2009年9月27日日曜日

特許請求の範囲の用語の解釈にまつわる判決(その3)

知財高裁平成18年9月28日判決平成18年(ネ)第10007号事件「図形表示装置及び方法」

1.概要
 本判決は、特許成立後の侵害訴訟において、侵害被疑物件が特許発明の技術的範囲に属するか否かを判断する際には、
特許請求の範囲の用語が一義的に明確であるか否かに関係なく、特許請求の範囲の用語の意義は明細書の記載を参酌して解釈されることを明らかにした。なお、本判決の事例は、本ブログ平成21年7月27日付け投稿における「場面(3)」に該当する。
 本判決では、控訴人(特許権者)は、特許発明における「読出順序データ」という構成が、従来技術を考慮すれば、侵害被疑物件における「キャラクタコード」を包含すると主張した。これに対して裁判所は、明細書の記載等から、「読出順序データ」が「キャラクタコード」を意味するとは解釈できず、侵害被疑物件は特許発明の構成を有していない旨判断した。

2.裁判所の判断抜粋
「2.本件特許発明の技術的範囲の解釈について
(1)特許法70条1項は,「特許発明の技術的範囲は,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない。」,同条2項は,「前項の場合においては,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮して,特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする。」と規定しているところ,元来,特許発明の技術的範囲は,同条1項に従い,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定められなければならないが,その記載の意味内容をより具体的に正確に判断する資料として明細書の記載及び図面にされている発明の構成及び作用効果を考慮することは,なんら差し支えないものと解されていたのであり(最高裁昭和50年5月27日第三小法廷判決・判時781号69頁参照),平成6年法律第116号により追加された特許法70条2項は,その当然のことを明確にしたものと解すべきである。
 ところで,特許明細書の用語,文章については,〔1〕明細書の技術用語は,学術用語を用いること,〔2〕用語は,その有する普通の意味で使用し,かつ,明細書全体を通じて統一して使用すること,〔3〕特定の意味で使用しようとする場合には,その意味を定義して使用すること,〔4〕特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とは矛盾してはならず,字句は統一して使用することが必要であるところ(特許法施行規則様式29〔備考〕7,8,14イ),明細書の用語が常に学術用語であるとは限らず,その有する普通の意味で使用されているとも限らないから,特許発明の技術的範囲の解釈に当たり,特許請求の範囲の用語,文章を理解し,正しく技術的意義を把握するためには,明細書の発明の詳細な説明の記載等を検討せざるを得ないものである。
 
また,特許権侵害訴訟において,相手方物件が当該特許発明の技術的範囲に属するか否かを考察するに当たって,当該特許発明が有効なものとして成立している以上,その特許請求の範囲の記載は,発明の詳細な説明の記載との関係で特許法36条のいわゆるサポート要件あるいは実施可能要件を満たしているものとされているのであるから,発明の詳細な説明の記載等を考慮して,特許請求の範囲の解釈をせざるを得ないものである。
 そうすると,当該特許発明の特許請求の範囲の文言が一義的に明確なものであるか否かにかかわらず,願書に添付した明細書の発明の詳細な説明の記載及び図面を考慮して,特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈すべきものと解するのが相当である。
(2)控訴人は,従来技術から明確になる事柄については,発明の詳細な説明の記載等により限定して解釈すべきではないとし,本件特許発明において,その特許請求の範囲は,従来技術を考慮すれば,当業者にとって,一義的に明確なものであるから,何ら限定解釈を加える理由はないのであって、本件特許発明の技術的範囲を限定的に解釈した上で,被控訴人製品が本件特許発明の構成要件を充足しないとした原判決の認定判断は誤りであると主張する。
 しかし,上記のとおり,特許権侵害訴訟においては,特許請求の範囲の文言が一義的に明確であるか否かを問わず,発明の詳細な説明の記載等を考慮して特許請求の範囲の解釈をすべきものであるから,従来技術から明確になる事柄について,それ以上発明の詳細な説明の記載等から限定して解釈すべきではないとする控訴人の主張は,そもそも,誤りである。 
 我が国の特許制度は,産業政策上の見地から,自己の発明を公開して社会における産業の発達に寄与した者に対し,その公開の代償として,当該発明を一定期間独占的,排他的に実施する権利(特許権)を付与してこれを保護することにしつつ,同時に,そのことにより当該発明を公開した発明者と第三者との間の利害の調和を図ることにしているものと解される(最高裁平成11年4月16日第二小法廷判決・民集53巻4号627頁参照)。本件原出願(昭和59年10月2日出願)に適用される昭和60年法律第41号による改正前の特許法36条4項が「第2項第3号の発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」(いわゆる実施可能要件),同条5項が「第2項第4号の特許請求の範囲には,発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない。ただし,その発明の実施態様を併せて記載することを妨げない。」(いわゆるサポート要件)と定めているのも,発明の詳細な説明の記載要件という場面における,特許制度の上記趣旨の具体化であるということができる。
したがって,特許請求の範囲の記載に基づく特許発明の技術的範囲の解釈に当たって,何よりも考慮されるべきであるのは,公開された明細書の発明の詳細な説明の記載等であって,これに開示されていない従来技術は発明の詳細な説明の記載等に勝るものではない。
 仮に,控訴人主張のとおり,特許発明の技術的範囲の解釈において,従来技術から明確になる事柄については,それ以上発明の詳細な説明の記載等により限定して解釈すべきではないとすることが許されるならば,発明の詳細な説明の記載等とは無関係に,特許請求の範囲の解釈の名の下に,随意に新たな技術を当該発明として取り込むことにもなりかねず,このような結果が,上記発明の公開の趣旨に反することは明らかである。
(3)以上のとおり,特許発明の技術的範囲の解釈に当たって,一義的に明確なものであれば,発明の詳細な説明の記載等により限定して解釈すべきではないとする控訴人の主張は,独自の議論であって,採用し得ないものというべきである。」

