2010年4月24日土曜日

特許請求の範囲の用語が発明の詳細な説明を参酌して解釈された事例

知財高裁平成21年(行ケ)第10179号審決取消請求事件

平成22年3月24日判決言渡

1.概要

 本事例では「少なくとも2つの向かい合った表面を有する統一構造に形成されたポケット」とはどういう構造物を指すかが問題となった。

 拒絶査定不服審判審決において審判官合議体は、この用語を明細書の開示事項を参酌することなく「少なくとも2つの向かい合った表面を有する、一体的に形成されたポケット」のように解釈した。この解釈を前提として、引用文献1と本件補正発明とは区別できないと判断し、拒絶審決がされた。

 原告(出願人)は、明細書の開示事項に基づき、この用語は、「2つの基材の表面を向かい合わせて結合して形成された統一構造の内表面側から外表面側に向かって熱成形等の成形手段によって形成された粒状発熱組成物の粒子を充填することのできるくぼみ」と解釈すべきだと主張した。

 裁判所は、「請求項1の記載から,本件補正発明の「ポケット」の技術的意義を一義的に明確に理解することはできないから,これを明確にするため,以下,本件補正明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌して,その技術的意義を検討」し、その結果、原告の主張を認め審決を取り消した。

2.判決のポイント

本件補正後の請求項1

「粒状発熱組成物を含有するヒートセルであって,/該粒状発熱組成物が,重量基準で,/a.)30%~80%の鉄粉;/b.)3%~25%の活性炭,非活性炭及びそれらの混合物;/c.)0.5%~10%の金属塩;および/d.)1%~40%の水/を含有し,その際該粒状発熱組成物の粒子は少なくとも2つの向かい合った表面を有する統一構造に形成されたポケット中に組み入れられており,その際少なくとも1つの表面は酸素透過性であり,該粒状発熱組成物で充たされたときに充填容積及びセル容積を有し,充填容積とセル容積の割合が0.7から1.0であり,該割合はセル壁への特異な圧力の使用なしで維持され,該ヒートセルの頂上は0.15cm~1.0cmの高さを有し,該ヒートセルは40cm 未満の全表面積を有し,かつ前記粒状発熱組成物の粒子の少なくとも80%が200μm未満の平均粒度,好ましくは該粒状発熱組成物の粒子の少なくとも90%が150μm未満の平均粒度を有する。」

〔原告の主張〕

 本件審決は,引用発明1の「片面を通気面とし,他面とを,周側を封着してなる偏平状袋」が本件補正発明の「2つの向かい合った表面を有する統一構造に形成されたポケット」に相当するとした上,両発明が後者の点で一致すると認定したが,本件補正明細書の記載によると,本件補正発明の「2つの向かい合った表面を有する統一構造に形成されたポケット」は,2つの基材の表面を向かい合わせて結合して形成された統一構造の内表面側から外表面側に向かって熱成形等の成形手段によって形成された粒状発熱組成物の粒子を充填することのできるくぼみをいうのに対し,引用例1の記載及び図示によると,引用発明1の「片面を通気面とし,他面とを,周側を封着してなる偏平状袋」は,袋全体に発熱剤を略均等に充填することができるように通気面と非転着性粘着剤層が層着される他面との周側を単に封着した袋であって,発熱剤を充填することのできるくぼみが通気面又は他面のいずれにも形成されていないものであるから,本件審決の認定は誤りである。

〔被告の主張〕

 引用発明1の「片面を通気面とし,他面とを,周側を封着してなる偏平状袋」が「少なくとも2つの向かい合った表面を有する」ものであることは明らかであり,また,本件補正発明の「統一構造」とは,2つの表面をつないだ結果一体的に形成されているものという程度の意味であるから,引用発明1も,「統一構造」を備えているということができる。さらに,「ポケット」とは,一般に,その形状にかかわらず袋状になっているものを指し,特段賦形されたくぼみを意味するものではないと理解されるのが通常である(乙1)から,引用発明1の「偏平状袋」も,ポケットに相当するものである。

