2010年2月20日土曜日

「新規事項追加」の拒絶を解消するための補正は「最後の拒絶理由通知書の応答時」等には却下される

平成20年3月19日判決

知的財産高等裁判所平成19年(行ケ)第10159号

1.概要とコメント

 本事例によれば、最初の拒絶理由応答時に追加した補正事項が「新規事項の追加」に該当するとの指摘を解消するために当該補正事項を削除する補正は、特許法第17条の2第4項(現在の第5項)に規定する請求項の削除(1号)、特許請求の範囲の減縮(2号)、誤記の訂正(3号)、明りょうでない記載の釈明(4号)のいずれにも該当しなければ(該当しないことが通常であるが)、「最後の拒絶理由通知書の応答時」又は「拒絶査定不服審判請求時」には却下される。

 出願人側には酷な話である。この場面での現実的な対応としては、担当審査官に電話連絡し補正が認められるか確認する。許可されるのであれば補正書を提出し、許可されないのであれば分割することが考えられる。特許法第17条の2第5項違反自体は無効理由ではないことから、担当審査官が補正を許可してくれさえすれば無効審判で問題となることもない。

 質問すると却ってやぶへびになる可能性もあるので、審査段階の「最後の拒絶理由通知」の場面では担当審査官には質問せずに認められて当然のような態度で補正書を提出し、許可されず査定となってしまった段階で分割出願するほうが賢明かもしれない。

2.裁判所の判断のポイント

「原告は,特許請求の範囲における新規事項の追加状態を解消する補正は,記載不備状態を解消するためのもので,第三者に不測の不利益を与えることもないから,特許請求の範囲の不明りょうな記載を明りょうな記載にする補正として取り扱うべきであり,本件補正は「明りょうでない記載の釈明」を目的とした補正に該当し,補正の要件を満たすものであると主張する。」

「拒絶査定(甲第11号証)には,次の記載がある。

 ・・・上記事項は,膜厚の面内均一性の上限値を5%以下とするという出願当初明細書に記載のない,新たな発明を記載したものである。つまり,出願当初明細書の何れの記載を検討しても,膜厚の面内均一性の上限値を5%という数値で区切るという記載も示唆もない。

 よって,上記補正によって付加された事項は,出願当初明細書の記載の範囲内において行われた事項とは認められない。」

「(3)・・・原告は,新規事項の追加状態を解消する補正は,記載不備状態を解消するためのものであり,第三者に不測の不利益を与えることもないから,特許請求の範囲の不明りょうな記載を明りょうな記載に補正するものとして取り扱うべきであると主張する。

 しかし,特許法17条の2第4項4号は,「明りょうでない記載の釈明(拒絶理由通知に係る拒絶の理由に示す事項についてするものに限る。)」と規定しているから,「明りょうでない記載の釈明」を目的とする補正は,法律上,審査官が拒絶理由中で特許請求の範囲が明りょうでない旨を指摘した事項について,その記載を明りょうにする補正を行う場合に限られており,原告の主張する「新規事項の追加状態を解消する」目的の補正が特許法17条の2第4項4号に該当する余地はない。

(4)本件補正は,補正前の請求項3の「前記ガス噴射孔の先端と前記被処理体のエッジとの間の水平方向の距離は,膜厚の面内均一性を5%以下にするために0~70mmの範囲内に設定されることを特徴とする請求項1又は2記載のプラズマ処理装置。」を「前記ガス噴出孔の先端と前記被処理体のエッジとの間の水平方向の距離は,0~70mmの範囲内に設定されることを特徴とする請求項1又は2記載のプラズマ処理装置。」に変更するものである。

 本件補正は,補正前の請求項3から,発明の内容を規定する「膜厚の面内均一性を5%以下にするために」という文言を削除するものであるから,「請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定する」補正に該当しないことは明らかであり,特許法17条の2第4項2号に規定する「特許請求の範囲の減縮」を目的とする補正に該当しない。

