2013年2月26日火曜日

実施可能要件違反の無効審決が取り消された事例


知財高裁平成25年1月31日判決

平成24年(行ケ)第10020号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本件は、原告が有する特許権が無効であると判断した無効審決に対する審決取消訴訟において、知財高裁が無効審決を取り消した事例である。

 化学分野における実施可能要件欠如等が争われた。裁判所は、物を製造することができるかどうかを明細書の開示だけではなく技術常識を考慮して判断し、実施可能要件は満たされると結論付けた。

 原告が提出した本件出願後における実験結果の報告も技術常識を裏付ける判断材料とされた。

 

2.本件発明

【請求項1】蛍光体を含む蛍光体層と発光素子とを備え,前記発光素子は,360nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有し,前記蛍光体は,前記発光素子が放つ光によって励起されて発光し,前記蛍光体が放つ発光成分を出力光として少なくとも含む発光装置であって,/ 前記蛍光体は,/Eu2+で付活され,かつ,600nm以上660nm未満の波長領域に発光ピークを有する窒化物蛍光体又は酸窒化物蛍光体と,/Eu2+で付活され,かつ,500nm以上600nm未満の波長領域に発光ピークを有するアルカリ土類金属オルト珪酸塩蛍光体とを含み,/前記発光素子が放つ光励起下において,前記蛍光体の内部量子効率が80%以上であることを特徴とする発光装置(以下,「Eu2+で付活され,かつ,600nm以上660nm未満の波長領域に発光ピークを有する窒化物蛍光体又は酸窒化物蛍光体」を「本件構成1」と,「Eu2+で付活され,かつ,500nm以上600nm未満の波長領域に発光ピークを有するアルカリ土類金属オルト珪酸塩蛍光体」を「本件構成2」と,「前記発光素子が放つ光励起下において,前記蛍光体の内部量子効率が80%以上である」構成を「本件構成3」という。)

 

 本件構成1の蛍光体は「赤色蛍光体」である。

 本件構成2の蛍光体は「緑色蛍光体」である。

 

3.実施可能要件に関する争点

 本件構成3(前記発光素子が放つ光励起下において,前記蛍光体の内部量子効率が80%以上である)が、赤色蛍光体および緑色蛍光体がそれぞれ「内部量子効率が80%以上」ということを意味するのか(解釈1)、赤色蛍光体および緑色蛍光体が組み合わされた蛍光体が全体として「内部量子効率が80%以上」であることを意味するのか(解釈2)争いがある。

 無効審決では解釈1を採用した。そのうえで、緑色蛍光体については内部量子効率が80%以上である実施例が記載されているが、赤色蛍光体については内部量子効率は実施例においても80%未満であり、当業者は本件構成3を満足する赤色蛍光体を製造することはできないので本件は実施可能要件を満足しない、と判断した。

 一方、原告(特許権者)は、当業者であれば技術常識に基づいて内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体を得ることは容易であると主張した。このことを裏付ける証拠として出願後の報告を提出した。

 

4.明細書の開示

「実施例3では,最大内部量子効率60%のSrAlSiN:Eu2+の赤色蛍光体と,同97%の(Ba,Sr)SiO:Eu2+の緑色蛍光体と,同約100%のBaMgAl1017:Eu2+の青色蛍光体の3種類を重量割合約6:11:30で混合して蛍光体層を形成する。SrAlSiN:Eu2+の赤色蛍光体は,製造条件が未だ最適化されていないために,内部量子効率は低いが,今後製造条件の最適化により,1.5倍以上の内部量子効率の改善が可能である(【0127】)。」

 

5.裁判所の判断のポイント

(1) 実施可能要件について

・・・・物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号),物の発明について上記の実施可能要件を充足するためには,明細書にその物を製造する方法についての具体的な記載が必要であるが,そのような記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき当業者がその物を製造することができるのであれば,上記の実施可能要件を満たすということができる。

(2) 本件明細書の開示内容について

本件審決は,本件構成3について,個々の蛍光体の内部量子効率がそれぞれ80%以上であることを要するとした上で,本件明細書の発明の詳細な説明には,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体が開示されていないとする。

 確かに,前記2(2)アのとおり,本件明細書の発明の詳細な説明には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体として使用できる具体的な物質が,内部量子効率を含む各特性を含めて記載されているところ,本件明細書に開示されている緑色蛍光体の内部量子効率は80%以上であるが,赤色蛍光体の内部量子効率は80%未満であり,したがって,本件明細書には,内部量子効率が80%以上の緑色蛍光体については記載されているが,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体については,直接記載されていないというほかない。

