2016年5月28日土曜日

特許権侵害訴訟において被告製品が構成要件を充足の有無が特定できないとされた事例


東京地裁平成28年4月27日判決言渡
平成25年(ワ)第30799号 特許権侵害差止請求事件           

1.概要
 本事例は、原告が有する特許権に基づく被告に対する侵害差止請求訴訟の第一審において、本件特許発明における「球形の相」という構成を侵害被疑物品(被告製品)が充足しているか否かが特定できる十分な立証がされていないことを理由に原告の請求を棄却した事例である。
 本件特許発明は所定の組成の金属からなるスパッタリングターゲットに関するものであり、所定の寸法の「球形の相」が金属素地中に分散していることを特徴としている。
 原告は、被告製品1のスパッタリングターゲットの組織片を研磨した表面の顕微鏡観察写真等を証拠として、写真において円形の相として現れる「球形の相」が含まれることと、それが所定の寸法を有することの立証を試みた。
 しかし裁判所は、表面の写真で円形の相であるからといってそれが球形の相であるとは特定できないと判断し、侵害の立証がされておらず原告の請求に理由がないと結論づけた。
 侵害被疑物品において侵害発見が容易な特徴により発明を特定することの重要性を理解するうえで参考になる事例である。

2.本件特許発明の構成
 原告が有する特許権に係る本件特許発明の構成要件は次の通り分説することができる。
 A Crが20mol%以下,Ptが5mol%以上30mol%以下,残余がCoである組成の金属からなるスパッタリングターゲットであって, 
 B このターゲットの組織が,金属素地(A)と, 
 B-(1) 前記(A)の中に,Coを90wt%以上含有する長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相(B)を 
 B-(2) 前記ターゲットの全体積又は前記ターゲットのエロージョン面の面積の20%以上有し, 
 B-(3) 前記球形の相(B)は,研磨面を顕微鏡で観察したときに前記金属素地(A)で囲まれている 
 C ことを特徴とする強磁性材スパッタリングターゲット。 

3.裁判所の判断のポイント
「2 争点(2)(被告製品1は本件特許発明の技術的範囲に属するか)について
(1) 構成要件B-(1)及び同B-(2)の充足性について
ア 構成要件B-(1)及び同B-(2)の文理解釈について
・・・・
被告製品1が構成要件B-(1)及び同B-(2)を充足するというためには,被告製品1のターゲット中に存在する①「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」(以下,単に「球形の相」ということがある。)を特定できること,②上記①の球形の相が「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されること,及び③上記①の球形の相の量が「ターゲットの全体積又はエロージョン面の面積の20%以上」であることが立証されることが必要である。

イ 被告製品1において「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定できるかについて
・・・・
(イ) 本件明細書の上記(ア)の記載によれば,「球形」とは,「真球,擬似真球,扁球(回転楕円体),擬似扁球を含む立体形状」であって,「外周部に多少の凹凸があっても」よく,「その中心から外周までの長さの最小値に対する最大値の比が2以下」であればよいとされていることは,理解し得るものの,実施例及び比較例について具体的に記載されているのは,ターゲット研磨面の観察結果(二次元的な確認)にとどまる。本件明細書を精査しても,本件特許発明にいう「金属素地(A)」の中に存在するとされる「相(B)」の立体形状が,実際に「球形」であることを確認する方法が明らかにされているとは認め難く,実施例及び比較例について「相(B)」の立体形状の観察結果(三次元的な確認)を得た旨の記載も見当たらない。
 したがって,被告製品1において,「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定することができるか否かは,当業者の技術常識を踏まえて判断するほかはない。
(ウ) 原告は,原告の従業員が被告製品1を分析した結果であるとする平成25年3月8日付け実験結果報告書(甲5。以下「甲5報告書」という。)に記載された実験(以下「甲5実験」という。)により,同報告書の図6と同じ位置のレーザー顕微鏡写真(図8)を得て,画像処理し(図9),a,b,d,e,f,h,l,mの各相の面積,長径,短径を測定し(表3),長径と短径の差が0~50%であることを確認した旨主張する。
 しかし,構成要件B-(1)が規定するのは,「球形の相」,すなわち「立体形状」が「球形」である「相」における「長径及び短径」並びに「直径」の数値範囲であるところ,証拠(乙32)によれば,ターゲットの断面(一水平面)において「円形」に観察される相であっても,当該相の立体形状がいかなるものであるは不明であり,当然に「球形」であるといえるものではないことが認められる。
 また,上記の点を措き,ターゲットの断面(一水平面)において「円形」に観察される相の立体形状が「球形」であると仮定しても,上記証拠によれば,同断面が球の中心を通るのか否か,通らない場合にはどの程度中心から外れているのかは,不明であるというほかはなく,同断面において「円形」に観察される相について行った測定結果に基づいて,当該相が「球形」である場合の「直径」を近似的に求めることはできないものと認められる。
 この点,本件明細書において,前記(ア)のとおり「球形そのものを確認することの比が2以下であることを目安としてよい。」(【0026】)とされていることに鑑み,ある相の断面が上記要件を充たすことをもって,構成要件B-(1)にいう「長径と短径の差が0~50%」の「球形の相」であると推認することが許されないではないとしても,そのことをもって,直ちにその相の「直径が30~150μmの範囲にある」ことまで推認されるということはできない。
 したがって,甲5実験によっては,被告製品1における「長径と短径の差が0~50%であって直径が30~150μmの範囲にある球形の相」が特定されたということはできない
・・・
(オ) 以上のほか,原告が縷々主張するところを踏まえても,被告製品1において,「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定することは,困難というべきである。

