2014年11月16日日曜日

再現実験による引例記載事項の証明が適切であるか争われた事例

知財高裁平成26年9月25日判決
平成25年(行ケ)第10324号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、結晶系の特徴によって特定された物質発明の新規性、進歩性が争われ、進歩性なしとの無効審判審決が知財高裁により取り消された事例である。
 本事例では、主引用例である甲1公報に、前記結晶系の特徴が明示的には記載されていなかった。被告(無効審判請求人)は甲1公報の再現実験結果を証拠として提出し、甲1には前記結晶系の特徴が記載されているとの証明を試みた。
 審決では再現実験結果を踏まえて前記結晶系の特徴は甲1に記載されていると判断した。
 知財高裁は、引例である刊行物に記載された発明とは、刊行物に明示的に記載されている事項だけでなく、再現実験により確認される属性も含まれる(広義の刊行物記載発明)ことをは認めつつも、被告提出の再現実験結果は甲1刊行物の再現実験結果とはいえないとして、前記結晶系の特徴は甲1には記載されていないと判断した。

2.本件発明1
「金属元素として少なくとも稀土類元素(Ln:但し,Laを稀土類元素のうちモル比で90%以上含有するもの),Al,M(MはCaおよび/またはSr),及びTiを含有し,
組成式をaLn2Ox・bAl23・cMO・dTiO2(但し,3≦x≦4)と表したときa,b,c,dが,
0.056≦a≦0.214
0.056≦b≦0.214
0.286≦c≦0.500
0.230<d<0.470
a+b+c+d=1
を満足し,結晶系が六方晶および/または斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物からなり,前記Alの酸化物の少なくとも一部がβ-Al23および/またはθ-Al23の結晶相として存在するとともに,前記β-Al23および/またはθ-Al23の結晶相を1/100000~3体積%含有し,1GHzでのQ値に換算した時のQ値が40000以上であることを特徴とする誘電体磁器。」

3.審決が認定した甲1発明との一致点、相違点
3.1.一致点
「金属元素として希土類元素(Ln),Al,M(MはCaおよび/またはSr)およびTiを含み,これらの成分をモル比でaLn2Ox・bAl2O3・cMO・dTiO2(但し,3≦x≦4)と表したときa, , , dの値が,
0.056≦a≦0.214
0.056≦b≦0.214
0.286≦c≦0.500
0.230<d<0.470
a+b+c+d=1
を満足する誘電体磁器。」

3.2.相違点
() 相違点1
本件発明1は,稀土類元素(Ln)が,Laを稀土類元素のうちモル比で90%以上含有し,1GHzでのQ値に換算した時のQ値(以下,単に「Q値」という。)が40000以上であるのに対して,甲1発明は,希土類元素についての限定がなく,Q値が40000以上と限定されない点
() 相違点2
本件発明は,結晶系が六方晶および/または斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物からなり,前記Alの酸化物の少なくとも一部がβ-Al2O3および/またはθ-Al2O3,の結晶相として存在するとともに,前記β-Al2O3および/またはθ-Al2O3の結晶相を1/100000~3体積%含有するものであるのに対して,甲1発明は,結晶系が不明である点

4.甲1発明の再現実験
 被告(無効審判請求人)は相違点2が甲1に記載されていることを証明するために、再現実験結果を提出した(甲4、甲35)。
 そして、審決は,相違点2に関して,甲1発明には,β-Al2O3および/またはθ-Al2O3(以下「β-アルミナ等」という。)の結晶層が生成すると認定した。すなわち,審決は,愛知工業大学教授Aによる「依頼実験報告書」(甲4。以下「甲4報告書」という。)や被告による「実験成績証明書」(甲35。以下「甲35報告書」という。)の実験は,甲1公報に記載の方法に準拠した再現実験であると判断し,その報告から,甲1発明には,「相違点2に係る本件発明1の『結晶系』の要件を満たす場合も,満たさない場合も含まれることが窺える。」と判断した、

5.裁判所の判断のポイント
「ウ 審決は,(1)相違点1について,甲1発明の表2の試料No.35においては,稀土類元素において,Laをモル比で100%含有するものが示唆されており,そのQ値が39000であることから,Laを90%以上含有し,Q値を40000以上とすることに困難はない,(2)相違点2について,甲1発明の実施例No.35を再現実験した甲4報告書が,斜方晶型固溶体相である均一なマトリックス相と,0.07体積%のβ-Al2O3構造の第二相を有し,50200のQ値を有することを示している,(3)そして,甲35報告書は,上記の試料No.35よりAl2O3のモル比を甲1発明の範囲内で段階的に増やし,甲4報告書と同じ方法で作製した試料についての実験成績証明書であるところ,本件発明1の結晶系の構成要件を充たす場合も,充たさない場合もあることを示していることから,甲1発明には,本件発明1の結晶系の構成要件を充たす場合も,充たさない場合も含まれているとして,本件発明の選択発明としての進歩性の検討に移り,本件発明1の効果が際立って優れたものではないことから,選択発明としての進歩性を否定している。
審決は,甲1発明の試料No.35から相違点1は容易想到であるとし,その上で,相違点2は同試料の再現実験の結果,その結晶構造が甲4報告書に示されていることから,相違点2も甲1公報に明示的に示されている場合と同視できるか,あるいは甲1公報から容易に想到し得る構成であることを前提として,選択発明としての進歩性の検討に移っているものと解される。
 しかしながら,選択発明としての進歩性を判断する前にまず検討すべきことは,甲4報告書や甲35報告書の実験の結果により,甲1発明に加えて,甲4報告書や甲35報告書に記載された結晶構造等の属性も,甲1公報に「記載された発明」(特許法29条1項3号)となると解してよいのか,また,このような理解を前提として,相違点に係る構成も容易に想到し得る構成となると解してよいのかの点である。
特許法29条1項3号は,「特許出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明・・・」については,特許を受けることができない旨規定している。同号の「刊行物に記載された発明」とは,刊行物に明示的に記載されている発明であるものの,このほかに,当業者の技術常識を参酌することにより,刊行物の記載事項から当業者が理解し得る事項も,刊行物に記載されているに等しい事項として,「刊行物に記載された発明」の認定の基礎とすることができる。
 もっとも,本件発明や甲1発明のような複数の成分を含む組成物発明の分野においては,甲1発明のように,本件発明を特定する構成の相当部分が甲1公報に記載され,その発明を特定する一部の構成(結晶構造等の属性)が明示的には記載されておらず,また,当業者の技術常識を参酌しても,その特定の構成(結晶構造等の属性)まで明らかではない場合においても,当業者が甲1公報記載の実施例を再現実験して当該物質を作製すれば,その特定の構成(結晶構造等の属性)を確認し得るときには,当該物質のその特定の構成については,当業者は,いつでもこの刊行物記載の実施例と,その再現実験により容易にこれを知り得るのであるから,このような場合は,刊行物の記載と,当該実施例の再現実験により確認される当該属性も含めて,同号の「刊行物に記載された発明」と評価し得るものと解される(以下,これを「広義の刊行物記載発明」という。)。
 これに対し,刊行物記載の実施例の再現実験ではない場合,例えば,刊行物記載の実施例を参考として,その組成配合割合を変えるなど,一部異なる条件で実験をしたときに,初めて本件発明の特定の構成を確認し得るような場合は,本件発明に導かれて当該実験をしたと解さざるを得ず,このような場合については,この刊行物記載の実施例と,上記実験により,その発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいうことはできず,同号の「刊行物に記載された発明」に該当するものと解することはできない。
甲1公報には,上記実施例(甲1公報の試料No.35)である誘電体磁器については,その結晶構造についての明示的な記載はない。また,甲1公報の試料No.35は,そもそもQ値が39000であり,この点で本件発明の構成要件を充たすものではないから,その再現実験等によりその結晶構造を知り得たとしても,そもそも本件発明の全ての構成を示すものではない。すなわち,原告は,甲4報告書の実験において,試料No.35の再現実験を試みているが,甲1公報の試料No.35は,そもそもQ値が39000であるから,その再現実験をして,結晶構造を確認したとしても,本件発明の新規性を否定することはできない。また,甲35報告書により,甲1公報記載の試料No.35と比べ,甲1発明の範囲内でAl2O3のモル比が一部異なる試料を作製し,これにより作製した試料によって,その結晶構造やQ値を確認したとしても,それは甲1公報に記載された実施例そのものを再現実験したものではないから,前記エの理由により,この結晶構造等を広義の刊行物記載発明と認めることはできず,甲1公報記載の実施例と,甲35報告書によっても,本件発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいえない。

 以上によれば,本件発明は,甲1公報記載の上記実施例と,甲4報告書や甲35報告書から,その構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいえず,本件発明は特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」(広義の刊行物記載発明)には当たらないと解される。」

