2009年12月27日日曜日

数値限定発明の新規性

東京高裁平成5年12月14日判決

平成4年(行ケ)第168号審決取消請求事件

1.概要

 「成分Aを10~50%含む組成物」が公知文献に記載されている場合に、「成分Aを10~20%含む組成物」は新規性を有するのか?という疑問がある。

 特許実用新案審査基準第II部/第2章 新規性・進歩性/2.進歩性/2.5論理づけの具体例/(3)引用発明と比較した有利な効果/④には、以下の記載がある。

「数値限定を伴った発明における考え方発明を特定するための事項を、数値範囲により数量的に表現した、いわゆる数値限定の発明については、

()実験的に数値範囲を最適化又は好適化することは、当業者の通常の創作能力の発揮であって、通常はここに進歩性はないものと考えられる。しかし、

()請求項に係る発明が、限定された数値の範囲内で、刊行物に記載されていない有利な効果であって、刊行物に記載された発明が有する効果とは異質なもの、又は同質であるが際だって優れた効果を有し、これらが技術水準から当業者が予測できたものでないときは、進歩性を有する。」

 しかしながら、上記審査基準の説明はあくまで「進歩性」に関する説明であり、数値範囲が完全に重複する場合でも新規性があるのか?という素朴な問いに対する直接の答えではない。

 本日紹介する判決は、引用発明の数値範囲に、本願発明の数値範囲が完全に含まれる場合でも、本願発明の新規性が直ちに否定されることはなく、本願発明の数値範囲に格別の技術的意義が認められる場合には新規性は肯定される場合があると判示する。すなわち、新規性と進歩性とが一体的に判断され、数値範囲の選択に臨界的意義が認められるなど格別の技術的意義が認められる場合には、新規性と進歩性とが同時に認められる。一方で、数値範囲の選択に格別の技術的意義が認められない場合には、進歩性が認められないだけでなく、新規性も同時に否定されることになると考えられる。

 なお、本判決では、29条の2の先願発明に対する新規性の有無が争点であり、進歩性の有無についての議論の余地はない。

 同様の取り扱いは、数値範囲の選択だけでなく、選択発明全般に見られるように思われる。すなわち、選択発明は、引用発明に対して顕著な効果、有利な効果が認められれば新規性と進歩性が同時に肯定され、引用発明と同等の効果に過ぎなければ新規性と進歩性が同時に否定されることが多いように思われる。ただし、判断者の中には、選択発明は原則として新規性があり、後は進歩性の問題、と判断する人も少なくなく、断言はしかねるが。

 なお、引用発明が「事実上の選択肢」の形式で記載されている場合は新規性は否定されるので注意が必要である。引用発明が「炭素数1~10のアルキル基」を含む発明であるとき、「炭素数2~5のアルキル基」を含む以外は同一構成の発明は新規性がない(特許実用新案審査基準第II部/第2章 新規性・進歩性/1.新規性/1.5.5.新規性の判断/(2))。

2.判決のポイント

本願発明Aは以下の通り:

「下記の成分(a)、(b)及び(c)を含むことを特徴とする水溶液の遊離多価金属イオン含量を迅速に低減しうる洗剤組成物。
(a)5%ないし95重量%の、次式の水に不溶の結晶性アルミノけい酸塩イオン交換材。Na12(AlO・SiO12・xH
前記式中、xは20ないし30の整数であり、前記アルミノけい酸塩イオン交換材は1ないし10ミクロンの粒度直径を有するものであり、無水物基準で200ないし352ミリグラム当量CaCO硬度/gのカルシウムイオン交換容量を有し、無水物基準で34ないし102mg/リットル/分/g(2ないし6グレン(grain)/ガロン/分/g(CaCOとして表示)のカルシウムイオン交換速度を有するものである。
(b)5%ないし95重量%の、陰イオン、非イオン、両性イオン及び双性イオン表面活性剤及びそれらの混合物からなる群から選ばれた水溶性有機表面活性剤。
(c)5%ないし50重量%の、ピロリン酸ナトリウム、トリポリリン酸ナトリウム、ケイ酸ナトリウム、クエン酸ナトリウム及びニトリロトリ酢酸ナトリウム及びそれらの混合物より選ばれた補助洗剤ビルダー塩。」

特許法29条の2にいう先の出願には、「一次粒度が1ないし50ミクロン」という点を除き同様の構成を有する洗浄剤組成物が記載されている(先願発明Bという)。

審決は「以上の従来技術からみて、先願発明Bのアルミノけい酸塩の製造法は公知のアルミノけい酸塩の一般的製造法と異なるところがなく、また該一般的製造法に対して特別に粒度を調整する手段を採用するものでもないから、先願発明Bの『一次粒度が1~50ミクロン』には、該一般的製造法で得られる珪酸アルミニウムの化合物の通常の粒度のものである1~10μの粒度のものは、包含されるとみるべきであり、他に『1~10ミクロンの粒度直径』のものを排除しなければならない格別の理由も発見することができない。したがって、両発明は、アルミノけい酸塩の粒径において1~10μの範囲において一致する。」と認定判断している。

