2012年2月24日金曜日

用途発明について総説

1.はじめに

 本稿では、従来から公知の化粧品成分が、新たな効果を奏することが見出された場合に、当該新たな効果に的を絞った用途発明は新規性を有するか、という点について、近年の判例に基づき解説する。

下記2.1では用途発明の新規性について検討した。
 平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件
 知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決
 「シワ形成抑制剤事件」

下記2.4、2.5では用途発明の権利範囲について以下の2つの判決に基づき解説する。
 平成2年(ワ)第12094号特許権侵害差止等請求事件
 東京地方裁判所平成4年10月23日判決
 「アレルギー性喘息の予防剤事件」


 平成17年(ネ)第10125号 補償金請求控訴事件
 知的財産高等裁判所平成18年11月21日判決
 「シロスタゾール事件」

2.公知化合物の新用途の新規性

 有効成分Aを含む化粧品組成物を皮膚に適用することにより皮膚美白化が達成されることが公知の状況において、同じ組成物を同じように皮膚に適用した場合にシワ形成抑制作用が生じることが新たに判明した場合、当該新たな知見(シワ形成抑制作用)をカバーする用途発明(成分Aを含むシワ形成抑制剤)は特許を受けることが可能であろうか?皮膚美白化を意図した従来の化粧品組成物を従来どおりに使用すればシワ形成抑制作用が生じるはずであるから、シワ形成抑制作用についての用途発明は新規性が否定されてしまうのであろうか?
 医薬品の分野では、公知医薬成分の新規用途は「第二医薬用途」と呼ばれ、新規性を肯定する実務が定着している。例えばある疾患(疾患A)の治療に有効であることが従来から知られていた化合物(化合物A)が、別の疾患(疾患B)の治療に有効であることが確認された場合には、「化合物Aを有効成分とする疾患Bの治療薬」という発明は、一定の条件を満たす限り新規性を有することに争いはない(特許庁 特許実用新案審査基準(以下「審査基準」という) 第Ⅶ部 第3章「医薬発明」2.2.2)。
 しかしながら化粧品の分野では、公知有効成分の新規用途について医薬品特許と同様に新規性が肯定されるのか否か、必ずしも明らかではなかった。審査基準 第Ⅱ部 第2章「新規性・進歩性」1.5.2.(2)②では新規性を欠く化粧品用途発明の事例として例6が挙げられている:
例6:「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」
「成分Aを有効成分とする肌の保湿用化粧料」が、角質層を軟化させ肌への水分吸収を促進するとの整肌についての属性に基づくものであり、一方、「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」が、体内物質Xの生成を促進するとの肌の改善についての未知の属性に基づくものであって、両者が表現上の用途限定の点で相違するとしても、両者がともに皮膚に外用するスキンケア化粧料として用いられるものであり、また、保湿効果を有する化粧料は、保湿によって肌のシワ等を改善して肌状態を整えるものであって、肌のシワ防止のためにも使用されることが、当該分野における常識である場合には、両者の用途を区別することができるとはいえない。したがって、両者に用途限定以外の点で差異がなければ、後者は前者により新規性が否定される。」
 この事例では「成分Aを有効成分とする肌の保湿用化粧料」が公知の場合に、後発の用途発明である「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」の新規性は否定される。一見すると化粧品の第二用途は原則新規性なしとの基準を示しているようにも感じられるが実はそうではない。この例では新旧の両用途の間に表裏一体ともいえる相関関係があり、保湿効果を有する化粧料はシワ防止にも使用されることが技術常識である場合を前提としているから、新規用途について新規性が否定されることはある意味当然な事例といえる。実務者が関心を持つ問題点は、新旧の両用途の相関関係が明確でない状況において、従来認識されていなかった新規用途の新規性が肯定されるのか否かという点であるが、審査基準はこの点について何ら判断基準を提供していない。
 本稿で主に紹介する事例(知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決、平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件、以下「シワ形成抑制剤事件」と呼ぶことがある)はこの論点について重要な回答を示した。具体的には、後発の新用途発明が「新たな用途」を提供する限り新規性は肯定されると裁判所は判断した。
 用途発明に関する現在の審査基準(第II部 第2章「新規性・進歩性」1.5.2.(2))は、用途発明に関する審査基準を明確にすべきとの要請1, 2) を受けて改訂され、平成18年6月21日に公表されものである。この審査基準では上記の通り化粧品用途発明について第二用途の新規性を認めるのか否かの立場を明らかにしていない。シワ形成抑制剤事件判決は、この審査基準が公表された直後に言い渡されたこともあり、関係者に大いに注目された3, 4)。香粧品分野の用途発明を理解するための格好の教材であり、以下詳述したい。

2.1.事例紹介

(1)事件番号等
 平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件
 知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決
 発明の名称:シワ形成抑制剤

(2)本願発明
 「アスナロ又はその抽出物を有効成分とするシワ形成抑制剤。」

(3)争点の概要
 原告の特許出願明細書の発明の詳細な説明にはアスナロ抽出物をマウスの皮膚に適用した場合にシワの形成を抑制することができることが確認されている。
 一方、先行技術を開示する引用文献(審決では「引用例A」と呼ばれる)には、「有効成分として、ヒノキ科植物(Cupressaceae)の成分であって、中間極性を有する有機溶媒、一価若しくは多価の低級アルコール、又はこれらの混合物に可溶性を示すものを含有することを特徴とする美白化粧料組成物」(請求項1)が開示されている。引用文献ではヒノキ科植物の具体例としてアスナロが明示されている。引用文献の試験例1ではアスナロの枝葉のメタノール抽出エキスにより色素細胞(B-16マウスメラノーマ細胞)が白色化することが確認されている。
 審決及び裁判所が認定した、本願発明と引用文献記載の発明(引用発明)との一致点及び相違点は以下の通りである(なお、原告はこの認定についても争ったが、裁判所はこの点について原告の主張を認めていないためこの争点について本稿では割愛する)

一致点=「アスナロの抽出物を有効成分とする皮膚外用組成物」である点
相違点=本願発明では当該組成物が「シワ形成抑制剤」であるのに対し、引用発明は「美白化粧料組成物」である点。

