄色度11~18の内の好みの供試米の白度に合わせて搗精を終わらせる時を調整して,本格搗精をすることにより行うこと(【0035】),このようにして仕上がった精白米は,亜糊粉細胞層が米粒表面をほとんど覆っていて,かつ,全米粒のうち,表面が除去された胚芽と胚盤が残った米粒の合計数が,少なくとも50%以上を占めていること(【0036】)が記載されており,結局のところ,ミニチュア機で実際に搗精を行うことにより,本格搗精を終わらせる時を調整することにより実現されるものであることが記載されている。
 したがって,本件明細書には,本件発明1の無洗米の製造装置につき,その特定の構造又は特性のみによって,玄米を前記のような精白米に精米することができることは記載されておらず,その運転条件を調整することにより,そのような精米ができるものとされている。そして,その運転条件は,本件明細書において,毎分900回以上の高速回転で精白ロールを回転させること以外の特定はなく,実際に上記のような精米ができる精白ロールの回転数や,精米機に供給される玄米の供給速度,精米機の運転時間などの運転条件の特定はなく,本件出願時の技術常識からして,これが明らかであると認めることもできない。
 ところで,本件明細書の発明の詳細な説明において,亜糊粉細胞層(5)については,「糊粉細胞層4に接して,糊粉細胞層4より一段深層に位置して僅かに薄黄色をした」,「厚みも薄く1層しかない」ものであり(【0015】),「亜糊粉細胞5は・・・整然と目立って並んでいる個所は少なく,ほとんどは顕微鏡でも確認しにくいほど糊粉細胞層4に複雑に貼り付いた微細な細胞であり,それも平均厚さが約5ミクロン程度の極薄のものである」(【0018】)と記載され,胚芽(8)及び胚盤(9)については,「胚芽7の表面部を除去された」ものが胚芽(8)であり,それを更に削り取ると胚盤(9)になる(【0023】)と記載されている。しかるところ,本件明細書の発明の詳細な説明には,米粒に亜糊粉細胞層(5)と胚芽(8)及び胚盤(9)を残し,それより外側の部分を除去することをもって,米粒に「旨み成分と栄養成分を保持」させることができる旨が記載されており(【0017】~【0023】),玄米をこのような精白米に精米する方法については,「従来から,飯米用の精米手段は摩擦式精米機にて行うことが常識とされている」が,その搗精方法では,必然的に,米粒から亜糊粉細胞層(5)や胚芽(8)及び胚盤(9)も除去されてしまうこと(【0024】,【0025】)が記載されている。また,本件明細書の発明の詳細な説明には,「摩擦式精米機では米粒に高圧がかかり,胚芽は根こそぎ脱落する」から,胚芽を残存させるには,研削式精米機による精米が不可欠とされていた(【0029】)ところ,研削式精米機により精米すると,むらが生じ,高白度になると,亜糊粉細胞層(5)の内側の澱粉細胞層(6)も削ぎ落とされている個所もあれば,糊粉細胞層(4)だけでなく,それより表層の糠層が残ったままの部分もあるという状態になること(【0027】)が記載されている。
 そうすると,精米機により,亜糊粉細胞層を米粒表面に露出させ,米粒の50%以上において胚盤又は表面を削り取られた胚芽を残し,白度37前後に仕上がるように搗精することは,従来の技術では容易ではなかったことがうかがわれ,上記のとおり,本件明細書に具体的な記載がない場合に,これを実現することが当業者にとって明らかであると認めることはできない。

 本件発明1は,無洗米の製造装置の発明であるが,このような物の発明にあっては,特許請求の範囲において,当該物の構造又は特性を明記して,直接物を特定することが原則であるところ(最高裁判所平成27年6月5日第二小法廷判決・民集69巻4号904頁参照),上記のとおり,本件発明1は,物の構造又は特性から当該物を特定することができず,本件明細書の記載や技術常識を考慮しても,当該物を特定することができないから,特許を受けようとする発明が明確であるということはできない。」

2017年10月29日日曜日

医薬用途発明を裏付ける具体例が記載されていないことを理由に実施可能性要件違反とされた事例

知財高裁平成29年10月13日判決 平成28年(行ケ)第10216号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、医薬用途発明に係る特許出願が実施可能要件違反であることを理由とした拒絶審決に対する特許出願人による審決取消訴訟において、拒絶審決は適法と判断された事例である。
 明細書中には医薬としての有用性を確認したことを示す実験について記載があるものの、使用した医薬組成物の具体的な組成が記載されていなかった。審決、判決ともに、実施可能要件欠如との判断を示した。
2.本願発明
「対象における,更年期,加齢,筋骨格障害,気分変動,認知機能低下,神経障害,精神障害,甲状腺障害,過体重,肥満,糖尿病,内分泌障害,消化器系障害,生殖障害,肺障害,腎疾患,眼障害,皮膚障害,睡眠障害,歯科疾患,癌,自己免疫疾患,感染症,炎症性疾患,高コレステロール血症,脂質異常症,または心血管疾患から選択される医学的状態の予防および/または治療における使用のための,異なる供給源に由来する脂質の混合物を含む脂質含有配合物であって,前記配合物は,ある用量のω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸を含み,ω-6対ω-3の比が4:1以上であり:
(i)ω-3脂肪酸は,総脂質の0.1~20重量%であるか;または
(ii)ω-6脂肪酸の用量は,40g以下である,脂質含有配合物。」
3.審決の理由
実施可能要件違反:本願発明は,医薬用途発明であるから,明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件を満たすためには,出願時の技術常識に照らし,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載されている必要があるところ,本願明細書の発明の詳細な説明の記載を検討しても,本願発明が,本願発明に係る各医学的状態のうち,内分泌障害,腎疾患,癌を予防および/または治療するとに有用であると当業者が理解できる記載は認められず,そのことが本願出願時の技術常識から明らかであるとする根拠もないから,本願の発明の詳細な説明は,当業者が本願発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載されたものではなく,実施可能要件を満たさない。
4.裁判所の判断のポイント
5.「そして,本願発明のような医薬の用途発明においては,一般に,物質名や成分組成等が示されることのみによっては,当該用途の有用性及びそのための当該医薬の有効量を予測することは困難であり,当該医薬を当該用途に使用することができない。そのため,医薬の用途発明において実施可能要件を満たすものといえるためには,明細書の発明の詳細な説明が,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らし,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載されている必要がある。
 これを本願発明についてみると,本願発明は,前記1(2)のとおり,ω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂質含有配合物において,両者の含有比率及び含有量を前記所定の値とすることを技術的特徴とし,これにより本願発明に係る各医学的状態の予防および/または治療の効果を奏するというものであるから,本願発明について医薬としての有用性があるといえるためには,前記所定の比率及び量のω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂質含有配合物(以下「本願発明に係る配合物」という。)を対象者に用いた場合に,本願発明に係る各医学的状態のそれぞれについて予防又は治療の効果が生じるものであることが必要であり,したがって,本願発明が実施可能要件を満たすものといえるためには,本願明細書の発明の詳細な説明が,本願出願当時の技術常識に照らし,本願発明に係る配合物を使用することによって本願発明に係る各医学的状態のそれぞれについて予防又は治療の効果が生じることを当業者が理解できるように記載されていなければならないものといえる。

