2010年7月3日土曜日

第2医薬用途発明の容易想到性が判断された事例

知的財産高等裁判所平成20年(行ケ)第10366号

平成21年9月30日第3部判決

1.概要

 本件特許発明が引用発明および周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする無効審判審決の取消を求めた原告の請求が棄却された事例である。

 知財高裁は、公知化合物の新規な用途が、公知の用途に基づいて容易に想到可能であると判断した。

2.審決

(1)本件特許発明

「2-(4-クロルベンゾイルアミノ)-3-(2-キノロン-4-イル)プロピオン酸またはその塩を有効成分とする,胆汁酸の胃内への逆流に起因する胃炎の治療剤。」

(2)引用発明の内容

 2-(4-クロルベンゾイルアミノ)-3-(2-キノロン-4-イル)プロピオン酸を有効成分とする胃潰瘍治療剤

(3)一致点

 本件2-(4-クロルベンゾイルアミノ)-3-(2-キノロン-4-イル)プロピオン酸(以下「本件化合物」という場合がある。)を有効成分とする医薬品である点。

(4)相違点

 本件特許発明が胆汁酸の胃内への逆流に起因する胃炎の治療剤であるのに対し,引用発明は胃潰瘍治療剤である点。

(5)容易想到であるとした理由の概要

「胃潰瘍の治療に有効な化合物について,種々の化学構造や物理的性質を有する化合物が,胃炎の治療にも有効であることが知られており,胆汁酸の胃内への逆流は胃炎の主な原因の一つであり,胆汁酸投与により胃炎を発生させた実験胃炎モデルを用いて調べることが一般的であるから,引用発明の胃潰瘍治療剤について,胃炎の治療に有効であることを期待し,胆汁酸投与により胃炎を発生させた実験胃炎モデルを用いて調べ,胆汁酸の胃内への逆流に起因する胃炎の治療剤としての有効性を確認することは当業者が容易に着想し,実施し得ることである。そして,本件特許明細書の記載からは,本件特許発明の効果が当業者が予想できないものとは認められない。」(審決書10頁7行~16行)

「胃潰瘍と同時に胃炎の治療にも有効である化合物がたまたま一つ存在する,あるいは,特定の種類の化合物だけが胃潰瘍と同時に胃炎の治療にも有効であるというのではなく,胃潰瘍と同時に胃炎の治療にも有効である種々の化学構造や物理的性質を有するものが多数存在するのであるから,抗潰瘍剤であっても,抗胃炎作用が認められていない医薬品が多数存在するとしても,上記のとおり,当業者であれば,胃炎の治療に有効であることを期待し,薬理効果を確認することは,当業者が容易に着想し,実施し得ることである。」(審決書10頁30行~37行)

「本願明細書に記載された薬理実験1及び薬理実験2を検討するに,胆汁酸の胃内への逆流に起因する胃炎の治療剤である本件特許発明の薬理実験といえるのは,薬理実験1だけである。薬理実験1と,塩酸・エタノールによる胃粘膜損傷に対する効果に関する薬理実験2とを対比しても,薬理実験1の有効成分の用量は薬理実験2のそれの10倍であって両者の用量は異なるから,両実験結果から,胆汁酸の胃内への逆流に起因する胃炎の治療剤である本件特許発明の効果が当業者の予想できないものであると認めることはできない。またシメチジン1種だけとの比較試験(乙第1号証)をもって,胆汁酸の胃内への逆流に起因する胃炎の治療剤である本件特許発明の効果が当業者の予想できないものであると認めることもできない。」(審決書11頁23行~33行)

3.裁判所の判断のポイント

「物質の用途発明について,新規に発見した属性(用途)が,当業者において容易に想到し得たものであるか否かは、当該発明の属する技術分野における公知技術や技術常識を基礎として判断すべきであることはいうまでもない。

 本件についてみると,本件出願前に,「胃潰瘍治療剤」としての薬効が知られている場合,当業者が,「胃炎治療剤」としての薬効も存在するとの技術思想に容易に想到し得たか否かは,〔1〕「胃潰瘍」と「胃炎」の病態・発症機序における相違の有無,〔2〕「胃潰瘍治療剤」と「胃炎治療剤」の作用機序における相違の有無,〔3〕「胃潰瘍治療剤」と「胃炎治療剤」の双方に効果のある他の薬剤の比較,検討,〔4〕本件化合物の胃炎治療への適用を阻害する要素の有無等を総合的に考慮して判断すべきである。」

