2010年1月17日日曜日

請求項の文言に矛盾がある場合の解釈

平成22年1月14日判決 知財高裁平成20年(行ケ)第10235号審決取消請求事件

1. 争点及び概要

 本事例は、矛盾した記載を含む特許発明が実施可能要件違反と判断された無効審決が、知財高裁により取り消された事例である。

本件訂正後の発明は

「約35.7~約50.0重量%のペンタフルオロエタンと約64.3~約50.0重量%のジフルオロメタンとからなり,32°Fにて約119.0psia の蒸気圧を有する,空調用又はヒートポンプ用の冷媒としての共沸混合物様組成物。」

である。

 「約35.7~約50.0重量%のペンタフルオロエタンと約64.3~約50.0重量%のジフルオロメタンとからなり」という前段の記載と、「32°Fにて約119.0psia の蒸気圧を有する」という後段の記載とは文言上は相互に矛盾する。

 本件明細書及び原告(特許権者、無効審判被請求人)の主張によれば、「32°Fにて約119.0psia の蒸気圧を有する」のは「約25重量%のペンタフルオロエタンと約75重量%のジフルオロメタンを含んだ組成物」である。この組成物は「真の共沸組成物(実質的に一定の沸点を有する組成物)」であり、共沸点組成物として最良のものである。一方、本件訂正後の発明にはこの「真の共沸組成物」は含まれない。明細書に記載された実験結果によれば、「約35.7~約50.0重量%のペンタフルオロエタンと約64.3~約50.0重量%のジフルオロメタンと」からなる組成物の蒸気圧は上記とは異なる値である。

 審決では、本件発明が規定する組成によっては、共沸混合物様組成物を「32°Fにて約119.0psia の蒸気圧」とすることはできないこと等を理由として、本件発明が実施可能要件違反であると判断した。

 知財高裁は上記審決を取り消した。矛盾があるのは明細書の記載を参酌すれば明らかなのであるから、「『32°Fにて約119.0 psia という真の共沸混合物の蒸気圧を有する,共沸混合物』のように挙動する組成物」のように理解すればそれでいいではないか、という比較的寛大な判断がされた。

2.裁判所の判断ポイント

「本件発明は,「約35.7~約50.0重量%のペンタフルオロエタンと約64.3~約50.0重量%のジフルオロメタンとからなり,32°Fにて約119.0psia の蒸気圧を有する,空調用又はヒートポンプ用の冷媒としての共沸混合物様組成物。」と特定されており,「空調用又はヒートポンプ用の冷媒としての共沸混合物様組成物」が「32°Fにて約119.0 psia の蒸気圧を有する」ことが明確に特定されているため,これが訂正前の請求項1の発明と全く同一内容の発明であるということはできず,訂正に伴う相応の変更があったものといわざるを得ない。

 しかしながら,本件発明は,訂正前と同様,共沸混合物様組成物に関するものであって,本件訂正明細書の発明の詳細な説明に記載された発明の技術的意義についても,訂正前と実質的な変更はないものというべきであるが,本件訂正による特許請求の範囲の減縮は,発明の用途を限定するとともに,ペンタフルオロエタンとジフルオロメタンからなる組成物の組成範囲を減縮することを目的としてされているものの,後段記載の部分がそのまま維持されたこともあって,前段記載と後段記載の矛盾関係が発生したものといえる。

 そうであれば,本件訂正後の本件発明は,発明の用途や組成範囲が限定された点を除けば,本件訂正前の発明と基本的に同一であるが,本件訂正明細書の発明の詳細な説明を参照しつつ,上記のような矛盾が生じないように解釈すべきであるから,「空調用又はヒートポンプ用の冷媒としての組成物であり,約35.7~約50.0重量%のペンタフルオロエタンと約64.3~約50.0重量%のジフルオロメタンからなり,32°Fにて約119.0 psia の蒸気圧を有する共沸混合物のような組成物」(ここで「共沸混合物のような組成物」とは「共沸混合物のように挙動する組成物」であるという意義)であると解するのが相当である。

 すなわち,本件発明の後段における蒸気圧の記載は,「真の共沸混合物」が有する属性を記載したものにすぎないと解すべきであって,本件訂正明細書の発明の詳細な説明を参照した当業者であれば,本件発明が上記認定どおりの組成物であると理解することができるものと認められる。

 そして,前記アで検討したとおり,本件訂正明細書には,本件発明の特徴について記載されており,当業者がこれらの記載を見れば,本件発明が「空調用又はヒートポンプ用の冷媒としての組成物であって,約35.7~約50.0重量%のペンタフルオロエタンと約64.3~約50.0重量%のジフルオロメタンとからなり,『32°Fにて約119.0 psia という真の共沸混合物の蒸気圧を有する,共沸混合物』のように挙動する組成物」であるものと理解し,その旨実施することができるものと認められる。

 したがって,本件発明の前段記載と後段記載とは実質的に矛盾するものではなく,両者が矛盾するものであると解釈し,これを根拠に本件発明につき実施可能要件違反があるとした審決の認定判断には誤りがある。」

「被告は,最高裁平成3年3月8日判決(いわゆるリパーゼ事件判決)を引用して,請求項1の後段の「32°Fにて約119.0 psia の蒸気圧」について,それが誤記であるとしても,それは同判決が判示するような「一見して誤記であることが明らかな場合」には当たらないと主張し,また,誤記ではないとしても,「特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができない」場合にも当たらないと主張するので,念のために,所論の判例との関係につき付言することとする。

 上記判示のとおり,本件発明の請求項1の文言は,前段では,組成物の物質の名称が特定の数値(重量パーセント)とともに記載され,後段では,特定の温度における特定の数値の蒸気圧が記載されており,それぞれの用語自体としては疑義を生じる余地のない明瞭なものであるが,組成物の発明であるから,構成としては前段の記載で必要かつ十分であるのに,後者は,さらにこれを限定しているようにも見えるものの,真実,要件ないし権利の範囲として更に付された限定であるとすれば,その帰結するところ,権利範囲が極めて限定され,特許として有用性がほとんどない組成物となり,極限的な,いわば点でしか成立しない構成の発明であるという不可思議な理解に,当業者であれば容易に想到することが必定である。

 そうすると,本件発明の請求項1の記載に接した当業者は,前段と後段との関係,特に後段の意味内容を理解するために,明細書の関係部分の記載を直ちに参照しようとするはずである。

 そうであってみれば,本件発明の請求項1の記載に接した当業者は,後段の「32°Fにて約119.0 psia の蒸気圧を有する」の記載に接し,その技術的な意義を一義的に明確に理解することができないため,明細書の記載を参照する必要に迫られ,これを参照した結果,その意味内容を上記判示のように理解するに至るものということができる。したがって,のような,判例の趣旨に反するところはなく,被告のこの点に関する主張は採用する本件発明の請求項1の解釈に当たって明細書の記載を参照することは許され,上記の判断には,所論ことができない。