「しかるところ,本願発明は,本願発明に係る各医学的状態の予防および/または治療における使用のための配合物として,ω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含み,①両者の含有比率につき,ω-6対ω-3の比が4:1以上であること,②両者の含有量につき,(ⅰ)ω-3脂肪酸が総脂質の0.1~20重量%であるか,又は,(ⅱ)ω-6脂肪酸の用量が40g以下であることを特徴とする脂質含有配合物を提供するものであるところ,このような比率及び量のω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂質含有配合物の使用が,本願発明に係る各医学的状態の予防および/または治療の効果を生じさせるということは,本願出願当時における上記(2)イのような技術常識からは考え難い事態ということができる(本願発明に係る配合物には,例えば,ω-6脂肪酸の含有量が40gで,ω-3脂肪酸の含有量が0.1gである配合物(ω-6対ω-3の比が400:1であり,ω-6脂肪酸の用量が40gである配合物)も含まれることとなるが,上記技術常識からすれば,このようにω-3脂肪酸がごくわずかしか含まれず,大部分がω-6脂肪酸からなる配合物が,ω-6脂肪酸の過剰摂取による健康障害の観点から望ましくないものであることは明らかといえる。)。
 したがって,それにもかかわらず,本願発明に係る配合物が医薬としての有用性を有すること,すなわち,本願発明に係る配合物を使用することによって本願発明に係る各医学的状態のそれぞれについて予防又は治療の効果が生じることを当業者が理解できるといえるためには,本願明細書の発明の詳細な説明に,このような効果の存在を裏付けるに足りる実証例等の具体的な記載が不可欠なものといえる。
本願明細書には,実施例11として,「更年期,加齢および筋骨格障害についてのケーススタディー」についての記載があり,そこには,更年期に関連するのぼせを発症している47歳女性に対し,6週間にわたり植物油,種子油,ナッツ及び種子の組合せを補給した結果,のぼせの強さが徐々に低下するなどの改善がみられたことが記載されている。
 しかしながら,上記記載中には,対象に投与した配合物について,「実施例10に記載の1日2回の投与配合物」とされるのみであり,他方,実施例10の記載(段落【0071】及び【0072】)には,投与配合物の原料とその配合割合について,「アーモンド(10%~25%),カシュー(7%~15%)」などの記載はあるものの,含有されるω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸の量及び比率は示されておらず(表20には,「対象の1日当たりの栄養素の重量」が示されているが,これは,「投与された脂質組成物を含めた食餌全体に由来する栄養素」であるから,これによって,投与配合物中のω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸の量及び比率が判明するものではない。),単に「ω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸及びこの組成物に関する場合の比率を最適化することにより」上記の効果が観察されたことが記載され,さらに,「治療の有益な効果が更年期関連の症状に及んだのは,ω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸の補給に由来する性ホルモン様の安定な利益と,抗酸化物質および植物性化学物質に関する最適化が達成されたことによったと思われる。」などの推論が述べられているにすぎない。
 しかるところ,上記のように,対象に投与された配合物中のω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸の量及び比率すら具体的に示されていない実施例の記載では,本願発明に係る配合物(すなわち,ω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂質含有配合物において,ω-6対ω-3の比を4:1以上としたもの)を使用することによって更年期障害の予防又は治療の効果が生じることを裏付ける実証例の記載としては不十分といわざるを得ず,このような記載から,当業者が,更年期障害を予防および/または治療することに本願発明が有用であることを理解できるものということはできない。

2017年7月9日日曜日

欧州特許条約規則の改正により、本質的に生物学的な方法により製造された植物又は動物が特許対象外であることが明確化された

1.欧州特許条約第53条は以下のように規定している。
European patents shall not be granted in respect of:  
(a) 省略
(b) plant or animal varieties or essentially biological processes for the production of plants or animals; this provision shall not apply to microbiological processes or the products thereof; 
(c) 省略

2.経緯
 2015年3月25日の欧州特許庁拡大審判部審決G2/12(ブロッコリ事件II)及びG2/13(トマト事件II)において、欧州特許庁拡大審判部は、欧州特許条約第53条(b)で特許対象の例外として規定されている「essentially biological processes for the production of plants or animals 」は、あくまで「方法」のカテゴリーに限定され、その方法で得られた「物」(プロダクトバイプロセスクレーム)のカテゴリーに拡大して解釈する余地はなく、本質的に生物学的な方法により製造された植物又は動物は、特許可能である、という判断を示した。
 
 2016年11月3日に欧州委員会(European Commission)の通知において、EUの立法者は、本質的に生物学的な方法により得られた植物及び動物も特許対象外とすることを意図していたと通知した。
 2016年12月12日に欧州特許庁は、本質的に生物学的な方法により得られた植物及び動物についての特許審査を一時的に中断することを発表した。
 2017年6月29日に欧州特許庁は、本質的に生物学的な方法により得られた植物及び動物が特許対象外であることを明確にするため、欧州特許条約規則第28条(2)を追加することを発表した。
 2017年7月1日以降の欧州特許庁での審査、異議申立手続きにおいて、上記改正規則が適用される。

3.改正後の欧州特許条約規則第28条(2)
Rule 28
Exceptions to patentability
(1) (省略)
(2) Under Article 53(b), European patents shall not be granted in respect of plants or animals exclusively obtained by means of an essentially biological process.

2017年6月25日日曜日

誤記の訂正の妥当性について争われた事例

平成29年5月30日判決言渡
平成28年(行ケ)第10154号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、特許権者よる成立特許の訂正を求める訂正審判請求において、下記の訂正事項が、特許法126条1項2号所定の「誤記・・・の訂正」を目的する訂正事項に該当しないと判断された審決に対する、審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 知財高裁は、訂正が、誤記の訂正を目的とするものであると判断し、審決を取り消した。
 主な争点は、訂正後の内容が、明細書の記載の範囲内で導くことができるものでなければならないとする特許庁の判断の適法性についてである。
 知財高裁は、明細書に記載されていない技術常識も考慮して、誤記訂正が認められるべきであると判断した。

2.本件訂正の訂正事項
明細書【0034】の「EAC(酢酸エチル,804ml,7.28mol)」と
いう記載を「EAC(アクリル酸エチル,804ml,7.28mol)」という記
載に訂正する(以下「本件訂正事項」という。)。

3.審決の理由の要点
 「(1) 目的要件について
 ア 明細書の誤記を目的とする訂正が認められるためには,特許がされた明細書の記載に誤記が存在し,それ自体で又は図面の他の記載との関係で,誤りであることが明らかであり,かつ正しい記載が願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面(以下「当初明細書等」という。)から自明な事項として定まる必要がある。
 イ 本件訂正事項についてみると,【0034】の「EAC(酢酸エチル,804ml,7.28mol)」という記載に,一見して誤りが存在することは理解できず,関係する他の明細書の[合成例4]の記載や図1との関係をみても,酢酸エチルという化合物名やEACという略称の表記は一致していて,明らかな誤記が存在するとはいえない。」

