2016年12月11日日曜日

数値範囲の一部がサポート要件を満たさないことの説明を巡る争い

 知財高裁平成28年11月30日判決
平成28年(行ケ)第10057号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、拒絶査定不服審判の審決(サポート要件違反等)の取り消し訴訟の、審決維持の高裁判決である。
 請求項1発明は、所定の特性を有する潤滑油基油成分を,基油全量基準で10質量%~100質量%含有する潤滑油基油、という特徴を含む。実施例で「70質量%」と「100質量%」の例はあるが、数値範囲下限値の「10質量%」付近の実施例は明細書に記載されていない。
 審決では、数値範囲下限値の「10質量%」付近で課題を解決できないことの説明として、本願明細書の実施例1に係る潤滑油組成物と比較例2に係る潤滑油組成物とを,15%:85%の割合で混合した基油(以下「ケースA」という。)という架空の例を想定し、この「ケースA」が本発明の課題を解決できない、と説明した。
 知財高裁は、審決が「ケースA」を想定し,これについて発明の課題を解決できるか否かを検討した点は「不適切」であるといわざるを得ない、と判断した。ただし、これを理由に,直ちに本件審決に取り消すべき違法があるということはできないとして、審決に取り消し理由は存在しないと結論付けた。

2.本願請求項1に記載の発明(下線は説明のために追加)
尿素アダクト値が2.5質量%以下であり且つ40℃における動粘度が25mm/s以下,粘度指数が120以上である潤滑油基油成分を,基油全量基準で10質量%~100質量%含有する潤滑油基油と,/下記一般式(1)で表される構造単位の割合が0.5~70モル%であるポリ(メタ)アクリレート系粘度指数向上剤と,/を含有し,100℃における動粘度が4~12mm/sであり,粘度指数が140~300であることを特徴とする潤滑油組成物。
式(1)(省略))」

3.本件審決の理由(サポート要件違反)
 本願発明の課題は,潤滑油の40℃及び100℃における動粘度及び100℃におけるHTHS粘度を低減し,粘度指数を向上し,-35℃におけるCCS粘度,(-40℃におけるMRV粘度)を著しく改善できる潤滑油組成物を提供することである。
 本願発明は,「尿素アダクト値が2.5質量%以下であり且つ40℃における動粘度が25mm/s以下,粘度指数が120以上である」と特定される潤滑油基油成分を,基油全量基準で10質量%~100質量%含有するものとされていることから(以下「質量%」を単に「%」と記載することがある。),本願明細書の実施例1に係る潤滑油組成物と比較例2に係る潤滑油組成物とを,15%:85%の割合で混合した基油(以下「ケースA」という。)を想定する(本願発明で特定された潤滑油基油成分に相当するのは「基油1」のみであって,その含有量は15%となり,本願発明で特定された潤滑油基油成分以外の潤滑油基油成分に相当するのは「基油2」のみであって,その含有量は85%となる。)。実施例1に係る潤滑油組成物と比較例2に係る潤滑油組成物とは,低温特性に大きな差があり,前者については,高評価であり,本願発明の課題が解決される旨記載されているのに対し,後者については,本願発明の課題を解決し得ない旨記載されていることから,当業者は,本願明細書の実施例の記載から,ケースAが本願発明の課題を解決すると理解することはないというべきである。また,本願発明で特定された潤滑油基油成分に関し,実施例における含有量である70%又は100%から大きく離れた下限値である10%の近傍において,実施例と同様の低温特性を示すであろうことについて合理的な説明がされているとはいえず,本願発明で特定された潤滑油基油成分以外の潤滑油基油成分に関し,この含有量が85%であって,上限値である90%の近傍であるケースAについて,実施例と同様の低温特性を示すであろうことについて合理的な説明がされているとはいえない。したがって,本願明細書の記載は,技術常識を考慮しても,当業者において,ケースAが本願発明の課題を解決できるものであると理解するとはいえない。
 そうすると,本願明細書の発明の詳細な説明は,本願発明の一部については本願発明の課題が解決できることが記載されているとしても,これを本願発明の全範囲にまで一般化できることについては,当業者が理解できるように記載されているとすることはできない。」

