2011年2月26日土曜日

請求項中の数値の測定条件が特定されていないことを理由に実施可能要件違反と判断された事例

知財高裁平成23年2月10日判決

平成22年(行ケ)第10153号 審決取消請求事件

1.概要

 請求項中に数値が記載されている場合に、数値を測定するための条件が実施例等にも記載されておらず、条件によっては数値が異なることが認められることを理由として本件発明1等について実施可能要件が満たされず無効であるとした審決が支持された。この点について類似の事例として知的財産高等裁判所平成20年(ネ)第10013号(本ブログ2009年6月7日記事参照)がある。

 一方、請求項中の数値範囲の全範囲にわたり、課題を解決することができると当業者が認識することができるように発明の詳細な説明が記載されておらずサポート要件が満たされないとした審決の判断については、妥当ではないと判示された。

2.本件発明1

「【請求項1】アルコキシシラン結合(Si-O-R)を有するシランカップリング剤(A)と,シランカップリング剤(A)が縮合したオリゴマーと,で構成されるシランカップリング剤(SCO)を含む接着剤であって(但し,Rは同一でも異なっていても良く,炭素数1~18の直鎖,または分岐鎖を有するアルキル基,シクロアルキル基,フェニル基,ベンジル基である。),前記シランカップリング剤(SCO)が,シロキサン(Si-O-Si)結合を含み,かつ,前記シランカップリング剤(SCO)をGPC(ゲル透過クロマトグラフィー)測定した際に,シランカップリング剤(A)の単分子(A-1)と,シランカップリング剤(A)の2分子が縮合した分子(A-2)が,GPCの面積比で,(A-1):(A-2)=100:1~100を満たすことを特徴とする接着剤」

3.無効審決の要点

3.1.実施可能要件違反

 実験成績証明書(甲5)における実験結果を参酌すると,単一のシランカップリング剤のオリゴマー組成物につきGPC測定する場合であっても,展開溶媒の種別なる1つの測定条件の変化により有意にモノマー:ダイマーの面積比が変化するものと解するのが自然であるとし,カラム,展開溶媒等のGPCに係る測定条件が具体的に記載されていない以上,本件明細書の発明の詳細な説明の記載に基づき,本件発明1ないし5及び9を当業者が実施しようとする場合において,当該モノマー:ダイマーの面積比により「シランカップリング剤(SCO)を選択することが困難であるから,本件明細書の発明の詳細な説明の記載はいわゆる実施可能要件に違反する。

3.2.サポート要件違反

 本件明細書の発明の詳細な説明には,「シランカップリング剤」と「オリゴマー」との割合につき,「(A-1):(A-2)=100:1~100」の範囲とすることを発明特定事項とする訂正後の請求項に係る技術事項を具備するものが全て本件発明が解決しようとする課題を解決できると当業者が認識することができるように記載されているものとはいえず,出願時の当業界の技術常識に照らして当業者が検討しても,本件発明が上記解決すべき課題を解決することができると認識することができるものということができない。

4.明細書に開示された実験結果

「【調製例1】シランカップリング剤(A)と,シランカップリング剤(A)が縮合したオリゴマーとで構成されるシランカップリング剤(SCO-1)の作製

 蒸留水1gとメチルエチルケトン99gを計りとり,混合して均一溶液(B-1)を作製した。(B-1)25gとγ-メタクリロキシプロピルトリメトキシシラン75gを混合して,室温(25℃)で1日放置してシランカップリング剤(SCO-1)を作製した。カップリング剤100重量部に対して水は0.33重量部となる。シランカップリング剤(SCO-1)のGPC測定の結果,シランカップリング剤(A)の単分子(A-1)と,シランカップリング剤(A)の2分子が縮合した分子(A-2)は,GPCの面積比で(A-1):(A-2)=100:1.6であった。