 本願発明の「シワ形成抑制剤」が引用発明の「美白化粧料組成物」と同一といえるかどうか、すなわち本願発明が引用文献に記載された発明(特許法29条第1項第3号)であるかどうかが争われた。
 本願発明の「シワ形成抑制剤」と引用発明の「美白化粧料組成物」は、アスナロ抽出物の配合量や組成物の形態自体には相違がない。

(4)審決の概要
 特許庁審判体は上記相違点について以下の通り判断し、本願発明は引用発明と同一であると結論付けた。
「引用例Aの組成物中に含まれる有効成分の含有量は、通常0.001~1.0%程度であり、そのとりうる形態も乳液、化粧水、パック料等の一般皮膚化粧料であるから、両者は有効成分の含有量、とりうる形態、使用態様においても異なるところはない。
 そうであれば、引用例Aの組成物を皮膚に適用した場合、同じ有効成分を同程度含有する以上、美白と同時にシワ形成抑制作用も奏しているはずのものであって、上記の相違点は、組成物中の有効成分であるアスナロ抽出物の作用を美白作用と認識して美白化粧料組成物としたか、シワ形成抑制作用と認識してシワ形成抑制剤としたかの表現上の相違にすぎない。 換言すれば、本願発明は、引用例Aのアスナロの抽出物を含有する美白化粧料組成物について、シワ形成抑制の効果を新たに発見したにすぎないものであり、それにより格別新たな用途が生み出されたものではない。」
「したがって、本願発明は引用文献Aに記載された発明と同一であるから特許法第29条第1項第3号に該当し、特許を受けることができない」
(下線は筆者が付加)

(5)裁判所の判断
 知財高裁は、本願発明は引用発明と異なると判断し、審決を取り消した。
「・・・本願発明は,アスナロ又はその抽出物が優れたシワ形成抑制作用を有することを見い出したことによってなされた発明であって,「シワ形成抑制」という用途を限定した発明(用途発明)であると認められる。
 そして,本願発明の「シワ形成抑制」という用途が,その技術分野の出願時の技術常識を考慮し,新たな用途を提供したといえるのでなければ,発明の新規性は否定されるので,以下,本願発明の「シワ形成抑制」という用途が,新たな用途を提供したといえるかどうかという観点から判断する。

(続いて裁判所は、シワ形成と皮膚黒化との機序の相違、それぞれの予防・治療法の相違等を証明するために原告が提出した証拠の記述を多数引用、検討した)

「以上の事実によると,「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」では,
(ア)「シワ」が,皮膚の張り,弾力性が喪失して皮膚に線状や襞状の溝が形成される現象であるのに対し,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」が,皮膚にメラミン色素が沈着して褐色~黒色に変化する現象であって,現象として異なること,
(イ)「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」は,いずれも紫外線暴露が原因の一つとなって起こるが,その機序は,「シワ」が,正常な弾性繊維とそれによる網状構造が変性し,異常な弾性組織が蓄積することによって起こるのに対し,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」は,メラニン色素の沈着によって起こるものであって,機序が異なること,
(ウ)予防・治療法としては,紫外線の皮膚への吸収を防ぐもののように共通しているものがあるが,それ以外に多くの異なる予防・治療法があること,
が認められる。」

「「’96化粧品マーケティング要覧 No.1」株式会社富士経済(1996年9月27日発刊。甲9)は,美容液を,ホワイトニング(美白効果を主に訴求する化粧料),アンチエイジング(シワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料)などに分類して,それぞれのマーケット動向を分析している。この事実からすると,本願出願当時,美白効果を主に訴求する化粧料,とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料とは,異なる種類の製品であると認識されていたことが推認される。」

「「シワ」は,上記(略)のとおり,現象もそれが生ずる機序も,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」とは異なり,また,上記(略)のとおり,美白効果を主に訴求する化粧料,とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料は,製品としても異なるものと認識されていたところ,引用発明は,上記(略)のとおり,色素細胞を白色化して,紫外線による皮膚の黒化若しくは色素沈着を消失させ又は予防する美白化粧料組成物であるから,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識する余地はなかったものと認められる。 なお,上記・・・のとおり,「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」の予防・治療法として,紫外線の皮膚への吸収を防ぐものなどのように,共通しているものがあるが,引用発明は,上記・・・のとおり,色素細胞を白色化して,紫外線による皮膚の黒化若しくは色素沈着を消失させ又は予防するものであるから,この点において,予防・治療法として,本願発明と共通するということはできない。」

「被告は,引用発明の「美白化粧料組成物」を皮膚に適用すれば,「美白作用」と同時に「シワ形成抑制作用」も奏しているはずのものであり,「シワ形成抑制作用」のような作用は,視覚や触覚のような五感で容易に知得できる作用であるから,「美白化粧料組成物」を皮膚に適用・使用した場合に,その使用者が容易にその効果を実感できるものであることを理由として,本願発明につき格別新たな用途が生み出されたとすることはできないと主張する。
 しかし,引用発明の「美白化粧料組成物」を皮膚に適用すれば,「美白作用」と同時に「シワ形成抑制作用」を奏しているとしても,本願の出願までにその旨を記載した文献が認められないことからすると,「シワ形成抑制作用」を奏していることが知られていたと認めることはできない。

「さらに,被告は,引用発明の「美白化粧料組成物」と本願発明の「シワ形成抑制剤」は,いずれも,美容効果のうち,特に紫外線による皮膚のトラブルに対する予防効果を期待して皮膚に適用されるものであって,「同じ効果を期待する使用者に対して用いられるものではない。」とする原告の主張は,失当であると主張する。しかし,「シワ」と「美白」が異なることは,前記(略)のとおりであって,美容効果のうち,特に紫外線による皮膚のトラブルに対する予防効果を期待して皮膚に適用されるものであるとの共通点があるからといって,当業者が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められない。

「これまで述べたところを総合すると,当業者が,本願出願当時,引用発明の「美白化粧料組成物」につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められず,本願発明の「シワ形成抑制」という用途は,引用発明の「美白化粧料組成物」とは異なる新たな用途を提供したということができる。
(上記抜粋箇所において下線及び強調のための点は筆者が付加)