4.裁判における被告(特許庁長官)の主張
「取消事由1(目的要件の判断の誤り)に対し
 (1) 明細書の誤記を目的とする訂正が認められるための判断基準は,審決記載のとおり,特許がされた明細書の記載に誤記が存在し,それ自体で又は明細書又は図面の他の記載との関係で,誤りであることが明らかであること,かつ,正しい記載が願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面から自明な事項として定まることが必要であり,「誤記」というためには,訂正前の記載が誤りで訂正後の記載が正しいことが,当該明細書及び図面の記載や当業者の技術常識などから明らかで,当業者であればそのことに気付いて訂正後の趣旨に理解するのが当然でなければならない,というものである。
 このような判断基準を前提とすると,明細書における訂正前の記載が一見して誤りであると理解でき,訂正後の記載が正しい記載として一義的に定まるといえるのであれば,その訂正は,誤記の訂正を目的とするものといえる。
 これに対して,原告は,審決は,当業者であればその記載をどのような趣旨として理解するかを十分に考慮していないとか,正しい記載が当初明細書等の記載から自明な事項として定めるか否かを当初明細書等の表記のみに基づいて判断し,当業者であればその記載をどのような趣旨として理解するかを十分考慮せずに判断をしたとか,当業者が技術常識に基づいて当初明細書等の記載内容をどのような趣旨として理解するかを考慮しないで誤記に関する判断をしたなどと主張する。
 しかしながら,審決は,上記判断基準に従って,原告から提出された参考資料も検討した上で,当業者の立場から,「酢酸エチル」の箇所が一見して誤りであると理解でき,訂正後の「アクリル酸エチル」が正しい記載として一義的に定まるとはいえないと判断したものであり,当初明細書等の表記のみに基づいて判断したものではない。
 また,その判断に当たっては,誤りであることが明らかな箇所が定まれば,その誤りの記載の本来の記載を解釈するために,明細書における前後の記載やその記載に関係した技術常識を参酌することは許容される余地があるものの,原則として,明細書の記載に基づいて判断されるものであり,技術常識の名を借りて,周知技術であるからといって,明細書の記載を離れて,種々の周知技術を解釈に用いて明細書に記載のない事項を導いてよいわけではない。
 そのことは,明細書の内容を信じる第三者との公平性の観点からも整合するもので,記載自体に変動が生じた場合に不特定多数の一般第三者に影響を及ぼす弊害を防止することを考慮し,明細書の表示を信頼する第三者の利益を保護するために訂正の範囲を最小限のものとしている訂正審判制度の趣旨とも合致するものである。」

5.裁判所の判断のポイント
「3 取消事由1(目的要件の判断の誤り)について
 (1) 特許法126条1項2号は,「誤記・・・の訂正」を目的とする場合には,願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面の訂正をすることを認めているが,ここで「誤記」というためには,訂正前の記載が誤りで訂正後の記載が正しいことが,当該明細書,特許請求の範囲若しくは図面の記載又は当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)の技術常識などから明らかで,当業者であればそのことに気付いて訂正後の趣旨に理解するのが当然であるという場合でなければならないものと解される。
 (2)ア そこで,まず,本件明細書に接した当業者が,明細書の記載は原則として正しい記載であることを前提として,本件訂正前の本件明細書の記載に何らかの誤記があることに気付くかどうかを検討する。
・・・・・
(オ) 【化14】の出発物質である化合物(3)の化学構造,反応剤である「EAC(酢酸エチル)」,生成される化合物(4)の化学構造のうちいずれかの記載に誤記があることに気付いた当業者にとって,「(酢酸エチル,804ml,7.28mol)」という記載に示された化学物質名と,体積と,モル数とが整合しているかどうかを確認することは容易であるところ,以下の計算の結果,酢酸エチル804mlは,8.21molであることが確認でき,本件明細書に記載されているモル数と整合していないことが理解できる。
(カ) 本件明細書に接した当業者は,前記(ア)~(オ)において検討したとおり,化合物(3)及び化合物(4)の化学構造については正しいものと理解し,「酢酸エチル」が誤記であると理解するものということができる。
 また,本件明細書に記載された1H-NMRデータや13C-NMRデータのシグナルの位置やシグナル数は,それのみによって化合物(3)及び化合物(4)の化学構造を特定し得るものではないものの,化合物(3)及び化合物(4)の化学構造と矛盾する点があるとまでは認められないから,本件明細書に接した当業者が,化合物(3)及び化合物(4)の化学構造が正しいものと理解することを支持するものといえ,少なくともそのような理解を妨げるものであるとはいえない。

 イ 被告は,スキームは,化学反応の概要を示したものにすぎないから,【化14】のスキームに全ての反応工程及び関与成分が記載されているとは限らないし,反応剤を書き漏らしたことも当然あり得るのであるから,化合物(3)及び化合物(4)の化学構造が正しいからといって,酢酸エチルが当然に誤記となるわけではないと主張する。
 しかしながら,本件発明は,マキサカルシトールの合成に関する新規の中間体及びその製造方法に係るものであるから,本件明細書には,ビタミンD2又は既知の化合物(1)から最終生成物であるマキサカルシトールが得られることが追試可能な程度に記載されるのが通常であるといえ,本件明細書の[合成例4]以外の合成例の記載内容等に照らしても,[合成例4]の記載に接した当業者において,反応剤や他の反応工程や関与成分が記載されていないものと理解するものとはいえない。被告の主張は,一般論として存在する抽象的な可能性をいうものであって,本件明細書に妥当するものということはできないから,採用することはできない。
 (4)ア 次に,前記(3)のとおり,【0034】の「酢酸エチル」の記載が誤記であることに気付いた当業者が,正しい記載が「アクリル酸エチル」であると分かるかどうかについて,検討する。
・・・・
そして,【0034】の反応機構から,正しい反応剤が①3位に脱離基を有するプロピオン酸エチル,又は②アクリル酸エチルに限定されることを理解した場合に,これらの反応剤の体積及びモル数が「804ml,7.28mol」という記載に整合するかどうかを検証してみると,以下の計算の結果,アクリル酸エチルの方が,本件明細書記載の上記数値に整合することが理解できる。
・・・
(ウ) 以上のとおり,「EAC」は,「アクリル酸エチル」の英語表記と整合し,略称と一致するものである上,モル数の記載とも整合するのであるから,当業者は,正しい反応剤が「アクリル酸エチル」であることを理解することができるというべきである。このことは,「アクリル酸エチル」が「EA」と略称されることがあるとしても(乙3,4),左右されるものではない。
 イ(ア) 被告は,明細書における特定の記載が明らかな誤記として,当業者がそのように当然理解するかどうかは,原則として,明細書の記載に基づいて判断されるもので,明細書に記載のない反応機構を検討して反応剤を推定して,初めて明細書の記載からプロピオン酸エチル又はアクリル酸エチルと理解できるというのであれば,二つの選択肢に限定することに関しても,正しい記載が一義的に理解できることにならないと主張する。
 しかしながら,明細書に接した当業者は,出願当時の技術常識を踏まえて明細書の記載を理解するのであるから,明細書に直接記載のない事項であっても,当業者は,技術常識を参酌して,当該明細書に記載された技術的事項及びそれらの記載から自明な事項の内容を理解することができるというべきである。そして,本件明細書に接した当業者が,本件出願日当時の技術常識を踏まえて,【化14】において化合物(3)と反応する反応剤は,①3位に脱離基を有するプロピオン酸エチル又は②アクリル酸エチルのいずれかであると理解することは,前記ア(イ)のとおりである。
 (イ) 被告は,反応剤自体を書き漏らした可能性もあるし,スキームは,出発物質とそのプロセスの目的物質を表しているにすぎず,反応が,求核置換反応又は求核付加反応の一段階反応とは限らず,素反応を考慮すれば,複数ステップである反応を生じる場合もあるし,何れかのステップで,他の成分が関与する場合もあるので,全てのステップ,全ての関与成分の記載があるとは限らないスキームの記載のみから反応剤を二つに限定することはできないと主張する。
 しかしながら,前記(3)イのとおり,[合成例4]の記載に接した当業者において,反応剤や他の反応工程や関与成分が記載されていないものと理解するものとはいえないのであって,被告の主張は,一般論として存在する抽象的な可能性をいうものにすぎないから,被告の主張は,理由がない。
 (ウ) 被告は,明細書の記載の試薬の純度が100%であると仮定する理由はないし,体積やモル数にも誤記が存在していたかもしれず,そのような仮定や体積やモル数に誤記がないという前提の下に選択肢を限定した上で,一番近い化合物であるはずであるという結論自体,正しい記載が一義的にアクリル酸エチルに決まることを説明しているとはいえないと主張する。
 しかしながら,酢酸エチル,アクリル酸エチル,3-クロロプロピオン酸エチル等が,いわゆる汎用化学品として,高純度のものが市販されている化合物であると認められること(甲8,11,14,15)からすると,本件明細書に接した当業者は,市販の高純度の試薬を用いたものと理解するのが合理的であるといえる。また,本件明細書における反応剤の体積やモル数については,それが誤りであると疑うべき事情は認められないから,それを一応正しいものとして反応剤の体積やモル数の計算を行うことは,通常の合成を行う上で必要な行為であり,それによって容易に整合性を確認できるものと認められる。したがって,被告の主張は,理由がない。
 (5) 以上によると,本件明細書に接した当業者であれば,本件訂正事項に係る【0034】の「EAC(酢酸エチル,804ml,7.28mol)」という記載が誤りであることに気付いて,これを「EAC(アクリル酸エチル,804ml,7.28mol)」の趣旨に理解するのが当然であるということができる。
 したがって,本件訂正は,特許法126条1項2号所定の「誤記・・・の訂正」を目的とするものということができる。