ウ 被告製品1において「球形の相」が「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されたといえるか
(ア) 上記イのとおり,被告製品1において,「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定することができない以上,そのような「球形の相」が「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されることはあり得ないところであるが,事案に鑑み,仮に,原告の主張に係る「球形の相」が「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある」ものとして,「Coを90wt%以上含有する」と認められるか否かについて,検討する。
・・・・
(ウ) 本件明細書の上記記載によれば,本件特許発明は,漏洩磁束が向上するターゲットを実現するため,「球形の相(B)」のCoの濃度を高め,周囲の組織より最大透磁率を高くし,ターゲット内部の磁束に密な部分と疎な部分を生じさせたターゲット組織構造を調整したものであると解される。
 そうだとすれば,構成要件B-(1)にいう「Coを90wt%以上含有する」「球形の相(B)」とは,「球形の相(B)」の中に「Co含有量が90wt%以上」の部分が少しでもあれば足りるというものではなく,「球形の相(B)」全体として「Co含有量が90wt%以上」であることが必要であるというべきである。
 なお,本件明細書には,Co含有量の測定方法に関し,「なお,相(B)のCo含有量は,EPMAを用いて測定することができる。また,他の測定方法の利用を妨げるものではなく,相(B)のCo量を測定できる分析方法であれば,同様に適用できる。」(【0024】)との記載があり,実施例1,2について,ターゲットの研磨面の光学顕微写真及びEPMAの元素分布画像が示されている(前記イ(ア)で引用した【0044】,【0045】,【0053】,【0054】参照)。
 しかし,本件明細書を精査しても,球形の相(B)におけるCo含有量の測定方法について,より具体的な説明がされた箇所は,見当たらない。
 したがって,被告製品1において,「球形の相」が,全体として,「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されたといえるか否かについては,当業者の技術常識を踏まえて判断するほかはない。
(エ) 原告は,甲5報告書の表2をもって,被告製品1における「Coを90wt%以上含有する球形の相」の分析結果である旨主張する。
 甲5実験は,被告製品1からサンプリング箇所を切り出し試験片とし,その表面をペーパーで研磨した後,バフ研磨し,試験片の球形相をEPMAを用いて,下記に引用する甲5報告書の図6のaないしmのアルファベット部分に電子線を照射してCo含有量を測定したものであり,その結果,下記のa,b,d,e,f,h,l,mの「球形の相」については,Coの含有量が90wt%以上あったとするものである。
 しかし,甲5実験におけるaないしmの「球形の相」のCo含有量については,電子線が照射された箇所(測定箇所)が,それぞれの「球形の相」のどの部分に当たるかが明確でないし,それぞれ1つの測定値しか示されていないのであるから,各測定値をもって,各「球形の相」の全体のCoの濃度とみることは,相当とは言い難い。
 この点,原告は,仮に,ある「球形の相」について,Co濃度が90wt%以上として測定された箇所が立体形状として中心付近とはいえない場合,中心付近のCo濃度は,測定箇所より高濃度であると合理的に推認されるから,いずれかの測定箇所で「Coを90wt%以上含有する」と評価できれば,それで足りる旨主張する。しかし,逆に,その測定箇所が立体形状として中心付近であった場合には,周囲部分のCo濃度は,測定値よりも低くなることが当然予想されるのであって,甲5実験においては,「球形の相」の中のCoの濃度分布(三次元分布)が具体的にどのようなものなのかが明らかとされていない以上,それぞれの「球形の相」について,一つの測定箇所の測定値が90wt%以上であったとしても,直ちに「球形の相」全体として「Coを90wt%以上含有する」ことが合理的に推認されることにはならない。
 したがって,甲5実験によっては,被告製品1において,「Coを90wt%以上含有する」「球形の相」が存在することが立証されたということはできない。
(オ) 原告は,甲53分析に基づく主張もする。
 しかし,同分析によっても,上記(エ)と同様の理由により,被告製品1において,「Coを90wt%以上含有する」「球形の相」が存在することが立証されたということはできない。
(カ) 以上のほか,原告が縷々主張するところを踏まえても,被告製品1において,「Coを90wt%以上含有する」「球形の相」が存在することが立証されたとみることは,困難というべきである。
・・・・
カ まとめ

以上によれば,被告製品1が構成要件B-(1),同B-(2)を充足することの立証はないというべきであるから,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がない。」