【調製例2】シランカップリング剤(A)と,シランカップリング剤(A)が縮合したオリゴマーとで構成されるシランカップリング剤(SCO-2)の作製

 蒸留水5gとメチルエチルケトン95gを計りとり,混合して均一溶液(B-2)を作製した。(B-2)25gとγ-メタクリロキシプロピルトリメトキシシラン75gを混合して,室温(25℃)で1日放置してシランカップリング剤(SCO-2)を作製した。カップリング剤100重量部に対して水は1.66重量部となる。シランカップリング剤(SCO-2)のGPC測定の結果,シランカップリング剤(A)の単分子(A-1)と,シランカップリング剤(A)の2分子が縮合した分子(A-2)は,GPCの面積比で(A-1):(A-2)=100:29.4であった。

【合成実験例1】フィルム形成材(C)の合成

 フェノキシ樹脂(Ph-1)の合成

 4,-(9-フルオレニリデン)-ジフェノール45g,3,',,'-テトラメチルビフェノールジグリシジルエーテル50gを N-メチルピロリジオン1000mlに溶解し,これに炭酸カリウム21gを加え,110℃で攪拌した。3時間攪拌後,多量のメタノールに滴下し,生成した沈殿物をろ取してフェノキシ樹脂(Ph-1)を75g得た。分子量を東ソー株式会社製GPC8020,本件カラム,流速1.0ml/minで測定した結果,ポリスチレン換算で Mn=12,500,Mw=30,300,Mw/Mn=2.42であった。

5.数値範囲を特定した意義に関する明細書の記載

「ア 本件発明は,接着剤,それを用いた回路接続構造体及びその製造方法に関す

る。

 近年,半導体や液晶ディスプレイなどの分野で電子部品を固定したり,回路接続を行うために各種の接着材料が使用されているが,かかる用途では,接着剤にも高い接着力や信頼性が求められている。

 しかしながら,従来の接着剤及び回路接続用接着剤である異方導電性接着剤は,各種基板に対する接着力が不十分で,十分な接続信頼性が得られない,各種基板に対する接着力のロットばらつきが発生し,高い歩留まりで良品を量産することが極めて困難な場合があるなどの課題を有していた。

 本件発明は,高接着力で信頼性が高い接着剤を提供し,さらにロットばらつきが発生せず,高い歩留まりで良品を量産可能とする接着剤を提供し,さらには回路接続用接着剤及びそれを用いた回路接続構造体を提供するのみならず,接着剤の保管時,使用時のシランカップリング剤の劣化を最小限とし,長期の保存安定性を与えるとともに,接着後においては長期間の接着強度の保持が可能となる接着剤,接着剤の製造方法,接続構造体を提供する。

イ 本件発明1は,アルコキシシラン結合(Si-O-R)を有するシランカップリング剤(A)と,シランカップリング剤(A)が縮合したオリゴマーとで構成されるシランカップリング剤(SCO)を含む接着剤であって(ただし,Rは同一でも異なていても良く炭素数1~18の直鎖,または分岐鎖を有するアルキル基,シクロアルキル基,フェニル基,ベンジル基である。),前記シランカップリング剤(SCO)が,シロキサン(Si-O-Si)結合を含み,かつ,前記シランカップリング剤(SCO)をGPC測定した際に,シランカップリング剤(A)の単分子(A-1)と,シランカップリング剤(A)の2分子が縮合した分子(A-2)が,GPCの面積比で,(A-1):(A-2)=100:1~100を満たすことを特徴とする接着剤に関し,高接着力でロットばらつきが発生せず,高い歩留まりで良品を量産可能となる接着剤を提供するものであるとともに,当該接着剤の保管時や使用時のシランカップリング剤の劣化を最小限とし,長期の保存安定性を与える接着剤を提供するものである。

ウ 前記シランカップリング剤(SCO)におけるA-1とA-2とが,GPCの面積比で,(A-1):(A-2)=100:1ないし100であることが好ましく,(A-1):(A-2)=100:1.1ないし80であることがより好ましく,(A-1):(A-2)=100:1.2ないし60であることがさらに好ましく,(A-1):(A-2)=100:1.3ないし40であることが最も好ましい。