2014年10月26日日曜日

用途発明が「新しい用途を提供する」と判断され新規性が肯定された事例


知財高裁平成26年9月24日判決
平成25年(行ケ)第10255号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、拒絶審決(新規性欠如等)に対する審決取消訴訟において、審決が取り消された事例である。
 本願発明は、銅フタロシアニンを含有する組成物の有効量を芝草に施用して、芝草の密度,均一性及び緑度を改良する用途発明に関する。本願発明では銅フタロシアニンの施用により芝草の成長を促進させ、その結果、光合成色素を増加させる緑色を濃くする。
 一方、刊行物1には、銅フタロシアニンを含有する組成物の有効量を芝草に施用して、芝草を緑色に「着色」する技術が開示されている。
 審決(拒絶審決)では,「本願発明も刊1発明は,銅フタロシアニンを含む組成物の有効量を芝生に施用するという手段において区別できず,刊1発明においても芝生の均一性及び密度の改良という作用効果が得られていると解されるから,本願発明と刊1発明は実質的に同一である」旨判断した。
 これに対して裁判所は、「銅フタロシアニンを含む組成物の有効量を芝生に施用するという手段が同一であっても,この用途が,銅フタロシアニンの未知の属性を見出し,新たな用途を提供したといえるものであれば,本願発明が新規性を有する」と判断し、審決を取り消した。
 本判決は、知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件「シワ形成抑制剤事件」(本ブログ2012年2月24日記事)と基本的に同じ判断基準で用途発明の新規を判断した事例といえる。
 
2.本願発明(請求項1)
「芝草の密度,均一性及び緑度を改良するためのフタロシアニンの使用方法であって,銅フタロシアニンを含有する組成物の有効量を芝草に施用することを含み,ただし,(i)該組成物は,亜リン酸もしくはその塩,または亜リン酸のモノアルキルエステルもしくはその塩の有効量を含まず,(ii)該組成物は,有効量の金属エチレンビスジチオカーバメート接触性殺菌剤を含まない,方法。」
 
3.刊行物1に記載の発明
「芝生を全体的に均一な緑色に着色するために顔料(銅フタロシアニン等)6.5重量部、分散剤2重量部、バインダー(共重合エマルジョン)70重量部、及び水21.5重量部のみを含む芝生用着色剤を芝生に散布する方法。」

4.裁判所の判断のポイント
「新しい用途を提供する点について
 さらに,本件審決は,本願発明も刊1発明は,銅フタロシアニンを含む組成物の有効量を芝生に施用するという手段において区別できず,刊1発明においても芝生の均一性及び密度の改良という作用効果が得られていると解されるから,本願発明と刊1発明は実質的に同一である旨判断した。
 しかしながら,本願発明は「芝草の密度,均一性及び緑度を改良するためのフタロシアニンの使用方法」であるから,「芝草の密度,均一性及び緑度を改良するための」は,本願発明の用途を限定するための発明特定事項と解すべきであって,銅フタロシアニンを含む組成物の有効量を芝生に施用するという手段が同一であっても,この用途が,銅フタロシアニンの未知の属性を見出し,新たな用途を提供したといえるものであれば,本願発明が新規性を有するものと解される。
 そこで,刊1発明における銅フタロシアニンの用途について検討すると,前記アで判示したとおり,刊1発明は,銅フタロシアニンを着色剤として用いて芝草を緑色にするという内容にとどまるものであって,刊行物1には,芝草に対して生理的に働きかけて,品質を良くするという意味での成長調整剤(成長調節剤)としての本願発明の用途を示唆する記載は一切ない。加えて,着色剤と成長調整剤とでは,生じる現象及び機序が全く異なるものであって,証拠(甲48,50,52~55,57)によれば,①植物成長調整剤は「農作物等の生理機能の増進又は抑制に用いられる成長促進剤,発芽抑制剤その他の薬剤」(農薬取締法1条の2第1項)に該当する「農薬」であるのに対して,着色剤はこれに該当しないこと(甲50),②文献上も両者は異なるものとして分類されていること(甲48),③商品としても,両者は区別されて販売されていること(甲52~54,57),④成長調整剤は芝草の生育期に使用されるのに対して,着色剤は芝休眠時に使用されるなど使用時期も異なること(甲53~55)などからすると,本願発明における芝草の「密度」,「均一性」及び「緑度」の内容は必ずしも一義的に明らかではないものの,本願発明は,刊1発明と同一であるということはできないものと認められる。」

2014年9月23日火曜日

公知用途に対する新規用途の進歩性が認められた事例

知財高裁平成26年9月10日判決
平成25年(行ケ)第10209号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、拒絶審決(進歩性欠如)に対する審決取消訴訟において、知財高裁が審決を違法と判断し審決を取り消した事例である。
 進歩性が争われた本件補正発明は、公知ポリペプチド(IPP/VPP)の新規用途(血管内皮の収縮・拡張機能改善剤、血管内膜の肥厚抑制剤)に関する。当該ポリペプチドはACE阻害活性を有することが引用例1に記載されている。
 「ACE阻害剤」という公知用途に対して、上記の新規用途が容易に想到可能か争われた。
 審決は、ACE阻害活性を有する物質は血管内皮の収縮・拡張機能改善作用を有するという関係が公知であることから、本件補正発明は新規性なしと判断した。
 知財高裁は、審決が認定した上記関係は当業者に認識されていたとは言えず、二つの用途が相関するか否かはわからない、というのが当業者の認識であったと判断し、本件補正発明は進歩性を有すると結論付けた。

2.本件補正後の請求項10(補正発明)
Ile Pro Pro及び/又はVal Pro Proを有効成分として含有し,血管内皮の収縮・拡張機能改善及び血管内膜の肥厚抑制の少なくとも一方の作用を有する剤。」

3.引用例1に記載の引用発明
Ile Pro Pro及び/又はVal Pro Proを抗高血圧性ペプチドとして含有し,ACE阻害活性を示す,抗高血圧剤。」

4.補正発明と引用発明との一致点と相違点
一致点:Ile Pro Pro及び/又はVal Pro Proを有効成分として含有する薬剤。
 相違点:薬剤の用途が,補正発明においては「血管内皮の収縮・拡張機能改善及び血管内膜の肥厚抑制の少なくとも一方の作用を有する剤」であるのに対し,引用発明においては「ACE阻害活性を示す,抗高血圧剤」である点。

5.審決の要点
 審決では、引用例2~5において、ACE阻害活性を示す物質が、血管内皮の収縮・拡張機能改善及び血管内膜の肥厚抑制の少なくとも一方の作用を有することが示唆されていると認定した。その前提のもとで審決は、「引用例1から引用例5を併せ見た当業者が,引用発明においてACE阻害活性を有することが確認されているIle Pro Pro(以下「IPP」という。)及び/又はVal Pro Pro(以下「VPP」という。)を,血管内皮の収縮・拡張機能改善及び血管内膜の肥厚抑制の少なくとも一方の作用を有する剤として用いることに,格別の創意を要したものとはいえない。」と結論付けた。

6.裁判所の判断のポイント
「原告は,前記のとおり,本件審決が「引用例2,3及び5によれば,ACE阻害剤が血管拡張機能や内皮細胞機能の改善効果を有することは,本願優先日前に,複数の研究に基づいて明らかにされており,相当程度確立された知見であった」旨を説示し,本願優先日当時において,ACE阻害剤が血管内皮の収縮・拡張機能改善作用や血管内膜の肥厚抑制作用を有することは,引用例2から引用例5によって知られていた旨を認定した点に関し,誤りである旨主張する。
 この点につき,当裁判所は,本願優先日当時に公刊されていた①引用例2から引用例5,平成22年7月26日付け意見書(甲15)に添付された参考文献2(甲7),本願国際出願願書に添付された非特許文献5(甲30)及び②甲31号証,甲32号証,甲36号証から甲38号証,乙1号証,乙3号証から乙8号証,乙20号証,乙22号証の記載内容を検討した結果,本願優先日当時においては,ACE阻害剤であれば原則として血管内皮の収縮・拡張機能改善作用又は血管内膜の肥厚抑制作用のうち少なくともいずれか一方を有するとまではいえず,個々のACE阻害剤が実際にこれらの作用を有するか否かは,実験によって確認しなければ分からないというのが,当業者の一般的な認識であったと認め,したがって,本件審決の前記説示等に係る認定には誤りがあると判断する。」
「本願優先日当時に公刊されていた文献には,ACE阻害剤につき,血管内皮の収縮・拡張機能改善作用,血管内膜の肥厚抑制作用を有すること,又は,これらの作用を有する可能性があることを肯定する内容のものが複数存在する反面,そのような作用は確認されなかったという実験結果を報告するものも複数存在し,当業者に対する影響力,すなわち,当業者の認識形成に寄与する程度においていずれが優勢であったともいい難い。
 特に,甲30号証には,アポE欠損マウスを被験動物として行った実験において,前記のとおり,ゾフェノプリル及びカプトプリルについては大動脈の累積病変面積が大幅に低減したのに対し,エナラプリルでは低減しなかったという結果が出ており,ここからは,ACE阻害剤の種類によっても血管に及ぼす作用はかなり異なるものになり得ることが読み取れる。」

「以上によれば,本願優先日当時においては,ACE阻害剤が血管内皮の収縮・拡張機能改善作用,血管内膜の肥厚抑制作用を示した実例はあるものの,ACE阻害剤であれば原則として上記作用のうち少なくともいずれか一方を有するとまではいえず,個々のACE阻害剤が実際にこれらの作用を有するか否かは,各別の実験によって確認しなければ分からないというのが,当業者の一般的な認識であったものと認められる。」

2014年8月24日日曜日

光学活性体の医薬用途発明の進歩性について争われた事例


知財高裁平成26年8月7日判決
平成25年(行ケ)第10170号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は拒絶審決取消訴訟において知財高裁が原告(出願人)の請求を棄却した事例である。
 本件補正発明は次の通りであった。
「立体異性体として純粋な(+)-2-[1-(3-エトキシ-4-メトキシフェニル)-2-メチルスルホニルエチル]-4-アセチルアミノイソインドリン-1,3-ジオン,又はその製薬上許容される塩,溶媒和物若しくは水和物;及び製薬上許容される担体,賦形剤又は希釈剤を含む,乾癬治療用医薬組成。」
 すなわち本件補正発明は、医薬組成物において、所定の化合物の特定の光学活性体を有効成分とすることを特徴とする。一方、引用例1に記載の発明(引用発明)は、当該所定の化合物の、光学活性体が分離されていないラセミ体を有効成分とする医薬組成物に関する。
 審決では、引用発明に基づき本件補正発明の進歩性を否定した。知財高裁も審決に違法性はないと結論付けた。