4.審決の適法性についての裁判所の判断のポイント
(4) 本願発明の課題を解決できると認識できる範囲
 前記(3)によれば,本願明細書の記載に接した当業者は,「本発明に係る潤滑油基油成分」を70質量%~100質量%程度多量に含む,「本発明に係る潤滑油基油成分」と同じかそれに近い物性の「潤滑油基油」を使用し,一般式(1)で表される構造単位の割合が0.5~70モル%であるポリ(メタ)アクリレート系粘度指数向上剤(「本発明に係る粘度指数向上剤」)を添加して,100℃における動粘度が4~12mm/s,粘度指数が140~300とした潤滑油組成物は,本願発明の課題を解決できるものと認識できる。
 他方,本願発明は,「本発明に係る潤滑油基油成分と併用される他の潤滑油基油成分としては,特に制限されない」ものであるところ(【0051】),一般に,複数の潤滑油基油成分を混合して潤滑油基油とする場合,少量の潤滑油基油成分の物性から,潤滑油基油全体の物性を予測することは困難であるという技術常識に照らすと,本願明細書の【0049】や【0050】の記載から,直ちに当業者において,「本発明に係る潤滑油基油成分」の基油全量基準の含有割合が少なく,特許請求の範囲に記載された「基油全量基準で10質量%~100質量%」という数値範囲の下限値により近いような「潤滑油基油」であっても,その含有割合が70質量%~100質量%程度と多い「潤滑油基油」と,本願発明の課題との関連において同等な物性を有すると認識することができるということはできない。しかるに,本願明細書には,この点について,合理的な説明は何ら記載されていない。
(5) 本願発明のサポート要件適合性
 本願発明は,前記(2)のとおり,「本発明に係る潤滑油基油成分」を,「基油全量基準で10質量%~100質量%」含有することが特定されたものであるが,前記(4)のとおり,当業者において,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,「本発明に係る潤滑油基油成分」の基油全量基準の含有割合が少なく,特許請求の範囲に記載された「基油全量基準で10質量%~100質量%」という数値範囲の下限値により近いような「潤滑油基油」であっても,本願発明の課題を解決できると認識するということはできない。
 また,「本発明に係る潤滑油基油成分」の基油全量基準の含有割合が少なく,特許請求の範囲に記載された「基油全量基準で10質量%~100質量%」という数値範囲の下限値により近いような「潤滑油基油」であっても,本願発明の課題を解決できることを示す,本願の出願当時の技術常識の存在を認めるに足りる証拠はない。
 したがって,本願発明の特許請求の範囲は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載により,当業者が本願発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものということはできず,サポート要件を充足しないといわざるを得ない。
(6) 原告の主張について
原告は,本件審決が,「ケースA」を想定し,当該「ケースA」について本願発明の課題を解決できることを当業者において理解することはできないから,本願発明の課題が解決できることを本願発明の全範囲にまで一般化できず,本願発明はサポート要件を満たさない旨判断したことに関し,本願明細書の記載に接した当業者において,本願発明の課題との関係で特に「ケースA」を想定すべき事情は全く存在しないから,当業者が,「ケースA」を想定し,本願発明の課題を解決できないと認識することはないし,そもそも,想定した「実施例の組成物と比較例の組成物の混合物」が実施例の組成物よりも特性に劣るならば,特許出願はサポート要件を満たしていないとする判断手法では,組成物の発明に係る特許出願はおおむね拒絶されることになり,特許法の目的に反する旨主張する。
 「ケースA」は,本件審決が,本願発明について,特に潤滑油基油について着目した上で,本願明細書の実施例1に係る潤滑油組成物と比較例2に係る潤滑油組成物とを,15%:85%の割合で混合した基油を想定したものであるところ,本願明細書に記載された実施例1及び2並びに比較例1ないし4は,いずれも,基油1及び2並びに添加剤を用いて調製された潤滑油組成物であって(【0110】),潤滑油組成物を用いて調製されたものではないにもかかわらず,本願明細書に接した当業者において,本願明細書に記載された実施例等の調製方法とは異なり,潤滑油組成物である実施例1及び比較例2を混合した潤滑油組成物や,そこに含有される潤滑油基油を普通に想定するとは考え難い。したがって,「ケースA」の潤滑油組成物が本願発明の発明特定事項を備えるものであるとしても,本件審決が,本願発明のサポート要件適合性を判断するについて,上記のように,本願明細書に接した当業者が普通に想定するとは考え難い「ケースA」を想定し,これについて発明の課題を解決できるか否かを検討した点は,不適切であるといわざるを得ない。
