2010年10月31日日曜日

(1)数値範囲に臨界的意義は求められない、(2)発明の効果を奏するのに必要な条件をすべて特許請求の範囲にて特定する必要はない、と判断された事例

知財高裁平成21年(行ケ)第10330号審決取消請求事件

1.概要

 拒絶審決(進歩性欠如)が裁判所において覆された事例である。

 以下の2点の判断が興味深いので紹介したい。

(1)数値範囲が請求項に記載されている場合でも、数値範囲の限定が唯一の相違点ではない場合には、必ずしも数値範囲の臨界的意義、技術的意義が要求されるわけではない。

(2)特許請求の範囲において発明を特定する際,必ずしも,所望の効果を発揮するために必要な条件をすべて特定しなければならないわけではなく,発明を構成する特徴的な条件のみ特定すれば足りる。発明の内容と技術常識に基づき当業者が適宜設定できる条件まで,逐一,発明特定事項とすることが求められるわけではない。

【請求項1】

 薬理学的活性物質を経皮的に配達するための装置であって,

 複数の角質層-穿刺微細突出物を有する部材,および

 部材上の乾燥被膜を含んでおり,

 当該被膜は乾燥前に,一定量の薬理学的活性物質の水溶液を含んでいる装置であって,

 前記薬理学的活性物質が約1mg未満の量を投与される時に治療的に有効であるほど十分に強力であり,前記物質が約50mg/mlを超える水溶性を有し,かつ前記水溶液が約500センチポアズ未満の粘度を有し,

 薬理学的活性物質がACTH(1-24),カルシトニン,デスモプレッシン,LHRH,ゴセレリン,ロイプロリド,ブセレリン,トリプトレリン,他のLHRH類似体,PTH,バソプレッシン,デアミノ[Va14,DArg8]アルギニンバソプレッシン,インターフェロンアルファ,インターフェロンベータ,インターフェロンガンマ,FSH,EPO,GM-CSF,G-CSF,IL-10,グルカゴン,GRF,それらの類似体および医薬として許容できるそれらの塩から成る群から選択されていることを特徴とする装置。

2.裁判所の判断のポイント

上記(1)について

「・・・被告は,本願明細書には,本願補正発明で特定されている数値範囲の内外で,顕著な差異や特異な機能が生じるようなことや数値範囲を限定したことによる技術的意義の記載も示唆もない旨主張する。

 しかし,前記()で検討したとおり,そもそも,本願補正発明は,引用例2(甲2)に記載も示唆もない,部材上の複数の角質層-穿刺微細突出物に,物質の水溶液が乾燥後治療に有効な量となり,有効な塗布厚みとなって付着するようにするとの観点に着目した点で,既に引用発明及び引用例2に開示された手段に基づき容易に想到し得たものとはいえず,本願明細書に本願補正発明の数値限定の技術的意義を明らかにする記載がなければ引用発明及び引用例2に開示された手段に対して進歩性が生じ得ないものではない。

上記(2)について

「このほか,被告は,本願補正発明は(水溶液の)粘度の上限のみ限定され,下限は限定されておらず,粘度が例えば水そのものの粘度とほぼ同じように低い水溶液も含まれるものであり,粘性は大きくなければならない旨の原告の主張と矛盾する旨主張する。

 しかし,特許請求の範囲において発明を特定する際,必ずしも,所望の効果を発揮するために必要な条件をすべて特定しなければならないわけではなく,発明を構成する特徴的な条件のみ特定すれば足りることが通常であって,発明の内容と技術常識に基づき当業者が適宜設定できる条件まで,逐一,発明特定事項とすることが求められるわけではない。

 そして,本願補正発明においては,薬理学的活性物質の水溶液の粘度が約500センチポアズ(cp)未満であれば所望の効果を発揮できるとされている。

 他方で,岩波理化学辞典第5版(株式会社岩波書店発行,甲13)によれば,1p(ポアズ)は10 -1Pa・s(パスカル・秒)であるところ,20℃での水の粘性率は約1.00×10 -3Pa・sとされており,これはすなわち約0.01p=1cpである。

 そうすると,本願補正発明においては,約1~500cpの範囲内で,所望する効果に応じて粘度を適宜設定すれば足りるものであって,「薬理学的活性物質の水溶液の粘度が低い値の場合には,薬理学的活性物質の水溶液はおよそ所望のようには微細突出物上に付着できないものであり,そのような値を含む本願補正発明の数値範囲の限定には格別の意義を見出せない」旨の被告の主張は理由がない。

