2009年11月29日日曜日

数値限定発明のサポート要件充足性が争われた事例

平成21年9月29日判決

平成20年(行ケ)第10484号審決取消請求事件

1.概要

 本事例は無効審判手続におけるサポート要件欠如の無効審決が取り消された事例である。

 原告(特許権者、無効審判被請求人)の特許権の請求項1に記載の発明(本件発明1)は以下の通り。

「Cu0.3~0.7重量%,Ni0.04~0.1重量%,残部Snからなる,金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上したことを特徴とする無鉛はんだ合金。」

 審決では、「…すなわち,無鉛はんだ合金が本件発明1の組成を有することにより,『金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した』という性質が得られたとの結果の記載並びにその理由として『CuとNiは互いにあらゆる割合で溶け合う全固溶の関係にあるため,NiはSn-Cu金属間化合物の発生を抑制する作用をする』との趣旨の記載があるにすぎず,本件発明1が有する性質である『金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した』が達成されたことを裏付ける具体例の開示はおろか,当該性質が達成されたか否かを確認するための具体的な方法(測定方法)についての開示すらない。」と判断した。

 すなわち争われた無効理由は、本件発明1の合金が所定の性質を有することが具体的に確認されておらず、確認のための具体的な方法も記載されていないことを根拠とするサポート要件(特許法第36条第6項第1号)欠如の無効理由である。

 発明の詳細な説明の欄には、Sn-Cu無鉛はんだ合金における金属間化合物の発生という問題をNi添加により抑制することができることの理論的な根拠が記載されている。

 発明の詳細な説明には、Cu含量及びNi含量の根拠として「CuNi両者の含有比については、適正範囲が問題になるが、図1に示したようにNi0.002~1重量%、Cu0.1~2重量%の範囲で示された部分は全てはんだ継手として好ましい結果を示す。」という記載がある。そして発明の詳細な説明の実施例には、実際にこの範囲の組成を有する合金が強度及び伸び率において好ましい値を示すことが記載されている。なお、上記本件発明1は訂正後の発明である。出願時から記載されている解決課題は「本発明では無鉛でかつ錫を基材としたはんだ合金を開発し、工業的に入手しやすい材料で、従来の錫鉛共晶はんだにも劣ることがなく、強度が高く安定したはんだ継手を構成することができるはんだ合金を開示する」ことである。

 裁判所は、数値範囲自体が特徴ではない本件発明においては数値範囲の意義は具体的な測定結果に基づいて裏付けられている必要はないこと、ならびに、本件発明の合金が「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」という性質を有することは発明の詳細な説明の記載と技術常識から十分に担保されていることを考慮して、サポート要件欠如の無効審決は取り消されるべきであると判断した。

2.裁判所の判断のポイント

「特許請求の範囲の記載が,特許法旧36条6項1号に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。」

「本件特許の請求項1に記載の「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」ことについて,本件訂正後の明細書(甲3)の「発明の詳細な説明」には,上記(2)()()のとおり,無鉛はんだ合金の構成を「Snを主とし,これに,Cuを0.3~0.7重量%,Niを0.04~0.1重量%加えた」ものとすることによって,「金属間化合物の発生が抑制され,流動性が向上した」ことが記載されており,その理由として,CuとNiは互いにあらゆる割合で溶け合う全固溶の関係にあることが記載されているから,特許請求の範囲に記載された「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」発明は,発明の詳細な説明に記載された発明であって,かつ発明の詳細な説明の記載により当業者が上記の本件発明1の課題を解決できると認識できるものであると認められる」

「もっとも,本件訂正後の明細書(甲3)の「発明の詳細な説明」には,「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」ことについての具体的な測定結果は記載されていない。