(5)以上のとおり,本件補正は,特許法17条の2第4項各号のいずれにも当たらないから,同項の規定に違反するものとして却下されるべきであるとした審決の判断に誤りはない。」

2010年2月13日土曜日

薬理データとサポート要件に関する重要判決

薬理データとサポート要件に関する重要判決

平成22年1月28日判決

平成21年(行ケ)第10033号審決取消請求事件

1.概要

 本願請求項1に記載の発明はスイスタイプクレームで記載された以下の医薬用途発明である:

「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用。」

 本願明細書の発明の詳細な説明には、「性欲障害治療」に有効であることの in vitroまたはin vivoデータ(医薬発明審査基準が求めている「数値データ」)は記載されていない。

 審決は本願に係る発明の詳細な説明において,「フリバンセリン類の性欲障害治療用薬剤としての有用性を裏付ける薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がない」ことを根拠として,本願は,特許法36条6項1号の要件(サポート要件)を満たさないと判断した。

 裁判所は、医薬として実際に有効であるか否かの問題は、サポート要件の充足性の問題ではなく、特許法36条4条1号の要件(実施可能要件)の充足性の問題であるから、サポート要件を満たさないと判断した審決を取り消した。

2.コメント

 知財高裁平成17年(行ケ)第10042号事件平成17年11月11日判決以降、医薬用途発明の審査において発明の詳細な説明に薬理データが開示されていない場合には、特許法36条6項1号要件(サポート要件)と、特許法36条4条1号要件(実施可能要件)の両方を満たさないと判断されることが一般的となった。それ以前は、実施可能要件違反のみが拒絶理由となる場合が多かった。

 今回の判決は、サポート要件違反とすることは適当ではなく、専ら実施可能要件の問題として取り扱うべきであると判断した点で重要な判決と考えられる。

 ただし裁判所は、医薬用途発明の審査において発明の詳細な説明に薬理データが開示されていない場合において実施可能要件までも必ず満たされると判断しているわけではない。判決中では薬理データの開示がない場合には「その発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されていないとされる場合は多いといえるであろう。」と記載している。今後の審判合議体での実施可能要件についての判断、特に、出願人による実験データ後出しで有用性の立証を試みた場合に拒絶は回避できるのか否か、は大変興味深く、注視してゆきたい。

 上記知財高裁平成17年(行ケ)第10042号事件のポイントの一つは、実施データが十分に開示されていない場合にサポート要件違反と認定した場合には、出願人が追加実施データを提出しても認定は覆せないと判断したことにあった。この判決が、サポート要件違反の場合に「薬理データの後出しは一切認めない」ことの根拠の一つともなっているように思われる。一方、実施可能要件違反であれば追加実施データの提出により拒絶の認定を覆すことができる余地もあると思われる。

3.審決のポイント

「医薬についての用途発明においては,一般に,有効成分の物質名,化学構造だけからその有用性を予測することは困難であり,発明の詳細な説明に有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されている場合であっても,それだけでは当業者が当該医薬が実際にその用途において有用性があるか否かを知ることができないから,特許を受けようとする発明が,発明の詳細な説明に記載したものであるというためには,発明の詳細な説明において,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている必要があり,発明の詳細な説明にそれがなされていないならば,特許請求の範囲の記載は,法36条6項1号に規定する要件を満たさないものであるといわなければならない。」

「本願明細書の発明の詳細な説明の(a)(f)の記載は,・・・フリバンセリン類が性欲障害治療用薬剤として有用であることを裏付ける薬理データと同視すべき程度の記載とはいえない。したがって,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願発明の医薬としての有用性を裏付ける薬理データも薬理データと同視すべき程度の記載もなされていない。・・・以上のとおり,本願は,特許法第36条第6項第1号に規定する要件を満たしていない。」

4.裁判所の判断のポイント

当裁判所は,審決が,法36条6項1号所定の「特許請求の範囲の記載は,・・・特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」との要件を満たすためには,医薬の用途発明では「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をする」ことが必要であると同項を解釈し,本願の特許請求の範囲は,同項1号の要件を満たさないとした点には,誤りがあると判断する