2017年5月28日日曜日

マキサカルシトール製造方法事件の最高裁判決

最高裁判所第二小法廷平成29年3月24日判決
平成28年(受)第1242号特許権侵害行為差止請求事件

1.背景
 本件は,角化症治療薬の有効成分であるマキサカルシトールを含む化合物の製造方法の特許に係る特許権の共有者である被上告人が,上告人らの輸入販売等に係る医薬品の製造方法は,上記特許に係る特許請求の範囲に記載された構成と均等なものであり,その特許発明の技術的範囲に属すると主張して,上告人らに対し,当該医薬品の輸入販売等の差止め及びその廃棄を求める事案である。これに対し,上告人らは,本件では,平成10年判決にいう,特許権侵害訴訟における相手方が製造等をする製品又は用いる方法(以下「対象製品等」という。)が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存する(均等の第5要件)から,上記医薬品の製造方法は,上記特許請求の範囲に記載された構成と均等なものであるとはいえないと主張して,被上告人の請求を争った。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 本件特許
 被上告人は,発明の名称を「ビタミンDおよびステロイド誘導体の合成用中間体およびその製造方法」とする特許権(特許第3310301号)の共有者である。被上告人は,本件特許につき,1996年(平成8年)9月3日に米国でした特許出願に基づく優先権を主張して,平成9年9月3日に特許出願をした。
(2) 本件発明
 本件特許に係る特許請求の範囲の請求項13に係る発明(本件発明)はマキサカルシトールを包含する化合物の製造方法に関する。被上告人は,本件特許の特許出願時に,本件特許請求の範囲において,目的化合物を製造するための出発物質等としてシス体のビタミンD構造のものを記載していたが,その幾何異性体であるトランス体のビタミンD構造のものは記載していなかった。
(3) 上告人らの製造方法
ア 上告人は,角化症治療薬であるマキサカルシトール原薬の輸入販売をしており,その余の上告人らは,上記原薬を含有するマキサカルシトール製剤をそれぞれ販売している(以下,上記原薬に係る製造方法を「上告人らの製造方法」という。)。
イ 上告人らの製造方法を本件特許請求の範囲に記載された構成と比べると,目的化合物を製造するための出発物質等が,本件特許請求の範囲に記載された構成ではシス体のビタミンD構造のものであるのに対し,上告人らの製造方法ではトランス体のビタミンD構造のものである点において相違するが,その余の点については,上告人らの製造方法は,本件特許請求の範囲に記載された構成の各要件を充足する。
 上告人らは,被上告人において,本件特許の特許出願時に,本件特許請求の範囲に記載された構成中の上告人らの製造方法と異なる上記の部分につき,上告人らの製造方法に係る構成を容易に想到することができたと主張している。
(4) 本件明細書の記載等
 本件特許の特許出願の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)には,トランス体をシス体に転換する工程の記載など,出発物質等をトランス体のビタミンD構造のものとする発明が開示されているとみることができる記載はなく,本件明細書中に,上記発明の開示はされていなかった。

原審は,上記事実関係等の下において,要旨次のとおり判断した上で,本件では,前記1の特段の事情が存するとはいえず,上告人らの製造方法は本件特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして本件発明の技術的範囲に属するとし,被上告人の請求を認容すべきものとした。
(1) 出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲外の他の構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合であっても,それだけでは,前記1の特段の事情が存するとはいえない。
(2) 上記(1)の場合であっても,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲外の他の構成を,特許請求の範囲に記載された構成中の異なる部分に代替するものとして認識していたものと客観的,外形的にみて認められるときは,前記1の特段の事情が存するといえる。

4.最高裁判所の判断のポイント
「しかるに,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかったというだけでは,特許出願に係る明細書の開示を受ける第三者に対し,対象製品等が特許請求の範囲から除外されたものであることの信頼を生じさせるものとはいえず,当該出願人において,対象製品等が特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したと解されるような行動をとったものとはいい難い。また,上記のように容易に想到することができた構成を特許請求の範囲に記載しなかったというだけで,特許権侵害訴訟において,対象製品等と特許請求の範囲に記載された構成との均等を理由に対象製品等が特許発明の技術的範囲に属する旨の主張をすることが一律に許されなくなるとすると,先願主義の下で早期の特許出願を迫られる出願人において,将来予想されるあらゆる侵害態様を包含するような特許請求の範囲の記載を特許出願時に強いられることと等しくなる一方,明細書の開示を受ける第三者においては,特許請求の範囲に記載された構成と均等なものを上記のような時間的制約を受けずに検討することができるため,特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができることとなり,相当とはいえない。
 そうすると,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合であっても,それだけでは,対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するとはいえないというべきである。
(2) もっとも,上記(1)の場合であっても,出願人が,特許出願時に,その特許に係る特許発明について,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,特許請求の範囲に記載された構成を対象製品等に係る構成と置き換えることができるものであることを明細書等に記載するなど,客観的,外形的にみて,対象製品等に係る構成が特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえるときには,明細書の開示を受ける第三者も,その表示に基づき,対象製品等が特許請求の範囲から除外されたものとして理解するといえるから,当該出願人において,対象製品等が特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したと解されるような行動をとったものということができる。また,以上のようなときに上記特段の事情が存するものとすることは,発明の保護及び利用を図ることにより,発明を奨励し,もって産業の発達に寄与するという特許法の目的にかない,出願人と第三者の利害を適切に調整するものであって,相当なものというべきである。
 したがって,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合において,客観的,外形的にみて,対象製品等に係る構成が特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえるときには,対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するというべきである。
 そして,前記事実関係等に照らすと,被上告人が,本件特許の特許出願時に,本件特許請求の範囲に記載された構成中の上告人らの製造方法と異なる部分につき,客観的,外形的にみて,上告人らの製造方法に係る構成が本件特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて本件特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたという事情があるとはうかがわれない。」