2.引用発明との一致点、相違点
 審決が認定した,引用発明の内容,本願補正発明と引用発明との一致点及び相違点は,次のとおりである。
ア 引用発明の内容
 2-[1-(3-エトキシ-4-メトキシフェニル)-2-メチルスルホニルエチル]-4-アセチルアミノイソインドリン-1,3-ジオン;及び製薬上許容される担体,希釈剤又は賦形剤を含む薬剤組成物。
イ 一致点
2-[1-(3-エトキシ-4-メトキシフェニル)-2-メチルスルホニルエチル]-4-アセチルアミノイソインドリン-1,3-ジオン;及び製薬上許容される担体,賦形剤又は希釈剤を含む,医薬組成物。
ウ 相違点
 本願補正発明においては,有効成分が「立体異性体として純粋な(+)」エナンチオマーであること,及び,用途が「乾癬治療用」であることが特定されているのに対し,引用発明においては,このような特定がされていない点。
3.裁判所の判断のポイント
(4) 容易想到性について
 引用例1には,式Iの化合物がTNF-α及びPDE4の望ましくない作用を阻害するのに用いられることが記載され,実施例には式Iに含まれる具体的化合物が記載されているから,引用例1に接した当業者は,実施例に記載された化合物は,引用発明の化合物も含めていずれもTNF-α及びPDE4の望ましくない作用を阻害するのに使用することができることを理解する。また,引用例1には,PDE4を特異的に阻害する化合物は副作用を最小限にして炎症の阻害を発揮するであろうことが,PDE4を阻害するとcAMPの分解が抑制される結果,TNF-α及びNF-κB等の炎症性メディエーターの放出が阻害されるという機序とともに記載され,炎症性疾患の一例として乾癬が記載されているのであるから,引用例1に接した当業者は,引用発明の化合物が乾癬を含む炎症性疾患一般に対して治療効果を有するであろうことを合理的に理解することができる。
 引用発明の化合物は,不斉炭素原子が1つあるから,2つの光学異性体を有する。当業者は,前記(3)のとおりの技術常識の下では,引用発明の化合物について光学異性体を得て,それらの薬理活性や薬物動態について検討をし,乾癬に適したものを選択することは,通常行うことと考えられる。そして,引用発明の化合物の光学異性体が容易に入手できるものであることやTNF-α阻害活性,PDE4阻害活性,cAMP上昇活性等の薬理活性が慣用の方法により測定できることからすると,引用発明の化合物の二つの光学異性体のうち炎症性疾患の治療により適した方を選択し,炎症性疾患の一つである乾癬に適用することとして本願補正発明に至ることについては,当業者が容易になし得たことであると認められる。
(5) 原告の主張に対して
ア 原告は,光学異性体が臨床試験において望ましくない副作用を示した例があるように,薬理活性をもつラセミ体の光学異性体がどのような作用を有するかは予測性が低く,必ずしもより有利な薬理活性を示すわけではないから,ラセミ体だからといって必ずしも光学異性体に分割して用いるべきとはいえないというのが本願優先日当時の技術常識であった,ラセミ体に薬理活性があることが公知であったとしても,その光学異性体を取り出せばより有利な薬理活性が認められるという推認が当然に働くわけではない等と主張する。
 しかし,上記(3)アのとおり,本願優先日当時,目的に適した薬理作用のみをもつ医薬品が強く求められることから,ラセミ体については光学異性体に分離してそれぞれの薬理作用等を検討することが多く行われていた。多くのラセミ体において光学異性体が検討されていたことは,製造承認を受けた医薬品に占める光学異性体の比率が増加していたこと(甲5文献)や,臨床試験において光学異性体が思わしくない結果を示したという報告(甲19,20)からも裏付けられる。したがって,本願優先日当時,光学異性体について検討する動機は充分にあったというべきである。そして,たとえ原告が主張するように,光学異性体の作用の予測性が高くないとしても,多くの光学異性体医薬が製造承認を得ている状況からみて,検討の結果,薬理活性や薬理動態等の点で優れた光学異性体が見出されたことは予想外とまではいえない。
イ 原告は,引用例1には,引用発明の化合物が乾癬に対する薬理作用を有することが実質的に示されていないから,仮に審決が認定した技術常識が正しいとしても,それを適用する前提が欠けている旨主張する。
 しかし,当業者は,引用例1の記載から,引用発明の化合物がTNF-α及びPDE4の望ましくない作用を阻害する活性を有することが読み取れ,それによって炎症性疾患一般に対して薬理作用を発揮するであろうことを理解することができる。原告は,本願補正発明が炎症性疾患の中でも特に乾癬を対象とするものであることを強調するが,乾癬は,引用例1にも記載されているとおり,炎症性疾患の一つであって,炎症性疾患一般に効果を有する化合物が乾癬に効果を有しないと理解するべき理由もない。本願明細書においても,乾癬は羅列列挙された多数の炎症性疾患のうちの一つにすぎず,本願補正発明が炎症性疾患の中でも乾癬に特化した医薬組成物であると認めるに足りる記載は見いだせない。したがって,原告の上記主張は採用することができない。
2 取消事由2(効果の顕著性の看過)について
 審決における効果の顕著性の判断には誤りがないと考える。その理由は,以下のとおりである。
(1) 光学異性体の医薬としての効果の評価基準について
 原告は,ラセミ体は50%の不純物を含有するものとみるべきである(甲4文献)から,光学異性体の活性の顕著性はラセミ体の2倍を基準として評価すべきである旨主張する。
しかし,上記1(3)アないしウの記載によれば,薬理活性を有する光学異性体に対してもう一方の光学異性体が競合阻害したり,生体内で片方の光学異性体がもう一方に変換されるなどの反応が起こることに起因して,ラセミ体の薬理活性は必ずしも有効な光学異性体の2分の1となるわけではないことが,本願優先日前から広く認識されていた。光学異性体においては,一方の光学異性体が他方の光学異性体の有する薬理活性に何ら影響を与えない場合のみならず,一方の光学異性体が存在することで他方の光学異性体の薬理作用を阻害をしたり,一方の光学異性体が生体内で活性のある他方の光学異性体に変換されたりすることで,他方の光学異性体の活性に影響を与えることもあるのであって,ラセミ体の活性が光学異性体の2分の1とは大きく異なる場合が充分想定される。
 そうすると,光学異性体が構成として容易想到であるにもかかわらず,当該光学異性体のもつ薬理活性が公知のラセミ体のそれと比較して顕著であることを根拠として当該光学異性体についての進歩性が肯定されるかは,当該光学異性体のラセミ体と比較した薬理活性の意義や性質,薬理活性の差異が生体内におけるものか試験管内でのものか,当該化合物に関する当業者の認識その他の事情を総合考慮して,当該光学異性体の薬理活性が当業者にとって予想できない顕著なものであったかが探究されるべきもので,単に薬理活性がラセミ体の2倍であるとの固定的な基準によって判断されるべきものではないと解するのが相当である。
(2) 本願化合物の効果の顕著性について
 上記(1)の点を念頭において,以下に,本願化合物の効果を,ラセミ体である引用発明の化合物の効果と比較検討する。
・・・

上記(2)のとおり,本願明細書から把握される本願補正発明の効果は,いずれも引用発明と比較して当業者が予測し得る範囲を超えた格別顕著なものとまでは認めることはできない。また,薬理作用,バイオアベイラビリティ及び低い副作用という三つの側面を総合して評価しても,本願化合物が,ラセミ体については光学異性体に分離してそれぞれの薬理作用等を検討し,目的に適したものを選択するという本願優先日当時の技術常識にのっとって,引用発明の化合物の二つの光学異性体のうちから(+)異性体を選択した結果もたらされたものにすぎないことを考慮すれば,進歩性を肯定するに足りるものではない。

2014年7月27日日曜日

「一般的な課題」を考慮し進歩性が否定された無効審決が取り消された事例


知財高裁平成26年7月17日判決
平成25年(行ケ)第10242号審決取消請求事件
1.概要
 本事例は、無効審判審決(進歩性欠如を理由に特許無効)を不服とする無効審決取り消し訴訟の高裁判決である。
 審決では、本件発明1などのもっとも近い先行技術として甲16発明が引用され、甲16発明における「一般的な課題」を解決するために甲17発明を組み合わせて本件発明1を完成させることは当業者にとり容易である、と判断された。

 これに対して知財高裁は、甲16発明における「具体的な課題」を考慮すると、甲17発明と甲16発明とを組み合わせることは当業者にとり容易なことではない、と判断し、審決を取り消した。

