2012年5月28日月曜日

主引用文献に課題が示されていないことを理由に進歩性が肯定された事例/用途限定が物の発明を区別する構成要件と認定された事例

知財高裁平成24年5月23日判決
平成23年(行ケ)第10249号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例では進歩性、同日出願発明に対する同一性等について争われた。
 進歩性判断は審決、判決ともに肯定的であり、特許を維持する判断がされた。具体的には、土木用シートに関する主引用発明(引用発明1-1)に、漁網に関する副引用発明(引用例2)の開示事項が適用可能であるか否かが争われた。引用例2に開示された、生分解性の付与という課題は繊維分野の当業者にとって「自明な課題」であり、引用発明1-1においても同様の課題を認識することは当然である、と判断できる可能性もあったように思われるが、審決、判決ともに技術分野と課題を「狭く」解釈し、引用発明1-1に引用例2の開示事項を適用することは容易ではないと判断した点で参考になる。

 発明の同一性については「土木用」という本件発明の用途限定が、防虫用シート等の「農業用」に限定された引用例3の発明と区別する要素になりうるかが争われた。判決は、土木用と農業用とでは使用の態様が異なることは自明であるから、両発明は区別可能であると判断した。土木用と農業用とでは使用される態様が異なる、とうのがその理由であるが、裁判所はもう少し具体的に理由を説明すべきではないかと感じられた。

2.進歩性について
2.1.本件発明
「一般式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする切断強度0.1GPa以上,切断伸度5%以上であり,且つヤング率が0.5GPa以上であるモノフィラメント及び/又はマルチフィラメントの複数本からなる生分解性土木用の溶融紡糸による繊維集合体」

2.2.引用発明1-1(進歩性主引用発明)
「耐摩耗性糸条によつて織成された土木用シートであって,該耐摩耗性糸条は,長手方向に走行する複数本の単糸と該単糸を囲繞すると共に該単糸相互間を固着する合成樹脂とからなる土木用シートであって,上記単糸はポリエステル系フィラメントであり,上記合成樹脂はポリ塩化ビニルである,土木用シート」

 本件発明と引用発明1-1との一致点:ポリエステルを主成分とするマルチフィラメントの複数本からなる土木用の溶融紡糸による繊維集合体

 本件発明と引用発明1-1との相違点:上記の,ポリエステルを主成分とするマルチフィラメントの複数本からなる土木用の溶融紡糸による繊維集合体が,本件発明では,一般式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする切断強度0.1GPa以上,切断伸度5%以上であり,且つヤング率が0.5GPa以上であるマルチフィラメントからなる生分解性の繊維集合体であるのに対し,引用発明1-1では,ポリエステルを主成分とする生分解性でない織成されたシートである点

2.3.引用例2(進歩性副引用発明)
「請求項1:分解性高分子をその構成素材としたことを特徴とする漁網
・・・請求項3:分解性高分子がポリ乳酸であることを特徴とする請求項1記載の漁網」

 引用例2には、漁網において、不要時の処分に関する問題(環境汚染の問題)を解決するために、その素材を生分解性のポリ乳酸とすることが記載されている。

2.4.争点
 引用発明1-1におけるポリステルとして、ポリ乳酸を使用することが容易に想到可能であるか否かが争われた。特に、漁網に関する文献である引用例2に開示された、素材を自然に分解させるためにポリ乳酸を使用するという事項を、土木用シートに関する引用発明1-1に適用可能であるか否かが争われた。
 審決では容易には想到できず進歩性ありと判断された。
 裁判所も同様に審決の判断を支持した。