2.2.考察

 本件事例では本願発明と引用発明の対象は共に「アスナロの抽出物を有効成分とする皮膚外用組成物」であり、有効成分の配合量も含め化粧品組成物自体に差異がなく、適用箇所が皮膚であるという点でも差異がない。従って、引用発明の組成物を皮膚に適用すれば、引用発明が意図する美白作用とともに、本願発明が意図するシワ形成作用も同時に奏されることとなる。要するに、引用文献に記載された通りのことを実行すれば、「シワ形成抑制剤」にもなってしまうという関係である。
 特許庁審判体はこの「内在的な公知」を重要視しているようであり、「美白化粧料組成物としたか、・・・シワ形成抑制剤としたかの表現上の相違にすぎない」、「美白化粧料組成物について、シワ形成抑制の効果を新たに発見したにすぎない」として本願発明の新規性を否定した。正林真之氏は本判決についての詳細な論説3)において、「このような判断の背景には『後願権利者の特許の成立によって、先行用途発明の実施者のそれまでと何ら変わらない実施行為がある日突然制限されることになる』ということは許されるべきでない、という価値観があるように思われる」と述べられている5)。平成6年以前の一般審査基準では公知の物と構造の点で相違がない場合においても適用範囲(適用手段、適用場所、適用時期など)が公知の物の用途と区別可能であれば新規性は否定されないとする判断基準が記載されていた6)。この基準は、逆に言えば、適用範囲が同じであれば、狙っている用途が異なっていても新規な用途発明とは評価しないという判断基準である。この考え方が本事例の審判体の判断においても影響しているようである7)。
 これに対して裁判所は、引用文献の美白化粧料組成物を皮膚に適用することにより「内在的な公知」が生じたとしても、引用文献にその旨が記載されていない以上は「シワ形成抑制作用」を奏していることが知られていたと認めることはできない、と判断した。裁判所は従来認識されていなかった「新たな用途の提供」には特許権を付与すべきという立場である。
 では「新たな用途の提供」とは具体的に何か?この点について裁判所は何ら説明をしていない。同様の表現は審査基準でも用いられているが定義規定は存在しない。この「新たな用途の提供」概念は我が国において用途発明の新規性を判断するうえで重要な概念であるにも関わらず、その意味は実は全く曖昧である。南条雅裕氏が提唱される通り、「新たな用途の提供」の意義及び内実の明確化が求められる8)。
 以下はあくまで筆者の私見であるが、おそらく本事例において裁判所は、公知物の「従来の用途とは異なる利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道」は新規用途発明として保護しようとする立場をとったように思われる。上記判決抜粋箇所にあるように、原告が提出した証拠によれば「本願出願当時,美白効果を主に訴求する化粧料とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料とは,異なる種類の製品であると認識されて」いる。すなわち両者は異なる利用価値を有する別々の使い道として認識されている。裁判所の立場を推測するに、同じ使い道(用途)を異なる表現で言い換えただけでは利用価値は同一であり新規性は認められないが、美白剤とシワ形成抑制剤とは異なる利用価値を持っていることから、たとえアスナロ抽出物を含む美白剤が公知であっても、アスナロ抽出物を含むシワ形成抑制剤は保護すべきと判断したのではなかろうか。
 公知物について「従来の用途とは異なる利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道」を保護しようとする取り扱いは、実はこの判決だけではなく、特許庁の審査・審判実務においてもしばしば見受けられると筆者は感じている。裁判例でないため具体的な言及は差し控えるが典型的なパターンを2つここで紹介したい。

(パターン1)医薬品の場合
 例えば「化合物Aが糖尿病を治療する」ことが、治療の機構は未解明であったものの公知であったと仮定する。この状況において、化合物Aが「酵素Bを阻害」することにより糖尿病を治療することが新たに明らかになり、しかも、化合物Aが酵素Bを阻害することや、酵素B阻害と糖尿病との関係についても従来知られていなかったとする。このような場合、「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」と表現されたクレーム発明の新規性は否定されるが、「化合物Aを含有する酵素B阻害剤」と表現されたクレーム発明は新規性が肯定される場合が見受けられる。この場合、「酵素B阻害剤」が「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」とは異質な利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道であることが評価されて新規性が肯定されているように思われる。「酵素B阻害剤」が糖尿病治療以外の用途を有していることを説明できれば、新規性が肯定される可能性はより一層高まるはずである。

(パターン2)食品の場合
 従来から食塩と併用され食品中に配合されていた公知の化合物Aが、「食塩の塩味の増強」に有効であることが新たに認められた場合に、「化合物Aを含有する食塩の塩味の増強剤」(または「化合物Aを食塩含有食品中に添加して食塩の塩味を増強する方法」)と表現されたクレーム発明の新規性が肯定されることもある。この場合は、従来公知の「化合物Aと食塩を含有する食品」において塩味は増強されていたとしても、塩味の増強剤としての用途は、従来の食品としての用途とは異なる利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道であると評価され、新規性が肯定されているものと思われる。

 シワ形成抑制剤事件での裁判所の判断及びこれらの審査・審判実務での判断を「適用範囲(適用手段、適用場所、適用時期など)が公知の物の用途と区別可能な場合に限って後発新用途発明は新規性あり」とする考え方で説明するには無理があると思われる。シワ形成抑制剤事件の事例であれば、シワ形成抑制を求める対象者と、皮膚美白を求める対象者とは異なるので適用範囲が異なり新規性あり、という説明もできないではないが、「化合物Aを含有する食塩の塩味の増強剤」が従来の用途(通常の食品成分としての用途)と適用範囲が異なるとは到底いえないであろう。結局は、「公知物の利用価値ある新しい使い道を提供すれば、適用範囲において公知物の従来の用途と差異がなくとも用途発明として保護される」という程度の漠然とした基準でなければシワ形成抑制剤事件の結論及び審査審判での考え方を説明することはできないと思われる。