2.詳細
2.1.本件発明1
 所定方向に並設された複数のLEDと,各LEDの並設方向に延びるように設けられた集光レンズとを備え,各LEDの光が集光レンズを通過して集光レンズから所定の距離だけ離れた位置であって前記LEDの並設方向に撮像範囲の長手を有するように配置されたラインセンサカメラの撮像位置に線状に集光し,これにより前記撮像位置を照明しこれをラインセンサカメラで撮像するように構成されたラインセンサカメラ撮像位置照明用の照明装置において,
 この照明装置は,前記各LEDから前記集光位置までの光の経路中に光を主に各LEDの並設方向に拡散させる拡散レンズを備えると共に,前記集光レンズの各LED側の面によって受光レンズ部が形成され,
 受光レンズ部を,各LED側に凸面状に形成するとともに各LEDの並設方向に延びるように形成し,各LEDにおいて他の照射角度範囲よりも光の照射量を多くした所定の照射角度範囲から照射される光を受光可能に配置し,
 前記拡散レンズを,前記光の経路と交差する所定の面上に延びるように設けられた透明な基板と,該透明な基板の厚さ方向一方の面上に並ぶように設けられた複数の凸レンズ部から形成し,各凸レンズ部を,各LEDの並設方向への曲率半径が各LEDの並設方向と直交する方向への曲率半径よりも小さい曲面状に形成し,
 前記各凸レンズ部を,互いに近傍に配置された凸レンズ部同士で各LEDの並設方向への曲率半径が異なるように形成し,これにより,光を前記複数の凸レンズ部のそれぞれの曲率に応じてLEDの並設方向に屈折させて前記拡散を行う
ことを特徴とするラインセンサカメラ撮像位置照明用の照明装置。
2.2.本件発明1と甲16発明との一致点相違点
2.2.1.一致点
 所定方向に並設された複数のLEDと,各LEDの並設方向に延びるように設けられた集光レンズとを備え,各LEDの光が集光レンズを通過して集光レンズから所定の距離だけ離れた位置であって前記LEDの並設方向に撮像範囲の長手を有するように配置されたラインセンサカメラの撮像位置に線状に集光し,これにより前記撮像位置を照明しこれをラインセンサカメラで撮像するように構成されたラインセンサカメラ撮像位置照明用の照明装置において,
 この照明装置は,前記各LEDから前記集光位置までの光の経路中に光を拡散させる拡散手段を備えると共に,前記集光レンズの各LED側の面によって受光レンズ部が形成され,
 受光レンズ部を,各LED側に凸面状に形成するとともに各LEDの並設方向に延びるように形成するラインセンサカメラ撮像位置照明用の照明装置。
2.2.2.相違点1
 「拡散手段」について,本件発明1では「光を主に各LEDの並設方向に拡散させる散レンズ」であって「光の経路と交差する所定の面上に延びるように設けられた透明な基板と,該透明な基板の厚さ方向一方の面上に並ぶように設けられた複数の凸レンズ部から形成し,各凸レンズ部を,各LEDの並設方向への曲率半径が各LEDの並設方向と直交する方向への曲率半径よりも小さい曲面状に形成し,前記各凸レンズ部を,互いに近傍に配置された凸レンズ部同士で各LEDの並設方向への曲率半径が異なるように形成し,これにより,光を前記複数の凸レンズ部のそれぞれの曲率に応じてLEDの並設方向に屈折させて前記拡散を行う」のに対し,甲16発明では「記各LED12から照射面3までの光の経路中に光を拡散させる散乱シート2」であり,「ポリエステルフィルム上に微粉末からなる光拡散層を積層することにより形成する」点。
2.3.無効審判審決のポイント
 結論=甲16発明と甲17発明との組み合わせで進歩性なし
「甲16発明において,照明位置における光量を確保するという一般的な課題のために,その「散乱シート2」を甲17記載の高透過率である上記「光拡散体」に置き換える,すなわち,相違点1における本件発明1の構成とすることは,何ら困難性なく,十分動機付けが存在し,当業者が容易に想到し得ることであるというべきである。」
2.4.裁判所の判断のポイント
 結論=甲16発明と甲17発明とを組み合わせることは容易とはいえない。審決取り消し。
「甲16発明は,主としてLEDアレイの並設方向に光を集中的に拡散させることを課題とするものではなく,かえって,これと直交する方向にも光を拡散させることを課題とするものであるから,光を特定の1つの方向にのみ集中的に拡散させるという機能を有する光拡散体である甲17発明を,甲16発明に組み合わせることは,その動機付けを欠くものであり,当業者が容易に想到することができるものとは認められないというべきである」
審決は,照明の分野において,「光のむらを解消しつつ,光量の確保をする」ことは一般的課題であると認定して,甲16発明においても同課題に基づいて甲17発明を適用することは容易であると判断する。しかし,仮に上記課題が一般的な課題であるとしても,甲16発明が,照射面の縦方向と横方向の双方向へ光を拡散することを具体的な解決課題としている以上,甲16発明に,照射面のいずれか一方の方向へ主に光を拡散するものである甲17発明を適用することが容易とはいえないことは,上記判示のとおりである。さらに,審決は,甲16公報の【実施例】に,「ポリエステルフィルム表面をヘアラインの凹凸化加工によって光を散乱させ」るものが記載されていることをもって,甲16発明において同方性の散乱シートの代わりに異方性の散乱シートを選択することも当業者において一般的になされているといえるとも認定するが,同記載からは,ヘアラインの凹凸化加工によって甲16発明の上記解決課題をどのように解決するのかという具体的な実施態様が不明であるから,同記載を根拠として,当業者が甲17発明を甲16発明の散乱シートの代わりに適用することが容易であるということもできない。」

2014年7月13日日曜日

特許権侵害訴訟において請求項中の「実質的に」の解釈が争われた事例

東京地裁平成26年5月22日判決
平成24年(ワ)第14227号 損害賠償請求事件
 
 1.概要
 本件は特許権侵害訴訟(損害賠償請求事件)の第一審において、原告(特許権者)の請求が認められた事例である。本件特許は半導体の製造法に関するものであり、「実質的に水素を含まない雰囲気中」(構成要件B)においてアニーリング(焼きなまし)を行うことを特徴のひとつとしており、この構成要件Bによって、「p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出す」(構成要件D)という作用を奏する。
 被告方法では、アニーリングを「1.3%のアンモニアを含む窒素ガスとアンモニアガスの混合雰囲気中」で行う。アンモニアは水素原子を含んでいるため、被告方法の雰囲気は水素を含む雰囲気である。本件訴訟では、この被告方法の雰囲気が「実質的に水素を含まない」といえるか否かが争われた。被告は、「通常の方法で除去することができない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味する」と主張した。
 裁判所は、構成要件Bは「文字通り水素を全く含まない雰囲気ではなく,水素を含んでいても,その内容や本質において,水素を含まないと認められる雰囲気」であり、本発明の作用効果を奏するような雰囲気,すなわち、アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味する、と解釈した。そして、被告方法における雰囲気はアンモニアとして水素原子を含むが、本発明の作用効果を妨げるほどの水素は含んでいないため構成要件Bを充足する、と判断した。
 なお特許明細書には「アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用することは好ましくない。」という記載があり、NH3(アンモニア)を使用した雰囲気は除外しているようにも見えるが、裁判所は、この記載は「好ましくない」範囲を記載しているだけであって、アンモニアを使用した雰囲気を除外しているわけではない、と判断した。

2.本件特許
 原告が有する特許権の訂正後の請求項1に係る発明(本件発明)を分説すると以下のとおりである:
気相成長法により,p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後,
実質的に水素を含まない雰囲気中,
400℃以上の温度でアニーリングを行い,
上記p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出す
ことを特徴とするp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法。

3.被告方法
 被告方法は,MOCVD(有機金属気相成長法)により,Mgがドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後,1.3%のアンモニアを含む窒素ガスとアンモニアガスの混合雰囲気中,400度以上の温度でアニーリングを行うことが認められる。また,アンモニアの流量比が2.5%未満の雰囲気において,400℃以上でアニーリングすると,水素パッシベーション(水素結合)を発生させることなく,窒化物半導体がp型化する。
 被告方法は,1.3%のアンモニアを含む雰囲気中,400℃以上の温度でアニーリングを行い,Mgがドープされた窒化ガリウム系化合物半導体から水素を離脱させる。

4.争点
 被告方法における「1.3%のアンモニアを含む窒素ガスとアンモニアガスの混合雰囲気」が、本件特許での構成要件B「実質的に水素を含まない雰囲気」を充足するか否かが争点のひとつ。

