2016年11月27日日曜日

特許権侵害訴訟において、医薬組成物クレーム中の「緩衝剤」が別途添加された成分に限定され、組成物内で生じる同成分は含まないと判断された事例

東京地裁平成28年10月28日判決
平成27年(ワ)第28468号 特許権侵害差止請求事件

1.概要
 本事例は侵害訴訟の第一審判決である。
 原告が有する特許権は、下記の本件訂正発明のオキサリプラチンを有効成分として含み、かつ、有効安定化量の「緩衝剤」を含み安定オキサリプラチン溶液組成物に関する。ここで緩衝剤は、シュウ酸またはそのアルカリ金属塩である。
 一方、被告が実施する下記の被告製品は、オキサリプラチン溶液組成物であり、かつ、オキサリプラチンが分解して生じたシュウ酸(解離シュウ酸)を含む。
 原告は、被告製品の解離シュウ酸が、本件訂正発明における「緩衝剤」に該当すると主張した。
 裁判所は以下の理由から、被告製品の解離シュウ酸は、本件訂正発明における「緩衝剤」に該当しないと判断した。
 ・緩衝剤の「剤」とは,「各種の薬を調合したもの」を意味するから,緩衝剤とは,緩衝に用いる目的で,各種の薬を調合したものを意味すると考えることが自然である。オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は,「各種の薬を調合したもの」に当たるとはいえない。
 ・本件特許明細書では、実施例1ないし17については,シュウ酸が付加されていることが明記されている。さらに,本件明細書では,実施例1ないし17について,添加されたシュウ酸のモル濃度が記載されているが,解離シュウ酸を含むシュウ酸のモル濃度は記載されていない。
 ・本件明細書には,「緩衝剤」である「シュウ酸」に,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸が含まれることを示唆する記載はない。

2.本件訂正発明の構成要件
本件訂正発明を構成要件に分説すると,次のとおりである(下線は説明のために筆者が追加したもの)
A オキサリプラチン,
有効安定化量の緩衝剤および
C 製薬上許容可能な担体を包含する
D 安定オキサリプラチン溶液組成物であって,
E 製薬上許容可能な担体が水であり,
緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
G 1)緩衝剤の量が,以下の:
(a)5x10-5M~1x10-2M,
(b)5x10-5M~5x10-3M,
(c)5x10-5M~2x10-3M,
(d)1x10-4M~2x10-3M,または
(e)1x10-4M~5x10-4
の範囲のモル濃度である,
H pHが3~4.5の範囲の組成物,あるいは
I 2)緩衝剤の量が,5x10-5M~1x10-4Mの範囲のモル濃度である,組成
物。

3.被告製品
 被告は,別紙被告製品目録記載の各製品(以下,これらを併せて「被告製品」という。)を製造,輸入及び販売している。
 被告製品は,構成要件A,C,E及びHを充足する。
 また,被告製品中には,オキサリプラチンが分解して溶液中に生じるシュウ酸(以下「解離シュウ酸」という。)が含まれているが,シュウ酸が別途に添加されてはいない。
 被告製品中で検出されるシュウ酸のモル濃度の数値は,6.4x10-5M~7.0x10-5Mの範囲にあり,これは,構成要件G及びIに示されるモル濃度の範囲に含まれる。

4.争点
 本件訂正発明におけるシュウ酸またはそのアルカリ金属塩である「緩衝剤」が、別途添加したものに限られるか?
 被告製品では、別途添加されたシュウ酸は含まれていないが、有効成分であるオキサリプラチンが分解して生じるシュウ酸は含まれている。

