2012年10月30日火曜日

補正新規事項か否かが争われた事例


 

知財高裁平成24年10月10日判決

平成23年(行ケ)第10383号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例では、審決において新規事項追加と判断されたが、裁判所が新規事項追加には該当しないとして審決を取り消した。

 補正により追加された「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行う」は、引用例記載の構成を除外するために追加されたものであった。

 審決では「反転」の意味を辞書に基づき解釈し、明細書に上記補正事項が記載されているかどうかを判断した。

 裁判所は、「反転」の辞書的意味だけでなく、審判請求書における請求人(出願人、原告)の主張や技術常識も考慮して、上記追加事項が「膜部の一部が天地を逆転することがなく,具体的には,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うことなく」の意味であると解釈した。そして、補正は新規事項追加に該当しないと判断した。

 

2.補正の内容

【請求項1】

 ボディに形成された第1流路および第2流路の境に設けられた弁座に対し,アクチュエータの駆動軸に連結されたダイアフラムを当接または離間させることにより,前記第1流路と前記第2流路との間を閉鎖または開放するようにしたダイアフラム弁において,

 前記ダイアフラムは,弁座に当接する弁体部と,弁体部から外側に広がった膜部と,膜部外周縁に形成された固定部とを有し,前記膜部が,前記弁体部に接続され鉛直方向に形成された鉛直部と,前記固定部に接続され水平方向に形成された水平部と,前記鉛直部と前記水平部とを接続するために断面円弧状に形成された接続部とを備えること

 前記駆動軸の先端には,前記鉛直部および前記接続部に接触して前記膜部を受け止めるために前記ダイアフラムに一体化されたバックアップが設けられていること,

 前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと,

を特徴とするダイアフラム弁。

 

3.争点

 審決では、補正により追加された下線部のうち「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行う」が新規事項であると判断された。

 この判断が妥当であるか否かが裁判にて争われた。

 

4.原告が意図した補正の目的

 上記補正は審査にて引用された先行技術である引用例1に開示された「ローリングダイヤフラム弁」を除外することを意図して「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行う」を追加した。

 上記クレームの対象である「ダイヤフラム弁」には、ローリングダイアフラム弁と、通常のダイヤフラム弁がある。原告の認識ではローリングダイアフラム弁は,「膜部を反転させながら,弁の閉鎖または開放を行うこと」を特徴とするダイアフラム弁であり、通常のダイヤフラム弁は「膜部を反転させることなく,弁の閉鎖または開放を行うこと」を特徴とするダイアフラム弁である。

 本明細書では一貫して通常のダイヤフラム弁しか開示されておらず、ローリングダイヤフラム弁は開示されていない。そこで、ローリングダイヤフラム弁を開示する引用例1との区別を明確にするために上記文言を追加した。

 原告は裁判段階において、上記を「除くクレーム」として記載しなかった理由を、「化学系の発明では,『~を除く』形式のいわゆる『除くクレーム』の記載が認められているが,機械系の発明では,『ローリングダイアフラム弁を除く』という文言は,一般的でなく,またふさわしくないと考え,技術的意義において,ローリングダイアフラム弁を除外するために,『前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと』という発明特定事項を加えたのである。」と説明した。

 

5.審決の理由

「・・・上記事項の「膜部を反転させることなく」という記載は,その技術的意義が一義的に明確に理解することができるものとはいえず,しかも,願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面(以下,「当初明細書等」という。)に明記されたものでもない。

 ここで,請求人は,審判請求書において,上記事項の「反転」が表す構成は「膜部の一部の天地が逆転すること」であり,また,上記事項は当初図面の【図2】に示されていると主張し,さらに,平成23年5月26日付けの回答書において,参考図1及び2に示されたA点が鉛直部22aとバックアップ40との位置関係を殆ど変えない点を主張している。