 その理由は,以下のとおりである。

1 法36条4項1号と同条6項1号の関係について

(1) 法36条4項1号と6項1号の各規定の趣旨

 ・・・法36条4項1号は,「発明の詳細な説明」の記載については,「発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項」(特許法施行規則24条の2)により「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものである」ことを,その要件として定めている。同規定の趣旨は,特許制度は,発明を公開した者に対して,技術を公開した代償として一定の期間の独占権を付与する制度であるが,仮に,特許を受けようとする者が,第三者に対して,発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他の発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を開示することなく,また,発明を実施するための明確でかつ十分な事項を開示することなく,独占権の付与を受けることになるのであれば,有用な技術的思想の創作である発明を公開した代償として独占権が与えられるという特許制度の目的を失わせることになりかねず,そのような趣旨から,特許明細書の「発明の詳細な説明」に,上記事項を記載するよう求めたものである。

 これに対して,法36条6項1号は,「特許請求の範囲」の記載について,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を要件としている。同号は,特許権者は,業として特許発明の実施をする権利を専有すると規定され,特許発明の技術的範囲は,願書に添付した「特許請求の範囲の記載」に基づいて定めなければならないと規定されていること(法68条,70条1項)を実効ならしめるために設けられた規定である。仮に,「特許請求の範囲」の記載が,「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項の範囲を超えるような場合に,そのような広範な技術的範囲にまで独占権を付与することになれば,当該技術を公開した範囲で,公開の代償として独占権を付与するという特許制度の目的を逸脱するため,そのような特許請求の範囲の記載を許容しないものとした。例えば,「発明の詳細な説明」における「実施例」等の記載から,狭い,限定的な技術的事項のみが開示されていると解されるにもかかわらず,「特許請求の範囲」に,その技術的事項を超えた,広範な技術的範囲を含む記載がされているような場合には,同号に違反するものとして許されない。

・・・

(2) 法36条6項1号への適合性判断について

 「特許請求の範囲の記載」が法36条6項1号に適合するか否か,すなわち「特許請求の範囲の記載」が「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものである」か否かを判断するに当たっては,その前提として「発明の詳細な説明」がどのような技術的事項を開示しているかを把握することが必要となる。そして,法36条6項1号の規定は,「特許請求の範囲」の記載に関してその要件を定めた規定であること,及び,発明の詳細な説明において開示された技術的事項と対比して広すぎる独占権の付与を排除するために設けられた規定であることに照らすならば,同号の要件の適合性を判断する前提としての「発明の詳細な説明」の開示内容の理解の在り方は,上記の点を判断するのに必要かつ合理的な方法によるべきである。他方,「発明の詳細な説明」の記載に関しては,法36条4項1号が,独立して「発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他の・・・技術上の意義を理解するために必要な事項」及び「(発明の)実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載した」との要件を定めているので,同項所定の要件への適合性を欠く場合は,そのこと自体で,その出願は拒絶理由を有し,又は,独立の無効理由(特許法123条1項4号)となる筋合いである。そうであるところ,法36条6項1号の規定の解釈に当たり,「発明の詳細な説明において開示された技術的事項と対比して広すぎる独占権の付与を排除する」という同号の趣旨から離れて,法36条4項1号の要件適合性を判断するのと全く同様の手法によって解釈,判断することは,同一事項を二重に判断することになりかねない。仮に,発明の詳細な説明の記載が法36条4項1号所定の要件を欠く場合に,常に同条6項1号の要件を欠くという関係に立つような解釈を許容するとしたならば,同条4項1号の規定を,同条6項1号のほかに別個独立の特許要件として設けた存在意義が失われることになる。