 (A-1):(A-2)=100:1未満である場合,実質的なオリゴマーの効果が発現しない傾向があり,(A-1):(A-2)=100:100を超える場合,接着剤の接着強度の低下や,接着剤の保存安定性が低下する傾向がある。

エ 本件発明の接着剤において,実施例1ないし4では,全サンプルで良好な接続抵抗を示し,かつ接着強度も高く,さらに耐湿試験後でもその接着強度は低下せず,耐湿試験後の接着面の外観も良好であったが,比較例では,耐湿試験後の接続抵抗が悪化し,一部のサンプルで耐湿試験後の接着面の外観が悪化した。

 このように,本件発明1は,高接着力でロットばらつきが発生せず,高い歩留まりで良品を量産可能となる接着剤を提供することができるとともに,当該接着剤の保管時や,使用時のシランカップリング剤の劣化を最小限とし,長期の保存安定性を与える接着剤を提供することができる。

6.裁判所の判断のポイント

6.1.実施可能要件違反について(実施可能要件は満たされないと判断)

「本件明細書の発明の詳細な説明におけるGPC測定に関する記載は,前記アのとおりであるところ,GPC測定に用いられたカラムについては,合成実験例1において,フィルム形成材の合成について,フェノキシ樹脂の分子量をGPC測定した際,本件カラムが用いられたことが記載されている。

 しかしながら,シランカップリング剤の作製については,調製例1及び2並びに比較調製例1において,シランカップリング剤の調製例が記載されているところ,かかる調製例では,いずれもシランカップリング剤をGPC測定したことが記載されているものの,その際に使用されたGPC及び当該GPC測定に用いられたカラムについては,いずれもその製造メーカーすら,特定されていない。

 したがって,本件明細書には,シランカップリング剤のGPC測定が原告主張のように本件カラムにより行われたことを直接示す記載は存在しないといわなければならない。

・・・

() しかも,本件明細書において,シランカップリング剤におけるGPC測定と,フェノキシ樹脂に関するGPC測定について,同一の条件で実施したことに関する明示の記載はない。

 また,本件明細書の記載順についても,シランカップリング剤の調製例に関する記載(【0028】~【0030】)においては,GPC測定におけるカラムに関する記載がされず,しかも,GPCに関する記載も,測定の結果としてのA-1とA-2との面積比が記載されている(シランカップリング剤のオリゴマーを作成した比較調製例1を除く)のみであるが,その後に記載されたフェノキシ樹脂の合成実験例(【0031】)においては,測定条件(使用機器,流速,本件カラム)についても記載されているものである。

 () したがって,測定内容(面積比・分子量),測定対象(シランカップリング剤・フェノキシ樹脂)の分子量及び分子構造の相違を捨象し,本件明細書において,シランカップリング剤のGPC測定が,フェノキシ樹脂におけるGPC測定と同一の条件で実施されたものと開示されているとまで,いうことはできない。

・・・・

 以上からすると,本件明細書には,本件カラム及びTHFを使用したか否かを含め,シランカップリング剤のGPC測定に係る測定条件が開示されておらず,また,本件明細書の記載から,当業者が一般的な通常の測定条件によって測定されたものと理解することができるものということもできない。

・・・

 したがって,シランカップリング剤におけるA-1とA-2との面積比をGPC測定する場合の測定条件が明らかではない本件明細書の発明の詳細な説明は,本件発明1ないし5及び9について,当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されているということはできない。」

6.2.サポート要件違反について(サポート要件は満たされると判断)

「・・・本件発明1の効果は,A-1とA-2との面積比が,(A-1):(A-2)=100:1ないし100であれば,オリゴマーの効果,すなわち,高接着力でロットばらつきが発生せず,高い歩留まりで良品を量産可能となる接着剤,保管時や使用時のシランカップリング剤の劣化を最小限とし,長期の保存安定性を与える接着剤の製造が可能となり,かつ,接着剤の接着強度低下,保存安定性の低下は生じないというものである,

