2012年10月30日火曜日

補正新規事項か否かが争われた事例


 

知財高裁平成24年10月10日判決

平成23年(行ケ)第10383号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例では、審決において新規事項追加と判断されたが、裁判所が新規事項追加には該当しないとして審決を取り消した。

 補正により追加された「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行う」は、引用例記載の構成を除外するために追加されたものであった。

 審決では「反転」の意味を辞書に基づき解釈し、明細書に上記補正事項が記載されているかどうかを判断した。

 裁判所は、「反転」の辞書的意味だけでなく、審判請求書における請求人(出願人、原告)の主張や技術常識も考慮して、上記追加事項が「膜部の一部が天地を逆転することがなく,具体的には,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うことなく」の意味であると解釈した。そして、補正は新規事項追加に該当しないと判断した。

 

2.補正の内容

【請求項1】

 ボディに形成された第1流路および第2流路の境に設けられた弁座に対し,アクチュエータの駆動軸に連結されたダイアフラムを当接または離間させることにより,前記第1流路と前記第2流路との間を閉鎖または開放するようにしたダイアフラム弁において,

 前記ダイアフラムは,弁座に当接する弁体部と,弁体部から外側に広がった膜部と,膜部外周縁に形成された固定部とを有し,前記膜部が,前記弁体部に接続され鉛直方向に形成された鉛直部と,前記固定部に接続され水平方向に形成された水平部と,前記鉛直部と前記水平部とを接続するために断面円弧状に形成された接続部とを備えること

 前記駆動軸の先端には,前記鉛直部および前記接続部に接触して前記膜部を受け止めるために前記ダイアフラムに一体化されたバックアップが設けられていること,

 前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと,

を特徴とするダイアフラム弁。

 

3.争点

 審決では、補正により追加された下線部のうち「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行う」が新規事項であると判断された。

 この判断が妥当であるか否かが裁判にて争われた。

 

4.原告が意図した補正の目的

 上記補正は審査にて引用された先行技術である引用例1に開示された「ローリングダイヤフラム弁」を除外することを意図して「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行う」を追加した。

 上記クレームの対象である「ダイヤフラム弁」には、ローリングダイアフラム弁と、通常のダイヤフラム弁がある。原告の認識ではローリングダイアフラム弁は,「膜部を反転させながら,弁の閉鎖または開放を行うこと」を特徴とするダイアフラム弁であり、通常のダイヤフラム弁は「膜部を反転させることなく,弁の閉鎖または開放を行うこと」を特徴とするダイアフラム弁である。

 本明細書では一貫して通常のダイヤフラム弁しか開示されておらず、ローリングダイヤフラム弁は開示されていない。そこで、ローリングダイヤフラム弁を開示する引用例1との区別を明確にするために上記文言を追加した。

 原告は裁判段階において、上記を「除くクレーム」として記載しなかった理由を、「化学系の発明では,『~を除く』形式のいわゆる『除くクレーム』の記載が認められているが,機械系の発明では,『ローリングダイアフラム弁を除く』という文言は,一般的でなく,またふさわしくないと考え,技術的意義において,ローリングダイアフラム弁を除外するために,『前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと』という発明特定事項を加えたのである。」と説明した。

 

5.審決の理由

「・・・上記事項の「膜部を反転させることなく」という記載は,その技術的意義が一義的に明確に理解することができるものとはいえず,しかも,願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面(以下,「当初明細書等」という。)に明記されたものでもない。

 ここで,請求人は,審判請求書において,上記事項の「反転」が表す構成は「膜部の一部の天地が逆転すること」であり,また,上記事項は当初図面の【図2】に示されていると主張し,さらに,平成23年5月26日付けの回答書において,参考図1及び2に示されたA点が鉛直部22aとバックアップ40との位置関係を殆ど変えない点を主張している。