5.コメント
 化学分野の特許出願では、権利範囲を拡張するために、実験の裏付けのある発明の範囲だけでなくそれに隣接する発明を特許出願時の特許請求の範囲に記載することがしばしばある。このような場合、特許庁での審査において隣接発明の実施可能性が否定され、これに応じて出願人が権利範囲を補正により狭めることがあれば、補正により除外された範囲は、「意識的に除外された」ものとなり、均等論の適用の可能性は閉ざされてしまう。

 今回の判決によれば、出願人が記載しようと思えば出願時明細書に記載できたが実際には記載していなかった範囲であっても、均等論適用の余地がある。したがって、上記のように、出願時に無理をして特許請求の範囲の拡張を試みながら最終的には隣接発明の権利を放棄せざるを得ない状況になるよりも、出願時の特許請求の範囲には、特許が認められる可能性の高い狭い発明のみを記載しておき、侵害訴訟の場面で隣接発明への均等論の適用を主張したほうが権利者にとって有利な可能性がある。

2017年3月12日日曜日

明細書に記載の実験系が適切でないためにサポート要件違反とされた事例

知財高裁平成29年1月31日判決
平成27年(行ケ)第10201号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、被告が有する特許権に対する無効審判審決(無効理由なしの審決)を不服とする原告(審判請求人)による、審決取消訴訟の高裁判決である。
 下記の本件訂正発明6等のサポート要件の充足性が争点の1つ。審決は、サポート要件は充足されると判断したが、知財高裁は、充足されないと判断した。
 本件訂正発明6は、イソクエルシトリン及びその糖付加物を含有する容器詰飲料が褐変して色調変化する、という課題を解決するために、所定のアルコールを添加して褐変を抑制する。
 明細書に記載の実施例は、イソクエルシトリン及びその糖付加物と、Lアスコルビン酸と、所定のアルコールとを含む容器詰飲料である。比較例は、イソクエルシトリン及びその糖付加物と、Lアスコルビン酸とを含み、所定のアルコールを含まない、容器詰飲料である。明細書では、実施例の飲料と、比較例の飲料を比較し、前者では褐変による色調変化が抑制されたことを確認した実験結果を示している。
 しかし、Lアスコルビン酸が飲料の褐変の原因となることが知られている。このため、明細書に記載の実験結果は、アルコールによって、Lアスコルビン酸の褐変が抑制されたことを示している可能性もある。イソクエルシトリン及びその糖付加物の褐変を、アルコールが抑制したと結論づけることはできないデータであるから、サポート要件は満たされないと裁判所は判断した。
 なお、被告は、実験成績証明書により、Lアスコルビン酸を含まない飲料による実験結果を追加提出したが、裁判所は、実験成績証明書は考慮できないと指摘している。

2.本件訂正発明6
「次の成分(A)及び(B):
(A)イソクエルシトリン及びその糖付加物 0.03~0.25質量%,
(B)イソアミルアルコール,1-ヘキサノール及びプロピレングリコールから選ばれる少なくとも1種 0.001質量%以上1質量%未満
を含有し,
pHが2~5である,容器詰飲料。」

3.裁判所の判断のポイント
(4) サポート要件について
ア 本件明細書の発明の詳細な説明には,前記2(1)のとおりの記載があり,本件訂正発明9~16の解決課題は,容器詰飲料に含まれるイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化を抑制することにより,当該飲料の色調変化を抑制する方法を提供することであると認められる。
イ 本件明細書には,「フラボノール配糖体を始めとするポリフェノールは一般に酸化されやすいため,それを含有する飲料を長期間にわたって保存すると徐々に着色が進んで色調が大きく変化してしまう。本発明者は,酵素処理イソクエルシトリンを飲料に配合し,それを高濃度化するに従い色調変化が顕在化することを見出した。」(【0007】)と記載されている。他方,本件明細書の実施例・比較例では,イソクエルシトリン及びその糖付加物の製剤として,「酵素処理イソクエルシトリン15重量%,L-アスコルビン酸10重量%,メタリン酸Na0.1重量%,及び糖類74.9重量%」からなるサンメリンパウダーC-10(甲1の表1参照)を用いており,実施例・比較例の全てにおいてイソクエルシトリン及びその糖付加物に加えて,L-アスコルビン酸も含まれている。
 そして,前記(3)によれば,本件出願日当時,アスコルビン酸の褐変により飲料が色調変化するという技術常識があったものの,意足エルシトリン及びその糖付加物の色調変化に起因して,飲料が色調変化することは技術常識とはなっていなかったと認められる。
 このような技術常識を有する当業者が,本件明細書の記載に接した際には,【0007】に記載された「顕在化した色調変化」,すなわち,比較例において観察されたb*値の変化(Δb*)は,L-アスコルビン酸の褐変に起因する色調変化を含む可能性があると理解し,イソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化のみを反映したものであると理解することはできないと解される。
 そうすると,実施例において,アルコール類を特定量添加しpHを調整することにより,比較例に比べて飲料の色調変化が抑制されていることに接しても,当業者は,比較例の飲料の色調変化がL-アスコルビン酸の褐変に起因する色調変化を含む可能性がある以上,イソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化が抑制されていることを直ちには認識することはできないというべきである。
・・・・
 ウ 以上によれば,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び本件出願日当時の技術常識に照らして,本件訂正発明9~16は,容器詰飲料に含まれるイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化を抑制することにより,当該容器詰飲料の色調変化を抑制する方法を提供するという課題を解決できるものと,当業者が認識することができるとはいえない。
・・・・・
 なお,被告は,「イソクエルシトリン及びその糖付加物を含有する容器詰飲料が,L-アスコルビン酸の非存在下においても色調変化を生じ,その色調変化がアルコールによって抑制されること」を立証趣旨として,乙14の実験成績証明書を提出するが・・・・(仮に,乙14が,・・・・これによりイソクエルシトリン及びその糖付加物を含有し,L-アスコルビン酸を含有しない容器詰飲料の色調変化を立証する趣旨であったとしても,そのような立証は,本件明細書の記載から当業者が認識できない事項を明細書の記載外で補足するものとして許されない。)。被告の主張は,理由がない。
 オ 被告は,「アスコルビン酸を含む」という条件において実施例と比較例は同一であることを理由として,サポート要件の充足を認めた審決の趣旨は,アスコルビン酸を除けば,実施例と比較例のb*値やΔb*値の絶対値は変わるかもしれないけれども,アスコルビン酸の有無にかかわらず,アルコールの添加によってイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化が抑制されるという傾向自体は不変であることを当業者が理解できると判断したものであり,その判断に誤りはないと主張する。