 したがって,本件審決に,原告が主張するような一致点の認定の誤りはない。

 原告は,本件補正発明の「ポケット」がくぼみであると主張するが,特許請求の範囲の記載に基づかないものとして失当である。なお,本件補正後の請求項1(以下,単に「請求項1」という。)の「少なくとも2つの向かい合った表面を有する統一構造に形成された」との記載からは,2つの対称的な平面で構成される袋状の形状が想起されるのが普通であって,一方が平面で他方がくぼみとなるような形状が想起されることはないか,仮にあったとしても,普通に想起される形状ではない。

裁判所の判断

「本件補正発明の「ポケット」の技術的意義について,原告は,2つの基材の表面を向かい合わせて結合して形成された統一構造の内表面側から外表面側に向かって熱成形等の成形手段によって形成された粒状発熱組成物の粒子を充填することのできるくぼみをいうと主張するのに対し,被告は,広辞苑(乙1)に記載された日常用語としての意味を主張するのみであり,本件補正発明が属する技術分野における技術常識に即して「ポケット」の技術的意義が一義的に明確であると主張するものではなく,その他,請求項1の記載から,本件補正発明の「ポケット」の技術的意義を一義的に明確に理解することはできないから,これを明確にするため,以下,本件補正明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌して,その技術的意義を検討することとする。」

上記発明の詳細な説明の記載によると,本件補正発明の「ポケット」とは,「少なくとも2つの向かい合った表面を有する統一構造」を構成する2つの基材の一方に熱成形等の何らかの方法により形成され,粒状発熱組成物を充填することができるような底といえる部分を有する賦形された内部空間を意味し,単に,平坦な2つの基材によって形成される袋状の内部空間を指すものではないと解釈するのが相当である。

この点に関し,被告は,請求項1の「少なくとも2つの向かい合った表面を有する統一構造に形成された」との記載からは,2つの対称的な平面で構成される袋状の形状が想起されるのが普通であると主張する。しかしながら,被告の主張は,「統一構造に形成された」との文言が「一体的に形成された」と同じような意味を有することを前提とするものと解されるところ,上記発明の詳細な説明の記載によると,「統一構造」とは,2つの基材によって構成される構造体を指し,そのような構造体に「形成された」ものが「ポケット」であると解釈されるから,被告の主張は,その前提を誤るものであって,採用することができない。

「上記・・・によると,引用発明1の「偏平状袋」は,本件補正発明の「少なくとも2つの向かい合った表面を有する統一構造」には相当するものの,「ポケット」を備えるものではないから,両発明につき,粒状発熱組成物の粒子が「ポケット」中に組み入れられているとの点で一致するとした本件審決の認定は誤りであるといわなければならない。」

2010年4月11日日曜日

侵害訴訟での請求項の用語の解釈

判決言渡平成22年3月31日

平成21年(ネ)第10033号特許権侵害差止等請求控訴事件

1.概要

 特許権侵害訴訟において、一審原告の特許発明に関して請求項に記載の構成要件Bを限定的に解釈すべきか否かが争われた。

 裁判所は構成要件Bを限定的に解釈し、被告製品が特許発明の技術的範囲に属さないと判断した。

 構成要件Bは拒絶理由を解消するために補正により追加された構成要件である。均等侵害に関しては、被告製品は外形的には意識的に除外された構成を備えるといえるから、特許発明の技術的範囲に属するとは認められないと判断された。

2.経過情報

出願時の請求項1

「【請求項1】シリコーンゴムに,下記一般式(A)及び(B)で示されるシランカップリング剤から選択されたシランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラーを分散させて成ることを特徴とする熱伝導性シリコーンゴム組成物。

【化1】

YSiX (A)

SiX (B)

X=メトキシ基又はエトキシ基

Y=炭素数6個以上の脂肪族長鎖アルキル基又はフェニル基」

補正後の請求項1

「【請求項1】シリコーンゴムに,下記一般式(A)示されるシランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラーを分散させて成り,熱伝導性無機フィラーが熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%であることを特徴とする熱伝導性シリコーンゴム組成物。

【化1】

YSiX (A)