 しかしながら,当初図面の【図1】及び【図2】に示された,「膜部22」の特に「接続部22b」についてみると,「鉛直方向に形成された鉛直部」と接続される箇所から「水平方向に形成された水平部」と接続される箇所に至るまでの中には,弁の開放時における「接続部22b」の屈曲によりバックアップ40から離間する部分が存在しており,しかも,当該部分において,弁の閉鎖時と開放時とで,「膜部22」の延在方向の隣接部との間で上下関係が逆となる箇所が存在しないともいえない。そうすると,当初図面の【図1】及び【図2】には,「膜部22」において,弁の閉鎖時と開放時とで,請求人が主張する「膜部を反転させる」ような部分が存在しない構成とする技術思想が記載されていることが明らかであるということはできないから,当初明細書等の記載から,上記事項が,当業者に自明であるとも,当初明細書等に記載されていたに等しい事項であるともいえず,さらに,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるともいえない。」

 

6.裁判所の判断のポイント

「当初明細書等(甲2)には,かかる「膜部」の「反転」という挙動に関して明示的な記載はないが,以下の記載がある。

・・・・・

 上記記載には,一貫して高圧流体の供給制御を行う場合に,弁体部と膜部との境界に応力集中が発生し劣化が急速に進むという問題への対処方法が述べられており,そのような問題が薄膜の反転動作を伴うローリングダイアフラム弁においても発生すると理解しうる記載はない。

 そして,当初明細書には,本願発明の実施例として図1及び図2が,背景技術として図3が記載されており,いずれもローリングダイアフラム弁ではない通常のダイアフラム弁である。

(2) 本件審判請求書(甲3)には,以下の記載がある。

・・・・

以上の記載からすると,審判請求書において原告は,①「反転」とは,周知のように,膜部の一部が天地を逆転すること,との意味であること,②ロールダイアフラム式ポペット弁は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うのに対して,通常のダイアフラム式ポペット弁は,そのような反転をさせることなく開閉を行うものであること,③本願発明は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うロールダイアフラム式ポペット弁とは異なるものであることを述べていることが理解できる。

ところで,一般に,「反転」とは,「(1)ころぶこと。ころばすこと。(2)ひっくりかえること。ひっくりかえすこと。(3)反対の方向に向きかわること。また,向けかえること。(4)〔数〕(inversion)一定点に関し,任意の点または図形の対称点を求める操作。(5)(写真用語)(reversal)ネガ像をポジ像に,あるいはその逆にすること。」という意味である(株式会社岩波書店,広辞苑第六版)。

 また,本願発明の分野の技術常識についてみるに,審決が挙げた引用例(特開2001-173811号公報,甲1)には,【0011】~【0030】に図1の実施例に基づく説明が記載された後,以下の記載がある。

・・・

 上記記載によれば,引用例の図2及び図3には,図1に示すダイヤフラム式ポペット弁体とは異なるロールダイヤフラム式ポペット弁体122が示されていること,ロールダイヤフラム式ポペット弁体122は,ポペット弁体の頭部126と一体で頭部からポペット弁体フランジ128へ軸線方向に延在するスリーブ124を具備すること,スリーブ124は「ロール及び非ロール動作」をすること,ピストンの頭部82の壁表面はスリーブ124の内側表面を支持することが理解できる。ダイヤフラム式ポペット弁体とは異なるロールダイヤフラム式ポペット弁体の存在は引用発明の前提とされており,ロールダイヤフラム式ポペット弁体自体は詳細に説明されていないことからすると,ダイヤフラム弁の技術領域において,通常のダイヤフラム弁と,それとは異なり「ロール及び非ロール動作」を伴うローリングダイヤフラム弁とが存在することは,引用例が公開された平成13年6月29日時点において,特段の説明を要しない技術常識であったことが理解できる。

上記の「反転」の一般的意味及び技術常識に照らし,また,審判請求書における原告の主張を合わせると,本件補正によって追加された「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」の構成は,「膜部の一部が天地を逆転することがなく,具体的には,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うことなく」との意味であることが明らかである。

以上によれば,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」とは,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うものではないものである,という程度の意味で膜部の一部で天地が逆転しないものであることと理解すべきであり,係る事項を加えることは,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものといえる。

 したがって,本件補正が「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと,」という事項を加えることをもって,本件補正が平成18年法律第55号改正附則3条1項によりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法17条の2第3項の規定に適合しないとの審決の判断は誤りである。この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。」