 したがって,法36条6項1号の規定の解釈に当たっては,特許請求の範囲の記載が,発明の詳細な説明の記載の範囲と対比して,前者の範囲が後者の範囲を超えているか否かを必要かつ合目的的な解釈手法によって判断すれば足り,例えば,特許請求の範囲が特異な形式で記載されているため,法36条6項1号の判断の前提として,「発明の詳細な説明」を上記のような手法により解釈しない限り,特許制度の趣旨に著しく反するなど特段の事情のある場合はさておき,そのような事情がない限りは,同条4項1号の要件適合性を判断するのと全く同様の手法によって解釈,判断することは許されないというべきである。

・・・

3 審決の理由の当否について

(1) 審決は,本願について,「特許請求の範囲」の記載と「発明の詳細な説明」の記載の範囲を対比して,前者の範囲が後者の範囲を超えているか否かを判断したのではなく,要するに,特許明細書の「発明の詳細な説明」には,フリバンセリン類の性欲障害治療用薬剤としての「有用性を裏付ける薬理データ又はそれと同視すべき程度」の記載がされていないことのみを理由として,法36条6項1号所定の要件を満たしていないとするものである。

 しかし,「発明の詳細な説明」に「有用性を裏付ける薬理データ又はそれと同視すべき程度」の記載がされていない限り,法36条6項1号所定の要件を満たさないことを肯定するに足りる論拠は述べられていないというべきである。

ア 審決は,その理由中において,「医薬についての用途発明においては,一般に,有効成分の物質名,化学構造だけからその有用性を予測することは困難であり,発明の詳細な説明に有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されている場合であっても,それだけでは当業者が当該医薬が実際にその用途において有用性があるか否かを知ることができないから,特許を受けようとする発明が,発明の詳細な説明に記載したものであるというためには,発明の詳細な説明において,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている必要があ(る)」(審決書2頁22行~29行)と述べている。同部分は,法36条4項1号の要件充足性を判断する前提との関係では,同号の趣旨に照らし,妥当する場合があることは否定できない。

 すなわち,法36条4項1号は,特許を受けることによって独占権を得るためには,第三者に対し,発明が解決しようとする課題,解決手段,その他の発明の技術上の意義を理解するために必要な情報を開示し,発明を実施するための明確でかつ十分な情報を提供することが必要であるとの観点から,これに必要と認められる事項を「発明の詳細な説明」に記載すべき旨を課した規定である。そして,一般に,医薬品の用途発明が認められる我が国の特許法の下においては,「発明の詳細な説明」の記載に,用途の有用性を客観的に検証する過程が明らかにされることが,多くの場合に妥当すると解すべきであって,検証過程を明らかにするためには,医薬品と用途との関連性を示したデータによることが,最も有効,適切かつ合理的な方法であるといえるから,そのようなデータが記載されていないときには,その発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されていないとされる場合は多いといえるであろう。

 しかし,審決が,法36条6項1号の要件充足性との関係で,「発明の詳細な説明において,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている必要があ(る)」と述べている部分は,特段の事情のない限り,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることが,必要不可欠な条件(要件)ということはできない。法36条6項1号は,前記のとおり,「特許請求の範囲」と「発明の詳細な説明」とを対比して,「特許請求の範囲」の記載が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲を超えるような広範な範囲にまで独占権を付与することを防止する趣旨で設けられた規定である。そうすると,「発明の詳細な説明」の記載内容に関する解釈の手法は,同規定の趣旨に照らして,「特許請求の範囲」が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲のものであるか否かを判断するのに,必要かつ合目的的な解釈手法によるべきであって,特段の事情のない限りは,「発明の詳細な説明」において実施例等で記載・開示された技術的事項を形式的に理解することで足りるというべきである。

 したがって,審決が,発明の詳細な説明に「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている」ように記載されていない限り,特許請求の範囲の記載は,法36条6項1号に規定する要件を満たさないとした部分は,常に妥当するものではなく,そのことのみを理由として,法36条6項1号に反するとした判断は,特段の事情があればさておき,このような特段の事情がない限りは,理由不備があるというべきである。

イ そして,審決は,理由中において,発明の詳細な説明の具体的な記載の検討をし,「本願明細書の発明の詳細な説明には,本願発明の医薬としての有用性を裏付ける薬理データも薬理データと同視すべき程度の記載もなされていない。」として,本願は,法36条6項1号所定の要件を満たさないと結論付けた。

