2010年7月18日日曜日

進歩性判断に関わる「発明の効果」を証明するための実験データの追加が許容された事例

知財高裁平成22年7月15日判決

平成21年(行ケ)第10238号審決取消請求事件

1.概要

 本事例では、進歩性を主張するために、従来技術と本発明との相違点に係る特徴による本発明の有利な効果を示す実験データ(参考資料1)を出願人(原告)が提出した。

 審決では、相違点による効果が出願時明細書に何ら具体的に記載されていないので,後発的に提出された参考資料1のデータを参酌して本願発明の進歩性を判断することはできないと指摘された。

 知財高裁はこの審決を取り消した。

1.1.本願発明:

「日焼け止め剤としての使用に好適な組成物であって:

a)安全で且つ有効な量の,UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種;

b)安全で且つ有効な量の安定剤であって,次式,

・・・

を有し,式中,R1及びR1’は独立にパラ位又はメタ位にあり,独立に水素原子,又は直鎖もしくは分枝鎖のC1~C8のアルキル基,R2は直鎖又は分枝鎖のC2~C12のアルキル基;及びR3は水素原子又はCN基である前記安定剤;

c)0.1~4重量%の,2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸であるUVB日焼け止め剤活性種;及び

d)皮膚への適用に好適なキャリア;

を含み,前記UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種に対する前記安定剤のモル比が0.8未満で,前記組成物がベンジリデンカンファー誘導体を実質的に含まない前記組成物。」

1.2.審決の内容

(1) 審決は,本願発明と引用例Aに記載された発明(以下「引用発明」という。)との一

致点及び相違点を以下のとおり認定した。

ア 一致点

「『日焼け止め剤としての使用に好適な組成物であって:

a)安全で且つ有効な量の,UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種;

b)安全で且つ有効な量のα-シアノ-β,β-ジフェニルアクリレート安定剤;及び

d)皮膚への適用に好適なキャリア;

を含み,前記UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤の量が1%以上の場合には,前記UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種に対する前記安定剤のモル比が0.8未満で,前記組成物がベンジリデンカンファー誘導体を実質的に含まない前記組成物』である点」

イ 相違点

「本願発明は『0.1~4重量%の2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸であるUVB日焼け止め剤活性種を含む』のに対し,引用発明は『任意に通常のUV-Bフィルターを含む』とされている点」

審決は,特許法29条2項の発明の容易性について次のとおり判断した。

ア 本願の優先権主張の日の前において,「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」が代表的な「UV-Bフィルター」(UV-B吸収剤)の1つであって,既にそれを含む商品が販売され,他の公知のUV吸収剤と併用されることは,周知である。そうすると,引用例Aの「任意に少なくとも1種の通常のUV-Bフィルターを・・・含み」なる記載及び「UV-B線の濾波に使われる材料に関してはその選択に全く制限がない」なる記載に従って,「代表的なUV-Bフィルター」成分の中から「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」を選定することは容易である。

イ そして,その際の配合量として,引用例Aには「UV-Bフィルターが約1~約12%の量で存在する」と記載されているので,かかる範囲と重複する「約0.1~4重量%」と特定することも当業者が適宜なし得る。

ウ 本願明細書には実施例として化粧品の製造例が記載されているにすぎず,本願発明の効果については一般的な記載にとどまり,客観性のある具体的な数値データをもって記載されているものではない。また,特に「UV-Bフィルター」を「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」に特定することによる効果については,何ら具体的に記載されていない。よって,本願明細書の記載からは,格別予想外の効果が奏されたものとすることはできない。

 なお,平成19年3月19日付けの審判請求理由補充書において【参考資料1】として記載された本願発明(請求項1の組成物)のSPF又はPPDに関する効果については,本願明細書には「UV-Bフィルター」を「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」に特定することによる効果が何ら具体的に記載されていないので,参酌することができない。仮にこれを参酌したとしても,SPF又はPPD値自体がUV線に対する効果の指標であるから,UV-Bフィルターとして代表的な成分の中から「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」を選定する際に当然その値を確認しつつ選定をするものと理解されるので,そのようなSPF又はPPDに関する効果をもって,当業者が予期し得ない格別予想外のものであるとすることはできない。

2.裁判所の判断のポイント

「審判請求理由補充書の実験結果を参酌することができないとした判断の誤りについて

(1) 審決は,本願発明が,特許法29条2項の要件を充足しないことを理由とするものである。

 ところで,特許法29条2項の要件充足性を判断するに当たり,当初明細書に,「発明の効果」について,何らの記載がないにもかかわらず,出願人において,出願後に実験結果等を提出して,主張又は立証することは,先願主義を採用し,発明の開示の代償として特許権(独占権)を付与するという特許制度の趣旨に反することになるので,特段の事情のない限りは,許されないというべきである。

 また,出願に係る発明の効果は,現行特許法上,明細書の記載要件とはされていないものの,出願に係る発明が従来技術と比較して,進歩性を有するか否かを判断する上で,重要な考慮要素とされるのが通例である。出願に係る発明が進歩性を有するか否かは,解決課題及び解決手段が提示されているかという観点から,出願に係る発明が,公知技術を基礎として,容易に到達することができない技術内容を含んだ発明であるか否かによって判断されるところ,上記の解決課題及び解決手段が提示されているか否かは,「発明の効果」がどのようなものであるかと不即不離の関係があるといえる。そのような点を考慮すると,本願当初明細書において明らかにしていなかった「発明の効果」について,進歩性の判断において,出願の後に補充した実験結果等を参酌することは,出願人と第三者との公平を害する結果を招来するので,特段の事情のない限り許されないというべきである。

