2012年6月21日木曜日

クレーム中の数値範囲の下限のみが規定されている場合の実施可能性が争われた事例


知財高裁平成24年6月13日判決
平成23年(行ケ)第10364号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は拒絶査定不服審判において実施可能性要件、サポート要件違反と判断されたものの、知財高裁にて審決が取り消された事例である。
 本願発明1は「モータ・ハウジングのポリマー材料が,該モータ・ハウジングに沿って流れるポンプ流体への該固定子からの熱の放散を容易にするために,熱伝導性で電気絶縁性の充填剤を少なくとも40重量%の量で含有する」という特徴を含む。
 裁判において被告(特許庁長官)は、上記の規定では、上限が規定されていないことから「100重量%近くの場合も含まれるところ,このような場合には,充填剤が40重量%であるマトリックス材料とはその材料構成が著しく異なり,当業者は,モータ・ハウジングをどのようにして形成するのかを容易に実施し得ない」と指摘した。
 これに対して裁判所は、本願発明の「モータ・ハウジング」は「流体によって冷却される,比出力が高い電動モータ」として使用可能な程度に強度等を備えていることは当然の前提であり、被告の前提(100重量%近くも含む)は不合理である、と判断し、実施可能要件違反にはあたらないと判断した。

2.本願発明1
【請求項1】ポリマー材料で作製されて固定子を含むモータ・ハウジングを備えた流体冷却式電動モータであって,モータ・ハウジングの長さが当該モータ・ハウジングの外径の少なくとも2倍であり,該電動モータ・ハウジングの外表面に沿ってポンプ流体を流すポンプ部分を駆動し,/モータ・ハウジングのポリマー材料が,該モータ・ハウジングに沿って流れるポンプ流体への該固定子からの熱の放散を容易にするために,熱伝導性で電気絶縁性の充填剤を少なくとも40重量%の量で含有することを特徴とする電動モータ

3.審決の要点
 審決では本願発明が実施可能要件(特許法36条4項)およびサポート要件(同条6項2号)に違反すると判断した。具体的な理由のひとつは以下の通り。
「本願明細書【0007】に「熱伝導性を著しく増大させるために,充填剤の量は,少なくとも40重量%であるべきである。」と記載されているが,少なくとも熱伝導性の程度が明らかにされていない充填剤をポリマーに40重量%混合すると,なぜ,熱伝導性が著しく増大するのかその根拠が不明である(臨界的な効果があるのか,又は,充填剤の量を大きくすると問題が起きるのか等を明瞭にされたい。)」

4.被告(特許庁長官)の主張
 上記点に関する裁判段階での被告の主張は以下の通り。
本願明細書【0007】の記載部分についてみると,マトリックス材料に対する充填剤の充填料は,40重量%以上であることのみ特定されているから,100重量%近くの場合も含まれるところ,このような場合には,充填剤が40重量%であるマトリックス材料とはその材料構成が著しく異なり,当業者は,モータ・ハウジングをどのようにして形成するのかを容易に実施し得ない。
 また,マトリックス材料であるポリマー材料は,「液体エポキシ樹脂」が,充填剤は,「Al細粉」が,それぞれ例として挙げられているが(本願明細書【0020】),エポキシ樹脂には様々のものがあり,その物性も異なるばかりか,Al細粉の熱伝導性も,一義的に決まらないから,これらのポリマー材料に40重量%の充填剤を混合しても,全てのものの熱伝導性が著しく増大するとは推認できず,また,本願明細書及び図面にも,このことを裏付ける記載や示唆はなく,しかも,「液体エポキシ樹脂」や「Al細粉」について,当業者が実施できる程度に具体化されたものも,記載や示唆がない。
 特に,ポリマー材料よりも熱伝導性の高い充填剤を混合する場合,充填剤の混合比率の増大に比例してその熱伝導率が増大すると考えるのが技術的に自然であり,特定の混合比率において熱伝導率が急変するとは推認し難いところ,本願明細書には,40重量%で熱伝導率が著しく増大する理由について何らの記載も示唆もない。
 よって,本願明細書では,充填剤の量を40重量%とすることで熱伝導率が著しく増大する理由が不明であるから,当業者が容易に実施できる程度に明確かつ十分に記載されているとはいえない。」

5.裁判所の判断のポイント
「3 本願明細書【0007】の記載部分について
(1) 原告は,本件審決が引用する本件拒絶理由が根拠不明であると指摘する本願明細書【0007】(前記1(2)オ)の「熱伝導性を著しく増大させるために,充填剤の量は,少なくとも40重量%であるべきである。」との記載部分が明瞭であって,法36条4項の規定に違反しない旨を主張する。
(2) そこで検討すると,前記2(2)に認定のとおり,本願明細書の記載によれば,本願発明及び本願明細書における「ポリマー材料」は,市販品として入手可能なデュロマーと充填剤(少なくとも40重量%)とを混合し,射出成形やドレンチングなどによって形成したものであるところ,当業者は,本願明細書の記載及び本件出願日当時の技術常識に基づき,当該製造方法により上記「ポリマー材料」を製造し,もって本願発明を実施することができたものと優に認められる。
 したがって,前記(1)に引用の本願明細書【0007】の記載部分が意味するところは,明瞭であって,本願明細書は,当該記載部分が存在することによって,法36条4項に違反するというものではない。
(3) 以上に対して,被告は,本願発明の構成では充填剤の充填量が100重量%近くの場合も含まれる結果,モータ・ハウジングをどのようにして形成するのかを当業者が容易に実施し得ない旨を主張する。
 しかしながら,本願明細書の記載(前記1(2)キ。【0012】~【0015】)及び図1によれば,本願発明の「モータ・ハウジング」は,ポンプ及び電動マイクロモータ等を備える構造的な部材であることが明らかであって「流体によって冷却される,比出力が高い電動モータ」として使用可能な程度に強度等を備えていることは,当然の前提であるというべきであって,モータ・ハウジングを構成する「ポリマー材料」について,充填剤が100重量%近くとなり,主たる成分であるデュロマーをほとんど含まない材料を使用することは,それ自体,想定することが不合理な前提である。
 したがって,被告の上記主張は,それ自体不合理なものとして採用できない。
 また,被告は,本願発明の「ポリマー材料」となるデュロマー(液体エポキシ樹脂)の物性や充填剤(Alの細粉)の熱伝導性が一義的に決まらないから,本願発明の作用効果が推認できず,デュロマーが40重量%以上含有されることで熱伝導率が著しく増大する理由(臨界性)が不明であるばかりか,液体エポキシ樹脂やAlの細粉も当業者が実施できる程度に具体化されていない旨を主張する。しかしながら,作用効果の有無や,デュロマーの重量比が有する技術的意義は,いずれも本願発明の容易相当性の判断において考慮され得る要素の一つであるにすぎず,実施可能性とは直接関係がないばかりか,上記の液体エポキシ樹脂及びAlの細粉の材料は,いずれも市販品として容易に入手可能である(甲21,22)から,これらの材料の詳細が本願明細書に示されていないからといって,当業者が本願発明を実施できなくなるものではない。