2.5.進歩性についての裁判所の判断のポイント
「ウ 容易想到性について
 上記のとおり,引用例2には,従来,漁網を構成する素材としては安価な強度的に優れるポリアミド系,ポリエステル系,ポリエチレン系等の合成繊維糸が用いられているが,自然の環境下において極めて安定であり,長期にわたってその強度を維持するために,不要時の処分に困難を来し,環境汚染の原因となっていること,また,漁網をポリ乳酸等の分解性高分子により構成したため,水中に放置しておよそ数か月から1年以上経過後にはモノマー化し,最終的には微生物の餌となって消失してしまうことから,従来のような放置に伴う環境汚染の問題を生じないことが記載されている。
 しかし,引用例2に,漁網において,不要時の処分に関する課題を解決するために,その素材をポリ乳酸とすることが記載されているとしても,土木用シートについては何ら記載も示唆もないから,上記引用例2の記載は,土木用シートに関する引用発明1-1及び引用発明1-2において,不要時の処分に関する課題が存在することを示すものではない。しかも,引用発明1-1及び引用発明1-2において,素材を自然に分解させたいという課題はないから,そのような課題を解決するために素材をポリ乳酸とする動機付けが存在することを示すものでもない。
 以上のとおりであるから,引用発明1-1において,単糸の素材をポリ乳酸とする動機付けがあるということはできず,また,引用発明1-2において,マルチフィラメントの素材をポリ乳酸とする動機付けがあるということはできないから,本件発明と上記発明との相違点が,当業者が容易に想到することができたものとはいえない。
エ 原告の主張について
(ア) 原告は,動機付けの存否は主引用例のみで判断するのではなく,副引用例等の他の証拠や技術常識及び周知技術に基づいても判断しなければならないところ,本件において環境破壊を防止するために生分解性のポリ乳酸を採用しようとの動機付けは,引用例2に記載されており,本件審決の判断は誤りであると主張する。
 しかし,引用例2の記載は,土木用シートに関する引用発明1-1及び引用発明1-2において,素材を自然に分解させたいという課題が存在することを示すものではなく,そうすると,上記発明において,そのような課題を解決するために,素材をポリ乳酸とする動機付けが存在することを示すものでもない。

(イ) 原告は,引用例2の用途が漁網であって土木用途ではないとする本件審決の認定判断は,一致点に関するものであるから,相違点の検討で持ち出すべき事項ではなく,論理性においても誤りであると主張する。
 しかし,引用例1に記載された発明に,引用例2に記載された事項を適用することの容易想到性を判断する際に,両者の用途の関連性を検討すること自体に問題はなく,論理性においても誤りとはいえないから,原告の主張は採用できない。
(ウ) なお,原告が主張する引用例1に記載された発明において,素材を自然に分解させたいという課題が存在することを示すものではなく,そうすると,上記発明において,そのような課題を解決するために,素材をポリ乳酸とする動機付けが存在することを示すものでもないことは,上記と同様であり,上記発明に基づいて,本件発明を容易に想到することはできない。


3.同日出願発明との同一性について
3.1.引用例3(同一出願人による同日出願の請求項に記載の発明)
「一般式-O-CHR-CO-(但し,RはHまたは炭素数1~3のアルキル基を示す)を主たる繰り返し単位とする脂肪族ポリエステルを主成分とする下記a群の用途の中のいずれかである生分解性農業用モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体
a群
防虫用シート,遮光用シート,防霜シート,防風シート,農作物保管用シート,保温用不織布,防草用不織布,農業用ネット,農業用ロープ」

3.2.対比
本件発明と引用例3の発明との一致点:モノフィラメント及び/又はマルチフィラメントの複数本からなる生分解性の溶融紡糸による繊維集合体

相違点①:上記モノフィラメント及び/又はマルチフィラメントが,本件発明では,「一般式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする」ものであり,「切断強度0.1GPa以上,切断伸度5%以上であり,且つヤング率が0.5GPa以上」のものであるのに対し,引用例3の発明では,「一般式-O-CHR-CO-(但し,RはHまたは炭素数1~3のアルキル基を示す)を主たる繰り返し単位とする脂肪族ポリエステルを主成分とする」ものであり,切断強度,切断伸度及びヤング率が特定されていないものである点

ウ 相違点②:本件発明は,用途が「土木用」であるのに対して,引用例3の発明は「農業用」であり,「a群 防虫用シート,遮光用シート,防霜シート,防風シート,農作物保管用シート,保温用不織布,防草用不織布,農業用ネット,農業用ロープ」の用途の中のいずれかである点

