2009年7月27日月曜日

特許請求の範囲の用語の解釈にまつわる判決(その1)

 特許請求の範囲に記載された用語の解釈は主に以下の5つの場面において重要である
(1)特許成立前の審査審判(審査、拒絶査定不服審判)における記載要件(明確性要件、サポート要件、実施可能要件)の判断
(2)特許成立前の審査審判における新規性進歩性の判断のための発明の要旨認定
(3)特許成立後の侵害訴訟における、対象物件が特許発明の技術的範囲に属するか否かの判断
(4)特許成立後の審判訴訟(無効審判、侵害訴訟での無効の抗弁)における、特許発明の記載要件の判断
(5)特許成立後の審判訴訟(無効審判、侵害訴訟での無効の抗弁)における、特許発明の新規性進歩性判断のための要旨認定

 特許請求の範囲に記載された用語を解釈する際に、明細書の記載を参酌することが許容されるか否かは、場面により異なる場合がある。
 そこで、場面ごとに判決例を挙げてみる。

場面(1)特許成立前の審査審判における記載要件(明確性要件、サポート要件、実施可能要件)の判断その1

原則:
特許実用新案審査基準第I部第1章 2.2.2 (4)
「具体的には、請求項の記載がそれ自体で明確であると認められる場合は、明細書又は図面中に請求項の用語についての定義又は説明があるかどうかを検討し、その定義又は説明によって、かえって請求項の記載が不明確にならないかを判断する。例えば、請求項の用語についてその通常の意味と矛盾する明示の定義がおかれているときや、請求項の用語が有する通常の意味と異なる意味を持つ旨の定義が置かれているときは、請求項の記載に基づくことを基本としつつ発明の詳細な説明等の記載をも考慮するという請求項に係る発明の認定の運用からみて、いずれと解すべきかが不明となり、特許を受けようとする発明が不明確になることがある。請求項の記載がそれ自体で明確でない場合は、明細書又は図面中に請求項の用語についての定義又は説明があるかどうかを検討し、その定義又は説明を出願時の技術常識をもって考慮して請求項中の用語を解釈することによって、請求項の記載が明確といえるかどうかを判断する。その結果、請求項の記載から特許を受けようとする発明が明確に把握できると認められれば本号の要件は満たされる。なお、ことさらに、不明確あるいは不明りょうな用語を使用したり、特許請求の範囲で明らかにできるものを発明の詳細な説明に記載するにとどめたりして、請求項の記載内容をそれ自体で不明確なものにしてはならないことはいうまでもない。(参考:東京高判平15.3.13(平成13(行ケ)346審決取消請求事件)」

以下、上記抜粋箇所において「例外的事例」として参照されている判決について整理する。

平成13年(行ケ)第346号 審決取消請求事件
平成15年2月27日口頭弁論終結

この判決のポイント:「殊更に」不明確に記載された(すなわち、明確に記載しようとすれば記載できるのに不明確に記載された)特許請求の範囲の用語は、明細書に定義や説明がされていたとしても、明確性要件を満たさない

本件出願に係る発明
「【請求項1】織機停止信号により,緯入れを阻止しながら制動停止した織機を再起動するに際し,筬が所定の筬打ち角以上となるようなクランク角に織機を停止し,開口装置を主軸から切り離し,主軸の1回転相当だけ開口装置を逆転し,開口装置を主軸に連結することを特徴とする織機の再起動準備方法。」

「所定の筬打ち角」が明確であるかが争われた。出願人は、明細書中の定義を参酌すれば用語の意味は明確であり、明確性要件は従属される旨主張した。

審決では、次のように特許請求の範囲を補正することにより拒絶理由は解消できるはずである旨提示されている。
「【請求項1】織機停止信号により,緯入れを阻止しながら制動停止した織機を再起動するに際し,筬が,スレイ上に搭載するサブノズルまたはエアガイドが経糸開口から抜け出るときの筬打ち角以上となるようなクランク角に織機を停止し,開口装置を主軸から切り離し,主軸の1回転相当だけ開口装置を逆転し,開口装置を主軸に連結することを特徴とする織機の再起動準備方法。」

