2014年8月24日日曜日

光学活性体の医薬用途発明の進歩性について争われた事例


知財高裁平成26年8月7日判決
平成25年(行ケ)第10170号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は拒絶審決取消訴訟において知財高裁が原告(出願人)の請求を棄却した事例である。
 本件補正発明は次の通りであった。
「立体異性体として純粋な(+)-2-[1-(3-エトキシ-4-メトキシフェニル)-2-メチルスルホニルエチル]-4-アセチルアミノイソインドリン-1,3-ジオン,又はその製薬上許容される塩,溶媒和物若しくは水和物;及び製薬上許容される担体,賦形剤又は希釈剤を含む,乾癬治療用医薬組成。」
 すなわち本件補正発明は、医薬組成物において、所定の化合物の特定の光学活性体を有効成分とすることを特徴とする。一方、引用例1に記載の発明(引用発明)は、当該所定の化合物の、光学活性体が分離されていないラセミ体を有効成分とする医薬組成物に関する。
 審決では、引用発明に基づき本件補正発明の進歩性を否定した。知財高裁も審決に違法性はないと結論付けた。

2.引用発明との一致点、相違点
 審決が認定した,引用発明の内容,本願補正発明と引用発明との一致点及び相違点は,次のとおりである。
ア 引用発明の内容
 2-[1-(3-エトキシ-4-メトキシフェニル)-2-メチルスルホニルエチル]-4-アセチルアミノイソインドリン-1,3-ジオン;及び製薬上許容される担体,希釈剤又は賦形剤を含む薬剤組成物。
イ 一致点
2-[1-(3-エトキシ-4-メトキシフェニル)-2-メチルスルホニルエチル]-4-アセチルアミノイソインドリン-1,3-ジオン;及び製薬上許容される担体,賦形剤又は希釈剤を含む,医薬組成物。
ウ 相違点
 本願補正発明においては,有効成分が「立体異性体として純粋な(+)」エナンチオマーであること,及び,用途が「乾癬治療用」であることが特定されているのに対し,引用発明においては,このような特定がされていない点。
3.裁判所の判断のポイント
(4) 容易想到性について
 引用例1には,式Iの化合物がTNF-α及びPDE4の望ましくない作用を阻害するのに用いられることが記載され,実施例には式Iに含まれる具体的化合物が記載されているから,引用例1に接した当業者は,実施例に記載された化合物は,引用発明の化合物も含めていずれもTNF-α及びPDE4の望ましくない作用を阻害するのに使用することができることを理解する。また,引用例1には,PDE4を特異的に阻害する化合物は副作用を最小限にして炎症の阻害を発揮するであろうことが,PDE4を阻害するとcAMPの分解が抑制される結果,TNF-α及びNF-κB等の炎症性メディエーターの放出が阻害されるという機序とともに記載され,炎症性疾患の一例として乾癬が記載されているのであるから,引用例1に接した当業者は,引用発明の化合物が乾癬を含む炎症性疾患一般に対して治療効果を有するであろうことを合理的に理解することができる。
 引用発明の化合物は,不斉炭素原子が1つあるから,2つの光学異性体を有する。当業者は,前記(3)のとおりの技術常識の下では,引用発明の化合物について光学異性体を得て,それらの薬理活性や薬物動態について検討をし,乾癬に適したものを選択することは,通常行うことと考えられる。そして,引用発明の化合物の光学異性体が容易に入手できるものであることやTNF-α阻害活性,PDE4阻害活性,cAMP上昇活性等の薬理活性が慣用の方法により測定できることからすると,引用発明の化合物の二つの光学異性体のうち炎症性疾患の治療により適した方を選択し,炎症性疾患の一つである乾癬に適用することとして本願補正発明に至ることについては,当業者が容易になし得たことであると認められる。
(5) 原告の主張に対して
ア 原告は,光学異性体が臨床試験において望ましくない副作用を示した例があるように,薬理活性をもつラセミ体の光学異性体がどのような作用を有するかは予測性が低く,必ずしもより有利な薬理活性を示すわけではないから,ラセミ体だからといって必ずしも光学異性体に分割して用いるべきとはいえないというのが本願優先日当時の技術常識であった,ラセミ体に薬理活性があることが公知であったとしても,その光学異性体を取り出せばより有利な薬理活性が認められるという推認が当然に働くわけではない等と主張する。
