2010年8月20日金曜日

マーカッシュ形式で開示された先行技術に対する下位概念発明(選択発明)の新規性

昭和62年9月8日判決
東京高等裁判所昭和60年(行ケ)第51号

1.概要
 先行技術文献に、複数の選択肢を含むマーカッシュ形式で開示された発明のうち、実施例などで具体的に開示されていない選択肢の組合せは新規性を有するかどうかについて判断された事例である。古い判決ではあるが今日でも重要な判決である。
 この判決文では裁判所は「先行発明によつて奏される効果とは異質の効果、又は同質の効果であるが際立つて優れた効果を奏する場合には先行発明とは独立した別個の発明として特許性を認める」と判示する。要するに、進歩性があると認められるような格別の効果を奏する選択肢の組合せについては、例外的に新規性も認めるという立場である。本ブログにて2009年12月27日に掲載した数値限定発明の新規性が争われた事例(東京高裁平成5年12月14日判決、平成4年(行ケ)第168号審決取消請求事件)でも同様な判断がされている。

2.判決ポイント
「2(一)原告は、本願発明は、引用例記載の発明の式TiXjにおけるX成分としてホウ素のみを選択することを必須要件とし、これによつて顕著な効果を奏するものであるから、いわゆる選択発明として特許すべきである旨主張する。
 いわゆる選択発明は、構成要件の中の全部又は一部が上位概念で表現された先行発明に対し、その上位概念に包含される下位概念で表現された発明であつて、先行発明が記載された刊行物中に具体的に開示されていないものを構成要件として選択した発明をいい、この発明が先行発明を記載した刊行物に開示されていない顕著な効果、すなわち、先行発明によつて奏される効果とは異質の効果、又は同質の効果であるが際立つて優れた効果を奏する場合には先行発明とは独立した別個の発明として特許性を認めるのが相当である。この選択発明の特許性は、従来主として有機化合物の技術分野において問題とされてきたが、本願発明のような合金の技術分野においても成立し得るものと解すべきである。
 そして、選択発明とされるものが先行発明が記載された刊行物(以下刊行物が明細書であつて、先行発明が特許請求の範囲に記載されている場合について述べる。)中に具体的に開示されていないかどうかは、もとより先行発明の明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて判断すべきものであるが、右判断は、特許請求の範囲に要約された当該発明の構成に関する発明の詳細な説明の記載を実施例の記載を含めて斟酌してなすべきものと考えられる。
(二)本願発明の非晶質金属合金の成分及び成分割合は引用例記載の非晶質金属合金の成分及び成分割合に包含され、両者はその構成において上位概念(引用例記載の発明)と下位概念(本願発明)の関係にあり、かつ、両者は引張強さ、硬度及び熱安定性を有するものであることにおいて同一性質のものであることは前記1認定のとおりであり、前掲甲第三号証によれば、引用例に記載された実施例1ないし29中には、式TiXjにおけるX成分としてホウ素のみを選択した非晶質金属合金は一例もなく、発明の詳細な説明中にこの点についての具体的な開示は存しないことが認められる。
 したがつて、本願発明の非晶質金属合金の持つている前記引張強さ、硬度及び熱安定性という性質によつて把握される本願発明の効果が引用例記載の発明に比して際立つて優れたものであることが認められる場合には、本願発明は引用例記載の発明とは別個の発明として特許性を付与されるというべきである。
 被告は、選択発明の成立要件の一つとして後行発明が先行発明を記載した刊行物中に具体的に記載されていないことを要するとした上で、合金に関する発明である本願発明及び引用例記載の発明についても,有機化合物の用途発明についてとられている処理の仕方と同様に、先行発明の特許請求の範囲に記載された化合物の各部位の置換基がマーカツシユ型式によつて限定されている場合には、一つの特許請求の範囲に記載された化合物に該当する化合物で実施例に挙げられていないものについては、実施例に挙げられている化合物と均等な効果を奏するという意味において実質的に記載があるものとみるべきところ、引用例記載の発明は特許請求の範囲において構成要件の一部がマーカツシユ型式で限定されているから、引用例に記載の実施例1ないし29中にはX成分としてホウ素を単独で含む例は一例もないとはいえ、右実施例はすべてがX成分としてホウ素のみを含む合金と均等な合金についての実施例というべきであり、その結果として、引用例にはX成分としてホウ素のみを含む合金についても実質的に開示があつたことになる旨主張する。
 いわゆるマーカツシユ型式は、化学関係特許に用いられる特許請求の範囲の表現型式であつて、二以上の物質又は官能基等の名を列記し、「そのなかから選択されたもの」という型式でこれを表現するものであり、引用例の式TiXjにおけるX成分が形式的にはこの型式を用いたものであることは前記1(二)認定の事実から明らかであるが、マーカツシユ型式で記載されているからといつて、特許請求の範囲に記載された物質又は成分割合のおのおのについて具体的技術内容が開示されていないのに、その開示されていない物質又は成分割合を選択したものについても、これが実質的に開示されているとすることは、単なる擬制にほかならないのみならず、およそ先行発明の特許請求の範囲がマーカツシユ型式で表現されている場合は、たとえ後行発明が顕著な作用効果を奏することが証明されても、選択発明の特許出願をいわば門口で退けることにもなり、相当でない。」

「(4)前記(1)ないし(3)の認定事実によれば、本願発明の非晶質金属合金は引用例に具体的に記載された非晶質金属合金と対比して、改善された引張り強さ、硬度、熱安定性という効果において量的に際立つて優れた効果を奏するものと認めることはできないから、本願発明はいわゆる選択発明として特許されるべきものではない。
3 以上のとおりであつて、本願発明の非晶質金属合金の成分及び成分割合は引用例に式TiXjで示された非晶質金属合金の成分及び成分割合に包含されるものであり、本願発明は引用例記載の発明と同一であるから、審決の認定、判断は正当であつて、審決には原告主張の違法はないというべきである。」