判決は審決の判断を支持した。

判決のポイント

「 (1) 旧特許法36条5項は,次のとおり,規定している。
「5 第三項第四号の特許請求の範囲の記載は,次の各号に適合するものでなければならない。
一 特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。
二 特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載した項(以下「請求項」という。)に区分してあること。」
 上記規定は,発明の詳細な説明に多面的に記載されている発明のうち,どの発明について特許を受けようとしているのかを,出願人の意思により,特許請求の範囲に明示すべきことを要求しているものであり,これにより,一つの請求項に基づいて,特許を受けようとする発明が,まとまりのある一つの技術的思想として明確に把握できることになるのである。そのためには,明細書の特許請求の範囲には,「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項」を明確に記載する必要があるのであり,特許発明の構成に欠くことができない事項を明確に記載することが容易にできるにもかかわらず,殊更に不明確あるいは不明りょうな用語を使用して特許請求の範囲を記載し,特許発明に欠くことができない構成を不明確なものとするようなことが許されないのは,当然のことというべきである。
 このことは,特許法70条1項が,「特許発明の技術的範囲は,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない。」と規定し,特許請求の範囲の記載に基づいて特許発明の技術的範囲を定めることを規定していることからも当然のことである。すなわち,特許請求の範囲を明確に記載することが容易にできるにもかかわらず,殊更に不明確あるいは不明りょうな用語を使用して記載することが許されるとすれば,特許発明の技術的範囲を明確に確定することができなくなるおそれが生じ,特許権が行使される対象となる範囲が不明確となって,社会一般に対しあるいは競業者に対し,特許権が行使される範囲の外延を明示するとの,特許請求の範囲が果たすべき,本来の機能を果たすことができなくなる結果を招来するのである。
 本願出願においては・・・【請求項1】の「所定の筬打ち角」の技術内容が,【請求項1】の記載自体では不明確であることは明らかである。出願人である原告は,審判における拒絶理由通知において,その点の指摘を受けたにもかかわらず,【発明の詳細な説明】の「所定の筬打ち角」についての記載を補正しただけで,【特許請求の範囲】の記載を補正しなかった。そして,原告が【特許請求の範囲】の記載を補正してその技術的意味をそれ自体で明らかなものとすることを困難とする事情は,本件全証拠によっても認めることができない。すなわち,本願明細書の【発明の詳細な説明】の段落【0010】には,【所定の筬打ち角】についての定義的な説明があり,この記載を【請求項1】中に追加し,審決が例示したような請求項に補正することは容易なことであることが明らかであり,これを困難とするような特段の事情があったことを認めるに足りる証拠はない。
  以上によれば,本願明細書の特許請求の範囲の【請求項1】は,「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項」を明確に記載することが容易にできるにもかかわらず,殊更に不明確あるいは不明りょうな用語を使用して記載されたものであるという以外になく,このような【請求項1】の記載・・・は,いずれも旧特許法36条5項に規定する要件を満たさないものであり,これと同旨の審決の判断には何ら誤りはない,というべきである。
 原告は,特許請求の範囲の記載が,それ自体で不明確であったとしても,発明の詳細な説明の記載を参酌してそれが明確になる場合は,出願に係る発明の要旨の確定には何ら支障がないのであるから,このような特許請求の範囲の記載も,旧特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしているというべきである,このことは,最高裁平成3年3月8日判決(民集45巻3号123頁)からも明らかである,と主張する。
 しかし,上記判例は,特許出願に係る発明の新規性あるいは進歩性を判断する場合における,特許出願に係る発明の請求項の要旨の認定について述べた判例であり,旧特許法36条5項について判断をしたものではないから,本件については,その適用はない,と解すべきである。
このことは,上記判例が,「特許法第29条1項及び2項所定の特許要件,すなわち,特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当たっては,この発明を同条1項各号所定の発明と対比する前提として,特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ,この要旨認定は,特段の事情のない限り,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか,あるいは,一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って,明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるに過ぎない。」と判示しているところから,明らかである。特許出願に係る発明の新規性あるいは進歩性を判断する場合における,当該発明の要旨を認定する場合において,特許請求の範囲の記載を前提として,当該発明の要旨を認定し,あるいは,上記判例がいうような例外的な場合に明細書における発明の詳細な説明を参酌して要旨を認定した上で,その発明の新規性あるいは進歩性の判断をする,ということには十分合理性がある。しかし,新規性あるいは進歩性の判断の前提としての発明の要旨の認定をいかにして行うか,ということと,特許出願の願書に添付された明細書の特許請求の範囲の記載が,旧特許法36条5項が規定する要件に合致しているかどうかとは,問題を全く異にするものである。特許請求の範囲の記載は,できる限り,それ自体で,特許出願に係る発明の技術的範囲が明確になるように記載されるべきであり,旧特許法36条5項2号の「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載」すべきであるとした規定は,この考え方を具体化した規定であると解すべきである。原告の上記主張は,旧特許法36条5項の規定の解釈としては採用することができない。」