以下は、裁判所の判断(争点に対する判断)からの抜粋である。

「・・・アルミノけい酸塩イオン交換材の粒度直径については、本願発明Aの要旨とする構成は1ないし10ミクロンであるのに対し、先願発明Bの構成は1ないし50ミクロンであるから、先願発明Bには本願発明Aが包含されるところ、原告は、本願発明Aは先願発明Bの1ないし50ミクロンの数値範囲から「1ないし10ミクロン」の範囲を選択し、数値限定したことにより、発明としての新規性を有する旨主張する。
 発明の要旨に数値の限定を伴う発明において、その数値範囲が先行発明の数値範囲に含まれる場合であっても、その数値限定に格別の技術的意義が認められる場合、すなわち、数値限定に臨界的意義が存することにより当該発明が先行発明に比して格別の優れた作用効果を奏するものであるときは、その発明は先行発明に対して新規性を有するというべきである。
 そして、発明の要旨に数値上の限定を伴う発明が上記の意味において新規性を有するかどうかを判断するに当たっては、発明の奏する作用効果は明細書の発明の詳細な説明に具体的に記載されるべきものであるから、まず、当該発明の明細書の記載事項に基づいて検討すべきである。
 そこで、本願発明Aに係る明細書の記載事項について検討すると、本願明細書に記載された技術的課題(目的)、構成及び作用効果は、前記第二の一5のとおりであって、前掲甲第1号証ないし第4号証を検討しても、本願発明Aにおける前記数値限定の下限(1ミクロン)及び上限(10ミクロン)の臨界的意義については何らの記載も示唆も存しないことが認められる。
 この点について、原告は、本願発明の第1優先権証明書の記載を引用して、同証明書には前記数値限定の臨界的意義が記載されている旨主張する。
 甲第5号証によれば、本願発明の第1優先権証明書には、「前述の方法による水に不溶の無機アルミノシリケート交換物質は、直径で約1ミクロン乃至約100ミクロンの粒径、好ましくは約1ミクロンから約10ミクロンの粒径を有する。」(10頁20行ないし24行)、「アルミノシリケートイオン交換物質が約1ミクロンないし約10ミクロンの粒径を有する特許請求の範囲第1項の組成物」(49頁18行ないし20行)との記載があることが認められる。
 しかしながら、上記認定事実によれば、本願発明の第1優先権証明書は、直径で約1ミクロンから約10ミクロンの粒径を有するものを好ましいとはするものの、直径で約1ミクロンないし約100ミクロンの粒径のものを発明の対象としていることが明らかであり、1ミクロンと10ミクロンという粒径の上下の限界が臨界的であることを認識しているとは認められない。
 そして、本願発明の第1優先権証明書に上記認定事項以外に前記数値限定の臨界的意義が記載されていることについては、原告は何らの主張もしておらず、またそのような記載ないし示唆があることを認めるに足りる証拠もない(上記証明書である前掲甲第5号証については、原告は前記認定部分についての訳文を提出しているのみであって、その余の部分は証拠とはならない。)。
 したがって、本願明細書の記載事項からは、本願発明Aにおける前記数値限定にその臨界的意義を認めることはできない。

2009年12月13日日曜日

引用発明と本願発明との一致点の認定の妥当性が争われた事例

平成21年12月2日判決

平成21年(行ケ)第10070号審決取消請求事件

1.概要

 特許出願に係る発明の新規性進歩性を判断する際、審査官又は審判官が、新規性進歩性を否定するのに都合のよい方向に先行技術文献の記載事項を解釈し、「引用発明」を認定することがしばしばある。

 このような解釈は「特許出願に係る発明の構成を知ったうえでの事後分析的な解釈」であることが多く、許されるべきではない。

 本事例は、先行技術文献の一見不明確な記載事項を、特許出願に係る発明の構成と一致すると解釈した審決の判断が覆された事例である。事後分析的な解釈を正当化するために、被告(特許庁)は、「技術常識」により、先行技術文献の記載事項と本願発明の構成との間のギャップは埋められると主張したが、裁判所はこれを否定した。

2.判決の要点

 本願発明:

【請求項1】「密閉構造を有する容器,及び該容器に収容されてなる,(1)ラジカル硬化型樹脂及びラジカル重合性単量体よりなる群から選ばれる少なくとも1つの第1ラジカル硬化型化合物及び硬化促進剤とからなる硬化性組成物,及び(2)該硬化性組成物(1)用粒状被覆硬化剤であって,全表面が,ラジカル硬化型樹脂及びラジカル重合性単量体よりなる群から選ばれる少なくとも1つの第2ラジカル硬化型化合物に由来する硬化樹脂の層により被覆された有機過酸化物の粒状成形体からなり,該第1及び第2ラジカル硬化型化合物は同じか異なっている粒状被覆硬化剤の複数の粒子,を包含してなるアンカーボルト固定用組成物を包含してなり,該容器がアンカーボルトをカプセルに施す時にアンカーボルトの作用により破砕可能であることを特徴とするアンカーボルト固定用カプセル。」

 要するに、本願発明のアンカーボルト固定用カプセルは、密閉カプセル中に、硬化性組成物(ラジカル硬化型樹脂または単量体+硬化促進剤)と、それを硬化する硬化剤である、有機過酸化物とを収容したものである。そして有機過酸化物が、硬化樹脂の層により被覆された粒状成形体として存在することを特徴とする。本願発明のアンカーボルト固定用カプセルはアンカーボルトの施工時の穿穴内に置かれ、アンカーボルト施工時の機械的な力によりカプセル容器が破壊されるとともに、有機過酸化物の粒状成形体も破壊され、硬化性組成物と、有機過酸化物とが混合されて硬化反応が生じる。

 引用例1には以下の記載がある。

ア「特許請求の範囲」

「1.アクリル化合物を主体とする硬化性接着剤において,

エポキシ基を有するビスフェノール化合物および/またはノボラック化合物を使用してアクリル酸またはアクリル酸誘導体を転化させることによって得られる反応生成物を硬化性アクリル化合物として含有することを特徴とするアクリル化合物を主体とする硬化性接着剤。」

イ「発明の詳細な説明」

「本発明の接着剤は穿孔中にだぼおよびアンカーボルトを固定するために使用するのが特に有利である。実際に,反応性樹脂および硬化剤はその都度所望の成分と共に個別にあるいは一緒に直接混合後に穿孔中に導入することができる。しかし,大部分の場合に,反応性樹脂および硬化剤を,単一体,例えば,一個のパトローネ中に2個の室に分けて入れる。パトローネまたは同様な単一体は大部分の場合にガラスまたは例えば脆いプラスチックを包含する他の容易に破壊される材料から構成する。パトローネは穿孔中に導入した後にだぼまたはアンカーボルトを挿入,回転させることによって破壊され,この際パトローネの壁材料は充塡剤として作用することができ,充塡剤の部分に加えられる。しかし,1種の成分,例えば,硬化剤がマイクロカプセル中に封入されている系も使用することができる。アンカーボルトを挿入した際にマイクロカプセルの壁材料が破壊される。」(4頁右下欄8行~5頁左上欄5行)

 審決では、引用例1の4頁右下欄8行~5頁左上欄5行の記載に関して、次のように指摘した。

 「・・・『しかし,1種の成分,例えば,硬化剤がマイクロカプセル中に封入されている系も使用することができる。アンカーボルトを挿入した際にマイクロカプセルの壁材料が破壊される。』との記載は,『反応性樹脂および硬化剤を,単一体,例えば,一個のパトローネ中に2個の室に分けて入れる』形態における『2個の室に分けて入れる』形態に代えて,『1種の成分,例えば,硬化剤がマイクロカプセル中に封入されている』形態を採用し得ることを意味するものと認められる。してみると、引用文献3(引用例1)には,『エポキシ基を有するビスフェノール化合物および/またはノボラック化合物を使用してアクリル酸またはアクリル酸誘導体を転化させることによって得られる反応生成物である硬化性アクリル化合物と,マイクロカプセル中に封入された硬化剤とを,パトローネ中に入れたものであり,パトローネは穿孔中に導入した後にアンカーボルトを挿入,回転させることによって破壊されるものである,アンカーボルトを固定するために使用するパトローネ』が記載されているものと認められる。」

 上記の解釈を前提として、審決では、引用例1には密閉カプセル中に、硬化性組成物と、それを硬化する硬化剤である、有機過酸化物とを収容したアンカーボルト固定用カプセルが記載されており、該有機過酸化物が「マイクロカプセル中に封入された有機過酸化物」である点において、所定の硬化樹脂の層により被覆された有機過酸化物の粒状成形体を用いる本願発明と相違すると認定した。

 訴訟において被告(特許庁)は、「・・・一個のパトローネ中に2個の室に分けて入れることも,硬化剤をマイクロカプセル中に封入することも,共に使用前における反応性樹脂と硬化剤とのこれら2種の成分間の反応を回避して接着剤としての貯蔵期間を確保するためのものである点で共通するから・・・硬化剤をマイクロカプセル中に封入すれば,一個のパトローネ中,2個の室に分けて入れる必要がないことは自明である。」と主張している。