5.裁判所の判断のポイント
「被告方法が本件発明の構成要件B及びDを充足するか。

本件発明の構成要件Bについて
() ・・・()本件発明のp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法は,気相成長法により,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層を形成した後,実質的に水素を含まない雰囲気中,400℃以上の温度でアニーリングを行い,上記p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出すことを特徴とするものであり,これにより,従来p型不純物をドープしても低抵抗なp型にならなかった窒化ガリウム系化合物を低抵抗なp型にすることができるので,数々の構造の素子を製造することができ,また,従来の電子線照射による方法では最上層の極表面しか低抵抗化することができなかったが,アニーリングによってp型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層全体をp型化することができるので,面内均一に,かつ,深さ方向均一にp型化することができ,しかも,どこの層にでもp型層を形成することができ,さらに,厚膜の層を形成することができるので,高輝度な青色発光素子を得ることができるという作用効果を奏する,以上の事実が認められる。
() 「実質」とは,「物事の内容または本質」を意味し,「実質的」とは,「実際に内容が備わっているさま。また,外見や形式よりも内容・実質に重点をおくこと。」を意味する(広辞苑第六版)から,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」との文言は,文字通り水素を全く含まない雰囲気ではなく,水素を含んでいても,その内容や本質において,水素を含まないと認められる雰囲気をいうと解される。
 そして,証拠(甲2の3)によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,「【0009】アニーリング(Annealing:焼きなまし)はp型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層を形成した後,反応容器内で行ってもよいし,ウエハーを反応容器から取り出してアニーリング専用の装置を用いて行ってもよい。アニーリング雰囲気は真空中,2,He,Ne,Ar等の不活性ガス,またはこれらの混合ガス雰囲気中で行い,最も好ましくは,アニーリング温度における窒化ガリウム系化合物半導体の分解圧以上で加圧した窒素雰囲気中で行う。なぜなら,窒素雰囲気として加圧することにより,アニーリング中に,窒化ガリウム系化合物半導体中のNが分解して出て行くのを防止する作用があるからである。」,「【0021】アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体が得られる理由は以下のとおりであると推察される。【0022】即ち,窒化ガリウム系化合物半導体層の成長において,N源として,一般にNH3が用いられており,成長中にこのNH3が分解して原子状水素ができると考えられる。この原子状水素がアクセプター不純物としてドープされたMg,Zn等と結合することにより,Mg,Zn等のp型不純物がアクセプターとして働くのを妨げていると考えられる。このため,反応後のp型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体は高抵抗を示す。【0023】ところが,成長後アニーリングを行うことにより,Mg-H,Zn-H等の形で結合している水素が熱的に解離されて,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層から出て行き,正常にp型不純物がアクセプターとして働くようになるため,低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体が得られるのである。従って,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用することは好ましくない。また,キャップ層においても,水素原子を含む材料を使用することは以上の理由で好ましくない。」との記載があることが認められる。これらの記載に前記()認定の事実を併せ考えると,本件発明は,アニーリングという技術手段を採用して,これにより,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体から水素を出すという作用が生じ,p型窒化ガリウム系化合物半導体が製造されるという効果が得られるというものである。そして,この場合のアニーリング雰囲気は,真空中,N2,He,Ne,Ar等の不活性ガス又はこれらの不活性ガスの混合ガス雰囲気中で行うのが好ましく,さらに,アニーリング温度における窒化ガリウム系化合物半導体の分解圧以上で加圧した窒素雰囲気中で行うのが最も好ましいとされる。これに対し,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用したりキャップ層に水素原子を含む材料を使用することは,p型不純物に結合した水素原子を熱的に解離するというp型のための反応が進行せず,上記作用効果を奏しないことがあるので好ましくないとされるが,逆に,p型不純物に結合した水素原子を熱的に解離するというp型化のための反応が進行して,上記作用効果を奏することもあると考えられることから,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用したり,キャップ層に水素原子を含む材料を使用することが排除まではされていないということができる。
 そうであれば,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」とは,このような作用効果を奏するような雰囲気,言い換えれば,アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味するものと解するのが相当である。
() 被告は,次のように主張して,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」が通常の方法で除去することができない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味するとする。
被告は,本件明細書の実施例におけるアニーリング雰囲気は窒素雰囲気又はアルゴンと窒素との混合ガス雰囲気であり,本件明細書中にアニーリング雰囲気中に水素を含むことを許容する記載はないと主張する。
 証拠(甲2の3)によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,6の実施例が掲げられていて,そのうちの実施例1及び3ないし6では,窒素雰囲気中でアニーリングを行い,実施例2では窒素とアルゴンの混合ガス雰囲気中でアニーリングを行っていること(段落【0024】ないし【0041】)が認められる。しかしながら,実施例は発明の好ましい態様を開示したものであって,特許発明の技術的範囲が実施例に限定されるわけではないし,本件明細書の発明の詳細な説明の段落【0023】には,アニーリング雰囲気中に水素原子を含むガスを使用することが「好ましくない」と記載されているものの,水素を含む雰囲気中でのアニーリングが排除されていないことは,前示のとおりである。
 被告の上記主張は,採用することができない。
・・・
 () 被告方法は,1.3%のアンモニアを含む雰囲気中でアニーリングを行い,これにより,p型窒化ガリウム系化合物半導体を製造するのであって,アニーリング雰囲気中の1.3%のアンモニアから生じる水素原子は,窒化ガリウム系化合物半導体をp型化することを妨げていない。
 そうであるから,被告方法は,アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気中でアニーリングを行うものであって,本件発明の構成要件Bを充足する。」

2014年6月28日土曜日

特殊パラメータ特許の侵害訴訟での立証の困難性

東京地裁平成26年6月24日判決


平成24年(ワ)第15613号 特許権侵害差止等請求事件

1.概要
 本件は,発明の名称を「曲げ加工性が優れたCu-Ni-Si系銅合金条」とする特許権(以下「本件特許権」という。)を有する原告が,被告による被告各製品の製造販売等が本件特許権の侵害に当たると主張して,被告に対し,特許法100条1項に基づく被告各製品の生産,使用等の差止め等を求めた事案である。
 技術的意義が明確でないパラメータを構成要件とする物発明の特許権に基づく侵害訴訟では、特許権者は、被告製品の一部のみが構成要件を満たすことを証明するだけでは足りず、「全体」が構成要件を満たすことを立証する必要がある、と判断された。本件に固有の事情は考慮しなければいけないが、パラメータ特許の特殊性を理解するために役立つ判決である。

 原告が有する特許権に係る本件発明を分説すると以下の通りである:
「(構成要件A)Niを1.0~4.5質量%(以下%とする),
(構成要件B)Siを0.25~1.5%を含有し,
(構成要件C)更にZn,Sn,及びMgのうち1種類以上を含有し,Mgを含有する場合は0.05~0.3%とし,Zn及び/又はSnを含有する場合は総量で0.005~2.0%とし,
(構成要件D)残部がCuおよび不可避的不純物よりなる銅基合金の
(構成要件E)圧延面においてX線回折を用いて測定した3つの(hkl)面のX線回折強度が,
(I(111)+I(311))/I(220)≦2.0
を満足し,
(構成要件F)圧延面においてX線回折を用いて測定した(220)面のX線回折強度をI(220),および純銅粉末標準試料においてX線回折を用いて測定した(220)面のX線回折強度をI0(220)としたときの,I(220)/I0(220)が,
2.28≦I(220)/I0(220)≦3.0
を満足し,
(構成要件G)圧延方向に直角な断面における結晶粒の幅方向の平均長さをa,厚み方向の平均長さをbとしたときに,
0.5≦b/a≦0.9
2μm≦a≦20μm
であることを特徴とする
(構成要件H)高強度および高曲げ加工性を両立させたCu-Ni-Si系銅合金条。」

 一方、被告は、被告は,型番をM702S又はM702Uとする銅合金条(以下,それぞれを「M702S」,「M702U」という。)を製造販売している。

2.争点

 被告による、本件特許権の構成要件E及びFを満たす銅合金条の製造販売の有無が争点の一つである。
 原告は、被告製品の銅合金条の「一部」のみを分析し構成要件E及びFを満たす部分があると主張した。一方被告は、銅合金条の「全体」が構成要件E及びFを満たしていない限り、本件特許権の侵害にはあたらないと主張した。

3.裁判所の判断のポイント

「(1) X線回折強度の測定箇所について

ア 証拠(甲2,3,38,45,46,乙8,9)及び弁論の全趣旨によれば,本件発明は銅合金条という物に係る発明であり,電子部品の高密度実装性,高信頼性が要求される中,構成要件E及びFの数値限定を含む本件発明の構成要件を充足することにより,高強度及び優れた曲げ加工性を両立させた電子材料用の銅合金条を提供することを目的とするものであること,銅合金条は顧客がこれを適宜裁断してリードフレーム,電子機器の各種端子,コネクタ等に用いるものであること,銅合金条の長さや幅は様々であり,例えば,長さは247m,2440mmのもの,幅は436mm,620mmのものがあることが認められる。

 このことからすると,本件発明に係る銅合金条は,顧客がどの部位を裁断しても電子材料として高強度及び優れた曲げ加工性を両立させる性質を有している必要があるから,被告各製品が本件発明の技術的範囲に属するというためには,被告各製品の全ての部位において本件発明の構成要件を充足しなければならないと解すべきである。そうすると,板面方位指数及び(220)面集積度を求めるためのX線回折強度は,銅合金条の任意の1点(甲4,5参照)又は端末寄りの数点(甲8,39参照)だけでは足りず,銅合金条の全体にわたって測定すべきものということができる。

イ これに対し,原告は,現に測定した特定の部位又は両端部を除く部分において構成要件E及びFの数値限定の範囲にあれば足りる旨主張するが,以上に説示したことに照らし,これを採用することはできない。」

「原告は,被告製品1に当たると主張するM702Sにつき,自ら(甲4)又は第三者機関に委託して(甲34)行った測定結果の報告書を提出し,これらによれば構成要件E及びFの数値限定が充足されている旨主張する。しかし,これらはいずれも試料(なお,後者における試料がM702Sであるかは報告書の記載上明らかでない。)の内の任意の1点を計測したものにとどまり,これらによって銅合金条全体が構成要件E及びFの数値限定の範囲内にあると認めることができないことは前記(1)で判断したとおりである。」