2009年7月19日日曜日

平成18年(ワ)第11429号 請求項中の用語の解釈と、補正による意識的除外と均等論

 この事件の争点1-1では、組成物の成分の定義、及びその成分の割合を示す数値の解釈が争われた。用語の定義と、組成物中の成分のパーセンテージや数値範囲の定義は、多少くどくても請求項中で(あるいは少なくとも明細書中で)明確に記載すべきであると考えられる。
 請求項の明確性(特許法第36条第6項第2号)要件を解消するための請求項の限定補正もまた、均等論の適用を妨げる「意識的除外」に該当すると判断された点も興味深い。(争点2参照)

1.事件の概要
大阪地方裁判所平成21年4月7日判決
平成18年(ワ)第11429号 特許権侵害差止等請求事件

原告が有する特許権に係る本件特許発明1を分節すると

「A シリコーンゴムに,下記一般式(A)で示されるシランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラーを分散させて成り,
 YSiX3 (A)
 X=メトキシ基又はエトキシ基
 Y=炭素数6個以上18個以下の脂肪族長鎖アルキル基
B 熱伝導性無機フィラーが熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%である
C ことを特徴とする熱伝導性シリコーンゴム組成物。」

被告が実施する被告製品が本件特許発明を侵害するかどうかが争われた。

構成要件Bが追加されるに至った出願経過:
原告が特許庁審査官より受けた拒絶理由通知書に「請求項1に記載の発明は組成物に係る発明と認められるが,各成分の配合量(組成比)が記載されていない(すべての配合量(組成比)について同等の効果を奏するものとは認められない)」として,特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号に規定する要件を充たしていないと記載されていた。
 原告はこの指摘に応じて構成要件B「熱伝導性無機フィラーが熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%である」を追加した。

争点の一部
争点1-1:構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」の解釈。具体的には、「熱伝導性無機フィラーが熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%である」について、原告がカップリング処理したものであるか否かを問わず「熱伝導性シリコーンゴム組成物に含まれる熱伝導性無機フィラーの総量」が40vol%~80vol%であると主張するのに対し,被告は,「カップリング処理を施した熱伝導性無機フィラー」が40vol%~80vol%であると主張した。また、原告が、「40vol%~80vol%」とは、カップリング剤の量を考慮しない「熱伝導性無機フィラー」自体の量を指すと主張するのに対して、被告は、カップリング剤込みの熱伝導性無機フィラーの量であると主張した。

争点2:(被告製品が構成要件Bを文言上充足していない場合に)被告製品が本件特許発明と均等なものとしてその技術的範囲に属するか

2.裁判所の判断のポイント
2.1.争点1-1:「熱伝導性フィラー」について
「ア 前記当事者間に争いのない事実等で認定したとおり,本件特許の特許請求の範囲【請求項1】には,「シリコーンゴムに,下記一般式(A)で示されるシランカップリング剤で表面処理を施した熱伝導性無機フィラーを分散させて成り,熱伝導性無機フィラーが熱伝導性シリコーンゴム組成物全量に対して40vol%~80vol%であることを特徴とする熱伝導性シリコーンゴム組成物。」と記載されていることが認められる。
イ 上記記載のとおり,構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」の文言の前に「同」,「当該」又は「該」といった直前の文言を指し示す接頭語が付されていないことから,同「熱伝導性無機フィラー」が,構成要件Aの定義するカップリング処理した熱伝導性無機フィラーを指すことが一義的に明確とはいえない。しかしながら,他方,同記載において,構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」が構成要件Aのそれとは別の物である,すなわちカップリング処理されていないものも含めた熱伝導性無機フィラーの総量と解する根拠となる積極的な記載も認められない。また,構成要件Bが構成要件Aの直後に配置され,しかも,「熱伝導性無機フィラー」との文言が構成要件Aのそれと近接して使用されていることからすれば,後者が前者を指している,すなわち構成要件Bの「熱伝導性無機フィラー」が構成要件Aのカップリング処理された熱伝導性無機フィラーを指すと読むのがどちらかといえば自然な解釈といえる。