2012年10月22日月曜日

クレーム発明に100%合致する実施例の実験データが明細書中に開示されていない場合のサポート要件充足性が争われた事例


知財高裁平成24年10月11日判決

平成24年(行ケ)第10016号 審決取消請求事件


1.概要

 サポート要件欠如を理由とする拒絶審決に対する審決取消訴訟において当該拒絶審決の判断は誤りであると判断された事例である。

 請求項1記載の本願発明の方法は2成分(成分a)と成分b))が組み合わされた発泡剤を用いることを特徴している。明細書中には成分b)を使用した実験例は記載されていないが、成分b)に類似する化合物を使用した実験例は記載されている。

 被告(特許庁長官)は、本願発明は特定の発泡剤の組み合わせによる「意外な」、「特殊な」効果に関する発明であるから成分の選択が重要であることが前提であるとして、実験データのない本願発明は明細書に記載された発明とはいえないと主張した。

 裁判所は実験データのある化合物と成分b)とがともに低沸点であること、化学構造、理化学的性質が類似することなどを考慮して、本願発明は明細書に十分に裏付けられていると判断した。なお、原告(出願人)は成分b)を用いた実験データを意見書とともに提出し、このデータも考慮されるべき旨を主張し、被告は考慮されるべきでないと主張していたが、裁判所はこのデータに関係なくサポート要件は満たされると判断した。

 明細書に開示の実験データとクレームされた発明とが100%一致しない場合のサポート要件を考えるうえで参考になる判決といえる。


2.本願発明

「発泡剤による発泡によってポリウレタン硬質フォームを製造する方法において,発泡剤として,

a)5~50質量%未満の1,1,1,3,3-ペンタフルオルブタン(HFC-365mfc)および

b)50質量%超の1,1,1,3,3-ペンタフルオルプロパン(HFC-245fa)を含有するかまたは該a)およびb)から成る組成物を使用することを特徴とする,ポリウレタン硬質フォームを製造する方法。」


3.明細書の開示事項

 成分b)は出願時にはHFC-245faに限定されていたわけではなく、以下のように複数の物質が並列的に記載されており、HFC-245faはそのなかの一つであった。

「【0006】発泡剤を用いてポリウレタン硬質発泡材料および発泡された硬質熱可塑性プラスチックを製造するための本発明による方法には,発泡剤として,a)ペンタフルオルブタン,有利に1,1,1,3,3-ペンタフルオルブタン(HFC-365mfc)およびb)低沸点の脂肪族炭化水素,エーテルおよびハロゲン化エーテル;ジフルオルメタン(HFC-32);ジフルオルエタン,有利に1,1-ジフルオルエタン(HFC-152a);1,1,2,2-テトラフルオルエタン(HFC-134);1,1,1,2-テトラフルオルエタン(HFC-134a);ペンタフルオルプロパン,有利に1,1,1,3,3-ペンタフルオルプロパン(HFC-245fa);ヘキサフルオルプロパン,有利に1,1,2,3,3,3-ヘキサフルオルプロパン(HFC-236ea)または1,1,1,3,3,3-ヘキサフルオルプロパン(HFC-236fa);ヘプタフルオルプロパン,有利に1,1,1,2,3,3,3-ヘプタフルオルプロパン(HFC-227ea)を含む群から選ばれた少なくとも1つの他の発泡剤を含有するかまたは該発泡剤から成る組成物を使用することが設けられている。」


 明細書中の実験例では成分b)としてHFC-245fa以外のものが用いられていた。


4.審決の理由および被告(特許庁長官)の主張

 審決では、本願発明は、成分a)とb)との特定を組み合わせを用いることを特徴とするにもかかわらず当業者が発明の詳細な説明に基づき当該組み合わせによって本願発明の課題を解決できると認識できるとは認められないから、本願発明は本願明細書の発明の詳細な説明に記載したものとは認められずサポート要件(特許法36条6項1号)を満足していない、と判断された。