X=メトキシ基又はエトキシ基

Y=炭素数6個以上18個以下の脂肪族長鎖アルキル基」

 補正後の本件請求項1の「熱伝導性無機フィラーが熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%である」との部分を「構成要件B」という。

 構成要件Bは、拒絶理由通知書に応答した補正により追加された。

 拒絶理由通知書には「請求項1に記載の発明は組成物に係る発明と認められるが,各成分の配合量(組成比)が記載されていない(すべての配合量(組成比)について同等の効果を奏するものとは認められない)」として,特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号に規定する要件を充たしていないと記載されていた。

争点=構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」の解釈

 一審被告及び原判決は,構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」は「シランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラー」と限定解釈すべきであると主張又は判断し,これに対し一審原告は上記のような限定解釈をすべきでないと主張する。

3.裁判所の判断のポイント

3.1.構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」の解釈

「・・・構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」の文言の前に「同」,「当該」又は「該」といった,構成要件Aの「シランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラー」であることを示す接頭語は付されていない。しかし,同記載において,構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」が構成要件A(「シリコーンゴムに,下記一般式(A)で示されるシランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラーを分散させて成り,」「YSiX3 (A) X=メトキシ基又はエトキシ基Y=炭素数6個以上18個以下の脂肪族長鎖アルキル基」)のそれとは別の物である,すなわちカップリング処理されていないものも含めた熱伝導性無機フィラーの総量と解する根拠となる積極的な記載も認められない。また,構成要件Bが構成要件Aの直後に配置され,しかも,「熱伝導性無機フィラー」との文言が構成要件Aのそれと近接して使用されていることからすれば,後者(構成要件B)が前者(構成要件A)を指している,すなわち構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」が構成要件Aのカップリング処理された熱伝導性無機フィラーを指すと読むのがどちらかといえば自然な解釈といえる。」

「・・本件明細書の段落【0008】(課題を解決するための手段)には,「本発明の請求項1に記載の熱伝導性シリコーンゴム組成物は,シリコーンゴムに,上記一般式(A)で示されるシランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラー1を分散させて成り,熱伝導性無機フィラー1が熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%であることを特徴とするものである。」と記載されている。この記載によれば,「熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%である熱伝導性無機フィラー」には,「1」という符号が付されているところ,「上記一般式(A)で示されるシランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラー」にも,「1」という符号が付されており,この記載から,「熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%である熱伝導性無機フィラー」は,「上記一般式(A)で示されるシランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラー」であるとしか解することができない。」

「・・・のみならず,本件明細書・・には,熱伝導性無機フィラーの表面をシランカップリング剤で処理することによって,・・・作用効果を奏することの記載があるのみであって,シランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラーと未処理の熱伝導性無機フィラーを混合使用することの記載は全くなく,カップリング処理したものと未処理のものを混合使用した場合にも本件各特許発明の効果が得られることは何ら開示されていない。・・・実施例においても,熱伝導性無機フィラー全量をカップリング処理してシリコーンゴムに充填することが示されており,全量未処理のものと比較することにより,その効果を確認している。したがって,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)としては,本件各特許発明はシリコーンゴムに充填する熱伝導性無機フィラー全量をカップリング処理するものと理解すると考えられる。」

「以上述べたところからすると,本件各特許発明の構成要件には,シリコーンゴムに充填する熱伝導性無機フィラー全量をカップリング処理するとの明示的な限定はないものの,本件各特許発明は,シリコーンゴムに充填する熱伝導性無機フィラー全量をカップリング処理するものに限られるというべきであり,構成要件Aの「下記一般式(A)で示されるシランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラー」はそのように解すべきである。」

「・・・一審原告は,「熱伝導性シリコーンゴム組成物中にカップリング処理された熱伝導性無機フィラーが60vol%,未処理の熱伝導性無機フィラーが30vol%含まれる場合」(事例1)は,構成要件Bを充足するが,「熱伝導性シリコーンゴム組成物中にカップリング処理された熱伝導性無機フィラーが90vol%含まれる場合」(事例2)は,構成要件Bを充足しないということは不合理であると主張するが,本件各特許発明は,シリコーンゴムに充填する熱伝導性無機フィラー全量をカップリング処理するものに限られると解すれば,一審原告が主張するような不合理な事態が生ずることはなく,このような不合理な事態を生じさせないためにも,本件各特許発明は,シリコーンゴムに充填する熱伝導性無機フィラー全量をカップリング処理するものに限られると解すべきである。」