2.3.先行技術の実施者との関係

 上記のシワ形成抑制剤事件判決のように後発新用途発明に特許権を付与した場合の先行用途発明の実施行為との関係を整理したい。一見すると「後願権利者の特許の成立によって、先行用途発明の実施者のそれまでと何ら変わらない実施行為がある日突然制限されることになる」という問題 5) の発生が懸念されるところであるが、用途発明についての特許権の実態が「用途を表示する権利」(本連載で第2回以降を執筆する予定の奥野彰彦はこの権利を「ラベル化権」と呼ぶことを提唱している9)。本稿でも以下「ラベル化権」と呼ぶ)であると理解すればこのような問題は生じ得ないことが理解できる。
 ラベル化権説は、例えば上記糖尿病治療の例において「化合物Aを含有する酵素B阻害剤」と表現されたクレーム発明について特許権が付与された場合、「酵素Bを阻害する」、「酵素Bを阻害して糖尿病を治療する」等の、「酵素B阻害」に関する表示(ラベル)が付された添付文書、パッケージ、技術説明資料、宣伝広告媒体等を伴って販売等される化合物A又は化合物A含有製剤が当該特許権の技術的範囲に含まれる、という考え方である。一方、「酵素B阻害」の機構が表示されていない「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」は、公知技術であるから技術的範囲には包含されない(ただし、医薬品の技術説明資料等において「酵素B阻害」の作用機序に触れている場合には、技術的範囲に包含されると考えられる。後述するシロスタゾール事件判決参照)。特許権者が独占できる行為は「酵素B阻害」の機構を表示する行為に限られるのであるから、従来から公知の「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」としての実施は何ら制限されない。化合物Aによって糖尿病を治療すれば必然的に酵素Bは阻害されるとしても、従来から公知の行為にまで特許権の技術的範囲に包含されるとすれば明らかに不合理である。(なお、前提は異なるが、「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」自体が公知技術でない場合には、「化合物Aを含有する酵素B阻害剤」の技術的範囲に当該治療薬が包含される可能性もある。)
 後発新用途発明の特許出願人にとっては、先行用途発明の実施に伴い不可避的に生じる従来認識されていなかった新しい効果に関連した新用途発明についても特許を受けることができることと引替えに、新用途発明に関する表示を伴わない先行用途発明の実施までは特許権の技術的範囲として独占することができないというトレードオフの関係が成立する。従って、後発新用途発明に特許権を付与したとしても、特許権をラベル化権と解釈する限り、第三者による先行用途発明の実施行為を不当に妨げるという問題は生じない。

2.4.ラベル化権説を支持する裁判例 「アレルギー性喘息の予防剤事件」

 ラベル化権説は下記「アレルギー性喘息の予防剤」事件により明確に支持される。この事例は、侵害訴訟において第二医薬用途発明の技術的範囲が争われた(筆者が認識している限り)唯一の裁判例である。以下、簡単に要点のみ概説する。

(1)事件番号等
 平成2年(ワ)第12094号特許権侵害差止等請求事件
 東京地方裁判所平成4年10月23日判決
 発明の名称:アレルギー性喘息の予防剤

(2)原告が有する特許権の特許請求の範囲
「ケトチフェン又はその製薬上許容しうる酸付加塩を有効成分とするアレルギー性喘息の予防剤。」

(3)特許権に基づいて原告が製造等の差し止めを求めた被告の実施品
 第一物件目録:フマル酸ケトチフェン(化合物そのもの)
 第二物件目録:第一物件目録記載のフマル酸ケトチフェンを有効成分とし、「効能又は効果」として気管支喘息、喘息又はアレルギー性喘息を含み、「用法」として「一日二回、朝食後および就寝前に経口投与する」等と定期的継続的に用いるものとする医薬品

(4)判決のポイント
 第二物件目録に該当する、被告らが実施する製剤品の「添付文書」中には効能又は効果の欄には、気管支喘息、アレルギー性鼻炎、湿疹・皮膚炎、蕁麻疹、皮膚ソウ痒症と記載されている。すなわち、用途発明の対象となる用途の表示と、権利範囲外である他の用途の表示とが一体に記載されている。
 原告は「別紙第一物件目録記載の物件を製剤し、該製品を販売してはならない」と請求した。すなわち、所定の用途に限定されないフマル酸ケトチフェン自体およびその製剤までをも本件特許発明の技術的範囲に属するとして差し止めを求めた。
 しかしながら裁判所は本件特許発明の技術的範囲に属するのは別紙第二物件目録記載の医薬品に限定されると判断して、原告の請求を一部棄却した。「効能又は効果」の欄に気管支喘息、喘息又はアレルギー性喘息を含む第二物件目録の医薬品のみが特許権者が独占できる範囲であると認定された。(判決関連箇所抜粋)
「被告らの製剤品がアレルギー性喘息の予防剤に該当するものであることは前記認定のとおりであるが、本訴において、原告が製剤の差止めの対象物としているのはフマル酸ケトチフェンであり、販売の差止めの対象としているのはフマル酸ケトチフェンの製剤品であって、「ザジトマカプセル」、「ケトチロンカプセル」及び「サルジメンカプセル」に限っているわけではない。そして、フマル酸ケトチフェンがヒスタミン解放抑制作用の他に抗ヒスタミン作用を有することは従来から知られているのであるから、このフマル酸ケトチフェンについて、その抗ヒスタミン作用を利用する等した、アレルギー性喘息の予防剤以外の用途も考えられないわけではなく、現に、《証拠略》よれば、ケトチフェンなどの抗ヒスタミン剤について、その効能に対する見直しが考えられるべきであるとの趣旨の記載のある文献も存するところである。そして、このようなアレルギー性喘息の予防剤以外の用途については本件発明の技術的範囲が及ばないことはいうまでもない。そして、前記のような認定事実をも併せて考えると、原告が差止めを求めた対象物のうち、本件発明の技術的範囲に属するのは、別紙第二物件目録記載の医薬品に限定されるというべきである。」
 被告の実施品は気管支喘息だけでなく、「アレルギー性鼻炎、湿疹・皮膚炎、蕁麻疹、皮膚ソウ痒症」も効果効能の対象であることから、この実施品に対する差し止めは不当であるようにも思われる。この点について裁判所は、本件特許発明の用途と、他の用途とが区別できるにもかかわらず一体不可分になっている以上、他の用途にまで本件発明の技術的範囲が及ぶことを被告は甘受せざるを得ないと判断した。逆に言えば、被告が実施品の「効能又は効果」の欄から「気管支喘息」の表示を削除しさえすれば差し止めの対象外になると考えられる。(判決関連箇所抜粋)
「本件化合物については、これを製剤販売する業者としては、アレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とを用途としての適用範囲において実質的に区別することが可能なのであって、右区別をすることによって当該製剤が本件発明の技術的範囲に属していないことを明らかにすることができるのであり、他方、右用途の区別が明確になされていない場合には、本件化合物はアレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とがいわば不可分一体になっているものというほかはなく、したがって、アレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とを区別する方途がないのであるから、当該製剤販売業者としては、本件化合物のアレルギー性喘息の予防剤としての用途のみならず、他用途にまで本件発明の技術的範囲が及ぶことも甘受せざるを得ないものといわなければならない。
 本件においては、仮に被告らの製剤品にアレルギー性喘息の予防剤以外の用途があるとしても、被告らは、被告らの製剤品について、アレルギー性喘息の予防剤としての用途を除外する等しておらず、右予防剤としての用途と他用途とを明確に区別して製剤販売していないのであるから、被告らが、その製剤品についてアレルギー性喘息の予防剤以外の用途をも差し止められる結果となったとしてもやむを得ないものといわざるをえない。」