3.ダブルスタンダードの問題
 本判決と必ず対比しなければならない事件として、最高裁平成3年3月8日判決、昭和62年(行ツ)3事件(「リパーゼ判決」と通称されることがある)がある。
 リパーゼ判決の事例は、特許成立前の審査審判における新規性進歩性の判断のための発明の要旨認定(本ブログ平成21年7月27日付け投稿における「場面(2)」)の場面での用語の解釈である。特許請求の範囲の「リパーゼ」という用語の範囲を、明細書に記載の「Raリパーゼ」に限定して解釈し発明の要旨を認定するのか、「リパーゼ」という用語の範囲を文字通り広く解釈して発明の要旨を認定するのかという争点に対し、裁判所は後者を支持した。
特許法二九条一項及び二項所定の特許要件、すなわち、特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当たっては、この発明を同条一項各号所定の発明と対比する前提として、特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ、この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。このことは、特許請求の範囲には、特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない旨定めている特許法三六条五項二号の規定(本件特許出願については、昭和五〇年法律第四六号による改正前の特許法三六条五項の規定)からみて明らかである。」

 要するに、特許成立前の段階において、請求項に記載の発明が従来技術に対して新規性進歩性を有するかを判断する場面では「リパーゼ判決」により用語は原則として広く文言どおりに解釈される。一方、特許権成立後の段階において、特許発明の技術的範囲の解釈の場面では本判決に明示されているように、用語は明細書に記載された範囲を考慮して限定的に解釈される。
特許出願人及び特許権者は、常に自身に不利になるよう請求項中の用語が解釈されると覚悟しておくべきである。

 なお、米国においては機能的表現クレーム(ミーンズプラスファンクションクレーム)を明細書図面に記載された具体的な態様に限定して解釈するとする米国特許法第112条第6パラグラフの規定が、審査段階と侵害訴訟の場面の両方で等しく適用され、日本のような「ダブルスタンダード」の問題はないようである(小野康英「日本及び米国における機能表現クレームの実務上の取り扱い」パテントVol.61、No.9(2008)参照)。