2010年10月23日土曜日

生物材料が「刊行物に記載されている」といえるかどうかが争われた事例

知財高裁平成22年9月30日判決

平成22年(行ケ)第10029号審決取消請求事件

1.概要

 本願発明は「L612として同定され,アメリカン・タイプ・カルチャー・コレクション(American Type Culture Collection)にATCC受入番号CRL10724として寄託されているヒトのBリンパ芽腫細胞系」である。

 本願発明の発明者が著者として含まれる学術文献(引用例1及び2)には「L612を分泌する・・・細胞系」という記載がある。

 ただし引用例には、本願発明にいうATCC受入番号CRL10724で寄託された細胞である旨の記載はない。第三者の求めに応じて著者が分譲することを明示する記載もない。引用例記載の細胞系と、本願発明の細胞系とが実際には同じ細胞系をさしていることも争いはない。

 審決では、L612細胞系は「刊行物に記載された発明」であると判断し、本願発明の新規性を否定した。

 裁判所は、文献の著者が分譲する意思を有していなかったことに着目し、「刊行物に記載された発明」とはいえず、審決は妥当でないと判断した。

2.裁判所の判断のポイント

「特許法29条1項3号(新規性)適用の有無

審決は,本願優先日前に頒布された引用例1及び2には「L612を分泌する・・・細胞系」なる記載があり,それ以上に本願発明にいうATCC受入番号CRL10724で寄託された細胞である旨の記載はないが,引用例1及び2にいう上記記載は本願発明を記載したことになるから特許法29条1項3号(新規性の欠如)に該当すると判断し,これに対し原告は,上記該当性を争うので,以下,検討する。

(1) 特許は,発明を社会に公開することの代償として,一定期間に限って特許権という独占権を付与するものであるから,特許を受けるには,当該発明が出願前又は優先日前に広い意味で公に知られていないこと(「新規性」があること)が必要であり,特許法29条1項は,これを表すため,「公然知られた発明」(1号)・「公然実施された発明」(2号)・「頒布された刊行物に記載された発明」等(3号)につき,それぞれ新規性がないことを定めているところ,本件は,上記のうち3号の「頒布された刊行物に記載された発明」に該当するかどうかという事案である。

 ところで,上記にいう「刊行物に記載された発明」とは,刊行物に記載されている事項又は記載されているに等しい事項から当業者(その発明が属する技術の分野における通常の知識を有する者)が把握できる発明をいう,と解するのを相当とするところ,本件においては,本願発明が「L612として同定され,アメリカン・タイプ・カルチャー・コレクション(American Type Culture Collection)にATCC受入番号CRL10724として寄託されているヒトのBリンパ芽腫細胞系」であるのに,本願優先日前に刊行された引用例1及び2には「L612を分泌する細胞系」と記載されているだけで,ATCC受入番号の記載がないことから,引用例1及び2における上記記載だけで「刊行物に記載されているに等しい事項」といえるかということを検討する必要がある。

(2) これにつき,審決は,引用例1及び2に記載されたL612細胞系は,第三者から分譲を請求された場合には分譲され得る状態にあったと推定できると認定判断したのに対し,原告はA 博士の宣誓供述書の提出等により,上記の認定判断を争っている。

「・・・引用例1及び2には,ATCCの寄託番号などL612細胞系の内容を特定するに足る記載はなく,また,そもそも細胞系を言葉や化学式などで完全に表現することはできず,引用例1及び2にもそのような記載はないものと認められる。したがって,引用例1及び2に記載された事項のみによっては,引用例1及び2にL612細胞系の発明が記載されているということができない。

 しかし,L612細胞系が,本願優先日前に,引用例1及び2の著者から分譲され得る状態にあれば,L612細胞系の内容が裏付けられ,引用例1及び2にL612細胞系の発明が記載されているということができるものと認められ,この点につき当事者間に争いがない。そうすると,本訴における争点は,L612細胞系が,本願優先日前に引用例1及び2の著者から分譲され得る状態にあったか否かに集約されるものである。

「上記の投稿規定やホームページの内容からみて,原告,被告いずれの翻訳によっても,引用例1及び2が掲載された学術雑誌に投稿した著者は,投稿した論文に記載された生物学的材料について,第三者から分譲の要求があったときは,その要求に応ずるよう求められていたといえる。

