2009年12月13日日曜日

引用発明と本願発明との一致点の認定の妥当性が争われた事例

平成21年12月2日判決

平成21年(行ケ)第10070号審決取消請求事件

1.概要

 特許出願に係る発明の新規性進歩性を判断する際、審査官又は審判官が、新規性進歩性を否定するのに都合のよい方向に先行技術文献の記載事項を解釈し、「引用発明」を認定することがしばしばある。

 このような解釈は「特許出願に係る発明の構成を知ったうえでの事後分析的な解釈」であることが多く、許されるべきではない。

 本事例は、先行技術文献の一見不明確な記載事項を、特許出願に係る発明の構成と一致すると解釈した審決の判断が覆された事例である。事後分析的な解釈を正当化するために、被告(特許庁)は、「技術常識」により、先行技術文献の記載事項と本願発明の構成との間のギャップは埋められると主張したが、裁判所はこれを否定した。

2.判決の要点

 本願発明:

【請求項1】「密閉構造を有する容器,及び該容器に収容されてなる,(1)ラジカル硬化型樹脂及びラジカル重合性単量体よりなる群から選ばれる少なくとも1つの第1ラジカル硬化型化合物及び硬化促進剤とからなる硬化性組成物,及び(2)該硬化性組成物(1)用粒状被覆硬化剤であって,全表面が,ラジカル硬化型樹脂及びラジカル重合性単量体よりなる群から選ばれる少なくとも1つの第2ラジカル硬化型化合物に由来する硬化樹脂の層により被覆された有機過酸化物の粒状成形体からなり,該第1及び第2ラジカル硬化型化合物は同じか異なっている粒状被覆硬化剤の複数の粒子,を包含してなるアンカーボルト固定用組成物を包含してなり,該容器がアンカーボルトをカプセルに施す時にアンカーボルトの作用により破砕可能であることを特徴とするアンカーボルト固定用カプセル。」

 要するに、本願発明のアンカーボルト固定用カプセルは、密閉カプセル中に、硬化性組成物(ラジカル硬化型樹脂または単量体+硬化促進剤)と、それを硬化する硬化剤である、有機過酸化物とを収容したものである。そして有機過酸化物が、硬化樹脂の層により被覆された粒状成形体として存在することを特徴とする。本願発明のアンカーボルト固定用カプセルはアンカーボルトの施工時の穿穴内に置かれ、アンカーボルト施工時の機械的な力によりカプセル容器が破壊されるとともに、有機過酸化物の粒状成形体も破壊され、硬化性組成物と、有機過酸化物とが混合されて硬化反応が生じる。

 引用例1には以下の記載がある。

ア「特許請求の範囲」

「1.アクリル化合物を主体とする硬化性接着剤において,

エポキシ基を有するビスフェノール化合物および/またはノボラック化合物を使用してアクリル酸またはアクリル酸誘導体を転化させることによって得られる反応生成物を硬化性アクリル化合物として含有することを特徴とするアクリル化合物を主体とする硬化性接着剤。」

イ「発明の詳細な説明」

「本発明の接着剤は穿孔中にだぼおよびアンカーボルトを固定するために使用するのが特に有利である。実際に,反応性樹脂および硬化剤はその都度所望の成分と共に個別にあるいは一緒に直接混合後に穿孔中に導入することができる。しかし,大部分の場合に,反応性樹脂および硬化剤を,単一体,例えば,一個のパトローネ中に2個の室に分けて入れる。パトローネまたは同様な単一体は大部分の場合にガラスまたは例えば脆いプラスチックを包含する他の容易に破壊される材料から構成する。パトローネは穿孔中に導入した後にだぼまたはアンカーボルトを挿入,回転させることによって破壊され,この際パトローネの壁材料は充塡剤として作用することができ,充塡剤の部分に加えられる。しかし,1種の成分,例えば,硬化剤がマイクロカプセル中に封入されている系も使用することができる。アンカーボルトを挿入した際にマイクロカプセルの壁材料が破壊される。」(4頁右下欄8行~5頁左上欄5行)

 審決では、引用例1の4頁右下欄8行~5頁左上欄5行の記載に関して、次のように指摘した。

 「・・・『しかし,1種の成分,例えば,硬化剤がマイクロカプセル中に封入されている系も使用することができる。アンカーボルトを挿入した際にマイクロカプセルの壁材料が破壊される。』との記載は,『反応性樹脂および硬化剤を,単一体,例えば,一個のパトローネ中に2個の室に分けて入れる』形態における『2個の室に分けて入れる』形態に代えて,『1種の成分,例えば,硬化剤がマイクロカプセル中に封入されている』形態を採用し得ることを意味するものと認められる。してみると、引用文献3(引用例1)には,『エポキシ基を有するビスフェノール化合物および/またはノボラック化合物を使用してアクリル酸またはアクリル酸誘導体を転化させることによって得られる反応生成物である硬化性アクリル化合物と,マイクロカプセル中に封入された硬化剤とを,パトローネ中に入れたものであり,パトローネは穿孔中に導入した後にアンカーボルトを挿入,回転させることによって破壊されるものである,アンカーボルトを固定するために使用するパトローネ』が記載されているものと認められる。」