2.5.用途発明の実施行為の範囲を判断した裁判例 「シロスタゾール事件」

 上述の通り用途発明の実質は「ラベル化権」であると解釈できるが、容器やラベルに効果を表示することだけが用途発明の実施行為ではない。技術説明資料や販売促進用資料においてクレームされた用途での有用性を謳うことも用途発明の実施行為(すなわち「ラベル」する行為)であると筆者は理解する。このことは以下の裁判例により支持される。

(1)事件番号等
 平成17年(ネ)第10125号 補償金請求控訴事件
 知的財産高等裁判所平成18年11月21日判決

(2)概要
 本事例は、被控訴人企業の従業員であった控訴人が、被控訴人に対し、被控訴人が特許権を有する用途発明についての職務発明の対価を請求した事例である10)。
 「該有効成分が6-[4-(1-シクロヘキシルテトラゾール-5-イル)ブトキシ]-3,4-ジヒドロカルボスチリルであるPTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療剤。」等の用途発明が被控訴人により実施されたか否かという判断にあたり、知財高裁は、クレームされた用途を明示的に表示して販売するだけが用途発明の実施行為ではなく、技術説明を伴う販売活動も用途発明の実施行為に含まれ得るとの判断を示した。
(判決関連箇所抜粋)
「このように,被控訴人は,本件製剤について,『PTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療剤』と明示的に表示して販売していたものでないにしても,遅くとも平成12年ころからは,本件製剤に再狭窄予防効果等があることをその特性として積極的に位置付けた販売活動を行っていたものであり,平成12年10月ころには,循環器科医師等の間でシロスタゾールがPTCA後の再狭窄予防の薬剤として広く認知されるようになったことからすれば,少なくとも平成12年10月以降の本件製剤の販売の中には,本件製剤が上記ガイドラインにいうPTCA後の再狭窄予防の薬剤として,すなわち本件用途発明の「PTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療」の用途に使用されるものとして販売されたものが一定量含まれているものと認めるのが相当であり,そうすると,本件においては,その一定量の販売の限度で,本件用途発明に係る「PTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療剤」なる発明の実施があったというべきである。」(下線は筆者が付加)
「確かに,医薬品の用途発明は,その用途に係る効能・効果につき薬事法上の承認を得て実施されるのが一般的であるとはいえるが,医薬品の用途発明においては,当該用途に使用されるものとして当該医薬品を販売すれば,発明の実施に当たるということができるのであり,このことは必ずしも薬事法上の承認の有無とは直接の関係がないというべきであって,仮にその販売が薬事法上の問題を生じ得るとしても,実際に当該用途に使用されるものとして販売している以上,当該用途発明を実施しているというべきである。医薬品の用途発明の実施は,例えば医薬品の容器やラベル等にその用途を直接かつ明示的に表示して製造,販売する場合などが典型的であるといえるが,必ずしも当該用途を直接かつ明示的に表示して販売していなくても,具体的な状況の下で,その用途に使用されるものとして販売されていることが認定できれば,用途発明の実施があったといえることに変わりはない。前記のとおり,本件においては,本件製剤の有効成分であるシロスタゾールがPTCA後の再狭窄予防の薬剤として広く認知されており,被控訴人は,本件製剤に再狭窄予防効果等があることをその特性として積極的に位置付けた販売活動を行い,本件製剤のうちの一定量は本件用途発明に係る用途に使用されるものとして販売されていたと認められるのであるから,被控訴人による本件用途発明の実施があったというべきであり,被控訴人の上記主張は採用することができない。」(下線は筆者が付加)

3.まとめ

 上記の内容を簡単にまとめると:
(1)シワ形成抑制剤事件は、ある物質について先行技術文献記載の用途発明を実施した際に不可避的(内在的)に生じる作用に基づく用途についても、従来認識されていた用途ではない場合には新規性が肯定される余地があることを示した。(2.1)
(2)「新たな用途の提供」という新規性判断基準は不明確であるが、「従来の用途とは異なる利用価値を持つ、公知物の従来認識されていない新しい使い道」は新規用途発明として保護される可能性があると考えてよさそうである。(2.2)
(3)用途発明の特許権の実質を「用途を表示する権利」(ラベル化権)であると理解すれば、「後願権利者の特許の成立によって、先行用途発明の実施者のそれまでと何ら変わらない実施行為がある日突然制限されることになる」という問題は発生し得ないことが理解できる。(上記2.3)
(4)「ラベル化権」はアレルギー性喘息予防剤事件により支持される。(上記2.4)
(5)シロスタゾール事件は、用途発明の実施行為の範囲には、クレームされた用途を容器やラベルに明示的に表示して販売する行為だけではなく、当該用途を謳う技術説明や宣伝活動も包含されることを支持する。(上記2.5)

 本稿で提供した情報が、香粧品開発に携わる方々の特許制度への理解の一助となれば幸いである。

4.参考文献

1)財団法人知的財産研究所 平成15年度 主要国における用途発明の審査・運用に関する調査研究報告書(平成16年3月)
2)財団法人知的財産研究所 平成16年度 用途発明の審査・運用の在り方に関する調査研究報告書(平成17年3月)
3)正林真之 「先行する用途が存在する場合の後願用途発明の特許性について」 知財管理 Vol.57 No.9 (2007) 1505-1519頁
4)南条雅裕 「試練に立つ用途発明を巡る新規性論」 パテント Vol. 62 No.1 (2009) 43-57頁
5)前掲3), 5.1参照
6)財団法人知的財産権研究所編「用途発明-医療関連行為を中心として-」浅野敏彦「Ⅵ.用途発明における審査・運用における課題」 株式会社雄松堂出版、初版、285頁
7)前掲3),4.2参照
8)前掲4),7.参照
9)「抗体医薬品の研究開発ノウハウ集 2008」 奥野彰彦 第8章「抗体医薬品における特許実務と知財戦略」,第3節「抗体医薬品の強い特許明細書・クレームの書き方」 株式会社技術情報協会発行,第1版, 356-360頁
10)中央知的財産研究所 「クレーム解釈をめぐる諸問題」 研究報告第23号(平成20年12月31日) 紺野昭男 「用途発明の実施に関連した三つの論点への考察」 208-224頁