 しかし,審決は,発明の詳細な説明の記載によって理解される技術的事項の範囲を,特許請求の範囲との対比において,検討したのではなく,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載」があるか否かのみを検討して,そのような記載がないことを理由として,法36条6項1号の要件充足性がないとしたものであって,本願の特許請求の範囲の記載が,どのような理由により,発明の詳細な説明で記載された技術的事項の範囲を超えているかの具体的な検討をすることなく,同条6項1号所定の要件を満たさないとした点において,理由不備の違法があるというべきである。また,本件においては,「特許請求の範囲」が特異な形式で記載され,法36条6項1号の要件を充足しないと解さない限り,産業の発展を阻害するおそれが生じるなど特段の事情は存在しない。

・・・

エ 以上検討したとおり,審決は,法36条6項1号の要件を満たすためには,常に「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がないこと」が必要であるとの前提に立って,本願では,「薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がないこと」のみを理由に,同条6項1号の要件を充足しないとしたものであって,審決の判断には,理由不備の違法がある。

(2) 以上のとおり,審決の判断には,法36条6項1号についての誤った前提に基づいて,その要件を満たさないとした点において理由不備の違法がある。のみならず,具体的な事案に照らしても,以下のとおり,法36条6項1号に適合しないとした審決の判断には誤りがある。

・・・

 すなわち,本願明細書の「発明の詳細な説明」には,①性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において,場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが,性欲強化特性を示すこと,②性的欲求低下障害(Hypoactive Sexual Desire Disorder),性欲の喪失(loss),性欲の不足(lack),性欲の低下(decrease),性欲の抑制(inhibit),リビドーの喪失,リビドーの混乱(disturbance)及び不感症(frigidity)からなる群より選ばれる疾患治療用薬剤を製造するために使用されること,③フリバンセリンの有益な効果は,病因から独立して観察され得ること,④女性の性的不全治療用薬剤を製造するための使用が好ましいこと,⑤適切な酸付加塩の例示として,塩酸塩及び臭化水素酸塩を挙げ,特に塩酸塩が好ましいこと,⑥医薬配合物の実施例として,タブレット(2つ),有被覆タブレット,カプセル,アンプル溶液,座薬の6つの製剤について,各製剤の構成成分,成分量及び製造方法等が記載されている。

 そうすると,本願発明の特許請求の範囲の「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用。」との記載に係る技術的事項は,上記発明の詳細な説明に記載,開示された事項を超えるものではないと解される。

 なるほど,本願明細書の発明の詳細な説明においては,「フリバンセリンが,性欲強化特性を有する」等の技術的事項が確かであること等の論証過程に関する具体的な記載はされていない。

 しかし,発明の詳細な説明に記載された技術的事項が確かであること等の論証過程に解する具体的な記載を欠くとの点については,専ら,法36条4項1号の趣旨に照らして,その要件の充足を判断すれば足りるのであって,法36条6項1号所定の要件の充足の有無の前提として判断すべきでないことは,前記説示のとおりである(なお,発明の詳細な説明に記載された技術的事項が確かであるか否か等に関する具体的な論証過程が開示されていない場合において,法36条4項1号所定の要件を充足しているか否かの判断をするに際しても,たとえ具体的な記載がなくとも,出願時において,当業者が,発明の解決課題,解決手段等技術的意義を理解し,発明を実施できるか否かにつき,一切の事情を総合考慮して,結論を導くべき筋合いである。)。」

2010年2月7日日曜日

引用発明を都合よく解釈して進歩性なしと判断した審決が取り消された事例

平成21年12月22日判決

平成21年(行ケ)第10080号審決取消請求事件

1.背景と概要

 進歩性欠如の拒絶査定審決では、引用発明の記載を都合よく解釈し、更に場面に応じて「周知技術」の名の下で論理の飛躍を補って、対象発明が容易に想到可能であると結論付けられることがある。