 更に裁判段階では次のように主張した。

「本願明細書においては,発泡剤成分の組合せが新規な組合せである旨及び予測し得ない特殊な効果がある旨を述べているにもかかわらず,本願発明であるHFC-365mfcとHFC-245faとの組合せについては,その裏付けとなる実質的な実施例の記載がなく,HFC-365mfcと組み合せる対象として記載された多数の成分のうちからHFC-245faを特に選択することや,発泡剤組成物中のHFC-365mfc及びHFC-245faの各含有量を特定することについて,それらの関係を定性的に認識可能とする記載もされていない。」


5.裁判所の判断のポイント

 裁判所は以下の理由から審決は違法であると判断した。

「すなわち,本願明細書には,本願発明の課題は,選ばれた新規種類の好ましい発泡剤を用いてポリウレタン硬質発泡材料を製造するための方法を記載すること等であり,特定の発泡剤,すなわち,HFC-365mfcと一定の他の発泡剤との混合物を用いてポリウレタン硬質フォームを製造するための方法により製造されたポリウレタン硬質フォームは,約15度を下回る温度において,熱伝導率が低く,熱遮断能を有するという効果を有することが判明したこと,この方法で用いる発泡剤組成物は,成分a)HFC-365mfcと成分b)低沸点の脂肪族炭化水素等とを含むものであるが,有利な組合せの一つとして,本願発明で用いる発泡剤組成物である,成分a)HFC-365mfc及び成分b)HFC-245faの組合せがあることが記載されているといえる。また,本願明細書には,本願発明で用いる発泡剤組成物を用いてポリウレタン硬質フォームを製造したことを示す実施例は記載されていないものの,成分a)HFC-365mfcと組み合わせる成分b)として,HFC-152a(例1a),HFC-32(例1b),及びHFC-152aとCO2(例1c)を用いてポリウレタン硬質フォームを製造したことが,具体的に開示されているといえる。

 そうすると,本願発明で用いる発泡剤の成分b)であるHFC-245faは,上記のとおり,ひとまとまりの一定の発泡剤のひとつとして記載されている上,本願明細書の実施例で使用された成分b)であるHFC-152aやHFC-32と同様に低沸点であり,技術的観点からすると化学構造及び理化学的性質が類似するといえることも併せ考慮すると,実施例1a)~c)と同様にHFC-245faを使用することによりポリウレタン硬質フォームを製造する方法が開示されていると解するのが相当である。

 以上のとおり,本願発明の課題及び課題解決手段,並びに,その効果が,本願明細書の発明の詳細な説明に記載されたものと認めるべきである。

(2) これに対し,被告は,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願発明であるHFC-365mfcとHFC-245faとの組合せについて,その裏付けとなる実施例の記載がなく,HFC-365mfcと組み合わせる対象として記載された多数の成分のうちからHFC-245faを特に選択することや,発泡剤組成物中のHFC-365mfc及びHFC-245faの各含有量を特定することについて,それらの関係を定性的に認識可能とする記載がない旨主張する。

 しかし,上記のとおり,本願発明の課題は,選ばれた新規種類の好ましい発泡剤を用いてポリウレタン硬質発泡材料を製造するための方法を記載すること等であって,上記(1) の説示に照らして,実施例1a)~c)と同様にHFC-245faを使用することによりポリウレタン硬質フォームを製造する方法が開示されていると解される。

 また,本願明細書に記載された発明は,発泡剤として成分a)HFC-365mfcを低沸点の脂肪族炭化水素等である成分b)と組み合わせて用いることを特徴とするポリウレタン硬質フォームを製造する方法で,そのような発泡剤を用いることにより,低温において熱伝導率が低く,熱遮断能を有するポリウレタン硬質フォームが得られるという効果を有することが判明したというものである。成分b)としては,低沸点の脂肪族炭化水素等である具体的化合物が多数列挙され,本願発明のHFC-245faは,ひとまとまりの一定の発泡剤の中で有利なものとして記載され,実施例においても,HFC-152aを用いた場合(例1a),HFC-32を用いた場合(例1b),及びHFC-152a及びCO2を用いた場合(例1c)が記載されており,それらを同等に扱うことができないとする事情は見いだせないから,HFC-245faを用いた実施例の記載がなくとも,これを成分b)として使用することができると解すべきである。そうすると,特許法36条6項1号の「サポート要件」の判断にあたっては,本願明細書において,成分b)としてHFC-245faを選択することの技術的意味や作用効果について,更なる記載を求めるべき理由はなく,また,成分b),特にHFC-245faが発泡剤として使用できると認識できない事情も見いだせないので,発泡の機構などに関して,更なる説明を求めるべき理由もない。したがって,被告の上記主張は失当である。」