 確かに,数値限定に臨界的な意義がある発明など,数値範囲に特徴がある発明であれば,その数値に臨界的な意義があることを示す具体的な測定結果がなければ,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できない場合があり得る。しかし,本件全証拠によるも,本件優先権主張日前に「Snを主として,これに,CuとNiを加える」ことによって「金属間化合物の発生が抑制され,流動性が向上した」発明(又はそのような発明を容易に想到し得る発明)が存したとは認められないから,本件発明1の特徴的な部分は,「Snを主として,これに,CuとNiを加える」ことによって「金属間化合物の発生が抑制され,流動性が向上した」ことにあり,CuとNiの数値限定は,望ましい数値範囲を示したものにすぎないから,上記で述べたような意味において具体的な測定結果をもって裏付けられている必要はないというべきである。

2009年11月15日日曜日

特許法第29条の2における「先願明細書に記載された発明」

知財高裁平成21年11月11日判決

平成20年(行ケ)第10483号審決取消請求事件

主文1:特許庁が不服2007-11283号事件について平成20年10月15日にした審決を取り消す。

1.概要

 原告の特許出願の特許請求の範囲に記載されている発明(本願発明)は、所定の一般式(I)で表されるヘキサアミン化合物である。本化合物は、ベンゼン環を少なくとも17個有する大きな分子の化合物である。本化合物は、有機電界発光素子や電子写真感光体などに用いられる電荷輸送材料として有用である。本化合物は、4個の-N(Ph)(Ph-CH)基(すなわち、フェニル基とメチルフェニル基とで置換されたアミノ基)を有する。

 特許法第29条の2の引例である先願明細書には、同様の用途に用いられることを意図した化合物が記載されている。先願明細書の【化5】で示された一般式は本願発明の上記化合物を抽象的には包含する(一般式中の「アミノ基」という記載が、抽象的には、-N(Ph)(Ph-CH)基を包含する)。しかしながら、先願明細書には、本願発明の化合物は具体的には記載されていない。

 先願明細書には最も近い具体的な化合物として、化合物No.II-10が記載されている(No.II-10の記載の有無も争点の一つであったが、裁判所は記載されていると認定した)。化合物No.II-10では、4個の-N(Ph)(Ph-CH)基ではなく、4個の-N(Ph)基を有する点で、本願発明の化合物と相違する。すなわち一方のフェニル基上にメチル基が存在していないという点のみが本発明の化合物と異なる。

 審決では、

「化合物に関する発明について,特許法第29条の2にいう「願書に最初に添付した明細書・・・に記載された発明」というためには,先願明細書等に例示されている化合物のみが「願書に最初に添付した明細書・・・に記載された発明」であると限定的に解釈するのは適当ではなく,少なくとも,先願明細書等に例示されている化合物の置換基の一部が,当該発明の機能に及ぼす影響が少ないようにごく僅かだけ改変された化合物についても,記載されているに等しいとして,特許法第29条の2にいう「願書に最初に添付した明細書・・・に記載された発明」であると認めるのが相当である。」

という理由により、先願明細書に記載の化合物No.II-10における4個の-N(Ph)基が-N(Ph)(Ph-CH)基に置換された化合物も先願明細書に記載された発明(審決及び判決では「先願発明」と呼ばれる)であると認定し、本願発明は特許法第29条の2の規定により特許を受けられないと結論付けた。

 上記の点に関して裁判所は、先願明細書に記載された化合物であるというためには、具体的な置換基として例示されている必要があり、審決における「先願発明」の認定は誤りがあると判断した。

2.裁判所の判断のポイント

(2) いわゆる化学物質の発明は,新規で,有用,すなわち産業上利用できる化学物質を提供することにその本質が存するから,その成立性が肯定されるためには,化学物質そのものが確認され,製造できるだけでは足りず,その有用性が明細書に開示されていることを必要とする。

 そして,化学物質の発明の成立のために必要な有用性があるというためには,用途発明で必要とされるような用途についての厳密な有用性が証明されることまでは必要としないが,一般に化学物質の発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識しているところである。したがって,化学物質の発明の有用性を知るには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを必要とする。