 他方,進歩性の判断において,「発明の効果」を出願の後に補充した実験結果等を考慮することが許されないのは,上記の特許制度の趣旨,出願人と第三者との公平等の要請に基づくものであるから,当初明細書に,「発明の効果」に関し,何らの記載がない場合はさておき,当業者において「発明の効果」を認識できる程度の記載がある場合やこれを推論できる記載がある場合には,記載の範囲を超えない限り,出願の後に補充した実験結果等を参酌することは許されるというべきであり,許されるか否かは,前記公平の観点に立って判断すべきである。

(2) 上記観点から,本件について検討する。

 本願当初明細書(甲3,段落【0011】)には,本願発明の作用効果について,「本発明の組成物は,UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種,すでに定義された安定剤,UVB日焼け止め剤活性種,及びキャリアを含み,実質的にはベンジリデンカンファー誘導体を含まない組成物であるが,現在,驚くべきことに,本組成物が優れた安定性(特に光安定性),有効性,及び紫外線防止効果(UVA及びUVBのいずれの防止作用を含めて)を,安全で,経済的で,美容的にも魅力のある(特に皮膚における透明性が高く,過度の皮膚刺激性がない)方法で提供することが見出されている。」との記載がある

 また,本願当初明細書(甲3,段落【0025】)には,UVB日焼け止め剤活性種(UV-Bフィルター)について,「好ましいUVB日焼け止め剤活性種は,2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸,TEAサリチレート,オクチルジメチルPABA,酸化亜鉛,二酸化チタン,及びそれらの混合物から成る群から選択される。好ましい有機性日焼け止め剤活性種は2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸である」との記載がある。

 さらに,「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」は,並列的に記載された様々な「UV-Bフィルター」の中の1つとして公知のものである(甲2の1~9)。

 以上の記載に照らせば,本願当初明細書に接した当業者は,「UV-Bフィルター」として「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」を選択した本願発明の効果について,広域スペクトルの紫外線防止効果と光安定性を,より一層向上させる効果を有する発明であると認識するのが自然であるといえる。

 他方,本件【参考資料1】実験の結果によれば,本願発明の作用効果は,①本願発明(実施例1)のSPF値は「50+」に,PPD値は「8+」に各相当し,従来品(比較例1~4)と比較すると,SPF値については約3ないし10倍と格段に高く,PPD値についても約1.1ないし2倍と高いこと(広域スペクトルの紫外線防止効果に優れていること),②本願発明は従来品に対して,紫外線照射後においても格段に高いSPF値及びPPD値を維持していること(光安定性に優れていること)を示しており,上記各点において,顕著な効果を有している。

 確かに,本願当初明細書には,本件【参考資料1】実験の結果で示されたSPF値及びPPD値において,従来品と比較して,SPF値については約3ないし10倍と格段に高く,PPD値についても約1.1ないし2倍と高いこと等の格別の効果が明記されているわけではない。しかし,本件においては,本願当初明細書に接した当業者において,本願発明について,広域スペクトルの紫外線防止効果と光安定性をより一層向上させる効果を有する発明であると認識することができる場合であるといえるから,進歩性の判断の

前提として,出願の後に補充した実験結果等を参酌することは許され,また,参酌したとしても,出願人と第三者との公平を害する場合であるということはできない。

(3) 被告の主張に対する判断

ア 被告は,前記段落【0011】でいう「本組成物」とは,同段落が出願当初より補正されていないことからみて,本願当初明細書の請求項1に記載された「組成物」,すなわち「有機性日焼け止め剤活性種,無機性物理的日焼け止め剤,及びそれらの混合物から成る群から選択される安全で且つ有効な量のUVB日焼け止め剤」を使用した組成物を意味するものと理解されるのであって,補正後にUVB日焼け止め剤として特定された「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」を使用する組成物に限定された記載ではない,と主張する。

 しかし,被告の主張は採用の限りでない。すなわち,平成17年5月9日付け手続補正書(甲4)により補正された段落【0012】には,「本発明は日焼け止め剤としての使用に好適な組成物に関するものであり,その際その組成物は,a)・・・b)・・・c)0.1~4重量%の,2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸であるUVB日焼け止め剤活性種;及びd)・・・を含み,」と記載されているから,段落【0011】でいう「本組成物」も特許請求の範囲の請求項1に記載されたものに定義されるものと理解され,その補正の効果は出願当初に遡るのであるから,被告の前記主張は採用の限りでない。

イ また,被告は,段落【0011】の記載は,本願発明の効果についての一般的な記載に止まるものであって,本願当初明細書によっては,どの程度のSPF値やPPD値を有するかについて推測し得ないと主張する。

 しかし,被告の主張は採用の限りでない。すなわち,被告の主張を前提とすると,本願当初明細書に,効果が定性的に記載されている場合や,数値が明示的に記載されていない場合,発明の効果が記載されていると推測できないこととなり,後に提出した実験結果を参酌することができないこととなる。このような結果は,出願人が出願当時には将来にどのような引用発明と比較検討されるのかを知り得ないこと,審判体等がどのような理由を述べるか知り得ないこと等に照らすならば,出願人に過度な負担を強いることになり,実験結果に基づく客観的な検証の機会を失わせ,前記公平の理念にもとることとなり,採用の限りでない。

・・・

(4) 以上のとおり,本件においては,本願当初明細書に接した当業者において,本願発明について,広域スペクトルの紫外線防止効果と光安定性をより一層向上させる効果を有する発明であると認識することができる場合であるといえるから,進歩性の判断の前提として,出願の後に補充した実験結果等を参酌したとしても,出願人と第三者との公平を害する場合であるということはできない。

 本件【参考資料1】実験の結果を参酌すべきでないとした審決の判断は,誤りである。」