2012年10月16日火曜日

刊行物に記載された発明といえるか否かが争われた事例


知財高裁平成24年9月27日判決

平成23年(行ケ)第10201号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例では、無効審判審決における、本件発明1と対比すべき構成が甲1文献に記載されていないとの判断に誤りがあると判断され、審決が取り消された。

 裁判所は、刊行物に記載された発明というためには、技術常識を前提として当業者が理解できる発明であればよい、と判断した。

 

2.裁判所の判断のポイント

特許法29条1項3号は,「特許出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明」は特許を受けることができないと規定する。ところで,同号所定の「刊行物に記載された発明」というためには,刊行物記載の技術事項が,特許出願当時の技術水準を前提にして,当業者に認識,理解され,特許発明と対比するに十分な程度に開示されていることを要するが,「刊行物に記載された発明」が,特許法所定の特許適格性を有することまでを要するものではない。

「・・・以上によると,本件特許の優先日当時,当業者は,多重モード・ファイバー増幅器では,入射条件やコアの活性領域を限定することによって,入射されるモードの数を限定することができ,ファイバーの品質改善により,基本モードは,高次モードと著しく結合することなく,多重モード・ファイバーを伝搬することができるとの認識を有していたと認められる。したがって,本件特許の優先日当時において,基本モードの信号エネルギーを,モード結合を抑制して,多重モード・ファイバー増幅器を伝搬させるための構成は,十分に明確なものとして理解できたものということができ,当業者は,甲1文献に記載された「基本モードの信号エネルギーを多重モード・ファイバー増幅器の出力ポートまで保存すること」の具体的方法を理解することができたといえる。

以上のとおり,甲1文献には,単一モード・ファイバーに多重モード・ファイバー増幅器を適用する光学増幅器において,単一モード・ファイバーと多重モード・ファイバー増幅器との間に,ファイバーモードを整合するためのインターフェース光学部品が設置され,多重モード・ファイバー増幅器に,入力信号を入力する入力信号源とポンプ光を入力するポンプ源が接続されていること,高品質の導波路及び適切なモード整合光学部品を使用して,多重モード・ファイバー増幅器の入力ポートにその基本モードの信号を入力し,多重モード・ファイバー増幅器によって増幅されたこの基本モードの信号エネルギーを,当該多重モード・ファイバー増幅器の全体を通して,その出力ポートまで保存することが開示されており,本件特許の優先日当時の当業者の技術水準によれば,その当時,インターフェース光学部品の構成や,基本モードの入射・保存のための方法などを含め,上記光学増幅器の構成は,当業者が理解可能な程度に明らかになっていたといえる。したがって,甲1文献には,本件発明と対比可能な程度に技術事項が開示されており,甲1文献に記載された発明は,特許法29条1項3号に規定する「刊行物に記載された発明」に該当するというべきである。

均等侵害の判断においてクレームの限定補正が「意識的除外」に該当すると判断された事例


東京地裁 平成24年9月13日判決

平成21年()第45432号 特許権侵害差止等請求事件

 

1.概要

 本事例では、均等侵害の判断の際に、クレームの限定補正は原則として「意識的除外」に該当すると判断され、均等侵害は成立しないと判断された。

 今日においては「除くクレーム」が認められやすいことから、均等侵害成立の可能性を高める目的で可能な範囲で除くクレームを利用する出願人が増える可能性がある。

 

2.本件発明1

 本件発明1は「寄生虫からペットを治療または予防するための組成物」であって、

() ポリビニルピロリドン,酢酸ビニル/ ビニルピロリドン共重合体,ポリオキシエチレン化されたソルビタンエステルおよびこれらの混合物の中から選択される結晶化阻害剤」