 なお,被告は,有機EL素子用化合物のような,単に化合物の物理化学的性質を利用する技術分野の化合物については,医薬,農薬,バイオ関連技術のような特殊な技術分野の場合と異なり,当業者が容易に作ることができる上,その有用性も推認できる可能性が高い旨主張する。しかし,このような「化学物質の用途,分野によって,その製造可能性や有用性が推認できる程度が異なる」旨の主張を前提としてもなお,本件で化学物質発明が問題となっている事実に変わりはなく,当業者がその製造可能性及び(有機EL素子用化合物としての)有用性を認識できる程度の開示が必要であることに変わりはない。

(4) ・・・「先願発明」の化合物については,先願明細書等の【化5】,【化16】で示された一般式に,抽象的には包含されるとしても,先願明細書等において,その構造につき具体的に記載されてはいない。

 そして,上記【化5】【化16】に関しては,複数の化合物の組み合わせを表現したものにすぎず,ある化合物が明細書等において開示されているというためには,たとえ表の中であっても,具体的な構造(「先願発明」の化合物に関しては,メチル基を置換基として有する具体的構造)が特定して開示される必要があるというべきである。

 なお,被告は,「同族列に所属する一連の化合物は,化学的性質が極めてよく似ていて,すべての化合物に共通の官能基に基づく同一の反応を示すから,化合物No.II-10 と『先願発明』の化合物も実質的に同視できる」旨主張するとともに,特許公報(乙4,5)の記載により,上記主張を補強している。

 しかし,前記1(3) ウのとおり,化学大辞典(乙3)において,同族列として脂肪族飽和炭化水素のメタン,エタンや,芳香族炭化水素のベンゼン,トルエン,飽和脂肪酸のギ酸,酢酸などを例示しているが,これらの分子量の小さな化合物相互の関係と,本件での化合物No.II-10 と「先願発明」化合物のような分子量の大きな化合物相互の関係について,同一に扱ってよいかは不明というべきである。

 また,前記1(3) エ,オからすれば,乙4,5で開示された,それぞれ同族列の関係にある各化合物の化学的性質(有機EL素子としての性質を含む。)が類似していることが認められるが,これが直ちに,化合物No.II-10 と「先願発明」化合物の関係にも適用できるか明らかではない上,特許法29条2項の進歩性を判断する場合であれば格別,同法29条の2第1項により先願発明との同一性を判断するに当たっては,化合物双方が同族列の関係にあることをもって,一方の化合物の記載により他方の化合物が「記載されているに等しい」と解するのは相当ではない(前述のとおり,一般に化学物質発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識するところであるからである。)。

 このほか,被告は,「正孔注入輸送を司る本質的部位が分子中のN-フェニル基であること」は技術常識であって,同事実と先願明細書等の記載からすれば,「フェニル基を導入してビフェニル基にすることでπ共役系が広がり,キャリア移動に有利になり,正孔注入輸送能にも非常に優れる」旨主張している。

 確かに,前記1(3) ア,イのとおり,「正孔注入輸送を司る本質的部位が分子中のN-フェニル基である」旨の被告の主張に整合する文献(乙1,2)が存在するほか,先願明細書等には「分子中にN-フェニル基等の正孔注入輸送単位を多く含み,R 1 ~R4にフェニル基を導入してビフェニル基にすることでπ共役系が広がり,キャリア移動に有利になり,正孔注入輸送能にも非常に優れる」旨の記載がある(【0058】)。

 しかし,前述のとおり,特許法29条の2第1項による先願発明との同一性の判断は,同法29条2項の進歩性の判断とは異なるから,上記のような「公知技術」を安易に参酌して先願明細書等の記載を補充するのは相当ではなく,メチル基の有無を捨象して化合物No.II-10 と「先願発明」化合物を同視し,「先願発明」化合物が先願明細書等に実質的に記載されていたとみることは相当ではない。

2009年11月8日日曜日

「無機接着剤」という用語が請求項中に記載されている場合の明確性要件、実施可能要件が争われた事例

平成21年10月13日判決 平成21年(行ケ)第10130号審決取消請求事件

1.技術分野における常識的な用語を請求項の構成要件として記載する場合に、明確性要件(特許法第36条第6項第2号)を満たすためにどのような表現が必要か、実施可能要件(特許法第36条第4項第1号)を満たすためにどの程度の定義が必要かは特許明細書作成時に判断に迷うことの多い問題である。