 本事例はそのような拒絶審決が取り消された事例である。

1.1.審決の理由

「本件補正発明は,下記アの引用例1に記載された発明(以下「引用発明1」という。)、引用例2に記載された発明(以下「引用発明2」という。)及び参考例1,2に記載された周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により,特許出願の際独立して特許を受けることができない」

1.2.本件補正発明に係る特許請求の範囲の請求項1

「a)ほぼ薄板状で,第1側部,第2側部,第1端部と第2端部を有する長手軸,この長手軸と平行に伸び,第1端部と第2端部で終焉する第1縁部と第2縁部,及び,前記第1端部と第2端部のほぼ中心において前記第1縁部および前記第2縁部よりも幅の狭いくびれ部を有する可撓性材料からなる少なくとも1つの連続層と,

b)発熱組成物を含む複数のヒートセルであって,各ヒートセルは隔離されると共に可撓性材料からなる前記少なくとも1つの連続層に固定されるか,または前記少なくとも1つの連続層の内部に固定され,各ヒートセルは,前記長手軸に対してほぼX字型に隔離配設される,複数のヒートセルと,

c)前記第1端部と前記第2端部あるいはこれらの近傍に配設され,使用者の身体に温熱身体ラップを取り外し可能に取り付けるための手段とを有する一体積層構造体を備え,前記取り付け手段は,確実な初期および長期的取り付けや取り付け直しを可能にし,皮膚から簡単にかつ痛みのない取り外しができ,前記ラップの取り外し後に皮膚にほとんど残留しない,使い捨て温熱身体ラップ。」

1.3.本件補正発明と引用発明1との一致点及び相違点2

一致点:a’)ほぼ薄板状で,第1側部,第2側部,第1端部と第2端部を有する長手軸,この長手軸と平行に伸び,第1端部と第2端部で終焉する第1縁部と第2縁部を有する可撓性材料からなる少なくとも1つの連続層と,

b’)発熱組成物を含む複数のヒートセルであって,各ヒートセルは隔離されると共に可撓性材料からなる前記少なくとも1つの連続層に固定されるか,または前記少なくとも1つの連続層の内部に固定され,各ヒートセルは,隔離配設される,複数のヒートセルと,

c’)使用者の身体に温熱を与えるように温熱身体ラップを取り外し可能に取り付けるための手段とを有する一体積層構造体を備えた使い捨て温熱身体ラップ。

相違点2:本件補正発明の各ヒートセルは,長手軸に対してほぼX字型に隔離配設されるのに対して,引用発明1のヒートセル(セル16)は,隔離配設されるものの,X字型の配設ではない点。

1.4.相違点2に関する審決の判断

 本件審決は,相違点2について以下のとおり判断した。

引用発明1において,その使用目的からみて,使用者が装着している時,使用者の身体又は各部位のさまざまな領域の運動に順応することは,当然に要求される事項と認められるところ,そのような目的の配置として,X字型の配設は,従来周知(参考例2の図4,5,【0013】)の技術であり,それぞれが隔離配設される引用発明1においても,運動に順応する周知の配置を排除する格別の事情は認められない。してみれば,引用発明1に周知の技術を適用して相違点2に係る本件補正発明の発明特定事項のようにすることは当業者が容易に想到し得たことである。」

2.裁判所の判断のポイント

2.1.取消事由2(相違点2の判断の誤り)について

(1) 本件補正発明におけるX字型の隔離配設の意義

・・・

 人体の痛みを治療する一般的な方法は,患部に熱を局所的に加えることであり,そのために渦流浴,蒸しタオルなどが使用されるが,これらの使用は定期的かつ長期的な使用には不向きであり,また使用者の動きを制限し位置決めを維持できないことから(【0001】),鉄の酸化に基づいた使い捨てのヒートパックが用いられるようになっているが,そのようなヒートパックは,多くがかさばり,安定的な制御温度を維持できず,さまざまな体型に容易にまた快適に順応できないという問題があった・・・。