 この点について,審決は,アルコールを添加した実施例と,アルコールを添加しない比較例の双方に,L-アスコルビン酸が含まれているとしても,このような実施例と比較例の色調変化によって,L-アスコルビン酸の非存在下におけるイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化に対するアルコール添加の影響を理解することができると判断するところ,L-アスコルビン酸が褐変し,容器詰飲料の色調変化に影響を与え得るという本件出願日当時の技術常識を踏まえると,このように判断するためには,少なくともL-アスコルビン酸の褐変(色調変化)はアルコール添加の影響を受けないという前提が成り立つ場合に限られることは明らかであるが,そのような前提が本件出願日当時の当業者の技術常識となっていたことを示す証拠はない。したがって,本件明細書の実施例と比較例の実験結果をまとめた【表1】により,イソクエルシトリン及びその糖付加物に起因する色調変化の抑制という本件訂正発明9~16の効果を確認することはできない。なお,念のため付言すれば,以上の検討は,特許権者である被告が,本件明細書において,イソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化がアルコールにより抑制されることを示す実験結果を開示するに当たり,同様に経時的な色調変化を示すことが知られていたL-アスコルビン酸という不純物が含まれる実験系による実験結果のみを開示したことに起因するものであり,そのような不十分な実験結果の開示により,本件明細書にイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化がアルコールにより抑制されることが開示されているというためには,容器詰飲料の色調変化に影響を与える可能性があるL-アスコルビン酸の褐変(色調変化)はアルコール添加の影響を受けないということが,本件明細書において別途開示されているか,その記載や示唆がなくても本件出願日当時の当業者が前提とすることができる技術常識になっている必要がある。したがって,特許権者である被告において,本件明細書にこれらの開示をしておらず,また,当該技術常識の存在が立証できない以上,本件明細書にL-アスコルビン酸という不純物を含む実験系による実験結果のみを開示したことによる不利益を負うことは,やむを得ないものというべきである。」

2017年2月12日日曜日

請求項中での「効果」の特定が有利に働いた事例

知財高裁平成29年1月24日判決
平成28年(行ケ)第10080号審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、被告が有する特許権に対する無効審判審決(権利有効の審決)の審決取り消し訴訟において、審決が維持された事例である。
 原告が主張する審決取消理由の1つに実施可能要件違反に関するものがある。本件発明1は下記の通り、構成要件AGは通常の構成要件であるが、Hは発明の効果を特定する。そして、構成要件ACEは数値範囲を含む。
 原告は、「前記最高点と前記底部との間の距離は1~10cmの範囲」といる構成要件Aに関して、明細書記載の具体例における「5cm」を、数値範囲内の「1cm」に変更し、他の構成要件のパラメーターを変更しなかった場合、Hの効果が生じない場合があり得ることなどを理由に、実施可能要件欠如を主張した。
 これに対して、裁判所は「本件発明1は,構成要件A~構成要件Gの各構成を適宜調整することにより構成要件Hの効果を奏するとする発明であるから,構成要件Aで限定する数値を変更すれば,それに伴い,構成要件B~Gの各構成もその規定する範囲内で適宜変更する必要が生じ得る。したがって,仮に,構成要件Aの規定する凸部プラテンの凸部の高さを変更し,他の条件をそのままにした場合に構成要件Hの効果を奏しない事例が生じたからといって,本件発明1がサポート要件や実施可能要件を欠くと見るべき理由はない。」と判断し、原告の主張は妥当でないと結論付けた。
 構成要件Hとして発明の効果が記載されていなければ、このような判断はされないはずであり、特許権者は構成要件Hの存在により救われたといえる。装置クレームにおける、装置の用途の特定も同様に、装置の構成を用途に適したものに特定する意味がある。

2.本件発明1(下線は強調のために本ブログで独自に付加したもの)
「A 上部ベールプラテンおよび底部ベールプラテンを備えたベールプレスを供給する工程であって,前記各プラテンは凸型表面を有し,前記凸型表面は最高点および底部を有し,前記最高点と前記底部との間の距離は1~10cmの範囲である工程,
B 前記ベールプレスにセルロースアセテートの繊維材料を供給する工程,
C 前記ベールプレスにより482.6~4826.3kPa(70~700psi)の範囲の総圧力をかけて,前記セルロースアセテートの繊維材料を1秒~数分間圧縮する工程,
D これによって高圧縮されたセルロースアセテートの繊維材料を形成する工程,
E 高圧縮されたセルロースアセテートの繊維材料を高さにして0~25%広げるように圧力を除去する工程であって,これにより広がった高圧縮されたセルロースアセテートの繊維材料を形成する工程,
F 前記広がった高圧縮されたセルロースアセテートの繊維材料を包装材料で包装する工程,
G および前記包装材料を締める工程,
H を含むセルロースアセテートの繊維ベールの製造方法であって,前記ベールプレスから出て48時間後の前記高圧縮された繊維ベールの湾曲の高さが,平坦プラテンによって圧縮されたベールの湾曲の高さの50%以下である,方法。」

3.原告の主張
「凸部プラテンの凸部の高さが約5cmのときの48時間後の繊維ベールの湾曲の高さが3cm(【0019】【0022】)であるならば,凸部プラテンの高さが1cmのときのそれは3cmを超えることは明らかである。そうすると,この場合のベールの湾曲の高さは,平坦プラテンによって圧縮されたときの48時間後の繊維ベールの湾曲の高さ6cmの50%以下になっていない(3cm超÷6cm>50%)。したがって,構成要件Aを充足する場合で構成要件Hを充足する場合が本件明細書に示されていないし,どのようにして実施できるかとの十分な記載もない。」

4.裁判所の判断
「また,原告は,凸部プラテンの凸部の高さが約5cmのときの48時間後の繊維ベールの湾曲の高さが3cmであるならば,凸部プラテンの高さが1cmのときのそれは3cmを超えるから,平坦プラテンによって圧縮されたときの48時間後の繊維ベールの湾曲の高さ6cmの50%以下になっておらず,構成要件Aを充足する場合で構成要件Hを充足する場合が本件明細書に示されていないと主張する。
 しかしながら,本件発明1は,構成要件A~構成要件Gの各構成を適宜調整することにより構成要件Hの効果を奏するとする発明であるから,構成要件Aで限定する数値を変更すれば,それに伴い,構成要件B~Gの各構成もその規定する範囲内で適宜変更する必要が生じ得る。したがって,仮に,構成要件Aの規定する凸部プラテンの凸部の高さを変更し,他の条件をそのままにした場合に構成要件Hの効果を奏しない事例が生じたからといって,本件発明1がサポート要件や実施可能要件を欠くと見るべき理由はない。


2017年2月1日水曜日

多数の文献を組み合わせて進歩性を否定することの適法性


知財高裁平成25年9月30日判決

平成25年(行ケ)第10013号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本件は、進歩性欠如を理由とする拒絶審決に対する審決取消訴訟において、審決が維持された事例である。