 しかしながら,前記1(8)のとおり,本件明細書には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体の製造方法について,その原料,反応促進剤の有無,焼成条件(温度,時間)なども含めて具体的に記載されているのみならず,赤色蛍光体の製造方法については,本件出願時には製造条件が未だ最適化されていないため,内部量子効率が低いものしか得られていないが,製造条件の最適化により改善されることまで記載されているものである。そうすると,研究段階においても,赤色蛍光体について60ないし70%の内部量子効率が実現されているのであるから,今後,製造条件が十分最適化されることにより,内部量子効率が高いものを得ることができることが記載されている以上,当業者は,今後,製造条件が十分最適化されることにより,内部量子効率が80%以上の高い赤色蛍光体が得られると理解するものというべきである。

証拠(甲5,12~17)によれば,蛍光体の製造方法において,製造条件の最適化として,結晶中の不純物を除去すること,結晶格子の欠陥を減らすこと,結晶粒径を制御すること,発光中心となる付活剤の濃度を最適化すること等により,蛍光体の効率を低下させる要因を除去することは,本件出願時において当業者に周知の事項であったと認められる。

 したがって,本件明細書の発明の詳細な説明に内部量子効率が80%未満の赤色蛍光体が記載されているにすぎなかったとしても,当業者は,蛍光体の製造方法において,製造条件の最適化を行うことにより,赤色蛍光体についても,その内部量子効率が80%以上のものを容易に製造することができるものと解される。実際,証拠(甲18)によれば,本件出願後ではあるが,平成18年3月22日,内部量子効率が86ないし87%のCaAlSiN3:Euの赤色蛍光体が製造された旨が発表されたことが認められる。

以上によると,本件明細書の発明の詳細な説明には,当業者が内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を製造することができる程度の開示が存在するものというべきである。」

2013年2月4日月曜日

間接侵害成立が認められた事例

大阪地裁 平成25年1月17日判決
平成23年()第4836号 特許権侵害差止等請求事件

1.概要
 本事例は特許権侵害訴訟において間接侵害が成立すると判断された事例である。
 被告が製造販売する(業として実施する)各製品は「二酸化炭素含有粘性組成物を得ることができるキット」である。
 被告製品(キット)を購入した需要者は、被告製品のキットから最終産物である「二酸化炭素含有粘性組成物」を調製して使用する。需要者の行為は「業として」の行為ではない。
 原告が有する特許権の本件特許発明1は「二酸化炭素含有粘性組成物を得ることができるキット」である。裁判所は被告製品が本件特許発明1の直接侵害に該当すると判断した。
 原告が有する特許権の本件特許発明7は「請求項1~5のいずれかに記載のキットから得ることができる二酸化炭素含有粘性組成物を含む部分肥満改善用化粧料。」である。
 本事例において裁判所は、被告による被告製品(キット)の製造販売は、本件特許発明7の間接侵害行為に当たると判断した。

 特許法101条1号及び2号に規定されている間接侵害行為は次の通り
一 特許が物の発明についてされている場合において、業として、その物の生産にのみ用いる物の生産、譲渡等若しくは輸入又は譲渡等の申出をする行為
二 特許が物の発明についてされている場合において、その物の生産に用いる物(日本国内において広く一般に流通しているものを除く。)であつてその発明による課題の解決に不可欠なものにつき、その発明が特許発明であること及びその物がその発明の実施に用いられることを知りながら、業として、その生産、譲渡等若しくは輸入又は譲渡等の申出をする行為

 条文の文言から明らかな通り、間接侵害品(キット)の業としての実施行為が間接侵害に該当するとされているだけであり、間接侵害品(キット)を用いて、物クレームに係る最終製品を生産する行為が「業として」行われることは要求されていない。