 しかし,特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するというためには,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に照らし,当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものでなければならない。本願発明は,特許請求の範囲において,「本発明に係る潤滑油基油成分」の含有割合が「基油全量基準で10質量%~100質量%」であることを特定するものである以上,当該数値の範囲において,本願発明の課題を解決できることを当業者が認識することができなければ,本願発明はサポート要件に適合しないということになるところ,当業者において,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,「本発明に係る潤滑油基油成分」の基油全量基準の含有割合が少なく,上記数値範囲の下限値により近いような「潤滑油基油」であっても,本願発明の課題を解決できると認識するということができないことは,前記(5)のとおりである。
 そして,「ケースA」は,本発明の潤滑油基油成分に相当する「基油1」を基油全量基準で約14%含有する潤滑油基油と,「本発明に係る粘度指数向上剤」とを含有し,100℃における動粘度が4~12mm/sであり,粘度指数が140~300である潤滑油組成物であると認められるところ,本件審決は,「本願明細書の【0049】及び【0050】には,本発明に係る潤滑油基油成分の含有割合が10質量%未満となる場合について言及されているものの,例えば,全ての実施例における含有量である70質量%又は100質量%から大きく離れた下限値である10質量%の近傍において,例えば,実施例1及び2と同様な低温特性を示すであろうことについて,首肯し得る合理的な説明がされていないこと」をも踏まえ,「ケースA」について本願発明の課題を解決できることを当業者において理解することはできないと判断するものであって,上記は,本願発明における「本発明に係る潤滑油基油成分」の含有割合が「基油全量基準で10質量%」という数値範囲の下限値に,より近いような「潤滑油基油」であっても,本願発明の課題を解決できることを当業者において認識することができないことを述べるものと解することができる。
 以上によれば,本件審決が「ケースA」を想定し,これについて発明の課題を解決できるか否かを検討した点は不適切であるといわざるを得ないが,これを理由に,直ちに本件審決に取り消すべき違法があるということはできない。
イ 原告は,本件審決では,ケースAの潤滑油組成物により本願発明の課題が解
決されるか否かを検討するのではなく,ケースAの潤滑油組成物が実施例1及び2
の潤滑油組成物と同様の低温特性を示すか否かが検討されているが,これを検討し
たところで,本願明細書が,当業者において,ケースAの場合について,本願発明
の課題を解決できることが理解されるように記載されているとはいえないとの結論
には至らない旨主張する。
 前記アのとおり,本件審決が「ケースA」を想定し,これについて発明の課題を解決できるか否かを検討した点は,不適切であるといわざるを得ないが,これを理由に,直ちに本件審決に取り消すべき違法があるということはできない。
 また,本願明細書の記載によれば,前記(3)エのとおり,本願発明の課題を解決できるというためには,150℃HTHS粘度が2.6となるように潤滑油組成物を調製した場合に,40℃動粘度,100℃動粘度,100℃HTHS粘度,-35℃CCS粘度及び粘度指数の数値を総合的に検討した結果,比較例1ないし4で代表される従来の技術水準を超えて,実施例1及び2と同程度に優れたものとなることが必要である。したがって,「本発明に係る潤滑油基油成分」の基油全量基準の含有割合が少なく,特許請求の範囲に記載された数値範囲の下限値により近いような「潤滑油基油」であっても,本願発明の課題を解決できると認識できるか否かを,実施例1及び2の潤滑油組成物との比較において検討することが誤りであるとはいえない。そして,審決書に「例えば,実施例1~2と同様な低温特性を示されるであろうことについて,当業者が首肯しうる合理的な説明がなされているものとすることができない。」(18頁6~8行)とあるように,本件審決は,本願発明の課題に関連する物性の一つの例として実施例と比較例の差が最も顕著である低温特性(-35℃CCS粘度)に言及したものであって,低温特性のみを検討対象とした