 本願請求項1に記載の発明は、「厚労省認定の発毛有効成分 イソプロピルメチルフェノール,酢酸トコフェロール,D-パントテニルアルコール,メントールと付随する成分 ボタンエキス,ニンジンエキス,センブリエキス,アデノシン3リン酸2Na,グリシン,セリン,メチオニン,ヒキオコシエキス-1,シナノキエキス,オウゴンエキス,ダイズエキス,アルニカエキス,オドリコソウエキス,オランダカラシエキス,ゴボウエキス,セイヨウキズタエキス,ニンニクエキス,マツエキス,ローズマリーエキス,ローマカミツレエキス,エタノール,水,BG,POPジグリセリルエーテル,POE水添ヒマシ油を配合した事を特徴とする薬用育毛剤。」というものである。

 本願発明の育毛剤には多数の成分が含まれる。審決では進歩性を否定するために引用文献が9件と、周知技術を示す周知文献が3件引用された。

 欧州、米国、中国等の諸外国では「引用文献を多数組み合わせて初めて完成できる発明は進歩性がある」という認識が一般的であるのに対して、日本では正反対に「引用文献が多数あるということは進歩性がない」という意識の人が多いように思う。審査官が「これでもか」という勢いで多数の文献を引用してくることは日本以外では余り経験がない。

 多数の文献を引用すること自体は問題ない、というのが少なくとも日本の特許庁、裁判所の立場であり、本事例においても拒絶審決に違法性はないと裁判所は判断している。

 

2.裁判所の判断のポイント

「原告は,審決は,9個の引用例及び3個の周知文献を組み合わせて,本願発明は容易想到であるとしたが,そのように多数の引用例等の組合せによってようやく想到できる発明を容易想到であるとすることは誤りであると主張する。

 しかし,本件においては,相違点における各成分の多くは育毛剤に配合される成分であることが複数の文献に記載されており,これらの成分は育毛剤に配合される成分として周知であること,育毛剤においては,同種の作用を有する複数の成分や異なる作用を有する成分等を複合的に使用することが周知であることを立証するために,引用例1ないし8及び周知文献AないしCが用いられていることに照らすならば,引用例等として多数の文献が用いられていることをもって,容易想到ではないということはできない。

 

2017年1月29日日曜日

用語の解釈が審決と高裁とで異なった最近の2事例

1.事例1
知財高裁平成29年1月18日判決
平成28年(行ケ)第10005号 審決取消請求事件

1.1.事例1概要
 事例1は無効審判審決(権利有効の審決)に対する審決取り消し訴訟の高裁判決であり、知財高裁は審決を取り消した。
 本件発明1における高分子化合物の「平均分子量」の明確性が争われた。本願明細書中には「平均分子量」の定義は全く記載されていない。
 審決は明確と判断したが、高裁は不明確と判断した。

1.2.本件発明1(請求項1)
 a)メントール,カンフル又はボルネオールから選択される化合物を,それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満,
b)0.01~10w/v%の塩化カリウム,塩化カルシウム,塩化ナトリウム,炭酸水素ナトリウム,炭酸ナトリウム,硫酸マグネシウム,リン酸水素二ナトリウム,リン酸二水素ナトリウム,リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種,
および
c)平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するための眼科用清涼組成物。

1.3.審決の判断
「本件特許明細書の段落【0016】~【0020】には、具体的な販売者名、製品名、グレードとともに、その平均分子量が記載されている。そこで、当該記載と、乙4公知事項、乙5公知事項とを対比すると、各製品の平均分子量はそれぞれ一致し、乙4公知事項、乙5公知事項では、いずれも重量平均分子量が示されているのであるから、当業者は、本件特許における「平均分子量」が、「重量平均分子量」を意味するものと理解すると認められる。」
「本件特許明細書における「平均分子量」の意味を理解するために、当業者であれば、必ずマルハ株式会社ないしマルハニチロ株式会社に問い合わせるともいえない。よって、本件特許出願前に頒布されていない甲第2、43号証を根拠に、本件特許明細書の段落【0021】に記載されたマルハ製品の平均分子量が粘度平均分子量を意味すると当業者が必ず理解するとは認められず、請求人の主張は採用できない。」

1.4.知財高裁の判断
「(5) 明確性要件違反について
 本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」等のいずれを示すものであるかについては,本件明細書において,これを明らかにする記載は存在しない。もっとも,このような場合であっても,本件明細書におけるコンドロイチン硫酸あるいはその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し,当業者の技術常識も参酌して,その平均分子量が何であるかを合理的に推認することができるときには,そのように解釈すべきである。しかし,本件においては,次に述べるとおり,「コンドロイチン或いはその塩」の平均分子量が重量平均分子量であるのか,粘度平均分子量であるのかを合理的に推認することはできない。
 前記(2)ないし(4)の認定事実によれば,本件明細書(【0021】)には,「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり,平均分子量が0.5万~50万のものを用いる。より好ましくは0.5万~20万,さらに好ましくは平均分子量0.5万~10万,特に好ましくは0.5万~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ,例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等),マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」という記載がされている。また,本件出願日当時,マルハ株式会社が販売していたコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は,重量平均分子量によれば2万ないし2.5万程度のものであり,他方,粘度平均分子量によれば6千ないし1万程度のものであったことからすれば,本件明細書のマルハ株式会社から販売される上記「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」にいう「平均分子量」が客観的には粘度平均分子量の数値を示すものであると推認される。
 そして,マルハ株式会社は,本件出願日当時,コンドロイチン硫酸ナトリウムの製造販売を独占する二社のうちの一社であって,コンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を粘度平均分子量のみで測定し,ユーザー(当業者を含む。以下同じ。)から問い合わせがあった場合には,その数値(6千ないし1万程度のもの)をユーザーに提供していたのであり,マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として,同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムを利用する当業者に公然と知られていた数値は,このような粘度平均分子量の数値であったと認められる。のみならず,本件出願日当時には,マルハ株式会社から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量が2万ないし2.5万程度のものであることを示す刊行物が既に複数頒布され,当該数値は,本件明細書にいう0.7万等という数値とは明らかに齟齬するものであることが認められる。これらの事情の下においては,本件明細書の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」という記載に接した当業者は,上記にいう平均分子量が粘度平均分子量を示す可能性が高いと理解するのが自然である。そうすると,当業者は,本件特許請求の範囲の記載について,少なくともコンドロイチン硫酸又はその塩に限っては,重量平均分子量によって示されていることに疑義を持つものと認めるのが相当である。
 したがって,当業者は,本件出願日当時,本件明細書に記載されたその他高分子化合物であるヒドロキシエチルセルロース(【0016】),メチルセルロース(【0017】),ポリビニルピロリドン(【0018】)及びポリビニルアルコール(【0020】)については重量平均分子量で記載されているものと理解したとしても,少なくとも,コンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては,直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず,これが粘度平均分子量あるいは重量平均分子量のいずれを意味するものか特定することができないものと認められる。
 以上によれば,本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」のいずれを示すものであるかが明らかでない以上,上記記載は,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であり,特許法36条6項2号に違反すると認めるのが相当である。」