 イ 本件明細書において,本件発明の接着剤を用いた実施例1ないし4に対する初期及び耐湿後の接続抵抗,接着強度並びに耐湿後外観検査の結果が比較例と対照しつつ具体的に示されており,また,本件発明1の効果として,高接着力でロットばらつきが発生せず,高い歩留まりで良品を量産可能となる接着剤を提供することができるとともに,当該接着剤の保管時や,使用時のシランカップリング剤の劣化を最小限とし,長期の保存安定性を与える接着剤の提供と記載されている。

  以上からすると,本件発明1の効果,すなわち,①高接着力でロットばらつきが発生せず,高い歩留まりで良品を量産可能となる接着剤が提供されること及び②保管時や使用時のシランカップリング剤の劣化を最小限とし,長期の保存安定性を与える接着剤が提供されたことについては,いずれも比較例と実施例との対照において具体的に開示されているということができる。

  この点について,被告は,本件発明における(A-1):(A-2)のGPCの面積比と実施例における面積比の上限はかけ離れていること,本件発明の構成が定める面積比とその効果との因果関係や技術的意義が全く記載されていないことなどから,本件明細書の記載によっては,当業者は,GPCの面積比「(A-1):(A-2)=100:1~100」の全ての範囲について,本件発明の課題を解決できるとは認識できないなどと主張する。

 しかしながら,本件明細書には,数値範囲の下限及び上限について,数値範囲の

意義((A-1):(A-2)=100:1未満である場合,実質的なオリゴマーの効果が発現しない傾向があり,100:100を超える場合,接着剤の接着強度の低下や,接着剤の保存安定性が低下する傾向がある。)が記載されており,その範囲内の効果についても,「A-1とA-2とが,GPCの面積比で,(A-1):(A-2)=100:1ないし100であることが好ましく,(A-1):(A-2)=100:1.1ないし80であることがより好ましく,(A-1):(A-2)=100:1.2ないし60であることがさらに好ましく,(A-1):(A-2)=100:1.3ないし40であることが最も好ましい。」と指摘し,さらに,上記数値内における適宜の構成を選択した実施例において,接着強度等の効果についての試験結果が明示されているのであるから,被告が指摘する実施例による開示が少ない点は,上記結論を左右するものではない。


2011年2月5日土曜日

進歩性欠如の無効審決が取り消された事例

知財高裁平成23年1月31日判決

平成22年(行ケ)第10075号審決取消請求事件

1.概要

 本事例では、原告が有する特許権についての無効審判事件において審判体は「本件特許の請求項1~4に係る発明についての特許を無効とする」との審決をした。

 裁判所は「解決課題の設定が容易であったか」及び「課題解決のために特定の構成を採用することが容易であったか否か」を総合的に判断することが必要かつ不可欠であること、当該発明が容易であったとするためには,「課題解決のために特定の構成を採用することが容易であった」ことのみでは十分ではなく,「解決課題の設定が容易であった」ことも必要となる場合があることを考慮し、無効審決を取り消した。

 引用文献を「主たる引用文献」と「従たる引用文献」に明確に区別し容易想到性の論理の構築を試みることが合理的であると明示した点でも勉強になる事例である。

2.本件発明1(本願請求項1に係る発明)

「金属製フィルター枠と,該金属製フィルター枠に設けられた開口を覆って,該金属製フィルター枠に接着されている不織布製フィルター材とよりなる換気扇フィルターにおいて,該金属製フィルター枠と該不織布製フィルター材とは,皮膜形成性重合体を含む水性エマルジョン系接着剤を用いて接着されていることを特徴とする換気扇フィルター。」