5.裁判所の判断のポイント
「点(1)ア(構成要件B,F及びGの「緩衝剤」の充足性)について
(1) 本件発明における「緩衝剤」は,添加されたシュウ酸またはそのアルカリ金属塩をいい,オキサリプラチンが分解して生じたシュウ酸(解離シュウ酸)は「緩衝剤」には当たらないと解することが相当である。理由は以下のとおりである。
(2)ア 特許発明の技術的範囲は特許請求の範囲の記載に基づいて定めるものとされているから(特許法70条1項),「緩衝剤」を解釈するに当たり,特許請求の範囲請求項1の記載をみると,緩衝剤について,「有効安定化量の緩衝剤」,「緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩」,「緩衝剤の量が・・・のモル濃度」である旨記載されている。
 上記記載を踏まえて検討するに,緩衝剤の「剤」とは,「各種の薬を調合したもの」を意味するから(広辞苑第三版。乙34),緩衝剤とは,緩衝に用いる目的で,各種の薬を調合したものを意味すると考えることが自然である。しかし,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は,「各種の薬を調合したもの」に当たるとはいえない。
 また,緩衝剤は「シュウ酸」又は「そのアルカリ金属塩」であるとされているが,緩衝剤として「シュウ酸アルカリ金属塩」を選択した場合を考えると,この場合,オキサリプラチン水溶液中には,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸と「シュウ酸アルカリ金属塩」が同時に存在するところ,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸は「シュウ酸アルカリ金属塩」に該当しないことが明らかであるから,緩衝剤は,オキサリプラチン水溶液に添加される「シュウ酸アルカリ金属塩」を指すと解するほかない。そうすると,「シュウ酸アルカリ金属塩」と並列に記載されている「シュウ酸」についても,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸を除き,オキサリプラチン水溶液に添加されるシュウ酸を意味すると解することが自然である。
イ 次に,特許請求の範囲に記載された用語の意義は,明細書の記載を考慮して解釈するものとされているから(特許法70条2項),本件明細書の記載をみると,段落【0022】には「緩衝剤という用語は,本明細書中で用いる場合,オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」という記載があり,「緩衝剤」という用語の定義がされている。
 ここで,「緩衝剤」は,「酸性または塩基性剤」と定義されており,前記のとおり,「剤」は「各種の薬を調合したもの」であるから,添加したものに限られると考えるのが自然である。
 そして,オキサリプラチンは,次式の反応によりジアクオDACHプラチンとシュウ酸に分解する。
(化学式 略)
 上記反応は化学的平衡にあるが,証拠(乙35)によれば,平衡状態にあるオキサリプラチン水溶液にシュウ酸が添加されると,ルシャトリエの原理により,上記式の右から左への反応が進行し,新たな平衡状態が形成されることが認められる。新たな平衡状態においては,シュウ酸を添加する前の平衡状態と比べると,ジアクオDACHプラチンの量が少ないので,シュウ酸の添加により,オキサリプラチン水溶液が安定化され,不純物の生成が防止されたといえる。
 ところが,シュウ酸が添加されない場合には,オキサリプラチン水溶液の平衡状態には何ら変化が生じないから,オキサリプラチン溶液が,安定化されるとはいえない。
 したがって,上記明細書に記載された「緩衝剤」の定義は,緩衝剤に解離シュウ酸が含まれることを意味していないというべきである。
ウ また,本件明細書における実施例18()に関する記載をみると,「比較のために,例えば豪州国特許出願第29896/95号(1996年3月7日公開)に記載されているような水性オキサリプラチン組成物を,以下のように調製した」(段落【0050】前段),「比較例18の安定性 実施例18(b)の非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物を,40℃で1ヶ月間保存した。」(段落【0073】)といった記載がある。ここで,豪州国特許出願第29896/95号(1996年3月7日公開)は,乙1発明に対応する豪州国特許であり,同特許は水性オキサリプラチン組成物に係る発明であるから,上記各記載からは,実施例18(b)は,「実施例」という用語が用いられているものの,その実質は本件発明の実施例ではなく,本件発明と比較するために,「非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物」,すなわち,緩衝剤が用いられていない従来既知の水性オキサリプラチン組成物を調製したものであると認めるのが相当である。そうすると,本件明細書において,緩衝剤を添加しない水性オキサリプラチン組成物は,本件発明の実施例ではなく,比較例として記載されているというべきである。
 また,本件明細書には,実施例1ないし17については,シュウ酸が付加されていることが明記されている。さらに,本件明細書では,実施例1ないし17について,添加されたシュウ酸のモル濃度が記載されているが,解離シュウ酸を含むシュウ酸のモル濃度は記載されていない。
 他方で,本件明細書には,「緩衝剤」である「シュウ酸」に,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸が含まれることを示唆する記載はない。

 以上からすると,本件明細書の記載では,解離シュウ酸については全く考慮されておらず,緩衝剤としての「シュウ酸」は添加されるものであることを前提としていると認められる。」