を構成要件として含む(以下、「構成要件1B」という)。

 

3.出願手続きによる補正

 原告は,本件特許の出願手続において,構成要件1Bの結晶化阻害剤を「ポリビニルピロリドン,酢酸ビニル/ビニルピロリドン共重合体,ポリオキシエチレン化されたソルビタンエステルおよびこれらの混合物の中から選択される結晶化阻害剤」に補正した。この補正は,本件明細書の【0017】・【0018】に挙げた結晶化阻害剤として使用可能な多数の化合物のうち,ポリオキシエチレン-脂肪酸エステル,ポリオキシエチレン脂肪族アルコールエーテル,アルキルスルフェート等の乳化剤,ポリビニルアルコール等の重合体が文献に記載されているという理由で拒絶理由通知を受けたため,これらを除外する趣旨で行ったものである。

 

4.被告製品との相違点、争点

 本件発明1と各被告製品とは,構成要件1Bにおいて,本件発明1が「() ポリビニルピロリドン,酢酸ビニル/ ビニルピロリドン共重合体,ポリオキシエチレン化されたソルビタンエステルおよびこれらの混合物の中から選択される結晶化阻害剤」から成るのに対し,各被告製品ではクロタミトンという結晶化阻害剤から成る点で異なる。

 均等侵害の成立の判断において、被告製品における「クロタミトン」が、本件特許1の範囲から意識的に除外されたものといえるかどうかが争われた。

 

5.原告(特許権者)の主張

「この補正は,結晶化阻害剤として使用可能な化合物の一部が文献に記載されているという理由で拒絶理由通知を受け,平成16年当時は「除くクレーム」が例外的にしか認められなかったため,これを除外する意図で行ったにすぎない。また,構成要件1Bにおける化合物が少ないのは,上記文献に記載された化合物を除く使用可能な全ての化合物を記載することが困難であり,特許出願のプラクティスとして,特に好ましい代表例だけを挙げたからである。原告は,実施例に結晶化阻害剤としてポリビニルピロリドンとポリオキシエチレン化されたソルビタンエステルに相当するポリソルベート80を使用する場合だけを挙げたが,発明の内容が実施例に記載した内容に限定されるわけでもない。このため,原告の側において各被告製品が本件発明1及び本件訂正発明1の技術的範囲に属しないことを承認したり外形的にそのように解されるような行動をとったりしたものではない。

 したがって,各被告製品が本件特許の出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もない。」

 

6.裁判所の判断のポイント

「a 前記()b認定のとおり,クロタミトンは,本件特許の出願当初における明細書に記載されなかった上,原告は,補正により,本件各発明において使用可能な結晶化阻害剤としての化合物を構成要件1Bの構成における3種類の化合物とその組合せに限定したのである。これらの事実を総合すれば,原告の側においてクロタミトンを結晶化阻害剤として用いる各被告製品が本件発明1の技術的範囲に属しないことを外形的に承認したように解されるような行動をとったものである。

 したがって,各被告製品が本件特許の出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情がある。

原告は,構成要件1Bの結晶化阻害剤について補正したのは,文献に記載されているという理由で拒絶理由通知を受けた化合物を除外する意図で行ったにすぎず,また,構成要件1Bにおける化合物が少ないのは,使用可能な全ての化合物を記載することが困難であり,特許出願のプラクティスとして,特に好ましい代表例だけを挙げたからであると主張する。しかしながら,特許権者の側において,特許発明の技術的範囲に属しないことをおよそ外形的に承認したように解されるような行動をとったものである以上,特許権者が後にこれと反する主張をすることは,禁反言の法理に照らして許されないというべきであって,当該行動の理由を問擬する原告の上記主張は,採用することができない。

2012年10月9日火曜日

機械構造の機能的限定が考慮されてサポート要件が満たされると判断された事例


知財高裁平成24年5月23日判決

平成23年(行ケ)第10209号 審決取消請求事件

 