ものであるとは解されない。

2016年12月5日月曜日

組成物発明の新規性について争われた事例

知財高裁平成26年7月16日判決
平成25年(行ケ)第10291号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、特許出願人が、拡大先願発明による新規性欠如(特許法29条の2)を理由とする拒絶審決の取り消しを求めた審決取消訴訟において、審決が取り消された事例である。
 本願発明と拡大先願発明とはともに「固体農薬組成物」に関する発明である。知財高裁は2つの発明の組成物が、互いに重複する部分を含む場合であっても、本願発明の請求項中での必須構成要件が拡大先願発明に記載されていない以上は新規性は認められると判断した。

2.本願発明(本願請求項1)
「ワタ,カポック,アマ,タイマ,ラミー,ボウマ,ジュート,ケナフ,ロゼル,アラミナ,サンヘンプ,マニラアサ,サイザルアサ,マゲイ,ヘネケン,イストリ,モーリシャスアサ,ニュージーランドアサ,フィケ,ココヤシ,パナマソウ,イグサ,シチトウイ,カンゾウ,フトイ,アンペラソウ,コリヤナギ,タケ,コウゾ,ミツマタ,ホウキモロコシ,チーゼルおよびヘチマから選ばれる吸油性の高い繊維作物の破断物と,常温で液体の農薬活性成分または農薬活性成分を液体溶媒に溶解もしくは分散させた液状物とを含有することを特徴とする水田用固体農薬組成物。」

3.特願2000-239324号(特開2002-53405号)公報に係る明細書記載の発明(拡大先願発明)
「農薬成分(アニロホス,ベンフレセート,エトキシスルフロン及びダイムロン)21.4重量%,界面活性剤9.5重量%,デンプンアクリル酸グラフト重合体部分ナトリウム塩4.0重量%,合成シリカ10.0重量%,塩化カリウム10.0重量%,ケナフ粉10.0重量%,ナタネ油6.0重量%,焼成軽石29.1重量%を含む水田に散布される浮遊性の農薬製剤。」

4.裁判所の判断
「農薬活性成分の状態
 上記のとおり,融点の低いアニロホス,ベンフレセートに融点降下が起きて液状化するとは認められないから,固体の状態を維持したまま混合され,ケナフ粉などその他の原末成分とともに粉末化される。ここで,溶媒の役割を果たすべき液体のナタネ油の量は6%と非常に少ない上に,予め焼成軽石に浸み込まされているために農薬活性成分と混合した際に触れる量はより一層少ないから,ナタネ油は,混合された固体の農薬活性成分を液状化するまでには至らず,結合剤として機能するだけで,固体の農薬活性成分を焼成軽石の表面や内部空隙に結着させるにすぎないと考えられる。したがって,拡大先願発明において,農薬活性成分が製造過程において液状になることはなく,「液体」又は「液状物」が「含有」されたものとはいえないから,「液体の農薬活性成分」又は「農薬活性成分を液体溶媒に溶解もしくは分散させた液状物」を「含有」することを必須とする本願発明とはこの点において相違がある。
 確かに,本願発明と拡大先願発明はいずれも物の発明であるところ,本願発明において,液体溶媒に分散された固体農薬活性成分が繊維作物の破断物の内部空隙まで浸透せずに表面に結着して存在する場合,生成物同士を比較すると,本願発明と拡大先願発明との間で固体農薬活性成分の存在形態に違いがない以上,両者を区別することはできない。また,拡大先願発明において,ケナフ粉の空隙と焼成軽石成分粒子の大小関係次第では,ケナフ粉の内部にアニロホス,ベンフレセートを含めた固体の農薬活性成分粒子が侵入することも考えられるが,この場合,農薬活性成分が繊維作物破断物の内部へ浸透する場合の本願発明と,固体農薬活性成分の存在形態に違いがなくなり,両者を区別することはできないことになる。このように,本願発明と拡大先願発明の固体農薬組成物に重なり合う部分があることは否定できないが,本願発明の請求項に「液体の農薬活性成分」又は「農薬活性成分を液体溶媒に溶解もしくは分散させた液状物」を「含有」するという記載がある以上,拡大先願発明との対比においてこの点を無視することはできないのであって,拡大先願発明がこの点を具備しない以上,相違点と認めざるを得ない。