1「胃潰瘍」と「胃炎」の病態・発症機序及び「治療剤」の作用機序等の相違の有無について

「 上記各記載によれば,本件出願当時までの文献において,急性胃炎の原因として急性胃粘膜病変が指摘されるようになっていたことがうかがわれるが,胃潰瘍についても,胃液の刺激による正常な粘膜への攻撃が指摘されており,両者の病態や発症機序が明確に区別して認識されていたとは認められない。また,本件出願後の文献,意見書においては,ピロリ菌発見後の胃炎の分類の変更がみられるものの,胃潰瘍と胃炎の関係については,胃炎の進展したものが胃潰瘍であるとの見解(乙8)もあれば,原告が提出する意見書のように胃潰瘍と胃炎は発症機序として異なるとの見解(甲52)もあり,本件出願前後を通じて,胃潰瘍と胃炎の病態・発症機序が異なるとする確立した見解はなかったというべきである。

 そうすると,本件出願当時,当業者においても,胃潰瘍と胃炎とが病態・発生機序において異質であり,その治療剤の作用機序が異なるとの認識をもっていたとは認め難い。

 したがって,胃潰瘍と胃炎の病態・発症機序が異なり,胃潰瘍治療剤と胃炎治療剤の作用機序が異なることを理由として,胃潰瘍治療剤である本件化合物について胃炎治療剤としての用途を予測することが容易でなかったとの原告の主張は採用できない。

 なお,原告は,国民衛生の動向(甲55)においても,胃潰瘍患者と胃炎患者とが別異に分類されており,医療現場においても区別して取り扱われていることや,医薬品の製造承認において胃潰瘍治療剤と胃炎治療剤が区別されていることを根拠として,胃潰瘍と胃炎の治療剤のそれぞれの作用機序が異なると主張する。しかし,胃潰瘍と胃炎が別個の疾患として区別されているからといって,胃潰瘍治療剤と胃炎治療剤の作用機序の相違を示すことにはならず,また,胃炎に対する治療効果を妨げる理由にもならない。」

2「胃潰瘍治療剤」と「胃炎治療剤」の双方に効果のある他の薬剤の検討

「 上記アないしコの各記載によれば,本件特許発明が出願された平成元年8月14日より前10年以内に刊行された特許公報又は日本医薬品集において,本件化合物以外の多様な化合物又は医薬品について,胃潰瘍治療剤としての用途と併せて胃炎治療剤としての用途が記載されており,それらの化合物又は医薬品と本件化合物とが別個の性質を有し,胃炎に対する作用機序が異なることを認めるだけの根拠はない。これらの各記載から,当業者は胃潰瘍の治療作用と胃炎の治療作用の間には作用機序の関連性があることの示唆を受けるものということができる。

 そうすると,本件化合物が胃潰瘍治療剤としての薬効を有する場合に,胃炎治療剤としての薬効を想到することは,容易であるというべきである。

 これに対し,原告は,上記文献では,胃潰瘍治療剤には胃炎治療剤としての用途を有するものもあるが,そうでないものも多いから(甲22の1表の1ないし13の医薬品,甲24ないし34),胃炎としての用途に想到することが容易とはいえないと主張する。

 しかし,原告の主張は,以下のとおり理由がない。

 すなわち,甲22の1表(なお,1,8,11については,胃炎に対する効能・効果の記載がある。),甲24ないし34の薬剤については,胃炎への適用の可否について言及はないが,そのような胃潰瘍治療剤が存在したとしても,前記のとおり,胃潰瘍治療剤の中に胃炎治療剤としての用途を有するものが多数存在する以上,当業者が胃潰瘍治療剤である本件化合物について胃炎治療剤への用途を予測することが困難であったということはできない。」

3「胆汁酸の胃内への逆流に起因する胃炎」との用途について

「原告は,本件特許発明が,その用途を胆汁酸の胃内への逆流に起因する胃炎に限定しているのに,審決が胃炎一般の用途について検討し,容易想到としているのは誤りであると主張する。

 しかし,胆汁酸の胃内への逆流が胃炎の1つの原因となること及び胆汁酸投与による実験胃炎モデルを用いることが公知であることは,原告も認めるところであり,各種胃炎治療剤について,タウロコール酸(胆汁酸)により発生させた実験胃炎に対する効果が確認されている・・・

 そして,全証拠によっても,胃炎治療剤については,胆汁酸の胃内への逆流による胃炎と胃炎一般を区別すべきであるとする医学的,薬学的知見も見当たらない。以上によれば,当業者は,胃潰瘍治療剤である本件化合物が胆汁酸の胃内への逆流による胃炎治療剤としての用途をも有することを予測することができたということができる。」

 胃炎一般と胆汁酸の逆流による胃炎とに上記のような関係が存在する以上,審決が胃炎一般の用途を前提として,審決が,本件特許発明の容易想到性を判断したとしても,その判断の当否に影響を与えるものとはいえない。」