2012年2月12日日曜日

周知技術に基づく想到容易性の判断も慎重を期すべきであると判断された事例

知財高裁平成24年1月31日判決
平成23年(行ケ)第10121号 審決取消請求事件

1.概要
 進歩性判断において特許権者出願人サイドに有利な裁判例が近年多い。本事例では、副引用発明が「周知技術」であるからといって特許庁側の立証負担が軽減されるわけではないことが明示されており興味深い。

2.本件発明
「【請求項1】
(a) 上面と,前記上面に設けられた複数の半導体チップ搭載領域と,前記上面とは反対側の下面とを有するマトリクス基板を準備する工程,
(b) 複数の半導体チップを前記複数の半導体チップ搭載領域に,それぞれ搭載する工程,
(c) 前記複数の半導体チップのそれぞれと前記マトリクス基板に形成された前記複数の第1パッドとを,複数のワイヤで接続する工程,
(d) 前記複数の半導体チップおよび前記複数のワイヤを樹脂で封止する工程,
(e) 前記複数の半導体チップのうちの互いに隣り合う領域における前記マトリクス基板および前記樹脂を切断し,複数の樹脂封止型半導体装置を取得する工程,
を含み,
 取得された前記複数の樹脂封止型半導体装置のそれぞれは,分割された前記マトリクス基板の前記下面に,複数の第2パッドと,複数の配線と,アドレス情報パターンとを有し,
 分割された前記マトリクス基板の前記上面は,前記樹脂で覆われており,
 前記複数の配線は,前記複数の第2パッドのそれぞれと一体に形成され,
 前記アドレス情報パターンは,前記複数の第2パッドおよび前記複数の配線を除く領域に形成されており,
 前記アドレス情報パターンは,前記(b)工程に先立ち,形成されていることを特徴とする樹脂封止型半導体装置の製造方法。」

3.引用発明との相違点
相違点1:本願発明では,分割されたマトリクス基板の下面に,複数の配線を有し,前記複数の配線は,前記複数の第2パッドのそれぞれと一体に形成されているのに対し,引用発明では,本願発明の「第2パッド」に相当する「接続領域104」は有しているものの,複数の配線を有し,前記複数の配線は,前記複数の第2パッドのそれぞれと一体に形成されているかどうかについては,不明な点。
相違点2:本願発明では,分割された前記マトリクス基板の前記下面に,アドレス情報パターンとを有し,前記アドレス情報パターンは,前記複数の第2パッドおよび前記複数の配線を除く領域に形成されており,前記アドレス情報パターンは,前記(b)工程に先立ち,形成されているのに対し,引用発明では,このような構成は備えていない点。