 裁判所は以下の通り説示し、審決における一致点の認定を否定した。

「ア 審決は,前記第2.3(1) のとおり,引用発明において,マイクロカプセル中に封入された硬化剤がパトローネ中に入れられた旨認定しているところ,前記(2)イのとおり,引用例1には,「しかし,1種の成分,例えば,硬化剤がマイクロカプセル中に封入されている系も使用することができる。アンカーボルトを挿入した際にマイクロカプセルの壁材料が破壊される。」との記載(本件記載C)があるものの,それ以外にマイクロカプセルについての記載はない。

 そこで,本願出願時の技術常識を踏まえて,引用例1に,マイクロカプセル中に封入された硬化剤が,さらにパトローネ中に入れられた態様のものが記載されているといえるかにつき,以下検討する。

イ 引用例1における本件記載Cの直前の記載である本件記載B,すなわち「しかし,大部分の場合に,反応性樹脂および硬化剤を,単一体,例えば,一個のパトローネ中に2個の室に分けて入れる。…パトローネは穿孔中に導入した後にだぼまたはアンカーボルトを挿入,回転させることによって破壊され,この際パトローネの壁材料は充塡剤として作用することができ,充塡剤の部分に加えられる。」との記載は,パトローネを破壊することで,パトローネの各室に収納されていた硬化剤と反応性樹脂が混合されることを説明するものである。そして,これに続く本件記載Cが,「しかし」に始まり,「マイクロカプセルの壁材料が破壊される。」で終わっていることからすれば,パトローネの破壊によって硬化剤と反応性樹脂との混合を行うことに代えてマイクロカプセルの破壊によっても上記両成分の混合を行うことができる旨を説明しているにすぎず,マイクロカプセル中に封入された硬化剤がさらにパトローネ中に入れられた構成までが開示されているとみることはできない。・・・

ウ これに対し,被告は,2成分よりなる結合材を用いてアンカーボルトを固着する技術分野において,カートリッジ型アンカーと注入型アンカーの2つの方法があることは技術常識であり,接着剤において硬化剤をマイクロカプセル中に封入することにより,使用前における反応性樹脂と硬化剤との反応を回避して貯蔵期間を確保することもまた技術常識であって,以上を前提とすれば,引用例1におけるマイクロカプセル中に封入された硬化剤はカートリッジ型アンカーの方法の一態様として記載されていると主張する。

 確かに,証拠(乙1ないし4)から,本願発明出願時に,主剤と硬化剤の2成分からなる結合材を用いてアンカーボルトを固着する技術分野において,カートリッジを用いるものと,主剤・硬化剤の既配合の流体をメクラ穴に注入するもの(注入型アンカー)の2つの方法があったこと,証拠(乙5ないし9)から,本願発明出願時に,接着剤において,硬化剤をマイクロカプセル中に封入することにより,接着剤としての貯蔵期間を確保するとともに,短時間での重合を可能とする方法があったことが,それぞれ認められる。

 しかし,本件に顕れた一切の証拠を精査してもなお,本願出願時において,「マイクロカプセル中に封入した硬化剤をさらにパトローネ中に入れる,すなわちカートリッジ型アンカーの方法に用いること」が技術常識であったとは認められず,この点に関する被告の主張は理由がない。

エ 以上のとおり,引用例1には,マイクロカプセル中に封入された硬化剤をさらにパトローネ中に収納する形態について記載されているとはいえず,パトローネを用いる場合には,2個の室を有するパトローネのいずれかの室に,マイクロカプセル中に封入されていない硬化剤を入れる方法が記載されている(本件記載B)にすぎない。他方,マイクロカプセル中に封入された硬化剤を使用する形態については,パトローネ中に入れられず,直接穿孔中に導入する方法が記載されている(本件記載C)にとどまる。

 そうであるとすれば,審決は,引用発明につき,「エポキシ基を有するビスフェノール化合物および/またはノボラック化合物を使用してアクリル酸またはアクリル酸誘導体を転化させることによって得られる反応生成物である硬化性アクリル化合物と,促進剤と,過酸化ジベンゾイルからなる重合開始剤を含有する硬化剤とを,2個の室を有するパトローネ中に入れたものであり,パトローネおよび室は穿孔中に導入した後にアンカーボルトを挿入,回転させることによって破壊されるものである,アンカーボルトを固定するために使用するパトローネ」と認定すべきであって,「硬化剤をマイクロカプセル中に封入した上で,これをさらにパトローネ中に入れた」旨認定した審決には誤りがあるといわざるを得ない。