3.3.争点
 相違点②が、実質的な相違点となるか否かが争われた。審決、判決ともに実質的な相違点であり両発明は同一でないと判断した。

3.4.進歩性についての裁判所の判断のポイント
「ア 前記(2)ウの相違点②について,土木用と農業用では,繊維集合体の使用の態様が異なることは当業者において明らかであるから,相違点②は実質的な相違点である。
 したがって,相違点①について検討するまでもなく,本件発明は,引用発明3の発明と同一の発明であるとはいえない。
イ 原告の主張について
 原告は,土木用繊維集合体も農業用繊維集合体も,養生シートとして用いられるから,使われ方も同一であるのに,本件審決は,農業用養生シートは何の養生に用いられるのかに関して何らの認定判断もしていない結果,その判断を誤ったと主張する。
 しかし,具体的に何の養生に用いられるかを示すまでもなく,土木用と農業用では,養生シートの使用の態様が異なることは,当業者において明らかである。本件審決が,農業用について何の養生に用いられるか認定判断していないとしても,そのことは,上記発明の同一性の判断に影響を及ぼすものではない。」

複数の薬剤の併用医薬の新規性について争われた事例

知財高裁平成23年4月11日判決
平成23年(行ケ)第10148号 審決取消請求事件

1.概要
 本件発明1は複数の薬剤を組み合わせたことを特徴とする、用途が限定された医薬に冠する。
「(1)ピオグリタゾンまたはその薬理学的に許容しうる塩と,(2)アカルボース,ボグリボースおよびミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる糖尿病または糖尿病性合併症の予防・治療用医薬」

 本件発明1等の新規性が争われた。
 引用文献である引用例3には、本件発明1の有効成分を併用した場合の相乗的効果までは確認されていないものの、図面等や技術常識から、少なくとも相加的効果を期待して両者を併用することが記載されていると裁判所は認定した(審決では併用することが記載されていないという前提で新規性を判断し、特許は有効と判断していた)。
 裁判所はさらに、本件明細書に開示されている実験結果等が本件発明1の薬剤の組み合わせの相乗的効果を立証するものではないことから、本件発明1は引用例3に対して格別顕著な効果を有することも認められず、本件の効果を考慮して新規性を肯定することもできないと判断した。相乗的効果を証明するために被告が提出した追加の実験成績証明書は、参酌すべき基礎が明細書に見出せないことを理由に参酌されなかった。

 本件において、仮に明細書中の実験データが相乗的効果を証明するに十分なものと裁判所が認めた場合には、相加的効果以上の効果を示唆しない引用例3だけでは本件発明1の新規性は否定されなかったと考えられる。「格別顕著な効果」は一般的には進歩性判断の際に考慮される事項であるが、本件発明1のように選択発明に類似した発明の場合は新規性の判断においても考慮される。この考えは、選択発明の新規性について争われた昭和62年9月8日判決東京高等裁判所昭和60年(行ケ)第51号(本ブログ2010年8月20日記事にて紹介)において明示的に表されている。

2.裁判所の判断のポイント
「(2) 引用例3の図3に記載の発明及び本件各発明の作用効果について
・・・・本件優先権主張日当時の当業者は,これらの作用機序が異なる糖尿病治療薬の併用投与により,いわゆる相乗的効果の発生を予測することはできないものの,少なくともいわゆる相加的効果が得られるであろうことまでは当然に想定するものと認めることができる。
 よって,当業者は,ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤との作用機序が異なる以上,両者の併用という引用例3の図3に記載の構成を有する発明の作用効果として,両者のいわゆる相加的効果が得られるであろうことを想定するものといわなければならない。
イ 他方,本件各発明は,いずれもピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせた糖尿病又は糖尿病性合併症に対する予防・治療薬であるところ,本件明細書には,前記1(1)クに記載のとおり,塩酸ピオグリタゾンとボグリボースとの併用投与の実験についての記載がある。そして,その結果をみると,対照群(薬物投与なし)のラットから14日後に得られた血漿グルコース濃度は,345±29mg/dl であり,ヘモグロビンA1は,5.7±0.4%であるのに対し,塩酸ピオグリタゾン及びボグリボース併用投与群のラットでは,結晶グルコース濃度は,114±23mg/dl であり,ヘモグロビンA1は,4.5±0.4%であるから,併用投与群において投与後に血漿グルコース濃度及びヘモグロビンA1が相当程度減少したことが一応示されているということができる。
 もっとも,上記実験においては,併用投与群のラットは,いずれも各単独投与群が投与された塩酸ピオグリタゾン及びボグリボースの各用量をそのまま併用投与されているため,結果として最も大量の糖尿病治療薬を摂取していることになるばかりか,ラットからの血液採取が各薬剤の14日目の最後の投与から何分後にされたのかが不明であるから,上記実験結果の数値の評価は,相当慎重に行わなければならない。
 そうすると,以上の数値にもかかわらず,前記アに認定のとおり,当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,作用機序の異なるピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与により,両者のいわゆる相加的効果が得られるであろうことを想定するものと認められるのであって,本件明細書に記載の塩酸ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与の実験結果は,両者の薬剤の併用投与に関して当業者が想定するであろういわゆる相加的効果の発現を裏付けているとはいえるものの,それ以上に,両者の薬剤の併用投与に関して当業者の予測を超える格別顕著な作用効果(いわゆる相乗的効果)を立証するには足りないものというほかない。
ウ 以上によれば,引用例3の図3に記載の発明及び本件各発明の血糖値の降下に関する各作用効果は,いずれもピオグリタゾン又はその薬理学に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを併用投与した場合に想定されるいわゆる相加的効果である点で共通するものと認められる。」