4.審決の判断
 本件発明と引用発明とは上記二点で相違するものの、周知例1~3を考慮すれば、引用発明から本件発明は容易に想到可能と判断した。

5.裁判所の判断のポイント
「相違点2に係る構成の容易想到性についての判断
(1) ・・・要するに,引用発明は,同発明に基づく方法を採用することによって,基板と,集積回路を形成し,該基板の1つの領域に取り付けられるチップと,該チップを該基板の1つの面に位置する外部電気接続領域に接続する電気接続手段と,封止容器と,をそれぞれに含む複数の半導体パッケージを,効率的に製作することを目的とする発明である。引用発明は,本願発明の解決課題(個々の樹脂封止型半導体装置が元の配線基板のどの位置にあったかを配線基板の分割後においても容易に識別できるようにし,もって,製造プロセスに起因する製品の不良解析や不良発生箇所の特定を迅速に行えるようにする解決課題)及び課題解決手段(マトリクス基盤の上面に複数の半導体チップを搭載する工程に先立ち,マトリクス基盤の下面のパッド及び配線を除く領域に,アドレス情報パターンを形成するとの構成を採用すること)については,何ら示唆及び開示がない。
 また,周知例1ないし3にも,本願発明の相違点2に係る構成を採用することによる解決課題及び解決手段については,何らの記載も示唆もされていない。すなわち,周知例1ないし3には,配線基板上にマトリクス状に搭載した複数の半導体チップを一括して樹脂封止した後,この配線基板を分割することによって複数の樹脂封止型半導体装置を製造する,樹脂封止型半導体装置の製造方法において,配線基板の上面に複数の半導体チップを搭載する工程や,これを樹脂封止する工程に先立ち,上記配線基板の下面のパッド及び配線を除く領域にアドレス情報パターンを形成するとの構成(相違点2に係る構成)や,かかる構成を採用することにより,上記アドレス情報パターンをカメラ,顕微鏡,目視等で認識することができ,個々の樹脂封止型半導体装置が元の配線基板のどの位置にあったかを配線基板の分割後においても容易に識別できること,依頼メーカの標準仕様(既存)の金型を使用する場合にも適用することができ,樹脂封止型半導体装置の製造コストを低減できることという本願発明の解決課題及びその解決手段について,記載及び示唆はない。そうすると,引用発明に周知例1ないし3に記載された技術事項を適用して,相違点2に係る構成に容易に想到できたとすることはできない。
(2) この点,被告は,「製造工程において素材あるいは製品を分割して,個々の製品を製造する場合に,分割前の素材に,素材の機能に影響を与えない箇所に記号等を表示しておき,製品となった後に,その記号等を利用して分割前の場所に起因する不良解析を行う」ことは,周知の技術であり,当業者が決定する設計的事項である旨を主張する。
 しかし,被告の主張は,失当である。
 当該発明が,発明の進歩性を有しないこと(すなわち,容易に発明をすることができたこと)を立証するに当たっては,公平かつ客観的な立証を担保する観点から,次のような論証が求められる。すなわち,当該発明と,これに最も近似する公知発明(主引用発明)とを対比した上,当該発明の引用発明との相違点に係る技術的構成を確定させ,次いで,主たる引用発明から出発して,これに他の公知技術(副引用発明)を組み合わせることによって,当該発明の相違点に係る技術的構成に至ることが容易であるとの立証を尽くしたといえるか否かによって,判断をすることが実務上行われている。
 この場合に,主引用発明及び副引用発明の技術内容は,引用文献の記載を基礎として,客観的かつ具体的に認定・確定されるべきであって,引用文献に記載された技術内容を抽象化したり,一般化したり,上位概念化したりすることは,恣意的な判断を容れるおそれが生じるため,許されないものといえる。そのような評価は,当該発明の容易想到性の有無を判断する最終過程において,総合的な価値判断をする際に,はじめて許容される余地があるというべきである。
 ところで,当業者の技術常識ないし周知技術についても,主張,立証をすることなく当然の前提とされるものではなく,裁判手続(審査,審判手続も含む。)において,証明されることにより,初めて判断の基礎とされる。他方,当業者の技術常識ないし周知技術は,必ずしも,常に特定の引用文献に記載されているわけではないため,立証に困難を伴う場合は,少なくない。しかし,当業者の技術常識ないし周知技術の主張,立証に当たっては,そのような困難な実情が存在するからといって,①当業者の技術常識ないし周知技術の認定,確定に当たって,特定の引用文献の具体的な記載から離れて,抽象化,一般化ないし上位概念化をすることが,当然に許容されるわけではなく,また,②特定の公知文献に記載されている公知技術について,主張,立証を尽くすことなく,当業者の技術常識ないし周知技術であるかのように扱うことが,当然に許容されるわけではなく,さらに,③主引用発明に副引用発明を組み合わせることによって,当該発明の相違点に係る技術的構成に到達することが容易であるか否という上記の判断構造を省略して,容易であるとの結論を導くことが,当然に許容されるわけではないことはいうまでもない。
 上記観点に照らすならば,被告の主張は,次の理由から採用することはできない。
 すなわち,前記のとおり,引用発明は,その解決課題を「基板と,集積回路を形成し,該基板の1つの領域に取り付けられるチップと,該チップを該基板の1つの面に位置する外部電気接続領域に接続する電気接続手段と,封止容器と,をそれぞれに含む複数の半導体パッケージの製作の効率化」とする発明にすぎず,引用発明には,配線基板上にマトリクス状に搭載した複数の半導体チップを一括して樹脂封止した後,この配線基板を分割することによって複数の樹脂封止型半導体装置を製造する,樹脂封止型半導体装置の製造方法において,配線基板の上面に複数の半導体チップを搭載する工程を前提として,これを樹脂封止する工程に先立って,上記配線基板の下面のパッド及び配線を除く領域にアドレス情報パターンを形成するとの構成を採用することにより,上記アドレス情報パターンをカメラ,顕微鏡,目視等で認識することができ,個々の樹脂封止型半導体装置が元の配線基板のどの位置にあったかを配線基板の分割後においても容易に識別できること,依頼メーカの標準仕様(既存)の金型を使用する場合にも適用することができるため,樹脂封止型半導体装置の製造コストを低減することができることという本願発明の解決課題及びその解決手段についての開示ないし示唆は,存在しない。したがって,被告の主張に係る「製造工程において素材あるいは製品を分割して,個々の製品を製造する場合に,分割前の素材に,素材の機能に影響を与えない箇所に記号等を表示しておき,製品となった後に,その記号等を利用して分割前の場所に起因する不良解析を行う」との技術が,周知技術又は当業者の技術常識であるか否かにかかわらず,引用発明を起点として,周知技術を適用することによって本願発明に至ることが容易であるとはいえない。
 のみならず,被告の主張に係る「製造工程において素材あるいは製品を分割して,個々の製品を製造する場合に,分割前の素材に,素材の機能に影響を与えない箇所に記号等を表示しておき,製品となった後に,その記号等を利用して分割前の場所に起因する不良解析を行う」との技術が,周知例1ないし3の具体的な記載内容を超えて,技術内容を抽象化ないし上位概念化することなく,当然に周知技術又は当業者の技術常識であると認定することもできない。さらに,周知例1ないし3には,本願発明の相違点2に係る構成を採用することによる解決課題及び解決手段に係る事項についての記載も示唆もない。
 そうである以上,引用発明を起点として,周知技術を適用することによって本願発明に至ることが容易であると解することはできない。」

2012年2月5日日曜日

プロダクト・バイ・プロセス・クレーム解釈についての知財高裁大合議判決

平成24年1月27日 判決言渡
知財高裁特別部 平成22年(ネ)第10043号 特許権侵害差止請求控訴事件(原審・東京地裁平成19年(ワ)第35324号)

1.概要
 本件は、特許権侵害訴訟事件において、控訴人(原審原告)が有するプロダクト・バイ・プロセス形式で規定された特許発明の技術的範囲が、被控訴人(原審被告)が製造等する製品を含むか否かが争われた事例である。本事例では更に、特許無効性の判断における「発明の要旨の認定」についても判断された。

 本判決の要点として以下の3点が挙げられる。
(1)技術的範囲の解釈(侵害論):
真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム(物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するため,製造方法によりこれを行っているクレーム)であれば、「物同一説」であり、製造方法は限定せず、物が同一であれば技術的範囲に属する。
不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム(物の製造方法が付加して記載されている場合において,当該発明の対象となる物を,その構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するとはいえないクレーム)であれば、「方法限定説」であり、製造方法を限定して解釈する。
 本事例では、上記の事情が存在するとは言えないため「方法限定説」に従って技術的範囲が解釈され、所定の工程a)を経て製造されていない侵害被疑物件は特許発明の技術的範囲に属さないと判断された。

(2)立証責任
 真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームであること、すなわち、「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在する」ことの立証責任は、特許権者が負う。立証が尽くされない限り、「不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」として技術的範囲を解釈する。
 この立場に従えば、特許権者が上記の事情を証明しない限り不真正プロダクトバイプロセスクレームであると判断され、「方法限定説」に沿って特許発明の技術的範囲が解釈されることとになる。