2009年9月20日日曜日

拒絶査定とは異なる用語の解釈に基づいて進歩性を判断していることを理由に審決が取り消された事例

知財高裁平成21年9月16日判決
平成20年(行ケ)第10433号審決取消

1.事件経緯
本願発明
「(請求項1) 排ガス流路にNOx浄化触媒を配置した内燃機関の排ガス浄化方法において,前記NOx浄化触媒が,アルカリ金属及びアルカリ土類金属から選ばれる少なくとも一種の元素と,希土類金属から選ばれる少なくとも一種の元素と,白金族金属(いわゆる貴金属)から選ばれる少なくとも一種の元素と,チタン(Ti)とを含む組成物で,排ガスがリーンのときに排ガス中のNOxを表面に吸着し,排ガスがストイキもしくはリッチのとき吸着したNOxをN2に還元するものであって,内燃機関がリーン運転しているとき,前記NOx浄化触媒で排ガス中のNOxを吸着し,吸着後に,排ガスを0.5秒間乃至4.5秒の間ストイキもしくはリッチの状態とし,前記排ガスのストイキもしくはリッチは,そのリッチ状態の深さを空燃比A/F値で,13.0乃至14.7の間とし,前記NOx浄化触媒で吸着したNOxを還元剤と接触反応させてN2に還元して排ガスを浄化する内燃機関の排ガス浄化方法。」

 本発明では、NOx浄化触媒はNOxを表面に「吸着」する作用を有する。NOxの「吸収」とは異なるというのが原告(特許出願人)の解釈であり、明細書中においても、「吸収」と「吸着」とを明確に使い分けている。

 裁判所の解釈によれば、拒絶査定では、主引用例(引用例1、本件訴訟の甲1と同じ)にはNOxの「吸収」について記載されているものの、「吸着」については記載されていないという原告の解釈、すなわち、「吸収」と「吸着」とは異なる現象であるという解釈、を受容したうえで、
「NOx浄化触媒として,NOxを触媒表面への吸着するものは,例示するまでもなく本願出願前において周知である。所謂リッチスパイクの頻度及びそのリッチ状態の深さは,当業者が,燃費,浄化性能等を考慮し,実験等を繰り返すことにより最適値を得ることができるものである。」
と判断した。
 ただし、「NOx浄化触媒として,NOxを触媒表面への吸着するもの」は周知であると述べられているに止まり、何ら証拠は提示されていない拒絶査定では通知されていない。

 一方、拒絶審決では主引用例と本願発明との相違点を補完する周知例を新たに追加して、
「排ガスがリーンのときに,NOx浄化触媒としてNOxを触媒表面へ吸着するものは周知(例えば,周知例1及び周知例2参照。以下「周知技術1」という。)であることから,相違点1に係る本願発明の発明特定事項は周知である。」
と説示した。
 ただし、周知例1、2にはNOxが「吸着」されるという表現は記載されていない。
 裁判所の判断によれば、被告(特許庁)は、「表面に吸着する」とは「触媒表面に吸着するとともに,さらに触媒内部まで拡散(吸収)する」場合に含まれていること,すなわち,「吸着」と「吸収」とは同時に起こる現象であるとの前提に立って拒絶審決を下している。

 以上の点で、拒絶査定と拒絶審決とは異なる基準に基づいて判断を下しており、原告らに反論の機会を与えなかった点で違法性があると判断された。

2.裁判所の判断のポイント
「以上の経緯を考えると,・・・審査官は,「NOxを表面に吸着し」に関して,「吸着」と「吸収」の意義及び関係についての原告ら(出願人)の解釈を受容した上で検討を加え,その結果,「表面への吸着」という相違点については,引用発明又は前記(1) エ(ア)記載の引用文献2に記載された発明を含む周知技術に基づいて,本願発明は容易想到であると判断したものと理解するのが自然である。
 一方,・・・審決においては,触媒の表面上でO2-,O2-とNOが反応し,かつ硝酸イオンNO3-の形で吸収剤内に拡散するという一連の現象を捉えて,「表面に吸着する」現象と認定していることが窺われ,これは,本件において被告が主張するように,「表面に吸着する」とは「触媒表面に吸着するとともに,さらに触媒内部まで拡散(吸収)する」場合に含まれていること,すなわち,「吸着」と「吸収」とは同時に起こる現象であるとの前提に立つ判断であると推断される。
 