 上記の解釈を前提として、審決では、引用例1には密閉カプセル中に、硬化性組成物と、それを硬化する硬化剤である、有機過酸化物とを収容したアンカーボルト固定用カプセルが記載されており、該有機過酸化物が「マイクロカプセル中に封入された有機過酸化物」である点において、所定の硬化樹脂の層により被覆された有機過酸化物の粒状成形体を用いる本願発明と相違すると認定した。

 訴訟において被告(特許庁)は、「・・・一個のパトローネ中に2個の室に分けて入れることも,硬化剤をマイクロカプセル中に封入することも,共に使用前における反応性樹脂と硬化剤とのこれら2種の成分間の反応を回避して接着剤としての貯蔵期間を確保するためのものである点で共通するから・・・硬化剤をマイクロカプセル中に封入すれば,一個のパトローネ中,2個の室に分けて入れる必要がないことは自明である。」と主張している。

 裁判所は以下の通り説示し、審決における一致点の認定を否定した。

「ア 審決は,前記第2.3(1) のとおり,引用発明において,マイクロカプセル中に封入された硬化剤がパトローネ中に入れられた旨認定しているところ,前記(2)イのとおり,引用例1には,「しかし,1種の成分,例えば,硬化剤がマイクロカプセル中に封入されている系も使用することができる。アンカーボルトを挿入した際にマイクロカプセルの壁材料が破壊される。」との記載(本件記載C)があるものの,それ以外にマイクロカプセルについての記載はない。

 そこで,本願出願時の技術常識を踏まえて,引用例1に,マイクロカプセル中に封入された硬化剤が,さらにパトローネ中に入れられた態様のものが記載されているといえるかにつき,以下検討する。

イ 引用例1における本件記載Cの直前の記載である本件記載B,すなわち「しかし,大部分の場合に,反応性樹脂および硬化剤を,単一体,例えば,一個のパトローネ中に2個の室に分けて入れる。…パトローネは穿孔中に導入した後にだぼまたはアンカーボルトを挿入,回転させることによって破壊され,この際パトローネの壁材料は充塡剤として作用することができ,充塡剤の部分に加えられる。」との記載は,パトローネを破壊することで,パトローネの各室に収納されていた硬化剤と反応性樹脂が混合されることを説明するものである。そして,これに続く本件記載Cが,「しかし」に始まり,「マイクロカプセルの壁材料が破壊される。」で終わっていることからすれば,パトローネの破壊によって硬化剤と反応性樹脂との混合を行うことに代えてマイクロカプセルの破壊によっても上記両成分の混合を行うことができる旨を説明しているにすぎず,マイクロカプセル中に封入された硬化剤がさらにパトローネ中に入れられた構成までが開示されているとみることはできない。・・・

ウ これに対し,被告は,2成分よりなる結合材を用いてアンカーボルトを固着する技術分野において,カートリッジ型アンカーと注入型アンカーの2つの方法があることは技術常識であり,接着剤において硬化剤をマイクロカプセル中に封入することにより,使用前における反応性樹脂と硬化剤との反応を回避して貯蔵期間を確保することもまた技術常識であって,以上を前提とすれば,引用例1におけるマイクロカプセル中に封入された硬化剤はカートリッジ型アンカーの方法の一態様として記載されていると主張する。

 確かに,証拠(乙1ないし4)から,本願発明出願時に,主剤と硬化剤の2成分からなる結合材を用いてアンカーボルトを固着する技術分野において,カートリッジを用いるものと,主剤・硬化剤の既配合の流体をメクラ穴に注入するもの(注入型アンカー)の2つの方法があったこと,証拠(乙5ないし9)から,本願発明出願時に,接着剤において,硬化剤をマイクロカプセル中に封入することにより,接着剤としての貯蔵期間を確保するとともに,短時間での重合を可能とする方法があったことが,それぞれ認められる。

 しかし,本件に顕れた一切の証拠を精査してもなお,本願出願時において,「マイクロカプセル中に封入した硬化剤をさらにパトローネ中に入れる,すなわちカートリッジ型アンカーの方法に用いること」が技術常識であったとは認められず,この点に関する被告の主張は理由がない。

エ 以上のとおり,引用例1には,マイクロカプセル中に封入された硬化剤をさらにパトローネ中に収納する形態について記載されているとはいえず,パトローネを用いる場合には,2個の室を有するパトローネのいずれかの室に,マイクロカプセル中に封入されていない硬化剤を入れる方法が記載されている(本件記載B)にすぎない。他方,マイクロカプセル中に封入された硬化剤を使用する形態については,パトローネ中に入れられず,直接穿孔中に導入する方法が記載されている(本件記載C)にとどまる。

 そうであるとすれば,審決は,引用発明につき,「エポキシ基を有するビスフェノール化合物および/またはノボラック化合物を使用してアクリル酸またはアクリル酸誘導体を転化させることによって得られる反応生成物である硬化性アクリル化合物と,促進剤と,過酸化ジベンゾイルからなる重合開始剤を含有する硬化剤とを,2個の室を有するパトローネ中に入れたものであり,パトローネおよび室は穿孔中に導入した後にアンカーボルトを挿入,回転させることによって破壊されるものである,アンカーボルトを固定するために使用するパトローネ」と認定すべきであって,「硬化剤をマイクロカプセル中に封入した上で,これをさらにパトローネ中に入れた」旨認定した審決には誤りがあるといわざるを得ない。