「仮に,一審原告が主張するように,本件各特許発明は,シランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラーと未処理の熱伝導性無機フィラーを混合使用したものを含み,かつ,「熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%である」熱伝導性無機フィラーを「熱伝導性無機フィラー」自体と解すると,熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%である「熱伝導性無機フィラー」のうち,シランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラーが1%,未処理の熱伝導性無機フィラーが39%~79%でもよいということになり,上記()認定に係る本件各特許発明の作用効果を奏することができないもののも含まれてしまうおそれがあるから,相当でない。」

3.2.被告製品の本件各特許発明の構成要件該当性の有無の判断

「・・・当事者間に争いがない事実に弁論の全趣旨を総合すると,これらの被告製品は,カップリング剤で表面処理を施したフィラーと未処理フィラーから成るものであり・・・カップリング剤で表面処理が施されたフィラーとして製造工程に投入されたフィラーの組成物全量に対するカップリング剤を含む体積分率が40vol%に満たないことが認められ,これらの点から,これらの被告製品が本件各特許発明の構成要件に該当すると認めることはできない。

3.3.均等侵害についての判断

「最高裁平成10年2月24日第三小法廷判決(民集52巻1号113頁)は,特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合に,なお均等なものとして特許発明の技術的範囲に属すると認められるための要件の一つとして,「対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もない」旨を掲げており,この要件が必要な理由として,「特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど,特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか,又は外形的にそのように解されるような行動をとったものについて,特許権者が後にこれと反する主張をすることは,禁反言の法理に照らし許されないからである」と判示している。

 そうすると,第三者から見て,外形的に特許請求の範囲から除外されたと解されるような行動をとった場合には,上記特段の事情があるものと解するのが相当である。そこで,本件において上記特段の事情が認められるかどうかについて検討する。

イ 前記(1)で述べたところからすると,一審原告は,本件特許の出願経過において,本件補正によって,本件各特許発明は,シリコーンゴムに充填する熱伝導性無機フィラー全量をカップリング処理することを前提として,「シランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラー」のシランカップリング剤を含む「熱伝導性シリコーンゴム組成物全量」に対する割合が「40vol%~80vol%」である旨の構成要件Bを付加したものであるから,一審原告が,その範囲を超えて本件各特許発明の技術的範囲の主張をすることは,外形的に特許請求の範囲から除外されたと解されるものについて技術的範囲に属すると主張することになり,上記特段の事情に該当するというべきである。

ウ これにつき一審原告は,「本件補正に関して,構成要件Bにいう『熱伝導性無機フィラー』がカップリング処理された熱伝導性無機フィラーを意味する旨を表明したことは一度たりともなかったし,特許庁が,本件補正に基づき,構成要件Bの意味内容について,『熱伝導性無機フィラー』がカップリング処理された熱伝導性無機フィラーを意味するとの解釈を前提として審査し,本件特許査定がなされたことを裏付ける証拠はない,かえって,本件特許に対する無効審判事件において,一審被告は,『熱伝導性無機フィラー』に限定はないとの解釈を前提として新規性欠如及び進歩性欠如を理由とする無効主張を行い,特許庁は,この解釈を前提として審決をし,審決取消訴訟においても,この解釈を前提とした判断がなされている」旨主張する。

 しかし,一審原告が,構成要件Bにいう「熱伝導性無機フィラー」がカップリング処理された熱伝導性無機フィラーを意味する旨を明示的に表明したことがなく,特許査定において特許庁がその点をどのように解したかが明らかでないとしても,本件補正が上記のとおり解される以上,上記特段の事情に該当すると解することができるのであって,無効審判及び審決取消訴訟の経過も,その点を左右するものではない。」