「なお,銅合金条の全体にわたってX線回折強度を測定し,その全てにおいて構成要件E及びFの範囲内にあることの立証を要求することは,特許権者に対して酷な面がないではない。しかし,原告は,X線回折強度により計算される板面方位指数及び(220)面集積度が所定の範囲にあることにより顕著な効果を奏するとして,銅合金条に係る本件特許権を取得したものである。これに加え,被告のカタログ(甲6,7)に(220)面集積度等に関する記載はなく,被告において(220)面集積度等を制御して銅合金条の製造を行っている(したがって,顧客においてこの点を製品選択の考慮要素としている)とはうかがわれないこと,本件明細書にも(220)面集積度等を特許請求の範囲に記載された数値限定の範囲内に制御するための具体的な製造方法等は記載されていないこと,(220)面集積度等が本件明細書に記載された本件発明の効果に結びつくとする知見や,それを制御する方法に関する文献等が本件の証拠上に現れていないことに鑑みると,(220)面集積度等が所定の範囲内にあることの技術的意義は定かでないというほかない。本件におけるこのような事情からすれば,原告においては被告の製造販売する銅合金条の全体につきX線回折強度を測定し,これが構成要件E及びFを充足することを客観的な証拠をもって明確に立証しない限り本件特許権を行使することができないと解しても不合理ではないと考えられる。」

2014年6月14日土曜日

先行文献での必須構成を引用発明の一部と認定しなかった審決が取り消された事例


知財高裁平成26年5月26日判決言渡

平成25年(行ケ)第10248号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、原告が出願人の特許出願についての、進歩性欠如を理由とする拒絶審決の取消訴訟において、原告の請求が認められ審決が取り消された事例である。

 本件補正後の請求項1(補正発明)は以下の通りである。

「排気ガスの空気過剰率(λ)が1を超えるときに窒素酸化物を吸収し,λが1以下のときに窒素酸化物を脱離するNOxトラップ材と,浄化触媒と,排気ガス中の酸素濃度を制御するO2制御手段と,を備える内燃機関の排気ガス浄化システムであって,

 排気ガスのλが1を超えるとき,NOxを上記NOxトラップ材に吸収させ,排気ガスのλが1以下のとき,上記NOxトラップ材からNOxを脱離させ,上記O制御手段で浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度を0.8~1.5vol%に制御することによりHCの部分酸化反応を誘発し,この部分酸化を利用してNOxを還元させる,ことを特徴とする排気ガス浄化システム。」

 すなわち本件補正発明は、NOxトラップ材と,浄化触媒と,O制御手段と,を備える内燃機関の排気ガス浄化システムであり、上記O制御手段で浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度を0.8~1.5vol%に制御することにより炭化水素(HC)の部分酸化反応を誘発し,この部分酸化を利用してNOxを還元させる。

 一方、甲1(引用例1)には、NOxトラップ材と,浄化触媒と,O制御手段と,Ce-Zr-Pr複酸化物と,を備える内燃機関の排気ガス浄化システムが開示されている。甲1では「Ce-Zr-Pr複酸化物」の使用により、NOxを還元させることを特徴としている。甲1では排気ガス中の酸素濃度を「2.0%以下」、「0.5%以下」とする実施例は記載されているが、酸素濃度をこの範囲とすることにより炭化水素(HC)の部分酸化反応を誘発することは記載も示唆もされていない。

 甲1に記載された発明(引用発明)をどのように認定するか、具体的には、「Ce-Zr-Pr複酸化物」を引用発明に必須の成分として認定するかが争点となった。

 また、本件補正発明はいわゆるオープン式クレームであり、「Ce-Zr-Pr複酸化物」が追加で含まれることを排除していない。このため本件補正発明で「Ce-Zr-Pr複酸化物を含まない」ということが引用発明との相違点となり得るかも争点となった。

 拒絶審決では、「Ce-Zr-Pr複酸化物」を引用発明の構成とは認定しなかった。また本審決訴訟において被告(特許庁長官)は、仮に「Ce-Zr-Pr複酸化物」を引用発明の構成だと認定したとしても、本件補正発明においても「Ce-Zr-Pr複酸化物」を含む場合も包含されるため相違点ではないと主張した。

 知財高裁は以下の理由から審決は引用発明の認定に違法性があると認定し審決を取り消した。

 (1)甲1には「Ce-Zr-Pr複酸化物」を必須の構成とする技術的思想が記載されているのであるから、それも含めて引用発明を認定すべきである。

 (2)本願明細書には,排気ガス浄化用の触媒として,「Ce-Zr-Pr複酸化物」を追加する点は記載されておらず,その示唆もなく,この点が周知技術であるとも認められない。したがって,補正発明が「Ce-Zr-Pr複酸化物」を備えたものを含むものと認めることはできない。

 

2.裁判所の判断のポイント

(2) 引用発明の認定について

審決は,引用例1に記載された引用発明として,「排気ガスの酸素濃度が高い酸素過剰雰囲気ではNOxを吸収し,理論空燃比近傍又は空気過剰率λ≦1でのリッチ燃焼運転時にはNOxを放出するNOx吸収材と,Pt,Rh等の貴金属と,排気ガスの酸素濃度を変化させる排気制御手段8と,を備える車両用のリーンバーンエンジンや直噴ガソリンエンジンのようなエンジン4の排気ガス浄化装置であって,排気ガスの酸素濃度が高い酸素過剰雰囲気ではNOxを上記NOx吸収材に吸収させ,理論空燃比近傍又は空気過剰率λ≦1でのリッチ燃焼運転時にはNOx吸収材からNOxを放出させ,排気制御手段8でNOx吸収材と貴金属を含む排気ガス浄化用触媒1の入口側の排気ガスの酸素濃度は2.0%以下に制御され,HCが部分酸化されて活性化されNOxの還元反応が進みやすくなり,結果的にHC及びNOx浄化率が高まる,排気ガス浄化装置。」と認定している。この中で,審決は,HC及びNOx浄化率が高まるとの作用効果を奏する機序として,「HCが部分酸化されて活性化」されることを認定している。

しかし,甲1発明は,前記(1)イに認定したとおりであるから,甲1発明における,排気ガスの酸素濃度が低下したとき(リッチ燃焼運転時)に,「HCが部分酸化されて活性化され,NOxの還元反応が進みやすくなり,結果的に,HC及びNOx浄化率が高まる」という作用効果は,NOx吸収材と貴金属とを含む排気ガス浄化用触媒に追加した「Ce-Zr-Pr複酸化物」によって奏したものであって,排気ガスの酸素濃度を前記段落【0058】のように「2.0%以下,あるいは0.5%以下」となるように制御することによって奏したものではない。すなわち,「Ce-Zr-Pr複酸化物」は,前記作用効果を奏するための必須の構成要件であるというべきであり,排気ガスの酸素濃度を「2.0%以下,あるいは0.5%以下」となるように制御した点は,単に,実施例の一つとしてリーン燃焼運転時に「例えば4~5%から20%」,リッチ燃焼運転時に「2.0%以下,あるいは0.5%以下」との数値範囲に制御したにとどまり,前記作用効果を奏するために施した手段とは認められない。

 したがって,引用発明において,「HCが部分酸化されて活性化」されるのは,NOx吸収材と貴金属とを含む排気ガス浄化用触媒において,「Ce-Zr-Pr複酸化物」を含むように構成したことによるものであるから,引用例1に,「排気ガス浄化用触媒1の入口側の排気ガスの酸素濃度は2.0%以下に制御」(段落【0058】)することにより,HCの部分酸化をもたらすことを内容とする発明が,開示されていると認めることはできない。

 そうすると,審決は,引用発明の認定において,「酸素濃度は2.0%以下に制御され,HCが部分酸化されて活性化されNOxの還元反応が進みやすくなり,結果的にHC及びNOx浄化率が高まる,排気ガス浄化装置」と認定しながら,そのような作用効果を奏する必須の構成である「Ce-Zr-Pr複酸化物」を排気ガス浄化用触媒に含ませることなく,欠落させた点において,その認定は誤りであるといわざるを得ない。

前記(1)アの記載事項を踏まえると,引用発明は,正しくは,以下のとおりとなる。

「排気ガスの酸素濃度が高い酸素過剰雰囲気ではNOxを吸収し,理論空燃比近傍

または空気過剰率λ≦1でのリッチ燃焼運転時にはNOxを放出するNOx吸収材と,貴金属と,排気ガスの酸素濃度を変化させる排気制御手段8と,を備える車両用のリーンバーンエンジンや直噴ガソリンエンジンのようなエンジン4の排気ガス浄化装置であって,更に,Ce-Zr-Pr複酸化物を含み,排気ガスの酸素濃度が高い酸素過剰雰囲気ではNOxを上記NOx吸収材に吸収させ,理論空燃比近傍または空気過剰率λ≦1でのリッチ燃焼運転時にはNOx吸収材からNOxを放出させ,排気制御手段8でNOx吸収材と貴金属とCe-Zr-Pr複酸化物を含む排気ガス浄化用触媒1の入口側の排気ガスの酸素濃度が2.0%以下,又は0.5%以下に制御され,Ce-Zr-Pr複酸化物に吸蔵されていた酸素が活性酸素として放出され,貴金属上での活性酸素と排気ガス中のHCとの反応が進み易くなり,結果的にHC及びNOx浄化率が高まる,排気ガス浄化装置。」

これに対し,被告は,引用発明の認定は,補正発明の特許要件を評価するために必要な限度で行えばよいものであって,引用例1自体で特徴とされる事項(例えば,請求項1に係る発明の発明特定事項)を必ず認定しなければならないというものではなく,引用発明の認定において,必ず「Ce-Zr-Pr複酸化物」が含まれていることまでも認定しなければならないことにはならないと主張する。