 本事例では「無機接着剤」という用語が請求項中に記載されている場合の明確性要件、実施可能要件が争われた。当該用語について明細書中に定義も例示もされていなかったにも関わらず、明確性要件、実施可能要件は満たされると判断された。

2.裁判所の判断のポイント

本件発明は以下の通り:

「【請求項1】還元酸化チタン(Ti,Ti,Ti,Ti,Ti11など,Ti2n-1,で表すことができる低次酸化チタン)を基材とし,これに,無機接着剤を配合し,場合によっては,クロマイト(Cr),アルミナ(Al)及びシリカ(SiO)を添加することを特徴とする,工業炉用酸化チタン系熱放射性塗料。」

明確性要件についての裁判所の判断の抜粋

「上記(1)の本件明細書の記載によると,本件発明は工業加熱炉の炉内の放射伝熱を高める塗料及びコーティング材に関する発明であり,塗料及びコーティング材の記載として酸化チタン又は還元酸化チタンを使用することによって,従来の塗料及びコーティング材に欠けていた物性を備えるとともに,放射熱エネルギーを著しく増大させるという効果をもたらし,副次的にガス排気口における排ガス温度が著しく低下するという効果をもたらすというものである。また,同記載によると,本件発明において,無機接着剤は,本件発明に係る工業炉用酸化チタン系熱放射性塗料を製造する際に配合されるものとして,本件発明を特定する事項の一つとなっているが,炉壁表面の塗膜・コーティング膜の成膜作業を溶射法により行う場合には,その配合を必要としないものであり,本件発明の課題を解決するための手段として必須のものではなく,その種類によって本件発明の作用効果に大きな影響を与えるものとして規定されているものでもないと認められる。

「また,上記(2)の文献の記載によると,無機質の接着材料としての無機系接着剤としては,金属,ガラス,セメント,ケイ酸塩,リン酸塩などがあり,有機高分子系接着剤に比べて,耐熱性が高いものであり,このような無機質の接着材料のうち,金属やガラスは気密性に優れているが,接着時にそれぞれの融点や軟化点以上に加熱することが必要であり,また接着部分の耐熱性は接着時の温度を上まわることはないという欠点を有しているため,窯業などではそれ以外の「無機接着剤」が使用されるというのであって,その使用に当たっては,求められる特性や使用条件を考慮して,市販の無機接着剤から選定し,調整するものであることが認められる。そして,上記(2)の文献の発行時期及びその内容からすると,これらの事項はいずれも本件特許出願に係る優先権主張日当時の当業者の技術常識に属する事項であると認めることができる。」

「そうすると,工業加熱炉の炉壁表面の塗膜・コーティング膜を形成するための塗料についての発明である本件発明において配合される無機接着剤が,高温に曝される工業炉の内壁材に求められる物性を考慮して選定され,成膜作業に適するように調整されるべきものであることは,当業者が技術常識に照らして認識することができるというべきである。

「上記(3)のとおり,窯業等の耐熱性を要する場面での利用を前提とする無機接着剤についての当業者の技術常識を踏まえ,本件発明における無機接着剤の位置付けに照らすと,上記の技術常識に基づいて当業者が認識し得る程度を超えて「無機接着剤」を特定する必要はないということができるから,本件発明に係る特許請求の範囲の記載における「無機接着剤」との文言の意味するところは,その限度において明確であって,明確性の要件を満たしているというべきである。

実施可能要件についての裁判所の判断の抜粋

「・・・当業者は,本件発明の実施に当たって,高温に曝される工業炉の内壁材に求められる物性を考慮して配合する無機接着剤を選定し,成膜作業に適するように調整するにすぎないと認められ,本件全証拠に照らしても,塗料の基材として酸化チタン又は還元酸化チタンを使用することに伴って,配合される無機接着剤についての従来の選定方法や調製方法が大きく変更されるべきものとまで認めることはできない。