 ただ,・・・これらの投稿規定が,上記学術雑誌に投稿した著者に,第三者に対して生物学的材料を提供することを強制しているものとまでは認められない。

 そうすると,引用例1及び2が掲載された学術雑誌に投稿した著者が上記の投稿規定やホームページの内容に従うか否かは,基本的に著者の意思に依存するものというべきである。そして,本件についてみると,引用例1及び2の著者が,上記投稿規定やホームページの内容に反し,L612細胞系について,本願優先日前に第三者から分譲の要求があっても同要求に応じない意思を有していたものであれば,本願優先日前に第三者が引用例1及び2の著者からL612細胞系を入手し得なかったことになり,逆に応ずる意思を有していたのであれば,本願優先日前に第三者が引用例1及び2の著者からL612細胞系を入手し得たことになる。

「引用例1及び2の著者の一人であるA 博士の各宣誓供述書には,以下の記載がある。

(a) 甲15(A 博士の平成21年6月3日付け宣誓供述書)には,以下の記載がある。

「私,A は,以下のとおり供述する。

・・・

4.私は,1993年2月26日前は,仮に当該4人のいずれかからL612細胞系を第三者に頒布することについて許可を求められたとしても,その許可を求められたとしても,その許可を与える意図はなかったし,現実にそのような許可を求められた事実はなく,許可を与えた事実もなかった。

「以上のとおり,本願優先日前,A 博士(及び共同研究者)は,L612細胞系につき,第三者から分譲を要求されても,同要求に応じる意思はなかったものと認められ,その結果,L612細胞系は,第三者にとって入手可能ではなかったことになり,「引用例1,2に記載されるL612細胞系は,第三者から分譲を請求された場合には,分譲され得る状態にあったものと推定することができる」とした審決の認定判断は誤りであって,同誤りが審決の結論に影響を及ぼすおそれがあることは明らかである。

2010年10月10日日曜日

請求項中に機能的表現がある場合のサポート要件判断

知財高裁平成22年9月28日判決
平成22年(行ケ)第10036号

1.概要
 無効審判において、請求人(本件原告)は機能的に表現された構成を備える本件発明1が、旧法36条5項1号(「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」)の要件(サポート要件)に適合しないことなどを主張した。
 無効審判では、発明の詳細な説明では、上記機能的に表現された構成を達成するために必要な具体的態様が十分に示されていることから、この構成が直ちに明細書に具体的に裏付けのない態様を含むものであるとはいえない、として請求を棄却し、特許を維持した。
 裁判所はこの判断を支持した。その要点は以下の通りである。

2.本件発明1(請求項1)
「縫合糸挿入用穿刺針と,該縫合糸挿入用穿刺針より所定距離離間して,ほぼ平行に設けられた縫合糸把持用穿刺針と,該縫合糸把持用穿刺針の内部に摺動可能に挿入されたスタイレットと,前記縫合糸挿入用穿刺針および前記縫合糸把持用穿刺針の基端部が固定された固定部材とからなり,前記スタイレットは,先端に弾性材料により形成され,前記縫合糸把持用穿刺針の内部に収納可能な環状部材を有しており,さらに,該環状部材は,前記縫合糸把持用穿刺針の先端より突出させたとき,前記縫合糸挿入用穿刺針の中心軸またはその延長線が,該環状部材の内部を貫通するように該縫合糸挿入用穿刺針方向に延びることを特徴とする医療用器具。」

3.原告(無効審判請求人)の主張
「請求項1には,縫合糸挿入用穿刺針の中心軸又はその延長線が環状部材の内部を貫通するように縫合糸挿入用穿刺針方向に延びるという作用,機能のみが記載され,それを実現するための具体的構成については,何らの記載もなく,本件特許明細書の発明の詳細な説明においてもその説明がされていないから,旧法36条5項1号(「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」)の要件に適合しないというべきである。」
「特に,環状部材について,中央部又は中央部より若干先端側部分が底部となる湾曲形状の湾曲をやや強くする構成を採った場合,環状部材が,縫合糸把持用刺針から押し出されたとき,縫合糸挿入用穿刺針の側面に衝突してしまい,環状部材の円環平面内部に縫合糸挿入用穿刺針が位置するようにすること(縫合糸挿入用穿刺針の「中心軸」が環状部材の内部を貫通すること)は物理的に困難であるから,「中心軸」が環状部材の内部を貫通する構成が発明の詳細な説明に記載されているとはいえない。」