2.2.争点1-1:「v40vol%~80vol%」はカップリング剤込みの量か否かについて
「上記段落【0003】には「熱伝導性フィラーは放熱シート3の熱抵抗をできる限り低減するために用いられるもの」と記載されており,段落【0004】には「熱伝導率を上昇させるために単にシリコーンゴムに対する熱伝導性無機フィラー充填量を増加させると」と記載されていることからすれば,本件明細書上,熱伝導率を高める役割を果たすものは熱伝導性無機フィラーであって,本件カップリング剤が熱伝導率そのものに影響を与えることを窺わせる記載は認められない。また,段落【0015】・・には,数値限定の意義について,「40vol%に満たないと高い熱伝導率を得ることが困難であり」と記載されていることからすると,40vol%以上でなければならないものは,あくまで熱伝導率に影響を与える熱伝導性無機フィラーそのものの量であって,本件カップリング剤込みの量ではないと解するのが相当である。
 他方,上記段落【0004】には,「熱伝導率を上昇させるために単にシリコーンゴムに対する熱伝導性無機フィラー充填量を増加させると,熱伝導性シリコーンゴム組成物の成形スラリー粘度が上昇し,成形加工性が低下したり,成形したシートの硬度が高硬度化することになる」と記載されており,成形した放熱シートの硬度が高硬度化する要因は熱伝導性無機フィラーにあり,本件明細書上,本件カップリング剤そのものが高硬度化に影響を与えていることを窺わせる記載はない。また,段落【0015】には,数値限定の意義について,「80vol%を超えると熱伝導性シリコーンゴム組成物の硬化成形物がさらに硬く脆くなる恐れがあって好ましくない」と記載されていることからすると,80vol%以下でなければならないものは,高硬度化に影響を与える熱伝導性無機フィラーそのものの量であって,本件カップリング剤込みの量ではないと解するのが相当である。

2.3.争点2
「(被告製品の一部である)GR-b等は構成要件Bを文言上充足しないので,原告の予備的主張としての均等侵害の成否について検討する。
(1)最高裁判所平成6年第1083号同10年2月24日第三小法廷判決(民集52巻1号113頁参照)は,特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合に,なお均等なものとして特許発明の技術的範囲に属すると認められるための要件の1つとして,「対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もない」ことを掲げており,この要件が必要な理由として,「特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど,特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか,又は外形的にそのように解されるような行動をとったものについて,特許権者が後にこれと反する主張をすることは,禁反言の法理に照らし許されないからである」と判示している。
 そうすると,特許権者において特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したといった主観的な意図が認定されなくても,第三者から見て,外形的に特許請求の範囲から除外されたと解されるような行動をとった場合には,第三者の予測可能性を保護する観点から,上記特段の事情があるものと解するのが相当である。そこで,かかる解釈を前提に,本件において上記特段の事情が認められるかどうかについて検討する。
(2)本件における出願経過については・・・本件補正をするに当たっての原告の主観的意図はともかく,少なくとも構成要件Bを加えた本件補正を外形的に見れば,カップリング処理された熱伝導性無機フィラーの体積分率を限定したものと解される。したがって,原告は,熱伝導性無機フィラーの体積分率が「40vol%~80vol%」の範囲内にあるもの以外の構成を外形的に特許請求の範囲から除外したと解されるような行動をとったものであり,上記特段の事情に当たるというべきである。なお,本件拒絶理由通知は,単に組成物に係る発明だからという理由で,その組成比の記載がない本件出願は,特許法36条6項2号に規定する要件を充足しないと判断しているところ,この判断の妥当性には疑問の余地がないではない。しかし,第三者に拒絶理由の妥当性についての判断のリスクを負わせることは相当でなく,原告としても,単に熱伝導性無機フィラーの総量を定める意図だったというのであれば,その意図が明確になるような補正をすることはできたはずであり,それにもかかわらず,自らの意図とは異なる解釈をされ得るような(むしろそのように解する方が自然な)特許請求の範囲に補正したのであるから,これによる不利益は原告において負担すべきである。
(3)以上により,GR-b等について,「対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もない」ことという要件を充たさないから,これらを本件各特許発明と均等なものとして,その技術的範囲に属すると認めることはできない。」

