2012年6月12日火曜日

拒絶査定不服審判請求書を却下する前に審判長が審判請求人に対して意思確認をしなかったことの違法性が争われ、違法性はないと判断された事例

知財高裁平成24年6月6日判決
平成24年(行ケ)第10061号 審判請求書却下決定取消請求事件

1.概要
 拒絶査定不服審判を請求する際に「請求の理由」を具体的に記載する時間がない場合、審判請求書(および場合により請求項を補正する手続補正書)のみを期限内に提出することがある。この場合、審判長は請求人に対し相当の期間を指定して、請求書について補正すべきことを命じなければならず(特許法133条1項)、請求人が当該補正命令により指定した期間内(通常は30日)に請求書の補正をしないときは、決定をもってその補正書を却下することができる。
 審判請求書の補正命令の応答期間内に請求書の補正をしない場合には、請求人に特許庁から電話で問い合わせがあり、審判を継続する意思の確認と、請求書を却下してよいかの確認が行われることが通常である。ただし、この運用は法律上担保されたものではない。
 本件事例では、審判請求人が、補正命令応答期間内に、審判請求の理由を記載するのに必要な実験データ等の入手等に手間取っているため審判請求の理由が記載できないこと、数ヶ月の猶予を与えてほしいことを示した上申書を提出した。
 審判長は補正命令応答期間後に請求人の意思を確認することなく審判請求書を却下した。
 裁判において原告(審判請求人)は上記取り扱いが通常の運用と異なっており違法である旨主張した。
 裁判所は審判請求書の却下に違法性はないと判断した。却下するか否かは審判長の裁量権の範囲内であり、上申書において原告は具体的な事情を説明していないこと等の事情を考えると違法と評価される理由はない、というのが裁判所の判断であった。

2.裁判所の判断のポイント
「1.認定事実
・・・
(1) 原告は,平成17年6月16日,発明の名称を「てんかんおよび関連疾患を治療するためのスルファメートおよびスルファミド誘導体」とする特許を出願したが(特願2007-516789。甲1の1),平成23年2月21日付けで,次の理由により本件拒絶査定を受けた(甲1の2)。
(2) 原告は,平成23年7月4日,本件事務所を代理人として,本件拒絶査定に対して本件審判を請求したが,その際,本件請求書の請求の理由欄には,「詳細な理由は追って補充する。」とのみ記載した(甲1の3)。
(3) 特許庁は,本件請求書を受理してこれに不服2011-14228号との事件番号を付し,特許庁長官により指定された本件審判長は,平成23年7月19日,特許法133条1項に基づき,本件事務所に対して本件指令書を発送したが,そこには次の記載があった(甲1の4)。
「この審判請求手続について,方式上の不備がありますので,この指令の発送の日から30日以内に,下記事項を補正した手続補正書(方式)を提出しなければなりません。
 上記期間内に手続の補正をしないときは,特許法第133条第3項の規定により審判請求書を却下することになります。