2.本件発明
本件特許発明1(請求項1)
「部分肥満改善用化粧料,或いは水虫,アトピー性皮膚炎又は褥創の治療用医薬組成物として使用される二酸化炭素含有粘性組成物を得るためのキットであって,
1)炭酸塩及びアルギン酸ナトリウムを含有する含水粘性組成物と,酸を含む顆粒(細粒,粉末)剤の組み合わせ;又は
2)炭酸塩及び酸を含む複合顆粒(細粒,粉末)剤と,アルギン酸ナトリウムを含有する含水粘性組成物の組み合わせ
からなり,
含水粘性組成物が,二酸化炭素を気泡状で保持できるものであることを特徴とする,
含水粘性組成物中で炭酸塩と酸を反応させることにより気泡状の二酸化炭素を含有する前記二酸化炭素含有粘性組成物を得ることができるキット。」

本件特許発明7(請求項7)
「請求項1~5のいずれかに記載のキットから得ることができる二酸化炭素含有粘性組成物を含む部分肥満改善用化粧料。」

3.裁判所の判断のポイント
被告各製品は,ジェル剤と顆粒剤のキットからなる化粧料であり,本件特許発明1の各構成要件を充足するが,被告各製品を購入した需要者は,上記2剤を混ぜ合わせて,自らジェル状の「部分肥満改善用化粧料」を調製し,生成することが予定されており,それ以外の用途は考えられない。
 したがって,被告各製品を製造,販売する行為は,本件特許発明7に係る特許権の間接侵害に当たるといえる。

公知化合物の新規塩、水和物の進歩性が否定された事例

知財高裁 平成25年1月30日判決
平成23年(行ケ)第10340号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例では公知化合物の新規の塩の水和物(ナトリウム塩トリハイドレート)が進歩性を有さないとした拒絶査定不服審判の審決が適法か争われ、知財高裁は審決は適法であると判断した。
 公知化合物の新規な塩、水和物、結晶については原則としては進歩性がない裁判所は考えているようである。

2.本件発明
「4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む,骨吸収を伴う疾病の治療及び予防のための固体状医薬組成物。」

3.裁判所の判断のポイント
「ア モノナトリウム塩とすることの容易想到性について
 フリー体をモノナトリウム塩とすることは,以下のとおり,当業者が容易に想到することができたと認められる。
 すなわち,塩の溶解速度はもとの薬物(遊離酸)と比較して速くなること,そのため,医薬品の製剤化に際しては,遊離の酸ではなくナトリウム,カリウム,カルシウム等との塩がしばしば使用されていることは周知である(前記1(4)ないし(7))。
 他方,フリー体は,2個のホスホン酸基を有するから,1価のアルカリ金属との間には,1価ないし4価の塩が存在する。加えて,甲5の実施例3には,フリー体の水溶液の滴定曲線が「pH4.4およびpH9の2点にみられる明白な滴定の終点(end point)によって特徴づけられるものであつた。」旨が記載されており(前記1(2)),ここでpH4.4の終点がフリー体のモノナトリウム塩に相当することは,当業者の技術常識から明らかでもある。
 以上のとおり,一般に薬物の製剤化に際して,その塩を用いることを検討するのは当業者の通常行うことであって,かつ,フリー体にモノナトリウム塩が存在することは甲5の記載によっても技術常識によっても明らかであることからすると,フリー体をモノナトリウム塩とすることは,容易想到であると認められる。この点に関する審決の判断に誤りはない。
イ 原告の主張について
 原告は甲5には,フリー体をフリー体のまま医薬として用いることに何らかの解決課題があることを示す記載はないので,フリー体からモノナトリウム塩を想到することの動機がない旨を主張する。しかし,前記のとおり,塩の溶解速度はもとの薬物(遊離の酸)と比較して速くなること,薬物の製剤化では遊離の酸ではなくナトリウム,カリウム,カルシウム等との塩がしばしば使用されていることは,周知の事項であったといえる。したがって,医薬の有効成分として,遊離の酸(フリー体)が得られたことに接した当業者は,フリー体をフリー体のまま医薬として用いることに課題が存在することが明記されていなくとも,フリー体が形成可能な塩の特性を検討すると考えられるから,原告の主張は採用できない。

