2014年2月15日土曜日

引用文献での「内在的な開示」の有無が争われた事例


知財高裁平成26年1月30日判決

平成25年(行ケ)第10163号 審決取消請求事件

1.概要

 本件は、原告が有する本件訂正特許発明1の特徴が、引用刊行物(甲1文献)に開示されており進歩性を有していない、という無効審判審決を不服とする、審決取消訴訟の判決である。知財高裁は、本件訂正特許発明1の特徴は引用刊行物(甲1文献)に開示されているとは言えず審決の認定は妥当でないとして審決を取り消した。

 本件訂正特許発明1では,帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対し,甲1発明1では,帯電微粒子水が,そのようなものであるか明らかでない(相違点1c)。被告(無効審判請求人)は、甲1文献には帯電微粒子水がヒドロキシラジカル等を含んでいると明示的には記載されていないが、内在的(潜在的)には開示されていると主張した。そして被告はその証拠として、甲4文献と本件特許明細書の開示内容、追加試験の結果を挙げた。

 これに対して知財高裁は、本件特許明細書や追加試験の結果は、本件優先日前のものではなく考慮できないと判断した。そして「当業者が,本件優先日時点において,引用刊行物記載の帯電微粒子にラジカルが含まれていることを帯電微粒子水が本来有する特性として把握していたと認めることはできない」と判断した。

 「出願前の時点で当業者が開示されていると認識していたかどうか」が引用文献に内在的な開示がされているかの判断基準であると判断されており、大変興味深い。

 
2.本件訂正特許発明1(請求項1記載の発明)

「大気中で水を静電霧化して,粒子径が3~50nmの帯電微粒子水を生成し,花粉抗原,黴,菌,ウイルスのいずれかと反応させ,当該花粉抗原,黴,菌,ウイルスの何れかを不活性化することを特徴とする帯電微粒子水による不活性化方法であって,前記帯電微粒子水は,室内に放出されることを特徴とし,さらに,前記帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか1つ以上のラジカルを含んでいることを特徴とする帯電微粒子水による不活性化方法。」

 
3.審決で認定された、本件訂正特許発明1と、引用刊行物(甲1文献)の発明との一致点

「大気中で水を静電霧化して,粒子径が3~50nmの帯電微粒子水

を生成する方法。」

 
4.審決で認定された、本件訂正特許発明1と、引用刊行物(甲1文献)の発明との相違点1c

「本件訂正特許発明1では,帯電微粒子水は,ヒドロキシラジカル,スーパーオキサイド,一酸化窒素ラジカル,酸素ラジカルのうちのいずれか1つ以上のラジカルを含んでいるのに対し,甲1発明1では,帯電微粒子水が,そのようなものであるか明らかでない点。」

 
5.相違点1cについての審決の判断(判決文中の、裁判所による要約)

「審決は,甲4公報に高電圧により大気中で水を静電霧化して生成された帯電微粒子水がOHラジカル等のラジカルの発生を伴うことが記載されていることを前提に,甲1発明1の内容を解釈するに当たり,本件特許明細書の【0031】ないし【0033】,【0041】及び【0042】の記載,本件特許明細書の図5(別紙1参照。なお,引用刊行物にも,Fig.6として同内容の図が記載されている(別紙2参照)。)の記載と引用刊行物の記載事項を照らし合わせた上で,引用刊行物に記載されたものが,本件特許明細書に記載されたものと同様の構成の静電霧化装置によって水を霧化させ,粒径計測で20nm付近をピークとして10nmないし30nmに分布を持つ帯電微粒子水を得ているものであるとし,甲1発明1における帯電微粒子水は本件訂正特許発明1と同様にOHラジカル等のラジカルを含んでいると考えるのが妥当である,との認定判断をしている。」

 
6.裁判所の判断のポイント

「(6)審決の認定判断について

ア ・・・しかし,上記審決の認定判断は,甲1発明1の内容を解釈するために本件特許明細書の記載を参酌しているところ,本件優先日時点においては本件特許明細書は未だ公知の刊行物とはなっておらず,当業者においてこれに接することができない以上,甲1発明1の内容を解釈するに当たり,本件特許明細書の記載事項を参酌することができないことは明らかである。そして,ラジカルは,活性であるために,非常に不安定な物質で空気中では短寿命であり(前記(1)),拡散距離も短いとされていたのに対し(甲26ないし28),甲1発明1は22m3チャンバー内を消臭するものであること,前記(2)認定のとおり,引用刊行物においても,チャンバー内の空間臭,付着臭を消臭するメカニズムにつき,ガス成分の水微粒子への溶解と推察していることに照らすと,本件特許明細書に記載された図と同内容のFig.6の粒子分布が引用刊行物に記載されているとしても,本件優先日時点の当業者において,上記粒子分布を有する引用刊行物記載の帯電微粒子水がラジカルを含むものであることを認識することができたものとは認められない。