1.審判請求書の【請求の理由】の欄。
(注)請求の理由が正確に記載されていません。」
(4) 本件事務所は,平成23年8月18日,特許庁長官に対して本件上申書を提出したが,そこには,「上申の内容」として次の記載があった(甲1の5)。
本件請求人は,当該請求の理由を記載するのに必要な実験データ等の入手等に手間取っているので,上記指定期間内には十分な請求の理由を記載できないと連絡して参りました。したがって,上記書面の提出期間について数ヶ月のご猶予を与えて戴きたく,ここに上申いたします。
(5) 特許庁内部では,「審判事務機械処理便覧」という文書により,特許出願に対する拒絶査定不服審判請求について補正命令(特許法133条1項)を発した後,請求人からこれに対する応答がなかった場合,このことを確認した事務担当者は,審判長名の却下決定の文案を作成するが,これについて審判長による決裁(決定)を受ける前に,却下処分前通知書の発送を確認することとされているほか,却下処分前通知に先立って請求人からの上申書等が存在した場合には,却下処分前通知の発送を留保することとされている(甲12)。また,特許庁においては,特許出願に対する拒絶査定不服審判請求について補正命令(特許法133条1項)を発する場合,手続補正のための相当の期間として30日を指定する運用が行われているが,請求人から当該指定期間内に補正についての期間の猶予を求める上申書が提出された場合,審判長は,当該指定期間を経過しても直ちに請求書を却下する決定をするとは限らず,あるいはそのような上申書が提出されなくても,特許庁からの郵便はがきによる却下処分前通知又は電話による手続続行の意思の有無の確認を経てから,請求書を却下する決定をする運用が行われている(甲2~6,8,9)。
(6) しかるところ,本件審判の担当審判書記官は,原告又は本件事務所に対して,手続補正書が提出されていない旨の通知(却下処分前通知)を郵送し,あるいは電話で手続続行の意思の有無を確認するなどしなかった。そして,本件審判長は,平成23年9月30日,特許法133条3項に基づき,本件請求書を却下する決定をし(本件決定),その謄本は,同年10月24日,本件事務所に送達された(甲1の6,甲11,乙1)。
 決定書に記載された本件決定の理由は,次のとおりである。
「本件審判請求書には理由が無いから,審判長は期間を指定してその補正を命じた。しかし,審判請求人は指定された期間内にこれを補正しないので特許法第133条3項の規定により,本件審判請求書を却下すべきものとする。よって,結論のとおり決定する。」