このように,拒絶査定と審決とでは,「表面に吸着」する点に関し,同一性のある解釈をしていたとは認められず,むしろ,拒絶査定及び審決における各説示の文言等に照らし,前者はこれを「表面への吸着」と解釈し,後者は表面のみならず「吸収」を含む現象と解釈していることが認められる。したがって,審決は,拒絶査定の理由と異なる理由に基づいて判断したといわざるを得ない。
 そして,前記第3で主張するとおりの原告らの解釈及び前提に立てば,この「表面に吸着」する点はまさしく本願発明の重要な部分であるところ,原告らの意見書や審判請求書における主張からすれば,「表面に吸着」する点に関し,原告らは,審判合議体とは異なる解釈をし,本願発明や引用発明を異なる前提で捉えていることが認められるのであるから,これに対して,審決が,拒絶査定の理由と異なる理由に基づいて,「表面に吸着し」との点について判断をしている以上,原告らに対し,意見を述べる機会を与えることが必要であったというべきである。
 なお,審決が原告らに対し上記のような意見を述べる機会を付与しなかったとしても,その双方の場合について実質上審理が行われ,原告らが必要な意見を述べているなどの特段の事情があれば,審決のとった措置は実質上違法性がないということもできないではないが(知的財産高等裁判所平成18年(行ケ)第10538号,同20年2月21日判決の第5の1(4) 参照*),本件においては,そのような特段の事情を認めることはできない。

「被告主張のように周知技術1及び2が著名な発明として周知であるとしても,周知技術であるというだけで,拒絶理由に摘示されていなくとも,同法29条1,2項の引用発明として用いることができるといえないことは,同法29条1,2項及び50条の解釈上明らかである。
確かに,拒絶理由に摘示されていない周知技術であっても,例外的に同法29条2項の容易想到性の認定判断の中で許容されることがあるが,それは,拒絶理由を構成する引用発明の認定上の微修整や,容易性の判断の過程で補助的に用いる場合,ないし関係する技術分野で周知性が高く技術の理解の上で当然又は暗黙の前提となる知識として用いる場合に限られるのであって,周知技術でありさえすれば,拒絶理由に摘示されていなくても当然に引用できるわけではない。被告の主張する周知技術は,著名であり,多くの関係者に知れ渡っていることが想像されるが,本件の容易想到性の認定判断の手続で重要な役割を果たすものであることにかんがみれば,単なる引用発明の認定上の微修整,容易想到性の判断の過程で補助的に用いる場合ないし当然又は暗黙の前提となる知識として用いる場合にあたるということはできないから,本件において,容易想到性を肯定する判断要素になり得るということはできない。」


*参考:知財高裁平成20年2月21日判決、平成18年(行ケ)第10538号事件から抜粋

「・・・
本件拒絶査定においては,引用文献2(引用刊行物)について何ら言及することなく,備考欄でも引用文献3(周知例1)を中心として拒絶すべき理由を説明していることなどをみると,審査段階では,引用文献2(引用刊行物)を引用文献として掲げながらも,審査官は,引用文献2(引用刊行物)を実質的には拒絶理由としておらず,このため,引用文献2(引用刊行物)を主引用例とする審決については,出願人である原告に意見・反論等の機会が実質上十分に与えられなかったなど,具体的な不利益を生じている疑念が生じるので,吟味することとする。
 本願発明の構成についてみると,本件明細書によれば,本願発明の祭用地下たびは,底部に衝撃吸収シート,これと接地底との間に空気封入弾性片を介在させ,かつ,アッパー爪先部にクッション材を装填すること等という簡素なものであり,その材質は,衝撃吸収シートは「ゴムや合成樹脂或いはそれらの発泡材料等」が,空気封入弾性片は「合成樹脂シート」が,クッション材は「ゴム,合成樹脂又は不織布等」が用いられるというのであるから,材質等に格別のものが使用されているというわけでもなく,また,発明の効果も,「本発明は以上詳述した如き構成からなるものであるから,祭用地下たびとして要求される軽快性,軽量性及び外観を維持しつつ,底部の衝撃吸収性及び踵の弾力性を十分発揮させ,かつ,爪先部の保護も同時に可能としたもの」(本件明細書の段落【0017】)であるところ,拒絶理由通知に掲記された引用文献1~4も,程度の差こそあれ,いずれも類似した構成の履物であって,各構成について比較対比するについて,格別の困難があるとは考えられない。
 しかも,原告は,上記認定判示したように,本件意見書(前記(1)イ)において,引用文献2(引用刊行物)に関して意見・反論をしており,また,審判請求書(前記(1)エ)においても同様であるほか,本願発明と引用文献2(引用刊行物)との比較検討もしており,本件における原告の取消事由2,3に関する主張と比較検討しても,
実質的に必要なところは論じ尽くしているとみることができ,原告に具体的な不利益が生じていたとは認められない。
・・・
以上によれば,審決の上記違法は本件の具体的な事情の下において審決を取り消すべき違法はないということができるから,原告主張の取消事由1は理由がない。」