3.審決の理由の内容(「当裁判所の判断」から抜粋

 本件各発明が容易想到であると判断した審決の論理は,以下のとおりである。すなわち,

ア 本件発明1と発明Aの一致点を「金属製フィルター枠と,該金属製フィルター枠に設けられた開口を覆って,該金属製フィルター枠に接着されている不織布製フィルター材とよりなる換気扇フィルターにおいて,該金属製フィルター枠と該不織布製フィルター材とは,接着剤を用いて接着されている換気扇フィルターである点」と認定し,また,相違点を「接着剤につき,本件発明1では,皮膜形成性重合体を含む水性エマルジョン系接着剤を用いているのに対し,発明Aでは,かかる接着剤を用いていない点」と認定した。

 次に,上記相違点に係る構成に至ることが容易想到であるとする論理を次のように述べた。①本件発明1の課題は,本件明細書の段落【0003】ないし【0006】の記載から,「換気扇フィルターの使用後に金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とを分別して廃棄すること(を容易にすること)」であるとした上,「換気扇フィルターの使用後に金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とを分別して廃棄すること(を容易にすること)」は,周知の技術的課題であるとし(甲18,19及び32),②甲2には,水溶液によって成分が溶解または膨潤し剥離する粘着剤が記載され,粘着剤は複数の物質を接合する接合剤としてみれば接着剤と共通するとし(甲27,甲34),③甲2に接した当業者は,上記課題を解決するため,接着剤成分が溶解又は膨潤して剥離するものを選択する動機付けを得るものといえる,などと判断した。

 そして,上記課題を解決すべく,廃棄時に金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とを容易に剥離するために,発明Aの接着剤に「皮膜形成性重合体を含む水性エマルジョン系接着剤」を用いることは,当業者であれば困難なくなし得たとの結論を導いた。」

4.裁判所の判断のポイント

「(1) 容易想到性判断と発明における解決課題

 当該発明について,当業者が特許法29条1項各号に該当する発明(以下「引用発明」という。)に基づいて容易に発明をすることができたか否かを判断するに当たっては,従来技術における当該発明に最も近似する発明(「主たる引用発明」)から出発して,これに,主たる引用発明以外の引用発明(「従たる引用発明」)及び技術常識等を総合的に考慮して,当業者において,当該発明における,主たる引用発明と相違する構成(当該発明の特徴的部分)に到達することが容易であったか否かによって判断するのが客観的かつ合理的な手法といえる。当該発明における,主たる引用例と相違する構成(当該発明の構成上の特徴)は,従来技術では解決できなかった課題を解決するために,新たな技術的構成を付加ないし変更するものであるから,容易想到性の有無の判断するに当たっては,当該発明が目的とした解決課題(作用・効果等)を的確に把握した上で,それとの関係で「解決課題の設定が容易であったか」及び「課題解決のために特定の構成を採用することが容易であったか否か」を総合的に判断することが必要かつ不可欠となる。上記のとおり,当該発明が容易に想到できたか否かは総合的な判断であるから,当該発明が容易であったとするためには,「課題解決のために特定の構成を採用することが容易であった」ことのみでは十分ではなく,「解決課題の設定が容易であった」ことも必要となる場合がある。すなわち,たとえ「課題解決のために特定の構成を採用することが容易であった」としても,「解決課題の設定・着眼がユニークであった場合」(例えば,一般には着想しない課題を設定した場合等)には,当然には,当該発明が容易想到であるということはできない。ところで,「解決課題の設定が容易であったこと」についての判断は,着想それ自体の容易性が対象とされるため,事後的・主観的な判断が入りやすいことから,そのような判断を防止するためにも,証拠に基づいた論理的な説明が不可欠となる。また,その前提として,当該発明が目的とした解決課題を正確に把握することは,当該発明の容易想到性の結論を導く上で,とりわけ重要であることはいうまでもない。

