2012年1月9日月曜日

発明の効果と実施可能要件充足性との関係について争われた事例

知財高裁平成23年12月22日判決
平成22年(行ケ)第10097号 審決取消請求事件

1.概要
 無効審判審決:実施可能要件満足、特許維持
 知財高裁:審決維持、請求棄却

2.本件発明
【請求項6】ピペラジン-N-カルボジチオ酸もしくはピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸のいずれか一方もしくはこれらの混合物又はこれらの塩からなる飛灰中の重金属固定化処理剤

3.原告の主張する取消事由1(実施可能要件に係る判断の誤り)
「(1) 本件審決は,本件発明の特許請求の範囲に記載されたピペラジン-N-カルボジチオ酸(以下「本件化合物1」という。)若しくはピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸(以下「本件化合物2」という。)のいずれか一方若しくはこれらの混合物又はこれらの塩(以下「本件各化合物」という。)その他の化合物が,化学構造が特定された化合物であり,その合成方法も当業者に周知であり(引用例2,甲63),本件発明の効果についても本件明細書に記載されているから,本件明細書には本件発明の「飛灰中の重金属固定化処理剤」の製造方法について当業者が実施可能な程度に明確かつ十分に記載されており,実施可能要件を満たす旨を説示する。そして,本件審決によれば,当業者が本件発明6を容易に想到し得ないとの根拠は,後記のとおり,本件明細書に記載の安定性試験の結果(【0020】【0021】)のとおり,本件発明6の実施品を65℃に加温しても,pH調整剤である塩化第二鉄(38%水溶液)を20重量%添加しても,硫化水素を発生しないという効果を奏する点にあるとされている。
(2) しかしながら,硫化水素を発生しないという効果を実現するためには,硫化水素の発生源であるチオ炭酸塩という副生成物を含まない,純物質としての本件各化合物の製造方法が本件明細書に具体的に記載されている必要がある。
 しかるところ,本件各化合物は,1級アミノ基を含まない2級アミンに由来する化合物であり,純物質としての本件各化合物を加温したり酸を添加しても硫化水素が発生しないことは,公知の一般則である(甲7,8,22~24,35,86,98)ものの,本件各化合物を製造するに当たってチオ炭酸塩の副生を防止する方法は,本件優先権主張日当時又は本件出願日当時には存在せず(甲2,3,7,27),チオ炭酸塩を除く精製工程(引用例2,甲63)も,本件明細書に記載がない。現に,本件明細書を原告(甲4,8,15)及び第三者(甲71)が再現して実施したところ,得られた化合物からは硫化水素が発生した。
 このように,本件明細書には,硫化水素の発生源であるチオ炭酸塩を含む本件各化合物(未精製品)の製造方法しか記載がなく,純物質(精製品)としての本件各化合物の製造方法に関する記載がないから,その記載に従って本件発明を実施することは,不可能であり,本件明細書の記載は,特許法36条4項に違反する。
(3) なお,被告による本件明細書の再現とされる実験(甲48,乙12)では,得られた化合物から硫化水素が発生していないが,これは,サンプルを合成するに当たって大量(約53%)の二硫化炭素を消耗させるなど,被告が設定した合成・試験条件が,当業者が選択する余地のないような特殊なものであったためであって,本件明細書を再現したものとはいえないし(甲31),現に,得られた化合物は,本件明細書の記載に比較して,キレート能力の高い本件化合物2(ビス体)の濃度が約半分であり,キレート能力も約67%にとどまるから,再現になっていない。
 また,被告による2回目の再現実験(乙6)を原告が更に再現したところ(甲91,92),本件明細書に記載のビス体濃度は得られず,このことは,被告が本件化合物2の濃度を高くすることを回避することで,チオ炭酸塩の生成を抑制していることを示している。このように,本件発明6は,本件明細書を特定の条件下で実施しない限り,製造できない。」

4.裁判所の判断のポイント
「本件発明は,いずれも物の発明であるが,その特許請求の範囲(前記第2の2)に記載のとおり,本件各化合物(ピペラジン-N-カルボジチオ酸(本件化合物1)若しくはピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸(本件化合物2)のいずれか一方若しくはこれらの混合物又はこれらの塩)が飛灰中の重金属を固定化できるということをその技術思想としている。
 したがって,本件発明が実施可能であるというためには,本件明細書の発明の詳細な説明に本件発明を構成する本件各化合物を製造する方法についての具体的な記載があるか,あるいはそのような記載がなくても,本件明細書の記載及び本件出願日当時の技術常識に基づき当業者が本件各化合物を製造することができる必要があるというべきである。」