2009年7月12日日曜日

外国語特許出願のサポート要件は翻訳文に基づいて判断される

1.事実概要
平成21年6月30日判決
平成20年(行ケ)第10286号審決取消請求事件

本願発明(請求項1に記載された発明):
「基板と,
前記基板上に形成され,正の極性を有する第1の導電性層と,
前記第1の導電性層上に形成された透明有機発光デバイスと,
前記透明有機発光デバイス上に形成され50~400Åの厚さにすることによって透明となる透明導電性金属層と,
前記透明導電性金属層上に直接形成され,負の極性を有し,酸化インジウム錫以外の透明導電性酸化物を含む第2の導電性層と
を具備してなる有機発光デバイス構造。」

 審決では、明細書中には「酸化インジウム錫(ITO)の透明導電性酸化物を含む第2の導電性層」についての記載があるが、「ITO以外の透明導電性酸化物を含む第2の導電性層」についての記載がないことなどを理由として、サポート要件(特許法第36条第1項)が否定された。
 判決では、審決に誤りはないと判断された。

2.裁判所の判断の概要

「(1) 特許請求の範囲の記載が特許法36条6項1号に規定するいわゆるサポート要件に適合するものであるか否かについては,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,発明の詳細な説明に,当業者において,特許請求の範囲に記載された発明の課題が解決されるものと認識することができる程度の記載ないし示唆があるか否か,又は,その程度の記載や示唆がなくても,特許出願時(優先権主張があるときは優先日当時)の技術常識に照らし,当業者において,当該発明の課題が解決されるものと認識することができるか否かを検討して判断すべきものと解するのが相当である。」

「(2) 請求項1の記載
請求項1の記載は,前記第2の2のとおりであり,本願発明の「負の極性を有(する)第2の導電性層」は,「酸化インジウム錫以外の透明導電性酸化物を含む」ものである。」

「(3) 発明の詳細な説明の記載
 発明の詳細な説明には、次の記載がある・・・・・・
・・・
コ「図17においては,透明有機発光装置(TOLED)を提供するために本発明者により製造された工学的原型の横断面図が示される。この例においては,装置(300)が,ITOフィルムの厚さに依存して,典型的には20Ω(オーム)/平方のシート抵抗率を有する透明な酸化インジウム錫(ITO)層フィルム304により予備被覆されたガラス支持体302上に構築される。支持体302は透明なガラスから成るが,この例においては,それはまた,ITOが被覆され得るいずれか他の透明な硬質支持体,たとえばプラスチック材料によっても供給され得ることを注意すること。また,ITOフィルムは,いずれか適切な電導性酸化物又は電導性透明ポリマーにより置換され得る。有機フィルムの付着の前,支持体302は,従来の技法を用いて前もって清浄された。付着は,正孔伝導性化合物N,N’-ジフェニル-N,N’-ビス(3-メチルフェニル)-1,1’-ビフェニル-4,4’-ジアミン(TDD)の200Åの厚さの層306,続いて電子伝導性化合物Alq3(アルミニウムトリス-8-ヒドロキシキノリン)の400Åの厚さの層308の10-4トル以下の真空下での昇華により実施された。装置300に電子注入コンタクトを供給する上部層310は,薄い(50Å~400Å)半透明Mg-Agアロイ電極(40Mg:1Agのおおよその原子比での)の陰影マスキング(示されていない)による付着により製造された。他の原子比,たとえば50Mg:1Agが用途に依存して使用され得るが,しかし本発明はいずれかの特定の比又はコンタクト金属組成に限定することを意味しないことを注意すること。最終的に,TOLED装置300は,層310のMg-Ag表面上にスパッタ付着された第2の400Åの厚さのITO層312によりキャップされる。この第2のITO層312は,第2のTOLEDが構築される上部に連続した透明な伝導性表面を供給する(図12,13及び16の記載についての上記を参照のこと)。ITO層312は,許容できる透明度を保持しながら,抵抗率を減じるためにできるだけ厚くされる。電気コンタクト314(負の極性)及び316(正の極性)が,従来の方法を用いて,それぞれ,ITO層312及び304に結合される。」(27頁26行~28頁21行)」