「ア トリハイドレートとすることの容易想到性について
 前記(2)のとおり,フリー体の製剤化に際して,そのモノナトリウム塩を用いることは当業者にとって容易想到であったと認められる。そして,以下のとおり,フリー体のモノナトリウム塩を製造するに際して,普通に採用される条件で生成した結晶は,フリー体のモノナトリウム塩トリハイドレートとなると認められるから,引用発明(フリー体)に接した当業者は,フリー体のモノナトリウム塩トリハイドレートを容易に想到するといえる。
 すなわち,前記1(9)及び(10)に記載の各実験によれば,いずれもフリー体の水溶液に水酸化ナトリウムを滴下後,析出物を乾燥することにより,フリー体のモノナトリウム塩トリハイドレートが得られることが示されている。そして,同実験条件は,フリー体のモノナトリウム塩を製造するに際しての通常の条件であることが認められる(乙29,30,36,38)。
 もっとも,前記1(11)の実験では,フリー体のモノナトリウム塩トリハイドレートは得られず,乾燥条件(110℃・13時間減圧乾燥,130℃・13時間減圧乾燥)によってフリー体のモノナトリウム塩ジハイドレート(2水和物)又はフリー体のモノナトリウム塩(無水物)が得られている。前記1(9)及び(10)に記載の各実験と前記1(11)の実験との違いは,析出物をどのような乾燥条件で乾燥するかの点にある。
 結晶が含む水和水(結晶水)の数が異なると,薬剤の溶解特性が異なり,当該有効成分の生体への吸収特性が異なることは周知の事項であり(前記1(5)(7)),甲5には,フリー体の1水和物(モノハイドレート)が得られたと解される記載がある(前記1(2))。これらからすると,当業者は,フリー体の製剤化に際して,フリー体のモノナトリウム塩を用いることを検討し(前記2(2)のとおり),かつ,フリー体のモノナトリウム塩に何らかの水和物が存在するか,存在する場合,その吸収特性を含めその特性はどのようなものかを調査しようとするのは当然である。また,結晶水は熱すれば,ある温度で段階的に脱水することも周知の事項である(前記1(8))から,当業者が析出物の乾燥条件を設定するに際しては,当然に,結晶水が脱水しない条件も設定しようとすると考えられる(このことは審決が指摘する「乙12の形態E」(本件の甲18)の生成条件にも現れている。)。そうすると,当業者において,前記1(11)の高温条件による乾燥のみを行うとは考えられず,前記1(9)及び(10)に記載の各実験の乾燥条件による乾燥も通常に行うと認められる。
 以上のとおり,前記1(9)及び(10)に記載の各実験はフリー体のモノナトリウム塩を製造するに際して,通常採用される条件である。そして,引用発明に接した当業者は,フリー体のモノナトリウム塩に容易に想到する(前記(2))のであるから,フリー体のモノナトリウム塩トリハイドレートについても容易に想到するというべきで,審決の結論には違法はない。
イ 原告の主張について
 原告は,甲37及び40(早稲田大学のD教授の見解書)を根拠に,前記1(9)及び(10)の各実験の実験条件は通常のものではないとする。しかし,原告が指摘する攪拌時間や攪拌の際の温度等は,収量を上げる目的で採用されたものであり,これをもって前記判断を左右するものではない。
 また,原告は,甲24(同)を根拠に,有機化合物について何らかの水和数を有する水和塩結晶を製造する一般的な方法は知られておらず,ある有機化合物の水和塩結晶を得ようとした場合,どのような方法(晶析及び後処理)を用いればよいのかについて予測することは,相当な試行錯誤をする必要があったので,当業者が,甲5のフリー体の開示に基づいて,フリー体のモノナトリウム塩トリハイドレートを容易に製造することができたとはいえないとする。しかし,有機化合物について何らかの水和数を有する水和塩結晶を製造する一般的な方法は知られていないとしても,前記(2)及び(3)アのとおり,フリー体に接した当事者としてはそのモノナトリウム塩を容易に想到し,フリー体のモノナトリウム塩を製造するに際して通常の方法をとれば,フリー体のモノナトリウム塩トリハイドレートが生成される以上,当業者においては,フリー体から,フリー体のモノナトリウム塩トリハイドレートを容易に想到するとすべきであって,原告の主張は採用できない。
 さらに,原告は,甲5に接した当業者は,実施例3でフリー体の1水和物(モノハイドレート)が得られていることに満足するはずであり,あえて他の水和物の存在の有無やその安定性を調査しようとする動機付けがないとも主張する。しかし,結晶が含む水和水(結晶水)の数が異なると,薬剤の溶解特性が異なり,当該有効成分の生体への吸収特性が異なることは周知の事項であることからすれば,当業者においては,モノナトリウム塩に何らかの水和物が存在するか,存在する場合,吸収特性を含めその特性はどのようなものかを調査しようとするのは当然であるから,原告の主張は採用の限りではない。」