「(2) 本件明細書の記載について
・・・・
エ 次に,実施例によりさらに詳細に本件明細書に記載の発明を説明する。ただし,上記発明は,下記実施例によって何ら制限を受けるものではない(【0015】)。
(ア) 合成例1(ピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸ナトリウム)の合成
 ガラス製容器中に窒素雰囲気下,ピペラジン172重量部,NaOH167重量部,水1512重量部を入れ,この混合溶液中に攪拌しながら45℃で二硫化炭素292部を4時間かけて滴下した。滴下終了後,同温度にて約2時間熟成を行った。
 反応液に窒素を吹き込み未反応の二硫化炭素を留去したところ,黄色透明の液体を得た(化合物No.1。【0016】)。
(イ) 合成例2(ピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸カリウム)の合成
 ガラス製容器中に窒素雰囲気下,ピペラジン112重量部,KOH48.5%水溶液316重量部,水395重量部を入れ,この混合溶液中に攪拌しながら40℃で二硫化炭素316部を4時間かけて滴下した。滴下終了後,同温度にて約2時間熟成を行った。反応液に窒素を吹き込み未反応の二硫化炭素を留去したところ,黄色透明の液体を得た(化合物No.2。【0018】)。
(ウ) 安定性試験
 化合物No.1及びNo.2並びにエチレンジアミン-N,N′-ビスカルボジチオ酸ナトリウム(化合物No.3)及びジエチレントリアミン-N,N′,N′′-トリスカルボジチオ酸ナトリウム(化合物No.4)の水溶液を65℃に加温し,あるいはpH調整剤として塩化第二鉄(38%水溶液)を20重量%添加して硫化水素ガスの発生について調べたところ,化合物No.1及びNo.2ではいずれも硫化水素が発生しなかったが,化合物No.3及びNo.4ではいずれも硫化水素が発生した(【0021】【0022】)。」

「(3) 本件発明の実施可能性について
 以上によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には本件各化合物の製造方法についての一般的な記載はなく,実施例中に,合成例1(化合物No.1)及び2(化合物No.2)として,本件化合物2の塩の製造例が記載されているにとどまる。
 他方,引用例2(昭和59年12月20日刊行)には,ピペラジンビスジチオカルバミン酸ナトリウム(本件化合物2)を常法を参考にして比較的簡単に合成した旨の記載があるほか,甲95(昭和40年(1965年)刊行)にも,ピペラジンビス(N,N′カルボジチオアート)ナトリウム-C6H8N2S4Na2・6H2O(本件化合物2)をピペラジンと二硫化炭素から合成した旨の記載がある。このように,本件化合物2の製造方法について本件出願日を大きく遡るこれら複数の文献に記載されており,そうである以上本件化合物2を除く本件各化合物の製造方法も明らかであるから,本件各化合物は,本件出願日当時において公知の化合物であり,その製造方法も,当業者に周知の技術であったものと認められる。
 したがって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載の有無にかかわらず,当業者は,本件出願日当時において,本件各化合物を製造することができたものと認められる。
 よって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が本件発明の実施をすることができる程度に十分に記載されているものということができるので,法36条4項に違反せず,本件審決の判断に誤りはない。
(4) 原告の主張について
 以上に対して,原告は,本件発明が,硫化水素を発生させないという作用効果により進歩性が認められているのに,本件各化合物を製造するに当たって硫化水素の発生源であるチオ炭酸塩の副生を防止する方法が本件出願日当時に存在せず,引用例2等に記載のチオ炭酸塩を除く精製工程も本件明細書には記載がなく,本件明細書の記載により製造した本件各化合物(未精製品)によって本件発明を実施すると硫化水素が発生し,現に,原告らの実験結果もこれを裏付けているから,本件明細書が実施可能要件を満たさない旨を主張する。
 しかしながら,本件発明の特許請求の範囲の記載は,本件各化合物が飛灰中の重金属の固定化剤として使用できる旨を物の発明として特定しており,本件発明は,本件各化合物の製造に当たって硫化水素を発生させる副生成物の生成を抑制することをその技術的範囲とするものではない。したがって,本件明細書の発明の詳細な説明に副生成物の生成が抑制された本件各化合物の製造方法が記載されていないからといって,特許請求の範囲に記載された本件発明が実施できなくなるというものではなく,法36条4項に違反するということはできない。
 なお,本件明細書の発明の詳細な説明によれば,前記(2)エ(ウ)に認定のとおり,本件発明は,飛灰中の重金属を固定化する際にpH調整剤と混練し又は加熱を行うという条件下でも分解せずに安定である,すなわち有害な硫化水素を発生させないことも,その技術的課題としているといえる(安定性試験)。しかし,上記技術的課題を解決するという作用効果は,他の先行発明との関係で本件発明の容易想到性を検討するに当たり考慮され得る要素であるにとどまるというべきである。
 また,引用例2には,そこで得られた化合物の詳細な物性や分析結果についての記載があるものの,そこにはチオ炭酸塩の含有を窺わせる記載がないから,引用例2に記載の方法で得られた化合物にはチオ炭酸塩が含まれていないものと認められる。したがって,引用例2の記載によれば,チオ炭酸塩を含有しない本件各化合物の製造方法は,本件出願日当時,当業者に周知の技術であったものと認められ,被告による本件明細書の記載の再現実験の結果(甲48,乙6,12)も,これを裏付けるものである。他方,原告らによる実験(甲4,8,15,71)により硫化水素が発生したとしても,このことは,本件各化合物の製造方法によってはチオ炭酸塩を副生するために硫化水素が発生することがあるということを立証するにとどまり,チオ炭酸塩を含有しない本件各化合物の製造方法が周知の技術であったとの上記認定を左右するものではない。
 よって,原告の上記主張は,採用できない。」