(4) サポート要件の充足性
「・・・・そこで,発明の詳細な説明に,当業者において,本願発明の上記課題が解決されるものと認識することができる程度の記載ないし示唆があるか否かについて検討すると,前記(3)のとおり,発明の詳細な説明には,金属層を透明にするため,これを,下部の有機層を保護することができる程度の十分な厚さを保ちつつ,できる限り薄くすることにより,所望の透明度を得た上,さらに,金属層を保護し,また,電気抵抗を減少させるため,金属層の上部に,許容される透明度を保持しつつ,できる限り厚いITO層(本願発明の「第2の導電性層」に相当する。)を付着する旨の記載はみられるものの,この層(「ITO層312」)がITO以外の透明導電性酸化物である場合に上記課題が解決されることについての記載ないし示唆は一切みられないから,発明の詳細な説明に,当業者において,本願発明の上記課題が解決されるものと認識することができる程度の記載ないし示唆があるとまで認めることはできない。
 この点に関し,原告は,本件記載①を挙げ,これが,「ITO層312」についても「いずれか適切な電導性酸化物又は電導性透明ポリマーにより置換され得る」旨をいうことを前提として,発明の詳細な説明に,「ITO層312」がITO以外の透明導電性酸化物である場合についての記載がある旨主張する。
 しかしながら,摘記1の記載は,図17に示された透明有機発光装置(TOLED)を構成する各部材について,「ガラス支持体302」及び「酸化インジウム錫(ITO)層フィルム304」に始まり,その後は,図17に示されたとおり,下部のもの(層306)から順次説明するもの(ただし,電気コンタクト316を除く。)であり,また,「ITOフィルム」との表記及び摘記1の文脈にも照らせば,本件記載①の「ITOフィルム」の語は,摘記1の「装置300が,ITOフィルムの厚さに依存して,典型的には20Ω(オーム)/平方のシート抵抗率を有する透明な酸化インジウム錫(ITO)層フィルム304により予備被覆されたガラス支持体302上に構築される。支持体302は…ITOが被覆され得るいずれか他の透明な硬質支持体…によっても供給されることを注意すること。…有機フィルムの付着の前,支持体302は,…清浄された」との記載にいう「ITOフィルム」,「酸化インジウム錫(ITO)層フィルム304」,「ITO」及び「有機フィルム」(いずれも下線を付した部分),すなわち「酸化インジウム錫(ITO)層フィルム304」(以下「ITO層フィルム304」という。)を指すものであって,「ITO層312」を指すものでないことが明らかであるから,原告の主張は,その前提を欠くものとして,失当である。」