「(3) 本件発明1等の新規性について
 以上のとおり,引用例3の図3には,「ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩と,アカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬」という構成の発明が記載されているものと認められ,当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,当該発明について,両者の薬剤の併用投与によるいわゆる相加的効果を有するものと認識する結果,ピオグリタゾン等の単独投与に比べて血糖低下作用が増強され,あるいは少量を使用することを特徴とするものであることも,当然に認識したものと認められるほか,下痢を含む消化器症状という副作用の軽減という作用効果を有することも認識できたものと認められる。
 したがって,引用例3の図3には,本件発明1等の構成がいずれも記載されており,本件優先権主張日当時の技術常識を参酌すると,その作用効果又は作用効果に関わる構成もいずれも記載されているに等しいというべきであって,これらの発明は,いずれも特許出願前に頒布された刊行物に記載された発明(特許法29条1項3号)であるというほかない。」

「(4) 被告の主張について
ア 被告は,本件優先権主張日当時,糖尿病の薬物治療においては,異なる作用機序の薬剤を併用して用いれば例外なく,相加的又は相乗的な効果が必ずもたらされるとは認識されていなかったところ,引用例3には,その執筆者の陳述書(乙24)からも明らかなとおり,将来のあり方(期待や可能性)が記載されているにとどまり,乙17(甲22)の記載からも明らかなとおりインスリン感受性増強剤と他の血糖降下剤との併用が技術的思想として確立していたとはいえないから,特許性を論じる場合に必要とされる「併用効果」の記載がない一方で,本件明細書には,ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与が単独投与よりも優れているという当該「併用効果」の記載があるし,乙20ないし23はこれを裏付けるものである旨を主張する。
イ しかしながら,前記(1)ウに認定のとおり,作用機序が異なる薬剤を併用する場合,通常は,薬剤同士が拮抗するとは考えにくいから,併用する薬剤がそれぞれの機序によって作用し,それぞれの効果が個々に発揮されると考えられる。そのため,併用投与によりいわゆる相乗的効果が発生するか否かについての予測は困難であるといえるものの,前記(2)アに認定のとおり,引用例1ないし4及び乙17(甲22)の記載によれば,本件優先権主張日当時の当業者は,これらの作用機序が異なる糖尿病治療薬の併用投与により,少なくともいわゆる相加的効果が得られるであろうことまでは当然に想定するものと認められる。したがって,被告の前記主張は,その前提に誤りがある。
 また,引用例3の作成者は,引用例3について,作用機序が異なる薬剤の併用の可能性を概説したものにすぎない旨の陳述書(乙29)を提出しているが,作成者の意図はともかくとして,前記(1)エ及び(2)アに認定のとおり,引用例3の図3に接した当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,当該図3にいう前記「併用」との文言がNIDDM患者に対するピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与という構成を示すものであって,これらの薬剤がそれぞれ有する別個の作用機序によりいわゆる相加的効果としての血糖値の降下という作用効果が発現することなどを認識したものと認められる。したがって,前記(3)に認定のとおり,引用例3の図3には,本件発明1等の構成がいずれも記載されており,本件優先権主張日当時の技術常識を参酌すると,その作用効果又は作用効果に関わる構成もいずれも記載されているに等しいというべきである。
 また,前記1(3)オに記載の乙17(甲22)の試験結果は,インスリン感受性増強剤であるトログリタゾンをSU剤又はビグアナイド剤と併用投与した場合,SU剤又はビグアナイド剤の単独投与よりも血糖調節に改善がみられることを明らかにしているというべきであって,併用投与によるいわゆる相乗的効果を立証するものではないものの,インスリン感受性増強剤とそれとは異なる作用機序を有する血糖降下剤との併用投与について否定的な評価をもたらすものではない。
 さらに,前記(2)イに認定のとおり,本件明細書は,塩酸ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与による作用効果についても,当業者が想定するであろういわゆる相加的効果を明らかにする余地があるにとどまり,当業者の予測を超える顕著な作用効果(いわゆる相乗的効果)や,あるいは原告の主張に係る「併用効果」なるものを立証するに足りるものではない。したがって,本件明細書には,本件各発明の作用効果の顕著性を判断するに当たり,被告が援用する乙20ないし23(被告所属の技術者が作成した実験成績証明書等)の記載を参酌すべき基礎がないというほかない。」