1.概要

 無効審判審決(特許有効の審決)に対する審決取消訴訟である。

 本件発明5がサポート要件を満足するか否かが争われ、審決、裁判所ともにサポート要件は満足されると判断した。

 明細書に開示された構造とくらべて権利範囲が過度に広いのではないか、というのが原告の主張であったが受け入れられなかった。機械構造ではしばしば機能的な限定が用いられる。本機能的限定がクレーム発明を実質的に限定することが判断されており実務においても参考になる所があるように思う。

 

2.本件発明5(請求項5)

「【請求項5】第1のユニットに取り付けられるベース部材と,第2のユニットが取り付けられて前記ベース部材に回動自在に軸支されたアーム部材と,を備えるヒンジ装置において,

 前記第1のユニットとの間に前記ベース部材を挟んで保持する板状の保持部材と,前記保持部材と前記ベース部材との間に取り付けられ,前記ベース部材の取付位置を調整する調整部材と,を設け,

 前記調整部材を調整ネジと該調整ネジの端部に間隔を隔てて設けられた2つのフランジとで構成し,前記保持部材に前記調整部材の前記フランジ間の凹部と嵌合するために切り欠いた切欠部を形成したことを特徴とするヒンジ装置。」

 

3.原告の主張

 本件発明5は,本件明細書の段落【0031】と【0032】に記載された変形例2について権利を請求したものである。したがって,本件発明5は,「調整部材は,保持部材とベース部材との間に設けられ,ベース部材の取付位置を調整するのもので,この調整部材は調整ネジと該調整ネジの端部に間隔を隔てて設けられた2つのフランジとで構成される」という意味になるが,これらの記載も発明の詳細な発明や図面との整合性がなく,意味不明である。すなわち,調整ネジはどこに取り付けられるのか,また,切欠部は保持部材のどこにどのように設けられるのか,これらの事項について,変形例2について説明した本件明細書の段落【0031】と【0032】の記載を反映しておらず,不明瞭であって,権利の範囲が発明の詳細な説明の範囲を超えて拡大している。

 

4.裁判所の判断のポイント

「原告は,本件発明5の「調整ネジ」や「切欠部」についても,取付位置等が不明瞭であるなどと主張するが,「調整部材」を限定した「調整ネジ」については,上記1(5)で説示したとおり,取付位置や調整対象が限定されており,「切欠部」についても,請求項5には「前記保持部材に前記調整部材の前記フランジ間の凹部と嵌合するために切り欠いた切欠部」と規定されており,保持部材に設けることや凹部と嵌合するという機能面からの限定があるから,発明の詳細な説明に記載した範囲を不当に広くするものではない。」

2012年10月1日月曜日

審決において新たな文献を引用することの違法性が争われた事例


知財高裁平成24年9月10日判決

平成23年(行ケ)第10315号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は拒絶審決に対する取消訴訟であり、審決が手続要件(特許法159条2項、50条)に違反すると判断された。

 進歩性の判断において主引用発明との相違点が「周知技術」であることを証明することを目的として、審決において初めて特開2000-243132号公報(甲13)が引用された。この点が違法であるか否かが争われた。

 裁判所は、問題の相違点が甲13から周知技術であるとは理解できないことを理由に、出願人に反論の機会を与えるべきであり審決は違法であると判断した。逆読みすれば、周知技術であれば新たな文献を反論の機会なく与えることは許容されるという趣旨にも理解できる。

 「周知技術ではない」ことの説明が求められたときに参考になるかと思い、ここに紹介する。

 

2.本願発明

請求項1

・・・・

E.前記回路接続部材が,絶縁性物質と,表面側に導電性を有する複数の突起部を備えた導電粒子とを含有し,

・・・・・

G.隣接する前記突起部間の距離が1000nm以下であり,

H.前記突起部の高さが50~500nmであり,

・・・・

されていることを特徴とする回路部材の接続構造。

 

3.審判段階での拒絶理由

 審判段階での拒絶理由通知書では進歩性欠如の拒絶理由が示された。本願発明と主引用文献との相違点として、本願では「隣接する前記突起部間の距離が1000nm以下であり」(相違点3)、「前記突起部の高さが50~500nmであり」(相違点4)が特定されている点が挙げられた。