(3)発明の要旨の認定(無効審判における新規性、進歩性の判断):
 技術的範囲の解釈とまったく同じ手法で判断する。すなわち、技術的範囲の解釈は「方法限定説」、新規性、進歩性の判断は「物同一説」という二重基準ではないことが明らかにされた。
 このことと、審査基準第II部第2章1.5.2(3)における、原則として「物同一説」に従って新規性進歩性を判断する考えかたとは相容れない場合があるように思われる。
 本事例では、「方法限定説」に従い、所定の方法により製造された物の発明として要旨を認定された。ただし、要旨認定された請求項記載の発明は、乙30等の先行技術文献に基づいて容易に発明することができたものであり、無効にされるべきものと判断された。

2.本件発明1
「次の段階:
a)プラバスタチンの濃縮有機溶液を形成し,
b)そのアンモニウム塩としてプラバスタチンを沈殿し,
c)再結晶化によって当該アンモニウム塩を精製し,
d)当該アンモニウム塩をプラバスタチンナトリウムに置き換え,そして
e)プラバスタチンナトリウム単離すること,
を含んで成る方法によって製造される,プラバスタチンラクトンの混入量が0.5重量%未満であり,エピプラバの混入量が0.2重量%未満であるプラバスタチンナトリウム。」

3.裁判所の判断のポイント
3.1.プロダクトバイプロセスクレームの技術的範囲の解釈
「ア 特許権侵害訴訟における特許発明の技術的範囲の確定について,法70条は,その第1項で「特許発明の技術的範囲は,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない」とし,その第2項で「前項の場合においては,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮して,特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする」などと定めている。
 したがって,特許権侵害を理由とする差止請求又は損害賠償請求が提起された場合にその基礎となる特許発明の技術的範囲を確定するに当たっては,「特許請求の範囲」記載の文言を基準とすべきである。特許請求の範囲に記載される文言は,特許発明の技術的範囲を具体的に画しているものと解すべきであり,仮に,これを否定し,特許請求の範囲として記載されている特定の「文言」が発明の技術的範囲を限定する意味を有しないなどと解釈することになると,特許公報に記載された「特許請求の範囲」の記載に従って行動した第三者の信頼を損ねかねないこととなり,法的安定性を害する結果となる。
 そうすると,本件のように「物の発明」に係る特許請求の範囲にその物の「製造方法」が記載されている場合,当該発明の技術的範囲は,当該製造方法により製造された物に限定されるものとして解釈・確定されるべきであって,特許請求の範囲に記載された当該製造方法を超えて,他の製造方法を含むものとして解釈・確定されることは許されないのが原則である。
 もっとも,本件のような「物の発明」の場合,特許請求の範囲は,物の構造又は特性により記載され特定されることが望ましいが,物の構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するときには,発明を奨励し産業の発達に寄与することを目的とした法1条等の趣旨に照らして,その物の製造方法によって物を特定することも許され,法36条6項2号にも反しないと解される。
 そして,そのような事情が存在する場合には,その技術的範囲は,特許請求の範囲に特定の製造方法が記載されていたとしても,製造方法は物を特定する目的で記載されたものとして,特許請求の範囲に記載された製造方法に限定されることなく,「物」一般に及ぶと解釈され,確定されることとなる。
イ ところで,物の発明において,特許請求の範囲に製造方法が記載されている場合,このような形式のクレームは,広く「プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」と称されることもある。前記アで述べた観点に照らすならば,上記プロダクト・バイ・プロセス・クレームには,「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するため,製造方法によりこれを行っているとき」(本件では,このようなクレームを,便宜上「真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」ということとする。)と,「物の製造方法が付加して記載されている場合において,当該発明の対象となる物を,その構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するとはいえないとき」(本件では,このようなクレームを,便宜上「不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」ということとする。)の2種類があることになるから,これを区別して検討を加えることとする。 そして,前記アによれば,真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームにおいては,当該発明の技術的範囲は,「特許請求の範囲に記載された製造方法に限定されることなく,同方法により製造される物と同一の物」と解釈されるのに対し,不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームにおいては,当該発明の技術的範囲は,「特許請求の範囲に記載された製造方法により製造される物」に限定されると解釈されることになる。

3.2.「真正」であることの立証責任
「また,特許権侵害訴訟における立証責任の分配という観点からいうと,物の発明に係る特許請求の範囲に,製造方法が記載されている場合,その記載は文言どおりに解釈するのが原則であるから,真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームに該当すると主張する者において「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難である」ことについての立証を負担すべきであり,もしその立証を尽くすことができないときは,不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームであるものとして,発明の技術的範囲を特許請求の範囲の文言に記載されたとおりに解釈・確定するのが相当である。」

3.3.無効性判断における発明の要旨認定の際のクレーム解釈
「法104条の3は,「特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟において,当該特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるときは,特許権者又は専用実施権者は,相手方に対しその権利を行使することができない。」と規定するが,法104条の3に係る抗弁の成否を判断する前提となる発明の要旨は,上記特許無効審判請求手続において特許庁(審判体)が把握すべき請求項の具体的内容と同様に認定されるべきである。
 すなわち,本件のように,「物の発明」に係る特許請求の範囲にその物の「製造方法」が記載されている前記プロダクト・バイ・プロセス・クレームの場合の発明の要旨の認定については,前述した特許権侵害訴訟における特許発明の技術的範囲の認定方法の場合と同様の理由により,① 発明の対象となる物の構成を,製造方法によることなく,物の構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するときは,その発明の要旨は,特許請求の範囲に記載された製造方法に限定されることなく,「物」一般に及ぶと認定されるべきであるが(真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム),② 上記①のような事情が存在するといえないときは,その発明の要旨は,記載された製造方法により製造された物に限定して認定されるべきである(不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム)。
 この場合において,上記①のような事情が存在することを認めるに足りないときは,これを上記②の不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームとして扱うべきものと解するのが相当である。
 上記の観点から本件を検討するに,本件特許には,上記①にいう不可能又は困難であるとの事情の存在が認められないことは前述のとおりであるから,特許無効審判請求における発明の要旨の認定に際しても,特許請求の範囲に記載されたとおりの製造方法により製造された物として,その手続を進めるべきものと解され,法104条の3に係る抗弁においても同様に解すべきである。」