2012年5月19日土曜日

明細書中での効果の開示の程度と進歩性との関係が議論された事例

知財高裁平成24年5月7日判決
平成23年(行ケ)第10091号 審決取消請求事件

1.概要
 引用発明に対する進歩性に関して引用発明との相違点が本願発明では有利な効果をもたらすことを強調する場合に、実験結果等の裏づけが明細書中に開示されていることが必要となる場合がある。
 本事例では無効審判審決において進歩性が認められ特許は維持された。これに対して知財高裁は、明細書中に効果を具体的に確認した記述がないことを理由として進歩性を否定する結論を下した。

2.本件発明1
「混合物中に,活性成分として,〔R-(R*,R*)〕-2-(4-フルオロフェニル)-β,δ-ジヒドロキシ-5-(1-メチルエチル)-3-フェニル-4-〔(フェニルアミノ)カルボニル)-1H-ピロール-1-ヘプタン酸 半-カルシウム塩および,少なくとも1種の医薬的に許容し得る塩基性の安定化金属塩添加剤を含有する改善された安定性によって特徴づけられる高コレステロール血症または高脂質血症の経口治療用の医薬組成物。」
(注:〔R-(R*,R*)〕-2-(4-フルオロフェニル)-β,δ-ジヒドロキシ-5-(1-メチルエチル)-3-フェニル-4-〔(フェニルアミノ)カルボニル)-1H-ピロール-1-ヘプタン酸」を「CI-981」ということがある。「半-カルシウム塩」,「半カルシウム塩」,「半カルシウム」及び「ヘミカルシウム塩」は同義である。)

3.先行技術との関係
ア 甲1発明
「HMG-CoAレダクターゼ抑制であるプラバスタチン,及び,酸化マグネシウム及び水酸化マグネシウム等の塩基性化剤を含有する安定性良好な医薬組成物。」
イ 本件発明1と甲1発明との一致点
「活性成分として,HMG-CoAレダクターゼ抑制剤および少なくとも1種の医薬的に許容し得る塩基性の安定化金属塩添加剤を含有する改善された安定化によって特徴づけられる高コレステロール血症または高脂質血症の経口治療用の医薬組成物」という点
ウ 本件発明1と甲1発明との相違点
「使用するHMG-CoAレダクターゼ抑制剤が,本件発明1はCI-981半カルシウム塩であるのに対して,甲1発明はプラバスタチンである点。」
エ 甲2発明
「HMG-CoAレダクターゼを抑制し,高コレステロール血症の治療に用いられる薬剤として〔R-(R*,R*)〕-2-(4-フルオロフェニル)-β,δ-ジヒドロキシ-5-(1-メチルエチル)-3-フェニル-4-〔(フエニルアミノ)カルボニル〕-1H-ピロール-1-ヘプタン酸ヘミカルシウム塩」
ただし、甲2には、開環型である、本件発明1で用いられるCI-981ヒドロキシカルボン酸塩だけが掲示されているわけではなく、閉環型であるCI-981ラクトン体も同様に使用可能であることが開示されている。
オ.争点
甲1発明の有効成分を、甲2発明に言及されているCI-981半カルシウム塩に置換すすることにより本願発明を完成させることが容易であるか否か。