 本件補正発明は,このような課題を解消する使い捨ての温熱ラップを提供するものであり,ラップの長手方向中心に幅の狭いくびれ部を形成し,発熱組成物を隔離して配置した複数のヒートセルとしてこれを長手軸にほぼX字型に配置すると共に,ラップを身体に取り付けるための手段は,取り付け直しを可能としている・・・。

 これにより,本件補正発明の使い捨て温熱ラップは,比較的迅速に作動温度に到達して持続的な温度を維持し,良好で全体的なドレープ性(まとわせ性)を有し,さまざま体型に適応して,身体に取り外し可能に取り付けられる・・・。

 特に,ラップの長手方向中心にくびれ部が形成され,ヒートセルがX字型に配置されているので,使用者が装着しているときに温熱身体ラップがねじり曲がり,身体部位のさまざまな領域に順応し,四肢の曲げ能力を妨害したりしないという意義を有するものである・・・。」

(2) 参考例2に記載された事項

・・・

 参考例2に示されたサポータは,関節部位に適用され,関節を被覆するものである。そして,X状になっているのは,関節部分に使用するサポータの形状であり,電熱片(電熱線)そのものがX状に布設されているわけではない。」

(3) 本件審決の相違点2に係る判断の当否

・・・

イ・・・前記(2)認定のとおり,参考例2に示された関節部位に適用されるサポータにおいて,X状になっているのは,関節部分に使用するサポータの形状であり,電熱片(電熱線)そのものがX状に布設されているわけではない。そして,参考例2のサポータの使用方法としては,X状に裁断されたサポータの交点で関節を覆い,関節を挟んだ各片同士を接続することにより,サポータを身体に装着するもの,具体的には,例えば肘に装着する場合,肘の外側にサポータにおけるX状の交点をあてがい,上腕側,下腕側にそれぞれ位置する2つの片同士を,互いに腕に巻き付けて上腕側片同士,下腕側片同士を相互に接続することにより,肘に装着するものと認められるのである。

 参考例2に示されたサポータは,上記のように装着することにより,肘の折り曲げ部内側にはサポータ片が存在しないため,肘を屈伸しても,サポータが障害とならないことから,参考例2のサポータは,活発に活動する関節部位の使用に適合するとされ,またそのためにサポータの全体形状がX状とされているものと解される。

ウ 他方,前記(1)認定の事実によれば,本件補正発明のヒートセルがX字型に隔離して配設されているのは,身体のねじりのような斜め方向の曲げに対して,ヒートセルが障害とならず,全体形状としては長方形に近い温熱身体ラップが,ねじりに追随して曲がりやすいことを意味し,これにより身体の様々な領域に順応することができるとされているものと解される。

エ 上記イ,ウのとおり,参考例2のサポータが全体形状としてX状であることと,本件補正発明の全体形状としては長方形に近い身体温熱ラップにおいて,ヒートセルがX字型に隔離して配設されることは,X状ないしX字型といっても,その意義ないし機能は本質的に異なるものであり,またそれにより身体の適用可能な部位も異なることになる。

 このように,X状ないしX字型に関する両者の意義ないし機能が異なるのであるから,参考例2における,内部に電熱線が均一に布設されたサポータが全体形状としてX状にされている構成のうち,「X状」という技術事項のみを取り出し,本件補正発明の身体温熱ラップ内に存在するヒートセルの配設の形態に適用する動機付けは存在せず,引用発明1に参考例2を適用して,相違点2に係る構成とすることはできないといわざるを得ない。

オ 本件審決は,「使用者が装着している時,使用者の身体または各部位のさまざまな領域の運動に順応することは,当然に要求される事項」とした上,「そのような目的の配置として,X字型の配設は,従来周知」として,参考例2を挙げるが,参考例2をもって,上記周知技術ということはできない。そして,他に,上記事項が周知であることを認めるに足りる証拠はない。

カ したがって,引用発明1に周知技術を適用して相違点2に係る構成を想到することが,当業者にとって容易であるとした本件審決の判断は,誤りといわなければならない。」