 しかし,上記(3)アのとおり,本願優先日当時,目的に適した薬理作用のみをもつ医薬品が強く求められることから,ラセミ体については光学異性体に分離してそれぞれの薬理作用等を検討することが多く行われていた。多くのラセミ体において光学異性体が検討されていたことは,製造承認を受けた医薬品に占める光学異性体の比率が増加していたこと(甲5文献)や,臨床試験において光学異性体が思わしくない結果を示したという報告(甲19,20)からも裏付けられる。したがって,本願優先日当時,光学異性体について検討する動機は充分にあったというべきである。そして,たとえ原告が主張するように,光学異性体の作用の予測性が高くないとしても,多くの光学異性体医薬が製造承認を得ている状況からみて,検討の結果,薬理活性や薬理動態等の点で優れた光学異性体が見出されたことは予想外とまではいえない。
イ 原告は,引用例1には,引用発明の化合物が乾癬に対する薬理作用を有することが実質的に示されていないから,仮に審決が認定した技術常識が正しいとしても,それを適用する前提が欠けている旨主張する。
 しかし,当業者は,引用例1の記載から,引用発明の化合物がTNF-α及びPDE4の望ましくない作用を阻害する活性を有することが読み取れ,それによって炎症性疾患一般に対して薬理作用を発揮するであろうことを理解することができる。原告は,本願補正発明が炎症性疾患の中でも特に乾癬を対象とするものであることを強調するが,乾癬は,引用例1にも記載されているとおり,炎症性疾患の一つであって,炎症性疾患一般に効果を有する化合物が乾癬に効果を有しないと理解するべき理由もない。本願明細書においても,乾癬は羅列列挙された多数の炎症性疾患のうちの一つにすぎず,本願補正発明が炎症性疾患の中でも乾癬に特化した医薬組成物であると認めるに足りる記載は見いだせない。したがって,原告の上記主張は採用することができない。
2 取消事由2(効果の顕著性の看過)について
 審決における効果の顕著性の判断には誤りがないと考える。その理由は,以下のとおりである。
(1) 光学異性体の医薬としての効果の評価基準について
 原告は,ラセミ体は50%の不純物を含有するものとみるべきである(甲4文献)から,光学異性体の活性の顕著性はラセミ体の2倍を基準として評価すべきである旨主張する。
しかし,上記1(3)アないしウの記載によれば,薬理活性を有する光学異性体に対してもう一方の光学異性体が競合阻害したり,生体内で片方の光学異性体がもう一方に変換されるなどの反応が起こることに起因して,ラセミ体の薬理活性は必ずしも有効な光学異性体の2分の1となるわけではないことが,本願優先日前から広く認識されていた。光学異性体においては,一方の光学異性体が他方の光学異性体の有する薬理活性に何ら影響を与えない場合のみならず,一方の光学異性体が存在することで他方の光学異性体の薬理作用を阻害をしたり,一方の光学異性体が生体内で活性のある他方の光学異性体に変換されたりすることで,他方の光学異性体の活性に影響を与えることもあるのであって,ラセミ体の活性が光学異性体の2分の1とは大きく異なる場合が充分想定される。
 そうすると,光学異性体が構成として容易想到であるにもかかわらず,当該光学異性体のもつ薬理活性が公知のラセミ体のそれと比較して顕著であることを根拠として当該光学異性体についての進歩性が肯定されるかは,当該光学異性体のラセミ体と比較した薬理活性の意義や性質,薬理活性の差異が生体内におけるものか試験管内でのものか,当該化合物に関する当業者の認識その他の事情を総合考慮して,当該光学異性体の薬理活性が当業者にとって予想できない顕著なものであったかが探究されるべきもので,単に薬理活性がラセミ体の2倍であるとの固定的な基準によって判断されるべきものではないと解するのが相当である。
(2) 本願化合物の効果の顕著性について
 上記(1)の点を念頭において,以下に,本願化合物の効果を,ラセミ体である引用発明の化合物の効果と比較検討する。
・・・

上記(2)のとおり,本願明細書から把握される本願補正発明の効果は,いずれも引用発明と比較して当業者が予測し得る範囲を超えた格別顕著なものとまでは認めることはできない。また,薬理作用,バイオアベイラビリティ及び低い副作用という三つの側面を総合して評価しても,本願化合物が,ラセミ体については光学異性体に分離してそれぞれの薬理作用等を検討し,目的に適したものを選択するという本願優先日当時の技術常識にのっとって,引用発明の化合物の二つの光学異性体のうちから(+)異性体を選択した結果もたらされたものにすぎないことを考慮すれば,進歩性を肯定するに足りるものではない。