2013年11月25日月曜日

先行特許文献における図面から寸法値を導くことができるか否かが争われた事例


知財高裁平成25年10月30日判決

平成25年(行ケ)第10015号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本件は、特許出願の進歩性欠如を指摘する拒絶審決取消訴訟の判決である。

 審決では、引用文献(特許文献)には「鋼製素線2で構成された各ロープ53の鋼製素線2を撚り合わせた部分の直径が約5.0mmないし10mmである」という寸法に係る構成が開示されていると認定した。この認定は、引用文献における図面のみを根拠としていた。

 裁判所は、特許出願の願書に添付される図面は概略を示したものであり、性格な寸法を表すわけではないため、審決の上記認定は誤りであると判断した。

 

2.裁判所の判断のポイント

「審決は,鋼製素線2で構成された各ロープ53の鋼製素線2を撚り合わせた部分の直径(以下「コア直径」という)が約5.0mmないし10mmであると認定しているが,この認定は,引用文献の第1図に示された素線2の直径とコア直径との図示比率のみを根拠とするものである。

 ところで,一般に,特許出願の願書に添付される図面は,明細書を補完し,特許を受けようとする発明に係る技術内容を当業者に理解させるための説明図であるから,当該発明の技術内容を理解するために必要な程度の正確さを備えていれば足り,当該図面に表示された寸法については,必ずしも厳密な正確さが要求されるものではない。

 そこで,引用発明の技術内容についてみると,引用発明は,樹脂材料で素線を被覆すると共に,ロープ外周を樹脂材料で被覆したワイヤロープに関する発明であり,従来,エレベータシステムの小型・軽量化を図るためには,シーブを小径化する必要があるところ,小径のシーブを用いた場合,シーブに巻き掛けられたワイヤロープの曲げ半径が減少し,シーブとの接触圧力が高くなって,ワイヤロープの寿命や強度が低下するといった問題があったことから,このような問題を解決するために,引用発明は,ワイヤロープの構造を改良し,複数の素線を撚り合わせたストランドを複数本撚り合わせることによって構成されたワイヤロープにおいて,素線及びワイヤロープ外周の双方を樹脂材料で被覆するものであって,素線の被覆によって,シーブ通過時における素線相互の滑りによる摩耗を抑制でき,また,ワイヤロープの被覆によって,シーブとの接触面積の増加および接触圧の低下を図ることができ,その結果として,シーブ溝との接触によるワイヤロープの摩耗を抑制できるというものである(甲1・明細書1頁5行目から8行目,同頁25行目から27行目,2頁10行目から13行目,同頁22行目から3頁9行目)。

 上記によれば,引用発明は,素線及びワイヤロープ外周の双方を樹脂材料で被覆するという,ワイヤロープの構造自体に特徴があるものといえる。

 そして,引用文献の第1図については,「図面の簡単な説明」の項に「第1図は,本発明のロープの第1実施例の断面概略図であり」(甲1・明細書3頁12行目)と記載され,「発明を実施するための最良の形態」の項に「第1図を参照すると,荷重支持部材であるワイヤロープ1は,鋼製の素線2を撚り合わせてストランド3を構成し,さらに,ストランド3を撚り合わせて構成される。各素線2は,素線被覆4が施され,ロープ1全体は,中間被覆材6で覆われ,さらに最外層はロープ被覆5が施される。」(同4頁12行目から15行目)と記載されている。

 以上によれば,引用文献の第1図は,引用発明の構成を示す概略図として記載されたものであることが明らかであり,このような図面の性質上,各部材の寸法ないし図示比率については厳密な正確さをもって図示されているものとは認められない。

 したがって,第1図に示された素線2の直径とコア直径との図示比率を根拠として,コア直径が約5.0mmないし10mmであるとする審決の認定は誤りである。同様の理由により,第1図に示された素線2の直径とロープ被覆5との図示比率を根拠として,ロープ被覆5の厚さが約0.56mmであるとする審決の認定も誤りである。

引用文献における「理論的な願望」が「記載された発明」と言えるかどうかが争われた事例


知財高裁平成25年10月31日判決

平成24年(行ケ)第10314号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本件は原告が有する特許権に対する無効審判審決において該特許権が無効であると判断されたことを不服として審決取消を求める審決取消訴訟であって、原告の主張が認められ無効審決が取り消された事例である。