 この拒絶理由通知書では、突起部間の距離及び突起部の高さに関しては,「凸部間の距離をどのような値とするのかは,必要とされる導電接続の安定性,導電性粒子の直径,凸部の高さ等を考慮して当業者が適宜決定し得たものである。」と述べるにとどまる。特開2000-243132号公報(甲13)は示されていない。

 

4.拒絶審決での判断

 審決において新たに特開2000-243132号公報(甲13)が引用された。審決では甲13の実施例の一部が上記相違点3および4についての突起部間の距離および突起部の高さについての特徴を有していることを指摘して、「本願出願前に普通に行われていたことである」と指摘した。

 

5.被告(特許庁長官)の裁判での主張

「審決において,甲13は,刊行物に記載された技術事項,すなわち,「回路部材の接続構造の技術分野において,隣接する突起部間の距離を1000nm以下とすること」,及び,「回路部材の接続構造の技術分野において,突起部の高さを50~500nmとすること」が,刊行物に記載されるのみならず,周知の技術事項であることを立証するために提示された文献である。

 発明が公知技術から想到容易かどうかを判断するにあたって,出願当時その発明の属する技術分野における技術常識を前提とすべきことは当然であるから,当業者が技術常識上当然に了知しているべき技術につき,あらためて意見を述べる機会を与える必要はない。

 そして,甲13は,刊行物に記載された技術事項を把握するため,すなわち「回路部材の接続構造の技術分野」における本件出願当時の技術常識を明らかにしたにすぎないものであるから,甲13につき拒絶理由を通知しなくても,特許法50条の規定に違反することにはならない。」

 

6.裁判所の判断のポイント

「審決が主引用発明として刊行物記載の発明を認定した刊行物(甲10)には,突起部を有する導電性粒子が記載されているが,甲10にはこの粒子の突起部間の距離に関しては記載されていない。そして,審決は,突起部間の距離の具体的数値に関して,甲13の記載のみを引用し,仮定に基づく計算をして容易想到性を検討,判断している。

 審決は,「回路部材の接続構造の技術分野において,隣接する突起部間の距離を1000nm以下とすることは,以下に示すように本件出願前から普通に行われている技術事項である。例えば」,として,甲13の記載を技術常識であるかのように挙げているが,その技術事項を示す単一の文献として示しており,甲13自体をみても,回路部材の接続構造の技術分野において,隣接する突起部間の距離を1000nm以下とすることが普通に行われている技術事項であることを示す記載もない。

 すなわち,甲13の特許請求の範囲の請求項1には,「平均粒径が1~20μmの球状芯材粒子表面上に無電解めっき法によりニッケル又はニッケル合金皮膜を形成した導電性無電解めっき粉体において,該皮膜最表層に0.05~4μmの微小突起を有し,且つ該皮膜と該微小突起とは実質的に連続皮膜であることを特徴とする導電性無電解めっき粉体。」が記載され,実施例には製造されたいくつかの導電性粒子の突起の大きさが表2に示されている。しかし,表2に記載されているのは,甲13に記載された発明の実施例であって,これらの例が周知の導電性粒子として記載されているわけではない。しかも,表2に記載されているものには,実施例4(0.51μm),実施例5(0.63μm)のように,突起の大きさが500nmを超えるものある。したがって甲13の記載から「回路部材の接続構造の技術分野において,隣接する突起部間の距離を1000nm以下とすること」や,「回路部材の接続構造の技術分野において,突起部の高さを50~500nmとすること」が周知の技術的事項であるとはいえない。

 してみると,審決は,新たな公知文献として甲13を引用し,これに基づき仮定による計算を行って,相違点3の容易想到性を判断したものと評価すべきである。すなわち,甲10を主引用発明とし,相違点3について甲13を副引用発明としたものであって,審決がしたような方法で粒子の突起部間の距離を算出して容易想到とする内容の拒絶理由は,拒絶査定の理由とは異なる拒絶の理由であるから,審判段階で新たにその旨の拒絶理由を通知すべきであった。しかるに,本件拒絶理由通知には,かかる拒絶理由は示されていない。

 そうすると,審決には特許法159条2項,50条に定める手続違背の違法があり,この違法は,審決の結論に影響がある。」