4.審決の判断
「甲第2号証公報の明細書におけるその他の,開環型の化合物又はラクトン型の化合物の何れかに言及した記載・・・(略)・・・をつぶさに検討しても,全て並列的或いは同等なものとして記載しており,どちらのタイプがより好ましいとか有利であるとかといった示唆を読み取ることはできないものである。
 したがって,甲第2号証の記載からは,開環型の形態とすることについて何らかの示唆がなされているとすることはできないものである。」

5.裁判所の判断のポイント
「このように,本件明細書には,CI-981半カルシウム塩が「もっとも好ましい化合物」として記載されている。そして,他にも,CI-981半カルシウム塩が有利な化合物であるかについての本件明細書の記載として,「特に重要な化合物」(第10欄39~43行)であり,「もっとも好ましい活性な化学成分」(第19欄44~46行)であるという抽象的な記載があるものの,開環型であるCI-981半カルシウム塩とラクトン型とを比較して,開環型の方が何らかの有利な効果を有するものであることを具体的に明らかにしているわけではなく,逆に「実際に,塩形態の使用は,酸またはラクトン形態の使用に等しい。」(第16欄3~4行)との記載もあるところである。」
「・・・審決が判断の前提としたように,CI-981半カルシウム塩がラクトン体に比べて有利な化合物であり,そのことは本件発明において見出された,と評価することはできないのであり,本件発明1は,単に「最も好ましい態様」としてCI-981半カルシウム塩を安定化するものと認めるべきである。
 したがって,甲1発明との相違点判断の前提として審決がした開環ヒドロキシカルボン酸の形態におけるCI-981半カルシウム塩についての認定は,本件発明1においても,また甲2に記載された技術的事項においても,硬直にすぎるということができる。この形態において本件発明1と甲2に記載された技術的事項は実質的に相違するものではなく,この技術的事項を,甲1発明との相違点に関する本件発明1の構成を適用することの可否について前提とした審決の認定は誤りであって,甲1発明との相違点の容易想到性判断の前提において,結論に影響する認定の誤りがあるというべきである。
5 被告の主張について
 被告は,本件発明1のCI-981半カルシウム塩は,塩の形態のヒドロキシ酸部分のほかピロール環,アミド結合等を有しており,その不安定性を構造のみから予測することは困難であり,この化合物が,熱,湿気,および光による不安定化,製剤中の他の成分の分子部分と接触することによる不安定化など種々の不安定化要因を抱えていることは,実験してみなければ知り得ないことであり,この課題は,CI-981半カルシウム塩を製剤化する上での問題点として,本件明細書により初めて明らかにされたものであり,出願時に公知の課題として存在していたものではなかったと主張する。しかし,本件明細書には,実施例4~7として,CI-981半カルシウム塩製剤を45℃又は60℃で2週間および4週間貯蔵した後の薬剤残留%について測定した実験について記載されているものの,この実験における薬剤の喪失が具体的にいかなる原因や化学変化によるものであるかの解析,すなわち,熱,湿気,光,製剤中の他の成分の分子部分との接触など種々の要因による不安定化のそれぞれの要因ごとに,本件発明の「安定化金属塩添加剤」なる成分がどのように働いて安定化するかについての具体的な検討は,されていない。したがって,被告の上記主張は本件明細書の記載に裏付けられたものではなく,理由がない。被告は,CI-981について臨床試験中という事実が存在しても,CI-981が医薬として製剤化する対象となりうるかどうかは全く不確定な状態にあるから,「治験薬物として使用されたこと」が直ちに「製剤化する場合の原薬として好ましい形態」として開発対象となるとはいえないとか,CI-981開環体あるいはCI-981半カルシウム塩が臨床試験中という事実を知り得たとしても,当業者はその形態をすぐさま製剤原薬として採用し,かつ,安定化された経口治療用医薬組成物を製造しようとすることを動機づけられるものではないと主張する。これらの主張が成立するためには,本件発明の医薬組成物に含まれるCI-981半カルシウム塩が,特にこれを選んで製剤化対象とする程度に,ラクトン体のような他の形態の化合物と比較して医薬として優れていることが本件明細書において具体的に確認されていることが前提として必要となる。しかし本件明細書には,CI-981半カルシウム塩が他の形態と比較して優れているかについて具体的な記載はなく,ただ抽象的に「好ましい」などと記載されているにすぎない。したがって,被告のこの主張は,本件明細書の記載に裏付けられたものではなく,理由がない。」