 しかしながら,当初図面の【図1】及び【図2】に示された,「膜部22」の特に「接続部22b」についてみると,「鉛直方向に形成された鉛直部」と接続される箇所から「水平方向に形成された水平部」と接続される箇所に至るまでの中には,弁の開放時における「接続部22b」の屈曲によりバックアップ40から離間する部分が存在しており,しかも,当該部分において,弁の閉鎖時と開放時とで,「膜部22」の延在方向の隣接部との間で上下関係が逆となる箇所が存在しないともいえない。そうすると,当初図面の【図1】及び【図2】には,「膜部22」において,弁の閉鎖時と開放時とで,請求人が主張する「膜部を反転させる」ような部分が存在しない構成とする技術思想が記載されていることが明らかであるということはできないから,当初明細書等の記載から,上記事項が,当業者に自明であるとも,当初明細書等に記載されていたに等しい事項であるともいえず,さらに,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるともいえない。」

 

6.裁判所の判断のポイント

「当初明細書等(甲2)には,かかる「膜部」の「反転」という挙動に関して明示的な記載はないが,以下の記載がある。

・・・・・

 上記記載には,一貫して高圧流体の供給制御を行う場合に,弁体部と膜部との境界に応力集中が発生し劣化が急速に進むという問題への対処方法が述べられており,そのような問題が薄膜の反転動作を伴うローリングダイアフラム弁においても発生すると理解しうる記載はない。

 そして,当初明細書には,本願発明の実施例として図1及び図2が,背景技術として図3が記載されており,いずれもローリングダイアフラム弁ではない通常のダイアフラム弁である。

(2) 本件審判請求書(甲3)には,以下の記載がある。

・・・・

以上の記載からすると,審判請求書において原告は,①「反転」とは,周知のように,膜部の一部が天地を逆転すること,との意味であること,②ロールダイアフラム式ポペット弁は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うのに対して,通常のダイアフラム式ポペット弁は,そのような反転をさせることなく開閉を行うものであること,③本願発明は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うロールダイアフラム式ポペット弁とは異なるものであることを述べていることが理解できる。

ところで,一般に,「反転」とは,「(1)ころぶこと。ころばすこと。(2)ひっくりかえること。ひっくりかえすこと。(3)反対の方向に向きかわること。また,向けかえること。(4)〔数〕(inversion)一定点に関し,任意の点または図形の対称点を求める操作。(5)(写真用語)(reversal)ネガ像をポジ像に,あるいはその逆にすること。」という意味である(株式会社岩波書店,広辞苑第六版)。

 また,本願発明の分野の技術常識についてみるに,審決が挙げた引用例(特開2001-173811号公報,甲1)には,【0011】~【0030】に図1の実施例に基づく説明が記載された後,以下の記載がある。

・・・

 上記記載によれば,引用例の図2及び図3には,図1に示すダイヤフラム式ポペット弁体とは異なるロールダイヤフラム式ポペット弁体122が示されていること,ロールダイヤフラム式ポペット弁体122は,ポペット弁体の頭部126と一体で頭部からポペット弁体フランジ128へ軸線方向に延在するスリーブ124を具備すること,スリーブ124は「ロール及び非ロール動作」をすること,ピストンの頭部82の壁表面はスリーブ124の内側表面を支持することが理解できる。ダイヤフラム式ポペット弁体とは異なるロールダイヤフラム式ポペット弁体の存在は引用発明の前提とされており,ロールダイヤフラム式ポペット弁体自体は詳細に説明されていないことからすると,ダイヤフラム弁の技術領域において,通常のダイヤフラム弁と,それとは異なり「ロール及び非ロール動作」を伴うローリングダイヤフラム弁とが存在することは,引用例が公開された平成13年6月29日時点において,特段の説明を要しない技術常識であったことが理解できる。

上記の「反転」の一般的意味及び技術常識に照らし,また,審判請求書における原告の主張を合わせると,本件補正によって追加された「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」の構成は,「膜部の一部が天地を逆転することがなく,具体的には,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うことなく」との意味であることが明らかである。

以上によれば,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」とは,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うものではないものである,という程度の意味で膜部の一部で天地が逆転しないものであることと理解すべきであり,係る事項を加えることは,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものといえる。

 したがって,本件補正が「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと,」という事項を加えることをもって,本件補正が平成18年法律第55号改正附則3条1項によりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法17条の2第3項の規定に適合しないとの審決の判断は誤りである。この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。」