4.裁判所の判断のポイント
「旧法36条5項1号は,「特許請求の範囲」の記載について,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を要件としている。同号は,特許権者は,業として特許発明の実施をする権利を専有すると規定され,特許発明の技術的範囲は,願書に添付した明細書の「特許請求の範囲の記載」に基づいて定めなければならないと規定されていること(特許法68条,旧法70条)を実効ならしめるために設けられた規定である。同号は,「特許請求の範囲」の記載が,「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項の範囲を超えるような場合に,そのような広範な技術的範囲にまで独占権を付与するならば,当該技術を公開した範囲で,公開の代償として独占権を付与するという特許制度の目的を逸脱することになるため,そのような特許請求の範囲の記載を許容しないものとした規定である。例えば,「発明の詳細な説明」における「実施例」として記載された実施態様等に照らして,限定的で狭い範囲の技術的事項のみが開示されているにもかかわらず,「特許請求の範囲」に,その技術的事項を超えた,広範な技術的範囲を含む記載がされているような場合には,同号に違反することになる。このように,旧法36条5項1号の規定は,「特許請求の範囲」の記載について,「発明の詳細な説明」の記載と対比して,広すぎる独占権の付与を排除する趣旨で設けられたものである。以上の趣旨に照らすならば,旧法36条5項1号所定の「特許請求の範囲の記載が,・・・特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものである」か否かを判断するに当たっては,その前提として「発明の詳細な説明」の記載がどのような技術的事項を開示しているかを把握することが必要となる。なお,
上記のとおり,「特許請求の範囲」に,発明の詳細な説明に記載,開示がされていない技術的事項を含む記載は許されないが,そのことは,「特許請求の範囲」に,およそ機能的な文言が用いられることが,一切許されないことを意味するものでない。
「・・・本件特許明細書の発明の詳細な説明には,挿入針の中心軸又は延長線が環状部材の内部を貫通するという構成を実現するための技術的手段が,具体的に記載されており,特許請求の範囲(請求項1)に記載された技術内容は,発明の詳細な説明に開示された技術的事項を超えるものではない。
 よって,本件特許発明1に係る特許請求の範囲の記載が旧法36条5項1号の要件に適合するとした審決の判断に誤りはない。

ウ これに対し,原告らは,中央部又は中央部より若干先端側部分が底部となる湾曲形状の湾曲をやや強くする構成を採った場合には,環状部材が縫合糸把持用穿刺針から押し出されたときに,環状部材縫合糸挿入用穿刺針の側面に衝突してしまい,環状部材の円環平面内部に縫合糸挿入用穿刺針を位置させる目的(縫合糸挿入用穿刺針の「中心軸」が環状部材の内部を貫通する目的)を達成できない場合がある旨主張する。
 しかし,原告らの主張は採用の限りでない。すなわち,本件特許明細書の前記各記載の技術的事項に照らせば,縫合糸挿入用穿刺針の中心軸が該環状部材の内部を貫通するように,該環状部材が該縫合糸挿入用穿刺針方向に延びることは十分にあり得ることであり,当業者にとっては,そのことが発明の詳細な説明において記載されていると理解されるから,原告らの主張は,採用の限りでない。」

2010年10月3日日曜日

特許請求の範囲の明確性が争われた事例

知財高裁 平成22年9月30日判決

平成21年(行ケ)第10353号審決取消請求事件

1.概要

 特許請求の範囲の文言が不明確であるとする審決が取り消された事例である。

 文言の明確性は求められれば際限がない。裁判所は「第三者に迷惑をかけるほど不明確か?」という観点から明確性要件を判断しているように思われる。類似の判決としては、知財高裁平成211013日判決平成21年(行ケ)第10130号審決取消請求事件(本ブログ2009118日記事)、知財高裁平成22年8月31日判決平成21年(行ケ)第10434号審決取消請求事件(本ブログ2010911日記事)などがある。

2.本件発明

 本件発明1(請求項1)及び本件発明2(請求項2)は以下のとおりである。

「【請求項1】

 成型され,表面にカビが生育するまで発酵させたチーズカードの間に香辛料を均一にはさんだ後,前記チーズカードを結着するように熟成させて,結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化させ,その後,加熱することにより得られる,結着部分からのチーズの漏れがない,香辛料を内包したカマンベールチーズ製品。

【請求項2】

 成型され,表面にカビが生育するまで発酵させたチーズカードの間に香辛料を均一にはさみ,前記チーズカードを結着するように熟成させることにより,結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化させ,その後,加熱することを特徴とする,結着部分からのチーズの漏れがない,香辛料を内包したカマンベールチーズ製品の製造方法。」