 加えて,前記(5)認定のとおり,甲4公報からは,静電霧化を行うことにより,OHラジカルやOラジカルが発生することは認識し得るとしても,同公報の記載からは水がラジカルを含むものであるかについては明らかではない上に,甲4公報記載の発明においては,ラジカルの発生は局所的なものであり,帯電微粒子水を生成して放出することを意図したものとは認められないことに照らすと,甲4公報を参酌したとしても,本件優先日当時の当業者において,引用刊行物の帯電微粒子中にラジカルが含まれることが記載されているとか,記載されているに等しいと認識できるということはできない。また,上記の事実に照らすと,帯電微粒子水を生成してチャンバー内に放出することを前提とする甲1発明1に甲4公報記載の発明を組み合わせる動機付けも認め難い。なお,前記(3)及び(4)認定のとおり,甲2公報及び甲3公報におけるラジカルの発生方法は,引用刊行物記載の方法と異なる上に,いずれの公報にも水微粒子とラジカル種との関係については開示がなく,また,ラジカル種が長寿命であることについての開示もない以上,甲2公報及び甲3公報の記載事項を考慮したとしても上記認定は左右されない。

そうすると,甲2公報ないし甲4公報の記載を踏まえたとしても,本件訂正特許発明1と甲1発明1との間の相違点1cは実質的な相違点ではないとはいえないし,かつ,上記相違点につき,甲1発明1及び甲2公報ないし甲4公報の記載事項に基づいて当業者が容易に想到し得たものということもできない。

(7)被告の主張について

被告は,審決は,引用刊行物に記載された帯電微粒子水が本来有する特性を本件訂正特許発明1の帯電微粒子水と比肩して認定するために,本件特許明細書の記載を参酌しているにすぎないし,引用刊行物に記載された帯電微粒子水にラジカルが含まれることは,甲第12号証及び乙第6号証のとおり引用刊行物の実質的な追試結果によっても示されているなどと主張し,審決の判断は誤りではない旨主張する。

 しかし,上記(6)において認定したところに照らすと,当業者が,本件優先日時点において,引用刊行物記載の帯電微粒子にラジカルが含まれていることを帯電微粒子水が本来有する特性として把握していたと認めることはできない。なお,甲第12号証及び乙第6号証の記載についても,あくまで追試時点の結果を示すものであり,本件優先日時点において当業者が引用刊行物記載の帯電微粒子水にラジカルが含まれていることを認識できたことを裏付けるものとはいえない。したがって,本件訂正特許発明1について新規性がないとか進歩性がないなどということはできない。

 また,被告は,上記(6)ア記載の審決の認定判断手法に誤りはない旨種々主張するが,上記(6)において認定したところに照らすといずれも採用することはできない。

 よって,被告の上記主張はいずれも採用することはできない。」

2014年2月1日土曜日

優先権基礎出願明細書に開示はされているものの実際には製造されていない新規化合物について、優先権主張が認められなかった事例

東京高裁平成11年(行ケ)第207号 特許取消決定取消請求事件
 
1.概要

 本件は特許異議申し立ての取消決定に対する取消訴訟の判決である。

 優先権主張を伴う原告特許権の請求項には「化合物I」が記載されている。優先権基礎出願明細書には化合物IIから合成経路1を経て化合物Iを製造することができると記載されている。ただし、化合物IIは基礎出願時の新規物質であるにもかかわらずその製造方法と物性は開示されていない。また、化合物Iの物性等の、化合物Iを実際に確認したデータも開示されていない。

 取消決定では、原告特許権に係る化合物Iは優先権の利益を受けることができず現実の出願日で特許性が判断されるべきと判断された。そして、原告特許権は、現実の出願日よりも前の引用文献によって特許法29条の2の規定により取り消されるべきと判断された。

 

2.裁判所の判断のポイント

「1 化学物質につき特許が認められるためには、それが現実に提供されることが必要であり、単に化学構造式や製造方法を示して理論上の製造可能性を明らかにしただけでは足りず、化学物質が実際に確認できるものであることが必要であると解すべきである。なぜなら、化学構造式や製造方法を机上で作出することは容易であるが、そのことと、その化学物質を現実に製造できることとは、全く別の問題であって、机上で作出できても現実に製造できていないものは、未だ実施できない架空の物質にすぎないからである。そして、ある化学物質に係る特許出願の優先権主張の基礎となる出願に係る明細書に、その化学物質が記載されているか否かについても、同様の基準で判断されるべきことは明らかである。

2 甲第3号証によれば、基礎明細書には、「本発明化合物(判決注・化合物Iを指す。)はまた、以下の合成経路によっても合成することができる。」(10頁10行~12頁1行)として、合成経路1(ただし、()()の符号は、判決において付したものである。)が記載されているものの、この合成経路1については、他に何らの説明もないことが認められる。また、合成経路1の出発物質である化合物IIが、本件優先日において文献未記載の新規化合物であることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、化合物Iを含め、合成経路1の()ないし()の化合物は、いずれも文献未記載の新規化合物であることが認められる。

3 化合物IIについて

(1) 化合物IIは、本件優先日において文献未記載の新規化合物であるにもかかわらず、基礎明細書には、その製造方法はもとより、その物性等、これが現実に製造されたことを示す根拠も記載されていないから、実際に確認できるものではない。したがって、化合物IIが基礎明細書に記載されているということはできない。

・・・・

(4) 以上のとおり、化合物IIが、基礎明細書に記載されているということはできない。そうである以上、基礎明細書には、化合物IIを出発物質とする化合物Iは、その製造方法が記載されていないというべきである。しかも、基礎明細書には、化合物Iの物性等、これが現実に製造されたことを示す根拠も記載されていないのであるから、化合物Iは実際に確認できるものではない。したがって、化合物Iが基礎明細書に記載されていると認めることはできないのである。」