「(5) ちなみに,原告は,「欧米の両庁における各審査手続においてサポート要件を充足するとされた内容と同一の内容の本願明細書につき,日本語であればサポート要件を充足しないということは考えられないし,日本語の微妙な読み方いかんによって同要件の適合性の有無が左右されるのは相当でない」と主張するが,外国語特許出願において,サポート要件の判断の対象となる明細書は,当該外国語特許出願に係る国際出願日における明細書の翻訳文である(平成14年法律第24号による改正前の特許法184条の6第2項)から,欧米の両庁における各審査に付された明細書と本願明細書とが同一の内容のものである旨をいう原告の上記主張は,両者がサポート要件の充足性の判断の対象たる明細書として完全に同一のものであるという趣旨であれば,その前提を誤るものとして失当であるといわざるを得ない。また,「日本語の微妙な読み方いかんによって同要件の適合性の有無が左右されるのは相当でない」との主張も,上記説示したところに照らせば,これを採用することができないというべきである。
 この点に関し,原告は,「発明の詳細な説明に記載された事実が何であるかを認定するための間接事実として,欧米の両庁における対応特許の付与状況を主張するものである」とも主張するのであるが,上記のとおり,欧米の両庁における各審査に付された明細書と本願明細書がサポート要件の充足性の判断の対象たる明細書として完全に同一のものということはできないから,仮に,本件出願に対応する欧米の特許出願に対して特許が付与されているとしても,そのことをもって,請求項1の記載がサポート要件を充足するものと認めることはできないとの前記判断を左右するものではない。
 さらに,原告は,「特許協力条約に基づく国際出願が主要国の国内官庁の手続に移行した場合,当該主要国の国内官庁における判断は,重要な参酌要素とすべきである」と主張するが,以上説示したところに照らせば,原告のこの点に関する主張も採用することができないことは明らかである。」

2009年7月5日日曜日

無効審判における冒認出願に関わる事実についての主張立証責任と審判手続き

1.事件の概要
平成21年6月29日判決言渡
平成20年(行ケ)第10428号審決取消請求事件

主文1:特許庁が無効2008-800005号事件について平成20年10
月14日にした審決を取り消す。

 原告は,平成20年1月15日,本件特許が,発明者でない者であってその発明について特許を受ける権利を承継しないものの特許出願(以下,同要件に係る出願を「冒認出願」という場合がある。)に対してされたものであり,特許法(以下,条文は特許法の条文を示す。)123条1項6号に該当することを理由として,無効審判(無効2008-800005号)を請求した。
 特許庁は,平成20年10月14日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同月24日,原告に送達された。

 原告は、「審決は・・・冒認出願についての主張立証責任の判断の誤り(取消事由1),審決の結論に影響を及ぼす手続上の誤り(取消事由2),本件特許が冒認出願に対してされたものであるとすることはできないとの判断の誤り(取消事由3)があるから,違法として取り消されるべきである」と主張した。

2.裁判所の判断の要点
「当裁判所は,①冒認出願に関する主張立証責任の所在に関する判断に誤りがあること(取消事由1参照),②主張立証責任の所在に関する判断の誤りは,本件審理手続の過誤,及び審決の結論に影響する過誤であるといえること(取消事由2及び3参照)から,審決を取り消すべきものと判断する。」

冒認出願に係る事実の主張立証責任ないし主張立証の程度について
「特許法は・・・特許権を取得し得る者を発明者及びその承継人に限定している。このような,いわゆる「発明者主義」を採用する特許制度の下においては,特許出願に当たって,出願人は,この要件を満たしていることを,自ら主張立証する責めを負うものである。・・・」

「・・・冒認出願(123条1項6号)を理由として請求された特許無効審判において,「特許出願がその特許に係る発明の発明者自身又は発明者から特許を受ける権利を承継した者によりされたこと」についての主張立証責任は,特許権者が負担すると解すべきである。
 もっとも,冒認出願(123条1項6号)を理由として請求された特許無効審判において,「特許出願がその特許に係る発明の発明者自身又は発明者から特許を受ける権利を承継した者によりされたこと」についての主張立証責任を,特許権者が負担すると解したとしても,そのような解釈は,すべての事案において,特許権者において,発明の経緯等を個別的,具体的に主張立証しなければならないことを意味するものではない(むしろ,先に出願したという事実は,出願人が発明者又は発明者から特許を受ける権利を承継した者であるとの事実を推認する重要な間接事実である。)。
 特許権者の行うべき主張,立証の内容,程度は,冒認出願を疑わせる具体的な事情の内容及び無効審判請求人の主張立証活動の内容,程度がどのようなものかによって大きく左右される。仮に無効審判請求人が,冒認を疑わせる具体的な事情を何ら指摘することなく,かつ,その裏付け証拠を提出していないような場合は,特許権者が行う主張立証の程度は比較的簡易なもので足りる。これに対して,無効審判請求人が冒認を裏付ける事情を具体的詳細に指摘し,その裏付け証拠を提出するような場合は,特許権者において,これを凌ぐ主張立証をしない限り,主張立証責任が尽くされたと判断されることはないといえる。そして,冒認を疑わせる具体的な事情の内容は,発明の属する技術分野が先端的な技術分野か否か,発明が専門的な技術,知識,経験を有することを前提とするか否か,実施例の検証等に大規模な設備や長い時間を要する性質のものであるか否か,発明者とされている者が発明の属する技術分野についてどの程度の知見を有しているか,発明者と主張する者が複数存在する場合に,その間の具体的実情や相互関係がどのようなものであったか等,事案ごとの個別的な事情により異なるものと解される。」