2 本件決定の違法性について
(1) 特許法133条3項に基づく請求書の却下決定に関する裁量について特許出願について拒絶をすべき旨の査定を受けた者は,その査定に不服があるときは,拒絶査定不服審判を請求することで特許査定又は拒絶査定の取消しを求めることができ(特許法121条1項,159条3項,51条,160条1項),その際,請求の理由等を記載した請求書を特許庁長官に提出しなければならない(同法131条1項3号)ところ,審判長は,請求書がこの規定に違反しているときは,請求人に対し,相当の期間を指定して,請求書について補正をすべきことを命じなければならず(同法133条1項),請求人が当該補正命令により指定した期間内に請求書の補正をしないときは,決定をもってその請求書を却下することができるとされている(同条3項)。そして,特許法は,審判長が上記決定をすべき時期については何ら規定していないところ,上記補正命令に基づく補正が上記相当の期間内にされない以上,あえて当該決定を遷延させることについて積極的な意義は見出し難い一方で,当該補正が当該相当の期間経過後にされた場合,当該補正を却下して請求書を却下する決定をしなければならない理由も見当たらない。したがって,審判長は,請求書を却下する決定の要件が充足したとしても,直ちに当該決定をしなければならないものではないというべきである。
 以上によれば,審判長は,特許法131条1項に違反する請求書について,同法133条1項に基づく補正命令により指定した相当の期間内に補正がされなかった場合,いかなる時期に同条3項に基づく当該請求書を却下する決定をするかについての裁量権を有しており,当該決定は,具体的事情に照らしてその裁量権の逸脱又は濫用があった場合に限り,違法と評価されるというべきである。
(2) 本件決定の時期と裁量権の逸脱又は濫用の有無について
ア これを本件についてみると,原告は,前記1(1)に認定のとおり,平成23年2月21日付けで,本件出願に係る明細書に実験データ等が記載されていないことなどから,本件出願に係る発明が引用文献に記載の発明に基づいて容易に発明をすることができたことを理由とする本件拒絶査定を受けており,この時点で,当該実験データ等の入手が本件出願に係る発明について特許査定を受ける上で重要であり,拒絶査定不服審判を請求した場合の争点となることを認識していたものと認められる。
 原告代理人である本件事務所は,前記1(2)に認定のとおり,本件拒絶査定から約4か月を経過した平成23年7月4日,本件審判を請求したが,本件請求書の請求の理由欄には,「詳細な理由は追って補充する。」と記載するにとどまっているから,本件請求書は,請求の理由の記載がないものとして特許法131条1項3号に違反するものというほかない。
 これに対して,本件審判長は,前記1(3)に認定のとおり,平成23年7月19日,本件指令書を発送し,その発送から30日以内に本件請求書の請求の理由を補正するよう命令したが,本件事務所は,前記1(4)に認定のとおり,本件指令書が指定した期間の末日であり,本件拒絶査定から約6か月を経過した同年8月18日に至って,「実験データ等の入手等に手間取っている」ことを理由として,手続補正書の提出期間について数か月の猶予を求める旨を記載した本件上申書を提出するにとどまり,それ以上に,いかなる実験データ等をどのように入手するのかや,いかなる事情が理由となって当該実験データ等の入手等に更に数か月の時間を要するのかについて,何ら具体的な説明をしていないし,上記以外に本件請求書の請求の理由の補正について更なる期間の猶予を求める理由も説明していない。
イ 他方,特許庁内部では,前記1(5)に認定のとおり,「審判事務機械処理便覧」という文書により,特許法133条3項に基づく請求書の却下決定に先立って,請求人からの上申書等の有無や却下処分前通知書の発送を確認することとされているほか,請求人から,同条1項に基づく指定期間内に手続補正についての期間の猶予を求める上申書が提出された場合,審判長は,当該指定期間を経過しても直ちに請求書を却下する決定をするとは限らず,あるいはそのような上申書が提出されなくても,特許庁からの郵便はがきによる却下処分前通知又は電話による手続続行の意思の有無の確認を経てから,請求書を却下する決定をする運用が行われている。
 しかしながら,上記「審判事務機械処理便覧」という文書は,あくまでも事務担当者の便益のために特許庁内部における事務処理の運用を書面化したものであるにすぎず,特許法の委任を受けて請求人との関係を規律するものではないし,特許庁内部におけるその余の上記運用も,いずれも特許法に根拠を有する手続ではなく,実務上の運用として行われているにすぎないから,このような運用に従わない取扱いがされたからといって,そのことは,原則として当不当の問題を生ずるにとどまり,直ちに請求書の却下決定に関する時期についての裁量権の逸脱又は濫用となるものではない。
 そして,前記1(6)に認定のとおり,本件審判の担当審判書記官が,原告又は本件事務所に対し,手続補正書が提出されていない旨の通知(却下処分前通知)を郵送し,あるいは電話で手続続行の意思の有無を確認するなどしなかったことは,それ自体,拙速の感を免れず,上記「審判事務機械処理便覧」という文書の記載及び特許庁内部におけるその余の上記運用との関係では相当性を欠くことが明らかであったというほかない。しかしながら,本件決定に先立ってこれらの運用を経ていないとしても,前記アに認定の事実に照らせば,特許庁のそのような対応とは別に,原告は,補正に必要な実験データを入手し得る時期,その入手等に要する具体的な時間及びその時点において更に期間の猶予を求める必要があるのであればその理由を,いずれも進んで説明すべきであったというべきであって,特許庁から確認などを求められることがなかったからといって,その確認などを求められるまで補正を命じられた期間を徒過し得るわけではなく,そのことは,本件決定がその時期についての裁量権を逸脱又は濫用したとするに足りるものではない
ウ 以上によれば,原告は,本件拒絶査定により本件審判における争点を認識しており,当該争点についての立証について,本件審判の請求まで約4か月,本件指令書により指定された補正のための指定期間の満了まで約6か月にわたる準備期間を与えられていながら,その立証準備の状況等について何ら具体的に説明をせずに当該指定期間を徒過していたのであるから,原告が外国法人であって,本件事務所との間の意思疎通について内国人よりも時間と費用を要することや,本件決定に先立って,郵便はがきによる却下処分前通知又は電話による手続続行の意思の有無の確認といった特許庁内部で行われていた運用に従った取扱いがされていなかったこと,そして,そのことから,仮に,本件事務所において自ら補正の理由書を提出するまで本件請求書が却下されることはないと期待していたとすれば,本件審判長がその期待を与えたことを考慮しても,本件審判長は,本件請求書を却下した時点において,当該決定を遷延させ,もって原告のために更に補正のための猶予期間を与える必要はなかったものというほかなく,本件拒絶査定から約7か月後であって当該指定期間の満了から43日後にされた本件決定は,審判長が有する請求書の却下決定をする時期についての裁量権を逸脱又は濫用したものとはいえない。」