2013年7月16日火曜日

新たな引例に基づく補正却下理由に対し出願人に反論の機会を与えなかったことが適法だと判断された事例


 
知財高裁平成25年7月11日判決

平成24年(行ケ)第10318号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、拒絶査定不服審判の審決に対する取消訴訟の判決である。原告は特許出願をしたが拒絶査定を受けた。理由は引用例1に対して進歩性がない、というものであった。原告は拒絶査定不服審判請求時に特許請求の範囲を補正した。審判段階での合議体による審尋では、補正後の発明が、引用例1と 引用文献2との組み合わせに対して進歩性を有しておらず補正は却下されるべきだと指摘された。原告(出願人、審判請求人)は審尋に対する回答書を提出した。その後に出された審決では、本件補正後の発明は引用例1と引用例2(審尋のときの引用文献2とは異なる)との組み合わせに対して進歩性を有しておらず補正は却下されるべきだと指摘された。

 

 拒絶査定、審尋、拒絶審決において示された引例

 拒絶査定:引用例1

 審尋(補正却下理由):引用例1+引用文献2

  引用文献2は審決(補正却下)における引用例2とは異なる。

 拒絶審決(補正却下理由):引用例1+引用例2

  引用例2は審決において初登場。

 

 原告は、審決取消訴訟において、引用例2が審決において初めて引用された審判手続は特許法159条2項の準用する50条本文の規定(審査官は、拒絶をすべき旨の査定をしようとするときは、特許出願人に対し、拒絶の理由を通知し、相当の期間を指定して、意見書を提出する機会を与えなければならない。)に違反すると主張した。

 これに対して知財高裁は、引用例2が引用された理由を具体的に検討し、「両者(注:拒絶査定と審決)の判断は骨子部分で重なり合っているし,審決が適用した引用例2の技術は,引用例1において自明であるような当業者の技術常識ともいえる事項であるから,本件をもって,改めて拒絶理由の通知をしなければ,請求人である原告の手続保障が十分図れなかった事案であったということはできない」と判断して、取消理由は存在しないと結論付けた。

 補正却下理由として新たな先行技術文献を引用する場合は出願人への通知の必要はない(特許法50条ただし書き)。このためかつての裁判所は、本件のような取消理由に対して「原告の主張は制度上の根拠がない」という理由で具体的な事情に立ち入らずに原告の請求を棄却することが多かった。しかし、知財高裁平成23年10月4日判決平成22年(行ケ)第10298号 審決取消請求事件では、「特許法の前記規定によれば,補正が独立特許要件を欠く場合にも,拒絶理由通知をしなくとも審決に際し補正を却下することができるのであるが,出願人である審判請求人にとって上記過酷な結果が生じることにかんがみれば,特許出願審査手続の適正を貫くための基本的な理念を欠くものとして,審判手続を含む特許出願審査手続における適正手続違反があったものとすべき場合もあり得るというべきである。」と判断した。本件事例において知財高裁が個別の事情を考慮し、十分な手続きの機会が保障されたといえるかどうかを検討した理由は、前記平成23104日判決の判示事項の影響を受けてのことだと思われる。

 

2.特許庁における手続の経緯

 本件出願は,平成17年7月21日(優先権主張平成16年8月2日)を国際出願日とし,「圧力依存型視覚フィードバックを備えるタッチスクリーン」を発明の名称とする特許出願であるが,平成22年7月30日付けで拒絶理由が発送された(甲7)。原告は,請求項を限定する手続補正書(甲5)を提出したが,平成23年1月17日,拒絶査定が発送された(甲8)。原告は同年5月17日に拒絶査定不服の審判を請求し(甲13。特願2007-524433号),同日,請求項を更に限定する手続補正書(甲6)を提出した(以下,「本件補正」という。)。特許庁は,平成24年4月25日,本件審判請求は成り立たない旨の審決をした。

 

3.本件補正後の請求項1の特許請求の範囲は以下のとおりである。

【請求項1】

表示モニタを覆って配置される圧力感知タッチスクリーンを備えるデータ処理システムであって,前記モニタが,ユーザの接触オブジェクトの寸法によって決定される前記タッチスクリーンとユーザとの接触領域の登録により,前記タッチスクリーンによって,登録される圧力の大きさに依存した視覚的表示を提供し,前記表示が,前記接触領域の下にある,前記モニタにおける第1領域を中心となるようにレンダリングされ,前記第1領域の第1寸法が前記接触領域の第2寸法よりも大きくなるように前記第1寸法が前記第2寸法に依存して制御されるシステム。(下線部が補正部分である。)

 

4.審決の理由の要点

 本件補正の却下:補正発明は引用例1(特開2004-70492号公報,甲1)記載の発明(引用発明)及び引用例2(特開平11-212726号公報,甲2)記載の技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたから,独立特許要件を満たさない。

 

5.裁判所の判断のポイント

「原告の主張は,本件のように補正却下において拒絶査定時に引用されなかった文献が示された場合には,拒絶理由通知をすることなく補正が却下されることになり,請求人に反論の機会が与えられず,実質的に手続保障が尽くされていないとの趣旨を含むので,この点を検討する。

 法159条2項の準用する法50条の本文は,限定的減縮の補正について,法50条ただし書に基づいて補正却下した結果,拒絶査定の対象となった補正前発明について審決しようとするとき,その拒絶理由が拒絶査定の理由と異なる場合に,拒絶理由の通知を要求している。

 この点,本件において,拒絶査定の理由は,「引用文献1記載の発明は,タッチした位置において押圧力の変化に応じて表示にフィードバックを行うものであり,補正後の本願請求項1に係る発明と格別相違しない。なお,意見書における『任意の位置』というのは,請求項に基づく主張でないため採用しない。また,仮に任意の位置に補正したとしても,引用文献1におけるアイコンとのマッチング処理を省略するだけであり,引用文献1記載の発明から容易に発明をすることができたものである」(甲8)というものであるのに対し,本件補正を却下した理由は,「引用発明において,上記引用例2記載の技術を適用し,『前記第1領域の第1寸法が前記第2領域の第2寸法よりも大きくなるように前記第1寸法が前記第2寸法に依存して制御される』ようにすることは当業者が容易なし得ること」というものである。

 確かに,引用例2は審決時において初めて原告に提示されたものであり,それまでの手続で示されたものではなく,平成23年12月20日に発送された審尋(甲9)時に提示された引用文献2(甲19。特開2001-350586)とは異なっている。しかしながら,引用例2においては指が太い場合に接触面の大きさに従ってスイッチの視覚的表示が拡大するという点で,引用文献2と一見異なるようであるが,実質的には,指の接触面の大きさ,すなわち圧力に従ったスイッチという点で共通点がある上に,そのことは,前記1(4)イで判断したように引用例1においても自明のものとして既に評価し尽くされているといってもよく,進歩性判断を妨げる理由として引用例2で実質的に新しい事項を追加したというまでもない。

 拒絶査定は,「引用発明と格別相違しないか,容易に発明をすることができた」との趣旨であり,審決は「引用発明に引用例2を適用することは容易になし得た」との趣旨のものである。両者の判断は骨子部分で重なり合っているし,審決が適用した引用例2の技術は,引用例1において自明であるような当業者の技術常識ともいえる事項であるから,本件をもって,改めて拒絶理由の通知をしなければ,請求人である原告の手続保障が十分図れなかった事案であったということはできない。

 したがって,本件は,改めて拒絶理由通知をしなければ手続保障に反するということはできず,原告主張の手続違背は存しないというべきである。」