2009年9月13日日曜日

(1) 「1または数個の欠失、挿入又は置換を有するアミノ酸配列」が許容されない場合。(2) 手続き上の瑕疵と違法性。

平成21年9月2日判決言渡
平成20年(行ケ)第10275号審決取消請求事件

1.概要
 拒絶審決に対する取消訴訟。
 本件請求項1の発明:
「【請求項1】少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中の部位に免疫学的に結合する,抗C型肝炎ウイルス(HCV)抗体であって,
ここで,該部位は,HCVに対する抗体によって結合され得,そして該少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列は,以下のアミノ酸配列:
【化1】~【化3】(判決注:GlyからLeuまでの2436アミノ酸からなる配列,具体的配列はここでは省略)
中に1または数個の欠失,挿入,または置換を有するアミノ酸配列から得られる,抗体。」

 拒絶審決では実施可能要件違反が指摘されている。
 原告は審決取消理由2として、当業者は「(所定のアミノ酸配列中に)1または数個の欠失、挿入、または置換を有するアミノ酸配列」を抗原とする抗体に関する本発明は、過度の実験、試行錯誤を要することなく容易に実施することができることを主張した。
 原告はまた、審決取消理由3として、拒絶査定の理由とは異なる審決の理由は第二回の審尋において審判合議体により初めて告知され、原告は回答書において補正案を提示したものの、その後に拒絶理由通知は発せられず補正の機会も与えられないまま、審決がされたことは手続的瑕疵があり、違法である旨主張した。

 裁判所は、取消理由3については、「1または数個の欠失、挿入又は置換を有するアミノ酸配列」が許容される場合があることは認めつつも、本件の場合は理由がないと判断した。取消理由3については、特許庁側の瑕疵は認めつつも、結論に影響はなく違法性は認められないため、理由がないと判断した。

 ちなみに、新しい理由による独立特許要件違反を理由とした前置補正却下+補正前の請求項に対して拒絶査定と同じ理由で拒絶審決の手続きでは、補正却下理由を出願人に通知する必要はない。(知財高裁平成19年10月31日判決 平成19年(行ケ)10056号、本ブログ2009年5月8日記事)

2.判決抜粋
取消理由2について
「ア 原告は,旧特許法36条3項所定の実施可能要件の判断に当たり,本願発明が実施可能か否かは,本来任意に選択された一個の部分(本件では抗体)が生産及び使用をすることができるように本願明細書に記載されていることで足りると解すべきであるにもかかわらず,審決が「網羅的」に得ることが必要であるとした点には,誤りがあると主張する。旧特許法36条3項は,「・・・発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」と規定する。特許権は,公開することの代償として,物の発明であれば,特許請求の範囲に記載された「その物」について,実施する権利を専有することができる制度であることに照らすならば,公開の裏付けとなる明細書の記載の程度は,「その物」の全体について実施できる程度に記載されていなければならないのは当然であって,「その物」の一部についてのみ実施できる程度に記載されれば足りると解すべきではない。したがって,原告の上記主張はその前提において失当である。

イ 原告は,バイオテクノロジー関連の分野では,実施可能要件は,すべての実施形態を網羅的に得ることを要求していないのが現状であり,それを要求することは,出願人に酷な結果をもたらし,ひいては発明を奨励するという特許法の趣旨に反し,著しく不合理であると主張する。
 