 上記の観点から,以下,本件各発明の容易想到性の有無に関してした審決の判断の当否を検討する。」

「(2) 判断

ア 本件発明1は,前記認定のとおり,従来の換気扇フィルターでは,アルミニウム箔片面全面に,感熱性接着剤皮膜を設け,これに,張出成形や膨出成形等の成形を施すと共に,打抜加工して開口を設けて金属製フィルター枠とし,この金属製フィルター枠の開口を覆うようにして不織布製フィルター材を張り,押圧加熱し,感熱性接着剤を溶融固化させて,不織布製フィルター材を金属製フィルター枠に接着するという方法で製造されていたので,使用後に,不織布製フィルターを金属製フィルター枠から剥離しようとすると,両者の接着が強固であるため,不織布製フィルターが破れてしまい,両者を分別することができないという欠点があったため,本件各発明は,金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とを接着する際,通常の状態では強固な接着が達成でき,水を付与すると,金属と不織布間との接着力が低下する性質を持つ接着剤を用い,使用後の換気扇フィルターを水に浸漬することにより,容易に金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とに分別し得るようにすることを発明の目的としたものである。

 そうすると,本件発明1は,「金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とが接着剤で接着されている換気扇フィルターにおいて,通常の状態では強固に接着されているが,使用後は容易に両者を分別し得るようにして,素材毎に分別して廃棄することを可能とすること」を解決課題とし,「(換気扇フィルターにおいて),通常の状態では強固に接着させるが,水に浸漬すれば接着力が低下し,容易に金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とを分別し得る皮膜形成性重合体を含む水性エマルジョン系接着剤を用いること」を解決手段とした発明である。

 これに対して,前記認定のとおり,審決が文献から引用した発明Aは,「金属箔をもって一体に形成された,レンジフードの開口部周縁への取付座となるフィルターカバーの鍔部と,この鍔部の内周縁に立上り壁と,該立上り壁の下端に格子状部と,該格子状部に接着剤によって装着されている難燃性乃至不燃性の不織布フィルターと,前記鍔部に取付けたレンジフードへの吸着用マグネットからなるレンジフード用フィルターカバー。」であって,「金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とが接着剤で接着されている換気扇フィルターにおいて,通常の状態では強固に接着されているが,使用後は容易に両者を分別し得るようにして,素材毎に分別して廃棄することを可能とすること」を解決課題として,これに対する解決課題を示した本件発明1とは異なる。甲1には,本件発明1が目的としている解決課題及び解決手段に関連した記載又は開示等はないのみならず,逆に,フィルターをフィルターカバーから剥離せずに廃棄することを前提とした発明であることが示されている。

イ この点について,審決は,前記甲18,19及び32の例から,「換気扇フィルターの使用後に金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とを分別して廃棄すること(を容易にすること)」は,周知の技術的課題であることから,当業者は,甲2に接すれば,上記の課題を解決するため,接着剤成分が溶解または膨潤するものを選択することが容易であると判断している。

 しかし,審決は,上記課題が周知であるとすると,なにゆえ本件発明1の引用発明(発明A)との相違点に係る構成が容易に想到できることになるのかに関する論理について,合理的な理由を示していない点において,妥当を欠く。

 のみならず,甲18,19及び32の記載を子細に検討してみても,本件発明1が解決課題としている「金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とが接着剤で接着されている換気扇フィルターにおいて,通常の状態では強固に接着されているが,使用後は容易に両者を分別し得るようにして,素材毎に分別して廃棄することを可能とすること」と同様の解決課題を示唆するものはない。