 確かに,特許法29条1項3号に規定されている「刊行物に記載された発明」は,特許出願人が特許を受けようとする発明の新規性,進歩性を判断する際に,考慮すべき一つの先行技術として位置付けられるものであって,「刊行物に記載された発明」が特許公報である場合に,必ず当該特許公報の請求項における発明特定事項を認定しなければならないものではない。一方で,「刊行物に記載された『発明』」である以上は,「自然法則を利用した技術的思想の創作」(特許法2条1項)であるべきことは当然であって,刊行物においてそのような技術的思想が開示されているといえない場合には,引用発明として認定することはできない。

 本件において,審決は,前記のとおり,引用発明として,「HCが部分酸化されて活性化されNOxの還元反応が進みやすくなり,結果的にHC及びNOx浄化率が高まる」との効果を認定しておきながら,その作用効果を奏するための必須の構成である「Ce-Zr-Pr複酸化物」を欠落して認定したものである。したがって,審決は,前記作用効果を奏するに必要な技術手段を認定していないこととなり,審決の認定した引用発明を,引用例1に記載された先行発明であると認定することはできない。

 よって,被告の主張は採用できない。

(3) 補正発明と引用発明との一致点及び相違点について

 前記のとおり,審決の引用発明の認定は誤っており,これを前提とする一致点及び相違点の認定には誤りが含まれている。

 引用発明は,前記(2)ウのとおり認定するべきであるから,一致点及び相違点は,以下のとおりとなる。

【一致点】

 排気ガスの空気過剰率(λ)が1を超えるときに窒素酸化物を吸収し,λが1以下のときに窒素酸化物を脱離するNOxトラップ材と,浄化触媒と,排気ガス中の酸素濃度を制御するO2制御手段と,を備える内燃機関の排気ガス浄化システムであって,排気ガスのλが1を超えるとき,NOxを上記NOxトラップ材に吸収させ,排気ガスのλが1以下のとき,上記NOxトラップ材からNOxを脱離させ,上記O2制御手段で浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度が制御され,HCの部分酸化を誘発し,この部分酸化を利用してNOxを還元させる,排気ガス浄化システム。

【相違点1”】

 NOxトラップ材と浄化触媒に,補正発明は,Ce-Zr-Pr複酸化物を含んでいないのに対し,引用発明は,Ce-Zr-Pr複酸化物を含む点。

【相違点2”】

 排気ガスのλが1以下のとき,補正発明は,浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度を0.8~1.5vol%に制御するのに対して,引用発明は,浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度を2.0%以下,又は0.5%以下に制御した点。

 なお,被告は,補正発明は,「NOxトラップ材」,「浄化触媒」以外の触媒材料,特に「HCトラップ材」や「酸素吸蔵材」を含むことを排除したものではなく,引用発明の「Ce-Zr-Pr複酸化物」を備えたものも含むものと解すべきであるから,引用発明において,排気ガス浄化用触媒に「Ce-Zr-Pr複酸化物」を含むものと認定したとしても,その点は,補正発明と引用発明との相違点にはならないから,取消事由とならない旨主張する。

 しかし,本願明細書には,排気ガス浄化用の触媒として,「Ce-Zr-Pr複酸化物」を追加する点は記載されておらず,その示唆もなく,この点が周知技術であるとも認められない。したがって,補正発明が「Ce-Zr-Pr複酸化物」を備えたものを含むものと認めることはできない。

 よって,被告の上記主張は採用できない。」

2014年6月7日土曜日

2回目の特許権存続期間延長が認められなかった事例


知財高裁平成26年5月30日判決

平成24年(行ケ)第10399号 審決取消請求事件

1.概要

 原告は,発明の名称を「粉末薬剤多回投与器」とする特許の特許権者である。

 原告は,本件特許に係る発明の実施に政令で定める処分(下記の本件処分)を受けることが必要であったとして,5年の存続期間の延長登録を求めて,本件特許につき特許権の存続期間延長登録の出願(以下「本件出願」という。)をしたが,拒絶査定を受け,拒絶査定不服審判を請求した。特許庁は請求不成立の審決(以下「審決」という。)をした。審決では、下記の本件発明のうち、本件処分のうち、本件処分の対象となった医薬品の承認書に記載された、「発明特定事項及び用途に該当する事項」によって特定される範囲は、先行処分によって実施できるようになっていたといえるから、本件発明の実施に下記本件処分を受けることが必要であったとは認められず、本件出願は特許法67条の3第1項1号に該当し、特許権の存続期間の延長登録を受けることができない、と判断された。

 本件訴訟は、上記審決の取り消しを求める審決取り消し訴訟である。本訴訟において裁判所は上記の審決を取り消した。

原告が有する本件特許:

 本件特許の特許請求の範囲は,以下のとおりである(本件発明1)。

「多回投与操作分の粉末薬剤を貯蔵可能な薬剤貯蔵室(5a)を規定する手段と,

前記薬剤貯蔵室(5a)底面の下部に設けた単回投与用操作分の粉末薬剤を収容可能な薬剤収容部(5b)と,

前記薬剤貯蔵室(5a)の底面との間で接触を保ちつつ充填位置と投与位置との間を移動可能で,充填位置にて開口手段(2f)により前記薬剤収容部(5b)を前記薬剤貯蔵室(5a)に対して開口し,投与位置にて前記薬剤収容部(5b)を前記薬剤貯蔵室(5a)に対して閉鎖すると共に管(2g,2d)を介して前記薬剤収容部(5b)を装置の外部へ連通させる薬剤導出部(2)と,

前記薬剤貯蔵室(5a)底面の下部に設けた穴(5c)に連通し,かつ前記薬剤導出部(2)を充填位置と投与位置の間で移動させるための手段(13)と,

前記薬剤収容部(5b)の底部に設けたフィルター(6a)を介して該薬剤収容部(5b)に空気を送り込むことのできるポンプ部(3)と,

を具備し,

前記薬剤導出部(2)は,充填位置にあるとき前記薬剤貯蔵室(5a)内の粉末薬剤が前記開口手段を介して前記薬剤収容部(5b)内に充填可能とし,その際,前記穴(5c)は,前記管(2g,2d)を介してポンプ部(3)と外部とを連通させることが可能な場所に位置し,

投与位置では,該薬剤収容部(5b)内の粉末薬剤が空気と共に前記管(2g,2d)を介して装置外部へ噴射され,その際,前記穴(5c)を前記開口手段(2f)とは接合させずに閉鎖するように構成したことを特徴とする粉末薬剤多回投与器。」


本件先行処分:

 原告は,平成14年2月27日,販売名を「リノコートパウダースプレー鼻用」とする一体型多回噴霧器入り製剤について,医薬品の製造承認申請をし,厚生労働大臣から,平成15年3月14日付けで,申請のとおりの医薬品製造承認を受けた(本件先行処分)。その内容は以下のとおりである。

【名称】販売名:リノコートパウダースプレー鼻用

【成分及び分量又は本質】成分名は,プロピオン酸ベクロメタゾン,ヒドロキシプロピルセルロース,ステアリン酸マグネシウム,ステアリン酸であり,成分及び分量又は本質として,1製剤単位は1容器,本品は,有効成分,賦形剤を含有する混合粉末が充填された一体型多回噴霧器入り製剤であり,60回(0.9087g,プロピオン酸ベクロメタゾンとして1.50mg)噴霧できる。

【製造方法】記載はあるが不明。図面として,一体型多回噴霧器の外観及び断面の形状,一体型多回噴霧器を構成する部品,本品容器の構造が添付されている。

【用法及び用量】通常,各鼻腔内に1日2回(1回噴霧あたりプロピオン酸ベクロメタゾンとして25μg),朝,夜(起床時,就寝時)に噴霧吸入する。なお,症状により適宜増減する。

【効能又は効果】アレルギー性鼻炎,血管運動性鼻炎

【貯蔵方法及び有効期間】,【規格及び試験方法】記載はあるが不明。


本件処分:

 原告は,平成19年10月12日,「リノコートパウダースプレー鼻用25μg」について,医薬品製造販売承認事項一部変更承認申請を行い,平成22年1月5日付けで,厚生労働大臣から,上記一部変更申請承認処分を受けた(本件処分)。その内容は以下のとおりである。

【名称】販売名:リノコートパウダースプレー鼻用25μg

【成分及び分量又は本質】成分名は,ベクロメタゾンプロピオン酸エステル,ヒドロキシプロピルセルロース,ステアリン酸マグネシウム,ステアリン酸であり,成分及び分量又は本質として,1製剤単位は1容器,本品は,有効成分,賦形剤を含有する混合粉末が充填された一体型多回噴霧器入り製剤であり,60回(0.9087g,ベクロメタゾンプロピオン酸エステルとして1.50mg)噴霧できる。

【製造方法】不明

変更事項 【製造方法】一体型多回噴霧器の「ノズル」を「ノズル(カウンター付)」に変更。図面として,一体型多回噴霧器の外観及び断面の形状,一体型多回噴霧器を構成する部品,本品容器の構造が添付されている。

 本件処分は,粉末薬剤としての成分及び分量,用法,用量,効能,効果等は,本件先行処分と全く同じであり,変更事項は,製造方法として,一体型多回噴霧器の「ノズル」を「ノズル(カウンター付)」に変更するものであり,容器の形態は,本件先行処分のものから,ノズル部分に噴霧回数を表示するカウンターを設けるため,旧製剤と比較して,噴霧器本体の全高を若干高くし,ノズルの長さも若干短くすることで,容器内にカウンターの搭載スペースを確保し,噴霧操作のノズルの回転動作に連動して噴霧回数を計測し表示するカウンターをノズルに搭載した点で,変更を加えたものである。