確かに,バイオテクノロジー関連の分野では,発明の詳細な説明において,「欠失,挿入または置換」されたすべての実施態様が具体的に記載されていなくても,特許請求の範囲において,特定のアミノ酸配列を示し,さらに同配列中の「1又は数個が欠失,挿入または置換」等がされた場合をも包含する形式での記載が許容される場合がある。
 新規かつ有用な活性のある遺伝子に関連した技術分野において,当該分野のすぐれた発明等を奨励する観点,及び,仮にそのような記載が許容されなかった場合に第三者の模倣を阻止できず,独占権としての実効性を確保できない不都合を回避する観点から,特許請求の範囲に,特定のアミノ酸配列等を示した上で,同配列中の「1又は数個が欠失,挿入または置換」等がされた場合をも包含する記載が許容される場合があってしかるべきであるといえよう。しかし,そのような形式で特許請求の範囲の記載が許される場合であっても,そのことが,当然に発明の詳細な説明の記載について,一部の実施のみの開示によって,実施可能要件を充足するものと解すべきことを意味するものではない。
すなわち,特許請求の範囲に,新規かつ有用な活性のあるポリペプチドを構成するアミノ酸の配列が包括的に記載(配列の一部の改変を許容する形式で記載)されている場合において,元のポリペプチドと同様の活性を有する改変されたポリペプチドを容易に得ることができるといえる事情が認められるときは,いわゆる実施可能要件を充足するものと解して差し支えないというべきであるが,これに対し,上記のような形式で記載された特許請求の範囲に属する技術の全体を実施することに,当業者に期待し得る程度を越える試行錯誤や創意工夫を強いる事情のある場合には,いわゆる実施可能要件を充足しないというべきである。
 本件では,特許請求の範囲の記載は,本願発明に係る抗体を得るためのペプチドのアミノ酸配列数が,わずかに「少なくとも8個」であり,かつ,同配列中の「1個または数個のアミノ酸が欠失,挿入または置換」を含めたものとされているが,発明の詳細な説明には,そのようなわずかな配列数で特定されたペプチドを基礎として,これと同様の活性を有するペプチドを得るための改変を含む態様が,当業者にとって,容易に実施できる程度に開示されているとはいえない。したがって,原告の上記主張は採用することができない。」

取消理由3について
「ア 特許法50条,159条2項によれば,審判官は,拒絶審決をするときは,特許出願人に対し拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して意見書を提出する機会を与えることを要する。ところで,審判官が,「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」に「本件の特定HCV変異体に対する抗体」と「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する特異的抗体」が含まれ,
それぞれについて実施可能要件を欠くとの判断を示したのは,第2回審尋がはじめてであり,とりわけ,「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」に「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する特異的抗体」が含まれるとの解釈を前提として,実施可能要件を欠くとの判断を示したのは,第2回審尋がはじめてであるから,その事項については,新たな拒絶理由に該当するというべきである。そうすると,審判官は,上記理由については原告に対して補正の機会を与えるために改めて拒絶理由通知を行なうべきであり,それを怠った本件の審判手続には,手続上の瑕疵がある。

イ 
上記の瑕疵が,審決の結論に影響を及ぼすか否かを検討する。以下のとおり,「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」に,「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する特異的抗体」が含まれるとの解釈を前提にしない場合であっても,実施可能要件を欠くことは明白であるから,上記手続の瑕疵は,審決の結論に影響するものではない。
 すなわち,弁論の全趣旨によれば,上記の場合であっても,①本願発明では,8アミノ酸からなるペプチドにおける8個のうち1個のアミノ酸のみを置換する場合,ペップスキャンの対象となるペプチドの数は38万8640通りとなり,該ペプチドの調製とアッセイは12か月以上を要すること,②本願発明では「少なくとも8個のアミノ酸」とあり,エピトープが8個以上のアミノ酸で構成されている場合が想定できること,③元配列に対する抗体と反応するエピトープが必ずしも存在するとはいえないこと,④どのようなアミノ酸配列からなる部位にどのような抗原性があるかを合理的に推論することができないこと(元来抗原性を持っていない部位が変異によって新たな抗原性を獲得することは十分にあり得る。)等の事情を考慮すると,エピトープを探索するために,膨大な回数のペップスキャンを行なうことが必要となり,当該作業は当事者に期待し得る程度を越える過度の試行錯誤を伴うというべきであって,実施可能ということはできない。なお,原告は,第2回審尋に対して補正案を提出しているが,その内容も上記①,③,④と同様の理由から実施可能要件を欠く。したがって,原告の主張は理由がない。」