取消事由1,3に関連した判断
「・・・本件審判においては,本件特許出願が発明者である被告によりされたことを,出願人であり特許権者である被告が主張立証しなければならない。そして,本件特許発明の内容,事案の経緯を踏まえ,本件審判における原告の主張(・・・),原告が提出した証拠に鑑みると,原告は,冒認を疑わせる事情を具体的に主張し,その主張に沿う証拠を提出していたものと認められる。
 ところが・・・被告は,「審判事件答弁書」及び「上申書」を提出したのみで,その他には,「特許出願がその特許に係る発明の発明者自身又は発明者から特許を受ける権利を承継した者によりされたこと」について,具体的な主張立証活動を何ら行っていない。
 審決は,無効審判請求人である原告が提出した各証拠,及び原告が主張する無効にすべき理由によっては,本件特許が冒認出願に対してされたものであるとすることはできないと判断したが,上記の審理経緯及び証拠内容を総合すると,審決には,冒認出願に係る事実についての主張立証責任の所在の判断の誤り及び冒認出願か否かについての判断の誤りがある。

取消事由2,3に関連した判断
「178条1項は,「審決に対する訴え・・・は,東京高等裁判所の専属管轄とする。」と規定する。本来,審決は,行政処分の一類型であるから,行政事件訴訟法によれば,その管轄裁判所は地方裁判所になるのであるが,以下の2つの理由から,一審を省略して,東京高等裁判所に出訴すべきものとされた。すなわち,①特許庁での審判手続が,裁判に類似した準司法手続によって厳正に行われるべきことから,地方裁判所においてその適否を判断することによる適正さの要請よりも,事件を迅速に解決するとの要請を優先すべきであるとしたこと,②事件の内容が専門技術的であるため,特許関係の専門官庁において実施された審判手続を尊重してよいとしたことによるものである。このような理由も相まって,特許無効審判の審理についても,原則として口頭審理の方式によることと規定されている(145条1項)。」

「・・・本件審判手続において,①原告は,冒認を疑わせる事情を具体的に主張していた,②被告は,「審判事件答弁書」及び「上申書」を提出したのみで,その他には,「特許出願がその特許に係る発明の発明者自身又は発明者から特許を受ける権利を承継した者によりされたこと」について,具体的な主張立証活動を何ら行っていなかった,③審判官は,書面審理の方式に変更した,④原告は,審判官に対し,口頭審理を開催し,主張立証責任の原則に則り,被告等の当事者本人尋問,証人尋問を行い,本件特許出願が冒認出願であることに関して真相究明を尽くすことなどを求めた,⑤しかし,審判体は,審理を終結して,本件審決をしたものである。
 本件審判手続は,上記のような経過であり,その具体的な争点の内容,性質に照らすと,口頭審理によるべきであるが,それにもかかわらず,職権で,冒認出願を理由とする無効審判の審理を口頭審理から書面審理に変更した点において,著しく公正を欠く審理であるというべきである。審判手続の進行や審理の方式については,審判体(審判長)に合理的な裁量があることを考慮してもなお,その裁量を逸脱しているものといえる。そして,このような手続上の瑕疵は,結論に影響を及ぼす誤りということができる。」

3.コメント
 冒認出願に係る事実の主張立証責任が審判被請求人(特許権者)側にあるとする判断は、知財高裁平成18年1月19日判決、平成17年(行ケ)第10193号に示されています(参考文献:松下正、「冒認出願における立証責任の判断」、知財管理 Vol.56, No.12, pp.1895-1904, (2006))。