2.裁判所の判断のポイント

「2 本件出願の特許法67条の3第1項1号該当性に係る判断の誤りについて

(1) 特許法67条の3第1項1号を理由とする拒絶査定の要件について

特許法67条の3第1項1号は,延長登録出願を拒絶するための要件として,「その特許発明の実施に第67条第2項の政令で定める処分を受けることが必要であつたとは認められないとき。」と規定されていることに照らすと,審査官(審判官)が,当該延長登録出願を拒絶するためには,①「『政令で定める処分』を受けたことによっては,禁止が解除されたとはいえないこと」,又は②「政令で定める処分を受けたことによって禁止が解除された行為が『その特許発明の実施』に該当する行為に含まれないこと」を論証する必要があると解される。

薬事法14条1項に基づく医薬品,医薬部外品,化粧品及び医療機器の製造販売についての承認及び同条9項に基づく承認事項の一部変更の承認は,品目ごとに受けなければならず,承認を受けるに当たり,当該医薬品等の「名称,成分,分量,構造,用法,用量,使用方法,効能,効果,性能,副作用その他の品質,有効性及び安全性に関する事項」の審査を受けるものとされている(同条2項3号)。同条2項3号では,審査の対象として,上記各事項が挙げられているが,これらは医薬品,医薬部外品,化粧品及び医療機器の全てについての審査事項を列記したものであり,上記審査事項のうち「構造,使用方法,性能」は医療機器のみにおける審査事項であり,医薬品についての審査事項ではないと解される(同条8項1号及び2号並びに14条の4第1項1号参照。)。そうすると,同法14条1項又は9項に基づく各承認の対象となる医薬品は,「名称,成分,分量,用法,用量,効能,効果,副作用その他の品質,有効性及び安全性に関する事項」によって特定された医薬品である。したがって,上記承認によって禁止が解除される行為態様は,当該承認の対象とされた,上記事項によって特定された医薬品の製造販売等の行為である。

前記アのとおり,特許法67条の3第1項1号は,特許権の存続期間の延長登録出願を拒絶する要件として,「その特許発明の実施に…政令で定める処分を受けることが必要であつたとは認められないとき。」と規定されている。この要件のうち,前記①の「『政令で定める処分』を受けたことによっては,禁止が解除されたとはいえないこと」との第1の要件の有無を判断するに当たっては,医薬品の審査事項である「名称,成分,分量,用法,用量,効能,効果,副作用その他の品質,有効性及び安全性に関する事項」の各要素を形式的に適用して判断するのではなく,存続期間の延長登録制度を設けた特許法の趣旨に照らして実質的に判断することが必要となる。

 本件においては,本件先行処分は薬事法14条1項に基づく医薬品の製造販売に係る承認であり,本件処分は同条9項に基づく承認事項の一部変更の承認である。

 これに対し,特許権の存続期間の延長登録の出願の対象となった本件発明は,粉末薬剤の多回投与器という,特定の薬物を前提としない特許発明であり,前記1(1)カのとおり,多種多様な粉末薬剤を使用することが想定されており,また,前記1(1)オ,キ及びクのとおり,容器の材質,構造等についても多様な実施形態が想定されている。そうすると,本件において,薬事法14条1項又は9項に基づく承認を受けることによって禁止が解除される「その特許発明の実施」の範囲は,本件先行処分及び本件処分の具体的な内容と本件発明の内容とを照らし合わせて,個別具体的に判断する必要がある。

(2) 判断

まず,上記(1)イ及びウの観点から,本件先行処分及び本件処分の対象となった各医薬品と本件発明との関係について検討する。

(ア) 前記認定事実によれば,本件先行処分は,薬事法14条1項に基づき,平成15年3月14日付けでされた,販売名を「リノコートパウダースプレー鼻用」,成分を,プロピオン酸ベクロメタゾン,ヒドロキシプロピルセルロース,ステアリン酸マグネシウム,ステアリン酸,成分及び分量又は本質として,本品は,有効成分,賦形剤を含有する混合粉末が充てんされた一体型多回噴霧器入り製剤であり,60回(0.9087g,プロピオン酸ベクロメタゾンとして1.50mg)噴霧できるとするものについての製造販売承認である。

 これに対し,本件処分は,本件先行処分の医薬品製造販売承認事項の一部変更であり,変更事項は,製造方法として,一体型多回噴霧器の「ノズル」を「ノズル(カウンター付)」に変更するものである。そして,旧製剤と本件製剤とを比較すると,粉末薬剤としては,成分,分量,用法,用量,効能,効果等が全く同じであり,噴霧器の形態については,ノズル部分に噴霧回数を表示するカウンターを設けるため,噴霧器本体の全高を若干高くし,ノズルの長さも若干短くすることで,噴霧器内にカウンターの搭載スペースを確保し,噴霧操作のノズルの回転動作に連動して噴霧回数を計測し表示するカウンターをノズルに搭載した点で変更を加えたものである。

 そうすると,本件処分を受けたことによって禁止が解除された行為は,ノズルにカウンターを搭載したことのみにあると認められる。

(イ) ノズルに,噴霧回数を計測し表示するカウンターを搭載することは,本件特許の特許請求の範囲には記載がなく,本件明細書にも記載がないことは,当事者間に争いがない。

 本件発明1において,手段(13)は,薬剤貯蔵室(5a)底面の下部に設けた穴(5C)に連通するものであり,かつ薬剤導出部(2)を充填位置と投与位置の間で移動させる機能を奏しているものである。

 旧製剤及び本件製剤において,手段(13)に相当するノズルは,いずれも上記構成及び機能を有するところ,本件製剤のノズルは,カウンターを付したことにより,噴霧回数を表示するという付加的機能を奏するものであり,カウンター自体は,薬剤貯蔵室(5a)底面の下部に設けた穴(5c)に連通するものではなく,薬剤導出部(2)を充填位置と投与位置との間で移動させる機能を奏するものでもない。

 したがって,本件製剤は,本件発明1の実施品である旧製剤のノズルにカウンターを付すことによって,旧製剤が奏する定量噴霧性,小型化(携帯性),操作の簡便性・迅速性,製造工程の簡易性,粉末薬剤の分散性,部品の最少化,低コスト化等を兼ね備えた粉末薬剤多回投与器という本件発明1の効果に対し,噴霧回数の表示という付加的機能を実現したものにすぎず,カウンターの設置に伴い,ノズルの面積や構造などに若干の設計変更が加えられたものの,旧製剤と形態や機能において異なるものではないことが認められる。

以上によれば,まず,本件製剤と旧製剤とは,粉末薬剤としては,成分,分量,用法,用量,効能,効果等において全く同じであると認められる。

 そして,本件製剤は,本件先行処分により禁止が解除された本件発明1の実施形態である旧製剤のノズルについて,カウンターを搭載する実施形態に限定したものにすぎないから,本件製剤は,本件発明1の実施形態としては,旧製剤に含まれるというべきである。

 そうすると,本件処分は,本件先行処分により禁止が解除された本件発明1の実施形態について,ノズルにカウンターを搭載するという,より限定した形態について本件処分の承認事項の一部を変更したものにすぎないから,本件出願については,前記①の「『政令で定める処分』を受けたことによっては,禁止が解除されたとはいえないこと」の要件を充足するということができる。

 したがって,本件出願は,特許法67条の3第1項1号の「その特許発明の実施に第67条第2項の政令で定める処分を受けることが必要であつたとは認められないとき」に該当するというべきである。

(3) 原告の主張について

 原告は,①本件発明1において,手段(13)は,回転することによって一回分の投与量を秤量する機能を有する部材であり,回転回数を記録するカウンターも,回転する部材と密接な関係にあり,医薬品として大きな技術的意味を有し,本件発明1の手段(13)の一部を形成しているから,手段(13)は,発明特定事項として,少なくともカウンターを有しないもの(旧製剤)と,カウンターを有するもの(本件製剤)の2つの下位概念を含むものである,②本件製剤の本質的な特徴は,有効成分ではなく,多回投与器の構造に基づく性能にあるから,カウンターを付加した構造に関する創意工夫に基づく患者の利便性の向上につき,延長登録による保護が与えられるべきである,③カウンターの付加は,旧製剤と比較して,利便性を大きく向上させた重要な相違点であり,多回投与器を適用して患者の利便を図るという基本的な技術的思想の中には手段(13)においてカウンターを付加するという下位概念も含まれており,本件発明の目的(定量噴霧性や操作の簡便性・迅速性)がより一層高いレベルで実現されるのであって,カウンターの付加は,本件発明の技術的思想として大きな関連性を有する改良であるところ,カウンターを有する本件製剤は,本件処分によって初めて禁止が解除されたのであるから,本件製剤の実施態様について,本件発明を実施するためには本件処分が必要であったことは自明であると主張する。

 しかし,本件発明1において,手段(13)は,前記のとおり,薬剤貯蔵室(5a)底面の下部に設けた穴(5c)に連通するものであり,かつ薬剤導出部(2)を充填位置と投与位置との間で移動させる機能を奏しているものであるのに対し,カウンター自体はそのような機能を奏するものではなく,噴霧回数の表示という付加的機能を実現するものにすぎない。そして,カウンターを付加することは,本件先行処分で禁止が解除された実施形態の範囲内において,これを限定付加するものにすぎない。したがって,本件処分を受けたことによって,新たに禁止が解除されたとはいえない。

 そうすると,原告の上記主張はいずれも採用することができない。」