2009年9月5日土曜日

無効審判手続きにおける「明りょうでない記載の釈明」を目的とした訂正請求の許否も請求項ごとに個別に判断される

知財高裁平成21年9月3日判決
平成21年(行ケ)第10004号審決取消請求事件

1.関連最高裁判決 
 平成19年(行ヒ)第318号平成20年7月10日第一小法廷判決では、
「・・・特許異議申立事件の係属中に複数の請求項に係る訂正請求がされた場合,特許異議の申立てがされている請求項についての
特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正については,訂正の対象となっている請求項ごとに個別にその許否を判断すべきであり,一部の請求項に係る訂正事項が訂正の要件に適合しないことのみを理由として,他の請求項に係る訂正事項を含む訂正の全部を認めないとすることは許されないというべきである。」
と判断され、特許異議申立手続において、複数の請求項について「特許請求の範囲の減縮」を目的とする訂正がされた場合、訂正の許否は請求項毎に判断されるべきであるとされた。

 では、「明りょうでない記載の釈明」を目的とした訂正請求の許否は、訂正請求全体を一体不可分のものとして判断されるのか?

2.本判決の概要
 本判決では、「明りょうでない記載の釈明」を目的とした訂正請求の許否も訂正の対象となっている請求項毎に判断されるべきであると判断された。

 無効審判手続きでは、原告(特許権者、無効審判被請求人)は請求項1ないし3,5,9ないし13,18,19,21ないし25について訂正請求を行ったところ,本件審決は,請求項19及び23に係る2つの訂正請求のみを判断し,訂正要件を欠くとして本件訂正すべてを認めないとした。

3.判決のポイント
「(1) 無効審判における複数の請求項に係る訂正の請求
 昭和62年法律第27号による特許法の改正によりいわゆる改善多項制が,そして,平成5年法律第26号による特許法の改正により無効審判における訂正請求の制度がそれぞれ導入され,特許無効審判の請求については,2以上の請求項に係るものについては請求項ごとにその請求をすることができ(特許法123条1項柱書き後段),請求項ごとに可分的な取扱いが認められているところ,特許無効審判の申立てがされている請求項についての特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正請求は,この請求項ごとに請求をすることができる特許無効審判請求に対する防御手段としての実質を有するものであるから,このような訂正請求をする特許権者は,請求項ごとに個別に訂正を求めるものと理解するのが相当であり,また,このような請求項ごとの個別の訂正が認められないと,特許無効審判事件における攻撃防御の均衡を著しく欠くことになることに照らすと,特許無効審判請求がされている請求項についての特許無効の範囲の減縮を目的とする訂正請求は,請求項ごとに個別に行うことが許容され,その許否も請求項ごとに個別に判断されることになる(前掲最高裁平成20年7月10日判決参照)。
 そして,特許無効審判の請求がされている請求項についての訂正請求は,請求書に請求人が記載する訂正の目的が,
特許請求の範囲の減縮ではなく,明りょうでない記載の釈明であったとしても,その実質が,特許無効審判請求に対する防御手段としてのものであるならば,このような訂正請求をする特許権者は,請求項ごとに個別に訂正を求めるものと理解するのが相当であり,また,このような請求項ごとの個別の訂正が認められないと,特許無効審判事件における攻撃防御の均衡を著しく欠くことになることからして,請求項ごとに個別に訂正請求をすることが許容され,その許否も請求項ごとに個別に判断されるべきものである。

「(5) 被告は,特許無効審判における訂正の請求において,請求項ごとの個別の訂正が認められるのは,特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正請求であり,独立特許要件が要求されていない明りょうでない記載の釈明を目的とする訂正請求については,請求項ごとの個別の適用が認められるものではないと主張するが,たとい特許無効審判における訂正請求の請求書に記載されている訂正の目的が明りょうでない記載の釈明であったとしても,それが請求項ごとに請求することができる特許無効審判請求に対する防御手段としての実質を有するものであるならば,このような訂正請求をする特許権者は,請求項ごとに個別に訂正を求めるものと理解され,また,このような請求項ごとの個別の訂正が認められないと,特許無効審判事件における攻撃防御の均衡を著しく欠く結果となってしまうものであって,被告の主張は採用できないというべきである。」