2014年11月16日日曜日

再現実験による引例記載事項の証明が適切であるか争われた事例

知財高裁平成26年9月25日判決
平成25年(行ケ)第10324号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、結晶系の特徴によって特定された物質発明の新規性、進歩性が争われ、進歩性なしとの無効審判審決が知財高裁により取り消された事例である。
 本事例では、主引用例である甲1公報に、前記結晶系の特徴が明示的には記載されていなかった。被告(無効審判請求人)は甲1公報の再現実験結果を証拠として提出し、甲1には前記結晶系の特徴が記載されているとの証明を試みた。
 審決では再現実験結果を踏まえて前記結晶系の特徴は甲1に記載されていると判断した。
 知財高裁は、引例である刊行物に記載された発明とは、刊行物に明示的に記載されている事項だけでなく、再現実験により確認される属性も含まれる(広義の刊行物記載発明)ことをは認めつつも、被告提出の再現実験結果は甲1刊行物の再現実験結果とはいえないとして、前記結晶系の特徴は甲1には記載されていないと判断した。

2.本件発明1
「金属元素として少なくとも稀土類元素(Ln:但し,Laを稀土類元素のうちモル比で90%以上含有するもの),Al,M(MはCaおよび/またはSr),及びTiを含有し,
組成式をaLn2Ox・bAl23・cMO・dTiO2(但し,3≦x≦4)と表したときa,b,c,dが,
0.056≦a≦0.214
0.056≦b≦0.214
0.286≦c≦0.500
0.230<d<0.470
a+b+c+d=1
を満足し,結晶系が六方晶および/または斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物からなり,前記Alの酸化物の少なくとも一部がβ-Al23および/またはθ-Al23の結晶相として存在するとともに,前記β-Al23および/またはθ-Al23の結晶相を1/100000~3体積%含有し,1GHzでのQ値に換算した時のQ値が40000以上であることを特徴とする誘電体磁器。」

3.審決が認定した甲1発明との一致点、相違点
3.1.一致点
「金属元素として希土類元素(Ln),Al,M(MはCaおよび/またはSr)およびTiを含み,これらの成分をモル比でaLn2Ox・bAl2O3・cMO・dTiO2(但し,3≦x≦4)と表したときa, , , dの値が,
0.056≦a≦0.214
0.056≦b≦0.214
0.286≦c≦0.500
0.230<d<0.470
a+b+c+d=1
を満足する誘電体磁器。」

3.2.相違点
() 相違点1
本件発明1は,稀土類元素(Ln)が,Laを稀土類元素のうちモル比で90%以上含有し,1GHzでのQ値に換算した時のQ値(以下,単に「Q値」という。)が40000以上であるのに対して,甲1発明は,希土類元素についての限定がなく,Q値が40000以上と限定されない点
() 相違点2
本件発明は,結晶系が六方晶および/または斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物からなり,前記Alの酸化物の少なくとも一部がβ-Al2O3および/またはθ-Al2O3,の結晶相として存在するとともに,前記β-Al2O3および/またはθ-Al2O3の結晶相を1/100000~3体積%含有するものであるのに対して,甲1発明は,結晶系が不明である点

4.甲1発明の再現実験
 被告(無効審判請求人)は相違点2が甲1に記載されていることを証明するために、再現実験結果を提出した(甲4、甲35)。
 そして、審決は,相違点2に関して,甲1発明には,β-Al2O3および/またはθ-Al2O3(以下「β-アルミナ等」という。)の結晶層が生成すると認定した。すなわち,審決は,愛知工業大学教授Aによる「依頼実験報告書」(甲4。以下「甲4報告書」という。)や被告による「実験成績証明書」(甲35。以下「甲35報告書」という。)の実験は,甲1公報に記載の方法に準拠した再現実験であると判断し,その報告から,甲1発明には,「相違点2に係る本件発明1の『結晶系』の要件を満たす場合も,満たさない場合も含まれることが窺える。」と判断した、