 すなわち,①甲18,19及び32は,換気扇フィルターの使用後に金属製フィルター枠及びフィルター材の廃棄を容易にするものではあるものの,いずれも,金属製フィルター枠とフィルター材とが「接着剤で接着されている」ことを前提とした発明とは異なる技術を示すものである。また,②甲18記載のレンジフード用フィルターは,金属製フィルター枠と不織布製フィルター材が「強固に接着されている換気扇フィルター」ではなく,「金属箔を成形可能な繊維不織布に代えることにより金網フイルターへの取り付けを簡略化すると共に使用後の廃棄に際し,分別することなく全体を容易に家庭ゴミとして処分せしめることを目的とする」ものであり,本件発明1とは,解決課題及び解決手段において異なる。さらに,③甲19も,金属箔製の換気扇カバー枠体と金属繊維を用いたフィルターから構成され,フィルター部分と換気扇カバー枠体とを分離する必要性を解消させて,そのまま一体物として出しても問題が起き難く,ゴミとして出す場合の作業性に優れ,かつ,再資源化が容易な換気扇カバーを提供することを目的としており,本件発明1とは解決手段において異なる。すなわち,本件発明1は,フィルター枠とフィルターとの剥離を容易にしようとすることを目的とするのに対し,甲18,19は,一体物としてゴミ出しをしても問題が生じることがないようにして,作業を高めるものであって,本件発明1における,解決課題の設定及び解決手段は,全く逆であって,本件発明1の異なる構成に想到することを容易とする技術が示唆されているものとはいえない。

ウ 以上のとおり,甲18,19及び32において,本件発明1と発明Aとの相違点(相違点A)に係る構成,すなわち,「接着剤につき,本件発明1では,皮膜形成性重合体を含む水性エマルジョン系接着剤を用いているのに対し,発明Aでは,かかる接着剤を用いていない点。」に関する解決課題及び解決手段についての示唆はない。

 したがって,審決において,本件発明1における「金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とが接着剤で接着されている換気扇フィルターにおいて,通常の状態では強固に接着されているが,使用後は容易に両者を分別し得ることを容易化すること」という解決課題設定及び解決手段の達成が容易に想到できたとの点について,証拠を基礎とした客観的合理的な論理に基づいた説明が示されていると判断することはできない。

 甲2には,前記のとおり,①水溶液によって粘着剤が溶解又は膨潤して剥離することができるマスキングテープ及びラベル等の粘着剤として用いることのできる水溶性粘着剤組成物及びその製造方法に関するものであること,②電子材料の分野で使用される保護テープ,セラミックスチップを機械研磨するときのチップ固定用の粘着テープなどでは,地球環境保護のため,粘着成分残渣が水洗浄可能なものであることが求められ,高い再剥離性と容易に剥がれない接着性とが要求されるという課題があること,③末端OH基を有する(メタ)アクリレートをリン酸でエステル化したモノマーを必須のモノマー成分とするポリマーを含み,上記ポリマーがアルカリ性中和剤で中和されていることを特徴とする水溶性粘着剤組成物により上記課題を解決する発明が記載されている。

 しかし,前記のとおり,甲18,19及び32等の例によっても,「金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とが接着剤で接着されている換気扇フィルターにおいて,通常の状態では強固に接着されているが,使用後は容易に両者を分別し得ることを容易化すること」との解決課題を設けることが示されていない以上,当業者において,発明Aに,甲2記載の発明を適用することによって,本件発明1における発明Aとの異なる構成に想到することが容易であったとすることもできない。すなわち,発明Aから,本件発明1の特徴点(「(通常の状態では強固に接着させるが,水に浸漬すれば接着力が低下し,容易に金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とを分別し得る)皮膜形成性重合体を含む水性エマルジョン系接着剤を用いること」)に到達することの示唆が,甲2の記載に存在するとはいえないから,結局,発明Aに甲2記載の発明を適用することが,容易とはいえない。

 したがって,甲2に接した当業者が,換気扇フィルターの廃棄時に金属製フィルター枠と不織布製フィルター材とを容易に剥離するために,発明Aに「皮膜形成性重合体を含む水性エマルジョン系接着剤」を用いることは困難なくなし得たとした審決の判断は誤りであり(この点は,甲2記載の粘着剤,並びに甲10,11及び24記載の接着剤が「皮膜形成性重合体を含む水性エマルジョン系接着剤」に相当するか否かに左右されるものではない。),これを前提とした本件発明1に関する容易想到性の判断にも誤りがあるというべきである。」