3.審決の判断

「「結着部分から引っ張」るということは,結着部分に力を加えることを意味していると解される。ここで,加える力を大きくしていけば,チーズはその力に耐えられなくなり,最終的に結着部分ははがれる。つまり,引っ張る力に上限がなければ,いかなるチーズでも,結着部分がはがれてしまう。そして,「結着部分から引っ張」る力の大きさがどの程度であるかについて,当業者であっても共通の認識を有しているとは認められない。よって,「結着部分から引っ張」る力の大きさが規定されていないために,当業者であっても,「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」しているかどうかを判断することができず,本件訂正発明1及び2は明確でない。

 一方,被請求人は,平成20年10月16日付答弁書(2)において,「白カビチーズ製品関連の技術分野の当業者であれば,一体化の程度が結着部分から引っ張って結着部分がはがれない状態にあるか,又は,はがれる状態にあるかを判断できることであるから,本件訂正発明の範囲が明瞭である。」と主張している(第19頁第2段落)。しかし,結着部分から引っ張る力の大きさがどの程度であるかについて,当業者であれば共通の認識を有していることが具体的に示されてはおらず,被請求人の主張は採用できない。

 また,被請求人は,平成21年8月28日付上申書において,「結着部分を引っ張った時に,結着部分がはがれない状態を良好とし,結着部分から簡単にはがれてしまう状態を不良とした結着状態の評価を行って」いることから,「結着部分を引っ張る力が規定されていなくとも」「結着状態の評価はなし得る」と主張している(第33頁第32行-第34頁第2行)。また,「結着部分を引っ張る力の問題ではなく,結着部分の状態が問題になるのであり」(第34頁第4-5行),「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」とは「結着部分からのチーズの漏れがなく,切断時に結着部分がはがれず,切り分けたチーズを白カビで覆われた部分をつかむことで指を汚さないで済むことを意味している」(第34頁第9-11行)とも主張し,「「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない」とは,その評価方法からしても,結着部分の強度がそれ以外の外皮部分と同等あるいはそれ以上の強度を有することを意味していることは明白であるから,発明の範囲は明瞭である。」(第34頁第13-16行)としている。

 しかし,「結着部分がはがれない状態を良好とし,結着部分から簡単にはがれてしまう状態を不良とした結着状態の評価」は,実施例において採用されている評価方法にすぎず,特許請求の範囲にはなんら記載がないため,この評価方法に基づいて「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」しているかどうかを判断できるという被請求人の主張は採用できない。仮に,この評価方法に基づいて判断するとした場合でも,「簡単に」はがれるかどうかには主観的な判断が含まれるため,「簡単に」はがれてしまうかどうかを客観的に判断するためには,引っ張る力の大きさを規定しておく必要があり,結着部分を引っ張る力が規定されていなくとも結着状態の評価はなし得るということはできない。・・・」

4.裁判所の判断のポイント

 裁判所は審決における上記判断は誤りであると判断した。

「審決は,請求項1及び請求項2における「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」との記載について,「引っ張る力に上限がなければ,いかなるチーズでも,結着部分がはがれてしまう。そして,「結着部分から引っ張」る力の大きさがどの程度であるかについて,当業者であっても共通の認識を有しているとは認められない。」として,当業者であっても「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」しているかどうかを判断することができないから,本件発明1及び本件発明2は明確でなく,法36条6項2号の要件を満たさないと判断する。

 しかし,審決の上記判断は,以下のとおり,失当である。

 すなわち,請求項1及び請求項2における「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」記載部分は,チーズが,結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に至っていることを,ごく通常に理解されるものとして特定したというべきである。すなわち,本件発明1及び本件発明2のようなカマンベールチーズ製品及びその製造方法において,チーズの結着部分以外の部分であっても,仮に,一定以上の強い力を加えて引っ張れば,表皮は裂けるし,そのような強い力を加えなければ,表皮がはがれることはない。上記構成は,チーズの結着部分について,チーズの結着部分以外の部分における結着の強さと同じような状態にあることを示すために,「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」との構成によって特定したと理解するのが合理的である。また,上記記載部分をそのように解したからといって,特許請求の範囲の記載に基づいて行動する第三者を害するおそれはないといえる。

 したがって,上記記載が不明確であって法36条6項2号の要件を満たさないとした審決の判断は,誤りである。」