 もっとも,塗料の基材として酸化チタン又は還元酸化チタンを用いる場合とそれ以外の場合において,他の条件が全く同様である場合に,配合される無機接着剤の選定や調整に違いがあり得るとしても,上記2(3)のとおり,工業加熱炉の炉壁表面の塗膜・コーティング膜を形成するための塗料に配合される無機接着剤については,高温に曝される工業炉の内壁材に求められる物性を考慮して選定され,成膜作業に適するように調整されることが当業者の技術常識であると認められる以上,上記のような違いは,当業者による選定及び調整によって対応される範囲内の事柄であるというべきであり,それによって本件発明の実施をすることができないというものではない。

2009年11月3日火曜日

審決書に「審決の理由」の記載が要求される趣旨

平成21年7月29日判決

平成20年(行ケ)第10338号審決取消請求事件

1.概要

 本判決では、進歩性の判断において判断者の恣意を排除し論理的な判断を求めている。この点で平成20年(行ケ)第10096号事件(本ブログ2009年4月19日投稿記事参照)と同趣旨の判決である。本判決では、審決書の「審決の理由」において、先行技術に基づいて請求項記載の発明を完成させることが容易であると結論付けられる理由を十分に明示することを求めている。

2.裁判所の判断抜粋

「審決に理由記載が要求される趣旨について

 特許法157条2項には,審決は,審決の結論のみならず結論に至った理由を文書に記載する旨が規定されている。特許法が,審決書に理由の記載を要求した趣旨は,①審決における判断の合理性等を担保して恣意を抑制すること,②審決の理由を当事者に知らせることによって,取消訴訟(不服申立)の要否等を検討するため,当事者に対する便宜を図ること,③理由を文書に記載することによる事実上の結果として,公正かつ充実した審判手続が確保されること等によるものである。

 特に,審決において,特許法29条2項所定の要件を充足すると判断する場合には,その性質上,客観的な証拠(技術資料)に基づかない認定や論理性を欠いた判断をする危険性が常に伴うものである。したがって,審決書における「審決の理由」には,事実認定が証拠によって適切にされ,認定事実を基礎とした結論を導く過程が論理的にされている旨客観的に説示されていることが必要であり,後に争われる審決取消訴訟においても,その点に関して,吟味,判断するのに十分な内容であることが不可欠といえる。

 上記の観点から,本件審決を検討する。

(1) 本願発明と引用発明1の各特徴

ア 本願発明の特徴

 本願発明は,特許請求の範囲(請求項1)の記載等を基礎とするならば,少なくとも,

① 案内面(4-5)は平面を備え,平面は前記案内体(4)の軸心線と固定側型形成体(2-2)又は可動側型形成体(3-2)が,案内体(4)から張り出す部分の重心を含む張出し面に概ね直交しているダイセットであること,

② 可動側型形成体(3-2)は,一端部が1本の案内体(4)に支持され他端部は支持されない片持ち梁であること,

③ 案内面(4-5)は案内体(4)の側面に形成され,案内面(4-5)の平面は互いに直交する4平面で形成されていること,

という3つの特徴的な構成からなっている。

 そして,補正明細書(甲1の1~3)によれば,従来技術では,可動側ダイプレートは,1本又は2本のガイドポスト(以下「案内体」ともいう。)に片持ちに支持されて昇降運動し,ガイドポストとガイドポストを通すために可動側ダイプレートに形成される穴は円柱状に形成されるが,可動側ダイプレートは,その重力又は動作時の偏荷重を受けるため,ガイドポストの軸心線に対して傾斜する方向の外力を受け,円柱状摩擦摺動面の摩耗が進み,この摩耗を軽減しようとして介設された球体と摩耗面部に局所的な応力が生じて,摩耗が促進され,ガイドポストの曲げ変形を起こすという課題が存在していたのに対して,本願発明は,同課題を解決するため,①ガイドポストの側面に形成される案内面は,互いに直交する4平面で形成され,案内面はガイドローラリテーナを介して案内用孔を摺動すること,②案内面は,案内体から張り出す型形成体の重心と案内体の軸心線を含む面である張出し面と直交し,偏荷重がかかっても局所的応力が組型に発生しないようにさせたというものである。