 本件特許発明1は以下の通りである。

「【請求項1】

 発光層を有する,エレクトロルミネッセンスを生ずることができる有機発光デバイスであって,

 前記発光層は,電荷キャリアーホスト材料と,前記電荷キャリアーホスト材料のドーパントとして用いられる燐光材料とからなり,

 前記有機発光デバイスに電圧を印加すると,前記電荷キャリアーホスト材料の非放射性励起子三重項状態のエネルギーが前記燐光材料の三重項分子励起状態に移行することができ,且つ前記燐光材料の前記三重項分子励起状態から燐光放射線を室温において発光する有機発光デバイス。」

 

 本発明の特徴のひとつは「三重項分子励起状態から燐光放射線を室温において発光する」という特性を有する燐光材料を使用することにある。

 一方、引用例1には,有機電界発光素子の発光層に常温でリン光発光する色素を第2の有機色素として使用した場合,発光効率が高く,しかも第2の有機色素からの発光波長特性が得られる、と開示されている。

 審決では引用例1における「第2の有機色素」が「常温でリン光を発光する有機電界発光素子」であり、この点を本発明との一致点と判断した。

 原告(特許権者)は、『(引用例1では)「第1の有機色素の励起三重項状態から励起エネルギーを受け取って励起状態となり,かつ常温で蛍光又はリン光を発光する性質」を有する第2の有機色素に該当するリン光材料が果たして現実に存在するのか,それは具体的にどのような物質なのかという点については一切触れられていない。そうすると,上記記載は,かかる性質を有する第2の有機色素に該当するリン光材料(があれば,それ)を第2の有機色素に選択することで,第1の有機色素の三重項励起状態のエネルギーを効率的に利用できるという理論的な願望を述べたものにすぎない。』と主張し、引用例1には「常温でリン光を発光する有機電界発光素子」は開示されているとは言えず、審決の前提は異なると主張した。

 裁判所はある発明が刊行物に開示されていると認められるためには「当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術事項が開示されていることを要する」と判示し、本件では引用例1に「常温でリン光を発光する有機電界発光素子」は開示されているとは言えないと判断した。

 

2.裁判所の判断のポイント

「ところで,特許法29条2項適用の前提となる同条1項3号は,「特許出願前に…頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定するところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)に鑑みれば,当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術事項が開示されていることを要するものというべきである。

「本件発明1に係る取消事由1についての判断

(1) 前記1のとおり,本件審決が認定する引用発明が,引用例1に記載された発明といえるためには,引用例1に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,本件優先権主張日(平成9年10月9日)当時の技術常識に基づいて,「常温でリン光を発光する有機電界発光素子」を見いだすことができる程度に,引用例1にその技術事項が開示されているといえなければならない。

(2) ・・・そして,確かに引用例1には,有機電界発光素子の発光層に常温でリン光発光する色素を第2の有機色素として使用した場合,発光効率が高く,しかも第2の有機色素からの発光波長特性が得られるという技術的思想が記載されているということはできるものの,引用例1には,「常温でもリン光が観測される有機色素があり,これを第2の有機色素として用いることにより,第1の有機色素の励起三重項状態のエネルギーを効率よく利用することができる。このような有機色素としては,カルボニル基を有するもの,水素が重水素に置換されているもの,ハロゲンなどの重元素を含むものなどがある。これらの置換基はいずれもリン光発光速度を速め,非発光速度を低下させる作用を有する。」という程度の記載しかなく,「常温でリン光を発光する有機電界発光素子」に該当する化学物質の具体的構成等,上記技術的思想を実施し得るに足りる技術事項について何らかの説明をしているものでもない。

(3) また,本件優先権主張日当時,有機ELデバイスにおいて,いかなる化学物質が,常温でもリン光が観測される有機色素として第2の有機色素に選択され,この第2の有機色素が,第1の有機色素の非放射性の励起三重項状態からエネルギーを受け取り,励起三重項状態に励起して,この励起三重項状態から基底状態に遷移する際に室温でリン光を発光するのかが,当業者の技術常識として解明されていたと認めるに足りる証拠もない。

 そして,被告が本件優先権主張日当時において「常温でリン光を発光する有機電界発光素子」が知られていたことの根拠として挙げる各文献(甲12ないし17,20,21,23,27,29,44,乙15,27)の記載内容は,前記3のとおりであるから,上記各文献によっても,本件優先権主張日当時,常温でリン光を発光する有機電界発光素子が当業者の技術常識として解明されていたと認めるには足りない。

・・・

(4) そうすると,引用例1に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,本件優先権主張日当時の技術常識に基づいて,「常温でリン光を発光する有機電界発光素子」を見いだすことができる程度に,引用例1にその技術事項が開示されているということはできない。」