5.裁判所の判断のポイント
「ウ 審決は,(1)相違点1について,甲1発明の表2の試料No.35においては,稀土類元素において,Laをモル比で100%含有するものが示唆されており,そのQ値が39000であることから,Laを90%以上含有し,Q値を40000以上とすることに困難はない,(2)相違点2について,甲1発明の実施例No.35を再現実験した甲4報告書が,斜方晶型固溶体相である均一なマトリックス相と,0.07体積%のβ-Al2O3構造の第二相を有し,50200のQ値を有することを示している,(3)そして,甲35報告書は,上記の試料No.35よりAl2O3のモル比を甲1発明の範囲内で段階的に増やし,甲4報告書と同じ方法で作製した試料についての実験成績証明書であるところ,本件発明1の結晶系の構成要件を充たす場合も,充たさない場合もあることを示していることから,甲1発明には,本件発明1の結晶系の構成要件を充たす場合も,充たさない場合も含まれているとして,本件発明の選択発明としての進歩性の検討に移り,本件発明1の効果が際立って優れたものではないことから,選択発明としての進歩性を否定している。
審決は,甲1発明の試料No.35から相違点1は容易想到であるとし,その上で,相違点2は同試料の再現実験の結果,その結晶構造が甲4報告書に示されていることから,相違点2も甲1公報に明示的に示されている場合と同視できるか,あるいは甲1公報から容易に想到し得る構成であることを前提として,選択発明としての進歩性の検討に移っているものと解される。
 しかしながら,選択発明としての進歩性を判断する前にまず検討すべきことは,甲4報告書や甲35報告書の実験の結果により,甲1発明に加えて,甲4報告書や甲35報告書に記載された結晶構造等の属性も,甲1公報に「記載された発明」(特許法29条1項3号)となると解してよいのか,また,このような理解を前提として,相違点に係る構成も容易に想到し得る構成となると解してよいのかの点である。
特許法29条1項3号は,「特許出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明・・・」については,特許を受けることができない旨規定している。同号の「刊行物に記載された発明」とは,刊行物に明示的に記載されている発明であるものの,このほかに,当業者の技術常識を参酌することにより,刊行物の記載事項から当業者が理解し得る事項も,刊行物に記載されているに等しい事項として,「刊行物に記載された発明」の認定の基礎とすることができる。
 もっとも,本件発明や甲1発明のような複数の成分を含む組成物発明の分野においては,甲1発明のように,本件発明を特定する構成の相当部分が甲1公報に記載され,その発明を特定する一部の構成(結晶構造等の属性)が明示的には記載されておらず,また,当業者の技術常識を参酌しても,その特定の構成(結晶構造等の属性)まで明らかではない場合においても,当業者が甲1公報記載の実施例を再現実験して当該物質を作製すれば,その特定の構成(結晶構造等の属性)を確認し得るときには,当該物質のその特定の構成については,当業者は,いつでもこの刊行物記載の実施例と,その再現実験により容易にこれを知り得るのであるから,このような場合は,刊行物の記載と,当該実施例の再現実験により確認される当該属性も含めて,同号の「刊行物に記載された発明」と評価し得るものと解される(以下,これを「広義の刊行物記載発明」という。)。
 これに対し,刊行物記載の実施例の再現実験ではない場合,例えば,刊行物記載の実施例を参考として,その組成配合割合を変えるなど,一部異なる条件で実験をしたときに,初めて本件発明の特定の構成を確認し得るような場合は,本件発明に導かれて当該実験をしたと解さざるを得ず,このような場合については,この刊行物記載の実施例と,上記実験により,その発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいうことはできず,同号の「刊行物に記載された発明」に該当するものと解することはできない。
甲1公報には,上記実施例(甲1公報の試料No.35)である誘電体磁器については,その結晶構造についての明示的な記載はない。また,甲1公報の試料No.35は,そもそもQ値が39000であり,この点で本件発明の構成要件を充たすものではないから,その再現実験等によりその結晶構造を知り得たとしても,そもそも本件発明の全ての構成を示すものではない。すなわち,原告は,甲4報告書の実験において,試料No.35の再現実験を試みているが,甲1公報の試料No.35は,そもそもQ値が39000であるから,その再現実験をして,結晶構造を確認したとしても,本件発明の新規性を否定することはできない。また,甲35報告書により,甲1公報記載の試料No.35と比べ,甲1発明の範囲内でAl2O3のモル比が一部異なる試料を作製し,これにより作製した試料によって,その結晶構造やQ値を確認したとしても,それは甲1公報に記載された実施例そのものを再現実験したものではないから,前記エの理由により,この結晶構造等を広義の刊行物記載発明と認めることはできず,甲1公報記載の実施例と,甲35報告書によっても,本件発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいえない。

 以上によれば,本件発明は,甲1公報記載の上記実施例と,甲4報告書や甲35報告書から,その構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいえず,本件発明は特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」(広義の刊行物記載発明)には当たらないと解される。」