2.事例2
知財高裁平成29年1月23日判決
平成27年(行ケ)第10010号 審決取消請求事件

2.1.事例2概要
 事例2は無効審判審決(権利有効の審決)に対する審決取り消し訴訟の高裁判決であり、知財高裁は審決を一部取り消した。
 本件発明1における「合金」という用語の明確性が争われた。
 「合金」は一般的には「固溶体,金属間化合物,あるいは金属相の混合物として2種以上の元素を含む金属生成物」と理解される。
 審決では、このような一般的な定義と異なり、本件発明1における「合金」は「金属間化合物」は含まないと解釈したうえで、「合金」という用語を明確と判断した。
 一方、知財高裁は、「合金」という用語自体は明確であり、この点に審決取り消し理由はないと判断したが、本件発明1における「合金」は「金属間化合物」も含むと解釈した点で審決と異なる判断を下した。

2.2.本件発明1(請求項1)
「熱処理用鋼板の表面及び内部の鋼を確実に保護する,亜鉛または亜鉛ベース合金で被覆された圧延熱処理用鋼板の帯材を型打ちすることによって成形された部品を製造する方法であって,
 熱処理用鋼板を裁断して熱処理用鋼板ブランクを得る段階と,
 熱処理用鋼板ブランクを熱間型打ちして部品を得る段階と,
 型打ち前に,腐食に対する保護及び鋼の脱炭に対する保護を確保し且つ潤滑機能を確保する,亜鉛-鉄ベース合金化合物および亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物からなる群から選択される合金化合物を熱処理により熱処理用鋼板ブランクの表面に生じさせる段階と,ここで該熱処理は熱処理用鋼板ブランクに800℃~1200℃の高温を2~10分間作用させるものであり,型打ちされた部品を臨界焼入れ速度を上回る速度でさらに冷却する段階と,
 型打ち処理に必要であった熱処理用鋼板の余剰部分を裁断によって除去する段階と,
を含んで成る方法。」

2.4.審決の判断
 本件審決は、「「合金」は,一般の解釈とは異なり,「合金化合物」(金属間化合物)が含まれない」と解釈した上で,上記「亜鉛ベース合金」は,「亜鉛が少なくとも50重量%含まれている固溶体,あるいは金属相の混合物としての金属生成物を意味する」ものとして明確である旨判断した。

2.5.裁判所の判断
「2 取消事由1(明確性要件違反についての判断の誤り)について
(1) 原告は,本件特許の特許請求の範囲における熱処理前の熱処理用鋼板を被覆する「亜鉛ベース合金」の「合金」について,金属間化合物を含むものか,含まないものかが明確ではないから,これを含まないものと一義的に解釈した上で,上記「亜鉛ベース合金」は明確であるとした本件審決の判断は誤りである旨主張する。
(2) そこで,本件特許の特許請求の範囲の記載及び本件明細書の記載から,上記「亜鉛ベース合金」における「合金」の意義がどのように解釈されるべきかにつき検討する。
ア まず,「合金」の用語は,一般に「固溶体,金属間化合物,あるいは金属相の混合物として2個以上の元素を含む金属生成物」(甲39)を意味するものとされるから,一般に「合金」が金属間化合物を含むものであることは,本件特許の優先日前からの技術常識である(このことは,当事者間に争いがない。)。
 したがって,本件特許の特許請求の範囲の「亜鉛ベース合金」における「合金」についても,特段の事情がない限り,上記のような一般的な意味に従って,金属間化合物を含むものとして解釈されるべきである。
イ そこで,本件特許の特許請求の範囲の記載や本件明細書の記載において,上記「亜鉛ベース合金」における「合金」が,一般的な意味とは異なり,金属間化合物を含まないものと解釈されるべきことを根拠づける記載があるか否かにつき検討する。
(ア) 本件特許の特許請求の範囲の記載をみると,請求項1において,熱処理前の熱処理用鋼板を被覆するものとして「亜鉛ベース合金」が特定され,また,請求項3において,「被膜を形成する…亜鉛ベース合金が5μm-30μmの範囲の厚みである」ことが記載されているのみであり,これらの「合金」に金属間化合物が含まれないことを示す特段の記載は認められない。
(イ) 次に,本件明細書の発明の詳細な説明の記載をみるに,本件審決は,段落【0015】及び【0016】の記載から,「合金」の被膜が,熱処理や熱間成形の温度上昇で,鋼と「合金化」して「化合物」を形成することが理解できるから,温度上昇の前後で「合金」と「化合物」は区別され,技術的に異なる意味と解されるとして,熱処理前の「合金」には金属間化合物は含まれない旨判断する。
 しかしながら,熱処理前の「合金」と熱処理後に形成される「化合物」とが技術的に区別されるものであるとしても,そのことから直ちに,熱処理前の「合金」に金属間化合物が含まれないとの解釈が導き出されるものではない。
 すなわち,熱処理用鋼板を被覆する熱処理前の「合金」の被膜が金属間化合物であるとしても,これを熱処理することにより鋼板中の鉄が被膜中に拡散し,鉄の濃度が変化することによって,熱処理前の金属間化合物とは異なる金属間化合物に変化し得ること(例えば,Zn-Fe系金属間化合物の場合,ζ相(FeZn13),δ1相(FeZn7),Γ1相(Fe5Zn21),Γ相(Fe3Zn10)の順に変化すること(甲2,3,71及び乙3))は,本件特許の優先日当時の技術常識である。そして,このような技術常識を前提とすれば,熱処理前の「合金」が金属間化合物であるとしても,これと熱処理後に形成される別の金属間化合物との区別は可能であるし,金属間化合物の被膜が別の金属間化合物に変化することをもって,「被膜は帯材の鋼と合金化した層を形成し,…形成された化合物は…」(本件明細書の段落【0016】)と表現することも格別不自然とはいえない。
 また,本件特許の特許請求の範囲請求項1の記載によれば,熱処理前の「亜鉛ベース合金」についてはその特性等に係る特定がされていないのに対し,熱処理後の「化合物」については,「腐食に対する保護及び鋼の脱炭に対する保護を確保し且つ潤滑機能を確保する」という特性に関する特定がされているのであるから,この点からも,熱処理前の「合金」と熱処理後の「化合物」との区別は可能なものといえる。
 してみると,熱処理前の「合金」と熱処理後に形成される「化合物」とが技術的に区別されるものであるからといって,熱処理前の「合金」に金属間化合物が含まれないと解釈しなければならないとはいえない。
 なお,本件審決は,本件特許の出願人である脱退被告が,出願審査の過程において,熱処理前の「合金」と熱処理後の「金属間化合物」とが区別される旨を主張していたことも上記解釈の理由に挙げるが,そのようなことが,熱処理前の「合金」に金属間化合物が含まれないとの解釈に結びつくものでないことは,上記と同様である。
 さらに,本件明細書の発明の詳細な説明のその他の記載をみても,上記「亜鉛ベース合金」における「合金」を金属間化合物を含まないものと解釈すべきことを根拠づけるに足りる記載は認められない。

ウ 以上によれば,本件特許の特許請求の範囲の記載や本件明細書の記載に照らしても,上記「亜鉛ベース合金」における「合金」について,金属間化合物を含まないものと解釈すべき特段の事情は認められないから,「合金」の意味は,一般的な意味に従って,金属間化合物を含むものと解するのが相当である。