イ 引用例発明1の特徴

 引用例発明1は,四角柱状のガイドポストと四角柱状の貫通孔を有するガイドブッシュの間に,軸方向への並進運動を円滑にするよう配列されたローラ・ベアリングを配し,これによって,運転中に故障が生じにくく,高い寸法精度が保たれ,純粋な並進運動を行うダイセットを提供しようとするものである(別紙引用例1【図1】参照)。

 従来技術においては,ガイドポスト及びガイドブッシュの貫通孔が円柱状に形成され,その間にボールベアリングが使用されていたことにより,①ボールベアリングに大きな圧力がかかること,②衝撃力に弱いこと,③ガタが生じやすく寸法精度が劣化しやすいこと,④円柱状のガイドポストと円柱状の貫通孔を有するガイドブッシュとが円筒状のボールリテーナーを介して単に嵌め合っているため,ガイドポストとガイドブッシュとは,相互に並進運動をするだけでなく,共通軸の回りに回転運動も行うこと等の課題を解決するための発明である。

 その摺動部分は,プレス金型用ダイセットに組み込まれることが想定されているものの,ダイセットの全体構成については,何らの開示はされていない。

(2) 審決に記載された理由の概要

 審決が法29条2項に該当すると判断した理由は,前記第2の3の(1)のとおりである。すなわち,

① 本願発明と引用例発明1とは,前記(1)のアの③において一致する。

② 他方,本願発明と引用例発明1とは,前記(1)のアの①,②において相違する,

③ 相違点の中の,前記(1)のアの②の「案内体が1本であること」に関しては,周知例1ないし4に開示されている,

④ 相違点の中の,前記(1)のアの②の「片持ち梁であること」及び前記(1)のアの①の「直交」については,引用例発明2に開示されている,

⑤ 引用例発明1と引用例発明2とは,発明の対象が共通しているから,組み合わせることが容易である,

 したがって,本願発明は,特許法29条2項に該当するというものである。

(3) 判断

 本願発明は,前記(1)のアの①,②,③の各構成のすべてを備えた,一つのまとまった技術的思想からなる発明である。これに対し,引用例発明1は,その中の一つの構成である③のみを共通にする発明にすぎず,①及び②(「直交」,「案内体の本数」,「片持ち梁」)の3点については,構成を有しない。

 審決は,本願発明中の各相違点に係る構成は,周知例や引用例発明2に示されている技術であると説示している。しかし,審決では,本願発明と一つの技術的構成においてのみ一致し,複数の技術的構成において,実質的相違が存在し,その課題解決も異なる引用例発明1を基礎として,本願発明に到達することが容易であるとする判断を客観的に裏付けるだけの説示は,審決書に記載されているとはいえない。

 とりわけ,審決は,相違点1(前記(1)のアの②の「案内体が1本であること」)に関する判断においては,「身長計」,「自動車リフトの支柱」,「燭台」等を挙げているのに対して,相違点2(前記(1)のアの②の「片持ち梁であること」,及び前記(1)のアの①の「直交」)に関する判断においては,引用例発明2を挙げているが,引用例発明2は,「2本の円柱体のガイドポスト」を必須の構成要件とするものであって,相違点1に関して容易であるとする判断の基礎として用いた周知例と相反するものであるため,周知例と引用例の相互の矛盾を説示することが求められるが,審決では,その点の矛盾に対する合理的な説明は,されていない。

 以上のとおり,本件における審決書に記載された具体的な理由は,特許法157条2項が審決書に理由記載を求めた趣旨,すなわち,審決における判断の合理性等を担保して恣意を抑制すること,客観的な証拠(技術資料)に基づかない認定や論理性を欠いた判断をする危険性を排除するとの趣旨に照らして,十分な説示がされているとはいえない。

 したがって,審決の取消事由に関する原告の主張(とりわけ,取消事由2に係る主張)は,理由がある。」